はてなキーワード: 発明とは
❌️ 富野由悠季・宮崎駿(凄いアニメーター) → ディズニーがあるので
❌️ 高橋和希(世界一位のTCG原作) → そもそもMTGのパクリなので
❌️ 安藤百福(世界的レトルト食品の発明) → 即席麺自体からして他国に前例はあるっぽいので
ごめん、パっと思いついたの全部駄目だった。
3つ全部頑張って探してみて。
従来の歴史学では、メソポタミア、エジプト、インダス、中国が世界の4大文明と言われ、日本は文明を中国から教わった後進地域と言われていました。しかし、この歴史観を近年の考古学が覆しつつあります。
我が国の縄文時代の始まりは、今から一万六千五百年前とされています。これは青森県の大平山元一(おおだいやまもといち)遺跡で、わが国最古の土器が発掘されたことによります。この終期はおよそ三千年ほど前で、そこから弥生時代が始まります。従って、縄文時代はおよそ一万四千年という途方もなく永い時代です。このことはキリスト歴の始まりからまだ西暦で二千年と少ししかたっていないことを考えれば途方もなく永い期間であったことが分かります。
あなたはご存知でしょうか。縄文人による世界最古の科学発明品を。この最古の科学発明品は、当時から2万年を経た現在でも最新・最先端の材料として使われています。この世界最古の科学発明品は「宇宙船」に貼りめぐらされています。また、2020年にはロシアで4000℃に耐えるこの「最古の科学発明品」が発表され、話題になりました。
ではその、縄文人が発明した「世界最古の科学発明品」であり、最新の宇宙船にも使われるものとは、「土器」、またの名を「セラミックス」です。「土器」と聞くと、「大したことがない」と感じるかもしれませんが。実は「土器」は人類の運命を2つの意味で大きく変えた代物です。
まず1つ目の理由ですが、
実は土器はただの「土の器」ではありません。本来は水に溶けてしまう粘土を、水に浸けても溶けない、そして耐火性を備える器に化学変化させているのです。土器、陶磁器、ガラス、耐火レンズは総じて「セラミックス」と呼ばれますが、この「セラミックス」こそ、人類が科学で得た最初の道具、材料です。つまり、人類が科学を応用したものこそ土器だったのです。
また、「土器(セラミックス)」はもう1つの意味で人類の運命を大きく変えました。それは、土器が世界最古の科学発明であると同時に、「食の料理革命」でもあったからです。というのも、土器が発明されるまでの古代人は、生で食す以外の食べ方は、焼く程度のものだったからです。
しかし、土器が生まれたことで、この状況は一変しました。土器は硬い食物を柔らかくする
「煮る」という調理を可能にしたからです。その結果、さまざまな味付けもできるようになり、人類の可食範囲を飛躍的に拡大したのです。そして土器が生まれた結果、縄文人は現代の私達よりも豊富な種類の食生活を送っていました。
その証拠に、縄文遺跡からはなんと陸上動物60種類、魚類70種類、貝類300種類が出土しています。例えば、縄文人はイノシシ、シカ、クジラ、ウニ、牡蠣、アワビ、ゼンマイ、ワラビ、栗など、色々な食材を食べ、季節の旬に応じて自然から恵みを食していました。
もし土器(セラミックス)が誕生していなければ、このような食生活は実現できず、人類の運命は大きく変わっていたでしょう。ちなみに、日本人が四季折々の旬のものをいただく文化があるのも、日本料理に「煮っころがし」や「肉じゃが」といった「煮る料理」が多いのも、縄文の名残だと言われているそうです。
このような、世界最古の科学発明品である土器(セミラックス)を生み出した縄文文明ですが、
実はこのような事実は、縄文文明が世界中から注目される理由のほんの一例に過ぎません。
縄文文明が世界から注目される本当の理由は世界最長の1万年以上もこの文明が続いたからです。ではその、縄文文明がなぜ一万年以上続いたのか。この謎を解く鍵は、世界中の遺跡で見つかるのに縄文遺跡でだけ見つからないもののなかにありました。
この事実を知った時、世界四大文明とは全く異なる縄文文明の姿が浮かび上がり、日本人のルーツが見えてきます。
では、世界中の遺跡で見つかるのに縄文遺跡でだけ見つからないものとは一体何でしょうか。
それは「対人用の武器」です。つまり、1万年以上も続いた縄文文明において「大規模な戦争が起こらなかった」ということです。今は、西暦が始まってからまだ2000年と少しです。1万年というと、この5倍ほどの時間があったのです。にもかかわらず、その間戦争が起こらなかったのです。
世界史を見ると、江戸時代の250年の平和ですら、他に類を見ないほど珍しい時代です。その250年を遥かに超える1万年以上も戦争が起こらなかったのですから、もはや縄文文明は人類史の奇跡でしょう。
だから縄文文明は1万年以上も続いたのですが、縄文文明が他の文明と異なるのは、単に「戦争が起こらなかっただけ」だけではありません。
縄文文明以外の他の文明は、メソポタミア文明にせよ、エジプト文明にせよ、インダス文明にせよ、黄河文明にせよ自然を破壊しています。
