はてなキーワード: カウンセラーとは
最初のカウンセラーさんは他のところでもカウンセリングやってないかな?
歯医者とか他の医者でも、出張とかの代理できたお医者さんのほうが相性がよくて
そっちに移ります、っていうのは全然アリだと思う
カウンセリングに通っているが、カウンセラーとの相性がいまいち良くない気がしている。もちろん理由を話せば人を代えてもらえることはできるシステムだが、そうすると(向こうでの引き継ぎはあるだろうが)新しい相手にゼロから話し始めなければならないなど何かと面倒が生じるので同じ方で続けている。
引っ越しや料金の関係で、通うカウンセリングセンターそのものも数回替えている。
・初めて行ったのは学内の無料カウンセリングセンター。数回通った。ここの担当カウンセラーがいちばん「良かった」と今でも思う(初めて行ったところだったことと、単に問題を円満解決できたからという補正もかかっているとは思う。ここで、「何か問題があれば抱え込まずにカウンセリングへ行くこと」に良いイメージを持った)
ただし、卒業生は対象としていないため学校卒業と同時に(ちょうど相談問題も解決したので)カウンセリングも卒業せざるを得なくなった。
・しばらく空いて、就職してから自宅近くのカウンセリングセンターに2、3回ほど通った。「可もなく不可もなく」問題の本質まで相談しきれなかった気がするが、相性以前に料金が高くて継続を断念。
・その後、1回だけしか受け付けない代わりに無料でやってくれる相談所(?)に、文字通り一回だけ行った。「まあまあ」だった印象だが継続相談は受け付けてくれないので断念。
・で、現在通っているところ。自宅からは遠いが通勤路線上にあるのと、料金控除がある関係でここに通院(と呼ぶのか?)している。今まで行ったところの中でいちばん多い通院回数なので割といろいろな問題を話し込めてはいるのだが、先述のように相性と言うのか、優等生的な方なのでドロドロとした闇(病み?)の部分を話したくないし、話しづらい。でも「不可」ほどでもないし、愚痴を聞いてもらうという行為自体は精神衛生的によいだろうと自己判断し、惰性で通い続けている。
時間が経てば人の印象も変わってくるものなので、今の方でも良いのかもしれないが。有料でもいいからもう一度一番始めのカウンセラーさんに話をきいてもらいたいな、というのが本音である。
健康本は、当たり前のことしか書いてないか、オカルトかのどちらかです。
バランス良い食事をして、適度な運動をして、規則正しく生活すること以上の健康法はありません。
どうしても自分の病気についてもっと知りたいなら、医学書を読んでください。
最近の政治事情についての本は。基本的に偏ってます。本を読んで分かった気になって語っても、「教養ある人ね」とは思われません。「ああ、こいつ○○派のシンパなんだな」と思われるだけです。
もしもあなたが政治家を目指しているとか、今度の選挙でどこの党に入れればいいのか決めるために本を読むような殊勝な方なら止めませんが、時事動向を知りたいなら新聞を読んだほうが良いです。
やる気や整理整頓や時間管理や自己投資が大事なのは本を読まなくても知っているはずです。あとは手足を動かすのみです。動かせない人は、本を読んでも動かせません。
あなたが小説を読むのが純粋に好きであるのなら、どんどん読んでください。でも、好きでもないのに教養のために無理矢理読んでも、身にはなりません。時間の無駄です。
哲学は、既に知っていることを確認する学問です。あなたが今迷っていることについての答えは与えてくれません。人間関係の悩みなら心理カウンセラーに、お金の悩みならお金のプロに、進路の悩みなら進路相談室に相談しましょう。
ただし、「真理とは何かが気になって夜も寝られない」というような方は、読まないと日常生活に支障があると思うので、大いに読んでください。
Twitterで楽しく遊びたいのなら、ただ実践あるのみです。いろんな人をフォローして、居心地の良いクラスタを見つけましょう。以上。
ただし、Twitterを使って金儲けがしたいのだったら、大いに読んで研究してみてください。無理だと思いますけど。
ギャンブルはやめましょう。
あなたが日銀や財務省に勤めているなら、大いに読んで研究してください。ただし、結局のところ現時点では諸説あって何が正しいのかは分からない、という結論を覚悟の上で。
あなたが普通のサラリーマンなら、日本の景気を上げる方法よりも自分の給料を上げる方法を考えましょう。また、時事動向を知りたいなら新聞を読みましょう。
まず痩せろ。床屋に行け。まともな服を着ろ。まともな職に就け。話はそれからだ。
あなたが読むべき本は、次の4種類です。
・読んでいて楽しい本
・仕事で直接使う分野の専門書
・個人的に興味がある分野の専門書
・新聞(本じゃないけど)
そうでない本を読むのは時間の無駄にもかかわらず、何か有効なことをしている気分になってしまうという意味では害悪でもあります。成長、教養、という甘い言葉に騙されないことが必要です。
これ、これらの団体がレイプ相談に乗っている事が知られていないか相談するのを忌避する空気があるだけでは?
