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2009-09-25

デジタルマクロ オカルトミクロ ではないのか?

 麻雀界においてデジタル理論の代表としてとつげき東北さんの「科学する麻雀」があげられる

この本は当時麻雀本としては異例の売り上げを上げる。この本によると「待ち牌読みは必要ない」などと書かれていて反響を呼んだ

一方オカルト理論として有名な本は土田プロの筋トイツ理論(かなりオカルト理論)がある。

 デジタル信仰する人は第一線で活躍されるデジタル信者以外は自分自身で法則を打ち出すことが限りなく難しく

どうしても○さんの本の書いていることを利用すべきだとか△さんの言ってることを広めるべきであるようなことを言う。

そして統計をとるが理論だてて説明できない統計を否定したがる。また、オカルト信者はどうしてもデジタル信者軽蔑する。

そして、デジタルは状況判断をしないから駄目だとか意味不明な判断基準で押し引きをして流れが~だとかツキが~だとか

どうしようもない言い訳をする。

どうしてもデジタル論者とオカルト論者は相容れない

 デジタルオカルトどちらが正しいのだろうか。俺にはわからない。素人なので。ただ、両方のことができるようになるのが

プロであり強者であるように思われる。

 

 似たようなものは野球でも存在する。セイバーメトリクス論(アメリカ)と勝負勘論(セオリー通り)という二つの考え方の違いがある

セイバー理論バントを否定するが日本バントを肯定する両者の考え方に違いはあるがどちらに優位性があるかはわからない

このような例は他のことにもあるのではないか。

視点を変えるだけで真逆の答えになってしまうものが・・・・

デジタルなものは小さな補正項を無視する。麻雀の例で言うと河の残り牌の枚数やプレイヤーの動作によるテンパイ確信など・・・

オカルト自分の視点で物事を見る。そのため大きな視点で見るとおかしな挙動をとってしまい統計にありえない誤差を生んでしまう。

だけれども集団にとっておかしな個人行動はいずれ集団にとって正しい行動になることがあるかもしれない。

オカルト(=ミクロ)がデジタルマクロ)をいずれうごかしていくのではないかと考えてしまう。

 

 この世の中はデジタルオカルトマクロミクロも一緒でフラクタルなのでしょうか

自分でも何言ってるかわかりませんが暇つぶしに読んでいただけるのであれば幸いです

2009-09-23

素直にすごい

あまったれてんじゃねぇ

http://anond.hatelabo.jp/20090923161611

上記の理系大学生は、素直にすごい。中期的な目標を立て、それを達成するための方法を考え、実行している。この能力は、多くの企業で、コミュ力の次くらいに求めている能力だ。

ただ、多くの日本人と同じ間違いをしている。それは、自分の周りで起きているミクロの現象で、マクロの現象を解釈している点だ。具体的にいうと、ミクロローカル)な視点で就職が決まらない人間自己責任なのだが、マクロの視点から言えば、増田の様な優秀な人間が行く大学の一般的学生就職が決まらない状況に、なにか対処しなくてはならない。うまく対処できれば、一般的学生だけでなく増田のような直接援助してもらわなかった人間利益を受ける

2009-09-13

ガソリン店頭価格が上昇しているという話。

[2009.9.12]

ガソリン店頭価格が上昇しているという話。

原油相場は70ドル台をうろちょろしている状態で、上にも下にも行かない。このボックスにとどめるというコンセンサスが出来ているのであろう。その分円高になっているので、差し引きでは動かない筈なのだが、値上がりしている。したがって、現在の値上げは、元売が高値掴みをしてその損失を消費者押し付けようとしているか、小売店側の利幅を取る動きのどちらかとなる。

これまで、ガソリン価格が上昇するのは、5月連休前と夏休み前であったのだが、9月連休前にも、値上げするようになってきている。これは、自動車による行楽客が増えてきているという事で、高速道路の値下げの効果と言える。

行楽シーズンの直前に値上げをして、その後、徐々に値段が下がっていくのは、在庫を売り切る必要があるからである。ガソリンスタンド側の仕入れの数量は予約してあるので、周辺の同業者価格在庫を見ながら価格を調整する。春から秋にかけては灯油の売り上げが無く、ガソリンだけでスタンド経営を回さなければならないので、可能な限りガソリンを多く売って売り上げを立てたいという経営側の事情が、このような形で値下げ競争を発生させる。シーズン直前に引き上げ、シーズン中は売れ行きを見ながら値下げをして、在庫を売り切ろうとするのである。

この競争において、元売からの仕入れ値が値下げの下限になるというのが建前であるが、実際には、仕入れ値すれすれまで値下げをしても、元売からの仕入れ数量に応じた割戻し等があるので、利益を取れる事になっていて、この利益を確保する為に、価格競争で数量をこなそうとする事になる。

ガソリンスタンド価格での訴求力は、これまでは、看板での価格表記となっていた。通りすがり看板を見て、一番安いところを覚えておき、帰りに寄るといった使い方が主流であった。しかし、最近では、インターネット上の価格ランキングサイトで所在地と価格を調べ、ルート上に存在する店の中で一番安い店の座標をカーナビに入れ、距離と燃費計算して適切な給油量を概算して利用するというやり方が増えてきている。

土地鑑が無い行楽客でも、インターネット上の情報カーナビによって、地元の人しか知らない筈の安い店を利用できるようになってきているのである。

この変化によって、結果的に、ガソリンスタンド間の価格競争は、近隣店舗との競争というミクロな手法ではなく、そのルート上に存在するガソリンスタンド全てとの価格競争という状況になってきており、運用コストが高くて値下げ競争に対応できない店舗や、プリペイドカードや会員価格といった囲い込みを行っている店舗は、数量による割戻しを満たせるだけの利用客が発生せず、結果的に、予約した数量を業転で他の店舗に横流しをして数量を達成しない限り、左前となっていくのであった。

http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html

2009-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20090912002922

「安売りダメゼッタイ」ってミクロ経済にアピールしてもダメですよ。

デフレを克服するには、金融政策とそれを補う財政政策しかありません。マクロ経済を担う人々、つまり日銀政府が動かさないと。

2009-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20090818021449

その二つの話はあまりにも前提が違いすぎじゃね?

アニメの話は、海外からの反応な訳じゃん。

でも国旗切り裂きの方は日本政党である民主党による事件なんだぜ?

さらにアニメネタ国旗切り裂きだとレベルが違うだろ。

関西ローカルなんていうかなりミクロな範囲で馬鹿にしたようなネタが流れるのと、

国を引っ張る政党の公式的な集会で自国を侮辱するような行為をしたっていうのじゃ

話のスケールが違いすぎる。

そういったことを考慮した上でその発言なのか?

