はてなキーワード: 早い者勝ちとは
最近ゲームやってると、外人からなんか凄くフレンドリーなメッセージやらフレンド申請を頻繁に貰う。
外人ってどいつもこいつもこんなものかと思ってたけど、俺より外人率の高そうなゲームを沢山やってるのに全然貰わない奴がいたりと、どうも違うらしい。
なので、割と初期にフレンドになった在米アメリカ人に「何で俺にフレンドの申し込みしたの?」と尋ねてみた。
参入が後発になればなるほど、IDに使われる単語の組み合わせも減っていくので、便宜上末尾に数字(19**のような生まれ年など)を入れたりせざるを得なくなる。
しかし俺はゲーム機発売直後に購入しアカウントを作ったので、そういった制約がまだ殆どない頃だった。ちなみに英和辞典に普通に載ってる5文字の英単語。
「だから、お前にフレンド登録を申し込んでる奴の中には、お前の事を全く知らない奴も結構いるんじゃないかな。とにかくせっかく早い者勝ちで取得したIDなんだから、乗っ取られないよう大事にしろよ!」みたいな事も言ってた。
何年も失敗し続けた科学者の率いるチームより、
という選択肢は考えないのかな?
既存の科学者ヒエラルキーが、市場原理みたいに、科学的にも正しいとは言えないでしょ。科学の歴史とは、まさにその打倒の連続だったわけだし。科学は多数決ではないとも言う。
短い一定期間集中投下して成果が見られなかったら、直ちに解散も悪い事じゃない。参加してた科学者を別で抱える社会構造があれば(海外流出防止)。それは、プロジェクトの無理な維持によってのみ守られるものではない。無駄にマイナーチェンジをして続けるより、飛躍のための休止も悪いことではない。
科学には二つの歩みがある。特に金はかからない理論面の進歩と、その理論がある程度埋まった後の、実践としてのプロジェクト。基礎研究と応用科学と言い換えてもいいか。金のかかるプロジェクトは、ある程度の勝算を持ってから始めても遅くはない。直接科学界の話での例えはちょっとすぐに思い出せないけど、…例えば新幹線。あれは新しい挑戦は何もしない!と言い切って始められ、それであっても世界一は実現できる。
そういうもの。
何か新しい発見があり、早い者勝ちのスピードレースが始まったとき、もしくは基礎研究の終了によって不確定要素が消え高い勝算が見込めるときに、集中投下できる原資が残っていなかったり、大衆からの信頼が失墜していては、もともこもない。
横だが・・・昔の結婚って、すくなくとも日本で正式な結婚制度とかは最近の話で
それ以前は、一夫一婦制なんか無かったと思うが・・・
理由はどうあれ、結論として容姿以外で選んでるじゃん。
>飢え死にするぐらいなら不細工と結婚する女も居たんでしょ 可哀相だね
じゃぁ、まぁ、すくなくとも嘘ではないからいいんじゃない。
どんぐらいの比率かは知らんが、性格を基準にした人もいるんだろ。
逆に言えば、100%すべての女性は1件の例外も無く容姿を基準として男性を選ぶ。
という事を証明するに足る十分なサンプルを提示したレポートというのは聞いたことが無いので。
だから、本当かどうかは別としても、嘘ではないぐらいでいいんじゃないだろうか。
世界にはグレーゾーン多いし。それこそ、イスラム圏とか違う宗教や国とか文化とかしらんし。
ただ、大多数はルックスだよねという意見を否定はしない。
Fripe&Co.のようなもの(http://anond.hatelabo.jp/20100128225810)でも述べました、id:arigatouyo氏によるはてなキーワードを介しての宣伝行為ですが、相変わらずやってくれます。
ブランド コーチ(COACH) COACHは1941年 ニューヨーク・マンハッタンで皮革小物工房としてスタートいたしました。 美しいデザインと高い機能性をもつ洗練されたバッグ類をはじめ、靴、時計などにも クラフトマンシップとラグジュアリー感を表現する「ライフスタイルブランド」です。http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d6%a5%e9%a5%f3%a5%c9%a1%a1%a5%b3%a1%bc%a5%c1?kid=285983
そしてid:arigatouyo氏のはてなダイアリーはこちら
COACH(コーチ) 新入荷!早い者勝ち、急いで~!CommentsAdd Star [はてなブックマークで表示] [コメントビューワーで表示] [はてなブックマークに追加] ブランド コーチ
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html
