はてなキーワード: 微分とは
http://anond.hatelabo.jp/20080504014527
あーだめだこりゃ。
揚げ足じゃなくて本質ね。
あなたにそれが理解できてるとは思えないけどね。本物の数学屋なら、そんな曖昧模糊としたものに対して「微分」なんて言葉を使うような乱暴なことはとてもできないはずだけどね。そんな言葉使わなくても「比較対照実験」という言葉があるのにね。まあいいや。それであっても同じことで、
まあしかし、他の条件が同一だとしてもあなたのおっしゃることが妥当だと考える根拠はどこにもないと思いますがね。
と既に述べたとおり。
ま、どっちにしてもあなたの言ってることは何も質的に変わってないですな。
だったら今度は「社会」における「価値」の定義をして下さいと言ってるんです。あなたが問答無用で正しいと思ってるものは、学問的であろうが社会的であろうが全然客観的な妥当性がないものなんですってば。早く言えば、あなたの独りよがりを受けいれる必要なんてまったくないでしょってこと。
それからなんか勘違いしてるみたいだけど、私は休暇が云々って言い出した人じゃないよ。あなたの論法が余りにもひどかったから指摘してあげてるだけで。
あのさあ、ライターだったらリード文に気の利いた文章一つ書けないでどうするよ。狭い業界の技術専門誌だけに書いて生きていくつもり?一般科学雑誌とか、もっとそういう野心はないわけ?そういうとき、古典の素養は必要だよ。
人間はプログラマだけじゃないんだけどね。それに、言ってること理解できてるのかなあ。プログラマにとってのLispや低レベル言語が、日本語を書く人にとっての古典にあたると言っているの。
それはあなたの場合でしょ。文系の人なんかだったら、古典なんて寝てても理解できるけどLispなんて一生理解できないといわれると思うよ。あなたは、自分が理解できなかったものを過度に難しいと思い込んでるだけ。
へー、あなたプレゼンしないんだ。顧客や投資家向けに気の利いたフレーズ一つ思いつかないようでどうするの?
観光が産業として大したことない、というからその点に反論したまで。俺はあなたの論点の不備を一つ一つ指摘してるだけで、自分が一貫した主張をしようとしているわけではない。
日本文学についてはそうかもな。でも、当の近代文学もろくに読んでない奴が、下敷きにだけ手出しても意味ないだろ。まずそっちが先じゃないかな。
じゃあ、ロックやポップス聴いてない奴がクラシック聴いちゃだめなわけか?そんなの勝手だろ。古典の方が近代文学より好きな人間だって沢山いるよ。俺だってそうだが。
あのね、そんな優先順位つけるまでもなく、全部できると言っているの。
あのさあ、「ジェネラリスト」の意味わかってる?いろんな分野に視野横断的に目が効く人のことを「ジェネラリスト」っていうんだよ。数学だけ勉強してれば文学も歴史も語れるっていうのかい?
足りてるわけねーだろ。仕事やりながら勉強してるような状態だよ。これが、高校でやってなきゃ偏微分とかと同レベルの理解度でしかなかったんだと思うとゾッとするね。基礎だけでも仕込まれててよかった。
自分が大学でサボってたことを自慢するなよ。普通はもっと勉強するんだよ。自分が勉強しなかったことを、「高校で教えてくれなかったせいだ!」なんて言ってたら、これだからゆとりはって言われるだけだよ。
数学系でも電子工学系でもねーもん。適当に試験前の一夜漬けで切り抜けてた。終わったら速攻忘れた。あと量子力学なんか何に使うんだよプログラマが。
使わないことは一切勉強しない人なんだ。ふーん。隣接分野から発想って出てくるもんだけどね。忠告しとくけど、俺が挙げたのは工学部のどこでも学びそうな分野だし、それから量子力学知ってると信号処理がわかりやすくなるんだけどね。まあいいや。
俺が思ってるものと比べてるんじゃない。「古典と」比べてんだよ。ちゃんと答えろ。
なんでそんなエラそうなんだ?だから、比べられないって言ってるだろう、何度も。少なくとも答えが自明に出る問題ではないし、客観的に妥当性のある調査ができるとも思えないと言っているの。
例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?
古典が読めるってことはまったく評価にならんだろ。プログラマとしては。
無論、最低限の英語力は必須だし、英語力は高ければ高いほどいいが。
最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSやコンパイラの理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?
