「惹句」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 惹句とは

2024-05-20

anond:20240519184708

> 私も自分のことを社会学者だとは思っていないのですが(社会学正規教育を受けていませんし、そう名乗るのは恐れ多いので)、専門分野の一つに「政治社会学」と書くことはあります

https://bunshun.jp/articles/-/70814?page=2

Shotaro TSUDA(@brighthelmer)さん

https://x.com/brighthelmer

社会学は大好きな学問ですが、社会学者ではありません(正規トレーニングを受けてないので)。何の研究者かと言われると困るのですが、いまはプロパガンダ研究をしています。 

http://researchmap.jp/read0147163

ちくまプリマー新書5月の新刊津田太郎ネットはなぜいつも揉めているのか』

https://x.com/chikumaprimer/status/1790289111263441132

帯の惹句 「炎上」を経験したメディア社会論者が分析

著者に肩書つけたい出版社と、社会学者はやめてほしい著者の駆け引きの末がメディア社会論者なのかな

2024-01-16

松本人志ダウンタウン)の功

M-1グランプリでの漫才歴史松本以前、以後に分かれるの惹句は盛りすぎ。ダウンタウン漫才はさほど斬新でもそこまで面白くもなかった(勿論、新春ヒットパレードの外ロケ披露した2分間漫才初見所ジョージが絶賛するほどの力量はあった)。彼らの醍醐味コントでより発揮される。「半笑い」という言葉代表される日常エアポケット、気まずい空気言語化表現(芝居)で笑いに昇華した。(ドリフとんねるずのような)大掛かりな、特異な設定に頼らず飛翔と着地をやすやすと熟す。華丸大吉はごく初期の妖精コントに衝撃を受けて笑いを目指したという。斬新な世界観を伝えるためのメジャーリーガーのような細かな調整、テクニックを重視したコンビでもあった。中川家一般人ものまね新聞勧誘員の夫と行動を共にする妻)を初披露した時(明石家マンション物語)、その目新しさ、完成度に共演の有田上田土田らは文字通り震え上がったのだが、さんまはこんなもの全国ネット通用する芸ではないとクスリともしなかった(後にさんま中川家に夢中になるのはご存知の通り)。ダウンタウンは修業時代にたまに花月舞台に立ち、団体客のおっちゃんおばちゃん爆笑させていたという。初見独自世界に導く技術を備えていたのだ。さんま紳助巨人上沼恵美子初見で才能を見抜いたというが殊更自慢するような話ではないだろう。

ダウンタウンがいなくても(或いは当初の予定通り松竹入りしていたら)サンドウィッチマン猿岩石霜降り明星トゥナイト存在しても、バナナマンや日社など後続のNSC出身者は世に出れなかったかもしれない。「日本お笑い歴史松本人志以前、以後に分かれる」は決して過言ではないのだ。

最近でも「キングオブコントの会」でオオボケ枠だった東京03豊本を進行役、ツッコミ役で機能させ、ライス関町存在自体をフューチャーするといった見事な手腕を見せた。

増田が初めて彼らの才に舌を巻いたのはNHK東西の若手を集め、お題で即興漫才をするコーナーで披露した漫才コント浜田トラックドライバー松本は夜道に佇む怪しげな女という設定。僅か一分あまり漫才が二本。その斬新さ、面白さ、完成度は同じ若手は勿論、ゲストの先輩芸人もおそらく、一手も間違いがない、将来は貴方ライバルとなると大山康晴が断言した羽生善治少年を見る谷川浩司の心境だったと思われる。

とりとめもなく長々と書いたが「一人ごっつ」まで視聴していた浅田彰(今年は眼鏡流行る)あたりが解説言語化してくれたらなあと思う。

2023-09-05

仕事でインスタやるようになってから、本当に本当につまらない。鳥肌立つ惹句もう見たくないやりたくないやめたい。キャンペーン当選するためのベタ褒めも気持ち悪。

2023-05-30

はてな民オナニーしすぎ

はてなのみなさまは気持ちいいことが大好きだからオナ猿になっちゃうのね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/63219

「非常に効果が強く、致死性が高いクスリ10錠も…」

こんなタイトルに釣られて、注目コメなんてほぼ10錠で死なないだとか知識開陳陳シコシコしまくりんぐす。

本文も既報でもその後ビニール袋を被せていたことが書かれていて、感覚的には睡眠中という抵抗できない状態からの窒息なりかなと推測を立てられる。まあ司法解剖中毒死疑いだけど。

致死性が高いというのも比較表現であり本文では10錠で高確率死ぬなどとも書かれていない。

ありていに言えば見出しはただの惹句ですよ惹句

何との比較で高いと書いてないし非定量的で十分恣意的とは言えるけど。こんなもんに華麗にフックられてシコシコしているのは哀れでならんわ。

はたして記事を書いて編集してゴーした人たちの中、おそらく薬学知識が無い人の中で10錠で死んだと思っている人は何人ぐらい居ると思うでしょう?増田の予想ではとても低いと思うね。


そもそも現代メディア10年以上触れていたら、オーバードーズ特に睡眠薬による死亡は難しいという話はなんとなく耳に入るもんですよ。

それこそ誰かの自殺成功、失敗のニュースや、医療ドラマ漫画で取り上げられることもあるし、自殺を考えたことがある人は自分で調べて知ったかもしれない。現にこうやて並べる価値もないアホほど多様性に富んだコメントがあるでしょ?

せめて10錠で死ぬもんが簡単に手に入るのかと一考するよ。だからここを騒ぐことはかなり姑じみた行為といえる。


睡眠

致死性が高い(何と?どれぐらい?もわからない)

10

こんな3つの言葉だけで10錠では死なない!ってワラワラワラワラシコりにくるんだからまらんよな。

これがミスリードっちゅうんなら本文は読みません!って宣言してるか他人バカにしてるか、ミスリード判定が厳しすぎる。

断言はしてないし文春だしを加味すれば耳目を集めるゲス程度だよこんなもん。

こんなちゃちい話で何人もオナニーしないでください。画面が真っ白で不快です。

おまんら良い年齢なんだから中学生みたいに快楽に身を堕さずもうちょっと理性をみせろよ。ドヤ顔気持ちよくなりTEEEEEEEEてコメントしてんじゃないよ恥ずかしい。

気持ちよくなりたかったらせめて大喜利コメントにしとけ。いや自殺記事ではまずいか増田大喜利コメ投げとけ。

頼むから猿ぐらいしかひっかからない部分に知的コメントでシコシコするのはやめてくれ。恥ずかしくてたまらないんだ。

2023-04-22

無能の極みみたいな「#最強の鬱マンガ 」見て笑っちった

「#最強の鬱マンガランキング凶悪作品揃い…「ブラッドハーレーの馬車」「宝石の国」「おやすみプンプン」などこれはなかなかのもんだ

https://togetter.com/li/2129883

     

まあtwitter募集してランキング~なんてしたらこんなもんだよな。

関わってる人間が全員無能なんだからそりゃこれぐらいつまんない出来にもなる。

  

俺達が読みたいのは

ちゃんとした能力のある人の批評文章であって

有象無象ブロガーからゴミみてーな情報キュレーションじゃねーんだってのが改めて分かった。

 

ほんのちょっとだけツッコむけど

  

 

ブラッドハーレーの馬車』

漫画とは言えない。

作者の円満で温かな人格が終始紙を貫通してきているので

読んで暗い気持ちになるという効能は全くない。

   

はいカット―!」って声が掛かったら

女の子笑顔で起き上がるのがわかるだろ。

それすらわかんないような感性なら投票とか書評とかやらんでよろしい。 

 

というか作者も「鬱漫画」なんてつもりで描いてないだろう。

強いて言えば耽美漫画として読むべき。

 

『血の轍』

作者の押見修造は絵を精進したぶん

アップと「間」みたいなものの乱用癖に拍車がかかって

突き詰めて考えてることがないのに迫力で押し通す、みたいな怠け癖が増した。

 

ていうか、お前ら本当にこの漫画憂鬱気持ちになったことあるの?

