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はてなキーワード: 情熱とは

2024-05-17

運動会(体育)って教育的にどうなの

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6501256

↑この記事読んだ。いつの時代運動音痴は苦労するんだなあって思った。

優劣の付き方が激しい点は体育の悪点として挙げられがちだ。けど俺はここじゃないと思う。テストなどなど色んな所に優劣はあるし。

俺は集団で何かをしないといけない状況がダメなんだと思う。そしてそれに伴う"個人攻撃"が子供の心を壊す。クラス一丸となって物事を成し遂げることは素敵な事だと思う。けど運動会は逃げ場がないんだよな。合唱祭なら下手なりに声出したり、邪魔しないように口パクでもいい。周りが下手なやつを補える。運動会はそれが難しいんだよなー。集団行動で成長を促すんならそれに伴うケアをできる仕組みじゃないとダメじゃない?ヤフコメでは逃げ癖だとか嫌なことでも〜って書いてるけど、足が遅かったり縄跳びが下手なだけで個人攻撃される空間なんて逃げてしかるべきでしょって思う。みんなが出来ることを出来ないやつもいることは想定内なんだからそいつ批判が集まらないような仕組みを作れよ!!全体で見て成功でも、個人の心には一生物トラウマが残ることもあるんだから!!!

まあなんでこんな情熱的に語ってるかは分かるよね、、俺は真面目に体育に参加してたけど、全部サボった方が幸せに生きられてただろうな。

(追)運動会について書いたけど、その練習含む体育全般に言えると思う。辛いけどマラソンとかは気持ち的に楽だった。責められないし

anond:20240516095143

あなた経験を3行にまとめると、次のようになります

オタク文化に没頭していたあなたは、初めての恋愛趣味エネルギーを失い、自己価値を見失いましたが、その後、趣味への情熱が復活しました。

新しい恋愛が始まりセックス実写映画などの新しい楽しみを発見し、創作活動にも再び取り組むようになりました。

人生経験が豊かになるにつれて、コンテンツの消費と生産に対するアプローチが変化し、創作活動においても評価が向上しました。

 

人生の各段階での変化が、あなた趣味創作活動にどのように影響を与えたかを簡潔に表しています経験私たちの好みや創造性に大きな影響を与えるものですね。

 

ほんとchatGPTさまさまやで

2024-05-14

anond:20240513193823

書いてないことを捏造してまで批判するその情熱は一体どこから湧き出るのかね?宗教か?萌エロ絵確保か?現実女性への憎しみか?

どのみち完全に常軌を逸してる。もはや対話不能存在というか、最初から対話する気なんかなくて相手誹謗中傷することが唯一の目的とすら思える。

2024-05-13

anond:20240510163027

子供を持たなければ解決だぞ。

子供持たないぞっつってやっててもどうせ30前後くらいで子供欲しくて仕方がなくなり、その頃には仕事への情熱も薄れてるからそんとき意思決定すれば簡単だろう。

オタク建築士に家を任せよう:日本住宅の質を高めるために

 日本建築業界には、残念ながら暗い部分がある。日本建築士試験では、断熱や耐震性能に関する深い知識は求められない。そのため、一般的建築士工務店が、基本的な性能計算方法を知らないというケースも少なくない。さら問題なのは建築基準法では一般家屋の断熱や耐震に関する規制建築士任せになっているため、プロに任せても最低限度の性能が確保されるとは限らないという事実である

 これは、日本住宅の質に大きな影響を与える問題である。断熱や耐震性能は、快適性や安全性に直接関わる重要な要素だ。これらの性能が確保されていない住宅は、夏は暑く冬は寒い地震で倒壊するなどの問題が発生する可能性がある。

 では、どうすればいいのか? 私は、「家を建てるならオタクを名乗る建築士に任せよう」と提案したい。

 オタクと呼ばれる人々は、一般的に、特定の分野に深い知識情熱を持っている。彼らは、その分野に関する膨大な情報を集め、細部にまでこだわりを持つ傾向がある。そして、建築世界にも、断熱や耐震オタクと呼ばれるべき建築士存在する。

 このようなオタク建築士は、一般的建築士とは異なり、断熱や耐震に関する深い知識を持っている。彼らは、最新の技術や素材に関する情報収集に余念がなく、常に最高のパフォーマンスを発揮する方法模索している。さらに、計算シミュレーションを駆使して、建物の性能を最大限に引き出すことができる。

 オタク建築士が家を設計建設すれば、最高レベルの断熱や耐震性能が確保された住宅が実現するだろう。夏は涼しく冬は暖かい地震にも強い家に住むことができる。さらに、オタク建築士は、細部にまでこだわるため、住宅の快適性や美しさも追求してくれるだろう。

 オタク建築士に任せることには、もう一つ重要メリットがある。それは、自分自身で家を理解し、メンテナンスできるようになるということであるオタク建築士は、ただ家を建てるだけではなく、その家の断熱や耐震性能がどのように実現されているか説明してくれるだろう。なぜこの素材を選んだのか、なぜこの工法なのか、なぜこの設計なのか。その理由理解することで、住む人は家に対する愛着を感じ、メンテナンス重要性も理解するだろう。

 日本住宅の質を高めるために、オタク建築士の力を借りることは有益である。彼らは、断熱や耐震に関する深い知識情熱で、快適で安全な家を提供してくれるだろう。さらに、住む人が家を理解し、愛着を持てるように導いてくれる。

 だからこそ、家を建てるなら、オタクを名乗る建築士を探そう。彼らは、日本住宅未来を明るく照らしてくれるに違いない。

 

※本記事Command R+の助けを借りて執筆されたものであるしかし内容に関しては増田の指示と修正によるものであり、確かな事実であることを保証する。また、著作権フリーとする。

2024-05-12

anond:20240508192401

あの場って絵の綺麗さ、作品面白さが絶対正義から直見た目はよっぽどじゃなければ気にしない

増田サークルとしてのヒエラルキーは下層だし本作りや本を買うことに特に情熱がないのならもう参加しないで正解だと思う

お金時間ももったいないよ!