そんなの情報系の基礎教養だ。微積分学や古典を勉強するよりははるかに楽だし。
だったらどうして、古文や漢文の勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要なスキルでしょ。まずその前提がよくわからない。
ビジネス定型文書くのにはもちろん、企画書や仕様書や技術書を書くのにも、古典や漢文の知識なんぞ必要ないだろ。
別に古典教育がどうなろうが観光ビジネスの改革にはならんだろうに。
日本文学についてはそうかもな。でも、当の近代文学もろくに読んでない奴が、下敷きにだけ手出しても意味ないだろ。まずそっちが先じゃないかな。
それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。
教育を強化するなら数学優先にすべきだな。あと英語の強化かな。古典なんか最後でいいよ。
それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。
それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。
足りてるわけねーだろ。仕事やりながら勉強してるような状態だよ。これが、高校でやってなきゃ偏微分とかと同レベルの理解度でしかなかったんだと思うとゾッとするね。基礎だけでも仕込まれててよかった。
というか、固有値やベクトル空間を理解せずにどうやって大学を卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式も統計学も信号処理も量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。
数学系でも電子工学系でもねーもん。適当に試験前の一夜漬けで切り抜けてた。終わったら速攻忘れた。あと量子力学なんか何に使うんだよプログラマが。
信号処理は真面目にやっときゃよかったなとちょっと思うね。今んとこクリティカルにそういうもんが必要になる仕事はやってないが。
俺が思ってるものと比べてるんじゃない。「古典と」比べてんだよ。ちゃんと答えろ。
なんだ、君、プログラマーだったのか。だったら話が早い。
例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSやコンパイラの理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?
だったらどうして、古文や漢文の勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要なスキルでしょ。まずその前提がよくわからない。
別に「新たに」なんて言ってないけど。ただし、資源ってのはメンテナンス要員が必要なんよね。現在の教育は、その中から一握りの専門家とそこそこ多くのファンを再生産する役目は果たしてると思うけどな。
あと、日本の観光ビジネスはまだ産業として未熟だよ。ヨーロッパ行ってみるとわかるけど、日本の観光ビジネスは横のつながりが弱くて商売がヘタクソ。たとえば厳島神社なんて世界遺産になってるのに、宝物殿では大した物展示されてないし、宮島にある飲食店はろくなお店がない。
劣るとも思わないけどね。ただね、現代文学は古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。
あと、古文とか漢文ってのは現代文と読み書きや文法の体系が少しだけだけど違うから、文法ぐらい教えておかないと、興味を持った人があとで独学たって難しくなってしまうことは理解できるよね。いまの高校の教育はそういう目的で文法だけを中心に教えてるようなもんだよ。
それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。たとえば俺は高校時代理科と社会を全科目履修したし、数学も数III数Cまでやったし、古文や漢文だったら例えば岩波文庫の注釈付きなんかで訳なしで読めるよ。
俺も理系人間で、たいして出来がよくなかったから思うんだが、行列は大学入試という重しがある高校生の間にある程度慣れておくべきものだ。
大学で習った偏微分とか周回積分とかいっこも覚えてない俺でも行列演算は一通り出来るし、プログラミングとかで使えるのは、高校でみっちりやったからだよ。
それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。
それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。それに、大学の線型代数やったんなら、高校でやるレベルの話なんて子供だましもいいところだってわかるでしょ。
というか、固有値やベクトル空間を理解せずにどうやって大学を卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式も統計学も信号処理も量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。
行列と比べてどうなんだと聞いてるんだが。
だから、本来比べるのがおかしいし比べられないと書いたんだが。
ただし、君が思ってるほど高校の行列計算は一般には役に立たないし、観光は大きな産業になり得る。理由は上に書いたとおり。
そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。
具体的にどんな古典教育強化でどこが「新たに」観光資源になるんだ?
日本は今でも十分歴史的伝統的なものを観光ビジネスに利用出来てるが。
文学をたしなむことが、人生を豊かにするという仮説を受け入れるとしても、まず現代語で書かれた文学をちゃんと読ませたほうがいいと思うけど。三島も太宰も漱石も芥川も鴎外も、せいぜい教科書に載ってるものくらいしか読んでない奴がいっぱいいるだろう。つーか、グッと読みやすく村上春樹でもいいよ。一冊も読んだことない奴がいっぱいいるぞ。今日本はそういう状況なんだ。
あと世界文学ね。「罪と罰」やら「戦争と平和」やら、名前だけしか知らない人ばかりだろ。
「楽しむ」という観点で言えば、古典や漢文の題材がそれらよりも優先するようには思わない。
俺も理系人間で、たいして出来がよくなかったから思うんだが、行列は大学入試という重しがある高校生の間にある程度慣れておくべきものだ。
大学で習った偏微分とか周回積分とかいっこも覚えてない俺でも行列演算は一通り出来るし、プログラミングとかで使えるのは、高校でみっちりやったからだよ。
行列と比べてどうなんだと聞いてるんだが。
そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。
むしろ俺それを見て気になったのは「媚びる」ことについてなんだけどさ
「媚びる」ってそもそもそんなに悪いことかな?