描けもしないキチガイを描こうとしてやっぱり描けないからアップ顔芸で誤魔化してる漫画

以上の評価が出来ない。

 

ガールフレンドになりかけた子は可愛かったし

素直にエロあり青春漫画描くのがこの人の本道であり素直な欲望であるのは見え見え。

  

タコピー』とか『少年アビス』とか 

フェイクじゃん。

表現したいものが無いのに(無いので)キチガイのふりしてるだけの痛々しい漫画

実感の籠ったものがほぼ絶無。

  

アビスの方は、

田舎若い時期過ごす女がちょこちょこと嫌な扱いを受けた、

その気持ちのあたりは実感籠ってた。

あれはきっと作者の実体験だと思う。

 

でもその先の過剰な展開はもう作者の中になんにもないよね。

なんにもないから「異常な行動」とか見開きでブツブツ言ってるコマとか

そういう表層的なオドカシを多用するわけ。

タコピーもそうでしょ。

  

お前ら本当にこんなもん読んで憂鬱になれるのか?なれるわけねーよ。

どんどん強い薬打つみたいにエクストリーム展開やってるだけの空回り漫画じゃねーか。

 

どっちの作者も才能はあったし当人の本道もあった。

なのにこういう横着なダークサイドに行ったのが運の尽きだ。

 

 

ミスミソウ

リアリティも実感もなんもないのは見過ごすとして

復讐劇の追い込み方が全然足りないし残虐さも足りない。

それしか売りが無いのにぶっ殺し方が面白くないのはいかんでしょ。

 

酷い漫画を描くと決めてこれっぽっちっていうのは単純に能力が足りない。

この作者はタコピーアビスの作者と違って純粋に体力が少ないって感じ。

  

で、お前等ほんとにこんなクオリティ漫画憂鬱になれたのか?

  

  

だいたいさあ

「鬱マンガ」とかいカテゴリけが既に才能ないよね。

こういうもの見方をする人間ちゃん漫画読んでちゃんと何か感じ取ってることなんてあるのかな。

 

ダーク池ちゃんみたいにカテゴリ付けして飛ばし飛ばしで読んで満足してる手合いと一緒じゃね?

ちゃん時間かけて読んでるとしても、受け取ってるものが池ちゃんレベルなんじゃね?

そういうレベル能力人達がことさら漫画を語る必要ってあるの?

  

https://pbs.twimg.com/media/FuJlC_KaQAAKMH9.jpg:medium

もう惹句のことごとくがキツいわ…。

  

こういうこというと「漫画読み様」とか言われるんだけどさ、

漫画読み様が過剰に高い水準にいるんじゃなくて

どう見ても漫画をまともに読めてないって連中がいるだけなんだよな。

 

 

俺、本当に「ああ!あああああああ!」ってなった漫画いくつかあるよ。

もちろんこの無能ランキングには一本も入ってない。

汚れる気がするからここにはタイトルも書かない。

おめーらは一生タコピー読んでろ。

2023-02-21

ぼざろも期待したよりリアリティラインが低かった

 

ぼざろを見たんよ。

きらら作品特有のざっくりしたキャラデザとやや類型的なキャラ造形の中から

リアルライブハウス演奏空気とかを出してくる侮れない作品

みたいなイメージ期待感で。

 

で、確かによくできてたんだけど

なんか思ったより青春リアリティラインが低かったなーて感じた。

その辺はもう作者の実体験をいかにぶちこんでくるかってところだけど

そういうのはアニメからはあまり感じ取れなかった。

描写されてる駅とかは俺が昔住んでたあたりなんだけど

まりリアルにグッとくるような場面てなかったな。

 

ライブシーンもタイミングとか滅茶苦茶凝ったカット演奏表現されてるんだけど

そこまでやるのになんでボーカルはこんなに安定してるんや?ってとこで乗りきれなかった。

 

学生ライブなんだからもっと汚い声でいいのにね。

ていうかプロライブでもこうはならんよね。

整いすぎ。破綻なさすぎ綺麗すぎ。

ギターに拘る割になんでボーカルでもうちょっと臨場感さなかったのかな。

声優必死に歌った一発撮りでよかったし録音環境も悪くしてほしかった。

ぼっちの方に気を取られて歌いだしが遅れたりとか当然あるはずなのにそういうのもない。

  

十分完成度高い作品への贅沢な文句だし

好みの問題が多分に含まれる話だけどね。

俺はあと一歩リアリティラインが高いのが見たいっていう俺の趣味の話。

  

反応来てた

mahinatan リアリティがあれば売れるというわけではなく ある程度綺麗なパッケージにしないといけないので…アニメリアリティを求める人あんまりいない説

2023/02/21 リンク yellow59yellow

俺は「俺の事前の期待はああだったけどぼざろはこうだった」つってるだけで

セールス的に俺の期待通りにすればもっと売れたんだ」とか

道義的に俺の期待通りにするべきだったんだ」とか

そういうことは一文字も書いてない。

 

あなた方の反論はどれも外部的な基準依拠したもので、

一方俺は純粋に俺の趣味の話をしてるだけで

外部的な基準を持ち出したりそれによって自分趣味擁護したりしていない。

から俺の趣味の話に反論するなら自分趣味の話をすべきだったと思う。

「これこれこういう目的基準でぼざろの描写はきちんとまとめられておりそれは私の美意識叶うものだった」 

みたいなね。

 

そこに鋭い好き嫌いを持っていない人はそもそもこんな話に反論することが出来ないわけで、その意味で話の嚙み合ったレスポンスは1割ぐらいしかないと思う。

 

 

    

といううえで

この人はリアリティって概念を何か勘違いしてると思う。

 

コンテンツにはリアリティは常に存在して、設定されたラインの高低があるだけ。

この人の主張を正しい言葉に直すと「アニメに高いリアリティラインを求める人はあんまりいない」となるんだけど

あんまりいない」ことはなくて基本的にはディテールリアリティ要求ラインは一貫して上昇傾向だし、ぼざろも未見の人間への惹句として「リアリティ」「解像度」という言葉を盛んに使ってたよね。

わかりやすいのは逆にこのへんをもっと下げていったらどうなるか考えてみるってことで、その場合だるいアニメになって今ほどヒット出来ない仕上がりになっちゃうでしょ。

 

リアリティの設定にはみんなすごく影響されるんだよ。

  

nbr-bnbr-b そもそもリアリティというのも個人差があるし、そこを追及し過ぎることにはメリットが無い派。自分の求めるリアリティが無かったからといってわざわざ主張することでもない。

2023/02/22

この人も言葉ガバガバしてるけど

主張を正しく直すと「求めるリアリティライン個人差がある」だよね。

で、「追求し過ぎると」ってどのラインで追及するかという議論しかない。

そしてどの辺が自分の好みであるか述べることの何が問題あるのかわからない。

 

sovereignglue スポーツは弱小からのし上がっていく話が成立するけど、音楽リアル志向で下手なとこからスタートだと観たく(聴きたく)無くなるから難しいね

2023/02/21

俺は別に「下手糞な段階をじっくり見せろ」って言ったんじゃなくて(俺の趣味でもそれは別に見たくない)

「(歌が上手いのは結構だが)安定しすぎてて臨場感表現足りて無くねーか」つったんだよ。

歌が上手い人でもライブの時は色々あるしスタジオ録音とは違うだろ。

(だからドラムも安定し過ぎてるぞ」みたいなブコメツッコミはその通りだと思う。)

  

uk_usa_tv ぼっちは、見せ場のはずの文化祭ライブステージの照明の素人感(喜多ちゃんぼっちの顔が影になるほどヘタクソ)をあえて出した時点で完敗だったので、歌唱が多少うますぎても気にならなかったです。

2023/02/22

これはよく見てるいい感想で俺への反論足り得てると思う。

俺はこれをベストブコメにしたい。

(逆に言うと上の人達は俺の話にかみ合ってない反論で会ったりそもそも話を理解してなかったり「リアリティ」という言葉への注意がガバすぎたりしている。)

 

fried-tofu リアルで下手な歌を聞きたいかと言われると……上手い方が自分は嬉しい。 アニメ

2023/02/22

「うますぎる」なんて書いてなくて「安定しすぎてる」って書いたのにこれだもん。

反論してくれるのは嬉しいけど相手が何て言ってるか理解して反論してくれよ。

 

yujimi-daifuku-2222 バスケ始めたばかりの素人全国大会活躍する荒唐無稽からスラムダンクには乗れなかった的な。/美人ばかりが集まる時点でご都合主義なのは分かっていたはず。

2023/02/21

ご都合主義ダメだなんて言った?