http://72.14.235.132/search?q=cache:http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html&hl=ja
以下、わかりやすく翻訳しても長くて読みにくいのは変わらないので自分の読み取った結論を3行で書くと。
まあ、2ちゃんねるアニメ板界隈ではそれほど新しい主張ではないな、と翻訳しおわってから思ったけど。
では。
まあ、原作至上主義って言ってもいろいろ視点はあるよね。
「原作至上主義」って、これらの問題が混ざり合って出来てるよね。一応仕事だからこんな話があるのは知っていたけど、正直気にしだしたのは、noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったのエントリに煽られたから。日だまりスケッチ×365とかかんなぎとかに関して「原作とアニメのあいだ」とも呼ぶべきものが問題にされていて興味深かった。世の中わかった気がした偉い人が「統計学的な分析」とか「メディアが違うことを無視した分析」してるけど、この人は誰だかわからない、ってことは別にしてとても興味深いよ。
自分なりにまとめると、id:noir_kが「原作至上主義」について言ってることは、
ていうことだよ。
なので、この人の言いたいことはともかくとして、自分もその流れで「原作至上主義」について考えてみるよ。
「批評」って、見る側がするものだと思われがちだけど、作る側もするんだよね。作る側の批評というのは、過去のアニメ作品とかアニメ以外の作品について、「批判」することなんだけどね。ガンダム・エヴァンゲリオンはもちろん、アニメ以外のテレビ番組とか、ネットとか映画作品とかゲームとかコミックとか小説新聞美術作品とか、そのへんを「批判」するってこと。
みんなわかるとおり、今アニメを作る側の「批評」ってこんな感じだよね。
また、この辺が「新房昭之」「山本寛」あたりから始まる、ってのもみんなわかると思う。
まあこのへん「批評的な営み」って言うのかな、これ、
という流れを「忠実に反映」してると思うよ。
ちなみに、引用のうち、実写映画の技法、特に画面の構図とか物語の構成とか色合いとか撮り方編集の仕方に関する演出とか、に関するものは、それ出来るところが先にやったもん勝ち、っていう実情があるよ。
今はメディアミックスの時代だから、アニメ作る側も、原作とアニメを同じものとして作ることが求められている。でも原作とアニメって、片方は印刷したもの、片方は画面で音がついて動くものとして別のものなんだから違うものとして考えようよ、ってid:noir_kが「原作至上主義」に対して言ってることってなかなか良い意見だと思うんだ。
これらは仕掛けとして考えれば同じもので、見る側作る側はこの仕掛けを通じて共犯関係になる。そして「原作とアニメが同じものとして作られるものだという空気」が、これらが、なにかを考えて作られたものだな、とみんなに思わせる目印になっている。この目印を越えて、今のアニメの演出が進むことで、アニメを作る側も見る側も、新しい批評が出来るとわたしは思うよ。
こう書くと、ストーリーって重要な要素を忘れているのではないか、と言う人もいると思う。ただ、ストーリーって編集という演出の産物なんだよね。で、ストーリーは「ある内容」を「どう語るか」にあるわけだけだけど、「ある内容」ってもともと5から20個くらいのパターンしかないから、そこを評価しても仕方がない。「どう語るか」は批評の対象になるかも知れない。ニューヨークの9.11テロを題材にした物語は無数にあるけど、それをどの視点からどのように語るかということが重要だということ。うっとうしく社会学で語ると、これが「批評空間」世代と「東浩紀━宇野常寛・ゼロ年」世代の差異だということ。後者はおもいきり戦略的に「物語論」へと反動的に回帰しているように思われるし。言い換えると、「表現論」派と「物語論」派がいるよね、ということ。
世代が新しくなってるから、「表現論」派の肩身がきわめて狭くなるのは当たり前だよね。現に、自分は「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「表現論」的な演出を自粛した作品だと思っているし、そのあらわれとして「物語論」派から支持を集めることに成功してるし。そして、このアニメは2008年を代表しうるアニメだからね。
アニメって、他のジャンルと比べても忘れられる度合いが例外的なほどに高いように思う。半年前のアニメさえ鮮明に思い出せないことの方が多い。これは何故だと思う?