っていうか同人女感情に出てくるキャラだっておしゃれにも気を遣ってそうなキャラって正直億ハムちゃんくらいじゃない?

キラキラして見えるのは単に作者の絵柄が増田の好みだからであって、普通はあの漫画読んで”見た目が”キラキラした人たちがいっぱいいる!とはならんよ…

眼鏡ちゃんにどう言って化粧品買いに行こうって誘ったんだろう

めっちゃ気になる

ところで赤ブー主催イベントで汗臭さって今まで感じたことないなあ…コミケはクサッてなった事はあったけど笑

2024-05-11

[] 他人意識して描くときはヒット作をそのままなぞると良いと言うが

趣味長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた

(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)

 

ワイが他人意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギー限界。このページ数はとても長編とは言えない

50ページ以上書き進めるには、外部からガソリン必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある

他人意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる

 

趣味なのに自分技量無視して無駄な見栄を張ろうとする問題・・・まぁさておき、他人意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、

ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・ドラゴンボール鳥山明の超画力でなければ成り立たない

ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルもの空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない

 

ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンス新体操を見て、人間本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画時代劇ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実格闘技武術剣術には微塵も興味はない

じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いかである

クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか自分3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ

 

強いて言えば、人がそれぞれの自然姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、

スポーツテーマにしたマンガ小説映画で好きな作品ひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)

 

 

鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写のもの以外がメインになっているが、ワンパンマン村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・

というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・

なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だから

主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすストーリー

結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやか魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる

(ただ、『魔法スターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)

 

マッシュル』もワンパンスタイル作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界フィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している

ボーボボ彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢ボースティング、これらはワイも超好き

ただ、主人公マッシュワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあん面白いとは思えんのよな・・・

週刊少年ジャンプ作家なので、一定クオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)

結局のところ、ワンパンギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ

小説でも多分同じだわね。ワンパンギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・

 

 

とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクション描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる

でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品ひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定フェチ推したいという情熱も無い

バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチ特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる

何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・

なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうから

ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)

ちなみに、鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代日本映画小津安二郎作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画アキ・カウリスマキケン・ローチフィリップ・K・ディック川端康成遠藤周作いがらしみきおsink/かむろば村へ/Iなど)、海外ヤングアダルト作品児童文学名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き

いわゆる巨匠大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ岡部閏、明智抄奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家作品が好き

ワイがこれらの作家作品をそのままなぞったら誰かとの文通になります・・・

 

 

ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、

 

なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイトワールド』、対象者が絞られまくっている作品から、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本パトレイバー横手美智子なのよ。『ネトゲSFギミックになってるサバイバー再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい

グッド・ナイトワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットAI幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった

クソのクソの解説演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった

 

横道にそれたところでおわる・・・

2024-05-10

anond:20240510105151

そこまで情熱をもってアニメ見る事なくなったわ

作業中の画面端で流してるだけなので、

面白かろうが面白くなかろうがにぎやかしでしかない

ブルアカアニメの目指す場所さえ感じ取れないてないニワカ・ニセモノ・エアプ・アンチは清渓川で洗礼をして出直しから口を開きな

ブルアカへの怒り

あーマジで見てられね―な。

お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。

バ レ バ レ って奴ね。

ブルアカ本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。

ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームアニメ化という偉大なる成功体験再現」なんだよ。

韓国ゲーム二次元大国日本文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ

原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌え狂気と闇(ニチャァ)で安易オタクを刺激しようとする牧歌的原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。

原作ブルアカOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。

ブルアカはね、若いオタク青春を味わうゲームじゃないんだよ。

老いオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。

青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。

ブルアカは決して最新型の体験ができるゲームじゃない。

今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。

偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。

レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代追憶だ。

彼は未来を見通す賢者ではなく、自分経験によって学んできた歴史課題評価する愚者だ。

愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ち受け手の心を捉えるのだよ。

日本カルチャーが忘れた原始的萌え体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。

OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。

声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?

ブルアカアニメは俺達に大事気持ちを思い出させてくれたぜ。

このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!

☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感大原則なんだよ!

ブルアカアニメから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。

過酷オナニーとやらでもやってるがいい。

そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったこから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。

2024-05-08

子供にとっての「おもしろおじさん・おばさん」枠の難しさ

子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。

私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。



まず、子供そばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベル社会性や身分保証必要である

次に、友人や親族が続々と結婚妊娠出産ラッシュを迎えていても同調圧力社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。

そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解社会的なルールタブーアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。

意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である



人手不足時代である。一つ目の、定量化できる身分保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。

三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃん相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というもの権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。

じゃあ、自分ケアをして愉快な接しやす人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ

というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである

彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。

私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたとき相手きらきらとした目が見たい。

でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分パートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか

と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち自分は出来損ないなのではないかという劣等感現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的存在する不安感。こういったもの抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。



いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジション候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。

最近休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしかおもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライト修行僧のようではないか。実際に結婚妊娠出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。

幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイント若い世代からの支持を得られるのだろう。



社会の無害なアウトサイダーポジションになるのは、想像以上の努力と忍耐が必要そうだった、というお話

2024-05-06

大奥』1日限定全巻無料vs「大河逆ハーレム漫画がなんで日本SF大賞なんて取れるんだよ」と思っていた俺

要点だけ

・ピッコマで24時間全巻無料だったので『大奥』を読んだ。

・前に読んだ時は「単なる男女逆転逆ハーレムだろ?」としか思わなくて2巻まで読んで投げた。

・7巻(の35話)から始まる赤面疱瘡vs医学vs異学排除の三つ巴は話の構造が立体的になっていて面白かった。

ジェンダーSFってそもそもSFって名前がついてるだけでSFじゃなくない?