全体的にやけにうまいのは結構

でもギター作画の細かい不安定芝居臨場感芝居の割にボーカルが安定してんね

っていう俺の感覚と俺の趣味の話をしてるんだ

作画見てるとぼっち心配して目線やってる奴とやってない奴の差まで描いたりしてるからね)

 

俺の趣味に対し「私の趣味はこうだ!」って激突してきて否定してくれるんならい

けどこの人の反論そもそも俺の話を完全に取り違えてるだろ

こういう感じの「反論」が多すぎないか

  

 

masa_w 大谷くんとか藤井くんいる世界線でのリアリティラインとは

ぼっちの非現実的設定について俺は一言も触れてないだろ

 

これもブコメの多くで見られたけど

「非現実的な設定をぶち込むこと」と「リアリティライン」は全然別の話であって

そこの区別がついてない人が多いんだよね

 

「凡人しか出てこないけどリアリティラインの低い世界」も描けるし

将棋星人が襲来してるけどリアリティラインの高い世界」も描けるでしょ

  

あと「主人公の髪の色がピンク色だからリアリティを問うことは無意味」とかも

もはや何からどう言ったらいいかわからん

2022-08-29

後藤邑子さんの半生と投資勧誘記事が同時に1000ブクマ超のふしぎ

投資というか現金以外の蓄財、貯蓄って、自分生活サイクルや人生ルートがある程度まで見えてる人が余った金で始めればいいことだと思うので

始めるのが早いほど長期投資はお得、若いうちから投資しとくべき、という惹句は若干の嘘があると思う

 

ちょうど後藤邑子さんのインタビュー記事がバズってるので引き合いに出させてもらうが

後藤さんのように10代の時点ですぐ死ぬ宣告された人間がいたとして

その人に「将来を見越して長期投資を始めとくべきだよ」と言うの、何か意味があるんだろうか

 

結果的後藤さんは生き延び、いっときは「将来を見越して」役所勤めのための人生設計をされてたようだが

すぐに殆どすべてを投げうって先の見えない役者人生へ進み、しかもその後も悲劇的なご不幸を前に挫折しかかったとき

ほとんど将来設計関係ないデカい買い物をすることで、その先の人生への一歩を踏み出したと仰ってる

その買い物と長期投資の、どちらが「良い買い物」なのか

ご本人次第としか言いようがない

 

後藤さんほどの劇的な人生を歩む人はそうそういないと思うが

そこまで極端でなくとも、まだ人生の岐路が定まっていない人にとって、貯蓄は山ほどある選択肢のうちの一つでしかない

生活費以外の全てを自分趣味につぎ込む人はいていいし、趣味でもない程度に付き合いで散財する人がいてもいい

 

人生の先がまだ見えておらず、今、このタイミングで有り金を全部使うべきという瞬間がまだ見えてない、

しかしたら2、3年後にそういう瞬間が訪れるかもしれない人にとって、長期投資意味あるかというと、あまりない

自分人生必要タイミングで株が暴落してるかもしれないわけで

 

投資は結局のところ貯蓄のバリエーションしかなく、

「貯蓄先が日本円での銀行預金か、米国株か、国債か、etc」という比較の話をすべきで、その際には何なら

銀行預金とは何か、その利点は何か、今、なぜ銀行預金リスクとなるのか」という説明をすればいいと思う

センセーショナル説明銀行取り付け騒ぎが起きない程度にまともな説明でやってね)

 

というかね

長期投資プラスサムゲームというけど、その投資された金を誰かがいま、成長に資する内容に使ってくれていないと、その先の「成長」はないのよ

じゃあ誰がどう使うのがいいかというと、若い人が勉強したり子育てしたりして人間社会全体が拡大してくことでしか市場の拡大」はないのよ

経済は「信用」で、信用は人間同士のやり取りのことであって、人間が多数いないといけないんだから

極論、生産年齢人口の全員が株式市場数字を眺めるのに1日の時間の半分を使っていたら、生産性なんてダダ下がりでしょう

若い世代の人に投資勉強(というか通貨とか信用とか経済活動の勉強)させろというのはいいけど

その「投資」は別に株式市場経由である必要はないと思うよ

しろ若いうちは投資勉強時間を使うより、手に職の技術経験の獲得に時間を使って欲しいのよ

なぜって、そうしないと老人たちの投資の向かう先がなくなるから経済成長は人間の成長の合計ですから

 

なんなら、後藤さんに上京資金を出してくれたM先生だって投資」でしょ

若い人は自分投資する側に回るより、むしろ後藤さんのように、ご家族やM先生や周囲の多くの方々から投資を受ける側であるのが、

そしてその投資の結果を世の中に知らしめてくれるのが(ささやきボイスであれハルヒダンスであれ)

本来経済活動だと思うよ

 

若いうちから市場ちょっと勉強しておけ」まではまだわからなくもないけど、「早いうちから投資を開始しろ」というのは高齢投資家たちのエゴだと思う

その分のリスク自分たちで負って、これから成長する層へのリターンの厚みを増やしてあげるべきなのよ、利回り1%ぐらい削ってさ

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2021-12-06

惹句が擬音のグルメ記事レシピ記事を見ると食欲がなくなる

ジュワジュワだのジュルリだのパリパリだのはアクセスアップにつながってる実績が本当にあるのだろうか

2021-10-17

小説読めなくなったな

めっきり集中力がなくなって数ページで断念するようになった。

アンパンを食べようと一口二口かじっても餡に到達しなくて断念するみたいな。

2冊連続挫折してもー!ってなってる。

どっちも最初の数ページで主人公名前が分かって、周囲のふつーの風景描写があって、そこに主人公感想がつらつら~みたいな流れ。あ、ラノベね。ラノベ

いやつまんねー。入りこめねー。まだ愛着も持ってないキャラ惹句もなにもない普通独り言を読むほど忍耐力が俺にねー。

独り言ならハルヒサンタ小話程度に何が始まるんだとかキャラ内面が分かる感じの流れにしてくれ~。一人でも何か作業か手を動かしてそれを書いてくれ~。

今居る学校田舎の町や森の中の描写とかされてもそこに魅力はねぇ~。ディティールの前に物語に引き込んでくれ~。田舎で嫌だ、だとか森の中は暑い。とかでは引き込まれねー。

簡単なのは最初に誰かとの会話文で始めてくれ~。無理ならその場所に至る動機とか意気込みとか主人公内面がすぐに分かるようにしてくれ~。

現代舞台なら不思議出会うまではキャラ勝負するしかないと思うんだけどな。前菜とかプロローグとかそういうワンクッションを我慢できなくなってるんだよ。話やキャラに引き込まれた後ならそういう退屈な風景描写も堪えるないし斜め読みするけど最初からお出しされるとなー。もー。

