はてなキーワード: 少年漫画とは
男作者がBL描いてた!女だと思ってたのに!想像しちゃうから配慮して!
ここで自語りしちゃうんだけど、私は漫画読み始めた時、作者は全員女だと思ってたんだけど、
とある少年漫画単行本で、あの折り返しの部分、自著欄?あの作者の自画像とかあるところ、あそこで初めて作者が男だ!漫画描いてるの男なんだ!
男も漫画描くんだ!!!って思った事があるんよ、小学生の頃の話だけど。
そんな事あったから、漫画(小説でも何でも創作物に対して)で性差関係ないって知ったんだけど、そう言う経験なかったのかな、かわいそう
誰が何描いててもよくない?きゅんきゅん少女漫画読んで、作者の実体験とかなのかも!って思って読んでんの?きしょ
女が描くBL読んで、これは妄想だからオッケー!とかなの?同じ穴の狢!みたいな感じなの?
創作者に対して不誠実すぎて無理なんだけど?理想を押し付けるな。
てか、作者に対してそういう「想像しちゃう!」って言うやつ、恋人持ってる知り合いの情事を想像しちゃう!って言ってそう。きもいな。
あと、これは1000000回言ってるけど、気にしちゃう作者は匿名ツール使うな。あれは悪。絶対使わん。反論あるなら面見せろって思ってる。
あと、女はみんなうっすら男が嫌いって、どこ発祥?めちゃくちゃ味のないガムみたいな言い回しで、芸がないと思う。もっとあるだろ。他人の言葉使って自分の思想を語ってるな、出直せ。やる気出せ。
あと、同人女の感情の漫画、みんな読み過ぎてて、本当にそれ思ってる?影響されてそう思ってる!って思い込んでるだけじゃない?浅い浅いもっとオリジナルティ出してください。
前々から気になってるんだけど日本の漫画、喫煙描写がめちゃめちゃ多い。
少年漫画もそうだし女性向けでもちょっとワルくてかっこいいオトコはよくタバコ吸ってる。
ジャンププラスなんかの読切でも渋いオジサンとか「元殺し屋主人公」みたいなキャラみんなタバコ咥えてるでしょ。
絵や内容的に作者は10代かせいぜい20代だろうなーって作品でもそんなだから驚く。
最近VTuberの若い女性が「タバコはカッコいいよね〜」と話してるのも見た。
表現規制せよ!
と言いたいのではないけど若い世代にここまでタバコが「カッコいい記号・オトナの記号」としてポジティブに認知されてることに危うさを感じている。
それでも子供の頃に見る漫画やアニメがこれだけ「タバコはカッコいい」とメッセージを発し続ければその印象は一生残る。
機会が来れば手を出してしまう。
あれもだめ、これもだめ、それもだめ
前々から気になってるんだけど日本の漫画、喫煙描写がめちゃめちゃ多い。
少年漫画もそうだし女性向けでもちょっとワルくてかっこいいオトコはよくタバコ吸ってる。
ジャンププラスなんかの読切でも渋いオジサンとか「元殺し屋主人公」みたいなキャラみんなタバコ咥えてるでしょ。
絵や内容的に作者は10代かせいぜい20代だろうなーって作品でもそんなだから驚く。
最近VTuberの若い女性が「タバコはカッコいいよね〜」と話してるのも見た。
表現規制せよ!
と言いたいのではないけど若い世代にここまでタバコが「カッコいい記号・オトナの記号」としてポジティブに認知されてることに危うさを感じている。
それでも子供の頃に見る漫画やアニメがこれだけ「タバコはカッコいい」とメッセージを発し続ければその印象は一生残る。
機会が来れば手を出してしまう。
ワンピースのサンジがアメリカだとタバコ規制されてるのは有名だと思う(アニメ限定?)。
やりすぎだと思っていたけど子供への影響を考えたらあれが正解なのだろうか。
昔に比べれば喫煙率は下がっているのはそう。
でももっと下げられたのでは?