2009-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20090816035650

経済学は、漢方薬より科学から遠いよ。

承認されている漢方薬は、繰り返し実験して、効果があるものしかない。

加えて、漢方薬ミクロ理論は、分子生物学や量子物理学だ。

2009-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20090808070811

肌が荒れて「荒れを治したかったら化粧やめるしかないですね」と薬剤師に言われる女も居るわけでさ。

こういう極端な例外的事例を使って反論する女って多いよなあ。

ほんと女ってミクロ視点でしかモノ見れないやつ多いよなあって思う。

2009-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20090805012411

同じ方があの記事も書かれていたのですね。気づきませんでした。

なんというか、気づかれるとすこしこそばゆいものがあります。

どちらかというと、少数者の願いが排除されるを重視しているのですね。参考になります。

おそらく述べられているように2つの方法で、或る程度はできるように思います。

個人的にはもうすこし、ふと気づいた情報の流れのモデルを考えてみたいと思っています。

マクロでは、社会情報が流れていくモデルを。どうすればそれが意図した通りに流せるのか。隠せるのか。

ミクロでは、組織や集団などすこし小さめの中で情報がどのようにながれていくのか。どうコントロールすべきかを。

いい着想を貰いました。有り難うございます。

2009-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20090803054631

うらやましい。

しかし分配しないのは当然でしょう。参加しなかった人にはお気の毒だけど。

マクロにもミクロにも、宝くじは買わなきゃチャンスもやってこないわけで。

2009-07-31

愚者の戯言/無が存在するということ

存在する私が無を考察すること。有限である私が無限を思索すること。

認識主体である私が観測対象である無を模索する実験

1が0に近づこうとする。

意味在ることが無意味になること。始まりこそが終わりでもあること。

生きるということが死ぬことを表象化している表裏性。

混沌の一存在こそが私であり、全存在は無である。

振動と波形と線と膜。意思はどこに存在しているのか。

共通意思が存在する/していること。繋がる無意識。個別の人格が滲む場所。

時間自我≫という仮説。

時計の針が意味を成さないこと。

今日と昨日と明日の境界。過去現在未来を繋ぐもの。

刹那の切り貼り。時間の最小単位について。

空間を作り出す要因/[存在と時間]二つの因子。

どこまでも主体的な観測概念でしかない空間という虚像。

言葉は何をなすべきなのか。

実行可能な稼動範囲。影響を及ぼすことが可能な限界について。

全と善、真と美、善きものだけが理となり得るのか。

マクロミクロ統合

極限まで最小化されたミクロ探究マクロ本質に変容できるのか。

究極の目的/0=1を実現すること。全ての瓦解。混沌への帰依

2009-06-22

異性の価値若さ人間価値経験~10代から30代まで付き合ってみて

自分は、元増田を読んだ瞬間に全面的に同意したので、

真っ向から批判するコメントブクマコメントが多いことにすごくびっくりした。

そんなに触れちゃいけないタブーだったのか。

 

■女の価値は「若さ」だと思う本当に

http://anond.hatelabo.jp/20090621154203

 

自分は、2歳年下の嫁と18歳~28歳までの期間つきあった。

もっと言うと、結婚して5年で離婚したんだけど。

 

同じ女性と、10代から20代という変化の多い10年を共にすごした経験から言わせてもらうと、

「女の価値若さ」というのは、一面的ではあるが絶対的な真実だ。

 

もちろん逆説的に言うなら、「人間価値経験」というのも真実である。

10代のガキよりも、30代のお姉さんの方が、深い話をするなら絶対に面白い。

でも、それは人間として、なんだよね。

 

恋愛対象の異性、という、センチメンタルかつ性的ニュアンスを含む場合、

やっぱりピークってのは、10代後半から20代前半なんじゃないかと思う。

デートのドキドキ感などは、新しい相手と付き合えば、確かに毎回味わえる。

でも、若い時にしか経験出来ない人生イベントってのは間違いなくある。

そのイベントの多くは、若さ恋愛セックス微妙に重なり合った部分にある。

 

もちろんセックスへの貪欲さも、感度の良さも、開発された30代の方が素晴らしい。

でも、初々しさから貪欲さへの飛翔、好奇心と恐れの板ばさみからの脱却、肌の手触りの変化、

現在進行形で育って行く身体、セックスの成長を共に味わうこと、などは10代の処女の時代から30代近くの

成熟する時代までを、1人の(もしくはそれぞれ同年代の複数の)女性と共にすごさないと、味わえない。

女性の変化のダイナミズムを味わうなら、10代後半から20代後半の間だと思う。

 

細かいことは省くが、圧倒的な真実としてひとつだけ言いたいのは、肌の手触りの変化。

元嫁が20歳になってしばらくしたある日、肌の感触が今までと明らかに変化したのに気づいた。

それまで、しっとりと吸い付くようだった肌触りが、べつに吸い付かなくなった。

最初は体調かなんかのせいかと思ったくらい、ある日突然起こった劇的かつ不可逆的な変化だった。

 

これは、女性自身の方が良くわかる感覚なんじゃないだろうか、例えばシャワーの水が

肌で玉になって転がる時代があったということに。

 

異性として、より生物的な価値、もっと言えば恋愛市場での商品価値としては、

圧倒的に「若さ」が重要になってくる。

この傾向は、男性よりも女性の方が顕著だと思う。

何故なら男性は金や権力で、恋愛市場での自らの商品価値を引き上げることが

出来るが、女性にはそれはかなり難しいから。

 

 

自分と元嫁とは、お互いの若さに惹かれて付き合っていたんだと思う。

元嫁は、夢を語り、追いかけ、実現して行く俺の姿に惹かれていたと思うし、

俺は、色んなことを吸収して、日々変化し、成長していく元嫁が魅力的だと思った。

そして、セックスも存分に楽しんだ。お互いの若い身体をむさぼった。

お互いの若さを消費して爆発させた10年間だった。

 

でも、色々なことを経験し、色々な人に会って、若い時と目線が変わった今は、それぞれが

別の道に歩き始めるようになったし、人生の伴侶となる異性に求める条件も変わった。

 

人生におけるマクロ価値観と、ミクロな生活感覚が近いかどうか。

違っていたとしても、お互いに認め合い、尊重し合えるかどうか。

それが30代以降の結婚には、必要なんじゃないかと思う。

 

元嫁とは今も仲がいい。

でも、マクロ価値観も、ミクロな生活感覚も、10年の間で徐々にその差が開いて行った。

人生の中でももっとも劇的に変化する10年を超えた時に、お互いの人生立ち位置

同じままってのは、本当にありえない奇跡なんじゃないかと思う。

自分たちの場合は、それが少しづつ変化して行った。バンドなら、音楽性の違い、だ。

だから、別々の道を歩むことに決めた。

 

たぶん、子供を産んで育てれば、半強制的にお互いの立ち位置は同じになる。

世の多くの夫婦は、意図的にせよ、無意識的にせよ、その道を辿る。

それは、凄く正しくて良い事だと思う。

 