別に震災時に限った訳ではない九十五年一年間の統計なのにどこも相談ゼロって明らかにおかしいだろ。相談窓口として機能してないじゃん。
「毎年(統計データとして信頼出来るサンプル数と言える程度の数の)相談があって、九十五年も特に例年と比べて増えていない」
のなら信頼出来るけど。
「相談窓口として機能してないじゃん。」というのは確かにそうだが、ちゃんと「経験二〇年になる女性問題カウンセラーは「強姦の被害者は、警察に届けるのと同時に電話相談も躊躇するものだから数字には表れない」という。」とかいてある。問題は、じゃあなぜ「Hのところにだけ五十件ものレイプ相談が寄せられたのか。」ということ。
電話相談ではないが「毎年(統計データとして信頼出来るサンプル数と言える程度の数の)認知、検挙があって、九十五年も特に例年と比べて増えていない」とはいえる。
警察が隠蔽してるから統計に出ないと主張する人がいるが、警察の隠蔽が震災後だけ厳しくなったということだろうか。ちょっと考えられないが。
「被災地で強姦事件多発」がまた話題になっているみたいなので、
物語の海、揺れる島
http://www.amazon.co.jp/dp/4093872058
の該当部分をこぴぺ。
Hは、震災から一月後に電話によるカウンセリングを始めたという。その「女性のこころとからだ」と名づけたホットラインに現在まで総数二千七百もの女性からの相談が寄せられ、レイプにかかわるものは約五十件にのぼる、という。
「レイプの話はたくさんあります。ボランティアの女子大生なんですけど、長田区を歩いていたら、いきなり後ろからリュックを捕まれて瓦礫の中でレイプされたとか。女の子が声をかけられて被災者をお風呂に連れて行くボランティアだと言われて、信じて車に乗ったら山の中まで連れて行かれてレイプされたり…」
さらに彼女が受けた「相談内容」はつづいた。アルバイト募集の張り紙を見て行ってみるとそこは半壊したビルで、いきなり乱暴された。もっとも悲惨な話として、震災で身寄りを亡くした姉妹のひとりがこわれた自宅に物を取りに帰り、そこでレイプされその場で自殺した-。
「被害者と一緒に警察に言ったこともあったけど、警察官が自分のためにならないから取り下げろって言うのよ」
...
前述の雑誌、新聞の報道記事にはすべてHの電話相談「女性のこころとからだ」で受け付けた事例が紹介されている。
たとえば九十五年七月二十六日付の「朝日新聞」家庭面では「阪神大震災のストレス、女性にずしり 子供虐待、親類と衝突」との見出し。全国紙では最も早く大きく取り上げた記事である。震災から4か月間で、千500件以上の電話相談があったことを報じ、家族関係のトラブル三〇七件、幼児虐待一〇四件、レイプ/レイプ未遂三七件など相談項目別に数字が挙げられている。このうちレイプに関しては「レイプ/レイプ未遂についてのそうだんもあった。町が焼け、家が壊れて、街灯がなくなった。後ろからリュックをつかまれて立ち入り禁止のビルに引きずり込まれた例。半壊の家に物を取りに帰って泥棒と出くわし、教われた例もあった。三七人の被害者のうち、警察に届けたのは二人だけ。それもほどなく訴えを取り下げている...」との記述があり、Hが私に話した内容と一致している。
...
兵庫県警が震災のあった九十五年一年間で強姦事件として認知したのは五十七件、うち五十六件を検挙。その前年は認知、検挙ともに五十七件。
さらに震災被災地十四署にかぎれば、九十五年認知十五件、検挙十四件(一月~十一月)。前年同期間は認知、検挙ともに十九件。
もちろん、強姦事件は犯罪の特殊性からしても被害者が警察にすべて届けるというものではない。むしろ届けないことが多いはずだ。警察による事細かな事情聴取も「セカンドレイプ」といわれている。もっとも県警捜査一課の山川管理官は「こちらとしては積極的に届けてほしいので、捜査に婦人警官を配置している」という。
...
