はてなキーワード: 採取とは
続き
植民地化の過程で奪われた命の正確な数を特定するのは難しいですが、いくつかの主要な植民地化事例については、多くの学者や歴史家が推定を行っています。以下に、主要な事例をいくつか紹介します。
1. **中南米(スペインおよびポルトガルによる植民地化)**
- スペインとポルトガルの植民地化によって、中南米の先住民人口は急激に減少しました。疫病(特に天然痘)、戦争、強制労働によって、推定数千万から1億人の命が奪われたとされています。
2. **北米(イギリス、フランス、その他のヨーロッパ諸国による植民地化)**
- 北米の先住民も疫病や戦争、土地の喪失によって大きな被害を受けました。植民地化の初期には、北米の先住民人口は数百万から約1,000万人とされていますが、19世紀までにその大部分が減少しました。
- ベルギー王レオポルド2世の統治下で、コンゴ自由国(現在のコンゴ民主共和国)では、ゴム採取の強制労働や虐殺により、推定1,000万人が命を失ったとされています。
- ブール戦争(1899-1902)や植民地戦争によっても多くの命が奪われました。特に戦争の際の強制収容所で、多くの先住民が命を落としました。
- イギリスの植民地政策や経済的搾取、飢饉(例えば、1876-1878年のインド大飢饉や1943年のベンガル飢饉)により、数百万人の命が失われました。特にベンガル飢饉では推定300万人が命を落としたとされています。
2. **東南アジア**
- オランダ、フランス、イギリスなどの植民地支配の過程で、多くの戦争や強制労働が行われ、多くの命が奪われました。
- イギリスによる植民地化により、先住民(アボリジニ、マオリ)の人口が大幅に減少しました。疫病、戦争、土地の喪失による死者は数十万人に上るとされています。
全体として、植民地化によって数千万から1億人以上が命を奪われたと推定されています。これは直接的な戦争や虐殺による死者だけでなく、疫病の流行、強制労働、飢饉、社会構造の破壊などによる間接的な影響も含まれます。
### 結論
植民地化の影響は地域によって異なりますが、全体的に見て、膨大な数の命が奪われたことは歴史的な事実です。このような悲劇を忘れず、現代の国際関係において人権と公平な発展を重視することが重要です。
田舎と都会の関係性を植民地化に例えることには一定の注意が必要です。両者にはいくつかの類似点がある一方で、本質的な違いも存在します。以下に、両者の類似点と相違点を説明します。
### 類似点
- 都会が田舎から資源(労働力、農産物、原材料など)を引き出す一方で、田舎には十分な投資や利益が還元されないことがあります。この点では、都会が田舎を経済的に搾取する構造は植民地化と似ています。
- 都会に比べて田舎はインフラ(交通、通信、医療、教育など)が劣ることが多く、この点でも田舎が都会に対して不利な立場に置かれていると考えられます。
3. **社会的影響**:
- 都会の文化や価値観が田舎に押し付けられることがあり、これにより田舎の伝統や生活様式が変わっていくという点も植民地化に似ています。
### 相違点
- 植民地は外部の国によって政治的に支配されますが、田舎と都会は同じ国内の異なる地域であり、田舎も同じ国の法律や制度の下にあります。この点で、植民地とは異なります。
- 植民地化はしばしば軍事力や暴力によって行われ、多くの死者や被害者が出ました。これに対して、田舎と都会の関係では、経済的な不均衡や差別があっても、通常は同じ国民同士であり、暴力的な支配ではありません。
3. **法的支配**:
- 植民地では宗主国の法律や制度が強制的に適用されますが、田舎と都会では同じ国の法律が適用されます。この点でも、植民地化とは異なります。
### 結論
田舎と都会の関係には、経済的搾取や文化的影響といった面で植民地化に似た側面がありますが、根本的な違いも多く存在します。植民地化は他国による支配と搾取を伴うものですが、田舎と都会の関係は同じ国内での経済的および社会的不均衡によるものであり、政治的独立性や法的支配の点で異なります。
この類似性を指摘することで、田舎と都会の間の不均衡や差別を認識し、改善策を講じることができるかもしれません。しかし、同時にその違いも理解し、適切なアプローチを取ることが重要です。
島根県には、浜山砂丘、都野津砂丘、出雲砂丘などがあります。