イケメンにも歴史にも興味がない俺にこの作品評価する資格はなかった。

個人的好き嫌いで言うと7巻~12巻は好きだけど、それ以外は正直しんどいだけだった。

作品根底にある「将軍が女だったらヤバくないっすか?」みたいなのに全然共感できなかった。俺のジェンダー感だと「有能ならどっちもでいいだろ」なので。

・とりあえず人生宿題が1つ片付いた気がする。



経緯(飛ばしていい)

いつか「大奥」をちゃんと読もうと思っていたが、中々その機会がなかった。

いろんなランキングとかでの評価の高さに釣られて1・2巻まで読んだ時の感想は「江戸時代日本逆ハーレムしつつ、ついでにフェミニズム的なノリで男はクソだといいまくって気持ちよくなりたい連中の下世話な漫画」だった。

だがそれだけの漫画日本SF大賞を取れるのかという疑問があった。

単に男女の役割を逆転させただけのものジェンダーSFと言い張る界隈に対して、一言物申すためにも一度こちらが勉強しておきたいという暗い情熱もだ。

とんでも設定をぶちあげてフェチズムを描いた作品として家畜人ヤプーのような物を想像していたのだが、どうも他の人のレビューを見ているとエログロナンセンスアイディア勝負けで評価はされていないように感じた。

しかしたらジェンダーなだけでなく本当にSFで、5巻ぐらいか未来人が出てきて、10巻で超能力者、15巻で未来人、そして最終巻で神が登場したりするから日本SF大賞を取ったのでは……そんな突拍子もない空想も膨らんでいった。

いつか読もう。

そんな気持ちを抱えていた俺に機会がやってきた。


ピッコマで1日だけ全巻無料になるらしいと知ったのはGWが始まる少し前だ。

普通に買っても買って満足して読まないだろうことは分かっていたので、こういった期間限定で読める機会はちょうどいい。

今回の24時間無料に焦点を当てなければ下手すればもう二度と読む機会は来ないという感覚がビンビン来る。

とはいえ前に読んだ感じだと1巻につき1時間弱かかるわけで、1日で残りの17巻を読むのは厳しいだろう。

そこで俺はふとマンガParkを立ち上げた。

前に1・2巻を読んだときに使ったのがマンガParkだったからだ。

アプリを立ち上げて検索してみると、まだ「大奥」は引き上げられておらずFREEコインで読めるようだ。

2巻の途中までが完全無料、そして11巻までがFREEコイン

ここで少しだけフライングしてから24時間無料に挑むと丁度いい塩梅になりそうだ。

そして俺はGWが始まる少し前から毎日30分ほど(約4話分、約2/3巻)大奥を読み進めるという姑息フライングによって7巻までを事前に読み終えた。

残りは12巻。1時間に1巻読めば12時間で終わる計算だ。希望が見えてきた。


長く苦しい戦いだった。

12時間までいかずとも10時間大奥をひたすら読んでたと思う。

10時間ひたすら同じ漫画を読み続けた。

漫画喫茶でドラゴンボールうしおととらを一気読みしたことはあったが、その時も流石に10時間はかかってないし、一度読んだことがあるからおおよそ内容は頭に入っている。

初めて読む漫画を1日に10時間読む。

しか特に好きな漫画というわけではなく、前々から興味はあったけど感覚的に合わない漫画を「今ココでトドメを刺さなければもう一生読む機会がないかも知れない」という予感に急かされるままに読む。

キツかった。

幕府財政状況や百姓暮らしぶりと同じぐらいにキツかった。

フライングしてなかったらそもそも読み終わらなかった




感想

まず俺が一番言いたいのは「これはSFじゃなくない?」ってこと。

ジェンダーSFというジャンル自体は聞いたことがあるけど、そもそもそのジャンル自体SFという名前文化盗用してるだけじゃないってこと。

これがSFに含まれるなら光源氏でさえ「もしもこんなヤベーイケメンがいたらという思考実験なんだが」でSFなっちゃわない?

男が死ぬウィルスによって社会構造が何から何までまるっきり変わるならともかく、むしろこの作品が言いたいのは「男女が普通に逆転するだけではないでごわすか?男が特別なわけではないでごわしょ」なんでしょ?