から再読ばっかりになって新しい本に手が広がらないんだよな。

とはいえさっさと始めろと言いつつなろうテンプレートな展開もごめんなんだよなー。

2021-10-07

読解力がないのは国語増田の方だと思うよ

これだが、何度も国語力でブクマカ揶揄するエントリ書いてる国語増田だろうが、この件では元増田の方が頭が悪い。これは国語問題じゃない。

 

麻生太郎の何倍も頭が悪いはてな民

https://anond.hatelabo.jp/20211006074457

 

この反応見て「また引っかかってる、頂きだ」と思ったのだろうが、そもそも麻生がやってる事って一般的国家政治家記者質疑応答じゃない。

映画の真似なんだよ。

「菅は顔が悪くて人気が無い。俺達喧嘩上等のワルだからな(ニヤリ)」っていうのをやってる。

かに論われてるブクマカ文章最後まで読んで(ニヤリ)の辺りで意味が転換されているのを読み取れていない。

だがそれより重要なのは高校以上の国語小説読解問題みたいな文章新聞に載っているという事だ。

それはつまり、なんで麻生氏が新聞記者の前でクライム映画ピカレスクロマンの真似をしてそれが新聞掲載されているかって事だ。

早稲田一文の文章みたいなのが新聞に載っててブクマカが読み取れてない!」で喜んでいたらそこで読解終了なんだよ。

 

新聞記事というのは「見出し-結論-本文-結論」と書かなければならない文章の筆頭だ。会社でこの記事フォーマット報告書を書いたらどうなるか考えてみたらいい。そこにはそもそも映画の真似をして良いという合意すらない。

一方、ルポルタージュなどはこの記事のような釣りタイトル→後半で意味の転換が許される。これは最初から腰を据えて読む長文だからだ。

だがこのような短文記事ではそんな余地があるはずがない。見出し結論を要約する惹句である必要がある。

 

なぜ麻生氏が映画等の真似をして答え、コメント最後意味が転換されるという構造のままに記事にされるかというと、そこに記者政治家合意があるからだ。

もっとはっきり言えば政治部記者連中と政治家癒着だ。

これが海外メディアであれば、「クライム映画のノリで最後台詞意味が転換されるよ」「麻生氏はマフィアのような服を好む人物だよ」という文脈記事を書いてくれただろうか?そのまま「顔が悪いと言った」でお仕舞だ。

紙幅があれば説明を付けるだろうが、それは「麻生氏はワルぶる事を好むナルシストとして有名だ」「日本には記者クラブ制度があり政治家顔馴染み記者ツーカーぬるま湯風土にいる」「日本政治部記者映画のワルのようなコメントをするとその舞台装置のままに記事を書いてくれる」というものになるだろう。

 

からあの記事を読んで得る情報というのは、「麻生氏は年の割には洒落た事が出来る」という事のほかに癒着舞台装置作ってそれを公器に載せてやがる」「朝日政治部バカ」というものだ。それがメディアリテラシーだ。

だが元増田早稲田一文現代文問題構造を見つけて喜んでしまっているのでそこで情報処理が遮断されているのだ。馬鹿である

 

日本移民社会に舵を切ったので、日本語の機智を持たない話者というものを考えていかねばならない。出版産業新聞というのは国民意識国民国家という想像の共同体の基盤である

リンガフランカとしての日本語」というのを意識していかないと永住権を持つ人間でも「ガイジン」のままなのだ

それなのに政治記事でこんな内輪ネタやっててどうすんだってことだ。結論要旨-本文-結論の順で書けよ。とんねるず業界ネタが今の若者に受けてるかとか類推しろよってことだ。

 

からこの記事はある問題意識惹起させる。それは「麻生朝日新聞政治部冷や水ぶっかけろ」だ。

上演されるべきでない場面で上演された舞台に疑問を抱かないでどうする。

サンデルトロッコ問題への回答で「そんな問題を提起する者を殺す」というソリューションがあっただろう。それでいいんだ。

それなのに早稲田一文入試問題構造を見つけてそこに固執してしまマウントを取ったつもりで情報処理停止してしま元増田愚鈍の極みである

 

2021-08-28

満足度が高いと思う」脱毛サロンNo. 1

という惹句を見たのだけれど、いったい誰にアンケートを取った結果なんだ、、、。

2021-08-26

医師数が問題から病床削減に問題ないという阿呆な嘘

最近日本医師数が足りないのがボトルネックになっているのでコロナ禍で病床を減らしても問題が無い、とする意見が幅を利かせていて頭が痛い。特に知的背伸びをしたい連中が引っかかっているようだ。

例えばこんなところがそうだ。

https://anond.hatelabo.jp/20210812125322

外国と比べて日本の病床数を多くて医師が少ないから正解は病床数削減なのだ、と。

 

引っかかっている人の例を上げておこう

問題は「病床」ではなくて「人材」だと思うんですけどね。病床に当たる人材を増やすか、効率よく働けるシステム構築するかという中での病床削減だと思うのだけど。今は人材増やして欲しい側面だろうなぁ。」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/lllagoon.hatenablog.com/entry/2021/08/24/163120

あのさ、これやこれに引っかかっている知的チャレンジドな人らは、なんで減床政策を実行してると思ってるんだ?

医師病棟に紐づけられて雇用されている。足りなきゃバイトで確保する。だから減床に応じた病院では解雇雇止めが発生する。

そして減床の根拠は病床稼働率だ。病床稼働率が低い病院を名指しして1割以上削減したら補助金を出しますよというのが2020年の決定だ。当然稼働率が上がるのだから医者のヒマは無くなる。急性期病院では患者を寝かしてるだけじゃないんだから手術も検査も回数が増える。医師が足りなくなってメディカル実習奴隷インターンを今以上にタダ働きでコキ使うようになるのも目に見えている。

医師働き方改革」という惹句が付いているが直接的には診療報酬の上乗せだ。それで賃金は少々上昇するかもしれない。

だが直接的に医師負担が軽減されるという訳ではない。これを簡単に信じてしまう人は決定権者の利害と改革される現場人間の利害が違うという事が判っていない。

 

知的背伸びするよりgoogle検索の使い方改革を。WEB2.0より1.0を。

こういう政治が絡んだ問題が発生するとあっという間に背伸び厨房達が「人材だと思うですけどね」みたいな意見をばら撒いて検索不能になる。

そういう時はgoogle検索で期間指定をする事をおススメする。上部の「ツール」→「期間を指定」で政治問題化する以前の期間を指定して検索する。

更にこういう問題保険会社保険会社シンクタンク日経メディカルなどの業界誌が必ず扱うはずなのでそういうのを読むようにする。WEB2.0なんかより1.0の企業サイトを読み比べた方がニュートラルで判りやすいのだ。

更にその手のサイトの中で研究員などが書いているコラムblogがあったらもっと問題が判りやすい。これはweb1.0上のサンドボックスで走るWeb2.0と言える。

そうすれば「人材だと思うですけどね」みたいな間抜け中間取りをして晒上げ食らうこともないだろう。

自衛隊中央病院の例

DP号等で存在感を示している自衛隊中央病院だが、ここは職域病院で元々は自衛官家族だけの受け入れで一般人の受け入れはしていなかった。

一般受け入れを始めたのはやはり病床稼働率の低さが問題とされたからだ。職域病院業務上傷病が多い業種での医療提供の為に始まるが、やがて福利厚生に傾斜していき、やがて過剰となるというのがパターンだ。自衛隊病院も然りで、財務省にネジ込まれ自衛隊は小規模の診療所廃止、病床稼働率が低い数軒の中央病院廃止合併縮小を求められた。