例えば、今のメソポタミアやエジプトは、昔は森林地帯でした。特にメソポタミアはレバノン杉だらけでした。しかし今、私たちがメソポタミアに持つイメージはどうでしょうか。砂漠、あるいは荒地
という印象ではないでしょうか。それは縄文文明以外の文明が、自然を管理、支配し、破壊してきたからです。しかし、縄文文明は自然と共生し生きていました。
四季折々の旬の恵みをいただく食生活をしていたのも、その証拠の1つです。 要するに、他の文明と縄文文明の生き方は全く異なるのです。
すなわち、文明の持続可能性と言う点から言っても、縄文文明は、自然との和、共同体の和をベースにした持続可能な文明だったわけで、対して、黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、長江文明などの世界の古代文明は、畑作、牧畜による自然破壊で、持続不可能な文明だったということです。
しかし、この素晴らしい日本人のルーツを戦後はGHQに消され、今や忘れ去られようとしています。日本人を日本人たらしめていると言っても過言ではない、縄文文明を想い出しましょう。
MBTIなる性格診断ツールが流行りだして以来から、長らく疑問だったことが最近自分の中で肚落ちした気がするので述べていこうと思う。
というのも、なにか当たり前のように「MBTI何?」のような質問が飛んでくることが多くて、そのたびにMBTIの名前を借りただけの16診断を何をもってそこまで信頼しているのだろう、とか、なんで当たり前のようにやっている前提なんだ、とか、我ながらひねくれたような気持ちを抱いていたんだけど、そういう人々の一部が、どうしてそんなことを聞くのかが少しわかったような気がしたんだよな(もちろん、流行っているから話題の一つとして提供しているだけの人がいるということは理解したうえで、今後の話を聞いていただけるとありがたい。俺はENTPらしい)
それは、他人と自分との違いに対する理解がものすごくざっくりとしている人がおおい、ということ。これは別に俺が他人をすごく理解できるというわけではなく、むしろ俺はなぜそうなるんだ?と他人との不理解を繰り返して来た側なのだが、その根幹には「そりゃ自分とは違う遺伝子を持ってて違う環境で育っているのだから価値観も能力も違うよな」という、ものすごく当たり前の事実があったからで。
しかしどうやら、ここ最近この常識と思っていたところが常識ではないのではないかと思い始めた。親ガチャ、という単語が流行っていた時にも思っていたのだが、俺がその単語に対して抱いていた「親が違うのであればそこで生まれた子供は自分じゃないんだから、お前はその親のもとでしか生まれることができないのでは?」というような疑問を突き詰めて考えていってたどり着いた結論が、世間の「自分」の定義がものすごく緩いということだった。なんとなく生まれ変わりみたいな思想がもともとある日本だからこそ、「自我」や「魂」のような不変のものが、ただ今はこの器にいるだけ、のような認識をしている人が多いように感じた。つまり自分とは「魂」っていう思考になるんだよな。
そして、それは他者への無理解へとつながってるんじゃないだろうか?例えば、容姿に優れていない人は、容姿が優れている人なりの悩みを一蹴することがあるように。自分なら容姿が優れていたらそんなことで悩まないというような論は、ただお前がブスなうえ想像力がないだけだと思うが、「自分があの器に入っていれば」という理想論的なものがこの無理解的な感情論につながっているように思うんだよな。
つまるところ、本人が自覚的か否かにかかわらず、「俺か、俺以外か」という、ローランド的な分類で人を見ている人がこの世にはある一定数存在するのだと思う。他者がNPCのようなものに見えるのであればそりゃ無責任で無理解な発言も飛び出すよな(勉強できる奴が勉強めっちゃやっても結果出ないやつに対して努力不足に感じるのも自身からの視点しかないからであって)
で、こういう人種にとって、きっとMBTIってものすごい発明だったんじゃないだろうか。いままで自分か、それ以外かっていう二パターン、もっというなら自分と波長が合う人(理解できる人)と理解できない人がいる世界を、少なくとも16種類に分けて見せたんだから。この人はこういう種類の人なんだ、じゃあたしかに私とはこういうところが違うんだろうな、っていう他人に対する不理解を理解するための、大きな手助けになったんじゃないかと思う。だから最初に、この人はどの種類の人なんだろう、を聞こうとするんじゃないだろうか。その人の世界にいる人間は、ポケモンみたいに16種類のタイプ分けがされているのだから、確かに俺も新しいポケモンが出てきたら何タイプか、考えてしまうし。
ただそれが少し、危うくなっている人も時々見かける。そもそも言葉とか分類っていうのは、実態とは必ずずれる。実態はもっとふわふわした気体のようなもので、言葉とか分類とかはがっちりとした固体のようなものだ。あてはめようとすれば必ずはみ出るところがあって、だから俺たちはいろんな表現を尽くして、なるべく実態に近似するように人を評価していく。しかし、MBTIに記述された世界に生きている人にとっては、実態よりも分類が優先されているような気がする。本当は70億の人がいれば70億通りの違いがあるはずなのに。