まあこれは経験論なんだけど、「俺は社会に媚びねえぜ!」「俺は目上・金持ちに媚びねえぜ!」「俺は女に媚びねえぜ!」とか言ってるやつほど、じゃあお前媚びないでも誰かが酔ってきてくれる立派な要素があるの?つったらほぼ百パーないのな。大抵何の才能もない、かといって努力もしない、自分や他人に対する理想だけエベレストのように高くて、子供の頃の万能感がいまだに抜け切らないまま育っちゃったような鼻たれ坊主なんよ、そういうやつって。
媚びないで生きていけるなら、それでいいけどさ。現実それじゃ出来ないわけじゃん?仕事だってさ。絶対ある程度媚びるわけじゃん。ていうか、どんな人間関係でもそうじゃん。(「そのまんま」で、他人に好かれる奴って、物凄い才能の持ち主くらいだよ)恋愛で言うなら、媚びずにいるならお前らモテないわけじゃん?じゃあ媚びるしかないじゃん?っていうさ。別に孤高気取って「俺は媚びないぜ!」とかやって一生モテないままでいいっていうんなら全然それでいいんだけど(俺関係ねーし)、それでいいって一度タカ括ったんなら、もうぶちぶち言うなよな、って思うんよ(俺を選ばない女が悪いとかそういう戯言を)。
なんかさー「恋愛」ってものにたいして、非モテたちっていうのは何つーのかな、「平等」を夢見てない?
「どうして顔がいい奴はDQNでもモテるのに俺は」とか言ったりするでしょ(大体まあ顔がいいやつ=DQNからして反捕鯨の言い分並みに笑えるんだが)、それがいい証拠でさ。「俺はこういう要素を持っているから、このくらいは評価去れるべきだ」的な事を考えてる。「顔はよくないけど優しさはあるからその優しさの分評価されるべきなのに、顔がよくないからってその優しさまでゼロにされる」的な事を考えてる。そこからして違うんだよって。恋愛って平等じゃないの。基本的に。何がよかろうが悪かろうがなんだろうが関係ないんよ。極端な話、ブサメン好きの女性の前ではジャニーズのルックスも価値ないし、デブ専の男の前ではどんなモデルのスタイルも価値ないんよ。恋愛って、そういう舞台なんよ。仕事とか勉強とかとは違う舞台なんよ。完全に。お互いの求めるものが合うか合わないか、それだけなんよ。要は。だから「恋愛術」とかも、ぶっちゃけそういう意味じゃ全く意味はない。結局恋愛って一対一のもんだから。恋愛術が成り立つのはあくまで「こういう術がかかりそうな人が、若干多めに存在しているから」的な意味でしかないんよ。だから漠然とモテたいって言ってる奴は、大多数の人が引っかかるような凄い要素(超イケメン、超美人、すげー賢い、などなど)でもなきゃまず無理なわけな。そういうやつはだからずーっと「あーモテてー」っていい続けてる。それで終わる。
で、非モテの奴って、意外と高学歴にも多いだろ。それはさ、なまじ、学生の頃から勉強面だけでは評価されてきたからこそ、↑こういう勘違いをしちゃうんじゃないんだろうか。今まで高い点をとれば、それで教師からも先生からも褒めてもらえた。それだけのセカイで生きてきたから、つい「恋愛」という勉強とは全く違うステージでも、勉強と同じように考えてしまう。すなわち、客観的な指針があって、それをクリアすれば、達成できる(=恋人が出来る)、と勘違いしていしまう。僕には「優しさ」が8点くらいあるから、「イケメン度」が6点くらいの奴には勝てるはず、とか、考えてしまう。だからこその「あいつは顔がいいだけで全然俺より優しくないのになんで」的な発想にいたるわけ。んでもな、それは全然違うんよ。