それは、異常なまでに「物語」と「登場人物」(声優とか声優の演技のしかたも含めて)が似ていて、なんか同じものの繰り返しになっているから。
アニメ以外の、コミックとかゲームはよく知らないんだけど、コミックを例に取ってみようか。まあコミックも簡単なパターンで作られているようにみえる。でも、「美術と小説に関して明らかに規範的なテクニックを持っているのにもかかわらず、下手くそな画で馬鹿げた物語を語っている」漫画家が確かに存在しているのね。おまけに、存在しているのみならず人数も多い。
けれども今の時代、経済構造の都合でアニメ業界はそれができない。「原作のないオリジナル作品が作れない」っていう意味ではなく、「オリジナルなものが抑圧される」という意味で。俗っぽい例えだけど、「優れた直木賞」は受け入れられても「中途半端な芥川賞」は抑圧されるということなんだよね。だから、ほとんどの作品が忘れられていくのは当然の事態なの。(より正確に言うのなら、「直木賞」と「芥川賞」の差もなくなっているし、アニメの歴史の問題というより、今アニメを作る人が信念を持って「特化」しようとすると、淘汰されるということかな。でも「特化」なんて言えるようになったのが90年代に入ってからのことなので、奇妙なねじれがあるようにみえるんだよね。この「ねじれ」を作家主義が引き受けたこと、そしてインターネット社会が同時的に誕生したこと、これが、「アニメーションの歴史におけるヌーヴェルヴァーグ」〈山本寛の談〉と呼ばれる事態なのかな、とわたしは考えるよ。)
現代のメディアミックス時代における、アニメ作る側の「原作至上主義」、インターネット社会におけるアニメ見る側の「原作至上主義」。
相対主義を標榜するほどナイーブでもないので私見を述べると、どっちも間違ってる。
アニメ作る側がいくら「原作」を「模倣」しようが、メタフィクション・パロディ・引用・自己言及、そして実写の早い者勝ち引用ゲームからは抜けられない。アニメ見る側がいくら「原作とアニメはこんなに似てる」と言おうが、根本的にそれは異なるものだから。根本的に違うものなので、いくら似てると言っても意味がない。それとも、類似点を言っていればヘーゲルの時代に戻れるとでも思っているのかしら。
ヘーゲルは小説のことを「市民社会のブルジョワ的な叙事詩」と定義した。要するにアニメの場合、「表現論」派に対して、世界の全体像の提示を旨とする「物語」派が復権するということは、奇しくもヘーゲルへの回帰をも意味するということ。言い換えればこれが「市民社会」論・「公共性」論・「安定的な社会秩序」を懐かしむことにつながると言うこと。でも、懐かしがって出来た物語は「秩序の混乱・解体→回復」という説話の構造でしかないし、その物語は「売れる=消費される」社会の現状維持的な肯定。果たして、それでよいの?