自分たちの場合は、20代ではそれぞれの夢を優先させていたので、あえてそれをしなかった。

周囲の友人を見ても、子育て人生中盤以降の最大のやりがいであり、楽しみだと思う。

個人的にも、自分人生でその最大の楽しみ(苦しみも)が残っているのは、凄くわくわくする。

そもそも結婚って制度は、子育てをしないと何のメリットも無いし。

 

結婚ではなく、出産育児で、今までの人生ってのは一度リセットされるんじゃないかと思う。

でも厳密に言うならば、夫婦間で「若さを消費する恋愛」の経験に大きな差がある場合、

それを後から埋めるのは結構難しいんじゃないかとも、ふと思う。

だって、それは人間価値を決める「経験」の圧倒的な差でもあるわけで。

若さ」という万人に等しく与えられた資産を、適切に自己投資して来なかった人なわけで。

 

それは、無駄な嫉妬や劣等感ルサンチマン浮気不倫出会い系風俗スワッピング

ロリコンへの傾倒や韓流ドラマブームの原因になるんじゃないかと思う。

ここらの暗いパワーを、持ち家のローン返済や子育てへの前向きなパワーに変換出来れば、

幸せになれるのかも知れないけど。

 

まあ、長くなっちゃったけど、一番言いたいことは。

「若い身体は素晴らしい。成熟した精神は素晴らしい。」ということ。

そして、もうひとつ。

「若い時の経験が違いすぎる人同士は、結婚しない方がいいと思う」ってこと。

 

いまさらそんなことにこだわるなんて馬鹿馬鹿しいことだからこそ、

逆に誰にも相談できずに悩むんじゃないかな。

フラット世界は味気ない。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20090621/p1

なんかさ、言いたいことはわかるし、

現状の分析として面白い論考ではあると思うけれど、

これってあくまで社会システムとか構造上の話であって、

「じゃあ俺たちは今後どう生きるべきか」、とか、

「こういう生き方ってはたして是なのか」、という話ではない気がする。

ロマンチック未来的ないち妄想として聞く分には、

「本当にこの人は賢く文才もあり、毎回見事な記事を書かれていらっしゃる」と感心できるんだけど、

多分に作者の自我自意識が絡む語り口が、正直ちょっと気持ち悪かった。

いろいろ言ってるけど結局は、近代的なシステムの中での「エリート」や「強者」に対する厭味と憎悪を、

社会システム構造上の観点から吐露してるだけじゃん?って思った。

いや別に、「言説に自意識を持ち込んでんじゃねえよ気持ちわりい」

などと上げ足とりをするのがこのエントリの本意ではないけれども、

そもそもこの人の主張ってえてしてそういう味付けされていること多いから

なんとなくつっこまずにはいられなかった。

とりあえず、愛読ブログのひさびさの渾身(?)エントリなので、

脊髄反射的につっこみを入れておく。

前提として、

・「近代」という思想価値観はもう終わっている。

・そこから生まれた諸制度の誤謬や矛盾に誰もが気づいている。いずれ近代的なシステム死滅する。

というスタンスにまず大きな疑問を感じる。

おおざっぱに言っって「近代」は「大衆エゴ」を肯定し、拡張させる思想であり装置だ。

ここでいうエゴとはこれまたおおざっぱに言って、

●「自尊心自我に関する欲求」

●「快適さを求めたり、うまいものを食いたいと思う生理的欲求」

●「いい女とやりたいという(男の)性欲」

の三つだが、これらは社会が生まれた当初から存在した普遍的な人間の行動原理であり、

社会の発展のプロセスとはその規模が広がっていった過程でもある。

一握りの政治権力者から一部の有産階級へ、そして大衆へ。

「長いスパンで見た時に、人類歴史は平等へ向かっている」とは、そういうことだ。

近代」という発明が偉大だったのは、

利便性の向上による人類への貢献と資本社会への循環・還元という大義名分によって、

個々人の欲望や格差を(事実上)完全に肯定したことにある。

それは、社会を発展させる上でこの上なく有効に機能した。

だがそこには当然副作用も働く。

帝国主義人種差別社会格差

それは近代の振りかざす大義名分があったゆえに、良識的な人間からはことさらに「醜悪」に見えた。

ポストモダンと呼ばれる一連の動きは、

その醜悪さをえぐりだし、画一的近代価値判断を徹底的に否定した。

それが20世紀後半の数十年の話。

思想としてはそれで正しいんだけれど、

人間の欲望はそんなに簡単に変わらない。

欲望を肯定して突き進んできた人類が、

「今後はさすがに自重すべきだわ」と簡単に納得するわけがない。


100年前だろうと今だろうと、

人間名誉欲や物欲や性欲は変わっていない(はず)なので、

そういうDNAレベルで刻み込まれている人間の欲望みたいなものは、

上位3%の人間に対するインセンティブとして今後も機能しつづけると思う。


Webというシステムインセンティブを求める人間によって作られたにもかかわらず、

結果として彼らの享受すべきだったインセンティブ

徹底的に否定する流れを生み出したことはまさに皮肉としかいいようがないけれど、

社会が今後も上位3%の人間によって動かされるのであれば、

彼らの「自分の偉さ(頭の良さ、美しさ、道徳的正しさ、経済力etc.)を誇示しようという無意識の下心」が発散される回路が、

今後も手をかえ品をかえ生まれてくるはずだ。

もしくは、それがより巧妙になされる、とかね。





とゆーかそもそも、

誰もが偉ぶることなく、誰もが劣等感を感じることなく、

ただ与えられた役割を粛々とこなしながら、

目の届く範囲の人間関係の中で生まれては消える充足・充実・高揚だけをよりどころに生きていく社会って、

あまりにもつまんなくね?

「大物」がいない世界って、結構味気ないぞ。


とりあえず、「新しい時代にふさわしい生き方」を語るなら、

もっとミクロレベルの話も少しはしてほしい。

2009-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20090620113533

これはいい視点。努力と成果の関係マクロで見る。ミクロの場合はまた別だとは思うんだけどね。まあ、元増田マクロの話なんで、この意見はかなり正しいと思うけどね。

2009-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20090515132830

さっきの世界の射影うんぬんを書いた増田だが、

http://anond.hatelabo.jp/20090515121523

宇宙数学構造そのものか、という問題は未解決だし、別に実世界との対応関係なんて数学的には考える必要無いということがわからないのか。

いや、そうだけど、何か?

おれ、さっき矛盾することを言ったか?

おれはさっき、「自分の可観測の範囲の実世界と、数学上の取り扱いとの対応関係を、追おうとするからムズムズするんじゃないの?」と言ったまでなんだが。

で、前半の、「宇宙数学構造そのものか、という問題は未解決だし、」については、他の増田さんが突っ込んでくれてる通り、

http://anond.hatelabo.jp/20090515121523

でも説明できないってのは人間側の都合だよねぇ。

というそのままだと,おれも思うんだけど。

そういう意味では、未だにマクロ世界ミクロ世界力学シームレスにはつながっていないし。

で、

http://anond.hatelabo.jp/20090515122732

そうだけど、それが何なんだ?

