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2024-05-14

anond:20240514134005

驚愕

サイコロコロコロ質的に同じなのに、ちょっと変数増やしてやればコロッと丸めまれる、疑似科学の上得意様を絵に描いたようじゃないか

「次は64分類や」がそもそもそういう揶揄だろ。

さもメタ的に俯瞰できてるような口ぶりで誰よりもどハマリしてる…

ちょっと謎の感動があるわ

カルト教団に潜入して「この人だけはまともそう」と思ったら一番ヤバかったみたいな、なんかそんなかんじw

この手の議論に嵌る人間の層の類似を感じ取ってそういう感想になるんだと思うんだけど、16タイプ診断をサイコロ降るのと変わらん血液型性格診断になぞらえて揶揄するのは流石に質的な違いを無視しすぎだろといつも思う

2024-05-13

anond:20240513233047

いや、元増田提示した話題

無党派層を糾合して与党形成できないか思考実験」だったか

その線に沿った話をしてるだけだよ。

お前は負けん気だけで眼の前の単語に食いついてるから

何の話してるのか俯瞰で見えてないんだよ

2024-05-12

anond:20240512180552

主人公感情移入しない派なので性別は気にならない。

マンガだけじゃなく小説でも、三人称的に登場人物の近くで俯瞰しながら成り行きを見守る幽霊になってる。てか感情移入派でも女主人公だったら読まないって人、それほど多くない気がするけど、どうなんだろ。

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

2024-05-10

ブルアカしらんけどアニメEDが控えめに言って神じゃね?

ゲームアニメ本編もまったく観てないけどノンクレED観ただけで大満足なんだが?

まず曲のイントロから刺さりまくるし。

波の描写とかエモすぎる。朝方の穏やかな砂浜の波のカスケードの付き方ってこうだし人間の影の付き方もこうなんだよなって再発見させてくれる。

内容は知らんけど波=ブルーで単に青春っぽい感じがするだけでなくて波と砂浜の境界に微かに不気味さがあってたぶん世界世界境界みたいな感じを暗喩してそうだし

砂浜に残る足跡の軌跡がアーカイブ的な何かを物語ってるんやろなって気がする。

その後のキャラ紹介みたいなシーンの連続カメラワーク気合い入ってていいけどそこに「交通」「階段」「季節」の各要素が重層的に配置されてるよな。

交通ルール=しがらみの暗喩かとおもったけど横断=境界を乗り越えるみたいな意味もありそう。

季節は時間の広がりだろうけど、そこに階段=成長と挫折暗喩みたいな。単なる時間経過の成長物語ではなさそうという感じを受ける。

自販機ジュース目線を入れてるのはゲームorゲームアニメ化だけだと単に俯瞰するだけだからそこに実験的に疑似的な双方向性を与えてみるみたいな試み感がして良い。

2024-05-09

anond:20240509104356

私の小綺麗の定義清潔感や実際の清潔さとはまた別で、街中で悪目立ちしないファッションメイクくらいの意味合い

あと清潔さが足りなくて臭う・太りまくっている・どこで買ったのかわからない服を着ている・ノーメイクチー牛は女オタクにもいる。

同じ女という安心感底上げしているだけで、女オタク服装とか喋り方とかが独特なオタク感がにじみ出ていて普通ではない。

自分はそうではないと個人が主張するのはいいけど、一般人から全体を俯瞰して見たらしてみたら男オタクも女オタクと大して変わらない妙な違和感があると思っている。

オタクって自分のいる界隈を過度に美化したり擁護するので、事実を言ったところですぐ「創作w」とか言われるだろうけど。

すぐ男よりマシとか女は綺麗だと言い出すのはなんか違うと思っている。

2024-05-07

上手く着地出来るように、人々が下でマットを敷いている

重りのついた飛行機で飛び立とうとすればレスキュー海辺で待機してくれている

背後には火の手があがり、どの道怪我は避けられない

そのような状況下で私は樹上で降りられなくなった猫のように震えている

夜が来て体力が尽きる前に、誰かの手を借りて日常に降り立たなければならない

それまでは他人俯瞰してしか見られない。

2024-04-29

さす九のリアル上京して「お前の地元おかしいよ」と言われるまで〜

「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。

じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。

もちろんこれは、単なる個人体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付け証拠を出せ!と言われても無理である増田から匿名だし。

ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。

小学校

テスト

すごく賢い男の子がいた。

私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気クラスにはあった。

ある時、別の賢い男の子が転校してきた。

そしてその男の子2人は点数を競うようになっていった。

まり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。

ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。

点数を聞かれて、私は自慢げな気持ちを抑えてテストを見せた。

男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。

まさか、女に負けるなんて」

何だか、全部バカバカしくなってしまった。

女の子が産まれたら

私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。

そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。

そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子から!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。

兄弟クズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。

これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。

・私の顔

私は、嫌になるほど祖母に似ていた。

外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。

そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。

私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。

「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」

「えっ?それって」

「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」

ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。

中学校高校

・寮

田舎小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。

から脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。

というわけで、若干遠い学校に通うことになった。

一時期、寮に入っていた。

その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。

下着も干している、プライベート場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」

私の主張は鼻で笑われた。

「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」

私は食い下がった。

「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしプライバシー尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」

男は心底驚いた顔をした。

「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」

周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。

管理人の異様さのせいか、みんな何も言えなかった。

親がおかしいとまで言われ、私は絶句し、泣いた。

どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。

翌年から私は寮を出た。

私も、周りの子も、親や教師相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。

お前達は子供からお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想

・その他

あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢かいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。

一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。

大学

このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分権利を主張するな、という空気しかなかった。

今も変わらない?そうかな……そうかも……

部活

部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。

理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。

今思うと頭おかしいが、当時はせっせと雑用をしていた。

もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。

引退する時、部長(男)が全員を集めてこう言った。

「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」

しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!?!?!(流石にキレる)

感謝気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?

最後感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?

葬式

母の父、私から見て祖父が亡くなった。

人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。

食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき台所で食べた。

「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。

唯一疑問を持ったのは、祖父の墓に参れなかったこである

お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。

ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。

最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。

ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。

お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。

完全に行くつもりで玄関に立っていた私に、母から

「やっぱり、お墓参りちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」

と言いにくそうに言われた。

「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????

と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。

何で「やっぱり、お墓参りちょっと」なのか。

兄弟たちは行けるのに、なぜ私はダメなのか。

そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。

・さつまおごじょ

大学は、九州各地から色んな人が来ていた。

そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。

そのうちの一つが、以下に書くような話だ。

「胸が大きいと、同級生先生からセクハラ行為を働かれる。

というか、胸の大小について、男性から公的場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的言葉をかけられる。」

これまで私が受けてきたセクハラは、「性的意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。

でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。

私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。

から余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。

普通じゃないことを知ったのは、上京してからのことだ。

大学

祖母ダブルパンチ

大学院に進んだ。

そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。

父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。

一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。

「女がそげん勉強して、どがんすっ」

翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である

小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。

戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。

荷物持ち

大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。

買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。

男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、

女の子なんだから

と言われた。

雷に打たれたような気持ちだった。

こいつは何を企んでいる?と思った。

どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。

頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。

女の子から、という理由作業免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。

感想

さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。

もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったもの日本の他の地とは違っているからだと思います

普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。

中学生くらいの時から欧米女性自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米女性そもそもお人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。

前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックス相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも1020年前の九州ではそう言われていた。

生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。

【おまけ】トランスジェンダーになりたい少女たちについて

上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代男の子になりたかった。

だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。

男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。

セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。

一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。

ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的気持ちで、男の子になりたかった。

あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。

私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。

けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。

今、私は、身体違和を感じていない。

まれながらの心の問題とは別に社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。

2024-04-28

anond:20160610183907

なるほど。

それならあなた自転車運転者なら同じように突っ込んでいくことをやってしまうでしょうね。

外で道路を通行してるときに、常に俯瞰したマップを頭の中にイメージしてたりはしない人ですよね?