そこで病院規模を保つ為に一般受け入れを始めたというのが経緯だ。

一方、自衛隊には戦争可能性があり、その場合に備え病床の空きは確保しておかねばならないものだ。

有事には一般患者は転院してもらうというのは良い方法かもしれない。だが他の病院も病床稼働率を見て100%近くになるまで削られていたら転院先がない。ICUが埋まっていたら猶更だ。有事にはどうするのだろうかと心配になる。

この自衛隊病院有事国内遍く起きたのがコロナ感染爆発だ。

感染患者数というのは一定ならず常には低いものであって、アウトブレイクが起きた時は急激に増加する。だからこのやり方の減床政策を続けるとパンデミックという有事に極端に弱くなる。今回のパンデミック一発でこの20年近くの減床政策で浮かせた金なんて全て吹っ飛んだだろう。

 

なお、余談だが東電も職域病院信濃町に持っていた。原発事故の後に国費を注入する事になって福利厚生の過剰にメスが入り、東電は同じように一般受け入れによる病院の存続を希望したが、なにぶん建っていたのが慶応病院の直ぐ隣だったので公共的に不必要とされて廃止されてしまった。

こういう風に減床政策は病床稼働率を見て行われる。

補助金方式への転換

減床政策をやってもなかなか病床数は減らなかった。その為に2020年から導入する事になったのが補助金で、1割以上減床した病院には病床数から起算した得べかりし入院収入を支払うという方式だ。

ところがコロナのせいで病院収入が減ってしまい、これに飛びつく経営者が続出するかもしれない。地域医療確保よりも資金繰りに傾斜する可能性が高い状態でこのエサを撒くのは正しいのか?という事だ。

ここで「コロナ経営が苦しい病院政府は助けろ」と言われても何もしなかった事を思い出してほしい。結局ジェット機飛ばしただけだった。その背景には補助金誘導できるという算段があったのだ。パンデミックでやる事じゃない。

 

また、補助金には利子補給金もある。これは病院を潰して他の病院統合した場合、その病院の残債の利子分政府自治体が支払うというものだ。

この場合設備が新しい病院統合されるという風に考える人がいるがよく考えてもらいたい。建物設備の償還が終わった古いと新しい病院、どっちに残債が多く残っているだろうか?免除される利子はどっちが多いだろうか?

からこの制度設備更新に反する動機を生む制度なのだ

 

補助金方式経営に直結するから急激に減床が進むだろう。それを感染爆発期にするものなのか?

感染症の医師なんて普段はヒマでダブついているのが当たり前なのだ。病床稼働率を見て減らす方式で一番のターゲットになるのはここであるのは言うまでもない。

2021-01-10

何も知らずに流行に飛びついてはいけない

日本卸電力取引所の電力取引価格が高騰しているらしい。

年明けからは第3四半期決算仕事が忙しすぎて、妻は今つわりがひどく、決算中は実家避難しているくらい。とにかく仕事忙殺されていた。

そうしたら上記話題新電力会社を利用している人は即死案件だったんだね。知らなかった。

再生エネルギーを推奨してるから」「毎月の電力代が安くなるから」といった安易惹句にとびつき、その料金の成り立ちも精査せずにとりあえず旧来の電力会社から乗り換えていた。もう2年も前の話かな。

日本卸電力取引所の電力取引価格の変化が直撃するギャンブル的な仕組みであることは露も知らなかった。取引価格の高騰で、いつもの3,4倍の料金になるらしいね生活破綻はしないけど、めちゃくちゃ痛いよ。テレワーク日中もずっとエアコン使ってるし、全然関係ないけど不妊治療で3桁万円近くのお金も使ってるんだからさ。勘弁してほしいよ。

少し調べた今でさえも、旧来の電力会社だって燃料費調整制度があるんだから新電力と一緒じゃないの?って思っていて理解できていないのだけど、とりあえず恐怖感から新電力会社から移転を決めた。

悪いのは、中身も知らずに利用していた自分だってことは承知してる。でも、正直なところ、被害者感情を持っている自分がいる。

最近も脱炭素とか言ってるのは聞いてて、いよいよ再生エネルギー時代かと思っていたのだけど、自分がその潮流にどう参画すればいいのかは検討がつかない。とりあえず当面は旧来の電力会社契約していくわ。

無知は怖いって話でした。ああ悲しい…

2020-11-14

同人女感情増田長文腐女子(の一人)が読むとこんな感じ

結論から先にいうと、

増田長文腐女子のほうが原液から濃くてヒドくて面白いよ(宣伝)。

2chネタ商業化されてから原文の2ch読みにきてハマる人もいたのだから、そういう意味での存在意義はあるけどね。

 

・本文

私は「同人女感情」をネットで全部読んだ同人女です。「わたしジャンルに神がいます」もコンセプトカフェの帰りにアニメイトで買いました。最近角川は腐女子ネタ頑張ってるね。たしかつづいさんもだっけ。お布施がてら、私は知ってるけど家族にもよませるために買える絶妙立ち位置の本うまい最近の角川。(家族に読ませない本は電書が重くなくて楽)

増田にもそれに先んじてネット掲載最終話アンチの話がリツイート数がもりあがらなかったって投稿 anond:20201110232328 がブクマをあつめておりました。

盛り上がらなかったのは、私の見たところ単純に、冒頭で一度綾城本人でなく取り巻き中島アンチ?の話をやってて、繰り返しになっちゃったからかとおもいます理由はどうあれ、神にとってどう対処しようもないことを目障りな行動とうけとめ嫉妬してアンチになる構造は同じです。

(実際は本当に作風があわない場合アンチというより地雷になるケースがありますし、真田氏最終話では最初そちらを狙ったのだけれど商業化のせいでそこまで踏み込まなかったのかもしれません。し、最初から再話になってでもアンチ感情主題として繰り返し突き詰めたかったのかもしれません。)

また、書籍化にあたり綾城がどのように中島と付き合い出したか、その同人最初期のようすが描き下ろしで追加されています

からみると、あ~まぁだいたいそんな感じですよねぇ、という人物造形です。特に絵師場合専門学校芸大などで一緒だったとかいうつながりも多いし、めちゃくちゃ馴れ馴れしい取り巻きがおるとおもったら家族だったり幼馴染な場合も。

から綾城と中島の間には神も生育歴をもつタダの人間である以上どうにも他人には割って入れないんですよね。嫉妬するだけ無駄だったんだよというネタバラシ(もちろん創作情熱を落とし込めたことは彼女の今後の人生によい影響があることでしょう)。

表紙4だったか帯だったか実家猫写真といい、本人はあまり神の自覚がない、ごく普通の、一分野だけセンスちょっといいだけの女性が綾城ですし取り巻き意識のない仲良しさんが中島です。(そういえば、この自覚がないまま神に祭り上げられる同人書きの「嫉妬信仰勝手に向けられる気持ち悪さ」の吐露増田記事でなら読めるよ!宣伝

 

ところで角川は「同人女のクソデカ感情」を帯の惹句に使うことにしたようですが、クソデカ感情って一体なんだろと思ってしまいました。

感情って表出しないとなかったも同然のものなのですよね。登場人物はどの人物も最終的に同人創作に手を染めるくらいなので作品へのクソデカ感情はある。そしてその創作に至るきっかけの部分で、綾城の文に出会い、それを書いた「神」へのクソデカ感情ももつわけです。作品のみならずそれを解釈する先達への感情も表出しているってのが主題なわけです。ただし綾城「神」本人以外。神は創作するのですごい感情を持っているのですがそれを全部作品昇華した上、真田氏はその創作を直接は書かないので神がどういう感情をもっているかは読者からは徹底的に隠されています。それがまずおかしいわけです。