ってあたりに、やっぱ文系だなぁという気がする。

それと、

http://anond.hatelabo.jp/20090515121523

別に実世界との対応関係なんて数学的には考える必要無いということがわからないのか。

という話も、どうも私のさっきの書き込みを勘違いしている。

私は、

http://anond.hatelabo.jp/20090515120247

数学」は、自然科学(特に、広義の物理学力学)の世界を表現する道具で、

と、書いた。写像云々の話は余計だったかもしれないし、それが誤解を招いたのかもしれない。

表現する道具としては、どう扱うかということが問題。

いってみれば、マンガにおける「ざわざわ」「シーン」と同じようなもの。

http://anond.hatelabo.jp/20090515121523

バナッハタルスキー分割可能な多様体ルベーグ可測でない多様体)なんて現実世界には存在しないけど、そんなの数学世界ではどうでもいいことだ。

まぁ、フーリエ変換ストークスの定理もWavelet変換も、考え方の根っこは同じ発想なんですけど。

2009-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20090503130908

マクロといってもミクロの積み重ねなんだからすり替えともいえないだろ。社会のうねりは個々人の行動と無関係に起きてるわけじゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20090503124524

未来は、結局自分の力で切り開くものである。

マクロ的視点の世代論を、個人的努力というミクロ的なものにすり替えている。


このゆとり純粋に、社会のうねりの中の、一世代としてのゆとり考察したんだろう。

ゆとり世代未来をわざわざ日本未来に書き換えている点からも伺える。

2009-04-03

ウルトラマンセブン仮面ライダー集団に就職活動をしたとして

http://anond.hatelabo.jp/20090402234220

ん? と思ったのでとりあえず以下例え。

たとえばウルトラマンと、ウルトラセブン仮面ライダー集団に就職活動をしたとする。

面接というのはテストと違って、本人の能力を評価するためのものではなく、会社に必要な人材かどうかを見極めるために行われるものである。基準に対して適合性をみるもであって、人間価値を絶対評価している分けじゃない

極論になってしまうが例え。

仮面ライダーの集団に、ウルトラマンウルトラセブン面接に来たとする。ここで、仮面ライダー集団は、ミクロ化等伸縮自在で自分たちの敵と戦うときに同じ大きさで有利に戦ってくれうだ、というウルトラセブンを雇い、ウルトラマンを落としたとする。(もしくは、仮面ライダー集団は求人票に「身長3メートル以下」等と条件を書いていたとすると、一時面接官が不適合で機械的に落とす可能性だってある)

その後、ウルトラマンは第2志望である戦隊ヒーロー集団の面接に臨んだ。ここで、戦隊ヒーロー集団では大形化した怪人をやっつける必要があり、ちょうどいい人材としてウルトラマンを雇うわけだ。

こういう状況で、そしてその後戦隊ヒーロー集団のなかでウルトラマンが怪人退治に大活躍したといったからといって、仮面ライダー集団がウルトラマンを雇っても、そのポテンシャルは有効に活用なんてできっこない。

また、もしかしたらウルトラマンガチ体育会系は苦手で、女の子がチームにいないと活躍できないタイプだったかも知れない。そうすると、そういうタイプであると見抜いて落とした面接官は優秀だと思うのだがどうだろうか。

さらに、ここでウルトラセブンは空は飛べるもののバイクは乗れなくて仮面ライダー集団の中ではまだ評価が低く、またウルトラセブンのあずかり知らぬ所で(景気悪化によるスポンサーの撤退とか、時代のニーズを見誤って若いお母さん層に訴えかける美少年の獲得に失敗したとか)経営が悪化していたとしても、それは基本的にウルトラセブンがどうにかできることではない。たとえここでウルトラマンスモールライトを入手して仮面ライダー集団に就職していたとしても、ウルトラマンだってバイクには乗れないだろうし、同様の結果になっていた可能性が高いわけなので。

(例えへの突っ込みは勘弁してください。ほとんど半可通なので)

以上の考え方を踏まえて、元増田氏の話を考える

つまり何が言いたいかというと。

  • 企業が必要なのは"自社にとって"ほしい人材である。絶対評価で優秀だと思う人材ではない。
  • 彼が他の会社に行って成功したことをもって、増田氏の会社で成功するとは限らない。
  • 結果的に落とされた彼は、増田氏の会社就職せず、別の会社に行った事で出世しているならばそちらの方がよかったと言える。

と言うことである。

また、「カン」というものをずいぶんと過小評価しているみたいだが、カンというのは普通自分自身の経験や知識から導き出される非常に高度な判断について、それを説明する時に使われる言葉なので。判断する能力がないから勘に頼ると言うのはちょっと考え方がおかしい。普通は相手に説明する気がないとか、特に秘匿しておきたい時、あるいは説明すると長くなることを端的に表すときに使われる。また、これをもって理由を推し量ることはできない。普通、その背後にはそれなりの根拠があるので。そうなるとこの「カン」という事で求めるのは説明不足を求めるべきであって「カンだから悪い」というのはただの思考停止だと思うんだ。

ついでに言うと「事実だけ書く」と言っているが、そのうち

  • 大学に入って、今まで出会った中で一番優秀な男がいた。
  • 彼は勉強は当然のこと、社交性も行動力も高く、なおかつ向上心もあり、全てが完全と思えるような人間で、俺は真逆人間だった。

印象論でしかないと思う。(彼についても、増田本人についても)また、

  • 彼の第一志望の企業に、俺が受かって、彼は一次面接で落ちた。
  • 俺が受かったのはその会社だけ。他は全部一次で落ちた。
  • 当然、俺は入社後の今、低迷している。

この三つは、何故か元増田氏が自身を引き合いに出しているが、比較対象としてとてもじゃないが正当とは思えない。(一体だれが元増田氏を客観的に評価しているんだ?)普通、一つの事を正当に比較するなら、その評価する以外の点は平等に一致させておかないと、どの部分の影響かと言うことは評価できないわけで。

また、事実の認定の仕方が一部おかしいよう(落ちた、と言うのではなく落とされた、とか)

以上を考慮すると「事実だけ」というのは以下の点だけ。

これを持って、わかることは、

で、元増田氏が主張しようとしていると思われる以下の点は判断できない。

これで一時面接官を批判する材料にはならない気がするんだがどうか。

(もっと辛口で言うと、面接官という仕事を理解してないよね明らかに、そんな奴が批判するなよと言いたいんだが)

2009-03-22

増田人力検索

どなたか『モースガード』って名前マスクに関しての評価や情報をご存知の方はいませんか?

また、新型インフルエンザとやらの流行が本当に来た時、マスクって本当に有効なんですかね?

