職場でキミはたぶん相当なマイナスオーラ生成機になってしまっている
キミは方言の所為にしようとしているが、まったくそれは関係ない。「言い方」の問題ではない。
キミの心の在り方、心の持ち様とそれから現れる態度まで全てひっくるめて、上司は注意してくれていることに気がつかないことには前にすすめないだろう
それを指摘してくれる上司はなかなかの人物だね
心の持ち様といったところでなかなか急には難しいところもあるので、せめて相手の気持ちになって冷静に考えて、それから言葉に出す癖を付けていくのがいいでしょうね。
大学時代の女友達(独身)とたまにメールする。俺の仕事は土日出勤なので、なかなか時間が合わないのだが
たまに土日に休みもらえると、「どっかで食事しよう」って話になる。
で、お互いの身の上話なんかもしながら飲み食いして、別れ際になると彼女に「また時間が合えば連絡して」と言われる。
これって、社交辞令なのかなあ?
それとも俺に気があるのか?
俺は彼女にそんな気持ちはまったく抱いてないのだが、食事に誘ったりしてると、俺が彼女に気があるなんて誤解されるだろうか?
(ちょうど、俺が「彼女、ひょっとして俺に気があるのか?」なんて思ってるように)
まあ、こんなに風に色々考えてしまってるのは俺だけで、彼女は単に食事したいだけかもしれないが。
ほんとに気があれば、向こうからもっと頻繁にメールしてくるだろうし。
性別が違うってだけで、いろいろ気を使わなきゃいけないから面倒くさいな。
じーさんがたの会合に顔をださなきゃいけなくて行ってきたんだけど、若いのが一人混じって酒でも入ろうものなら戦時中の話になる。
おれも90も後半のじーさんから聞いているので、知ってはいるのだけどあちこちの話しを聞くと新しく知ることも多い。
とりあえず書いてみる。@東京とかのお話。地方で参戦されたかたも居た。
・勝てっこないのは当時の市民にもわかっていた、戦争やろうと思ったのはバカだ
・対空砲を警戒して米軍はチャフ(のことだと思う)を蒔いていたが、そもそも対空砲なんてなかった
・冗談じゃなく竹やりをもたされた
・焼夷弾を消す訓練をさせられていたが、降って来たのは数万発だった
・みんな死んだ
・戦後は毎月500円分だけ切手が配られてその切手を貼ったお金だけが有効だった
・銀行は封鎖された
・みんな貧乏になった
・それでも私腹を肥やしたヤツはいた
・土地の所有を証明する書類は役場ごと焼けた
・銀座とかは無法者が土地を占拠した。土地が欲しいか命が欲しいか。
・自決した(しようとした)陸軍の指導者とかは侍だ、立派だなんて言うがとんでもない
・玉音放送がなければ本当に竹やりで戦うはめになった
・玉音放送を聞いたときの感想は、悔しさでも嬉しさでもなく「死なずに済んだ」だ
・軍隊にいたときは、敵船上陸が迫った前日には腹に爆弾まいて死ぬ準備をしていた。
・特攻志願時は縦一列にぴっちり並ばされて、志願するやつは前に進めといわれるが、うしろからどんどん押されるのですすまざるをえない。結局みんな志願したことになる。
・そもそも無理やりにつれて行かれるのだから、個人の意思とか関係ない。
・われわれもあと20年もしたらみんな死ぬ
・戦争を体験をした人がいなくなると、また同じことが繰り返されるかもしれない。
・戦争はやだね
なんか、現代の動きが当時の陸軍をみているようで心配なんだそうだ。
トップダウンでものごとを決めようとしたり、アメリカとは対等だとか言い出すところが気になってるみたい。
あ、あと、それとは話がずれるんだけど、昔しは町会が変わるほんの2~3キロで言葉が通じなかったんだって。
単語が違ってなに言っているかわからなかったそうだよ。
方言すぎるだろ。
同僚がミスったときの言い方がきついらしい・・・
「お前なにやってんねん」とか、「ちゃんとせーよ」とか
そういうのは言うんですけど・・・
それって普通じゃね?と思うわけで・・・
個人的な感想ですが、あまり嫌じゃありませんね。
イントネーションが軽いというか明るい感じがするんですよ。
同じ事を言われると、東京の人間の物言いが鼻につく事がよくあります。
「なにやってるんですか?」とか「やる気あるんですか?」とかですかね。