結局、人は、創作か行動で表すかしか感情を表出できないし、他人からみても感情サイズをクソデカと計測できる部分はない。そして創作も行動もできない人のほうが世の中は多いわけです。

同人、それも文章でクソデカ? いやいやこんなものじゃないでしょう、って思うんですよね。

鬼滅のなんとかを見てたらわかるじゃないですか。普通の善良なおとうさんおかあさんが子供を喜ばせたい感情動機に、同人女が欲しくても手を出さないよう自制しているまがいもの商品を買ってしまったり。出版社のえらいひとも混乱してわけのわからないものを独占商標として出願しようとしてあわてて取り下げたり。

プリミティブなだけに行動は繊細さがなくドカドジャンルを踏み荒らしていく。それをみてもともとジャンルにいた人がジャンルが売れたと喜んだり、新規ファンが粗暴だ公式が横暴だと悲しんだり、繊細に毎日時間ツイッターを見ながら感情うごかしていますが、そんなもの世間ではなかったも同然なんですよね。

世間のほうが同人女なんかよりクソデカ感情によるクソデカ行動をツイッターの外でやってるんですよ。やらかしですよ。

さらにいうと、人はファンである自分自覚し始めるとクソデカ感情(? 「私腐女子から」「オレオタクだから」)を動機簡単に法を踏み越えるケースがあるし、ネット創作からむとより簡単にやれてしまます。そんなもん合法○○マニュアルみたいなもの商業誌に出すわけにいかないですが、2話3話あたりの垢移動先突き止め作業なんか出版会議ですれすれだったんじゃないかなとおもいます

その暴れん坊の感情面をいい感じに抽出してここまでが合法ですよという綱渡り創作としてはお仲間からみて、さじ加減が見事で面白いってのはあります

ただし感情創作行為になんとか落とし込めている人たちは本当にレアケース、くそエリートです。同人やってたらねほりんぱほりんに招かれた人くらいレアエリートです。

実際は真田さんは絵かきですよね(文章書きと兼任する人も多いですしよく調べてますちょっと違うなと思う部分も)。

絵かきより文かきは個性が表出しづらいです。読みやすさ追求により互いに似てくる傾向があり、二次創作を追求するだけのことでも非常にこじれやすいケースがあります。というか、どうしても同じキャラ同じ性格を下敷きにするので同じシチュ流行る。再話に再話を重ねてしまう。伏線自分発見したのに~なんて嫉妬するのはものすごく流行ってるジャンルだと全監視できるわけないんで無理なんですよね。てか実況ツイでみんな同時に同じようなこといいだしますよ。今日もフォロイーさんが今日嬉しくなってツイした「今日発見した伏線かもしれないフカヨミ」、一応ググったら2年前の過去ツイに同案が居らしたって落ち込んでらした。ジャンル10年、ミニジャンルでも5年以上超えるとまあ誰かがどこかで同じことをお考えですね。もはやだれが考えついたのか区別がつかないくらいみんなでツイのまな板にのせてこね回した共有幻想ですから二次創作自分個性を出すことってものすごく難しいですよ。

そういえば増田anond)では同人盗作騒ぎについても興味深い腐女子長文投稿がありました(宣伝

他にも人は様々な理由同人を始め、心をへし折られ、敗れてジャンルをさります

そういえば一時期、増田マキシ丈云々とかやってたのなんか単なる容姿が原因ですもんね(宣伝

真田さんのマンガに出てくるクソデカ感情女さんはピアスの似合うセミロング美人ばかり。(いやよく見ると髪型が一時期の少年漫画みたいなお方もいらっしゃいますし、綾城は法則の外にいます

から物理でいえば等速直線運動くらい初歩の初歩のモデルケースなんです。「ただし弾性率は100%、摩擦は0とする」みたいな。

もっと複雑化された人間模様とクソデカ感情がみたければ増田腐女子長文とかうんことかついてるやつ読むとめちゃくちゃおしろいですよ。「1年前から増田にきてください、本当のクソデカ感情ってやつをお見せしますよ」とおりすがりの山岡くんもこういうはず。

はてなもね、なぜかジャンルを去る腐女子がちょくちょく長文捨て台詞を落としに来るという利点を自覚してまとめて本でも出せばいいのに。

(q.hatenaで2冊も商業出版されたことがあるじゃないですか)(知らないの? きみはもしかしてはてな初心者?)

 

腐女子のクソデカ感情がみたければ増田も濃くて面白いんですよというお話でした。

ついでにorangestarさんの801ちゃんコミックよろしくね。あれもいにしえの腐女子のクソデカ感情(びたーんびたーん)が本当におもしろいしはてなブログから同人版買えるからね(宣伝

2020-10-16

文章プロレス

とあるブログブクマ数を集めていて、さら文章力が褒められていてうれしい。

著者の方は、ネット出会った中で一番文章うまい人ではないかと前々から思っていたのだ。

話は急に飛ぶが、この文章力秘訣プロレスではないかと思っている。

自分は全くプロレスを知らないのであくま想像だが、でも間違いないと確信している。

他のブロガーライター文章でも躍動的な比喩リズム感、笑いのテンポ感覚に感動するものは作者が皆、プロレス好きなのだ

逆に、目の付け所はいいんだけども文章自体はなあ・・・という人はたいていプロレスファンじゃないのだ。

どうやらプロレスには、雑誌書籍上で熱く語られる「文字プロレス」という文化があるらしい。

熱心なプロレスファンはそれらを読み込み、咀嚼し、そしてあの卓越した文章力を身に着けたのではないかと考えている。

嘘だと思ったら、好きな文章を書くブロガーなりライターなりがプロレスファンかどうかを調べてほしい。

絶対プオタのはずである責任は負えないが。

他にも、文章力の高い文化圏といえばゲイ雑誌文化もある。

「あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~」のコピペも有名だが、それ以外にもゲイの書く名文はネットでもたまに話題に上がる。

タモリ倶楽部でもゲイ雑誌惹句特集されたりと、やはり高い文章力を誇る界隈なのである

こうした「学校文化」とは離れた場所で、単なる美文麗文とは違う「生きた名文」が教育される土壌があったことに、なんだかわくわくする。

とても豊かで憧れすら感じる。

他にも文章力の高い界隈はあるのだろうか。あるなら教えてほしい。なんとなくでもその片鱗を感じてみたい。

釣り競馬なんかもありそうだけど、どうなんだろうな。

釣りは一時期はまっていたが、そこまで文化は発展していなかったように思う。むしろ鼻につく文章が多かったイメージがある。

「紙上での釣り」では(漫画だけど)釣りキチ三平があまりにも偉大過ぎたのだろうか。

しかし、今のネット時代ではそういった文化自体が廃れていくようで、当事者ではないくせに妙に残念な気持ちである

ネットスラング流行ることはあっても、文章構成力を育ててくれる場には結局ならなかったようだ。

趣味嗜好の垣根自体も薄くなり、趣味への帰属意識もなくなっていくのだろう。

それはもちろん良い部分もあるのだが、やはり寂しい。

2020-03-01

コロナ検査を求めるのは非科学的となじる科学的な人達

日本の新型コロナ検査数の少なさに疑問を持つ人が増えてパニック様相を呈してきたら検査を求めるのは非科学的とする派閥が盛り返してきた。

科学的な彼等は検査を受けられない事を訴える患者やその家族Twitter等に押掛け冷笑的な態度で批判して黙らせる警察活動に夢中なようだ。

治療薬が無いので検査無駄で、仮にコロナ19(韓国等で使われる通称通称として良いので以下呼称する)罹患であっても検査しなくていいのだという。

 

ところがこの科学的な人たちは対策スキームとなる感染症法を読んだ事が無いようなのである

政府1月末にコロナ19を感染症法の2類感染症指定した。

指定された感染症に掛かった患者入院費用公費負担殆どゼロになる。病院にとっては検査が無くても同じでも患者にとっては大違いだ。法に定めがあるのに検査せずに通常通りに本人請求するのは不法行為である