病気部分がSFかといっても、単に男が死ぬ致死率の高い天然痘ってだけで、解決方法天然痘のものをそのまま持ってきただけだし。

俺の勝手な考えだけど、これはSFではないなー。


SFかどうかは置いといて作品としての評価をしようとしたんだけど、考えていく内に俺には出来ないってことが分かった。

だって俺、歴史とかイケメンとか興味ないもん。

イケメン坊主を脅して無理やり種馬にしてやるぜぐへへへ・・・とかやられても、「権力者は身勝手だな―」ぐらいにしか思えなくて。

徳川家が途中から女ばかりになっちゃうんですよ!凄いでしょ!とかやられても、「ゆーて直虎も謙信も女だったしなー」ぐらいで終わっちゃうわけで。

日本SF大賞取ってなかったら読んでなかったタイプの客というかね。

そんな人間にこの作品を正しく評価できるわけないでしょ。

辛いものきじゃない客が10辛頼んで「舌が痛すぎて味がしなかった。豚の餌未満 ☆1」ってレビューしててもそれは単なる検索汚染じゃん。

つーわけで評価棄権します。


評価はせんけど好き嫌いの話は少ししようかな。

公式が「医療編」と書いてる7巻ラスト~12巻は普通に面白かったな。

治療方法自体天然痘の焼き直しなんだけど、それが蘭学によってもたらされることで政治劇に絡まっていってるから一筋縄はいかなくなってる所に話しの膨らみを感じた。

トップが変わることで一度全部ひっくり返ったあと状況を逆転していくのとか作劇としてしっかり王道だったなと。

他の将軍様が女としての幸せを軸に物語を展開させがちだった中で、思想を持つものと持たぬもの戦い・当主としての成長っていう熱血軸で展開していく家斉のストーリーもこの作品の中では新鮮味があって面白かったな。

作中最大級ヴィランも出てくるし、いろいろな解決方法に納得感があるし、実際ここが作品ピークだった気がするんだよな俺の個人的好き嫌いを抜きにしても。

他にも黒木が~青沼が~マジで~カッコよくて~と飲み屋で延々アニメの話してる中年オタクみたいな感じでしばらく語れそうだけど、俺の話聞いてる暇があったら実際に読んでほしいし一度読んだ人ももう一度読んだほうが俺の話聞くよりもタイパがいいだろうからここらで切り上げるか。

大奥ちょっと読んだけどマジで無理だわつまんなかったわー。優男が尻掘られそうになる話とかどうでもいいわー」と思ってる人でも途中全部飛ばして35話から読むのはアリなんじゃねーかって気はする。

この部分はマンガParkでも読めるしな(7~11巻はフリーコインだけど12巻はボーナスコイン枠なのでコインを買うか動画広告再生して貯めてくれ)。


フライングも合わせて15時間近くかけて全部読んで結局「うーん医療編意外は全然合わなかったな―」となってしまたことについて後悔がないかと言えば、トントンなんだよね正直。

最終巻での感動のラストっぽいのもそこまでに積み上がった「ここまできたなら凄いの見せてくれ―!」ってハードルが上がりすぎてだいぶ肩透かしだったし。

失礼な言い方になるかもだが、「ありのままの姿見せるのよ的な?それって要はアナ雪やろ?こんだけ引っ張って最後にやるのがこの程度なの?」って感じだったのよね俺的には。(この程度の自由さえも奪われてしまうお貴族社会の悲しみこそがこの手の作品におけるトロの部分なんやろなあというのは分からなくはないんだけど、もっとこうなんか19巻読んだかいがあったぜマジスゲーみたいなのを期待しててですよ。)

黒歴史最後を紐解いていく展開として公武合体にかこつけて凄い所に踏み込んでた感じはするんだけど、最後大人しい着地になってしまったなと。


そもそも俺の中で「将軍が女とかありえん!帝が女とかありえん!」みたいなのが全然ないんだよね。

だってそういう仕事してる人に求められるのって機能を果たせるかであって、それって個人資質依存してるんだから性別なんてどうでもいいじゃん?

男でも無能なら勘弁して欲しいし、女でも有能ならぜひやって欲しいわけで。

別に俺が将軍エッチしたりオカズにしたりするわけでもないんだから、その人達性別とか本当にどうでもいいんだよね。

まあこの辺は産まれてきた時代によるのかも。

ゆーて大奥の連載が始まった頃既に40を超えてたような人、つまりバリバリ昭和生まれからしたら「将軍が女とか絶対嘘でしょ」って感じなのかもだけどね。

俺がジェンダーSFSFだと認識できないのはそういう所も関係してるのかも。

うんまあ、総合的には無理してでも全部読んで良かったかな。

宿題を1つ片付けられた感じはするので。

しばらくはこういう「合わなそうだけど読んでおかないといけない気がする」でコンテンツを接取するのは休もう。

めっちゃ消耗したよー。

2024-05-04

インドジョー・バイデンの「外国人嫌いだから成長しないw」発言に怒っている

外国人排斥中国日本インドの「経済的苦境」を引き起こす:米国大統領バイデン氏 - Times of India

https://timesofindia.indiatimes.com/world/us/xenophobia-causing-china-japan-indias-economic-woes-us-prez-biden/articleshow/109799301.cms

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インド排外主義的ではなく、最も歓迎的な国の一つ:S・ジャイシャンカール外務大臣 - エコノミックタイムズ

https://economictimes.indiatimes.com/news/india/india-not-xenophobic-but-one-of-the-most-welcoming-nations-s-jaishankar/articleshow/109825624.cms?from=mdr

S・ジャイシャンカールは、ジョー・バイデンによるインド経済に関する「外国人嫌い」発言反論し、市民権改正法を擁護し、偏向メディア批判し、モディ首相リーダーシップを称賛した。また、多様な社会に対するインドの開放性と、公正なグローバルシナリオ重要性を強調した。

 

S・ジャイシャンカール外相は、ジョー・バイデン米大統領インドを「外国人嫌い」と表現し、経済的問題を抱えていると言われる国々とグループ化していることを否定した。

 

「まず第一に、我々の経済は停滞していない。「インドは常に......インドは非常にユニークな国だ......世界歴史上、非常にオープン社会だったと言える。

 

ジャイシャンカールはまた、ナレンドラ・モディ政権がこのような歓迎を促進する法律を制定したことを挙げた。「CAA市民権改正法)があるのは、困っている人々に門戸を開くためだ。