 

つーのもね、なんかウチの母親がさっきそのマスクを1袋買って(買わされて)帰って来たんですよ。

で、その経緯を聞いてると

今日仕事が終わってから(派遣先の)上司に食事に誘われた

・初めは話題は「新型インフルエンザって怖いらしいねえ」って話だった

・で、途中でおもむろに『モースガード』なるマスクを出してきた

・このマスクは他のマスクと違って、新型インフルエンザウィルスも99.9%防げるらしい

・こんなすごいマスクが1箱(1袋5枚×12袋)12600円のところを私から買うと10500円でOK!買うよね?

って話でさすがにゲンナリしながらもモノがモノだけに、騙されたと思って買ってもいざという時に役に立つかもしれない、

と思って1箱だけ買っておこうかと思ったらさらに

・こんな素晴らしいマスクなので是非知り合いにも薦めて欲しい。その時は私から10500円で卸すので、定価の12600円で売ってくれて構わない。

 例え定価でもいざインフルエンザ流行すれば定価でさえ手に入らなくなる。今のうちに皆が備蓄するべきである。

って話になって、これはいよいよ話がおかしいって思ってとりあえず1箱じゃなくて1袋だけ買ってきて、お茶を濁して帰ってきたらしい。

んで、自分にその袋を渡して「ネットでこのマスクの評判とか載ってない?」って訊いて来た、っていう。

でも一応『モースガード』で検索するんだけど、内側(そのマスクを売る人側)の絶賛の記事ばっかで外側の評価が出てこないんですよ。

なのでダメもとでちょっと誰かご存知ありませんか、っていう。

 

しっかしこマスク、網目がミクロレベルで超細かいのか何なのか知らないけど見た目は普通マスクなんだよねえ。

・・・本当にやばいウィルスが大流行してみんなが死ぬか生きるかって時、マスクなんて手段でガードできるんかねえ?

それが一番の疑問。

2009-03-17

でんしゃでんしゃ

Eames - power of ten

<object width="425" height="344"&gt;<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/A2cmlhfdxuY&amp;hl=ja&amp;fs=1"&gt;</param&gt;<param name="allowFullScreen" value="true"&gt;</param&gt;<param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;</param&gt;<embed src="http://www.youtube.com/v/A2cmlhfdxuY&amp;hl=ja&amp;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"&gt;</embed&gt;</object&gt;

30代のサブカルを少しかじった人でも知っている

EAMES FILMS:チャールズ&amp;レイイームズ映像世界

アマゾンで見る

画面が徐々に10倍にふくれあがり、そしてしぼんでいく。

ミクロマクロや、宇宙ヤバイなどの世界観入門としても名高い。

さっきDVDの整理をしていてふとXBOXに挿入。

なんとなく眺めていた。

Po10以外はあまり見ていなかったのだが、

DVDの最後にある古い汽車おもちゃの話に目が止まった。

おもちゃ汽車トッカータ

Toccata For Toy Trains

<object width="425" height="344"&gt;<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/h5p9EMdXRsU&amp;hl=ja&amp;fs=1"&gt;</param&gt;<param name="allowFullScreen" value="true"&gt;</param&gt;<param name="allowscriptaccess" value="always"&gt;</param&gt;<embed src="http://www.youtube.com/v/h5p9EMdXRsU&amp;hl=ja&amp;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"&gt;</embed&gt;</object&gt;

http://www.youtube.com/watch?v=h5p9EMdXRsU&amp;hl=ja

2歳になって間もない息子が汽車車など車輪モノが大好きで、

きかんしゃトーマスあたりになると目の色が変わる。

それはそれでかわいいわけだが、

いっつも同じのを見せるのはなんか催眠術の様で避けたいところ。

とはいえ、そこまで息子が食いつくムービーコンテンツもそんなに知らないわけで、

むしろwiiDSの区別がつく息子を見てちょっと笑ってしまう自分がいる。

別にトーマスばかり見ている訳じゃないんだが、

せっかくなら息子の好きな汽車の良質な映像を見せてみたいと思っていたところだった。

30代のお父さん達もプラレール好きの息子がいたらこのトッカータムービーも見せてみましょう。

どんな反応が返ってくるでしょうね。

明日息子に見せてみようと思います。

2009-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20090301034255

ミクロ意味で十分。

というか、それは本当にミクロなのか?

君のミクロ認識はどれほど現実に即しているか?

なにより、自身がそもそもミクロ存在なので、ミクロ意味で十分ではないか。

私が火星に降り立つ事はないだろう。月ですら、成層圏を越えることすらないだろう。

それどころか、地球上で行った事のある範囲など、極々わずかだ。

ガガーリンですらどれほどの土地を見たのだろうか。そして、陸地より海中の方が広大だ。

得た知識も乏しい。物理の最新理論など知らない。増田の全記事すら把握していない。

しかし、ニュートン相対性理論を知らずして死んだ。コペルニクスビッグバンを知らずして死んだ。

彼らは無意味であったろうか。

シェイクスピアドラゴンボールを知らずに死んだ。

シェイクスピアは君にとって無意味だろうか。鳥山明は君にとって無意味だろうか。

近藤淳也は?有村悠は?君の友人は?君の母は?

君の意味は君だけで決まるのだろうか。

君にとって意味ある人々は、宇宙人類全体とどれほど関係あるだろうか。

君は君の手の届く範囲で意味を見つければよいのではないか。

君は君の手の届く範囲のことをどれほど知っている?

君の周りには君の知らない仕事や君の知らない人生や君の知らない事に意味見出している人々がいるのではないのか?

一年前、サブプライムローンを知っていたか?

十年前、Webの何を知っていたか?

手の届く範囲が狭すぎるから無意味と感じる前に、手の内をよく見てみよう。

君の手の内がすべて無意味かどうか。君の知らないところに意味がないか。

近くにこそ意味が隠れていないか。

少なくともあなたの文章を何千人もの人が読み、何百人もの人が考え、何十人の人が言葉を残した。

彼らにとってあなたは全くの無意味だろうか。あなたにとって全くの無意味だろうか。

有意と無意の境は何処だろうか。

まんがを読んだ昨日の時間無意味だっただろうか。

この文を書いている今の時間無意味だろうか。

ただ単に、それに比べてより意味のある、より意味のない事があったかもしれないだけではないだろうか。

しかし、それは結局誰にも分からないだろう。

なぜなら、昨日まんがを読まなかった自分も、今これを書いていない自分もいないのだから。

なんに対して無意味なのか、何に対して有意味なのか。

結局、目的や結果が欲しいのだろう。物事を関連付けなければいられない、人の性なのだろう。

人生の目的意味と結果が知りたいだけなのだろう。知っている事象同士の関係性を、知らぬ事象との関係性を、とにかく何かを知りたいのだろう。

それに意味があろうとなかろうと。

と言う私に、

「だから君って人は云々」

と机を叩きながら言ってくれる可愛い子がいないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20090301035654

元増田です。

いろいろコメントをいただけたので、気になるコメントに対してコメントしてみます。

というか、僕用のメモです。

だから意味なんてないのだから探しても無駄で、相対的な意味を見つけて生きて下さい。


相対的な意味の中で生きるのが辛いのです。

すべてが同質化した世界の中で、人生意味を見つけたとして、それがいったいなにになるのでしょうか?