「被災女性を支える女たちの会」「性暴力を許さない女の会」「みずグループ」といった関西ではよく知られる女性団体ではのきなみゼロだった。大阪YMCAが中心となって開設した「犯罪被害者相談室」もゼロ。公的機関の兵庫県「心のケアセンター・震災ストレスホットライン」もレイプにかかわるものは1件もなかった。
また、兵庫県立女性センターでは震災後半年で一万五五三件の相談を受けた。5人のカウンセラーが4本の電話にかかりっきりの状態だったという。レイプにかかわる相談は一件あったが、それも相談者が途中で切ってしまったので内容はわからないという。経験二〇年になる女性問題カウンセラーは「強姦の被害者は、警察に届けるのと同時に電話相談も躊躇するものだから数字には表れない」という。
警察の発表にも各電話相談にも「被災地で強姦事件多発」の証拠となるべきものが出てこない。なぜ、Hのところにだけ五十件ものレイプ相談が寄せられたのか。
...
「神戸ではレイプの話がたくさんあって、誰でも知ってるくらいだったわ。私も実際に四件もレイプの話を聞いていたし、あのくらいの相談がHさんのところにいっても当然だと思った。彼女の話、すごく具体的だったもの」
だが、正井が「実際に聞いた」という四件のレイプ未遂事件を丹念に聞き取ってみると、うち三件が「又聞き」の類だった。「あら、でもこれは私の弟が言っていたのよ、本当なの」という最後の一軒は、無線が趣味の弟が「○○避難所のボランティアはかわいい女の子がいるよ」というカー無線マニア同士のやり取りを偶然傍受したというものだ。
これでは、レイプ事件が多発したという証拠にはなっていない。
...
つまり、この相談件数もレイプ相談の内容もまったく根拠のないものだと、そういうことですね。
「あなたがそう思うなら自由に書いてもらっていいですよ」
Hは、何か思い切りをつけるように言った。そして、電話相談を受けていたのは自分ひとりだったと認めた。
「私は数なんて出すつもりじゃなかったのよ。正井さんたちやマスコミが数を出せって言うから、仕方なかったのよ。でもね、これだけは信じて。私がここで電話を受けていたことは本当なのよ」
とりあえずこれだけ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ahni.co.jp/kitazawa/sei/kitazawaseikyouiku12.htm
今日ほど両親や兄妹のありがたみを感じた日はない。
その思いを自戒のために書いておく。
今日は色々あった。
いや、今日まで色々あった。
私は、地方から出てきた就職活動中の4回生(しかし、諸事情で3浪の子と一緒)
他人に迷惑をかけることが苦手で、極力自分の力で頑張ってきた。
一応内定は貰っているけれど、そこに行く気はあまりしない。
だから、今まで頑張って就活していた。
夢があったということもある。
けれど、あまり上手くいかず
長引いた分、卒論にも影響が出ていた。
うちの学部では卒論提出が卒業必須条件な為、また就活についてももう残り少ないことがプレッシャーとなり
その状況が辛いと思っていたけれど、
「周りの人も頑張っているんだ」
「自分で解決しなければ、これから一人でやっていけない」
と思い、誰にも相談せず、行動していた。
けれど、左目がずっと霞んだり、急に吐き気がしたりと
最近あまりにもしんどいので、大学の心理カウンセラーのところに相談に行ったら
「一度、病院の方へ行って診断を受けてください」と言われた。
で、行ったら医者に
「週一で病院に来てください。大丈夫ですよ、経過を見て判断しましょう。」
って言われて
「もしかして、鬱なの俺??」って思ってしまった。
多分、違うと思うけど。
でも、ふと今までの短い人生を振り返ってしまった。
元々、大学へは教員になることと自己を変えるいいキッカケだと思い入学を決意した。
その時、両親からの援助は期待できるものではなかったが、それでもいろいろと面倒見てくれた。
進学の為にお金を貯め、その傍らで勉強をして学費一部免除で入学した。
一昨日も最後だと思って受けた企業に、2次で落ちた。(3次で終了)
何と不甲斐ない。何と親不孝な自分だろうか。自分は必要のない存在なのかと考えていた。
事故をした。
自分はほぼ無傷だったが、滑っていったバイクが店舗の大きなガラスを一面割ってしまった。
どうしようと思うあまり、体が震え、言葉が出てこない。
何とか、話をし終わり「弁償」という事になった。
それで、一応バイトを休んで帰ってきた。
暗い部屋の中で、ずっとどうしようかと考えていた。
「お金はない。」
「行動する気力が湧かない。」
「もう、考えるのがしんどい。」
「いろいろありすぎて疲れた。」
そんなことばかり考えて、追い詰められた。