 

大臣さらに、CAA批判的な人々を叱責した。「CAAのせいで、100万人のイスラム教徒がこの国の市民権を失うことになると公言した人たちがいます。「なぜ彼らは責任を問われないのか?誰も市民権を失っていないからだ。

 

彼は、"非常にイデオロギー的 "な西側メディアの一部が、グローバル物語形成することを望んでおり、それゆえにインドを標的にしていると述べた。

 

「それは、自分たち世界物語コントロールすべきであると常に信じている層である

 

政治的ヒットジョブ

「彼らは多くの場合政治的情熱公言している。「彼らはインドの他の政党公然と支持している。彼らは具体的な問題に首を突っ込み立場を取ってきた。もし彼らがコメント判断を下すのであれば、それがどこから来たものなのかを認識して受け止めたい。つまり客観的判断ではないのです。彼らは、今起きていることに利害関係があると公然宣言している人たちだ。何が起きているのかに自分たち役割があると信じているのだ。

 

このような流れから報道の自由に関するインドランキングの低さは、政治的な打撃である大臣は述べた。ガザでの戦争に対するアメリカ大学での抗議行動を "示唆に富んでいる "と称し、"インド運動が起こるたびに、大衆にどう対処すべきかについて多くの講義を受けた "と述べた。「今日テレビ映像を見てほしい。つまり、大げさに言えば、彼らが何を説き、何を実践し、何を意図し、何を客観視しているのか、あるいはしていないのか。それが現実だと思います。だから、これは公的機関シンクタンク報告書だと言うかもしれない。別の手段による政治だ。だから、私はそれを認識し、それを告発する」

 

パキスタンでの標的殺害をインドのせいにする報道について、彼はこう述べた。統計的に、テロリスト大勢いるところでは、何かが起こる。今、彼らはテロリスト産業というものを作り上げている。

 

大臣は、ナレンドラ・モディ首相を一生に一度の指導者だと評した。2015年から2018年まで外務次官を務め、2019年外務大臣就任したジャイシャンカール氏は、その信念から外交官を経て政界に転身したのだと語った。

 

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2024-05-03

anond:20240503145623

趣味も大抵の凡人は飽きる

そういう情熱が年老いても続く人は少ないからね

カレンダーが編まれた布地

ゴールデンウィーク実家に帰ると、誰からもらったか知らないが、12ヶ月分のカレンダー文字として編まれた布地が居間に掛かっていた。

カレンダーの上には龍。今年は辰年だったのだ。

しかし、カレンダーが編まれた布地なんて最大で一年しか使えないんだからもったいない労力のかけ方じゃねえのかと思ったりする。

掛け軸しかり、もっと長年大事にされるものにこそ、布を編むなり書を書くなりの労力をかければいいのにと思ったのだ。

おそらく既製品であり、手編みでは無いんだろうが、カレンダーなんて紙でよく、毎月ペリペリとはがせばいいだろうと思ったのだ。

それでもだ。未来にはどうなるのだろう。

電子書籍の例を待たず、あらゆるもの電子投影される。

書籍だけでなく、あらゆる紙製品がそうなっていく。何ならホログラムになったりもするだろう。

そして、それはカレンダーにおいてもそうだろう。

そうなったとき、紙のカレンダーは、私が居間で感じたあの感覚を以て捉えられるのかもしれない。

「紙のカレンダーなんて、もったいない労力のかけ方だ」と。

そう考えると、布地のカレンダーも紙のカレンダーも、未来人にはまさに五十歩百歩なんだろう。

から、私の、紙と布のその区別こそ、思考する労力をかけるような永続性を持たない。

それなら、私たちは紙のカレンダーも、布地のカレンダーのようにその労力を尊び、大事にしてもいいんだろう。

ましてや、布地のカレンダー。その丁寧な目の運び。細やかな仕事の出来。機械折りとしても、しっかりとした作り。

そういう目で見ていると、愛おしさが生まれてくる。

そういえば、小学校神輿ダンボールで作っていた。

お祭り最後に燃やされるのを知ってなお一生懸命、色紙やクーピーで色付けたのだった。

そんな懐かしいことまで思い出せたのだった。すぐ失われるとしても費やしたあの労力は、本当に美しいものだった。

そう考えると、目の前にある布地にも慈しみが生まれ、引きちぎるように引き寄せてはゴミ袋に詰め、その役割強制終了させる。

また、どこのご家庭にもある紙のカレンダーは、実家にも当然あった。

5月を示すそれらのカレンダーは目につく限り全てはがし、ビリビリに破ってからゴミ袋に詰める。

ゴミ袋でも、カレンダーカレンダーの夢の共演が繰り広げられている。

その色の散らばりには、神輿にかけた情熱を思い出す。

しかし、そんなのに浸っていてはいけない。こんな破滅的な感情は正しくない。

からこそ、早く何もかもホログラム化しないかと思うのだ。

カレンダー田舎自分自身も、そして神輿も。

なぜなら、ホログラムは滅びることはない。

永遠に生き続けるのだから文章を編み小説を書くような労力をかける意味がある。

まり、こうして日記に残す意味があるのだ。

と思って目を開けると、カレンダーは元の位置にあり、龍は斜め上を見上げていた。

その先には、ソースのようなしみが何個か付着していた。

2024-05-02

歌手やめました

私の名前はここでは明かせませんが、かつてはステージで光り輝く歌手でした。2017年、夢に満ちた心と歌声武器に、音楽世界飛び込みました。しかし、今ではその光はすっかり影を潜め、日々は子育てに追われる母としての生活に変わっています