目をつりあげてドヤす、という感じならダメだと思いますが、
「なにやってんねん!」って感じなら本当に何やってんだよ!って状況でも
「うわースンマセン!」って返せそうな。
どっちにしろ、言い方使い方だと思うんですよ。
何弁だろうが、相手が100パーセント悪い!って険悪な言い方をすればアウト。
大手のメーカーとの付き合いもありますが、
協調性や雰囲気って、東京と比べて断然関西の方が柔かくて、明るい。
東京は険悪にさせる天才じゃないかと思う事がしばしばあります。
けして、「関西弁の罪」ではないと思いますよ。
多分、同じ事を標準語で言ったら、確実にもっと嫌な奴です。
そのグループごとに登校していた。
分団長は6年生がやって、下の学年の面倒をみつつ、
二列を保持して学校まで登校する。
私は面倒見がいいわけでもなかったけど、生憎6年生が私しかいなかったから
分団の分団長をやっていた。
思い返せば、「長」なんてつく役柄があったのは、その時だけだった気がする。
そこには、4年生のA子ちゃんと、2年生になる私の妹。
そして、同じ場所に集まる男の子の分団にはAちゃんの弟で3年生のB君がいた。
ある日、A子ちゃんと、同じ学年のC子ちゃんが喧嘩になった。
喧嘩といっても、C子ちゃんが一方的に怒ってて、泣いていて、あまり喧嘩らしい喧嘩にはなってない。
4年生は人数が多くて、C子ちゃん以外はみんなA子ちゃんの味方、という感じだった。
A子ちゃんは静かで、言葉は少なかったけど、理論整然と話す子だった。
怒り心頭!という感じのC子ちゃんとでは収まりがつかない。
その日はC子ちゃんを先頭の私の隣に、A子ちゃん達を列の最後尾に並ばせて登校した。
C子ちゃんが不満そうに腕をさすっていたので
「どうしたの?」
と聞いたら、
「A子ちゃんがつねった」
と腕を見せてくれた。
小さな傷だったけど、赤く爪の跡が食い込んで、皮がめくれていた。
C子ちゃんはそれっきり、A子ちゃんや他の子と距離を置いていたので、喧嘩が起る事もなかったので、しばらく忘れていたのだけど、今度は私の妹がB君にいじめられた、と泣きついてきた。
薄情かもしれないけど、前は2つしか歳の違わない同性の話で、今度は自分の小さな妹だし、相手は(年下とはいえ)男だし、これはイカンと思って、B君に抗議した。
しかも、妹の手にはC子ちゃんと同じつねった跡がくっきり残っていた。
姉のA子ちゃんと違い、B君は本当に何も話せない子だった。
その時もウンともスンとも言わないまま、登校時間になって結局有耶無耶に終わってしまった。
ところが、数日後、家に帰るとB君がうちに一人で妹と遊びに来てた。
うちの妹はあまり女の子らしくなくて、兄の玩具なんかもあったからかもしれない。(実際男の子の友達が多かった)
気がよいのかすっかり忘れたか、妹は普通にB君と遊んでいた。
少し遊んだ後、B君が急に妹をいじめた事を詫び始めた。
その時に聞いた話が
・姉のA子にいつもいじめられている
・姉と母親は虐める時や怒る時に、いつも何も言わず自分をつねる
・姉は勉強も運動もできて、自分はかなわないし、やりかえせない。怖くて、やりかえすなんて考えれない
・妹は姉のA子に似ている
B君はその話を私と妹の前で悪びれもせずにした。
流石に妹もその話に嫌な気がしたらしく、(今でも覚えてるらしい)
その後も何度かB君はうちに遊びに来たけど
近づけないように避けたようだった。
それから、数年たって、母が子供会か、婦人会かなにかの役員になって、
近所の催し物の手伝いに駆り出された。
私は中学2年生になってた。
講堂を飾り付ける飾りを作る係の中に、A子ちゃんのお母さんがいた。
A子ちゃんのお母さんの顔は知っていたけど、話すのはそれが初めてだった。
飾りを作りながら、お母さんからA子ちゃんが小学校で何かの代表に選ばれた、と聞いた。
A子ちゃんしっかりしてますからね、と言ったら(正直お世辞だ)ものすごくうれしそうに、
静かに、A子ちゃんを延々ほめ始めた。
「あなたも大きな声で笑ったりしないで品性を持った方がいい」
「A子はお花をやっているから、品がある。あなたもやればいい」
ちょっとなぁ、と思い始めたらこんなことまで言いだした。
「A子が代表になれたのは、親がちゃんとしてるからよ?