このままではどうしようもないと、迷惑をかけたくなかったが親に電話した。
弁償のことと今の自分の状況を説明したら、怒れられた。
「もうしんどい、疲れた。ごめんね。」
とだけ言い残して切った。
その後、何回も電話があったが取る気がしなかった。
でも、あまりにもかかってくるので、電話に出たら
オカン泣いてた。
その時、いろいろな感情がこみ上げてきて
10年ぶりくらいに嗚咽を出して泣いた。
「不甲斐ない息子でごめんな、今回も迷惑かけてごめんな。」
「甘いかもしれんけど、もう、しんどいんよ」
って言ってたら、オカンが
「何を言いよんで、全然そんなこと言わんでええ。迷惑かけられるのが親なんやから。」
「別に教師になれんでもいい。あんたが頑張ってきてたのは良く知ってる。だから、今回のことは心配なんかせずこっちに任せられや。」
親父は
「お前は俺の子なんやから、そんなもんに負けるわけがない。何の心配もせず、前向きに生きろ。今回も気にするな。」
「変なことだけは絶対に考えるなよ。大事な息子なんやから、絶対にするなよ。一度、帰って来い。大丈夫だから。」
疎遠になってる姉ちゃんも妹も心配してくれた。
今日ほど、両親や兄妹の絆を感じた日は無い。
ありがとう、親父、オカン。
そして、姉ちゃんに妹。
ホントにありがとう。
心配だからって、明後日来てくれるらしい。
それまでに元気になっておくよ。
それで、これから恩返しするよ、絶対。
ホントにホントに、ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20091208173738
いや、びっくりした。今、まさに、この内容の書き込みをしようと思って増田に来たところ。
『そのとき』のことを思い出すと、相手殺したくなるので。(殺してやりたいっ)と頭に血が上るたびに、心臓がバクバクいって不整脈を起こして、ものすごく気持ち悪くなる。竹刀で壁を叩き叩き叩き叩き叩き、それでも気がおさまらず泣きわめく。
なんで、私の酷いことをした人間によって、自分の健康や人間関係や心の平安を乱されなくてはならないのか、どうしたら、この気持ちを捨てられるのか。増田で訊いてみようと思ってたところだ。
カウンセラーに行ってみたこともあるんだけど「相手にも事情があることを察してあげて」なんて火に油を注ぐようなこと言われたもんで、もう行ってない。犯罪をしなくてはならないほど、生きていくのがつらいのなら殺してあげたらいいんじゃないかなーとさらに気持ちがエスカレートしてきちゃって。
「なぜ」の問の答え、私は聞いた。「幸せそうでうらやましかった」んだそうだよ。「めちゃくちゃにしてやりたかったんだ」ってさ。じゃあ、私がめちゃくちゃにしてやってもいいよなあ? 先に手出したのはあっちだもんなーとさらに気持ちがエスカレートしてきちゃった。
どうやって、この殺意を消せばいいんだろ。相手が生きてる限り、ずっと(殺してやりたい)と思い続けるような気がするんだけど。
いや、やらないけどね。私は法の内側の安全なところにいたいからさ。もちろん、ずっと安全じゃないってことは知ってる。でも法の外側に行ってしまったら、24時間365日一生、安全とはおさらばだから。
何を言いたいのかわからなくなった。元増田のおかげで、うまく吐き出せたよありがとう。こんな答えしか書けなくてごめん。
その苦しさには訳がある。
私は性格的に暗くはないけど、何だかいつも固定の友達って出来ている確信が無かった。
友達とカラオケも行く、いじめはない、学祭で派手なこともしてたし馬鹿なこともやってた。でも何処かで何か人とは違う頼りなさみたいなものを薄々感じてた。
高校入学当初クラスに誰1人知り合いがおらず1ヶ月ぐらい普通に人と話せなかった。
ある時パーンと普通に戻れたけれど今思えばこれが一番最初だったんだと思う。
大学4年の時就職が恐いのと卒論の不安とで初めて鬱々と3ヶ月くらい引きこもりうずくまって泣いていた。
当時友達は訳を聞かずに代わるがわるアパートに来てくれた。
その後5月入社で他県へ出て大学から同棲してた彼とまた同棲しながら働き半年ぐらいは会社でも酷かったがある時また普通に戻れた。
人も環境も慣れた2年目の秋に5年越しのその相手と別れと同時に会社が自主廃業し、縁あってとても大きな会社へ上司同僚と一つの部署として転職した。
だがその絡みで派遣先に独りで行くことになり、そこで一番酷く苦しく潰れそうな日々が続いた。
何とか期間が終わった後初めて精神科に診療し鬱で退職して実家に戻った。
環境のせいだとその当時は考えられていた。
更に半年後地元で再就職したが始めから鬱になり再び退職しその後はバイトも恐くて出来なかった。