大田・江津方面からは、国道9号「道の駅キララ多伎」の交差点を左折し、くにびき海岸道路を約6km行くと西浜大橋です。 松江方面からは、国道9号の差海郵便局の交差点を右折し、約600m進むと右手に神社があります。
鹿野和彦・竹内圭史・大嶋和雄・豊 遙秋、1989、大社地域の地質。
なし
幅1㎞,長さ3km。 平面的には,くの字型をしており,横断面型は東側が急で西側が緩やかな非対称となっている。 砂丘の表面は防風林として植林されたクロマツに覆われている。 海抜5mより下位は砂州(砂堆)でその上を砂丘が覆ったものである。 砂丘の最高点は標高41mに達する。 風化土壌が挟在する地点もみられるが,形成時期は後氷期と考えられている。 高さ・面積ともに山陰第一級の砂丘といえる。 砂丘砂の一部は鋳物用珪砂やコンクリート用材料として採取されている。
江の川を挟んで,江津市東部の黒松から浅利,江津を経て波子に至る20kmの間
江津市の都野津から敬川にかけて約4km続く都野津砂丘は最も規模が大きい。海岸に沿って走る浜堤を標高10m弱,幅200m前後の砂丘が覆う。砂丘の表面には防風林としてクロマツが植えられている。
浜山砂丘は出雲平野の西部にあり、海岸から内陸2km地点に位置しています。幅1km、長さ3kmで、くの字型をしています。横断面は東側が急で西側が緩やかな非対称で、最高点は標高41mに達します。砂丘の表面はクロマツの防風林に覆われており、砂州(砂堆)の上に砂丘が乗っています。形成時期は後氷期と考えられており、砂丘砂の一部は鋳物用珪砂やコンクリート用材料として採取されています。
都野津砂丘は江津市の都野津から敬川にかけて約4km続く砂丘で、江の川を挟んで黒松から浅利、江津を経て波子に至る20kmの間にある砂丘地帯の一部です。海岸に沿って走る浜堤を標高10m弱、幅200m前後の砂丘が覆っており、防風林としてクロマツが植えられています。
差海川河口の古砂丘で、大社の稲佐の浜から出雲市小田までの約14kmにわたって砂浜の海岸が続いており、その奥には緩やかな斜面をもった砂丘があります。島根県で一番長い砂丘地帯です。
検便ってそもそも耳垢程度の量しかとらなくて表からもシールなどで隠れてほとんど確認できず、その上すぐに半透明の色つきビニール袋に入れて名前と採取の日時を書かないとダメだから表からうんこが見えることってないんじゃ?
採取済みの検便容器ってすぐわかるのはそれはそうだけど
最近の研究では人間は心臓が止まり、血液や酸素の循環が停止した後も、脳はすぐには活動を停止しないことがわかっている。そのため心臓発作から生還した人々のなかに臨死体験をする人がいると考えられている。また、心臓停止30分後でも脳活動が見られたケースもあったそうだ。
[Nature]Pig experiment challenges assumptions around brain damage in people
https://www.nature.com/articles/d41586-019-01169-8
[日本語記事][Nature ダイジェスト]死んだブタの脳を体外で数時間生存させることに成功
⭐️日本語記事のタイトルの通り、食用に解体されお肉になった豚の脳が復活
> 研究チームは、BrainExに組み込んだブタの脳が6時間でどの程度回復できるかを調べた。
> その結果、保存液を注入しなかった対照群の脳の細胞は崩壊してしまったのに対し、
> BrainExに組み込んだ脳では個々の細胞や部位の構造が保存されていた。また、ニューロンや他の脳細胞が正常な代謝機能を再開したことや、
> 脳の免疫系も機能しているらしいことが分かった。さらに、BrainExに組み込んだ脳から採取した組織試料に通電したところ、
> ただし、高度な脳活動を意味する脳全体の協調的な電気的活動パターンは全く見られなかった。
> 研究チームによれば、そうした高度な機能を復活させるには、電気ショックを与えるか、もしくは、もっと長い時間にわたって脳を溶液中で保存し、
> 酸素供給がない状態で受けたあらゆる損傷から細胞を回復させることが必要だろうという。
>
死んだブタの細胞と臓器を回復させる新技術「OrganEx」と、ブタからヒトへの臓器移植元年
https://www.newsweekjapan.jp/akane/2022/08/organex_1.php
> 死後、数時間経った臓器を回復させる方法は、これまでにも身体から切り離された臓器を使った実験が行われています。セスタン教授らのチームも2019年にBrainExという装置を開発して、脳の機能回復を検証しました。