それじゃあ、ねぇ…」
「徳がないと、だめ。
あなたは毎日お勤めしてる?ご先祖様をうやまう気持ちがないと、自分の身に降りかかるんだから」
(新興宗教らしい)
子供心に逃げ出したい!と思い、何か話題を変えるきっかけがないかと思っていたら、
A子ちゃんのお母さんが飾りを間違えて作ってることに気付いた。
「あ、それ、間違ってますよ~」
と、言った時A子ちゃんのお母さんは
「あら、いやだわ」
と、明るく言った。
けど、目が笑ってなかった。
そして、言うのと同時に、私の腕を思いっきりつねりあげていた。
「いたい!!!」
免疫のない私は、いきなりつねられて、絶叫してしまった。
頭が「????」となっている私に、A子ちゃんのお母さんはにっこり笑った。
急にそんな事を思い出したのは、つい先日、子供を連れて実家に帰った時、
同じように子供を連れているA子ちゃんを見かけたからだ。
母に聞いたら、A子ちゃんはまだそこに住んでいるという。
喧しい我が家と違い、相変わらずA子ちゃん一家は静かだった。
A子ちゃんが、自分がされたのと同じように、子供をつねっているかは知らない。
静かに笑いながら友達や、年下の子供や、わが子をつねっている一家は
不気味に心に深く残った。
思わずそう考えてしまった。
「子」が生まれた時点で「親」や「家庭」は既に選択不能であり、ほぼ動かし様が無い。
従って「子が悪い」「親が悪い」では一切問題は解決出来ない事は理解しているつもりだ。
昔から有る青臭い話だが「どう向き合うか?」だけが問題で、内容は問わない。と言うか、問えない。
よその家は所詮よその家だからだ。
(精神分析に依る「現実」はそもそも言葉で定義出来ぬとされる。「死人に口無し」という訳だ。)
〜T.H.
なんとかしなくてはならないのは、わたしの方だとはわかっているけど、年下の彼より遅くしか動けないのに、年をとったのだなと痛感してしまう。
今朝のメールは怒っていた。
きっと昨夜のメールのせいだ。
わたしは午前零時までは一滴も飲まないのだけれど、それ以降は飲む。
それは彼にも伝えていたはずだし、なるべく控えるようになってきているのに。
「あなたはもっときれいな人だと思っていました」
端的にそう言われる。
そう誤解されるより、あなたに好かれたくてきれいになっていくわたしを見てほしい。
わたしがきれいになっていくのはあなたのせいなんだから。
これでもだいぶマシになってきたんだから。
彼が不安定になっている原因はわかっている。
ついこの間、昔の男の話をしてしまったから。
あなたがわたしを女として見るようになって、わたしが頑なに拒むのに、なぜぼくを男として見てくれないんだと、問い詰められてしまったから。
あなたをそんなに粗末に扱う気はない。
そう伝えてもわかってくれない。
だから話しちゃったんだ。身体から始まった昔の男のこと。
一瞬の好奇心を満たすことが、関係をずたずたに引き裂いていくこと。
もう、その男とは完全に切れているし、たしかもうすぐ結婚するはず。
もし、よりを戻したいだなんて言われても、拒絶すると思う。
どうせ、わたしの身体が目的なんでしょ? って。
でも、そんなことはどうでもよくて、わたしが彼に伝えなければいけないのは、関係とはそういうものではないと、わたしが思っていること。
メールの距離。
電話の距離。
カフェで向かい合う距離。
手をつなぐ距離。
隣に座る距離。
ぎゅっと抱きしめる距離。
キスする距離。
そのどのあなたとの距離も、全部大切な距離だってこと。
なにひとつとして、大切でない距離はないってこと。
ひとつひとつの距離で、お互いつながっているのだと、そう想い合える関係を、築いていきたいってこと。
わたし、はじめてなんだ。
わたし、はじめてなんだ。
はじめての電話を待つときに、あんなにドキドキしたの。
はじめて会ったとき、はじめて向き合ったとき、手をつないだとき、はじめて隣に座ったとき。
その全部が大切。
抱かれるのを拒むだけで、嫌われるのを恐れる関係は、もう絶対にいやなんだって。
あなたが数ヶ月も海外出張をして、電話も、メールも送れなくなっても、つながっているんだって思える関係になりたいって。
そう伝えたい。
だから、それを作るながいながい時間をわたしにくださいって、そう言えばいいのかな?