そういう人なら仕方がないことです。

岡田索雲=漫画レベル100の洋介犬

タイトルで言いたいことが完結してしまったが分からない人用に補足すると、

岡田索雲は昨年話題になった「アンチマン」や今バズっている「ある人」の作者。

ネットの物議醸させマンたちが好む題材を見ぬく確かな目を持つ。

社会問題漫画で最もノイズとなる“作者の気配”を消すのが上手く、SNSでも自我を出さない。

また、スカジャパ作家が陥りがちな「悪役を悪辣に描き、それを正義役が冷笑論破する」という構成を使わないため、ヘイトが表面化しにくい。

おそらく事前に独自メソッドガチガチに固め、俯瞰を徹底し、意識的に防御力を上げている。

漫画が上手い。

洋介犬は「反逆コメンテーターエンドウさん」などの自称風刺漫画大量生産している、心がピュアネットユーザーに人気の漫画家。

十数年前は純ホラー作家だったが現在はスカジャパ漫画にも手を出し路線変更

エンドウさん」では、主人公に作者の主張らしきものをそのまま言わせるという、防御をかなぐり捨てた捨て身のタックルかます

旬の社会問題弱者を好んで扱うのは岡田索雲と同じである

本人曰く、自称風刺漫画賛否の表明ではなく、あくま問題提起であるらしい。

追記)正確な本人発言は以下。https://news.yahoo.co.jp/articles/068214a840e4a3544f77cc9511eb4c424570c45d

洋介犬が座りたかった席にはいま、岡田索雲が座っているのではないか

岡田索雲は洋介犬のやりたかたことを完璧な形で仕上げているのではないか

2024-04-26

もう駄目かもしれない

連休前と先駆けてパチンコに行き、結果-50k負けてきた。

こんな馬鹿な俺を笑ってほしい。

30半ばにもなって彼女も居らず、毎日9時から17時の工場勤務。一日誰とも口を利かずに終わる日なんてざらにある。

元々趣味なく、これまで何かに熱中するようなことがない人生だった。今ではパチンコが唯一の趣味と呼べるのかもしれない。

かといって大勝ちしたところで使い道はなく、ソープ行って居酒屋で一杯するのが関の山だ。

今年に入ってから一度、驚くほど勝てた日があった。

その日もソープに行った。土曜の夕方。馴染みの店だった。指名したのは一番若い子。初指名だった。

くつろぐようにと案内された黒革のソファで待ち、並びには50近くに見えるスーツ姿の男と、大学生ぐらいのカジュアルな格好をした青年が居た。

ようやく俺の名前が呼ばれると立ち上がり、迎えに来た嬢が一瞬眉をしかめる。俺はそれを見逃さなかった。

こちらへどうそ、と嬢はにこやかに俺を案内する。俺の一歩前を歩き、手は握りらない。踵は少し擦り減っていて、俺の靴と同じように。

靴を脱いで部屋に入ると嬢は俺に抱き着いて来る。キスをすると、洗い場に向かい、体を洗うために衣服を脱ぐ。

俺を担当する嬢にはいつも刺青がある。それは顔に彫り込まれ、”笑顔”という刺青を俺は絶えず目に入れる。

嬢は俺を座らせ、身体を洗いながら「どんなお仕事をしているんですか?」と聞いてくる。

俺は適当に嘘をつき、嬢はそうなんですね~と頷く。

ここの女は大抵の男を馬鹿だと思っており、俺も大抵の女を馬鹿だと思っているので、ちょうど釣り合いがつく。

俺たちの会話に齟齬はなく、スムーズで、旧知の仲のようだ。

からときどき俺は自分というものを見失いそうになる。挿入し、快楽に浸るその瞬間でさえ俺は自分のことを俯瞰するように考え、すべてが馬鹿らしく思えることがあった。まるで彼女刺青が俺の肌にまで浸透してきたかのように。

