はてなキーワード: 自己評価とは
うちは自己評価込みで給料やボーナスの査定があるので、どうしても外部に出さなきゃなのです。
どうせ調整されるんだから高い評価つけたれ!っていう人もいるんだけど、自分はそうはできなくて。
勘違いしてる。
その場合は「大人として、その場で求められている答え」を言う。本音を言う必要は無い。
元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20090525154830
でも決して50点以下の評価は絶対につけないように、って考えてます。点の低さに甘え(?)てしまう気がするから
そうなんだよね、周りに迎合しているというか、出る杭で打たれたくないというか、逃げてる感じがする。
うまくいえないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090525155322
他人に言わなければいいだけ。
うーん、でも、学生のころもそうなんだけど、社会人になっても、評価ってどこかでついてまわるもので。
うちは自己評価込みで給料やボーナスの査定があるので、どうしても外部に出さなきゃなのです。
どうせ調整されるんだから高い評価つけたれ!っていう人もいるんだけど、自分はそうはできなくて。
http://anond.hatelabo.jp/20090525155701
「自分の中の」自己評価を上げる意味で目標を下げるのは本末転倒だと思う。
その場その場で要求される水準を満たす目標をいかに立てられるかがポイントになるのかな。
(1年保証のためにパーツを1年半使えるようにするのはありだけど、10年持つようにするのはtoo muchだよね)
卑屈なのは周りに影響を及ぼすからね。
自分のやる気も減退するし。
自己肯定に困ることは無い。なぜなら、自己評価に使うモノサシと、他者から見た自分の評価を推測するときに使うモノサシは別だから。
そりゃあ、世間一般的な他者から見たら80~90点くらいは行ってるよ。実際。
自己評価を上げるためにわざわざ目標を下げるなんて馬鹿か?って思うけどな。
「どうせ俺なんて」みたいに卑屈になるのは問題外だが。
周りはだいたい高い評価出してくるから、聞き流してるよ、俺は。
自己評価って難しいよね。
でも決して50点以下の評価は絶対につけないように、って考えてます。点の低さに甘え(?)てしまう気がするから
今の自分を採点してみろって言われたら、76点くらい。
もっと遠慮なく高得点をつけられるような自分になりたい。
いや、これだと正確じゃないな。自分は自分を高く評価するのが苦手だ。
自分なりにものすごくよくやった、とてつもなくいい結果を残せたものでも、
もっとできる人と比べてしまうので、100点がつけられない。
めいっぱいやってもせいぜい80点くらいが上限か。
あとから先生や上司に「もっと上げてもいいでしょう」と言われてから上げる。
低いほうは簡単につけられる。30点とか20点とか。
でも上の人に言わせたら「もっと上だよー」。で、修正する。
これは単純に、
・上の人に「もっと点数を上げろ」と言わせたい
・目標(基準)が高すぎる
のだと思っていたのだが、実際に他の人の点数をつけさせると甘いほうなので、そうでもないらしい。
自分だけがマイナスの下駄を履かされている感じになってしまう。
それでも、最近は、数値で出てくるものはそこそこに評価できるようになってきたのだが、
相対的に評価するものはどうしてもだめだ。
これってよく言えば謙遜だけど、悪く言えば嫌味だよなぁ。
そして救いようがないと思うのが、自分が四捨五入したらもう○十代だということで。
こりゃ一生治らないのかな……
元増田です。周囲からの評価と自己評価についてそれぞれ追加します。
毎日のように漫画・アニメ・ドラマ・ゲーム といった架空の人物・世界に感情移入して育ち、
『勉強だけが人生ではない』 『勉強だけ出来ても駄目だ』 『ガリ勉は社会で通用しない』
などとゆとり教育の甘い言葉に流されて勉学に対する努力を怠り、
その一方、ネット上では大企業・国家の方針を連日批判して悦に浸り、
ゲームやドラマで育んだ “特別でありたい” という願望を満足させ続ける毎日。
そうやって過ごしてきた人間が、就職活動という『現実』 を突きつけられてパニクる。
毎日大企業や国家の方針に提言してきたこの俺が上場もしていない企業に…
──ここで、この“現実と理想のギャップ” を受け入れることの出来なかった人間が、ニートと化す。
これは高学歴でも低学歴でも同様。持つ理想、置かれた境遇が違いはするが、
自己評価・現実に対する認識が甘過ぎた人間である事に変わりはない。