相手は、テストじゃないんよ。人間なんよ。好みとかも勿論違うし、また、ターゲットを絞って、好みを把握したとしても、その好みすら、一定とは全然限らない。人間だから当たり前だけど。山Pが好みとか言ってた子が、数ヵ月後南海キャンディーズの山ちゃんが好みとか言ってる可能性も全然あるわけ。そこで「話が違うじゃないか」とか怒る気持ちがでてきたら、それは君が上記の勘違いを起こしているというサイン。テストだったらわかるよ。先生が「出題範囲は微分なー」とかいってたのに、テスト当日「やっぱ積分も」とか言い出したら「話が違うじゃないか」って怒るのは分かるよ。でも相手は生身の人間なんだわ、これが。コロコロ変わっても全然不思議じゃないし全く咎められることでもない。と同時に、理不尽(に君には見える)指針を持っていても、咎めようがないんよ。西川史子が「男は金!」とかいっても仕方ないんよ。彼女はそれを求めてるんだから仮に君が彼女が好きならそれをクリアするしかないんよ。あるいは彼女が指針を変えてくれるのを待つしかないんよ。それをクリアする努力を「媚びる」と表現して、んなことしたくねえってんなら諦めればいいだけの話なわけで。要するにお前の彼女に対する気持ちはその程度の想いなわけだし。むしろ、諦めたくもない、かといって相手の要望にこたえる気もない、では、相手が選んでくれないのはもうあったりまえの話っしょ?相手の身になって考えてみるといいよ。自分を選ぶ理由が相手にあるかどうかさ。ないでしょ?
「そんなご無体な」って思うかもしんないけど、もうこればかりは「惚れた側の弱み」ってやつでどーにもなんない(勿論女性側が惚れればそっちが不利になるわけだしね)。恋愛ってのはそもそもそういう不平等なステージなの。平等じゃないんだよ。惚れた側が弱いんよ、どうしても。客観的な指針もないの。好きな相手が、自分を気に食わなきゃ、アウトなの。そういうシビアで不平等でどうにもならん世界なんよ。どうもね、近頃の人は平等で平和な世界に慣れすぎて、そういう本来の動物界のシビア面を全然分かっていないようだけど。どの動物界でもオスとメスのパートナー選びは熾烈な争いなんよ。なんてったって自分の子孫残せるか否かの瀬戸際だから。そんなときに悠長に「僕の事客観的に平等に審査して!」とか馬鹿で甘っちょろいこと思ってるのは、非モテ諸君、君達くらいだよ。恋愛はもともとが不平等で理不尽で主観的に決まる事なんだよ。勉強とは違うんだよ。恋愛術系マニュアルだってほとんど役に立つ保証はない。
どーも非モテたちを見てるとその辺の基本的な事を分かっていないようでさ。
個人にモテるのだけでもそうやって大変なのに、大多数の、なんとなくいっぱいの女性にモテたい、とか非モテの癖して偏差値30が突然ハーバードいくとかいう並にとんでもない目標掲げる奴いるでしょ。てか非モテはほとんどがそれなんだけど。そりゃさ、そんな凄い目標だったら、余計がんばんなきゃいかんぜ?ほとんどの女性に好かれるような要素をもたないかんのだべ?そんなの、「媚びて」結果が出るなら全然マシ、ってなもんだよ。最大限に媚びたって無理かもしれない目標だよ。それを何、今まで非モテだった程度の要素しか持ち得ない君達が「媚びるなんていやだね!」とか気取っちゃうわけでしょ?「ハーバードいきたいけどよぉ、俺は俺自身の魅力で勝負してえから!勉強とか、そんな大学に媚びるような真似俺はしねえから!ペーパーテスト?クソ食らえだ!」とか言ってる不良くらいアホみたいなんよそれ。お前らから「媚びる」をとったら、一体何が残るわけ?って思うんだよな。「自分自身そのまま」を好かれようとしすぎ。そんなん好かれるわけないじゃん。まあ結局自分大好き・傷つくのが怖い・エベレスト並みのプライド・自意識過剰、ってことなんだろうけど。非モテはどいつもこいつも自分好きすぎだよ。ホストみたいなタイプがなぜモテるかって、自分をある程度捨てて相手に合わせるからだよ。そこそこツラいいやつでもそれだよ?お前達が媚びずにいったい何ができるっていうんだ?