年齢のせいかもしれない。

去年のGW,俺は帰省した。久々の帰省だった。

地元の駅に着いたのは昼頃で、家までそれほど遠くないので歩くことにした。

遠くない、といっても徒歩で1時間ほどは掛かり、それでも町の様子が変わっていないかかめて歩くのも悪くないなと思えたのだ。

道すがら、偶然高校の時の同級生に出くわした。

彼は(Aとしよう)記憶のままの顔をしており、今も裸眼で、当時の面影を深く残していた。

Aは俺だとすぐに気づいたようで、声をかけてきたのは向こうからだった。最初、親し気に近況等を話しながらも何処かそわそわした様子を見せ、一段落つくと口を閉じた。一間を開け、勢いをつけて口を開けると本題と言わんばかりに「そういえばさ~」とAはにやけながら言った。

お前の姉ちゃん、今、風俗で働いてるだろ?

え?と口に出した。そんなことは知らない。

俺に構わずAは片手の指で輪を作ると、もう一方の手の指をその輪に通し、それを繰り返して見せた。

俺はこの歳になって、性善説存在しないことを再認識した。

その様子をAの隣で観ていた青年が戒め、すみませんと俺に言った。彼は眼鏡をかけた青年で、面識はなく、そのことに気付いたのか「Aの弟です」と彼はそのあとすぐ自己紹介をした。

失礼なことをしてすみません。そう言いながら弟は含み笑いを持たせ、軽く頭を下げ、それから俺たちは別れた。

実家の前に着くと俺は家に入るのを躊躇った。その場で行ったり来たりを繰り返していると家から姉が出ていて「何してんの?」と言われた。

数年ぶりの再会だったがの姉の印象は記憶通りで、40前にしては若々しく見えた。

俺は姉の目を見れなかった。どうかした?と聞かれ、最初は答える気にはなれなかったが根負けして「Aに会った」とだけ伝えた。

姉は「ああ…」とだけ言い、それから二人とも黙り込んだ。実家の前の道路で、しばらく二人で立ち尽くしていた。

ここに居ても仕方がないから、と姉は家に入るようにと促してくる。

渋々俺は姉の後に続いて家の中に入ると両親は縮こまったように見え、リビングは昔よりも広々と見えた。がらんとしていて、実際に物もなくなっている。

自分の部屋に行ってみると家を出た時のままで、時代に取り残されたように変わっていなかった。

このうち、壊すから。いつの間にか姉が戸口に立っていて、俺にそう言った。動揺の同様の色を見取ったのか、建て替えるってことだからと姉は言う。

から、この部屋の物もどうするのかちゃんと決めといて。どうでもいい。と俺は言った。

場所がないように思えて俺は散歩に出かけた。行く当てはない。ぶらぶら歩いていると一軒のパチンコ屋が目に入った。ずいぶんと昔からある店舗だった。

まだあるのかと感慨深くなり、中に入ると安堵感がどっしり現れた。俺は日が暮れるまで打った。最終的には-1kで終わり、少し歩くと明かりが見えた。

それはブックオフだった。学生の時と比べると俺は本をまったく読まなくなっていた。漫画すら読まず、気になる漫画があればYouTubeで調べ、そこで得られる情報だけで十分に満足していた。

