2020-01-26

炎上芸なのか素なのか判断がつきかねる魅力

ドイツ在住フリーライター雨宮さんの記事は以前から読んでいて、いつも楽しませてもらっている。彼女文章はいろいろ突っ込みどころが多くて、普通の人が日常生活では出さないようにしている部分とかがもろに出てたりして、刺激的だ。その刺激ゆえに読むのをやめられない。いままでどういう突っ込みどころがあったかこちらの増田に詳しいのでご覧いただきたい。この増田を書いた方も相当読み込んでいるようなので、私と同じように彼女文章の刺激に魅せられたのだと思う。

さて、最近彼女現代ビジネス寄稿した記事が相変わらず素晴らしいクオリティだったので紹介したい。

「海外在住なら外国語ペラペラでしょ」に声を大にして反論したいこと

彼女文章の素晴らしい点の一つは、論旨の基本的なところは納得できることが多いところにある。たとえば、

住んでいるだけでネイティブ並みになれるのであれば、こんなに海外で苦労なんかしない。「言葉の壁」なんて言葉存在しないだろうし、それに泣かされたりもしない。言いたいことが伝わらない孤独感に耐え、自分けが会話を理解できない劣等感に耐え、いくら勉強してもネイティブとは並べない虚無感に耐え、それでも継続的勉強した結果の「語学力」だ。

私もいま米国に住んでいて、語学で苦労しているのでよく分かる。多少は英語ができるつもりで来たのが、全然相手の言っていることがわからないし、自分発音簡単単語ですら(あるいはだからこそ)伝わらない。彼女の言う通り、孤独感と劣等感に耐えながら地道に努力してこそ得られる語学力コミュニケーション能力なのは私も実感するところだ。

しかしこれだけで終わらないのが彼女文章醍醐味だ。論旨は「海外にいるだけで語学が身につくわけではない」という一言に尽きるのだが、それを伝えるために色々エキサイティングな装飾が付く。

これは、海外に住んだことがある人10人中9.9999……人がうなずいてくれるだろう。「海外に住んでたんだ〜。じゃあ英語ペラペラ?」という質問に、何度イラっとしたことか(そもそもドイツ公用語ドイツである)。

先日帰国した際に、私も知人からほぼ全く同じことを言われたが、別にイラっとはしません。自分海外に住めば英語ができるようになると思っていたところがあるから、来てみないと分からないこともあるよね、で済む話であるしかしここで彼女イラっとせざるを得ないのであるしかもこの文章が引き立つのは、その前に彼女自身が、

わたし自身も「海外生活」に強い憧れをもっていたし、「海外在住者」や「帰国子女」を特別存在としていろいろと勝手イメージを抱いていた。

と書いていることにある。読者はここでドキドキするはずだ。自分勝手イメージを抱いていたのに、立場が逆転したらイラっとするってどうなの、と。こうなるともう次のページボタンを押さずにはいられない。

加えて、そこここに散りばめられたマウント感もスパイスとして有効機能している。

今日ドイツ人の友だちと飲むけど来る?」と誘ってみたけれど、「日本人かに来ないの? その人たちは日本語話せないんでしょ? じゃあやめとく」と言われたことも記憶に残っている。

現地の学校に通ってはいるが、現地の友人とはほとんど会話をせず、日本受験に向けた日本勉強もっと時間を割き、日本人で固まって行動している。これで英語がまともに話せるはずもない。帰国して「帰国子女だから話せるよね?」と言われたとき、その子たちはどんな気持ちになるんだろうと心配していた。

語学習得しようとする者の大敵は引っ込み思案、羞恥心であるのは間違いない。とにかく外に出てその言語を使うのが大切なのは、誰でも(おそらく彼女言及している人達も)理解しているだろう。しかしそれができない人もいる。こういった例示からは「自分はそこを乗り越えて語学を身に着けたんだ、あいつらとは違うんだ」という自尊心がちらついて、何とも言えず良い。

今回の記事で一つだけ共感できなかった点を挙げるとしたら、

また、ドイツでも「management」や「Game Boy」といった英語英語発音そのままで使うし、Brad PittやLeonardo DiCaprioもしっかり発音する。それに慣れていると、「ブラピ」やら「レオナルド・ディカプリオ」やら、カタカナとして発音するのがなんだか気恥ずかしくなってくる(わたしだけだろうか?)。

彼女だけかどうかは分からないが、私は恥ずかしくはならない。日本語には余りに外国語から輸入した言葉が多いので、いちいち米国式の発音するわけにはいかない。さらに言うと、私は日本由来の単語米国人との会話で出すとき米国式の発音にする(SushiとかRamenとかね)。そのほうが伝わりやすいからだ。雨宮さんはドイツ人に日本単語を紹介するとき、「気恥ずかしくなるから日本語そのままの発音で言うのだろうか。私はその場の雰囲気と伝わりやすさを重視して発音を切り替えるし、周りの日本人も大体そのようにしている。外国語日本人との会話のときだけこの現象が発生する(気恥ずかしくなる)のだとしたら、その理由が興味深いところだ。

この記事から彼女文章の魅力を端的にまとめると、

1.論旨そのものは多くの人に理解共感できるものである

2.しかしその表現には自己矛盾マウント感が含まれており、読者を刺激する

ということになる。2だけではただの煽り記事になるし、1だけだと読み続けるには刺激が足りない。絶妙バランスでこれらを調整することで、読者に「この人は素でこんな人なのかもしれない」とハラハラさせ、リピート読者として取り込んでいるのだ。自分にこんな高度な芸当ができるとも思わないが、文章を書く時に覚えておくと役に立つかもしれない。

記事への反応 -
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    • この人 雨宮@迷走ニュース(@amamiya9901)さん | Twitter のこのブログ ドイツ発 雨宮の迷走ニュース の中から、特に「アイタタタ笑」と読んでるこっちが恥ずかしくてムズムズしてしまうよ...

      • ドイツ在住フリーライターの雨宮さんの記事は以前から読んでいて、いつも楽しませてもらっている。彼女の文章はいろいろ突っ込みどころが多くて、普通の人が日常生活では出さない...

      • 暇なので コメントに反論してみる。日本って本当に息苦しいわ - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース 反論への反論にツッコミを入れてみる。 「意見の伝え方が悪い」?だから面倒くさい...

    • 当該ブログは読んでいないのであくまでツッコミを読んだ感想。    慈悲深い文章を2つも書き上げてお疲れ。おもしろかった。 先のブログは「ばびろんまつこ」と「ちきりん」に影響...

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