一時親戚のところに勉強名目で行くことになったが、そこでインターネットで自分で探したある大学院生の心理学関連のレポートを持って自分の状態を初めて人に訴えた。その頃からやっと「原因」というものを自分で漠然と探り初めた。
それから更に半年後の友達の一言で以前の精神科のカウンセリングを始めることになる。
引き受けてくれる心理療法士が居てくれたことが幸運だった。以前希望して自立訓練法を指導してもらったのが良かったのだろう。そうでなければ私の判断材料はその人に前情報として無かったから。それからは親とのバトルが酷くなった。
喋らない、接触しない、繰り返される侵入と言い合い。噛み合わない平行線。ある時は母親を思いきり平手打ちしたこともある。
体が痛くなるくらい只々眠った時期もあった。
具体的病名の解釈と仕組み、症例論文を求めて探し自問自答を繰り返しカウンセリングを続け、ある公園をよく独りぽつぽつ歩いていた。それから2年半後ようやく今のような状態が訪れた。
親の会に母が私に黙って行っていたことを知った時こういう現実が他の人にもある事を初めてまのあたりにし真剣に受け止めはじめた。
その時やっと分かってもらえた気がした。するとその数日後の夕方、バッと現実感が急に戻ってきた。 私の場合は突然の変化だった。
驚いたことにキーボードを打つ手が早くなり車の運転がスムーズになり、やる事がやたらと早くなって自分が「倍速」で動いているような気がした。
周りは恐くなくなっていき母親の話が非難に聞こえず、自分でさっさと考えられ、興奮した。
カウンセラーは躁状態かと心配したが今ではこれが私の普通になっている。
自分でも元に戻るのではと心配したが。そうなれた日に初めて斎藤環さんの本を手にし例の公園で一気に読んだ。
今振り返ると「ああ、私って頑張ったんだなあ」と本当に言える。
これが「元々一つのこと」と繋がったのは変われた最近の話。
人や働くことが恐かったり目の前の些細なことの動きが遅かったり身につくのが遅いようなのも、全部自分のせいじゃなかった。
変われた私だから言える、それはあなたのせいじゃなくてちゃんと訳があること。
http://anond.hatelabo.jp/20091124223559
私は社会から引きこもって10年が経過しようとしています。31歳にして社会経験全くなしです。
ひきこもりといっても外出は出来るし、買い物もするし、カウンセリングへも通っています。
ただ無職で家族、カウンセラー以外に話す相手がいません。でもこの事実は大きいと思うのです。
こういった生活を10年続けてきて、しかも今現在、妙に生活が安定してしまっています。
もちろん親に食べさせてもらっています。父親もあと数年で定年です。財産があるわけでもありません。
それでも危機感は無く、毎日の生活を淡々と過ごしているだけです。
適度に運動をし、意味も無く英語の勉強をし、夕食の用意をしたりしています。
日々の生活だけを考えれば、本当に安定してしまっているんです。しかし状況は深刻なんですよね。
こう書くとただの甘えで、現実逃避しているだけじゃないかと思う人もいるでしょうし、私自身も思う時はあります。
だけど“甘えだ!”だけで済む問題なのでしょうか。
本当に私はどうなっているんでしょう?病気だって言われれば納得できるけど、どうもそうでもなさそうだし。
私は、1965年早生まれ、東京五輪世代です。ひきこもり問題については、多くのひとが、30歳未満、あるいは35歳未満を想定していると思われます。けれども、40歳前後、40歳以上のひとたちの存在については、ただきもちわるくみられるだけで、専門家にしても、当事者にしても、あまり語られていないように思います。
私たちが、思春期から青年期をすごした70年代から80年代にかけて、ひきこもり問題が語られることは皆無に近く、私もそうですが、ひとりでさびしく、えたいのしれない悩みにむかっていました。このところようやく、ひきこもり問題が社会問題として、クローズアップされましたが、もうそのときは、私たちは、青年とはいえない歳になっていました。
わたしは、この歳になっても、自分自身の思春期の問題が解決されたり、思春期葛藤をのりこえているとは思えません。思春期・青年期に卒業していなくてはいけない問題が卒業できずに、今後は、自殺率の高くなる中高年期をむかえるわけで、こころのなかに、累積債務がたまるばかりで、不安でいっぱいです。 現在、語られているひきこもり解決策は、私からみると、20歳前後のひとたちを想定しているように思えます。歳に関係なく共通することもあるかもしれませんが、人格がかたまり、人生の年輪だけが増してしまった、高齢化したひきこもり者の解決策は、個人や家族だけではとうていうかびませんし、専門家の間でも、語られにくい、あるいは良案がみつかりにくい問題なのかなあと思います。
