はてなキーワード: ウェブとは
元増田です。
いろんな意見があるけど、100人以上の人がこのエントリに興味を持ってくれたってのは、すごし嬉しいし、励まされたし、闘っていこうと心底思った。
はてブってネガコメの巣窟みたいなイメージがあったけど、真逆で、元気玉みたいだな。
しんどくなったときに、読み返すよ。
はてブの人たちに返事してみた。
お前、本当にいい奴だな。僕から助言できることは何もないが、こういうときこそ楽観的に振る舞ってほしい。/このエントリがホッテントリ入りすれば、有効なアイデアを持った人と巡りあえる確率も高くなるかも。
悲観してもしょうがないからね。どんなときでも、ジョークを飛ばすことを忘れないようにしたいよ。
とりあえず何もわかってない状況なので、確認してから行動するよ。
足だけならデスクワークでなら食えるようにはなると思う。だから増田の考えてることは凄く正しい。まずは症状と本人の意志の確認から、聞けないではなくてマジデそれからだ。選択肢を示してあげると良いと思う
通勤できるかとかもあるから、本人の意志を尊重しながら決めていくよ。
まずは状況整理、情報集めて冷静に対処しないと。今の立ち回りに失敗すると妹さんや親との信頼関係にも影響する。こういったときのことって忘れないからね・・
親との信頼関係はまったく考えてなかったw
別に何があるってわけではないが、親とはあんまり仲がよくないというかなんというか・・・。
まあ、親が安心して死ねるように、これから頑張っていくよ。
俺が出来る親孝行はそれくらいだろう。
障害を抱えているのは彼女であって君ではない。どうやって生きていくのか考えるのは彼女の仕事。身内の障害を理由にあなたが何かを諦めることはない。ええ、うちにも二人いますよ。
妹の意志は当然尊重する。ただ、俺は俺でいざとなったら支える状況を作っておいてあげたい。
世間の障害者への理解って、どんなもんなんかな。
もし俺に彼女ができて結婚することになったら、事前に「親もだけど妹の世話をすることになるかもしれないよ」って説明する。
親も死んで最悪ヘルパーとか頼めなくなった時に、俺が妹の下の世話をするわけにもいかんだろう。
その場合は嫁さんに頼むしかなくなる。嫁さんからしたら、言い方は悪いが結婚するリスクが高いよね。
まあハードルが高くなる分、心根の優しい嫁さんと出逢えることになるんだろう。
僕の弟は歩けないし妹はフリーターだし僕自身も普通の会社員だけど、僕の彼女はとても理解のある人だし、飯トイレ風呂に移動に病院に遊びに、挫折したことはないよ。とマジレス
ありがとう。参考になる。
俺も障害者の友人がいるし、テレビなんかでは障害者の生活やらを見たことはあるけど、
俺も理解のある彼女を見つけたいよw
実は意外に身近な話なんだよね、こういうの。 そういう事態にならないと気づかないかもしれないけど。 / 団塊世代が高齢化したらあちこちで悲鳴があがるだろうなあ。
でもここに書いて、みんなに読んでもらったおかげで、だいぶ励まされたよ。
まずはこの辺からか。チェックしているとは思うけど。http://www.syougai.jp/
親が健康なうちに、やる気があれば実家をでて二人で仕事をするスタイルを確立したほうがいいと思う。君が背負っている仕事の苦労を魅せて(見せて)あげるべきだ。
そうなんだよね、親が生きてるうちに、なんとかしないと。
妹は実家で、俺は一人暮らしだから、その辺をどうするかなんだよな。
通勤の問題もあるし、俺、車ないし。
幸運なことに、妹とは仲が悪いわけじゃない。
これで仲が悪かったら怖いよね。支えるものも支えられなくなる。
以前車イス生活の障害者にPC操作を教えるボランティアをしてたが、最も差が出るのは結局興味を持てるかどうかだった。仕事目的で入るよりウェブに係わること自体を面白いと思えれば、それが生きる目的にもなりえる
パソコンなんて、特に興味もてるか・もてないかは重要だからな。
インターネットって、障害者にとっても(むしろ障害者だからこそ)すごい便利だし、
買い物したり調べ物したりするだけじゃなくて、メシを食うための道具にもなりうる。
妹にその意志があるなら、そのノウハウを教えたい。
重傷筋無力症とかが原因だったら、病状が進むと足だけでなく全身が動かなくなっていく。PCの操作すら。まずは、病状の把握と、妹さんの意思の確認からだな。あと、障害者支援制度の詳細な調査。
そう、今後、病気がどうなるかが怖い。
とりあえず実家帰って、いろいろ確認してくるよ。
精神的な事からくる障害だとしたら、いいんでない。働かせてみれば。
もっと笑える話だと期待したのに…
バーロ??、オチで笑えるだろ?
