っていう論理がいまいちよくわからない。どこの国籍になろうが本人の勝手では?
たとえ二重国籍であっても、すごい人が日本国籍を持ってると何かうれしいんだろうか。
逆に、その人が日本出身である、ということだけでは喜べないのだろうか。
なぜ国籍を変えたのか、というと「日本で研究活動をする環境が(米国よりも)よくなかったから」じゃないんだろうか。
国籍を変えた方が都合がいいから、変えたんだろう。
もし、南部氏が帰化した当時から二重国籍が認められていて、日本の国籍を持ってノーベル賞を受賞したとしても、日本が彼の研究活動に与えた貢献は変わらないし。
単純に考えたら、
となるんじゃ? 日本国籍の日本人にノーベル賞級の研究をさせたいなら、だけど。
他国の国籍を取っても日本国籍を失わないことが、研究環境に大きく資するのかな?
日本人「ノーベル賞受賞おめでとうございます。日本国民として鼻が高いです」
受賞者「(あんたらが何をしてくれたってんだよ……)ありがとうございます」