> 『Nature』に掲載された論文によると、研究チームはBrainExを使って、死後4時間経過した32頭分のブタの脳に特別な液体を6時間送り込みました。液体は、合成血液や脳細胞の死を遅らせる効果のある薬剤から構成されていました。その結果、通常と比べて脳細胞の死は減少し、血管と一部の脳機能は回復しました。
> BrainExを6時間使用したブタの脳は、情報伝達を担うシナプスの働きが回復し、生きている脳と同じように薬物に反応したり酸素を消費したりすることが確認されました。けれど、意識や知覚を示す電気活動は観測されませんでした。つまり、「脳が生き返った」とまでは言えませんでした。
> ただ、セスタン教授らは、身体から切り離された脳が意識を取り戻すことを懸念し、脳の活動を抑制する薬を投与しながら実験をしました。抑制剤を使わなかったり4時間より前に実験を始めていたりしたら、脳は意識を取り戻したのでしょうか?謎は残されたままです。
年一回の健康診断。
いつも憂鬱なのは、くすぐったい超音波でも苦しいバリウムでもなく、事前の検便採取。
うちのトイレは長さがだいたい2500km、幅はわたしが使うところだとだいたい500mくらい。ガンジス川っていうんだけど。
うんちをしてもすぐに流れて行ってしまうので、出したらすぐに川に飛び込んで追いかけて、追いついたら採取容器のふたを開けて、ふたについてる変な棒で採取するんだけど、追いついた頃にはもううんちは川の水を含んでシャバシャバだし川の水は濁っていてすぐに見失うし、まともに採取できたことがない。
わたしがそんな様子でじたばたしてるのを、トイレに住んでる不可触民の子がいつもゲラゲラ笑いながら見てる。
笑ってんじゃねえよ不可触民のくせに、って思ってたんだけど、今年は違った。
わたしが検便の容器を持ってトイレの前で立ち尽くしていると、それを見た不可触民の子が、突然川の中に入って手のひらを差し出した。
「捕まえておいてあげるから、ここにしなよ」
けっこう気が利くじゃない、と思ったけど、あの人たちとは口をききたくないから、その子には全然気づいてない体で、黙ってその子の手のひらの上にうんちをした。「うわ、あったけぇ!」とか「いっぱい出すなあ」とか下から聞こえてきた。
その子が川の中で捧げ持っている私のうんちから検便を採取するのはすごく簡単だった。「正しい大便のとりかた」っていうパンフレットに書いてあるとおりの理想的なかんじで採れた。
「ねえ、もう終わり? これ流しちゃうよ?」っていう声を背中に聞きながら私は黙ってトイレを後にした。
もう1本あるんだよね。
過去に似た流れがあったことを、世間は忘れているのではないかと思う。
1999年に週刊文春は元ジュニア達による性被害告発を、大々的に報道した。ジャニー氏と事務所は名誉毀損訴訟を起こすが、東京高裁は2002年に性加害の真実性を認める判決を下した。重要なのは、裁判で少年たちへの「性加害の真実性が認められた」にも関わらず、ジャニー喜多川氏は逮捕されることなく、刑事責任を問われることもなかったという事実だ。
「刑事責任を問う」には、被害者が児童であれば直後に加害者の精液等を採取して被害届を出したり、加害者自ら暴行の様子を撮影して映像を保管していたなど、よほどの直接的証拠が残らなければ難しい。文春のA子さんのケースのように、事前にスマホを取り上げられて密室で暴行をされたという流れが事実であれば、そもそも物的証拠は残りようがない。
これに限らず多くの性犯罪がそうで、密室内で行われる暴行は、そもそも物的証拠が非常に残りにくい。そのため警察も性犯罪の被害届は門前払いにしたがる。被害者は精神状態が麻痺しており、トラウマそのものを扱う聴取や裁判に耐えうる人は少ない。結果として、人が人に重い精神障害を負わせるような暴行が起きたとしても、日本では殆どは裁かれることなく野放しになる。刑事事件として被害が認めらるハードルは非常に高い。
文春編集局長の「刑事事件として起訴するための証拠はない」という発言を「今になって証拠がなかったと認めた、デマ記事だった」とするのは単なるミスリードだし、時期尚早だとも思う。民事裁判では状況が異なる。刑事事件として扱うための物的証拠はない=暴行はなかった ではなく、単に証拠不十分で不起訴になるだろうということだ。