・・・え、おもしろくない?失礼しました・・・。
ただ、障害者だからって投げやりになって、クズみたいな人生は送ってほしくない。「心の障害者」にはなってほしくない" / 僕の姉が先天性の障害者だったから言うけど、あなたのこの一文完全な差別発言だよ。
配慮に欠いた発言だった。謝る。ごめん。
こういうとき年金は大事だからみんな払うんだ。配偶者の親族の扶養義務は無かったはず⇒「もしかしたら俺の嫁さん、俺が死んだら俺の妹の面倒みなきゃいけないの?」
年金大事だねー。
義務って、法律的な問題じゃなくて、生活レベルの問題で。言い方は悪いかも知れないが、世間体的なものもあるだろうし。
親も死んで、妹と俺・嫁が同居してたのに俺が死んで、
最悪ヘルパーとか頼めなくなったら、その場合は嫁さんに頼むしかなくなる。
はてな書き込む暇があったら、妹と今後のこと相談しろよアホかこいつ。具体的なことが何も「判って」ないじゃないか。
アホですが何か。
でもおかげさまで少し冷静になれたし、みんなにも励ましてもらえて前向きになれた。
書いて良かったよ。
ガノタは死ぬべきだね。 > 『・・・祖母が亡くなったが、死んだ方が楽だ。残酷なくらいにそれは真実だ。』『「足なんて飾りですよ」だ?だったらお前の足、俺の妹によこせ馬鹿野郎。』
後者はもちろん知ってていってるけど、前者もガンダムにそんなセリフあるの?知らなかった。
心配してもしょーがない。自分自身でいえば、日々の生活習慣に気をつけるくらいか。
あとは人に親切にしておけばいいんじゃね?親切は回り回ってくる。
“なんでこうなるの?って。 妹がなんかした?って。”これは本当にそう思うときがある。周りの人間によって少しでもフェアにしてあげるしかない
フェアにできるよう、がんばるよ。
http://www.nanbyou.or.jp/top.html 病によっちゃ公費が出ることもある
妹に確認して、調べてみるよ。
まさしくそうだね。
一歩身を引いて家族や身寄りが一人もいない人、妹がいない人、妹を失った人のことも考えよう。そういう人から見れば、足が動かなくても妹という肉親がいるというだけでとても幸せなことだ。
敢えていうが、いない方が幸せだってこともあるんじゃないか?
俺は他人と比較しないで、自分が幸せだと思えるよう努力するよ。
幸せは第三者の不幸を元にしなくても成り立つ。
他人の不幸との差分はただの卑しい安心感だ。
やれやれ タイトルだけで読むに値しないシロモノであることは明白。どんな問題も自分とは無関係だと思い込み、差別感情を「あたりまえ」に保持してきた人間にかける言葉などない。
やれやれ だから取締役という立場を離れて発言しちゃう人が出るんだよ。
ところで君は自分や家族が障害を負うことがあるっていう覚悟はできてるんだよね?
アホみたいに増田で書いてる場合なの?
場合でした。おかげで励まされた。
別に一刻を争うわけじゃないからね。
まあアホっぽかったのは正直反省している。
うちの妹もニートさんだわ、甘やかしてるのは良くない。
こればかりは実家の親に文句言いたいねー。
まあ妹もそれなりにバイト探してたりはしたみたいだけど。
まさか障害者になったときにまでマイナス面があるとは思ってもなかった。
興味持ってもらいやすいタイトルにしたんだけど、悪ふざけが過ぎたかもしれない。ごめん。
笑いは差別でもあり力にもなる
まさにそうだね。
できれば俺のくだらないジョークが笑えますように。
妹が、足が悪いことをネタにできるくらいタフになれますように。
逆境こそ最高のネタだと思う。笑い飛ばすことで、立ち向かう勇気になる。
http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20081231/1230669464
受け入れてくれるだけでも、すごい励まされる。
外野は何もしてくれないよ。逆に僕も、外野の立場になれば何かしてあげたくても何もできない。人からの声って、自分の死角に気づかせてくれる点は活用しつつ、人の口に戸は立てられない部分はスルーするのがいいんじゃないかな。
妹というフィルターを通すことで、たぶん人を観る目が養えると思うよ。
「腹減ってる人に魚をあげるより、釣りの仕方を教えてあげれば一生メシが食える」って言葉が好きなんだ。
「障害者」だからってまったく働けないわけじゃないし、何もしないで家の中に閉じこもったまま一生を終えるのも酷だ。
逃げてもしょーがないし、逃げ場ってあるの?逃げたら将来もっと悲惨なことになるしね。
妹の方が逃げられるもんなら逃げたいだろう。でも俺が逃げたら、妹はどこにも逃げられない。
だから妹が望むなら、俺が得たメシ食う術を教えたい。
今回妹の病状もまともに知らずにアホみたいに増田に書き殴ったみたいに、またなんか困ったことあったら相談させてもらうよ。
http://d.hatena.ne.jp/sussy/20081231
だいたい800??1000万くらいの年収があると法人化するメリットがあるんだけど、現状そこまでいってないorz
だからおっしゃるとおり、
がんばっちゃるぜ!