価値」も「意味」も人生の枠組みの中で意味を成す概念だから、人生そのものに適用するのがそもそも無理なんじゃないのかと思う。

「見出せる意味」という枠組みの中でのみ、人は「意味」を見つけられる。「有限」な我々は、その中でこそ「無限」を錯覚することが出来る。「有限」の外側より、内側への思弁を充実させましょうよ。


まぁ、それは思う。

でも、人生そのものに「意味」も「価値」もないのであれば、人生の枠組みの中にあるすべてのものも「意味」も「価値」もないということになるのではないでしょうか?


私と同じ事考えてるな。守るべき物を持った時にその悩みは消え失せるよ。


たしかに、今の僕には守るべきものはありません。守るべきものを持つということは僕にとっての救いになるのかもしれませんね。

でも、それがみつかったとしても悩み続けるような予感はしています。


思考が空回りしすぎ。意味がないと考える事にだって意味がないじゃん



その通りです。

人生意味がなければ、考えることにすら意味がありません。

なので、僕は自分の考えにすら意味を見いだすことができません。

だからこそ、辛いのです。


とてもキモチはわかる。同じ事考えるよ。 // ただ、だからこそ人生(無に戻るまでの猶予)という時間を楽しむべき、なんだろうなというのはある。よく迷路にはまりこむけどね


楽しんだもの勝ちというのはよく思います。

でも、楽しむことにすら意味を見いだせないので非常にむなしくなります。

「楽しんだところでなんなんだ?」と。

まぁ、楽しいときは純粋楽しいのでそんなことは考えないですけどね。

楽しんだ後に非常にむなしくなる。


オギャーと生まれたときから人生意味を持たされるなんてさ、そんな生き方はこっちから願い下げだ。俺は意味なくこの世に生を受けたことを実にありがたく思う。何をやったっていいんだぜ



何をやったっていいんだろうけど、「それが何になるの?」と聞かれて答えられない自分がいます。

自分一人だけ世界存在するのであれば、自分の中にだけ意味を見いだせればいいのでしょうが。


これは神のみぞ知るだと思います。考えるのを諦めるか宗教か、どっちか。


思考停止はなるべくしたくないのです。

宗教思考停止をする装置として人類が生み出した最高の発明品だと思っています。


仏教の「毒矢のたとえ」と同じ話。(漢訳『仏説箭喩経』、パーリ文中部経典)「そんなことを考えても目の前の問題は何も解決しない」というのが答え。/定期的にこの手の話は出るな。前にもこのコメントをした覚えが


まぁ、たしかに目の前の問題が解決しないので逃げているだけかもしれません。

しかし、僕は僕のむなしさの根源を知りたいのです。


自分人生の意義は、自分でしか決められないもんだよ。あと、次の言葉は使い分けられた方がいい:意味価値・意義


言葉の使い分けに関してはご指摘の通りです。



あんたが人生意味プレゼントしたらいいじゃない(ブッタとシッタカブッタより)


うむ、なんか励みになる言葉ですね。


逆に何かの意味があったら、その意味に即した行為以外は全て意味の無い無駄になる。それは何も意味が無いよりも嫌だな。


何かの意味があれば、それに反する行為でも「無意味」という意味が生じるのではないでしょうか?

すべての行為が無意味なほうがもっと嫌ではないですか?


人は豊かな人生を楽しむために生まれ、死んでいく。たったそれだけ。頭でっかちな奴はこんな簡単な事すら分からなくなって人生を毀損する。今この一瞬一瞬が驚きと感動で満ちているのにその価値が分からんのは不幸



一瞬一瞬では驚きもすれば感動もできるのですが、やはりそれは一瞬であって、その直後にもの凄い虚無感に襲われるのです。

「驚いたからなんなんだ?」「感動したからなんなんだ?」と。

そう、価値が分かってない。その価値の根源をどこに見いだせばいいのか、それがわからないのです。



人類はいつか必ず絶滅する、などと言われるけれども、それは確実なことだろうか。宇宙それ自体を超越するようなことはありえないのだろうか。


宇宙それ自体を超越する」って発想はありませんでした。

ニーチェの「超人みたいなものでしょうか。 この無意味人生の繰り返しを積極的に肯定し、それを超克していくという。

一歩間違うとカルトになりそうなので、慎重に気をつけながらそちらの方向も思索してみようと思いますみたら楽しいかも


もとより世界意味はない。しかし人は世界を前に無力なので、意味という幻想を求める。しかし、それは鍛えられるべき弱さだ。日々のSacheへ帰還せよ。



たしかに、僕は弱者が故に意味という幻想を求めているのかもしれません。

Sache?  ググってみたら「事柄」的な意味のようですね。日常に帰れということでしょうか。


追記

たぶん増田自分幸せも愛してくれる人も子供も一生所属したいと思えるような社会も持ってないんだな。どれか一つでも持てば、いつか人類は滅びるなんて考えずに、一秒でも長く生きていたいと思うようになるよ。


ミクロ的にも意味がある人生を歩んでいないからそういうことを考えてしまうと。

そういう面は否めませんが、そもそもそういうものを持とうとする前に「で、なんの意味があるの?」と自問してしまう自分がいます。

あなたは次はシロイルカに転生して八景島で芸をするかもしれません。

ちょっと笑えました。

来世を信じるということは、現世の辛さを回避する為の手段として効果がすごくありそうですね。

でも、僕は信じることができないです。

2009-03-01

有村悠です。

他の命の意味が圧倒的にわからない。

ミクロ的にはわからないこともない。

自分幸せのため

自分を愛してくれている人の為

子供のため

社会の為

種の保存の為

でもそれがなんだと言うんだろう?

自分はいずれ死んでしまうし、自分を愛してくれている人も死んでしまうし、子供も死んでしまうし、人類だって滅びてしまう。

そもそも、この宇宙だっていずれは停止する運命にある。

要するに自分が何をやったとしても、もしくは何もやらなかったとしてもはっきりいって無意味だし無価値だ。

圧倒的な無意味の中でどうやって生きていけばいいんだ?

どうすれば、他の命が価値あるものだと思えるんだ?


僕はつねに正しくあろうとしてきた。

その正しさの根拠をどこかに求めようとしてきた。

人間社会的動物である。

では、社会に正しさの根拠を求めればいいのか?

いや、社会的動物なのであれば生物として存在し続けること = 種の保存に則って生きていけばいいのか?

いや、そもそも生物化学的な反応によって、もっとたどれば物理法則にもとづいて活動をしている。

ならば、物理法則に正しさの根拠を求めればいいのか?