私自身、大学卒業後、何度も就労にトライしたり、精神科・カウンセラー・デイケア・自助グループなどを利用して、専門職をめざしたりして、あの手この手をつくしたのですが、もう万策つきてしまったと感じています。人生が破綻したとおもっています。 私のように、思春期・青年期から引きずっている中高年のひきこもりは、ほんとうに、「終わらない思春期」の問題だと思います。思春期・青年期・中高年期の対人不安や社会不安などが複雑に入り混じった問題について、希望のみえる打開策をもっと社会全体で考える気運があってほしいです。専門家の方には、高齢者グループにしぼって、ひきこもりの打開策を研究していただきたいです。
高齢者グループのひきこもり者たちは、なぜ、ひきこもりから抜けた出せないかというと、数十年前から現在にいたるまで、当事者が単独でもがき苦しみ、若い世代と比べて、ほとんど社会において、ときには専門家においてでさえ、扱いずらい、扱おうとしない問題だったのではないでしょうか。そして、年月を増すごとに、悩みや問題がこじれる一方だったのではないかと思います。
「残りの後半生、わずかでも希望をみいだしたい」「すこしでも、ひとのやさしさやあたたかさにふれてみたい」「えたいの知れない孤独な気持ちをわかってほしい」「すこしでも、おとなとしての自信をもちたい」これらが私のこころからののぞみです。
このように私と似たような悩みやお考えを持っている方、いらっしゃいませんか。個人的には、ひきこもり高齢世代と自称されるかたがたにこそ、インターネットでもその他の手法でも
かくれていないで、ひとりでもやもやしていることを思い切って語ることができれば、みんなで考えあう気運がもりあがるかもしれないと思っています。
元増田です。
私も増田と近い気がする。
セックスしてる時には「相手を性的に興奮させられる自分」という価値が感じられるから
すごくふわーっとして嬉しくなる。
あと、相手を撫でてほやーっとした状態にさせるのも好き。
小さい時からバイオリン習って、モダンバレエ習って、私立の中高一貫女子校行って、
最後には人文系専攻なのに院まで行かせてもらった。
でもどれも中途半端。極めるには何かが決定的に欠落したまま24歳。いま社会人半年目。
国立大の院出たし、大手企業に就職したし、もういいよね、十分親の世間体を満たせるのスペックは身につけたよね、
というところで安堵してはいるものの、この先どうすればいいかよくわからない。
避妊対策はずっとピル飲んでて、STDチェックも定期的にしてる。
(といっても、ほんと言う程不特定多数と寝ている訳ではない、と、思う。まだ今は。
寄ってきた男友達をだいたい断らずに受け入れてる程度。)
夏頃から仕事で体調崩して心療内科&併設のカウンセリングに通ってるんだけど、
カウンセラーさんから
「お母さんに対してのネガティヴな気持ちを全部書き出してきてください」
っていう宿題がでた。なんという難問wwwww正直何を書いてよいのやらまったく見当がつかないwwwww
なんかもー三連休のはずなのに休める気がしない。
結局、精神病において医者の存在意義って他人に対する証明でしかないんだよね。
「精神科に通っている」「カウンセラーに見てもらっている」という対外的な証明があれば
周りの人間はその人を「うつ病(精神病)だ」と認知する事が出来る。
元増田の例のように、本人の行動によって病気を防げたり改善できるのであって、
少なくとも”精神科医のお陰”ではないと思うんだ。
精神科医に頼って病気が治ったような気になっている奴は、宗教信者と同じだと思う。
俺は前々から精神科医の存在にうさんくささを感じていたが、
精神科医なんて病気を治す存在じゃない。結局は本人次第なんだって。
[追記]
なぜか俺の投稿にブックマークやら意見があったりするが、じゃ聞こう。
・なぜ精神科に何年も通っているのに治らない(改善しない)のか
・なぜ「これを飲めば治る」という薬がないのか。にも関わらず投薬を続けさせようとするのか
風邪やら胃痛やら内科的な症状の場合、薬を飲むと「改善」するよな。
骨折やら打撲やらの外的要因であっても、手術を受けたり薬を処方して貰えれば「改善」するよな
どちらも誰しもが”実感”として「薬を処方して貰ったから」「医者に診てもらったから」治った体験があるだろう。
では、なぜ精神科の場合はそうじゃないのだろう?何年も医者にかかって、一向に改善しない。
「治ったような気がする」という「気分」的な印象だけで、すぐにぶり返したりする。
おかしいと思わないか?治してもらう為に病院に通うんじゃないのか?
それとも単に「憂鬱な自分の気持ちを受け止めてくれる存在」が欲しいだけ何じゃないのか?
それなら別に医者じゃなくても宗教論者で十分じゃん。そこにお前らは疑問を持たないのか?