私の音楽キャリアは、短いながらも濃密な4年間でした。曲を作り、ステージに立ち、人々の心に響く歌を届けようとしました。しかし、現実は厳しく、私の音楽は大きな反響を呼ぶことはありませんでした。SNSでの拡散を試み、バズを狙いましたが、それは燃え尽きることと同義でした。夜遅くまで目を凝らし、フォロワーの数を増やすための戦略を練りました。しかし、それは音楽への情熱を燃やすことにはならず、ただの数字の追求に過ぎませんでした。

2021年、私の人生に新たな命が宿りました。妊娠が発覚し、それは私にとって活動を終えるタイミングでした。今では2人の子供の母として、新しい喜びと挑戦に満ちた日々を送っています子供たちの笑顔は、かつてのステージの光よりもずっと温かいです。

SNS世界では、拡散されなければ存在しないのと同じです。私の音楽がどれほど心を込めて作られたものであっても、それが拡散されなければ誰の耳にも届かない。これが現代の音楽業界現実です。私は周りには「良い夢を見れた」と言っていますが、心の中では不満を感じています音楽の良さが認められることなく、SNSでの拡散が全てを決めるのですから

しかし、私は後悔していません。音楽という夢を追いかけることができた幸せステージで歌えた喜び、そして今、子供たちと共に過ごす時間。これらすべてが私の人生を豊かにしてくれています。私の歌はもう大きなステージで響くことはないかもしれませんが、私の心の中ではいつも歌っています。そして、私の子供たちには、夢を追いかける勇気を持ってほしいと願っています

私の物語は、SNS拡散されることはないかもしれませんが、私の心の中で、そして私の家族の中で、永遠に生き続けます。そして、もし私の歌が誰かの心に届いていたなら、それは私にとって最大の報酬です。私の歌手としてのキャリアは終わりましたが、私の物語はまだ続いています。そして、これからも、私の心の中で歌は永遠に響き続けるでしょう。

自体はまだのこっているので、もし需要があれば配信サイトリンク追記します。

2024-05-01

anond:20240501222019

叩いてるってどこが?

暗い情熱のところ?でもマジ度々バレてるあれ謎すぎて。

anond:20240501204247

はるかぜに告ぐ」は、日本作家辻村深月による小説です。2016年講談社から刊行されました。

この小説は、高校放送部を舞台に、部員たちが「ラジオドラマ」の制作を通して成長していく青春ストーリーです。主人公の春風は、放送部の部長として、個性豊かな部員たちと共に、脚本執筆声優キャスティング音響効果作成など、ラジオドラマ制作のさまざまな課題に奮闘します。

はるかぜに告ぐ」は、青春の甘酸っぱい恋や友情、夢を追う情熱家族との絆など、多彩な要素が織り交ぜられた物語です。ラジオドラマ制作過程や、部員たちそれぞれの悩みや葛藤、成長が描かれ、温かみのある作品となっています

この小説は、2017年に「第15回本屋大賞」で5位に入賞し、多くの読者から支持されました。また、2024年には映画化されることも決定しており、注目を集めています

芸人知らないんだけどさ

anond:20240501104121

眼鏡と一緒にフェミアカ持ってるって騒いでたオタク結構いたし、たまに痛い発言してた女アカウントがおっさんってばれてたりするし、実際結構いそう。

僕の考えた痛い女やりたがる男の暗い情熱意味わからんわ。女でそのてが見つかったことないし。

めがねオタクエロ作品晒しフェミに叩かせようとしてたから叩かれたけど、それ以前からやってると公開はしていたし。

2024-04-29

anond:20240429201325

お前に足りないものは、それは!

情熱思想理念頭脳気品優雅さ・勤勉さ!そしてなによりもォォォオオオオッ!!

速さが足りない!!

AIが考えたエッチストーリー

現代日本舞台に、主人公である若き女性藤崎瞳(ひとみ)は、大手企業社長令嬢として育てられた。彼女は贅沢な生活名誉享受しながらも、内なる孤独欲求不満に苦しんでいた。

ある日、瞳は父親経営する会社で働くことになり、そこで2人の侍女出会う。侍女たちは瞳の世話をするために雇われていたが、彼女たちの美しさと艶やかな魅力に瞳は惹かれていく。

侍女たちとの接近によって、瞳は内なる欲望や禁断の快楽を知ることになる。彼女侍女たちとの関係を深め、日々の生活の中で新たな刺激と愛を見出していく。

物語は、瞳と侍女たちの三角関係や愛の模索、そして社会偏見や抑圧に直面しながら、彼女たちが自らの本当の幸福を見つけるための旅路を描く。瞳は自らの欲望や愛を追求し、侍女たちとの情熱的な関係の中で成長していく。

2人の侍女との交流を通じて、瞳は社会の枠を超えて本当の自由幸福を見つけ、自らの運命を切り開いていく。彼女たちとの情熱的な愛と禁断の関係が、瞳の人生に新たな輝きを与えることになる。

さす九のリアル上京して「お前の地元おかしいよ」と言われるまで〜

「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。

じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。

もちろんこれは、単なる個人体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付け証拠を出せ!と言われても無理である増田から匿名だし。

ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。

小学校

テスト

すごく賢い男の子がいた。

私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気クラスにはあった。

ある時、別の賢い男の子が転校してきた。

そしてその男の子2人は点数を競うようになっていった。

まり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。

ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。

点数を聞かれて、私は自慢げな気持ちを抑えてテストを見せた。

男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。

まさか、女に負けるなんて」

何だか、全部バカバカしくなってしまった。

女の子が産まれたら

私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。

そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。

そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子から!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。