先に挙げたジャニーズの裁判のように、刑事事件としての物的証拠がなくとも(そもそも残りようがないが)、民事では、証言や状況証拠も重要視される。双方の主張をつきあわせて矛盾がないか調べ、状況証拠を照らし合わせ、時間をかけて真偽を問うことになる。このとき、もしも報道通りだとしたら、裏付けはそれなりに出せるはずだ。被害を訴える人々の、事件があったとされる日以降の精神科への通院歴、LINE等で友人や家族に被害について相談していた電磁的記録、これらを時を遡って捏造することは難しい。(性的サービスのない)マッサージ店における暴行の件であれば、松本氏に性的要求をされ即退職したという店員、出禁になったにも関わらず翌日に偽名で来店した松本氏に腕力で頭を押さえつけられ暴行を受けたとされる店員、複数の店員が当時その場で対応している。第三者を含めた証人や、状況証拠はそれなりに揃っているはずだ。
刑事事件としての起訴はもとより無理であって、これから民事裁判で真実性が問われるだけの話だと思う。注意点として日本の法律では、内容が真実であっても名誉毀損は成立する。報道内容について「過度に侮辱的な表現がある」「社会的ダメージが大きい」「報道に公益性がない」などを争点にすれば、加害が真実であるかは問わず、松本氏に勝算はある。だからこそ訴訟を起こしたのだろうとも思うが。
そのとき世間は「週刊誌が負けて賠償金を払った」というタイトルしか読まないだろうし、「無実だった」という印象を世間に与えることができる。園子温監督のケースでは、訴訟相手の週刊誌と和解し「事実と異なる内容で、全文削除させた」と強気の表明をしたが、そもそも被害を訴えていた女優さんは自死されていて、真偽は不明のままだ。そうやって何もかもがうやむやになり、忘れられ、また性犯罪の告発があれば、とりあえず疑って全力で叩くことから始める。(いじめやパワハラの告発ではそうはならない、ずっと冷静に話を聞く)建前はどうあれ、性加害の欲求を持つ人が大勢いることを本当は知りながら。
どれだけの人が似たような訴えを起こしても、世間は冷静に耳を傾けることなく、永久に同じことを焼き直し続けるのだと思う。
法務省が実施した性犯罪調査によると、警察が被害届を受理した事件数は、推定被害者数の4.71%しかない。性犯罪に遭った人は、直後は否認と麻痺状態に陥り、すぐに行動できる人は非常に少ない。例えるなら、全身を轢かれて重体になった人に対して「すぐに自力で立ち上がって動けないのはおかしい」と非難しているようなことに近い。PTSDを負えば、一生涯精神科に通院しかねない深刻な後遺症が残るのが、性犯罪だ。警察の聴取、裁判に耐えうる人は少ない。トラウマを受けた人は加害者への恐怖心が非常に強く、再加害の危険を本能的に回避しようとする。どうにか勇気を出して警察に行っても「証拠がないので難しい」と、被害届をつっぱねられるケースも多い。一言でいうと当人の精神状態、環境が整っていない。
相手が日本全国で名が知られ、ファンも大勢いる人であれば、なおさら警察に被害届を出せないだろうと思う。ジャニーズ当事者の会では、激しい誹謗中傷を浴びた男性が自死している。最高峰の弁護士を雇える権力者と、法廷で一般人が対峙できるものだろうか?ただでさえボロボロの状態で。ずっと時間が経ち、(優秀な弁護士を雇うことのできる)大きな週刊誌の後ろ盾があり、かつ他にも同様の被害を訴える人が多いと知らされて、やっと世間に被害を告発をできるようになる心理は、同じ立場に立ったら本当は理解できるはずだと思う。当時泣き寝入りを選択したことを非難し、そのため虚偽であると決めつけるのはあまりにも理不尽だと思う。
「のこのこホテルに行った方が悪い」
立場の上下関係がなく、最初から二人でホテルに行こうと提案されていたなら、あるいはそうかもしれない。しかし新人の立場で「失礼があればこの界隈で歩けなくなる」と事前に脅され、複数の男女の飲み会を「VIPを招いたので、週刊誌対策でホテルの部屋飲みに変更しますね」と当日になってLINEで通知された流れが事実だとしたら、かなり話が違う。その「飲み会」の趣旨が明確でない上に、意思決定をする時間を十分に与えられておらず、芸能界の強固な上下関係からキャンセルしづらい立場に置かれている。
ちなみにこれは不同意性交等罪の構成要件のひとつ「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって、受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること」に当たるが、法律は時を遡って適用されないため、今回の件では問うことができない。単に相手の立場の弱さにつけこんではいけないという話だ。