頭悪いと言うのなら、少なくとも上記の疑問に答えてくれよ。
萌えの根底には必ず擬人化で成り立っているんだ。擬人化というか理想化というものか。
この擬人化、理想化、いわゆる「胸キュン」にちかいものを起こさなければならない。妄想と呼ばれる物な。このときに発生した物が「萌え」だ。
かじり知識で済まないんだが「アニマ」および「アニムス」を勉強した方がいい。「アニマ」とは男性から見た理想の女性像であり、「アニムス」とは女性から見た男性像になる。理想のキャラクタを組み上げようとすれば分かるんだが「アニマ」および「アニムス」に近い形になる。たとえば、俺などこの文体もそうだが、しばしば俺は女性を演じたくなる。しかし、それを一カウンセラーの客観で捉えて貰った場合「アニムス」に似たものと評価を貰えた。つまり、俺の理想型は「俺の女性像=女性から見た男性像=腐女子の好きな男性キャラor気(我)の強い女性」になったと言うことだ。俺だったら「萌え」はバイセクシャル気味な感情であり、対象物もそういう物から引き出されやすい(ショタと執事大好きだもんな。無理に女性に歪めてるもんな/男優役のおんにゃのこにはぁはぁ)。
「アニマ」および「アニムス」というのは一種の理想型だ。たとえば男性が少女を率先して引っ張りしたい人は幼い子に萌えを抱きやすい。逆に男性自身が率先されたい場合の「アニマ」はお姉ちゃんという寸法。このどういう物なのかという部分がいわば属性なわけで、好みに近い。好みに近いのだが、こころの奥底で求めている何かがあるから造形が組み上がる。これをいわば「萌え」というわけだよ。かなり好い加減で的外れに近いんだろうが。
つまり、「萌え」っていうのは理想の異性に近いって事なんだ。これは別に知らなくても分からなくても発生する。何となく一目惚れで「いいな」と思った物によちよちよっていくと大量の男やら女やらが祭り上げて競争していることもしばしばだ。だが、これは偶像であり架空の産物であるから発生しやすい。リアルにももちろんいるんだが、この際、その話は置いておく。つまるところ何が言いたいのかと言えば、「萌え」とは理想のモデル化を起こすための原動力なんだ。恋愛感情でも性的感情でも良い。どちらとも当てはまるときもあれば片方の時もある。広義の場合はもっとアバウト。そのどちらでもないときにも使われる。猫が可愛い、犬が可愛い、なんかいやされる。それもまた「萌え」だ。
これを俗に私たちは「恋」といいまた「愛」というのだよ。
で、OK? 細かく考えたいようにみえたから好い加減な解説をしてみた。まあ、萌え要素がある人とか言われたら、理想に近い人でFAっす。
彼女を作ったんじゃないよ。
漏れが言いたいことはひとつ。変な精神論に頼らず心理療法の知見を使えってこと。
論理[情動]療法ってタイトルの本を読め。論理[情動]療法が何かを簡単に言うと、その人の考え方が出来事に対する反応を決めてるので、反応を変えるためには考え方を変えろって話だ。
喪前等はその喪男的考え方を変えるために徹底的にそれと戦え。
全ての女は敵だって考え方を殴れ。それは一般化のしすぎだ。本当に全ての女を観察したのか?
20代後半になって彼女ができてもしょうがないって考え方を蹴れ。それは極端に偏ってる。20代後半でできた彼女とでも楽しめることがあるだろう?