兄弟クズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。

これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。

・私の顔

私は、嫌になるほど祖母に似ていた。

外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。

そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。

私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。

「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」

「えっ?それって」

「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」

ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。

中学校高校

・寮

田舎小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。

から脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。

というわけで、若干遠い学校に通うことになった。

一時期、寮に入っていた。

その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。

下着も干している、プライベート場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」

私の主張は鼻で笑われた。

「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」

私は食い下がった。

「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしプライバシー尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」

男は心底驚いた顔をした。

「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」

周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。

管理人の異様さのせいか、みんな何も言えなかった。

親がおかしいとまで言われ、私は絶句し、泣いた。

どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。

翌年から私は寮を出た。

私も、周りの子も、親や教師相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。

お前達は子供からお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想

・その他

あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢かいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。

一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。

大学

このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分権利を主張するな、という空気しかなかった。

今も変わらない?そうかな……そうかも……

部活

部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。

理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。

今思うと頭おかしいが、当時はせっせと雑用をしていた。

もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。

引退する時、部長(男)が全員を集めてこう言った。

「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」

しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!?!?!(流石にキレる)

感謝気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?

最後感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?

葬式

母の父、私から見て祖父が亡くなった。

人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。

食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき台所で食べた。

「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。

唯一疑問を持ったのは、祖父の墓に参れなかったこである

お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。

ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。

最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。

ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。

お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。

完全に行くつもりで玄関に立っていた私に、母から

「やっぱり、お墓参りちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」

と言いにくそうに言われた。

「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????

と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。

何で「やっぱり、お墓参りちょっと」なのか。

兄弟たちは行けるのに、なぜ私はダメなのか。

そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。

・さつまおごじょ

大学は、九州各地から色んな人が来ていた。

そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。

そのうちの一つが、以下に書くような話だ。

「胸が大きいと、同級生先生からセクハラ行為を働かれる。

というか、胸の大小について、男性から公的場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的言葉をかけられる。」

これまで私が受けてきたセクハラは、「性的意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。

でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。

私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。

から余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。

普通じゃないことを知ったのは、上京してからのことだ。

大学

祖母ダブルパンチ

大学院に進んだ。

そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。

父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。

一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。

「女がそげん勉強して、どがんすっ」

翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である

小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。

戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。

荷物持ち

大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。

買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。

男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、

女の子なんだから

と言われた。

雷に打たれたような気持ちだった。

こいつは何を企んでいる?と思った。

どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。

頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。

女の子から、という理由作業免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。

感想

さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。

もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったもの日本の他の地とは違っているからだと思います

普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。

中学生くらいの時から欧米女性自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米女性そもそもお人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。

前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックス相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも1020年前の九州ではそう言われていた。

生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。

【おまけ】トランスジェンダーになりたい少女たちについて

上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代男の子になりたかった。

だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。

男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。

セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。

一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。

ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的気持ちで、男の子になりたかった。

あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。

私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。

けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。

今、私は、身体違和を感じていない。

まれながらの心の問題とは別に社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。

2024-04-28

anond:20240428195645

1文字間違えたんだけど

KAMEN AMERIKA は、日本パンクロックバンドで、独特のサウンドとエネルギッシュなライブパフォーマンスで知られていますバンドは 2011 年に結成され、東京拠点活動しています。 KAMEN AMERIKA のメンバーは次のとおりです。

ボーカルギタリストの Masafumi Kaneko

ベーシストの Ryosuke Takahashi

ドラマーShogo Tanaka

KAMEN AMERIKA の音楽スタイルは、パンクハードコアオルタナティブ ロックの影響を受けており、激しいリズムキャッチーなリフ、感情的ボーカルを特徴としています。彼らの歌詞は通常、社会的問題個人的闘争若者不安を扱っています

バンドは、日本パンクロックシーンで注目を集め、国内外で熱心なファン層を獲得しました。彼らは、活気に満ちたライブパフォーマンスと、音楽を通じて彼らのメッセージを伝える情熱で知られています

KAMEN AMERIKA は、いくつかの EPアルバムリリースしています。彼らの注目すべきリリースには次のものが含まれます

2013 年の EP「No Escape

2015 年のアルバム「From Here to Anywhere

2018 年の EPResistance

2020 年のアルバム「The New Normal

バンドはまた、日本海外の両方で広くツアーを行い、ライブパフォーマンスを通じて彼らの音楽を広めています。彼らは、パンクロックフェスティバルイベントで定期的に演奏し、活気に満ちたライブ体験提供しています

KAMEN AMERIKA は、音楽を通じて社会的および個人的問題を提起し、彼らのファンに力を与えることに取り組んでいます。彼らの歌詞は、社会的正義平等個人の強さなどのテーマを探求していますバンドはまた、音楽コミュニティ内での連帯サポート提唱しています

KAMEN AMERIKA の音楽は、SpotifyApple Music、Bandcamp などの主要な音楽ストリーミングプラットフォームで入手できます。彼らのソーシャルメディア存在感も強く、FacebookInstagramTwitterフォロワー交流しています

KAMEN AMERIKA は、日本パンクロックシーンに活気と独自性をもたらし続けているエキサイティング情熱的なバンドです。彼らの激しい音楽、パワフルなライブパフォーマンス社会的メッセージは、世界中ファンに響き続けています