相手に好かれるための努力を「媚びる」っていって嫌悪してちゃ、そりゃモテないよね。だって自然体のお前らに酔ってくる人間なんていないんだもん。どうせ同性同士のコミュニケーションだって、そうやって避けてきたんだろ?「皆に話を合わせるだなんて媚びたくねえぜ」とか言ってさ。ほんとどんだけ自分大好きなんだよっていう。まあでも、ナルシストっていうのは、他者に評価されないからこそ自分で評価して、バランスをとっているっていう人間だから、ある意味仕方ないけどね。だから非モテが進めば進むほど、歪んだ自己愛は益々進んで、その自己愛を保つ為にますます他者(特に非モテの場合は女性)を否定していく。ダメループだねえ。いい加減プライド捨てたら?自分がほんとうになんてことない人間だって自覚しないと、多分何も進まないよ。ダメループに陥ったまま社会に対してひきこもり続けるのも一つの道ではあるけど、そうなった挙句包丁もって飛び出すなんてことされても困るしなー。オススメはしない。
「どうして小、中、高の教育カリキュラムの中に算数や数学が含まれているのですか?」
「理由は二つあります。一つは社会生活を営む上で最低限必要な知識を習得するためです。例えば、数字や四則演算は物の数を数えたり、暦を見たり、町で買い物をしたりする時に必要です。少し込み入った話になると、ローンの利息計算などの資産管理や、移動時間の見積もりなど、数学が必要な場面はたくさんあります。
もう一つは進路保証のためです。専門的な職業につく場合において、より高度な数学を必要とする場合があります。測量、統計調査、機械設計などがそれにあたります。これらの作業を行う際には三角関数、微分積分、数列、グラフ、オートマトンなどが必要になってきます。子どもたちは中学、高校を卒業したあたりから進路を考え始めると思いますが、それまでに、どんな職業でも通用するような基礎的な知識や学力を蓄えることが、数学に限らず、学校のカリキュラムの意義だと思います。そうでなければ、若いうちから子どもの可能性を奪ってしまうことになるという危惧があります。
数学はあくまで便利な道具すぎませんので、必要なければ微分積分などを無理に覚える必要はありません。
必要なときに必要な数学を学んでいただければ、それで十分だと思います。文系、理系を問わず、どんな方でも、実際に使用する公理、公式以外には興味がないことがほとんどです。」
特に人の名前とかそういう理由を見出しにくいものは覚えるとっかかりすらつかめずずっと苦労している。
これすげぇ気持ちがわかるwwww
理由がないとダメだよな。何かもっと単純な法則から演繹できるもんじゃないと。
俺が化学得意じゃなくなったのは、反応式の左辺が与えられたときに右辺が一意に決定する理由がわからなかったから。
化学の先生に聞いたら、それはそういうものですとか、センスがあればわかります、とか意味不明なこと言われて益々わかんなくなった。
その先生本人は微分積分が苦手で…とか言ってるアホだったが…。
物理は覚えること少ないぞ。
高校の力学は原理3つしかないし、波の辺りは波がなんなのか理解すれば公式は全部自明になったと思う。
キルヒホッフの法則とかは要するに電荷が保存しますよって話だし、云々。みたいな感じで…。
まじめに話し合おうとしているのか、中2病の大学生が二日酔を慰めようとしているのかによって対応は違うから。なんにせよ、元増田がゲーデルを知らないことはよく分かった。以下読み物。
数学の歴史は長いが、ユークリッドやピタゴラス以降、恐ろしく長い空白があった。その後、ニュートン、ライプニッツあたりから突如急角度の上昇が始まる。この後、オイラー、ガウスといった大天才がヨーロッパに続けざまに現れて17世紀から19世紀くらいまでは数学の黄金期と言って良い。こんな急激な進歩があったのは、数学、物理学、工学がかみ合って足並みをそろえて進歩を始めたことに原因がある。当初、数学は本当に純粋学問だったが、微分積分が物体の運動を予言できることからにわかに風向きが変わり始めた。
「反証可能性」「未知の事象の予測」「知られている事象との一致」といった厳しい原則に基づく科学的アプローチは天動説に反する観測的事実が蓄積し始めたことに端を発するといってよい。太陽を中心とする円形軌道に地球を諸惑星を置いたコペルニクスのモデルは、当時の精密化した天動説と大差ない誤差を持っていたが、太陽を焦点とする楕円軌道を提唱したケプラーは、きわめて精密に観測結果に一致した。
その後、ニュートンが現れ、ケプラーの法則を万有引力の法則と微積分で説明することに成功した。
