2008-11-12

じぐざぐディグダグ

近いうちに人と談笑するかもしれない。しないかもしれない。

基本的に家族以外と話さない生活をしている。もし談笑するとしたらそれは約一年ぶりになる。

普段は無理に他人と話さなくてもよい現状がとても幸せだと思っているけど、それはそれとして人と話す催しを楽しみに感じるし、話せるなら嬉しい。

ただ、その催しを開くかどうかの意思決定に、自分は関われない。厳密に言うと、第三者から見た場合にはこちらが決定したように見えるように振舞わなければならない可能性もあるから関わってはいるけれども、相手側の都合や気分に干渉できるような力は持っていない。

談笑できるなら最上の喜びを以て歓迎するけど、棚の上のぼたもちを見つめ続けてもやきもきするだけなので、あまり期待はせずに過ごしている。

今までその手の催しがある度、そういうニュートラルな心持ちを心がけていて、そして毎度うまいこと功を奏していたんだけど、先日うっかりネット上でその一部を漏らしてしまって、大失敗した気配が濃厚になっている。

漏らしてしまったのは、「あまり期待はせずに過ごしている」の部分。さらに関係者の人にこの言を拡大解釈されて、こちらは「来ようが来まいがこちらの心情としては大差ない」と思っている、ということにされてしまった感がある。誤解を解こうにも、その誤解と同時に送られてきたメッセージには、「以降しばらく返信を控えていただけると助かります」という旨もあったので、誤解ですというメッセージを送るのもためらわれる状態。

ためらう理由はそれだけじゃない。もしこちら側が心待ちにしていると明言すれば、人のいい相手側に圧力をかけてしまうことになる。干渉できるような力を持っていないというより、干渉しても許されるような立場ではない。

現在ネット越しに見る限りでは、あちこち引っ張りだこでスケジュールがぎちぎちらしい。だから余計に気を使わせたくない。

そもそも相手側には大したメリットもない催しなので、催されない方がむしろ自然だったりする。積極的に自然の流れに逆らうのは、何だか忍びない。というかみっともない。

関係者の人が相手側に前述の誤解を吹き込む可能性は実のとこそんなに高くもないと思うから、現状維持でウキウキさらりと、あくまで待たずに過ごそうと思ってる。もし吹き込まれたらおそらく相手側は「僕の影響力ってそんなもんだったんだ…」って相当がっかりして、ご縁自体切れそうだけど、トータルで考えるとその方が良いのかもしれない。年にいっぺん程度しか他人と談笑しないような人間との縁なぞあったところでめんどいだけだろうしなあ。枯れ木も山の賑わい、数としてカウントされて、その人の人脈アピールに貢献できればいいやと昔は思ってたんだけど、今はもう数に関しては十分足りてるみたいだし。

でも話せたら嬉しい。増田に穴掘って王様の耳は話せたら嬉しいってシャウトしてそのまま寝る。

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