科学的態度の前には数十~100万程度の治療費など関係無いという事か。

 

感染症法では蔓延を防ぐ為、流行実態を把握する為に、医者に報告義務を定めている。外来パンクするのでサボタージュしてよいなんてどこにも書いてない。

検査して実数を把握するという方向だけで書かれている。これは近代国家国民常識の通りだ。

まり医者が疑わしいのに検査しないのも保健所拒否するのもサボタージュであって違法行為である

だが科学的な人らは子供検査を受けられないと騒ぐ親のアカウントに押掛けその非科学的態度を糾弾https://togetter.com/li/1474001

TV取材まで受けた末に最終的にマイコプラズマと判定した事で親の非科学性は更に糾弾されることになった。「この反動的マスコミと結託した非科学主義者クレーマー!」

因みにマイコプラズマの判定にはコロナ19と同様のPCR検査を要する。

 

科学的な人らの最近お気に入り糾弾先は和歌山県知事だ。知事は「軽症でもPCR検査する」と発表して「非科学的!医療崩壊!」と科学的人士は色めきだっている。

科学的人士らによる医療崩壊理由は「コロナ19陽性と出たら入院必要があるから」という実に科学的なものだ。例えばBuzzfeedによる聖路加の感染管理マネージャーインタビューなどでもそう言っている。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto

だがこれは誤りだ。

感染症法では強制入院権限知事においている。つまり知事が指示せねば必ず入院する必要はないのだ。軽症なら外来で帰しても良い。

同時に知事感染者に勤務禁止命令を出す権限がある。会社電車内で感染を広げる危険を防ぐ為だ。

何より勤務禁止命令があるって事は入院必須ではないという事である

また2類感染症場合外来費用公費負担にならないか財政も圧迫されない。

 

科学的人士らは「軽症は自家療養、重症だけ医療を受けられる」との方針あいまいさに疑問を抱かない。科学的だから自明なのであろう。

だが一般に炎症が肺に回ったら重症だ。また「重症肺炎」となったら回復の見込みは薄い。この認識齟齬は命に関わる。だが科学的人士らが気にしている様子は無い。

また科学的人士らは重症対処以外を治療しない理由として「治療法が無いので免疫頼りでしかない」という。

ところが武漢では重症の約6割が死亡し、半数が多臓器不全となっていると報告されている。

科学的人士らはなぜ多臓器不全が発生しているか判っているのだろうか?

ウィルスのせいじゃないよこれ。自己免疫症でこうなってるんだよ。

肺炎では免疫が亢進しやすく、免疫機構の過剰な働きで健康な臓器もボロボロになってしまう。

この為に重症では免疫抑制剤を投与する。生命維持の為に免疫を殺すのだ。

ここから導かれるのは「肺炎重症にしてはいけない」という誰でも知っている常識だ。

だが科学思考常識に優先するらしくそんな事を気にしている様子は無い。

 

科学的人士らはPCR検査偽陰性偽陽性区別せず、検査は恐ろしく意味の無いもの喧伝して回っている。

だがコンピュータ使ってたらこの二つの確率が段違いだって事ぐらい判るだろ。

PCRはヒットテストだ。

まず薬剤処理して染色体を膨張させる。検体の中の色んな細胞ウィルスDNARNAはごちゃまぜだ。

そこで見つけたいウィルス塩基配列の一部パターン検索してパターンマッチしたら陽性。

コンピュータウィルスの誤検出はパターン指定おかしい時のみ起こり得る。それと同じで偽陽性の方は原理的にはあり得なさそうという推定は出来る。

だがターゲットウィルスそもそも採取できていない場合、薬剤処理で塩基配列破壊してしまった場合偽陰性になる。

から「行動して安全ですよ」とのお墨付きにはならないから他の症状や感染経路の疑いの方を優先させろってのがPCR信頼性議論だ。

だが科学的人士らはこれを陽性意味なし論に拡大してしまう。

 

科学的人士以外でもPCR検査が浪費してはいけないなんだか凄いリソースと考えている人も居るのだが、毎日バイク便病院を回っていて検体回収している。勿論病原菌が入った検体だ。ライダー普通の人で医療資格なども持っていない。

これをまとめて検査会社に持って行っている。そもそもが大層な検査ではない。

また検査体制を整えてもエライ金額がかかる、1億検体×1万円=1兆円とか言う人も居る。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200228-00165104/

だがこんな金額にはならない。年に定常的に1億検体なら千円以下になるのでは無いか

例えばアメリカではPCRは3000円もしない。病院コロナ19検査したら数十万円とのニュースが出ているがそれはアメリカ病院おかしいのであって、PCRカジュアルな為費用が安いのだ。

から今回PCR検査が高額、市場キャパが少ない事が露呈したのなら、今後は無駄なほどPCRを使って需要を伸ばして参入と値崩れを起こすべきだろう。ソフバンに参入してもらったらどうか。

だが科学的人士らはPCR検査=悪なのでこういう改善に繋がらない。

 

この他、科学的人士らの攻撃は冨士フィルムアビガンにも向いている。

治療薬が無い」から出発して攻撃的な知的派閥を維持する為に「副作用が強い、臨床試験が不十分」などの理由が引き出されるためだ。この手の思考法は参加していると気分がいいようである

だがアビガン備蓄である。ならばなぜ大量に備蓄されているのだ?

それに科学的人士らはインフルエンザ薬のアビガンコロナ19治療薬となりうると発見されたのか、その経緯は知っているのだろうか?これは中国発見したもので、中国国策日本企業のビジネスが偶然に一致して発見された(発表で冨士フィルムアビガンと名指しされている)。知的派閥のように振舞っているが誰もそれを語っていないようだが。

 

こんな中でビジネス科学的人士とでも言うべき記事が出た。

『 新型コロナで「情報汚染」されたメディアが報じない「5つの真実」』

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70709

 

書いたのは松村 むつみという医療ライターだが、内容は科学的人士らの言説をまとめただけ。

一応医師らの記事インタビューを下敷きにしているが、クレジットはしていない。

これならGIGAZINE等のほうがマシだ。参照した記事クレジットリンクは入れる。

感染症法感染研のPRも読んでいない。流行っているWEB記事だけをまとめているのだ。何の知見の追加も無い。医師の名は権威付けだけに使われている。

そして「メディアが報じない真実である自分らの意見にこんな惹句が付いたら少し自戒するものだが科学的人士らは権威付けされたので満足な様である

 

なんだかどいつも菊池誠みてぇだなと思って菊池Twitterを見に行ったら盛んに「メディアが報じない真実」でフォロワーに囃し立てられ、声を上げた患者等に冷笑的な非難を浴びせかけていた。