から本を売っている場所を訪れること自体が本当に久々なことだった。どうして入ったのか?なんとなくだったと思う。

店内を歩いていると一冊の本が目に入った。

それはエミリーディキンスンの『続自然と愛と孤独と』という本だった。

俺はエミリーディキンスンなんて全く知らないし、手に取るまでこれが詩集であることさえ知らなかった。

それでも気付くと俺はこの本を持ってレジへと向かっていた。まるで俺に残された唯一の良心がそうさせたように。

定価1100円と書かれている本を俺は1000円で買い、それから暗くなった夜道を歩いて帰った。

リビングに入ると両親の姿はなく、テーブルの上には料理けが置かれている。ちょうど姉がお風呂から出てきたようで頭にタオルをかけて歩いてきた。

おかえり。どこ行っていたの?と聞かれたので俺はブックオフと答えた。

ブックオフ?珍しい。と姉は言った。

テーブル一角にあぐらをかくように座り、頭のタオルを撫でるようにして髪を拭いた。

その光景中学の時の姉に見えて俺は一瞬泣きそうになる。

とうさんとかあさんはもう寝たから。ごはん、まだでしょ?と姉がいい、俺は頷いた。

じゃあ一緒に食べよっか、と姉がいい、俺は頷いた。

食事が終わり、自分の部屋に入り、自分のベッドで久々に横になると俺は買ってきた本を袋から取り出した。

仰向けに寝そべり、適当にページを開いた。111ページ。そこにはこう書いてあった。

私はあなたと暮らせない

これが人の世というもの

そして「人生」はあちら側の

俺は本文を読むのも忘れて、あの嬢のことを思い出していた。俺は酔っていたのだ。

嬢の笑みが脳裏に浮かび、その顔が一瞬、姉になった。

俺は本を閉じ、横に置くと、深く深呼吸をした。目を閉じ、祈りたかった。

しかし誰かを救うために祈るには、俺はもう歳を取り過ぎていたのかもしれない。

おそらく今年のGWは帰らないだろう。

俺はもう駄目かもしれない。

[] ITエンジニアの優秀とは

⚫︎1. エンジニア関係なく仕事全般のこと

⚫︎2. 技術的なこと


コミュニケーション力とか地頭とかふんわりしたこと言われるけど、もう少し具体的に言語化したらこんな感じになるんだと思う。


エンジニアとしての身内から評価が高いのはデバッグ能力とか設計能力とかだけど、結局マネジメントから評価だったり社会人としての評価年収関係あるのは前半に書いてあるような技術とは直接関係ない能力だったりする。

2024-04-25

anond:20240425100232

お前はオタクコンテンツキモオタとしてエンジョイすることはできなくなったが俯瞰で見ることができるようになった

作る側に回ると更に楽しめる段階がきたということだ

その手前の批評でもいい

キモオタにはできない楽しみ方への道が開けたのである

2024-04-18

久々に香ばしい人を見つけてしまったな。昔の若い頃の自分そっくりなのに、あの人が二十年経っても、手に入らないものを沢山私は持ってる。

何が違ったのかなって、やっぱり需要供給リスクがわかってたからだ。対等な関係に持ち込むために、怒りをコントロールして、相手を見定める。相手の試し行動は、謙虚とぼける。本音と建前がどの歩合で力があるか、俯瞰でつかむ。それができたから、環境を手に入れた。

こう捉えてたら、どんな相手にも拒絶されるよ。自分には需要があるに決まってる。最初から供給してあげられるのはわかってる。自分には建前はくだらないんで。

ぜーんぶ自己愛なんだもん。誰もつてけないし、相手自己を守るためなら、どんどんキツく当たるの、当たり前じゃん。

asd傾向の人が、どのタイミング人間関係破壊してくのが、わかりやすかった。

最初からとにかく目標が高くて、自己評価が高い→目標が高いだけなのを全員に見破られる→本音で筋を通してるつもりになる、建前で尊重してくれる人には依存する→自分本音で接するから相手本音で怒りをぶつけてくる、建前の人の優しさの中途半端さには気付けない→言葉揚げ足取りして断罪していく→好き嫌い二極化精神的苦痛身体苦痛になっていく→逃避して目標放棄他責自己評価は高いまま