そんな彼らは口をそろえてこう言う。
『社会が悪い。政治が悪い。俺達が働 “け” ないのは俺達のせいではない』
元増田です。どこにぶら下げるか迷いましたがこちらに。
返信有り難うございます。いろいろ参考になりました。
自己評価が低いのは所謂技術のプロフェッショナルな現場で揉まれたことが無いからじゃないかと自分では考えています。
年齢的にもそう若いとは言ってられないですし、新卒の方達に比べて4年分のスキルとキャリアを積むことができたのか自問自答しています。
前に受けた会社でも年齢分給料を多く渡す訳だけどその価値はあるかとハッキリ聞かれましたし(結局その会社は落ちましたが)。
http://anond.hatelabo.jp/20090514001322
文章を読んで、仕事内容とやりたい事にギャップがあるように感じました。
まさにその通りで痛い部分でもあります。
さらに言えば今まで積んできたキャリアが目標とは違う方向に積み上がっている気がします。
それはそれで面白い人生かもしれませんが、踏ん切りをつけるには派遣社員という働き方はリスクが大きいのではないかと思った次第です。
http://anond.hatelabo.jp/20090513231138
まぁやらない理由とかできない理由は、考え始めたら止まらないぞー。
そうなんですよね。でももしこれが正社員に繋がる仕事であればがむしゃらにでもやるつもりですが。。。
そもそも正社員のメリットがどこまであるのかも最近は怪しいものなので、気にせずに飛び込んだ方がいいとも思ったり。
はてサの主力メンバーのタグ一覧を浚って、うまくネタにまとめようと思ったんだけど、
こんだけ悪意によどんだネガタグの一覧を前にすると、正直ふつうの神経なら参っちゃうみたい。
3,000くらいから1/10までしぼりこんだところで心が折れますた。
なるほど。俺も今まで閉じていたな。借りを作りたくないとか思って、奢られるとそれを贈与みなしてそれが重荷になる。ラッキーとは感じられなかったな。
でも、気前よく後輩に奢っちゃうような人の心の報酬って何だろう。気前よく奢っている俺ってでっかくていい先輩だなっていう自己評価かな。
みなさん鞭よりの方が多いようですし、飴を置いていきますね。結構な鬱のようなので。
>俺はそこでうまくみんなをまとめることができなかったのだ。
人を動かす仕事は難しいです。初めての仕事を華麗にこなせる人は1%の「有能な人」です。
だから、99%の「普通の人」には出来ません。そんなに気に病まなくていいと思います。
それは大変でしたね、元増田さん。課程は見えにくいので、離れている人に評価してもらえないのは仕方ないです。ただ、せめて近くで元増田さんを見てた人には、労ってあげて欲しかったかな・・・。
ところで、心底喜んで自分をボロボロになるまで犠牲に出来るのは、1%の「本能の壊れた人」です。99%の「普通の人」は出来ないorやりたくないです。苦しいもの。元増田さん、自分の感情に蓋をしていませんか?楽したい、というのは世間的に綺麗な感情じゃないから。でも、自分の感情に一生蓋をし続けられるほどの「理性の人」はこれまた1%です。つらいときに「つらいなあ」と感じるのが普通の99%の人です。
>俺の言動の失敗で辛い思いをさせてしまっていた罪悪感もあってどうすることもできず、自分を責めた。毎日泣いていた。
目の前の相手を助けられないのは、見殺しにしているようで、こっちまでつらくなるものです。
ですが、「自分」以外の「他人」を助けるのはとても難しいです。とても難しいです。(大事なことなのでry
これは、最初は元増田さんを助けようとして、結局助けられずに離れていった友人たちの数を考えればわかると思います。
彼らは、元増田さんのことをどうでもいいと思ってたわけではなく、どうすればいいのかわからなくて、気まずかっただけではないでしょうか。(いやまあ、友人関係では話が合うかとか、馬が合うかとかもあるでしょうけど。)
こっちもできるのは1%の「有能な人」です。だから、99%の「普通の人」には出来ません。助けられたのに、助けなかったとしたら見殺しですけど、そうでないのなら、自分を責める必要はないと思います。
>俺みたいなメンヘラ面倒だもんな、迷惑だもんな。
そうですね、あまりぐだぐだされると99%の「普通の人」は面倒と感じるでしょう。仕方ないです。自分を無制限に犠牲に出来るのは、1%の「本能の壊れた人」です。
ですが、「普通の人」だとしても(上と同じ事を重ねますけど、)完全放置にはしたくない、このまま見殺しにはしたくないから、友人たちはあなたに声をかけていたのでは?