一秒も無駄にしたりしないからって。
想いを作っていく時間をくださいって。
いくつもの距離にお互いの想いを通して確かにするための時間をくださいって。
昨日、歯医者の待合室で、小さな女の子が踊っていて、笑ってしまった。
あんぱんまんの音楽を歌いながら跳ね飛んでいた。
母親が治療中で、それでおもちゃの銃みたいなのを持って、こっそり診療室の方へ忍び込もうとする。
本人はおそらくスパイ気分。
カウンターには事務のお姉さんもいたのだけど、静観していたからそう言う方針なんだろうって、ずっと待合室でテレビを見てた。
それで、その女の子の記憶にはどんな楽しい思い出として残るのだろうって、想像してみた。
母親が戻ってきて、恥ずかしそうに子供をしかるのだけど、それでさえ大切な時間なんだって、思えた。
大変だろうなと思うのだけど、でも、それはまだまだずっと先のことで、その前にとてもたくさんの大切な時間を過ごさないといけないんだって、とてもたくさん作らなければならないことがあって、あなたにはそれが見えていなくて不安になる。
とてもたくさん想いを通わせ合って、壊れてしまわない関係を作らなければならないんだって思うんだ。
メールの距離も、電話の距離も、カフェの距離も、手をつなぐ距離も、抱きしめられる距離も、どの距離も全部寸断されてしまってもつながっているような。
そんな関係にあなたとなりたい。
身体をつなぐのは、できればその一番最後にしたい。
わがままかな。
当方SEですし、関西弁には思うところもあるので参考までに。
どのようなニュアンスになるかというと、
「ちゃんとせーや」→「ちゃんとしろよ、お前バカだろ」
これは大げさではなくて関西弁にはこれくらいのニュアンスを関東人は感じます。
このように思われたくなかったら改善してみてはどうでしょうか。
周りとの協調性、コミュニケーション能力が問われますよね。
そして、SEやプログラマーというのは繊細な方が多いこともあり、
発言や行動、職場の雰囲気は進捗よりも大事なんじゃないかと思っています。
「お前なにやってんねん」とか、「ちゃんとせーよ」とか
関西出身の東北在住の者だが、たとえ関西、特に阪神間だったとしても微妙なところ。
言葉自体はキツいとは思わないけど(ただし@関西限定)、その言葉の言い方とか、前後の内容によっては相当キツい言い方だと思う。
あと、たぶんだけど、元増田はそういう部分も含めて、つまり、ただ単に関西弁の言葉だけの問題でなく、その前後にある指導の仕方が悪い・キツすぎると言われてるんじゃないかと予想。
おれは似ててちょっと違うモヤモヤがあって、それは「学年に1人2人いたプチカリスマ男子」(大人になればただの人)みたいのに出会うと、強烈に憧れる。そういう痕跡が残っている人に出会うと。
もし自分がいじめられっこだったら、逆に憎んだりおびえたりしたのかもしれないが、別にそうでもなかったので、あこがれだけが今も残ってる(32歳なのに)。
そしてそれは「自分もそうありたかったのに、全然そうじゃなかった」という事実ばかりが浮き上がって来てああああ、俺はなんだかなぁ、、、っていう。幼稚なんだろうな、俺自身が。でもどうしてもそういう意識が消えないんだよー。
全く普通じゃない。あなたのキツイ物言いのせいで職場の空気は相当険悪なものになっているはずです。私が上司でもその空気を解決するためにあなたに矯正を迫るでしょうね。
それなりに有名な作品だと思うので、詳しい解説は不要だと思うが、端的に言うと天才の医者の話だ。
しばらく作品を立ち読みしていると、何とも言えない高揚感と胸のモヤモヤが湧いてきた。
高揚感というのは作品の中で主人公がカッコイイとか話がおもしろいとかそういうものだろう。
しかし、このモヤモヤは以前から時々感じているものだ。
自分は今まで生きてきて、色々と優秀な人を見たり聞いたりしてきた。
中には一般に天才と言われるであろう人も。
そしてそういう人に会ったり、そういう人の話を聞いたりするとこのモヤモヤがいつも湧いてくる。
このモヤモヤについて考えているといつも行き着くのが「突出した能力への憧れ」だ。
その当人は別段そのことをなんとも思っていないが、他の人からそのことについて一目置かれている、そんな感じの物だ。
そのことに気がついてからこのモヤモヤをもっと深く分析していくと、この感覚は嫉妬に似ていることに気がついた。
絶対に自分では行き着けない境地にいる人間が確かにそこには存在している。
このような人間と社会という平等なフィールドで遭遇した場合、自分のようなちっぽけな凡人はあっという間に蹴散らされてしまうのではないだろうか?