このループは、生き地獄…。

留学終了を目前にして思うこと

2023年5月から2024年4月末までカナダ交換留学生として現地の大学に在籍してるんだけど帰国を目前に控えて思ったことをツラツラと書こうかな。

①1年だけじゃ英語力は爆発的に伸びない

授業内でのプレゼン、討論とか日常会話も慣れて出来るようになった。けど、英語自体出国前のレベルに毛が生えた程度で、めっちゃスラスラ話せるかっていうとそういう訳じゃなくて文法ミスるし、語彙力全然発音まだまだ、聞き取れないこともあるしって感じ。ただ俯瞰して考えたら母語でさえ義務教育フルで使って学んだんだから1年じゃ無理ぽよって感じ。

政治への興味が湧いた

小さい成長ではあるんだけど、元々国内外わず政治への関心薄かった自分留学して色んな国の人と出会って、政治への関心が爆上げした。例えば、戦争の影響でウクライナから難民として来てる人とか、中国政府の影響で中国本土香港台湾から来てる人とかここに来たくなくても来ざるを得なかった人とかに出会って視野広がった気がする。まあ日本では聞けないような体験聞いて、いか日本平和場所が改めて実感。

③郷に入れば郷に従ってしま

電車バスの中で通話してる人がめちゃくちゃいて声量デカいしすごいなとか思ってたけど、気づいたら自分電車バスに乗りながら電話するようになってた。

あと、基本的に知らない人同士が挨拶したり会話したりすることが普通他人との距離感めちゃくちゃ近い。

食に関しても、日本レストランに行って最初違和感だった味も、今やもうそれが当たり前になってるし、お寿司も生魚じゃなくてカリフォルニアロールにハマってる。

④犬が多い

大型犬がめちゃくちゃ多い。土地が広いせいか郊外に行けば行くほど大型犬がめちゃくちゃいる。愛犬家が多いのか、番犬用に飼っているのかよく分からないけど犬はめちゃくちゃ多い。日本あんま見ない種類とかデカ犬ばっかで目の保養。

ホームステイの当たり外れ

同じ大学から交換留学行く人が何人かいて、寮に入る人もいればホームステイする人も私含めて何人かいた。でも中には言われていた条件と違って他に留学生が何人もいたり、ご飯毎日冷凍食品っていう家もあったりで、当たり外れがやっぱりある。明らかにビジネスとかお金目的家族は扱い雑で、最低限の寝食を保証する感じ。私の身近で当たりだなって人は家(多分別荘?)をまるごと与えられて全て自由に使えるらしい。リッチすぎ。

日本めちゃくちゃ良い

賃金の違いもあるんだけど、それでもカナダに比べたら日本物価も安くて、家賃も遥かに安い、そしてほとんどの地域安全で綺麗。

⑦夢ができた

英語を学ぶために留学したけど、やっぱり英語を使って何かを学ぶっていう経験が楽しくて、色んな人生の背景がある人達にも出会って、まだ抽象的だけど将来の夢が出来たよ。

まとめ

思ったこととりあえず書いたけど、振り返ったらほんとに1年間あっという間で、自分怪我病気もなく、良いホストファミリーと1年間過ごせて楽しい留学生活だった。日本家族友達ご飯も恋しいけど、いざ帰国直前になるとカナダにまだ残っていたくなる。

2024-04-15

anond:20240415090038

まっすーがそんな俯瞰で全体を把握できてるのはおかしいんやで

嘘松はもうちょっとデテールに拘った方がええやで

2024-04-14

暖かくなって、散歩で晴れ渡る青空を見ていたら、

絵師が素晴らしいのは、絵というものがこの青空のように、見てすぐにその素晴らしさがわかるからで、私は絵じゃなくて文章しか書けないけれど、その文章の素晴らしさが絵と同じくらいのスピードでわかってもらえる文章を書きたいなと思いました。

例えば、100ページある文章でも一瞬で俯瞰して「素晴らしい!」と言ってもらえる文章が書きたい。そう思いました。

2024-04-12

anond:20240412141418

はてブでも他の場所でも少年ジャンプばっかり読んでる大人が多いんだからそこにあれば読むのは全然普通だと思う

子どもにはある程度の「向け」があるけど、大人は横断的にかつ俯瞰して読めるしここまで漫画文化が浸透してる社会的にもそんな変でもないような?