「スマホを持った馬乗り写真がある、スマホ没収されていないという証言がある」
女性がスマホを持って松本氏にまたがる写真は、性加害を告発された飲み会とは別の飲み会。真逆の印象を与える写真で、ミスリードされている。セクシー女優の霜月るな氏が「記事にあるギャルは私だと思いますが出鱈目です、楽しい飲み会でした」と主張したのも大阪の異なる飲み会。ちなみにこの方は女性を集めるアテンド役をしたと自ら書き、1月14日時点で「松本さんがいないテレビは面白くない、喜んで参加したくせに。告発者はビッチ」といった内容をSNSに投稿している。
デマも多いが、真実を告発した記事も多い。その記事を扱う記者、編集長によって異なる。週刊誌は正義でも悪でもなく、単なる媒体だと思う。
もっともだが、そもそも松本氏は逮捕されていない。告発を信じるも信じないも、世論は割れている。同じような被害を訴える人が沢山いるというだけの状況だ。松本氏は「事実無根である」として名誉毀損訴訟を提起しており、言い分は一方的でもない。片方の主張を鵜呑みにするべきではないが「とりあえず話を聞く」ということをせずに、頭から否定して告発者を叩くことが(日本では)性犯罪においてはお決まりの流れになっているように感じる。伊藤詩織氏、ジャニーズの件でも、ネットは胡散臭い・冤罪だと主張しては熾烈なバッシングを繰り広げたが、最終的に被害を認める判決が出ている。
「眠れる惑星」は終盤哲学的な方向に行ってしまいわけがわからなくなったが、途中までは面白かった
放置して登校するも様子がおかしく、やがて自分以外の全ての人が眠りに落ちたまま目覚めないでいることに気づく
パニックになりながら起きてる人を探して街をうろついた末、24時間ファミレスでバイト中に眠りに落ちたJDを発見
すると、そのJDは目覚めた
眠り姫をキスで起こす童話のように、女性をセックスによって目覚めさせられるのだと判明する
JDの知人の研究者も紹介されて睡姦して目覚めさせ、その研究者が試しに理解ありそうな知人らの膣内に、採取した少年の精液を挿入
ハーレムしつつみんなが眠りに落ちた謎に迫るぞ!みたいな話なのだが謎パートは正直よくわからん内容でハッピーエンドとも言い難い微妙な終わり方をする
Xで見たテーマ
↓
◼️
まずスポーツの定義を、「ルールの伴う身体活動」、そしてこの世を「人間社会」として私見を以下に述べます。
基本的に人間は「競争を本能的に求める生き物であり、それを見届けることを求める生き物」だと考えます。それは人類史において狩猟採取時代が長かったこと、そして人間が社会的な生物であること、その2点が原因として考えられます。
まず、人が集団で生活する中では必ず序列が生まれます。有能な個体が集団を率いることで、その集団の生存が有利になることは現代と変わりません。その有能さを何で測るのか、資格や競技会での成績といった指標がない以上それは個々の狩猟の腕、つまり技術や身体能力で測ることになります。そして集団の中の腕利き達が己の腕を競い合い集団の中で順位を決定します。
競い合うには一定のルールが必要となります。そしてその勝負には名前をつけることが意思統一において便利です。そして名付けられたら勝負を定期的に行い都度トップを決めます。そのサイクルを繰り返すことで個々の技術を磨かれ、より高い技術が生まれます。そして周囲はそれらを見届け自身の集団から最も優れた人間を見つけます。私はこれらがスポーツの始まりであり、本質であると考えます。
では、スポーツがなくなったらこの世はどうなるか。冒頭に述べたように「人は競うことを本能的に求める生き物で、それを見届けることを求める生き物」であると述べました。いくら法整備でそれを規制しても、ただの身体活動では物足りない個体は必ずいます、そしてそれを見届けたい個体も必ずいます。もちろん現代では身体活動を伴わない勝負事はいくらでもあります。しかしながら、身体活動で他者と競うという歴史は他と比較になりません。人類は身体活動を伴う勝負、それを見届ける活動に身を投じている歴史が圧倒的に長いのです。よって、明日スポーツという概念が人類から失われても、その本能が失われることはなく、自然発生的にスポーツは必ず生まれます。
以上の結論から、この世からスポーツがなくなっても、人類は自然発生的にスポーツを始めると結論付けます。人が社会的な生物である限り、本質的にスポーツがなくなることはないでしょう。