ひっそりと深夜に放送されるアニメを作るのも見るのもまっぴらごめん、と言う態度は適切だし、ましていい大人、常識的な社会人が、という話なら正しい振る舞いでもある。
ただ、昔の人が反語的に言うような、アニメがステータスシンボル(「オタクのしるし」とか)以上の存在価値を持ち得ないという議論は、あまりにも不毛で、杜撰で、素人じみている。富野由悠季まで戦略なしに不意に言うのを聞くと、断固として反論する必要があると最近思っている。そして逆に、圧倒的な「アニメ≒コミック」表現に関する戦略性(プレゼンテーションと歴史的な文脈づくり)で欧米諸国を震撼させた村上隆のような現代美術家に対しても、最近では諸手を挙げて肯定することは出来なくなっている。
富野のペシミズムと、ペシミズムの盗用により現代美術世界で名だたる作家となった村上隆。
なんにせよ、この2人が、行き詰まっている現状でぎりぎりの戦略をとっていることは胸を打つ。この固有名詞が、アニメにやってくる。決して2人とも現状を抜け出すことには成功していない。2人ともテクニックはあるけれど、状況を突破するほどの何かを示してはいない。
でも、新房はテーマとの暴力的な遭遇(西尾威信の小説のアニメ化)によって現状を何とかしようとしており、山本はアニメ作りと同時に言論活動を展開することで、自己弁明しながらも新しさを模索しているようかのようにみえる。
そして、まちがってもそれらは、『ef -a tale of melodies.』(※監督:大沼心、監修:新房昭之)や『かんなぎ』のような作品で実現されているとは思えない。両者で見るべき点は、妥協および「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽ること」以外にないのではないか。
けれども、「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽る」というとき、その恐怖心こそが、富野や村上には見いだせないものであって。
くだらないテーマの指摘とか、原作とアニメが違うだとか、ありふれた技法を指摘するだとか、歴史的にあれと似ているとか、そんな指摘は新房や山本が恥じらいながらも表現しようとしているものにまるで追いついていないのよ。
横だけど
の
そうとは言い切れないのでは?
初デートで告白して、OKをもらった人も中に入るよ。
について。
まあ
で
a>b
って話だと思う。
つーか、bのリスク値は相手のスペックや行動様式等を変数として持つけど、aのリスク値は補正値はあるにせよ大体固定でおおむねbの予想される範囲より大きめ、ってことじゃないの。
確かに、スペックが高めというのは不安要素だし、行動様式も「ネットで盛り上がって映画行こうぜ、的ノリの良さ」vs「マイナー映画が趣味という少数派性格」の間で特定が難しい、けど、前者のノリの良さはaに対して若干厳しめの補正をかけることもある(恵まれてる人はがっついてる人を嫌う可能性が高い)。よって、これらを、b>aと予想する根拠にはしづらい。
非aがゼロではないというのは同意。ただ元増田が「初デート告白」を推奨しないのは非aがゼロだから、ではなく上記の理由なのではないかと思う。
浜松に転勤してはや1年。
まだまだ書けば書ききれないホドのビックリ運転が。
しかも、これが「たまーに見かける危険運転」ならまだしも、出かければ毎回見るという素晴らしい惨状。
こんな運転でよく事故にならないな。と思っていたら「政令指定都市事故率ワースト1」を連続で獲得しているんですね。
しかも静岡市とともに1、2フィニッシュをしたこともあるとか。
都内での運転するのは確かに怖いですが、浜松で運転することはそれを凌駕します。
(むしろ都内とかは、運転マナーが良い気がする)
北京オリンピックが開催されたことで、中国にも「順番に並ぶ」文化がようやく浸透し始めた
なんてのがニュースになっていましたが、それ以下の民度を誇る県が存在します。
ま、政令指定都市とはいえども田舎過ぎるのが問題なのでしょう。
分野による。それに、あったとしても枠は基本的に小さい。
いや、あんまり分野によらない。学生時代の専門分野を重視するかどうかってのは採る側の気まぐれで決まると言ってもよい。異質な人を入れた方が刺激になるということもある。現に、俺は数学科だったが大企業の研究所に勤めている。そして上司は物理学科卒だ。分野はITなんだが、同僚には生物学科卒までいる。
それに、研究者を目指すような奴がいる大学(旧帝大とか東工大とか筑波とかだろ)なら、大企業の研究所でもむしろ早い者勝ちに近い状態で入れるがね。
いや、それを脱出したければ文系就職しなきゃ無理だろ。理系の世界は非モテが多いから、逆に気楽でそこに安住してしまうからな。
えっ? 告白したことで相手の心が動いて付き合った事例もあるではないかって?