このように近代数学と近代科学は足並みをそろえて歩き始めたのだが、この二つには大きな差がある。自然科学(いわゆる科学)は自然の事物を理解するための仮説の集合であるのに対して、数学とは最初に提示された公理とその操作方法に基づく演繹された知識の体系であるということ。つまり、数学は自然に根ざしていない。これは強調してもしすぎることはない点で、しばしば数学者はこの数学の自立性を以って自然科学を見下すことがある。
数学は公理とその操作からなる演繹的な体系と書いたが、もちろんはじめはそうではなかった。最初はものの数を数えるところから始まり、距離を測り、面積を測り、重さを量り、時間を計るためのツールだった。つまり自然に根ざしていた。が、19世紀後半に精密化が進んだ後、いったん数学は崩壊の危機に面した。それを救うために公理系を整理し、再出発して網羅的に数学の完全性、無矛盾性を証明しようとする動きがあらわれた。だが、最後にはゲーデルが現れ、完全且つ無矛盾な公理系はないと証明して、公理主義者たちをがっかりさせた。
数学は出発点こそ自然科学に密着していたが、今では(失敗したものの)公理に基づく独立した体系と考えて良い。そうしたところで、数学の出す答えが変わるわけではない。が、じっくりと考えたときに、自然現象がこうもうまく数学に従うという点については少し気味の悪さを感じざるを得ない。たとえば、速度を積分すると距離を算出できるというのは、科学的な仮説である。この仮説は徹底的に検証されているので安心して利用できる。だが、速度ときょりという自然現象がなぜ数学的概念である微分積分にこうも厳密に従うのか。突き詰めて考えると、それは時空間の線形性、時普遍性に支えられているが、それ自身がなぜそうなのか、誰にも分からない。
微分積分というのは公理から出発して導き出された数学の体系のひとつである。それ自身は自然科学的アプローチで反証する必要ない。なぜなら、数学の証明は自然科学の実験による「証明」とはまったく異質の厳密な証明だからだ。一方、自然科学の実験による「証明」は確からしさを積み上げることでしかない。
ゆとり教育がいろいろと取り沙汰されている昨今ですが。
別に学力なんて無くてもいいと思います。
重要なのは学習したいと思う気持ちです、探究心です、好奇心ですよ。
日本の教育は辞書の中身は教えてくれるけれど肝心の辞書の引き方は教えてくれない状態で放置されるので
たちが悪い、それでいて教える辞書の中身が減って学力低下と騒いでいる。
教科書に乗せるのは目次だけでいいと思います、その目次にそって教師が学習の方法を教えればいいですよ
教科書に1から10まで書くから「肝心の辞書の引き方は教えてくれない状態」になってしまうのです。
微分積分を教わって一生のうちそれを実践で応用して使う人間がどれほどいるでしょうか。
ほとんどの人はテストの紙に書いて終わりだと思いますよ。
もし、あなたの人生で微分積分を使う必要がある場面にでくわしたら参考書を見て
学習すればいいんですよ。
それでも分からなかったら、分かる人に聞けばいいんです。
えーと、えーと、0分から10分、10分から30分、30分から0分までの区域ごとの平均待ち時間を微分積分しながらもとめて、、、、、、、、さらに雨が降っているかつ、傘を持っていないときはバスを待つのを見送るので、その時の降水確率、近くにビニール傘を販売しているコンビニがある確率、ビニール傘を買うお金を持っている確率、あらかじめ傘を持っている確率、雨が連続何分降るかの期待値、バス会社が突然倒産する確率、さらに業務を他の会社が引き継がない確率等々を加味して考慮した結果、一生バスに乗れない確率が高いと出ました。
、、、よく分かんねえ。
またこの人かよwwwwwwwww
地球温暖化で何か問題でも?
海面が上昇したり、想像を超えた気候変動が発生すること。
海面が上昇すると、東京の面積が半分以上減る可能性があります。
従って、温暖化は人間にとっては未知の天災を引き起こす要因であり、
制御することが相当難しい自然現象を引き起こしうるポテンシャルを与えることになります。
さて、この人は上記の地球温暖化の問題点くらいは把握してると思うのですが、
「地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出」と学生さんたちはすらすら言うけれど、温暖化と二酸化炭素のあいだの因果関係はまだ科学的には証明されていない。
文系の文章力はこの程度なんでしょうか?
理系にしてみれば、科学的な証明ってなんですか?と、笑止千万な指摘です。
じゃあ、反証してみろよってことですね。
だから、私は温暖化には類的な立場からはそれほど怯えることもないのではないかと思っている。
「だから」???????????????????????