そしてここの増田さんたちも同様です。(鞭が多いけど。)
ついでに、私もそうです。このままほっときたくは、なかったです。私の言葉で、元増田さんの心を少しでも揺らせたらと思って、こうやって文章を書いてます。
>そっちの予定に合わせるから空いてる日教えて
あ、これは返事しにくいですね。問いが漠然としすぎです。「普通の人」なら選択肢を提示された方が楽です。
面倒になって、ついつい返信せずにいたら、今更返せないよなあ、というぐらい時間が経ってることもあります。
ましてや、相手が会うと気まずい場合では。
そーゆー経験ありませんか?ないにしても漠然と「いつヒマ?」と聞かれるよりは「○日か×日か□日でヒマな日があったら、一緒に飲みに行ってくれない?」の方がダメにしてもOKにしても返事しやすくないですか?
>俺には付き合う価値も魅力もないんだろ。
「今の」元増田さんは、まあ、あまり魅力ないですね。
ですけど、大丈夫。「今の」ですから。
・・・頑張って、元増田さんの(たぶん)望み通りに「肯定」(あるいは承認)を書きました。(私の基準では肯定です。)
でも。この程度の「肯定」では足りないのでは?
>そりゃあみんな悪者になりたくないもんな。わざわざお前のこと嫌いだ、とか言うのは面倒だからしないだろうよ。それはわかるけどじゃあせめて嘘つくなよ。俺が誰も友達いないんだとか深刻に打ち明けた時に限って友達の振りするんだよ。考えすぎだとか、思い込みだとか、友達じゃないかとか適当なこと言うんだよ。そんなの嘘じゃないか。
と、感じていらっしゃるみたいなので。
増田では、「実際の俺のKYぶりを知らないから、みんな励ましてくれるんだ」と感じてしまうのでは?
元増田さんは自分でも分かっているように、自信がない。元増田さんの内には「肯定」がほとんどない。
でも「肯定」源を外に依存しても、(外から「肯定」をいくら持ってきても、)それでは元増田さんの内を満たすことは出来ないはずです。他人の「肯定」はいくらでも疑える。だから、すぐに萎んで消えて足りなくなくなってしまう。まるで穴の開いたバケツに注ぎ入れているようなもの。
友人も、ちえさんも、増田さんたちも、私も。きっと元増田さんを「肯定」で満たしてあげることは出来なかったでしょう?
最終的には自分の内を自分の「肯定」で満たすしかないです。(精神が疲弊している人には難しいので、専門家の人にお願いしないと、ですね。)
現実の増田さんはきっと「普通の人」です。たぶん、能力普通、ただコミュ力が多少弱い、彼女がいる程度に容姿・性格がよい、ぐらいの感じの。99%の人の中に入ってます。
そりゃまあ、1%の「すごい人」の枠はうらやましいですけど、仕方ないです。宝くじに当たらないのが仕方ないのと同じで、「すごい人」に当たらなかったのも仕方ないです。(まあ、努力である程度補正は効きますけど、天賦のものってありますし。)
「普通の人」はいくら努力してもアインシュタインにも、ピカソにも、モーツァルトにもなれません。初めての人を動かす仕事を華麗にこなせる人にも、自分を無制限に犠牲に出来る本能の壊れた優しい人にも、理性で一生を綺麗に振る舞える人にも、なれません。きっと社会ですごい活躍をする人間にもなれません。
「普通の人」は社会の価値観(べらぼうに上限が高く、能力重視)では、たいして評価されません。すごくないから。
でも、それでもいいです。「普通」は罪悪ではないです。自分で無能であること選んだ訳じゃない。(例えば、小学校の時、九九を全然覚えられなくて残されている子がいました。その子だけが、その九九を初めて見たとかのハンデがあったわけでもないのに。彼自身が、九九を覚えられない記憶力の悪さを望んで選んだ訳じゃない。彼は社会の価値観ではいなくてもいいでしょうが、「いらない、消えろ」というのはあんまりだと。いや、彼が今どうしてるかは知らないですけど。)
こーゆー「普通の人」にはきつい社会の価値観だけをそのまま受け取って、自分の内に持ってきて自己評価し続ける限り、「普通の人」の元増田さんはいくら自分を「肯定」しようとしても出来ないはず。
社会がどう感じるか、ではなく、自分がどう感じるか、を拾い集めて、自分の価値観系を構築するのが大事だと。
なんか、気分によっては動けない状態みたいなので。
そーですねー、花と緑、どっちが好きですか?また、どーゆーのが好きですか?