どんどん突き詰めていくとこのような結論に行き着く。
そしてプライドが高い方と自認する自分としては、この結論に行き着くだびにモヤモヤとしてしまう。
このようなことを考えている人は他にいないのだろうか、ともこの結論に行き着いてから考える。
他の人はこういうことを思わないのか、それとも何とか折り合いをつけているのだろうか。
自分にはこういう真面目なことを語り合える友人がいないので、もしこういう経験がある人がいればあなたの意見を是非聞かせて欲しい。
入社3年目。SEをやってます。
小さい会社なのでディレクションもたまにやってますが
上司に「今のお前じゃ誰もついて来ない」と言われ
よくよく聞いていると、言い方がきついという話でした。
同僚がミスったときの言い方がきついらしい・・・
「お前なにやってんねん」とか、「ちゃんとせーよ」とか
そういうのは言うんですけど・・・
それって普通じゃね?と思うわけで・・・
しかも、直さないと昇給しないっぽいことも匂わされましたね・・・
それって普通なんでしょうか?
転職したこともないので他社がどうとかわからないですけど・・・
ちなみに1回ではなく、10回ぐらい言われてますね・・・3年間で
俺がまだ子供なんだというのも分かってはいるんですが
何か納得できなくて・・・(相談出来る人も居ないですし)
よかった皆さんの意見教えてください。
あるある。服が好きで服の話しとかしてると、どっからともなくやって来て「ブサメンはなに来てもブサメン。そんなことしてももてない。イケメンはユニクロで充分」みたいに言ってくる奴。
別にモテるためにやってるんじゃないんですけど。勝手に目的を設定しないでくれます?っていう。
こないだも絵が全く書けないから練習メソッドの本読んでたら、職場の(自称絵に自信がある)先輩が、「絵が理論で書けるか!いるんだお前みたいなバカがネットとかに。感動を理論化できると思ってる奴が!そういうのは素質なんだよ。出来る奴は始めから出来るんだ!」とか怒りだして。
「ハァ、、。これそういう本じゃないですよ? 上手に書けないのは記号化しちゃってモノを見ないからだーとか、そういう本ですよ」
「マンガは記号じゃないか! それでいい絵はたくさんあるだろうが!」
「ハァ、、、。そうでしょうけど、そういう人は一応、ある程度写実的に絵が書ける上で改めて記号化してるんじゃないんですか? 私がやってるのは、幼稚園児みたいな絵しか書けないので、少しでも写実的な絵が書ければいいなと思って、この本に書いてある「逆さまにして模写することで記号化を回避する」とかの練習をしようとしてるだけですよ。『人に感動』?別に誰かに見せるつもりもありませんし、感動させるつもりも毛頭ありません。勝手に目標を設定しないでください」
「(勝手に人の目標を誤解してたことを謝りもせず)誰にも見せない絵を書いて何の意味があるんだ!」
「書き上げたという達成感ですかねえ? 私フットサルやってて、リフティングの練習とかも1人でちまちまやってますけど、人に見せるためじゃないですよ。そりゃプレーに反映したら嬉しいですけどね。一人用のテレビゲームだって、クリアしてなにがあるって、本人の達成感だけじゃないんですか? なにかいけませんか?」
「だったら勝手にすれば? お前の話は広がらねーんだよ」
と言って先輩去って行きましたとさ。こっちポカーンだよ。
通天閣も近いよ、見える距離にある。