なんか理由が説明されてたんですか?????????????
文系の文章力はすごいですね。
だから、あまり政府の人々のしかめっ面を真に受けない方がいいと思う。
最後にとても痛い事実がわかります。
この人は、「温暖化対策が成功しすぎて寒冷化する」ということがリアルに起きると考えているみたいです。
これは釣りだと信じたいです。
おまけ
気象というのはきわめて複雑な現象である。
はいそうです。
「バタフライ効果」という言葉で知られているように、北京で蝶がはばたきをしたことによる大気圧の変化が、カリフォルニアに暴風をもたらすことがある。
この人、本気にしちゃったの???
ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
どこをどうすれば似てるなんて言えるんだよwww
もう、この人、ネタ師だよ、絶対。
やばいねwwww
「頭のいい人は説明もうまい」問題で、一番肩身が狭いのが数学屋と哲学屋。哲学屋さんの弁解は哲学屋さんに任せるとして、エセ数学屋の立場からその弁解を書かせて欲しい(哲学屋さんも事情は似たようなものだと思うけれど)。
まず、世間では誤解されてると思うのだが、数学というのは理系の他分野(物理学とか、生物学とか)とは少し性格が違う。数学は、具体的な対象を想定しない。むしろ、具体的な対象と遊離したところを記述するための「言葉」を作る学問なのだ。
よく言われることだが、新たな数学理論の発見とは、わかりやすい概念や記号法を発明することといっても過言ではない。一番わかりやすいのが「未知数をxなど文字で置き換える」というものだろう。これによって、古代エジプトや古代ギリシャの賢者大勢を悩ませた問題も、中学生の練習問題に早変わりする。しかし一方で、多くの賢人を悩ませた問題を少数の記号やキーワードに集約するのだから、そもそもそんなものを簡単に説明できる方がおかしい。中学校あたりから数学が途端に難しくなるのはこのためだ。
抽象概念を説明することの難しさは、プログラミングの世界とも共通している点があるだろう。たとえば、「多態性 (polymorphism)」という言葉を機械音痴の人に説明できるだろうか、考えてみてほしい(このたとえのわからない人は、次の段落まで読み飛ばしてほしい)。もちろん、例えば「同じ『鳴く』という動作でも、犬は『ワン』で、猫は『ニャー』だ」などと、わかった気にさせるようなたとえ話でごまかすことはできるだろう。だが、そんな「説明」が役に立たないことは明らかだ。「そんなことの何がすごいのか、ポリバレントだかなんだか知らないがそんな偉そうな名前をつけるほどのことか」とかいわれて終わりである。現実に「説明」を求められる場合とは、「誰かに金を出させるために説得しなければいけない場合」なのである。ユーザ企業に「オブジェクト指向による開発」の必要性を説得するとき、そのような子供だましでは金を出してもらえないことは明らかだろう。
そして数学は、プログラミング言語よりもっと包括的に「人間の思考の一部を記述する言語」なのである(正確には、コンピュータ・サイエンスは数学の一分野である)。そして、プログラミング言語などという概念はたかだかこの数十年のものにすぎないが、近代数学は数百年の積み重ねがあるのである。素人と専門家の乖離にもそれだけの差があると思ってもらって構わない。説明が絶望的に困難なことは明らかだ。その困難さは、たとえば英語を知らない子供に「関係代名詞」を説明するのと同じぐらい難しい。いや、数学は「頭の中の普段使っていない部分」を使う言語だから、英語などよりもっと難しいと言っていいかもしれない。英語と日本語の間では直訳はできないことはないが、数学語やプログラミング言語と日本語の直訳は不可能だからだ(できるのならば、プログラマは全員失業である)。
しかし、こうした事情を多くの人はわかってくれない。そこで、「数学屋(と哲学屋)は物事をわざわざ小難しく説明する権威主義者だ」だの「他の分野の専門家に比べて説明能力に欠けている」だのと非難を浴びるのである。こういうハンディを背負っていることがなかなかわかってもらえないのである。
追記
多態性のあたりはあまりいい例ではなかったかもしれない。犬はワンで猫はニャーというのは、多態性という概念の発想を適切にとらえたたとえ話ではあるからだ。純粋数学の場合は、こういうわかりやすい例が見あたらないものも多いのである(たとえば「解析関数」を「複素数」や「微分」を知らない人に説明するとなるともうお手上げだ)。無論、こういうたとえ話が、多態性概念がプログラミングの世界でいかに有用であるかを説明することにほとんど貢献していないのは明らかだけれども。プログラミング経験がない人には、それだけのことがいかに役に立つのかなど到底実感ではわかってもらえないだろう。