しかし、告白したことで相手の動揺を誘い、ってのはちょっと下品な気がするんだよね。
いないとかマゾだとか言われている「非モテが好み」な女ですが、まあマゾじゃないと思いますが、なんか普通の人はまぶしすぎるというか、却って自分の劣等感を刺激されそうで駄目っていうか、女として自信のない女子に「僕ちゃん安い女大好きー」と群がる男の女版というか、まあそんな感じですよ。あと、めっちゃ照れ性なんで、同じく照れ性な人のがいいと思ってる。
こういうメンタリティの女、一定数はいると思いますけどね。大抵は、自信のない女は強引なヤンキーか、とにかく手の早い男が早い者勝ちで持っていくから見えないですけど。自分は理屈っぽくて、その手の層が駄目なので、なんか変なポジションで余ってますw
きっと奴らは口では憎悪のポーズをとりながらも、スイーツ(笑)な女が大好きなんだろう。好きで好きでたまらないからそういう女ばかり目に入ってしまうんだ。
これは本当に同意。例えば、非モテ(自分で「非モテ」って言うような非モテ)ってアプローチしてみても絶対に受け入れてくれないんですよ。正式に付き合うとかじゃなくて、食事とかデートの時点でまず駄目。スルー。沈黙。あんまり沈黙するからこっちが根負けして、自分から「やっぱ駄目だよね?ごめんね、変なこと聞いちゃって」的に引かざるを得ない。むしろ普通の人の方が、そのくらいなら受け入れてくれる。同情心からかもしれないけどw
ほんっと目に入ってないとゆーか、結局分かりやすい女が好みなだけじゃん、と思います。こじれたプライドのせいで、自分みたいな安い女は許せないってことかもしれないけど、それって贅沢とどう違うの?みたいな。あとこういうところで書くとしても、今回はかなーり露悪的に書いてますけど、割と素直に書いても、やっぱ反応ないですよ。今回はこんだけ露悪的に書いたから、なんか反応あるかもしれませんが。基本的に、自分らが叩かれるコメントには必死に食いつくのに、好意の表明とか応援コメントとかにはスルーですもん。
もうひとつの可能性としては、単に自分以外の存在を叩きたくて、あるいは、自分の悲劇(?)を主張するために、女が叩きやすい(叩いても良心が咎めないような性悪な)存在でいた方が都合がいいのかなーと思います。殻から出れない出れないと主張してるけど、実は出たくない。出る気ない。でも「出れない俺って不幸」とは言いたい。
ま、でも、好きなんですけどね。そのねじれ具合も含めて。
お見合いでいいんなら、会った子に片っ端から声かけりゃいいんじゃないかなー。実際、服に気をつかうとかそういうことして「選ばれる」のを待つよりも、数打った方がずっと成功確率高いと思うよ。結構美人で気立てもいい子が、ただの早い者勝ち状態になってることも多いし。あ、声かけるっても、いきなり付き合って下さいって言うんじゃなくて、とりあえず気軽に飯でもなんでも誘ってみて、話す機会を作るってことだよ。
で、いっぱい声かけて半分くらい断られて9割がお友達に終わるくらいは覚悟してね。それでも、考えすぎてなんもしないよりは全然可能性あるし、そういう相手なら女の子の間の警戒心も薄れると思うよ。奢ったり背伸びしたりもしなくてよくて、なーんもかけなくていいから。そういうことすると、こんだけ金かけたのに/がんばったのにって気持ちが入って逆によくないし相手も警戒するから。こういう手をとれば、君の言う点数の合計で相手を値踏みするような子は逃げるから、お互いに見極められて効率がいいし。
私はごく一部の店でしか扱わない少数生産商品の作り手なのですが、
「店は遠くて行けないので、欲しいのに手に入れる事ができないのは不公平だ」
「誰でも公平に手に入れられるようにもっと色んな店で売ってほしい、もしくは通販を」
「たまたま店に近い人しか手に入れられないのは間違ってる!」
という声をよく耳にします。
この商品の販路が広がったとして…
たとえば全国のコンビニで売ったとして、通販をはじめたとして、
本当にあなたはこの商品を手に入れられるのでしょうか?