ガキの頃は嫌いになればそいつのすべてが嫌いだったような単純的な評価しかできなかった俺も、ある程度年を重ねてそれが他人の一面でしかなく、たとえば仲間には情に厚いところがあり、それが翻って俺に対する攻撃性になっていたんだなとか、他人の顔色に敏感なこの人はこういう家庭環境が根幹になっているのだろうかとか、少しだけ世界の解像度が上がったように感じている。
偏見で申し訳ないんだけれど、たぶんMBTIを信じている人とかはこういう文章を読まなそうだから、別にそういう人たちに届いてほしいわけではないけれど、意外と色眼鏡を外してみたら、人は多様で面白いよ、という話をしたかった。最近、DeathNoteのリュークみたいになっている。リゼロの人の人生を追体験できる本、ああいうのすごく面白いよなあ。
あー嫌だ嫌だ
こういうネットワークプログラミングのこと何も理解してないのにデカい顔してる半可通
革新的な新方式ってなんだ?winnyの技術的特異性を書いてみろよ
純粋に技術が評価されれば、通信量の大幅削減を利用して、まだまだ貧弱だったインターネット回線で
みすみす日本はそれを捨てたという形になった。
核兵器って使ったら終わりなイメージが先行しすぎてて使われちゃった後長期的な対処をどうするかってあんまちゃんと研究されてなくないか
発生直後から数週間くらいまではシェルターを準備して食料を備蓄してとか、その後数か月は核の冬がきて飢餓がおきてみたいなことはまあ知られてるけど。
核の冬が来たらなにを育ててどう食っていくかとか、その後汚染を避けたり減らしたりしながら数十年数百年をどう過ごすかみたいなことってどっかでちゃんと研究されてんのかな?
「核なんかどうせ発明されちゃったんだからいつか絶対使われる。使われるなら最悪世界中汚染されるやろなあ」くらいの心持ちで研究しといたほうがいいと思うんだけど。
それが多分できてないんやろなあってのは原発事故の時にわかったというか、事故発生直後の避難計画さえテキトーだったよな。その後の除染とかも……
原発作る段階でも、もし核兵器使用後についてのそういった研究が進んでて、国民にも広く知られてれば「さすがに、ここに建てたらあかんやろ……」みたいな認識も広がりやすかったんじゃね?
まあ、原発がある以上今後原発事故は絶対発生するし、もし原発を全部撤去したところで核戦争は絶対発生するんだから発生したあとどうするかを考えないとなって思う。
と言っても
何か手の凝った研究家を気取るお味噌汁研究家を名乗るつもりなほど凝った作りのお味噌汁ではなく、
木綿豆腐が好きなので木綿豆腐をサイコロ状に切って作るやつよ。
そうだと
上部から切った箇所を身ってサイの目になったつもりでも
正方形の形に切ろうとすると
1回まな板の上に豆腐をのせて横から包丁の技を決める!ってやると
横着したらダメね!って思った反面、
これを豆腐のパックのまま入った状態ででも正方形なサイコロの形の切り方ができる包丁の使い方を編み出したら凄いかも!と思いつつ、
超簡単じゃない?
結構1日ぐらいじゃ腐らない傷まないってこと。
あんまりこれは私が経験した感じを話しているので手放しで真似してお腹壊したらしんないからね!って思うんだけど
1日置くぐらいでも平気みたい。
これが夏場の鍋だとすぐに昼間気温が高くなるから腐っちゃうのよね。
劇的に1日で腐っちゃう鍋。
たしかに鍋のベーナーの美味しいスープのルーシーにはまだ味付けがなされていないわけじゃない。
となるってーと
その味付けの仮に塩分として
簡単な私の推測がペキカンなお味噌汁の味に仕上がったと同時にピントきたの!
なるほどねー!って
だから夏場の料理のこう言うのはわりと敬遠していたんだけど作るのをね、
でも1日ぐらいなら2日に分けてだいたい食べ切りサイズのピッタリで作るジャストミートって
肉は入っていないけれど、
これを豚肉を入れたら豚汁にクラスチェンジできるくね?って思うの。
いろいろとまたお味噌汁の変形のアイデアはそれしか思い付かないけど、
鱈とか白身魚安いいいのがあったら、
お味噌汁作りが捗って
一石二鳥いやいや一石二碗ってところが憎いところね。
要はお味噌汁1回作ったら2回食べられるってことよ!
頭良いでしょ!?
具もなににするか考えるのも楽しいけれど
ただ野菜を切り刻むのが面倒だなって思うの。
そのついでにお野菜も切っちゃ言えばよくね?って
うふふ。
モヤシとキャベツのお味噌汁もちろんお豆腐も欠かせないそのお味噌汁ね。
作って置いておけるからまあ便利ね。
すぐに食べきらないといけないところもあるけれど、
ちょっとお腹の小腹が空いたときにお味噌汁食べて落ち着きなよ!って言ってみたいじゃない。
それそれ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!