嫌なことがあったら、それをなにか何でもいいから、自分なりの表現に落とし込むんだよ、
するといいことは別にないけど、発散ができて、そして何かが前に進んだ気がして、それだけで自分を許せることができるようになる。
何にも逃げられないと思ったときが、表現のはじまりだと思っていて、
表現者はやり場の無い、エネルギーの発散に困ってしまっているんだと思う。
ブス?男の性欲をナメないほうがいい
男が褒められる場合は、下心があるがそれに引っかかるのが自己責任なのであって、基本的には嬉しいと感じる。
女性が褒められる場合は、下心がありそうだと主観的に判断したらキモいと感じる。(もちろん、体力的な差、それによる警戒すべき水準の違いによる影響もあるだろうが)
これは男の場合は幸福を感じる基準が低いからで、否定的言葉以外で存在を認めてもらえる=褒めてもらえる、という時点で幸福感があり、必ずしものその質、すなわち褒める人間の立場や外見でマイナスになるものではない。(もちろん立場の高い人、見た目がいい人に褒められたらさらに嬉しいだろう)
女性の場合存在を認めてもらえるのは当然のことだからこの時点では幸福感などなく、褒める人間の質によって評価が決まる。
そういうことなんだね。
感謝の気持を伝えるのは人によって様々だけど、単に方便なことが殆どで軽い連中ばかりだ。
他人にするのはどうでもいい。だけど自分の関わってるジャンルや部門に対して、「あれに携わった人たちには感謝している」なんて言われるのはむず痒いし、そんな軽い言葉を投げられたほうはたまらない。気持ちわりーと思う。
その言葉の裏には「感謝の気持くらいありがたくうけとってけ」という恩着せがましさがにじみ出ていると常々思う。
そんな言葉、こっちに来たら二度と吐けないんだよ。ようは外から見て傍観しているだけで、一緒に戦おうという姿勢も感じない。サッカーで言えばサポーターではなく、サンデーモーニングの解説者並みの部外者がわーわー言ってるようにしか思えないんだ。
その「電車乗るのが辛い」は
自分も興奮しなくなってるんじゃ?
猫飼いたいけど猫は俺に飼われたくないだろう
そもそも乗る路線によって状況は大きく異なるし、そもそもその人が癲癇とかパニック症、名前が付いてないまでも上記に近い症状出る人とか世の中には居るからな、自分基準で考えるのはよくない