レディコミ(テーマ特集みたいのがあるやつ)とかはむしろ漫画文化にどっぷりじゃない人が読むイメージ

週刊女性とかゴシップ誌、あるいはワイドショーの延長

上の方のトラバで出てるフィーヤンとかプリンセスGOLD漫画オタクが読んでるよな、自分も読んでる

自分は親がBE LOVE読んでたから読ませてもらってたけどあのときとだいぶ中身が変わった感じする

今は年齢層が下がって普通少女漫画誌みたいだね、たぶん「ちはやふる」あたりから色々変わったのかな

2024-04-11

国語増田」とは

国語増田」とは、特定文体言葉の使い方を指摘することを目的とした増田匿名投稿)の一つです。この増田は、中の人と思われるアカウントが、他の増田文体変化を捉えているかどうかをテストするために作成されました1。

国語自体は、日本生活する人々がこれから社会必要とする、また、生きていく意欲を支える言葉の力を表します。日本社会予測不可能な変化を遂げており、国語力は表現力、読解力、想像力俯瞰力、探求力などの要素が融合した力とされています23. この力は、漢字慣用句知識、さまざまな情緒に関する表現理解したり使ったりする力、論理的思考力、読解力、設問に適切に答える解答力などを含みます4.

国語増田」は、その文体表現に焦点を当て、中の人がどれだけ正確に捉えているかを試す興味深い試みと言えるでしょう。1

anond:20240410225514

本なんてその程度の扱いでいいものだし、本に限らずあらゆる産業商品サービスはそのように扱われて然るべき。

それが商業というもので、そうした方がビジネスパイが広がり、商材も洗練されていくから

抜きん出たものさらに目立たせることで、より多くの人に認知され、共有され、その分野の裾野が広がる。言い換えればバズらせることができる。

それくらいのことをしないと、世の中にはあらゆる商業分野や消費的娯楽があふれているわけだから認知してさえもらえない。

例えば今ゲーム業界では、市場規模を成すセールスの8割はサービス運営のものから来るようになった。

それはなぜかというと、運営ゲームの多くは基本無料形態をとっており、「手に取る」ハードルが限りなく低くなったからだ。

それくらい、みんなが知っている、みんながやっている状況を作ることは大事だ。

ハードルが下がることで、消費者にとっても、常に手軽に「相見積もり」ができるような状況になっており、都合がよい。

どんなに優れた作品も、触れてもらえなければ意味がない。

から無料で触れてもらって、良し悪しはその後で判断してもらうという態度こそ、消費者センスや知性を信用する誠実な売り方だ。

音楽映像などの分野もサブスクの隆盛によって、「見てもらう」のにかかる費用にわかに低廉化している。

そうした音楽映像コンテンツを導入口にして、イベント等のファン商売へと誘導することで利益をあげている。

翻って、書籍分野の売り方を見てみると、電書という選択肢が増えたくらいで、ビジネスモデルは変化していない。

売れている本をより売るために目立たせるくらいでは、正直言って生ぬるすぎる。

手に取るハードルを低くできない以上、「絶対に外さない」ように一極集中させるのは理にかなっているだろう。

本当に書籍文化未来を願うなら、考えることは真逆であるべきだ。

「隠れた良書」とされがちな性質を帯びた作品というのは、もともとその分野にどっぷり浸かっている人が、商業的なアシストがなくとも自分で探し出していける。

逆にそういう発掘の楽しみが残っていた方が、商業に食い荒らされない方が、良いとさえ言えるだろう。

ゲーム業界で言い換えるなら、SteamインディーPC・PS5などの買い切りの大作タイトルにはもっと優れた作品がある、それは事実だが、それを声高に叫んだとしても、そういう古い「あり方」が主流に返り咲くことはないのだ。