蛇足
なお、こんな記事が話題になっているが、この程度の説明ならまともな数学屋なら誰でもできるので念のため。このスレッドの住人はsinとかcosのような高校数学の概念も怪しかったわけだが、そんな人を相手に文中に出てきた「バナッハ空間」だの「ヒルベルト空間」だのの説明をさせられたらとても困っていたはずである。正直、これらの概念は専門家には「イロハのイ」レベルのことに過ぎないが、ピアノで「猫踏んじゃった」しか弾けない人に「エリーゼのために」を教え込むのと同じぐらいは難しいだろうと思う。それぐらいのレベルの差がある。
蛇足の蛇足
ついでに、上のスレッドで挙がっている「日本語が論理的でない」とか「英語やフランス語は数学に向いている」というのはウソと言える。言語の能力は、相互に翻訳ができれば等価であるといってよいからだ。実際問題としては、論理的で厳密な文章ほど、直訳は簡単である。つまり、言語による論理能力の差というものは存在しないといってよいのだ。言語によって一番表現力の差が生じるのは、むしろ「前衛詩」のような、一番「論理的でない」部分である。
特定の研究室にお世話になります。
22歳からの数年間は、その後の人生に大きな影響を与えます。
(電波教授が指すものは、研究能力がなく、それを補うために学生の業績を食い物にしている人です)
電波教授の武器はしゃべりです。しゃべりによる誤魔化しで生き延びているといっても過言ではありません。
電波教授は大学1年生で習う微分積分や線形代数がまったくできません。
使うか使わないかは別として、これらは研究を行う上での共通言語ですので、
従って、最先端の研究などできるはずもありません。
それは論文になるかもしれませんが誰も読みませんし、未来永劫役に立つこともないでしょう。
ですが、少なからず理論(論理)というのはある程度の正しさを担保しています。
一方、電波教授が指導する研究は、妄想と嘘が散りばめられています。
そんなものが未来永劫役に立つことはありません。
そんな電波教授は、理論上非常に難しいことが明らかなことでさえも「できる」と言い張ります。
でも、少し勉強すればわかるのですが、それらは無理なのです。
無理なことをできるようにするのが研究だとしても、
地道な努力の末のブレークスルーです。
夢は夢であり、目標とは異なります。
さて、研究ができない電波教授は、他人の研究(特に修士の研究)に便乗します。
本来、研究の内容に関わっていなければ、
しかし、日本では少なからず便乗が黙認されています。
研究者の仕事は表面的に見れば論文を書くことですので公開論文リストを作ります。
これをホームページ等に載せてあると思いますが、
電波かどうかは別として、これはかなり最低な行為だと思います。
しかし、政治家同様、横のつながりは研究費を獲得する上で重要です。
だから、馬鹿とも我慢して群れあわなくてはいけません。
それでも、圧倒的なレベル差から共同研究に発展することはまずありません。
特に輪読を一緒にやることはないと思います。
ですから、数学、基礎物理学、基礎化学のような歴史ある発展しきった領域には電波教授はいません。
(これらの分野の進歩は日進月歩(止まってる?)であり退屈ではあります)
電波教授の多くは、新しい分野をでっちあげ、電波用語を駆使し、
言うまでも無く、彼らに教わる学生は悲惨です。
それでも365日研究職という肩書きを背負っています。
交通費や宿泊費の他に飲食費もでます。
これらをやりくりして、
プチ旅行を楽しむのが彼らの唯一の仕事上の楽しみだといっても過言ではありません。
一方、出張するということは、貴重な研究費と研究時間をドブに捨てる行為に他なりません。
このような観点からも出張の多い研究者は研究ができないと考えていいと思います。
特に発表もせず(学生の発表に便乗して)学会等へ参加してる人は完全にアウトです。
博士過程に進みたくなります。
野心的な人が自然と集まります。
修士から博士へ進学する際に研究室を変更することは難しいので、
逆に、研究能力無しで、いかにして業績を水増しするテクニックを学べるという点で
興味深い環境ではあります。
これからの若い人が変な教授とめぐり合わないよう祈っております。
上記のことが少しでも参考になれば幸いです。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20070920135305
とは違う人です。この人の話を聞いてみたいです、と要望を出してみる。