こんな嘘はどこから持ってくるんだろう

女が人のファッションにやたらケチをつけたがる理由

この間のお嬢様ずんだもんの件でも思ったけど、女の中には人のファッションに厳しい奴がやたら多い。

この間、大学女友達とある講師ファッションをめたくそdisっていた。

曰く、「あの歳であんな丈のスカートを履くのはあり得ない」「だれが中年ふくらはぎを見たいと思うんだよ」「あのファッションは許せない、年相応の格好をしてほしい、見ていて不愉快」等など凄まじい剣幕だった。

どうも、ある種の女は人のファッションに対して並々ならぬ情熱を燃やし、自分の中の規定ファッションから外れている者に対してイライラを通り越して義憤を感じているようである

無論、ドレスコードがある場所で場にそぐわない格好をしたり、公の場で公然わいせつにあたるような格好をするのは論外だろう。

ただ男は他人ファッションについて「まぁ別にその人がいいと思ってんならいいんじゃないの」くらいに思っている人が大半だと思う。

自分の隣に並び立つ人のファッションについては最低限頭のおかしい人だと思われない程度の格好をしてほしいと思う人も多いだろうが、件のお嬢様ずんだもんの件のように自分関係のない赤の他人ファッションについてあそこまで怒りの感情を燃やせる人間というのは稀だろう。

彼女らのあの並々ならぬ怒りは一体どこから来ているのかを分析してみた。

結論嫉妬である

月並み結論申し訳ないが、要は嫉妬である

ただ一言嫉妬と言い切ってしまうと「別に私はあんファッションしたくない!!!」「その人に似合わない格好を批判してるだけ!!!」等の発狂芸を誘発してしまうだけなので、細かく心理の動きを見ていこうと思う。

人のファッションケチをつけたがる女はどういう女か

人のファッションケチをつけたがるのは自己肯定感が低くて自他境界曖昧メンヘラである

これはほぼ断定してよいと思う。

まり、幼少期にいじめられていたか干渉気味の親に育てられたかして、「他人目線ばかり気にするようになった人」である

空気を読むことを美徳として内面化し、空気を読めない振る舞いをした人を蛇蝎のごとく嫌う人。

自分の中に絶対的価値観形成できず、相対的な部分でしか好悪の判定ができなくなった人。

彼女らにとってファッションというのは「自分の好きな服を身につける行為」ではなく「人様から見られたときにみっともなく思われないような服を着る行為」なのである

まぁ、自分勝手に縛りプレイをやっているだけならそれでも別に構わないのだが、問題は「誰が見てもみっともなく思われないような服を着る行為」を常識マナーだと勝手に思い込んでしまうことだ。

ここに自己肯定感の低さからくる自他境界曖昧さが合体するとどうなるか。

すなわち、「世間のみんながみっともないと思うようなファッションをしている人は許されざる悪人である」といった意識内面化してしまうのだ。

しかも、ここでいう「世間のみんな」というのはその実ただの自分感想であるのだが、自他境界曖昧なためその傲慢さにも気付けないでいる。

彼女らの抱えるコンプレックス

加えて、彼女らの多くはおそらく自分のことを容姿端麗ではないと思っている。

すなわち、「私は容姿端麗ではないので可憐服装を着ることは許されない」「ブサイク可憐な服を着たら周りを不快にさせてしまう」「私に許されたファッション大人しい地味な格好だけ、可憐服装可愛い人にしか許されない」などといった意識内面化している。

一部のチー牛弱者男性共通する病理である

理想プライドも高いくせに自己肯定感も低いから「世間様にバカにされてしまう!」といった強迫観念に縛られて一切おしゃれを楽しめない哀れな心理状態に陥っているのだ。

人間眉毛を全そりして髪の毛も坊主にすれば、ブサイクと言われているあの子可愛いと言われているあの子もみんなおんなじレベルじゃがいもであるのだが、尊大羞恥心邪魔をしてそんな簡単なことにも気付けない。

「あの子可愛いのは生まれつき!私がブサイクなのも生まれつき!努力無駄!あの子に許されるファッションは私には許されない!」

こういった意識を表明することで必死自己防衛をしている。


お嬢様ずんだもんしかり、俺の大学女友達然り、人のファッション義憤を覚えている彼女らは、おそらくこのコンプレックスを刺激されてしまっているのだろう。

「お前は私と同レベルであるはずなのになんでそんな服装をしているのだ!」「みっともない!恥ずかしい!」

自他境界曖昧なせいでまるで自分が恥をかいしまたかのような感覚に陥り、その防衛反応として怒りが生じてしまう。

怒りとは常に二次感情であり、その根底には大抵極度の不安があるのだ。

叩くよりも同情してあげてほしい

人のファッションケチをつけたがる女に出会ったら批判するより同情してあげたほうがよいと思う。

彼女らは彼女らでおそらく非常に生きづらい思いをしているし、何なら心療内科の助けさえ必要な人なのだ

そして、ある程度施工の歪みが矯正された時点で「人には人の価値観があるのよ」「人のファッションについて貴方が恥ずかしい思いをすることはないのよ」と教え諭すことができればベストなのだろう。

いずれにせよ、ネット愚痴垢を作り人のファッションケチをつけると自分の病状を悪化させるだけなので、この文章を読んで自分のことのように感じられてしまった人は養生することをおすすめする。

0才児への選挙権騒動

選挙権放棄してるカスみたいな生き物が

ボケて投票しようとする謎の情熱を持った生き物たちよりも多いってのが大問題なんだと思う>世代

元々の数が少ないか投票するだけ無駄投票率が高齢層とおなじくらいになっても意味がない)、というのがコスパタイパの虫ケラ脳の考えみたいだけど

この虫どもって0才児選挙権ゲットしたら急に選挙に行くようになるものなのかね?

なんかそういうデータってあります?(虫の教祖ひろゆき風味

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