私は緑ですね。瑞々しくて、町に花よりいっぱいあるから、視界がほぼ緑一色に埋まることもある。ぼうっとして、動けなくなるときがある。だから、好きと決めた。青空とセットでも綺麗だけど、雨の日の緑の鮮やかさは格別です。あ、にんじんのヘタの水栽培とかいいですよ?あれ、葉っぱかわいいから。(見てると何かにやけてる気がする。だから好き。)
ちなみに、花といえば、(そろそろ季節終わりそうだけど)ハナミズキとか。濃いピンク色で大振りでシンプルな花の木です。午後の黄色い日差しの中なら、気温もあいまってすごく春らしい。逆にバラとか。(私的には好きじゃないですけど。)ただ、親が育ててたオレンジ色のとかは柔らかい感じで結構好きです。日本人っぽく桜とか。あれ、ピンクじゃないですよね、ピンクがかった白。夜は特にそう思います。
私は海ですね。綺麗な水と、底に映る光のゆらゆら模様、珊瑚、群れている群青の熱帯魚。
近くに結構パン屋さんがあるんですが、焼きたては違います。午後一時ぐらいかな。コンビニのパンをパンに分類したくなくなります。しかも、フランスパン系がおいしい店とか、クロワッサン系が、メロンパンが、とか店によって違うんですよ。どういう系がすきですか?
甘いものはどうですか?アップルパイとか、自分で作ったできたてはやっぱり違いますよ。(うまく膨らまないことも多いけどね。)
私は運動音痴で基本的に嫌いな方なんですが、スポーツはどうでしょう?今の状態では、多人数のは無理でしょうけど。
私は水泳ですね。小さい頃無理矢理習わされてたから、これだけは恥ずかしくない程度に出来ます。するっと体が水中を滑るのが気持ちよくて今では好きです。(疲れてるとフォームが崩れるせいか、するっと進めないのが悩み。)
音楽は?
私はMusieってサイトでひたすらあさってますね。タダだから。solarecaさんとかhi-liteさんとかoikoさんとか気に入ってます。
普通な趣味になりうるもの(景色、食、スポーツ、音楽)についてだらだら書いてみました。(自分の趣味語りしたかった説は否定しません。)とりあえずこの辺から、順番に自分がどう感じるかを拾い集めてはいかがでしょう?
1つ1つの好き(あるいは嫌い)では頼りないですけど、いくつか縒り合わせれば。自分には価値ないからフェードアウト「すべき」から、自分には社会的価値ないけどフェードアウトするのもったいない、もーちょいいろいろ「したい」になる。はず。
説教、長ッ!・・・これ、「普通の人」なら読んでる途中でぶちぎれて投げ出すな・・・。文才欲しい。
元増田さんが幸せを拾い集めることが出来るように祈ります。(祈るだけでもう「普通の人」の私のキャパ限界。同情だけでお金は上げられません。)
正直不思議なんだが、適当に仕事した際の業績と、一生懸命仕事をした際の業績が一緒なの?
仕事だってなら、傍目から見ると無駄な努力をしてるようにしか見えないと思うよ?
それに、その文章見せられると私でも馬鹿にしたくなってくる。
誰でも私のことをばかにしだすことが分かったし、
かといって私を利用できなくなると察知するやいなやすぐ
手のひらを返してくる。彼らの判断力に疑問を抱きつつも退職できない。
誰でも増田の事を馬鹿にしてるって事は既に手のひら返された後じゃないのか?
利用はされてるが馬鹿にされてるのか?手のひらを返すってどういう意味なんだ?
利用できなくなったときに手のひらを返すならそれは判断力有るって事にならないか?
それも、彼ら自身のやり方がまずいからばかにされるのであり
社交儀礼として顧客が上司をばかにしているわけではないことに気づくのに
あとどれだけ時間がかかるんだろう、そんな気分になり
社交辞令として馬鹿にしてる訳ではない?って事はホントに馬鹿だと思って馬鹿にしてるって意味か?
しかし元増田の自己評価は馬鹿では無い。ならばこれは元増田の上司の事か?
普段のしゃべりがこんな感じなら、そもそも言ってる事が理解されてる訳がないよ?