店先に出たものを誰かが先に全部買い占めてしまったら、買えません。
通販用に用意した商品全てに注文が入ってしまい売り切れてしまえば、買えません。
この商品が無限に作る事のできない物である以上、
結局、入荷した店に近い者勝ち、早い者勝ち、運の良い者勝ちの世界なんですよ。
販路を広げても不公平なのはちっとも変わりません。
むしろ販路が広がってしまい「どこでも買えるのに手に入らない」状況になる方がより不公平感を煽るかもしれません。
どういう状況でも必ず買えない人が出てくるような物なのだから
「買えない人に不公平だから販路広げろ」は筋が通ってない要求だと思う…という話でした。
(本音:そんだけ思い入れがあるなら遠くても買いに来てよー。もしくは人づてで頼むとかさー。
手に入らない事が売り手だけのせいにされるのは不公平だよー。)
こんな匿名のところであんなオフ会だなんて、いろいろ危険ではないですか。
誰が誰だかわからないから、案内とかだって嘘かもしれないじゃないですか。
そりゃ危険かもしれないが、それは合コンも似たような所があるし、大学のサークルだって就職転職だって、飛び込みの営業だって、最初は何処の誰だかわからない自称の人と話すし。
だからそういうのは折込み済みというか、やむをえないトレードオフの結果なわけで、たとえば、本当はポート22は空けたくないんだけど、管理上ほかに安くて手軽でその割りに安全な方法がないとか、21なんて空けておくべきじゃないけど、お客さんのサポートが大変なので、とりあえず空けてあるとか。
そういう「大人の事情」と世間の常識情勢を把握しつつ、許される範囲、見合う構成、あるべき理想を、随時更新していくのがセキュリティの道なんです。
ネットのセキュリティーホールを見つけたときに、どうせ悪者にすぐ付かれるホールなんだから、今自分が付いてもいっしょだと思って、攻撃してみる心理みたいなもん。
そういう「早い者勝ち」みたいな心理とか、情報不足による不安とか、見えてない事による大胆さとかはわからなくもない。
はてなの新サービスができると、すぐ悪用方法が思いつくけど、そんな簡単に思いつく悪用方法をあらかじめ対応していない運営者に腹がたって、それで自分で悪用を実演してみせてしまうような、そんな心理、分かる人いる?
誠意とか責任とか能力とかそういうのも、わからなくもない。
ただ、それはお互い様であって、攻撃や実演するなら、その前に相手に説明できるだろとか、何ヶ月とか何年とか開いていたけど未だ公表されていない・攻撃されていない穴なら数日や数週間待ったって大差ないだろうとか、穴を作ったのは自分だけどそういう方法を取ることに腹が立つとか、そういうのもわかるよね。
どうせ、暴言はく人はいるんだから、自分がはいちゃえとかね。どうせコピーが出回るんだから自分がばら撒いちゃえとかね。私はそうやって生きている。
逆に言えば、あなたがやらなくてもやる人がいるって事で、相手にとっては誰がやろうが関係ないし、あなたにとっても相手がどうなろうと知ったことじゃないわけで、別にあなたがやる必要性はまったくない。
だから、それはあなた自身の選択によるあなた自身のための行為でしかないわけだが、それはまさに増田のみんなが増田に書くのと同じなんだよね。
私がこの文を書かなくても、たくさんのトラックバックは付いているし、今日あなたが死んでも、誰も涙は流さない、というか知る由もないし、私が死んでも増田には何の影響もないだろう。
けれど、私はこれを書く。すべて自己満足。それであなたに幸があろうが不幸があろうがそんな事は知らん。つーか知る由もない。ならばポジティブにいこう。
ああ、わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか。
そんな事を言われたら書かずにはいられないだろ。
悪ガキだったのも不良と呼ばれたのも昔の話。
なぜ殴られたのか、なぜ仲間が死んだのか、その意味がわかるはずの歳だ。
いい加減、卒業しろ。