しかし、物理法則なんてものにはなんの意味もないじゃないか。そこにあるのはルールだけだ。

いや、そもそも化学的反応だって物理法則に則ったただのルールだし、種の保存だってDNA記述されているただのルールだ。

DNAルールに則って活動しているヒトという生物が作り出した社会だって、そこにあるのはただのルールだ。

結局、どこにも他の命の意味なんてない。

・・・そんなことをいつも考えながら蛾を叩き潰している。

http://anond.hatelabo.jp/20090301034255

生きている意味が圧倒的にわからない

生きている意味がわからない。

ミクロ的にはわからないこともない。


でもそれがなんだと言うんだろう?
  • 自分はいずれ死んでしまうし、自分を愛してくれている人も死んでしまうし、子供も死んでしまうし、人類だって滅びてしまう。
  • そもそも、この宇宙だっていずれは停止する運命にある。
  • 要するに自分が何をやったとしても、もしくは何もやらなかったとしてもはっきりいって無意味だし無価値だ。

圧倒的な無意味の中でどうやって生きていけばいいんだ?

どうすれば、自分人生価値あるものだと思えるんだ?


僕はつねに正しくあろうとしてきた。

その正しさの根拠をどこかに求めようとしてきた。

  • では、社会に正しさの根拠を求めればいいのか?
  • いや、社会的動物なのであれば生物として存在し続けること = 種の保存に則って生きていけばいいのか?
  • いや、そもそも生物化学的な反応によって、もっとたどれば物理法則にもとづいて活動をしている。
  • ならば、物理法則に正しさの根拠を求めればいいのか?


しかし、物理法則なんてものにはなんの意味もないじゃないか。そこにあるのはルールだけだ。

いや、そもそも化学的反応だって物理法則に則ったただのルールだし、種の保存だってDNA記述されているただのルールだ。

DNAルールに則って活動しているヒトという生物が作り出した社会だって、そこにあるのはただのルールだ。

結局、どこにも意味なんてない。

・・・そんなことをいつもかんがえている。

2009-02-25

勉強をサボって頭が悪い人は頭がよい人に玩ばれるだけなんだろうな

id:magician-of-posthumanが仕掛けた罠とは何だったのかについて一考した。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131

 id:gerlingは、何の技も会得せずに、「メディア論」という一つの学問分野に対して「道場破り」を挑んできた。しかし学術の道場では、何の技も会得していない雑魚と同じ「土俵」に立つような真似はしない。雑魚は「門前払い」だ。しかしながら、メディア論の道場では、「門前払い」になった雑魚を<踏み台>にすることによって、より高き土俵を造ることが可能なのである。

 どういうことか?今id:gerlingが陥っているパラドクスは、自らの反論が何ら相手にされずに、反論対象を好都合にしてしまっているというパラドクスなのである。id:gerlingがメディア論に反論しても、メディア論の必要性を助長させてしまうのだ。

増田的には注目度は低かった「科学的な議論」ではあったが、この議論は最初から茶番だった。

 

id:gerlingの反論が非科学的な反論(笑)であったために、

id:magician-of-posthumanはそれを都合よく「利用」したってことだ。

 

id:gerlingは、最初から手のひらの上だったのだろう。

  

 

議論の流れはこうなる。

 

1.id:gerlingは、id:magician-of-posthumanの「メディア論」を「ミクロ権力論」と混同して反論(笑)した。

 

2.だが、id:magician-of-posthumanは、「メディア論」がシステム理論の「コミュニケーションメディア論」と

  フランクフルト学派の「メディア論」的転回関係し、「ミクロ権力論」とは全く違うと言う事を説明した。

  http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

  客観的に第三者視点からみても、この時点でid:gerlingの敗北は決定的。

 

3.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

  同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

  証明する事にあったが、id:gerlingは「論旨のずらし」によって不当に応戦した。

 

4.id:gerlingは、システム理論の「コミュニケーションメディア論」を完全スルーしたまま、

  システム理論を「観念論・形而上学精神分析学」だと決め付けてかかった。

 

5.だがid:magician-of-posthumanは、形式とメディア理論オートポイエーシスシステム論を説明し、

  システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」とは全く別物である事を完璧に論証した。

 

6.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

  同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

  証明する事にあり、

  かつ、システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」と同じだと言う事を

  形式とメディア理論オートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、

  id:gerlingはまた「論旨のずらし」によって不当に応戦した。

 

7.http://anond.hatelabo.jp/20090222172805増田が言っていたが、

  id:gerlingは、「コミュニケーション人間的な単位還元する事は不可能」だという

  システム理論の主張を完全スルーしたまま、

  「メディア論はガキくさい」から「id:magician-of-posthumanはガキくさい」へと

  「論旨のずらし」を行った。

 

8.だがid:gerlingのこの「論旨のずらし」だと、

  http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798を全く言い負かす事も

  できないまま主張してしまうために、全く全然具の骨頂な「論旨のずらし」になってしまった。

 

9.id:magician-of-posthumanは、追い討ちをかけるかのごとく、

  id:gerlingの「孫引き」=他者が引用した文章をそのまま引用する不正行為を行っている事、

  id:gerlingがルーマンの文献を読まずにルーマン理論に反論している事の調査不足さ、

  id:gerlingがボルツの文献を読まずにボルツを馬鹿呼ばわりしている事を指摘した。

 

10.id:gerlingは、このid:magician-of-posthumanの追い討ちを受けて、

   やっとルーマンの文献を一冊だけ(←ここポイント)読んで、

   id:magician-of-posthumanのシステム理論が誤読だと反論した。

   実はこの誤読だという反論も、客観的に見れば「論旨のずらし」だとわかる。

   id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

   同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

   証明する事にあり、

   かつ、システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」と同じだと言う事を

   形式とメディア理論オートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、

   id:gerlingはこれらの説明責任の論旨を「id:magician-of-posthumanのシステム理論」へと

   ずらす事で、id:magician-of-posthumanの波状攻撃になんとか対応しようとしたって事だ。

 

11.しかしid:magician-of-posthumanは、id:gerlingが罠に落ちたと言う。

   id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの

  「id:magician-of-posthumanのシステム理論は誤読だ」という主張を、

   これまた正確に反証している。

   id:gerlingは、ルーマン理論が神経や意識を「一度も」説明していないというが、

   id:gerlingが読んだ事のあるルーマン本は、「一冊だけ」だった。

   id:magician-of-posthumanはこれに向かって、

   神経や意識を取り上げているルーマン本を数十冊取り上げ、その頁数まで正確に記載して、

   id:gerlingの「知ったかぶり」を説明した。

 

12.さらにid:magician-of-posthumanは、id:gerlingこそがシステム理論を誤読していると説明する。

   形式とメディア理論オートポイエーシス自己言及と外部言及、システム環境の差異、構成主義認識論、

   コミュニケーションメディア論間テクスト性パラドクス化と脱パラドクス化。

   数多くのシステム理論概念を取り上げ、

   id:gerlingが自分自身の「調査不足」の責任を相手の「説明不足」へと転嫁していると説明する。

 