しろ現実には、基本無料ゲーム開発のために資金人材が集まりビジネス面では主戦場と化しているのがここ十数年の流れだ。

コアで偏狭ゲームファンはそれを直視できずにいて、運営ゲームガチャシステムなどを古い認識のまま嫌い続ける。

もちろん中身を重視するなんたらアワードのような世界では、AAAタイトルマニア評価され続けるだろう。

だがAAAタイトルを触れるのはゲーム消費者全体を俯瞰してみると、本当にマニアだけになっている。それは悪いことではない。

ゲームという「あり方」が柔軟に広がって裾野を広げた結果、おじいちゃんでもポケGOを楽しんでいたりする世界を一概にダメとは言えないだろう。

それと同じように考えれば、商業主義を嫌い、「隠れた良書」のようなものアピールすることがいかにズレているか分かるだろう。

伸びているものさらに伸ばして多くの人を巻き込み、素晴らしい方向へ成長させる圧力生産者側へかけていくことが、誰も想像できないような膨らみ方をした未来文化を作るわけだ。

モバイルゲームでは、開発費が高騰して、競争が激しいのに失敗リスクが大きくなっていることから技術力や繊細な運営センスがない会社は早々に撤退余儀なくされ、淘汰が激しくなっている。

この中を生き残って成功していく会社は、従来のゲーマー評価するAAAタイトル部分的に超えた品質のものを作れる能力を持ちつつある。こうやって想像を超えた進歩をしていく世界面白いだろう。

本で例えるなら、なろう系ラノベをくだらないと言って一掃しようとするのではなく、なろう系をさらに洗練・発展させて世代を超えたジャンルへと育てていこう、あるいはそういうものが見たい、という考え方をすべきだ。

2024-04-05

上手く着地出来るように、人々が下でマットを敷いている

重りのついた飛行機で飛び立とうとすればレスキュー海辺で待機してくれている

背後には火の手があがり、どの道怪我は避けられない

そのような状況下で私は樹上で降りられなくなった猫のように震えている

夜が来て体力が尽きる前に、誰かの手を借りて日常に降り立たなければならない

それまでは他人俯瞰してしか見られない。

2024-03-30

anond:20240330182847

アンフェはフリーレンのように圧倒的な高みから俯瞰するのが好きだから

ダンジョン飯は、弱者男性に近い立場キャラが多いから、現実を思い出してしまっていやなんでしょ。

2024-03-29

妊娠して鬱になりつつある

突然遺伝子乗り物である自覚が湧いてきてもう用済みだと言われた様な感覚に陥ってしまった。

これから人生自分本位に生きる事はせず新世代の舞台装置と化す事に恐怖心が日に日に湧いてきて出産が怖い。

幽体離脱して仮死状態自分俯瞰で見ている様な気分。ホルモンバランスのせいかもしれないけどいつまで続くのか。

2024-03-26

anond:20240326213534

"育ちの違いを実感させられて凹むというか"

から

"自分人生に行き詰まったらこいつら道連れにしてやろうと心底思った

せめて誰か一人にでも、理不尽さを味合わせてやりたい"

までの飛躍がでかくないか

私も同じような立場と考え方になってはいから

”育ちの違いを実感させられて凹むというか

言葉の端々に恵まれ環境で生きてきたんだなという生い立ちが連想されて”

という感情それ自体ブコメで書かれてるような動機や恨みそのものになるのは理解できるし

今私はディベートを行える環境にいる増田より多分もっと無敵の人の側に近い状況の人間だけど

結局のところどんなに妬み嫉み疎外感をたぎらせても殺人自分自分精神にとっての損だと思うからやめとこうって思う

一個前のトラバの人が書いてるけど、

自分殺人を犯すわけないと考える人より自分はするかも、と思える人の方が考えようによってはきちんと俯瞰して踏みとどまれると思うんだよね

増田自分はそういう他よりは少なくとも視野がある人間だと考えて溜飲を下げる方がいい気がする

それで幸せになれるともそういう人たちと同じになれるとも言えないけど

そういう感情や考えを持っていてもそれを決して自分は行わないのだってことを自分の芯にできるんじゃないかなあ

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