本当に一部の物好きしか吸わないレベルにしなきゃいけないのでは?と思うんですよね。
そのために社会がいくらタバコの危険性を啓蒙してもフィクションが与えるポジティブイメージの力が大きいと無意味になってしまう。
チビをいじられつつデカいライバルを倒すという展開にカタルシスがある
貧乳をいじられつつ巨乳キャラより魅力的に見えるというヒロイン構造と同じ
チビと貧乳は未熟の象徴であり、成長の余地があるからこそ共感を得やすい
一方ハゲとは老化の象徴であり、かつて持っていた若さを失った悲哀なので
笑いに転化するしかない
かつて持っていた美しさを老化で失った悲哀を笑いに転化する典型的なキャラである
わざわざ歪なミラーリングするまでもない
永井豪の漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります。
少年漫画には歴然とエロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画のエロ枠からも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性像自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います。永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。
永井は、1970年前後に少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女をヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女が主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家が主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画であんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女を主人公としかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井の代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身も性別を超越した存在として描かれます。)
実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったものと比較すれば、永井作品がいかに先進的であったかが理解できると思います。
強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女。今日の少年漫画に女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性をエロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者の良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています。
私は、永井の作品が、1970年代から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品の先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。
そんな永井先生の仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称「フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田の書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります。
勘違いしないで欲しいが、「女」という性そのものが悪いという話はしていない。
現状の「女の文化」(つまりそれはジェンダーバイアス社会が生み出したものでもある)に問題があるという話をしている。
だから、「女」という性でも、「女の同調圧力がきらい」という個人には全然問題はないし、そういう人は同じような批判を女の側からしているのをよく見る。
しかし、そういう「女」は、残念ながらびっくりするほど女の中で発言権がない。SNSでいうなら、まったくRT等はされない。(どうやってそれを見つけるか? エコーチェンバーに籠らず、個別の問題についてキーワードをまんべんなく検索してみるという地道な見識の広げ方をしていればいくらでも見つかる。)
つまりここが問題なのだ。現状の「女」というコミュニティがもつ同調圧力、そこで無批判に培われるある言論の傾向、そういうところに明らかに問題がある。
「女」の自称リベラルが差別を広げる問題の原因は主に以下のようなところにある。
これらは、「女」という性とイコールではないが、傾向として明らかに現状の「女」文化の影響があるといえる問題点である。
結果として、「女」の関心に比重がおかれるようになった現状の「リベラル」運動は、歴史を忘れた差別的な主張が平気で通る有様になっている。
これらは一例でしかないが、このように、人類が歴史上培ってきた「弱者の保護」を全部ひっくり返してゼロベースで書き直すような暴論を平気でやるのが昨今のSNSを中心に広がる「リベラル」運動の問題である。
一方で、男社会だった「オールド左翼」にももちろん問題はある。(学生運動の中で「女はサポート」として炊き出しや繕い仕事をする役目を与えられていた例など。)しかしこれはまあ、世代交代とともに消えつつあるものでもある。
繰り返すが、現状の「リベラル」の問題が「女」の参画によって出てきたものであるということは、「女を排除すれば良い」ということをもちろん意味しない。
ジェンダーバイアスをなくすということは、「女の文化」というものとも戦わなければいけないということである。
「女性誌」を見よ。ファッション、コスメ、芸能、恋愛、占い。そんな話題でページが占められている。
「少女漫画」を見よ。主人公は美少女でなければならず、また美男子と恋愛をしなければならない。少女がただ仕事や部活に精を出すだけの漫画は、少年漫画と違って存在を許されていない。
SNSを見よ。「女の話題」は芸能人やら子育てやら「推し活」やら。ただ学問や仕事の興味をつぶやくだけの女は、いても「女コミュニティ」からは存在を無視される。
「女」が「女」(ジェンダーバイアス社会で、無知な側という地位に落ち着いて生きた「女」)であること自体を否定し戦わない限り、本当のジェンダー平等なんてある得るはずがないのは、合理的に考えれば明らかである。
「有害な女らしさ」とでも言おうか。
「価値観のアップデート」とは、これまで人類がひとつひとつ改善してきた差別問題もすべてなかったことにして、ガラガラポンで「弱者ランキング」を一から書き直すことなのか?
そんなわけはない。女性だけが不当に貶められてもいけないのと同様に、今まで弱者であったものを突然弱者でないと見なすような暴論もあってはならない。
現状のリベラルの問題をより一般的にいうならば、大衆化、ファッション化(歴史の忘却)、無知化(非学術的な感情論の横行)が急速に進んでいることにある。これは(無知な側という地位の)「女」文化を、それ自体進歩させずにいきなり「リベラル」の優先順位の上位に上げてしまったことからくる問題に他ならない。
性差別は、他の差別問題と排他的に選ばなければ解決できない問題ではない。「今は女性問題が話題だから」で他の差別問題を軽視するような「リベラル」などあってはならないし、こんな状況を野放しにしていては、いずれ全体的な問題意識は、性差別含め悪化する方向にしかいかないだろう。
願わくば、「リベラル意識の普及」が「社会全体の知性の底上げ」という意味になって、「バカに合わせる」方向には行かないで欲しいものである。
予言しておくが、こんな言葉は「リベラル」には届かないだろう。
彼らは痛いと思ったら無視するし、どこか隙が見つけられたと思ったらそこをせめて言葉尻を取り誤摩化すだけだろう。
「女の問題を口実に「部落差別」や「地方差別」「子供の人権無視」を肯定するな」と言っているだけなのに、彼らは自分のそういう傾向には一切反省をしようという考えをもたないだろう。
女の恋愛が面倒臭いのは少女漫画が恋愛の奥の方を取り扱っているからであり、オタク君達が恋愛をできないのは少年漫画が恋愛の扉の前でブレイクダンスを踊るモノだからであり、イヌバエという科は聖書(モーセ)の要請(ヨーセー)により存在を抹消されている
そんなん読者の自由では。俺は『北斗の拳』は完全にズリネタとして消費したけど、それに文句いわれても「知らんがな」だわ。少年漫画のストーリーなんかクソつまんねえし(誰が北斗神拳の継承者かとか興味ねー)。一番エロかったのは山のフドウかな。あとラオウは大嫌い。「何イキってんのこいつ」ってシラケて読んでた(好みのタイプでないのでズリネタの価値は無し)。