13.1-12までのながれをみると、どうも客観的な立場の第三者からみると、

   id:magician-of-posthumanがid:gerlingの相手をする理由がないように思えてくるのは気のせいだろうか?

   id:magician-of-posthumanが言うように、id:gerlingは議論の入り口に立ててない。

 

14.しかしid:magician-of-posthumanは、「メディア論」に反論(笑)してくるid:gerlingを

   最初から相手にならない無害な素人と見做し、「メディア論」の必要性を高める為に、

   好都合に利用していたのである。

   詰まり、id:gerlingの「メディア論」批判が「メディア論」に栄養を与えていたってことになる。

 

15.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「孫引き」が知のデザインだという。

。「孫引き」を行なったid:gerlingは、これらの引用記事を読んではいない。読んだ上で言及するならば、最初から正確に引用であることを記したはずだからだ。したがってid:gerlingは、引用記事を読まずに「孫引き」した上で、引用されている記事のバックグラウンドに無学なまま反論(笑)を成し遂げていたと言うことになる。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131

 

16.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「論旨のずらし」も知のデザインだという。

   増田が批判していたが、magician-of-posthumanは肯定的に取り入れているっという事になる。

 「論旨のずらし」は、今現在顕在化している論旨では到底勝つことができないという惨めな気持ちを埋め合わせるために形式化されているのである。言うなれば、「論旨のずらし」とは、既存の論旨に反論したいけれども反論(笑)になってしまうというパラドクスを、別様の「形式」と「メディア」の区別を構成することによって、脱パラドクス化しているのである。つまり、「論旨のずらし」とは現状無害化による問題の隠蔽なのだ。しかし脱パラドクス化はそれ自体がパラドクシカルである。パラドクスの隠蔽はパラドクス発見を伴わせる。だからこそ今現在id:gerlingは、稚拙バックグラウンドのままメディア論に反論(笑)することが、逆にメディア論の必要性を助長するというパラドクスに向き合わざるを得ないのだ。

 

17.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンの文献を読むように誘導していた。

   案の定id:gerlingは、ルーマンの本を「一冊だけ」(←ここポイント)読み、誤読し、自爆した。

   誘導していたid:magician-of-posthumanにとって、ここまで計算どおりだったってことなのである。

   id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンを付け焼き刃で論じても、100%誤読すると

   確信していたんだろう。

   id:magician-of-posthumanは、システム理論完璧に説明し、id:gerlingのルーマン読解を完璧に反証して、

圧倒的な調査不足に基づいた反論(笑)は、まさしく<知のデザイン>である。

   と言っていた。確信犯以外の何者でもない。

 

 

 

こうしてid:gerlingは、id:magician-of-posthumanの手のひらの上で転がされていたんだ。

とくに、id:magician-of-posthumanがわざと「id:gerlingがルーマンの本を読むように誘導」し、「案の定誤読した」ところを

知のデザインの要素として好都合に動員したあたりは、実にしたたか。

今までトニオは周囲から煙たがれるだけの存在だったが、これほど真正面から「利用」されてしまったのは

おそらく初めてではないだろうか?

 

だが僕らには、id:magician-of-posthumanのしたたかさにネガコメを突きつける資格があるのだろうか?

実際問題、id:gerlingの「メディア論」批判が十分な調査不足と正確な反証だったなら、

こんな事は起こらなかっただろう。「メディア論」の必要性を助長させてしまう「メディア論」への反論(笑)

書いて、付け焼き刃の知識と「論旨のずらし」や「孫引き」を繰り返して非科学的な反論をしてしまった

id:gerlingにも、問題はあっただろう。

 

たぶん僕らが教訓として言えるのは、

普段から努力をサボってる奴には、努力した者だけが参加できるハイレベルな議論に

参加する事が許されないってことなんだろう。サボりは悪い。

2009-02-22

論旨をずらして反論(笑)すると、勝手に「一人堂々巡り」にハマル

トニオに激怒したのは久しぶりだな

トニオとポマえもんの議論からスゴイ事発見しちゃった増田が通りますよ

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090217/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090221/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090221/1235173303

アンチ・トニオの増田から物申す

  

議論を一通り読んで疑問に思ったんだが

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」というのが

ポマえもんのシステム論的な主張のひとつなんだよな?(そういえば宮台も言ってた気がする

で、反論する立場のid:gerlingは、

システム論の文献をひとつも読解しないまま

知ったか → 孫引き → 論旨のずらし

を繰り返す事で反論(笑)していたんだろ。

 

その反論(笑)の内容が

メディア論ミクロ権力論・観念論・形而上学と同じでガキ臭いから止めてしまえ」だったんだろ?

 

でもポマえもんはシステム論のコミュニケーションメディア理論

フランクフルトの「メディア論」的展開を例証する事で

ポマえもんの「メディア論」が「ミクロ権力論・観念論・形而上学」とは全然違うと

説明したんだろ?

 

id:gerlingはトニオ戦法(知ったか → 孫引き → 論旨のずらし)しかできないから

システム論のコミュニケーションメディア理論にも

フランクフルトの「メディア論」的展開にも

反論する事ができないでいたんだろ?

 

要するにこの時

メディア論ミクロ権力論・観念論・形而上学と同じでガキ臭いから止めてしまえ」と反論する立場の

id:gerlingは、トニオだし、

もう議論の敗者になったってことだ。

 

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」という

システム論的な分析も、当然反論できてないよな?

 

じゃあなんでid:gerlingは

ポマえもん自身をガキ臭いって反論(笑)してんだ?

 

論旨をずらすのはトニオ戦法なんだしもう見慣れていたけど

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」

という主張を反論できないからといって

メディア論はガキ臭い」 → 「ポマえもんはガキ臭い」という

トニオお得意の論旨のずらしは通用しないんじゃないのか?

 

なぜなら、この論旨のずらしは

id:gerlingを敗北者にした議論というコミュニケーション

「ポマえもんという人間」に還元しようとしているからだ。

 

つまりid:gerlingが「メディア論はガキ臭い」という論旨を

「ポマえもんはガキ臭い」という論旨にずらしたいならば

まず「コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」を

完璧に反論して間違っている事を証明しないとならない。

 

id:gerlingは

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」

という主張を反論できないからこそ「ポマえもんはガキ臭い」という論旨へとずらそうと

しているんだろうが、

その論旨へとずらすためには、まずid:gerlingがどうしても反論できていない

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」というポマえもんの主張を

反論しなければならない。

 

なにこの一人堂々巡り

論旨をずらして反論(笑)すると、勝手に一人堂々巡りにハマッテしまうんだなww

 

(追伸)

待てよ、これがポマえもんが仕掛けた魔術なのか?www

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