だから
彼らはすぐ私のことをばかにする。しかも数日たつと私の言ったことを
主張する。理解に苦しむ。
元増田の言った事を理解してるって考える事の方が間違えてる
http://morahara.nukenin.jp/99ijime/ikeniegakidukuto.htm
自己愛的な人の集団は、被害者のいないところで陰謀的になり、妙に団結します。おとなしい人間が嫌われるのを怖がっているのを見すかし、その人を血祭りにあげていきます。善意をよそおった嫌がらせも得意です。自分でおとしいれておいて、そのフォローをし、自分のてがらにして、相手に恩をきせるようなまねを平気でおこないます。
いけにえにされている人が、周りの人達の本当の感情を知ろうとすれば、「気のせい」または「気が狂っている」ことにされてしまいます。ナルシスト達が自分の本当の感情を否認しているためです。
自己愛的な人は、自分は心が冷たい、卑怯である、計算高い、ウソつきであるなどのマイナスの自己評価を、意識の外へ追いやっており、「自分は親切な人間である」と証明する人を必要としています。そのために選んだ相手が、欺瞞(ぎまん)に気づいたのではたまりません。だから従順な人間が一言でも反発すると許せなくなり、罪の意識を持たせてでも支配下に置き続けようとします。
それねえ、多分考えれば考えるほど逆効果だと思うんだよね。
迷惑かけないようにしようと思えば思うほど緊張して迷惑かけるような。
多分、もっと堂々として何も考えない方が、一切気に病まない方が、ずっと周りの受けも良くなると思うよ。
ていうのは周りって言うのはけっこうこっちの自己申告が通っちゃう世界なんだ。しかも無言の自己申告が。
同じ失敗しても本人がたいしたミスだと思ってなければ他人もたいした失敗だと思わない。
一方「すみません!申し訳ありません!」て必要以上に申し訳なく思っちゃってそれを口に出しちゃえば、なぜか周りも「こいつとんでもない失敗しやがって」って思うもんなんだよ。
宴会の席での小皿配慮とかも、それをすればするほど感謝されるどころか「小用をする子分肌の低く見ていい奴」だと周りは思ったりするよ。
堂々としてれば「格の高い奴」くらいに思われるよ。
もちろん極端な書き方をしたんだけど、これをソフトな形で生活に織り込んだほうがいい。気に病むとほんとどんどん自己評価が下がってそれに釣られて他人からの評価も下がるから。
あー。これは、鋭いなあ。あるあるあるある。自分にもそういうところ、ある。
そして、こんな人間うっとおしいだろうなぁと心底思う。だから言わない。そうやって溜まったものが心の底に澱みたいに溜まって、また自分を嫌な人間にしていく。
結局、親の問題にしろその他のことにしろ、ネガティブなことがあると、そのネガティブを解決出来ていない自分という形式に変換してしまうんだと思う。親が悪いんじゃなくて、親のことを解決出来ない自分が悪い。だって世間的には珍しくもなんともない話で、解決した人だっていっぱいいるし、それが出来ないってのは甘えじゃないの?というわけ。
そして、すごく嫌なことを言うけど、それって自己愛ゆえの自己防衛機構なんだ。はいはいはいはい、わたしが悪うございます、と言っておけば攻撃されないと学習してて無意識にそれをやろうとするんだけど、本心からそう思っていないととっさのときに言えないから、そう思い込むように自分を騙す。騙して、思い込んで、「ネガティブを解決出来ていない自分」を解決して、誰にも迷惑かけなければメデタシメデタシなんだけど、大抵のケースではそんなこと出来ない。あるとき抑圧したものが溢れ出して、抱え込んだ挙句にダウンしたり、一番大切な人に迷惑をかけたりする最悪のパターンとなる。最初から感情を開放していたよりも結果的に性質が悪い。こういう人の話には「こんなにがんばったのに!」が必ずついてくる。
素直な人から見たら、がんばった、結果的に駄目だった、ただそれだけの話なのに、この手の人に話を聞くと、とんでもなくこじれているんだよね。親との関係とか自己評価とか、関係ないことをなんかずっとしゃべってるし。でもって、それは、今まで蓋をしていた心を見るのが辛いということを本人がうまく説明出来てないんだと思う。