最近、一度「デートしよう」って言ってくれた女の子とさよならした。でも大丈夫。彼女とさよならしたから僕はもうダメだって考え方を論駁できるから。
初投稿です。はじめに断っておきますがすごく後ろ向きです。
後ろ向いてる自覚くらいはある。
泣きながら打ってるので支離滅裂かもしれないです。
色々あって3年間ずっと断続的に不登校です。
詳しい経緯を書くと間違いなく身バレするので伏せますが、今の学校が嫌いだとかいうことでもないし、いじめられてるわけでもない。
ただ行くのが無性に怖い。根本的なところでは授業が分からないから。あと休み続けてる時は他人の反応が怖いから。
何か絶対行かないといけない理由(替えがいない仕事を請けたからとか、友達と貸し借りする本があるからとか)がないと、ぱたっと月単位で学校に行けなくなる。
「いけなくなる」としか言いようがない。体中の元気がなくなってしまったような気分になって、布団から出られないから。
で、そんなことを繰り返してるから授業聞いても分からないし、当てられたら答えられないし、テストの点も酷い。
休んでばっかりで分かったらちゃんと聞いてる人が怒るだろうけど。
それに加えて欠席が多いのも加味して成績つけられるから、テストよりも更に酷くなる。
頭は悪くないんだから、やればできるんだから、って親や友達には言われる。
でも現実にはできないんだ。
出席も成績もひどい。多分、大学受験は愚か、卒業できないんじゃないかってくらいに。
受験に関してはやりたい学問があるわけでもなくて、志望校も全然決まってない。
腕一本で食っていけるような才能があるわけでもないし、継げる家業もない。
いずれは働かないと、いつまでも親の脛を齧ってるわけにも行かないのは知ってる。年金暮らしになった親を困らせるようなニートになるくらいなら樹海なり冬山なりで死んでくるつもり。(親に「本当に卒業も受験も就職もできなかったら適当に消えるから老後の心配はするな」って言うと逆に老後の心配の心配なんてするなって言われたけど)
食っていけるほどでもない趣味は色々あった。文章書くの好きだったし、写真取るの好きだったし、楽器を弾くのも楽しかった。オタクだからネットでSS読んだり書いたりもしてた。本もよく読んだしゲームも好きだった。
だけど、近頃は創作意欲がめっきり無くなって楽器を弾けなくなったのは勿論のこと、ゲームさえ億劫。
結果、寝て食っての生活を送ってる。
言うまでもなく勉強するような気力はない。
精神系の病気かな、よく聞く鬱病かなって思って学校のカウンセラーのところにも行ったし、精神科にも行った。
メンタルクリニックとか言うようなところも行った。神経科にも行った。
でもどこ行っても「自分に自信がないだけですねー」とか「不安なだけですねー」って言われるだけ。
じゃあ私が甘ったれだから学校行けないほど体重くなるのか。死にたくなるのか。そんなにダメな人間なのか。
どんどん追い詰められるような気持ちだった。
一番最近行ったところで、初めて先生が「抑うつ気味かしら?」って一言だけ呟いた。でもそれだけ。やっぱりお前はただのダメ人間だって言われるのが怖くて二度目に行けてない。
もうダメかもしれない。
ただの甘ったれ何だとしたら、こんなに苦しくても甘ったれたまま逃げ回っていられるような甘ったれなんて、とっとと死んでしまえって思う。社会のくずだ。
もう見ないかもしれないが
参考になるかもしれないから書いとく
あくまでも素人意見だし、この考え方で自己肯定出来るようになった奴が居るってだけだから合わないと思ったら無視してくれ。
出来れば一緒に話をしてくれる誰かが居ると良いな。
居ないならカウンセラーとかでも良い。話聞くの上手だしね。
後、イヤな事思い出すし、泣いたりするかもしれんけど泣くとすっきりするからお勧め。
自分で自分のことを認めることができず、自分と他人どちらが間違っているかと言ったら俄然「自分は常に間違っている」という、どういう根拠があるのか不明な、でも非常に強固な確信を持ってる。だから、この環境で仲間ができなかったから他の環境で作ろう、なんてことは思うことができないんだ。
うん。
そう言う風に思ってる人は居るな。
今の所根拠があるか解らないって言ってるけど、そういう感情って生まれた時からある、なんて事は無い。
って事は成長過程のどこかでそう思い始めたって事だ。
原因が無いのに結果があるって事もあんまりない。
じゃあその原因は何なのか。
たぶん、増田の表層記憶には無い。蓋して奥底に沈めてる25年の記憶の中に増田に「自己否定しろ!するんだ!お前は間違ってる!」って叫んでる何かがある。普通に考えても思い出せない。思い出したらいけないと自分で思ってるから。
その事について考えたらいけないとも思ってる。無意識で。
今の自分から、一個ずつ記憶を辿るんだ。社会人の自分。学生の自分。中学、小学、幼稚園?保育園かも。
出来るだけ細かく思い出す。何でも良い。ブランコで遊んだとか、嫌いな弁当のおかずとかくっだらない事まで細かく。
やってくと、思い出せない事が出てくる。その辺が鍵だ。思い出しながらイヤな感じがしたら、その事をすげぇ考える。正直疲れるが頑張る。
バカッと蓋が開いたらビンゴだ。もの凄いイヤな事思い出す。恥ずかしい事かもしれん。
記憶から抹消しないといけないそれが原因の可能性がある。その時の感情、何で抹消したいのか聞いてくれた奴に相談だ。
たぶん、聞いてくれた奴はその件について客観的に話してくれる。(だからカウンセラーお勧め)
そしたらちょっと楽になる。
実体験なんだけどな。そうやって自己肯定出来るようになった。大変な方法だから、専門家にもっと楽っつーかやりやすい方法で助けて貰うのはありだと思う。
とりあえず人によるけど抜け出す方法が見つかった例って事だと思ってくれれば良いよ。
出口があるかもしれないってだけで違うかもしれないしな。