麻雀界においてデジタルな理論の代表としてとつげき東北さんの「科学する麻雀」があげられる
この本は当時麻雀本としては異例の売り上げを上げる。この本によると「待ち牌読みは必要ない」などと書かれていて反響を呼んだ
一方オカルトな理論として有名な本は土田プロの筋トイツ理論(かなりオカルトな理論)がある。
デジタルを信仰する人は第一線で活躍されるデジタル信者以外は自分自身で法則を打ち出すことが限りなく難しく
どうしても○さんの本の書いていることを利用すべきだとか△さんの言ってることを広めるべきであるようなことを言う。
そして統計をとるが理論だてて説明できない統計を否定したがる。また、オカルト信者はどうしてもデジタル信者を軽蔑する。
そして、デジタルは状況判断をしないから駄目だとか意味不明な判断基準で押し引きをして流れが~だとかツキが~だとか
どうしようもない言い訳をする。
デジタルとオカルトどちらが正しいのだろうか。俺にはわからない。素人なので。ただ、両方のことができるようになるのが
プロであり強者であるように思われる。
似たようなものは野球でも存在する。セイバーメトリクス論(アメリカ)と勝負勘論(セオリー通り)という二つの考え方の違いがある
セイバー理論はバントを否定するが日本はバントを肯定する両者の考え方に違いはあるがどちらに優位性があるかはわからない
このような例は他のことにもあるのではないか。
視点を変えるだけで真逆の答えになってしまうものが・・・・
デジタルなものは小さな補正項を無視する。麻雀の例で言うと河の残り牌の枚数やプレイヤーの動作によるテンパイの確信など・・・
オカルトは自分の視点で物事を見る。そのため大きな視点で見るとおかしな挙動をとってしまい統計にありえない誤差を生んでしまう。
だけれども集団にとっておかしな個人行動はいずれ集団にとって正しい行動になることがあるかもしれない。
オカルト(=ミクロ)がデジタル(マクロ)をいずれうごかしていくのではないかと考えてしまう。