最後に、なんで女にこういうのが多いんだってことだけど、それは自分の置かれた状況や周囲の反応を内面化してしまうからじゃないか。なまじ感情が読めるだけに、感情を読んだ結果として起こる摩擦を避けるため、その感情を持つ他人を内面化するというプロセスが起こる。自分と周囲を切り離して、これは親が悪い、これは自分が悪いというある種理性的な判断が出来ない。彼女にとっては、世界はいつも正しいし、そこでなにか問題があるとしたら、間違っているのは自分である(と思いたい。何故なら、そこで相手が間違っていると思ってしまったら、そこに摩擦が生じ、その摩擦に彼女は耐えられないからである。)。
似非心理学だから信じないでね。
いつも彼は誘うだけで
決断するのはいつも私だった。
この前すこし予兆を感じたから
「飽きた?」って聞いた。
「そうかも」なんて悪びれずに言うため
私の私への自己評価は地にめり込んだ。
あんなに熱心に誘うから
しかも それまでは一番の仲良しの異性だったから
心にすこしくらい何か引っ掛かってくれると思ってたのだが。
いたしてしまえばただのひと、なんですね。
そんなことしなくても彼はもう追っかけてこないだろう。
終わったことだと処理したいが そこまで恋愛経験もないため 傷が少し深い。
悪いのは受け入れた私なのだが
相手にも少し傷つくことがあれば良いと思う。
私が直接傷つけなくとも
今後人生の中でおんなじようなことで 異性によって 傷つけられてしまえ。
なんちて。
さよなら。
何度か読み直したけど、どうしても気持ち悪いので書かせて欲しい。
お前は飯が食えないことに怯えて自分の魂を捨てた抜け殻だろうが。
芸術家になれなくて、なりたくも無い教師になって、挙句に夢見るこどもを早く諦めさせたほうが良いと思い込んでる。
余計なことすんな。
お前は、ちょっとデッサンが上手くて、何がしかの絵が描けて、芸大に入ったところで終わっただけの人間だろ。
諦めて降りた奴が何を偉そうにこれからの奴を引き留めるんだよ。ふざけんな。
飢えて死ぬことを恐れて降りた奴が余計な心配するな。
そんなら、ピカソや岡本太郎みたらみんな降りなきゃなんなくなるだろうが。
逆だろ。目の前にどんな作品があろうが、才能有る奴がいようが、俺は俺の絵が描きたい、そう思い続けて描き続ける奴が芸術家だ。
世間にどう評価されようが書き続ける奴が芸術家だ。
その覚悟のない奴はお前と同じようにどこかで脱落していくから心配するな。
脱落するまでは参加するしかないだろ。それはお前に心配されるような筋合いのもんじゃない。
いっぱしの教師ヅラして、分かったようなこと言うな。余計なお世話だ。お前如きに才能を見切られてたまるかよ。
まったく胸糞悪いよ。
追記:ああ、感情的になっちまって恥ずかしい。すまん。が、正直な気持ちなのでそのままあげる。
評価なんて関係ないなんて言い切っちまったが、ここだけ訂正する。
セルフプロデュースしてプロモーションして資金稼いで作品に注ぎ込んでって奴はいる。
「気持ちがよい方向に向くようにする」は、自転車に乗るようなもんだからなあ。出来るようになった後は、どうして出来るのかさっぱり分からないし、特に意識しておいてメカニズムを自分なりに解明して言語化するとか、特に訓練をするとかしないと、他人に伝えるのは難しそうだ。
自分の経験から、「気持ちがよい方向に向くようにする」に相関がありそうだと自分が感じている項目を挙げると、こんな感じ。他の人にとっても有効かどうかは分かんないけど。
逆に駄目なことは、
以上をまとめると、今の自分としては、「気持ちがよい方向に向くようにする」方法そのものはやっぱり分かっておらず、「こうしたら気持ちが悪い方向に向く」もしくは「悪い方向のまま持続する」「悪い方向に加速する」ことだけは分かっていて、それを避けてるって感じなのかな。
と書いても、これも的外れなんだろうなあ。たぶん。
結局、元ネタの人が言いたかったのは、「要は勇気がないんでしょ?」と言い放つ人に、言われた方がどんな気持ちになるのか知らせたい、それは勇気ややる気を引き出す行為どころか、言われた側に絶望をもたらす台詞なのだ、逆効果なのだ!そのことを自覚しろ!・・・的なことなんだろう。(ちっと言葉が強すぎたかもゴメン)だから、今まで無神経でごめん、もう言わないよ、という反応以外は全て的外れだとも思った。じゃあなんでこんなこと書いちまったんだろう。