実に科学的な態度である。侘び寂び。

2019-12-12

数学どころが算数すら苦手なんだけど

わかりやすいだの得意になれるだの苦手意識が直るだのと大層な惹句を掲げている参考書をたくさん読んでも

一向に苦手なママなんですが責任とれ金返せ。

2019-09-29

人並みレベル能力も無いのに、特別扱いに憧れた末路

ちやほやされたかったばかりにこんなことに

私は昔から周りの人にちやほやされたくて、でもされなくて、特別存在になりたくて、でもなれなくて、そういった鬱屈した思いを抱えたまま大人になった

子供の頃からコミュ力が低く友達付き合いが上手くいかなかったことが原因ではないかと思われるが、

人の輪の中に入れないまま輪の中心にいてちやほやされる妄想をしていた

でも結局はそれは叶わないまま終わった

コミュ力もなく、器量も悪く、学校の成績も悪く、要領も悪く、当然仕事も出来ず、

新卒就活に失敗して所謂普通企業一般職にもなれずに零細と派遣で食い繫いできた私は

子供の頃よりも更に救いようのない妄想に囚われていった

人とは違う特別存在になりたい

一般的特別存在というのは、生まれながらに人とは違う才能や素質や肉体を持っているひとのことである

社会において特別なのは他の人と同じ条件で競争して成績や売上実績などが突出する人のことであって

なんの根拠もなくある日突然特別存在になる人間なんていないわけで

自分でもおかし妄言であることは頭の片隅では認識しているものの、

丸一日中妄想して過ごすことがあったり、妄想のせいで変な開き直りをしてしまいまともに就職活動をしなかった時期さえあった

この時点で多分30歳はとっくに超えていたかと思う

自分でも頭の病気だなとは思うが、この妄想による自己防衛がなければ、

私が正しく自分というもの客観的自己認識できるような人間だったなら、

今頃この世にいないかもしれない

しろその方が良かったかもしれない

本当はもっと先の人生とか、仕事とか、周りの人への気遣いとか、考えなくてはいけないことはたくさんあったはずなのに、

ありえない妄想時間と脳のリソースを費やしてしまって後悔している

でも子供の頃からの癖になっていて、

もはや私の頭の中にはもう一つの人生があったんだよ

特別存在になりたい

なれるはずもないのにその妄想転職活動での会社選びにも反映されていた

基本的にはノースキル高齢のため選べる仕事はあまりないのだが、

派遣社員として数年間就業してきた秘書職ならば採用してくれそうな会社はあったのに他人への気遣いができる性格ではないことをこの数年間で身に染みて感じていたために辞退してしまった

求人広告の「社長直下経営管理部」とかい惹句に惑わされて入社たらこれだよ

特にやることもなく毎日使い道も分からない資料作りの練習に費やし早2ヶ月目

社内ニートか?

特別能力もないのに特別扱いを夢見た結果がこれだ

具体的になにもできない人間が人とは違う仕事が出来るわけがないんだ

2019-03-12

ちゃんねるより増田のほうが中の人が居そうなネタ

# 目的を述べる

 「○○の××は?△△は?■■する方法は?」

# 行ったことを述べる

 「調べてみました。」からコピペ

# 考察を述べる

 「いかがでしたか?」などと共感してもらうための惹句で締める。

こんな記事を量産している中の人ってどんな気持ち仕事してんの?

もしくはもはやAIなの?

2019-03-10

anond:20190310084239

追記:

ある程度の数読まれて、いろいろと気が付かれた方も多くいらっしゃったようなのでさっさと種明かしをしようと思う。結論からいえばソーカルユニバーサルメルカトル図法という語がもっとも的確にこの記事表現している。

上記文章にぼくは嘘をいくつも入れていた。

「ある本から引用した」というのがまず第一欺瞞である引用ではなくぼくの創作である。また「ちゃんと読める?俺は読めるけど。」は煽っただけの惹句である

必然的に、引用と銘打ったその後の文章はすべてがでっち上げものである。この「引用文」はシンタックス問題ないながらも言葉意味デタラメに並べ書き連ねて意味ありげにしたものである。ただしいくつか罠を張ってある。最初煽りも罠の一つであり大いに楽しんでもらえたように思う。

引用文」のはじめに出てくる「敬虔のない状態」というのはデタラメ意味不明である。「敬虔」という言葉神学キリスト教史観などの語を後に出現させて煙に巻くための布石であって、ここではそれ以上の意味はない。「構造化」も「構造主義」「認識論」につながって哲学の要素を暗示するための適当言葉である。だいたい「○○化・○○的」と言えば立派に聞こえるものだ。

「最新医療技術によっても問題提起されたこの貢献」は文の構造からみるに「神経医学における漸進的な貢献」と等価であるが、これに関して特にエビデンスはなくデタラメであるし「漸進的な貢献が最新医療技術によって問題提起される」とはナンセンスであろう。「如実に現している現状〜は自明だろう」は「そんなことも知らないの?」と煽るために付加したもので、もちろんこちらもエビデンスはなく適当である

「エリファット=フォン=ハッシュヴァルツ」なる人物架空存在でありでっちあげたものだ。19世紀後半にスウェーデンから移民というのもよくある話を適当に追加しただけである。フォンやヴァルツなどの音はそれっぽいので採用した。音がそれっぽく聞こえること以上の意味はない。「あまり知られていない」「詐欺師と言われていた」と弁解しているのはググっても出てこない理由をそれらしくするための装飾である。察しの通り、Kalmia Theory架空理論である。Kalmiaはツツジ科の花でスウェーデン植物学カルム命名したものである。つまり構造主義とは何ら関係がない。また「構造主義の前置き」とあるが正しくは「構造主義の前提条件」などとするべきである。また、構造主義は20世紀に登場した実在概念である

「誤解を恐れずに言ってしまえば」というのは、Kalmia Theoryまでの大きな嘘を覆い隠すため、ろくに調べなくてもいいように逃げ道を作ってあげたものである。続く文は「神経医学においてもキリスト教史観での認識論を改めて多角的世界認識しなければいけないというものだ」というわかりやすそうで意味不明な文である。「キリスト教史観での認識論を改める」とはめちゃくちゃであり「欧米人が考える哲学的な何か」くらいのざっくりした暴論の衒学表現である。「神経医学においても」とつけたのは更にデタラメさを助長たかったためである

「経頭蓋磁気刺激法というもの磁気増幅器を使用するために神経パルス信号」は、似ている言葉を並べただけで何も関連性はない。こちらはひとつひとつ専門用語が実際に存在しているために「そういうものがあってそういうことがある」ぐらいの気持ちで読み流されるのを狙ったものである。直後の「しかしこれが危険であるか否かというのは一般的に明瞭ではない」によってなんとなく納得するように仕向けているが、結局デタラメである。そのデタラメさは、ひとつひとつの語の意味を知ろうとすれば見抜くことができる。

ミクロ事象」の意味はない。流れで「評価」というワードを思いついたのでなんとなく経済用語でもぶちこんでおくかくらいの気持ちで追加したものである

最後に「問.」とあるのは最後煽りであって、意味などないし「引用文」の中に答えがあるはずもない。心理学で言うダブルバインドに近いとぼくは勝手に考えている。

また、この文章はぼくが適当独自創作したものであるから英文から和訳したものではない。内容が欧米っぽいことは否めないが。

2018-09-04

金に困ってるけど水商売したくない人はパンツ売れば?

需要すごいあるよ。

顔はもちろん出さなくていい。

男性に好まれタイプシンプルで高くないパンツオークションで売ると1万以上の値がつく

パンツデザイン選定とか惹句次第だけど普通にポンポン売れる

落札後にオプションとして汚すのを頼んでくるのでそれでさらに値がつり上がる

購入者が恐れてるのはインチキ商品なので

ほんとに若い女性が一日履いたパンツだということをうまく伝えれば飛ぶように売れる

頭のいい若い女性ならチャットレディなんかよりパンツ売った方がいい



anond:20180812195341

2018-06-20

素材の味を大事にしてます的な

素材の味を大事にして余計なことはしません的な惹句掲げてる店あるけど

じゃああんたら料理人の腕はどこで見たら良いの?

何もしないほうが良い、という判断の部分を評価してほしいわけか?

2018-03-23

anond:20180323061822

まずそういう惹句に引かれてる時点で自分を「そんなもんだ」って貶めてるってとしあきが言ってたぜ。

猿でも分かる→自分も猿だからわかるな、って思って買う。っていうサブリミナル効果

ホントは猿よりずいぶんマシな素材でも猿レベルに落ちてしまうからそもそも買うんじゃねえ、だってさ。

奇跡じゃなくて運じゃなくて自分もっと信じて。

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