名前を隠して楽しく日記。
もともとお酒が飲めない自分はソフトドリンクで粘っていたが,会話の内容がしんどすぎて2次会にはいかなかった。
飲み会に来ていた女性が,「友人から聞いた,その友人の友達や恋人のやばいエピソード」ばかり話していた。
聞いている間ずっと,「なんでこいつは,そんなやばい奴に脳のリソースを割けるんだろう」という感想が頭の中をずっと駆け巡っていた。
友人,同僚や上司,先生,親兄弟など,どうしても付き合わなければならない人間はいる。そんな人の愚痴が出るのは理解できる。
自分だって同僚との人間関係がうまくいかなくて親や友人に愚痴を聞いてもらったことがあるから,愚痴を言うのはわかる。
しかし,「友達から聞いた愚痴」をぶちまける意味が分からない。ぶちまけた時点で愚痴から悪口に代わっている。だいいち面白いと思って話しているのだろうか?
仮に自分が愚痴を聞いたとして,それをこういう風には他人に話せない。やばい奴のことを考えて,その話をしている時間が無駄すぎる。
やばい奴のことを考えている時間,代わりにすごい奴とかいい奴のことを考えたほうがよくないか?
かつては個別移動の色合いが濃いために公共交通機関と見なしていなかったタクシーも、2006年に施行された「バリアフリー新法」により、明確に公共交通機関と位置付けた。
お前はコンテンツが好きなんじゃないよ。
ブクマカは、いち見たら、ひゃく居ると思えって言ってたよ
静寂なる大便少女
7dtdを今更やってるが、poi(いろいろな建物。ダンジョンみたいな位置づけ)のバリエーションが多くて10年の重みいっぱい感じちゃう……
ベゼスダに7dtdの垢を煎じてアイスティーしてやりたいぐらいすごい
ゲ、なんでそんなに食えるんだ、デブの発想
正解じゃん。
俺は好きにも嫌いにも理由があるけど、それは俺が創作が趣味だからで、好きを説明できないと何を作っていいかわからないからです。
それは訓練して身に着けた技能と習慣だ。
テクニックであって、嗜好ではない。