http://anond.hatelabo.jp/20081229001913
↑を書いた増田です。
「何だハンドルネームの傾向を沢山分類してこんな人はこんな性格とかって分析する纏め系じゃないのかよ… 」
という一言に少々発奮しました。
やってやろうじゃないの。
しかも、やるからにはちょっと頑張っちゃうよということで、
学部生レベルの知識しかございませんが、
1,2ヶ月はかかると思いますが、
実験計画としては
ハンドルネームを内容分析的に検討。いくつかの因子にわけて得点化。
それをビッグファイブみたいなもの、もしくはオリジナルで製作する尺度を合わせて比較検討するってところだろうか。
やるとなったら個別にブログを用意した方がいいかもしれないが、後回し。
問題はデータ収集。
さらに、被験者集めも大変そう。
最低200のデータは欲しいが、そうそう協力してくれそうな中2病患者がいそうにない。
考えれば考えるほど面白そうな調査ではあるんだが…
オウケイウェブ(OKWave=既にあるOEMには教えてgooやMSN相談箱などがある)が、大々的に数十サイトフランチャイズをしてるけど
あれの問題が大きい気がする
あれって締め切るとコメントも何もつけるの不可能だし…
間違った回答にイイ点数がついてるとホント、教えてあげたくなるよ。
下手すると同一コンテンツの複製扱いになるというのにみんな自社コンテンツ増やしたいばっかりに買うのはどうよ。
あそこは、監視なんかやってて安心とかいってる前に、「誤った解答」に関してなんかできるような仕組みとか作るべきだと思うわ。ホント。
よろしくお願いしますよ。
年末なのに法律の勉強している。むしろ仕事が休みに入ったので今しかできないと言える。
ちょっと気になる事例があったので、具体的な内容を知ろうと検索をかけたら驚いた。
はてなではない他の質問回答サイトで、ある法律の事案についてのベストアンサーがあったが、
それが全部間違えていた。
僕も勉強中の身分だが、今の仕事に関係する内容なのでこれははっきりと間違いだと断定できる。
何故間違えているのにベストアンサーなのかというと、おそらく質問者が法律の解釈の正当性よりも、
どれだけ自分に都合の良い解釈であるかを基準に選んだからだろう。
これだけを見れば、ただただ間抜けな出来事であるだけだが、むしろ今まで考えてきたことのヒントを得た気がした。
世の中には「インターネットは不正確な情報が氾濫している」という説と、
「むしろ一面的な情報が流れていないので正確である」という説が対立しているようだが、
むしろ両立しているのではないだろうか。
確かにインターネットは様々な意見が飛び交っているし、情報量も多い。
そのような多様な解釈があるから面白いという知識や情報についてはネットは強い。
だが、逆に法律のような、「何が公式的に正しいか」を決められてしまっているものには弱い。
法律にも学説と呼ばれる類のものがあるのだから、多様な解釈は許されていないわけではないが、
多すぎる解釈はノイズにしかならず、むしろ公式的に決まっている正しい解釈を見えなくさせる。
経営学的にはデジュール・スタンダードとデファクト・スタンダードという言葉がある。
インターネットはデファクトなものを調べるなら向いているが、デジュールには向いていない。
むしろデジュールなものならば、それを公式的に決定しているところが刊行しているものを読んだ方がいい。
その方が確実にノイズが少なくて混乱しなくて済む。
こういう区分を明確に意識しておいた方が、物を調べたりする上で
「ネットで調べた方が詳しいじゃないか。わざわざ本を買って損した!」とか、
そういうどうでもいいストレスを減らすことができるのではないか。
本やインターネットのそういう特性が改良される可能性はほとんど無いと思うので、
物事の一長一短を理解して使い分けることが大切だろう。
http://anond.hatelabo.jp/20081225010350
新月お茶の会を引き合いに出さないでください。
最近、若手会員が迷惑がっているのです。
ぼくのおかげで自分たちまでヘンな色眼鏡で見られるのはかなわないと。
ぼくのウェブ上の言動とは本来無関係な知人たちまで、こうして巻き込むのは本意ではありません。
どうかぼくひとりを標的にしてください。散弾銃ではなくライフルで撃ってください。
無論強制することなどできず、ぼくにはこうしてお願いすることしかできません。
が、それでも申し上げます。どうかぼくひとりを標的にしてください。
お願いします。
http://anond.hatelabo.jp/20081225010350
新月お茶の会を引き合いに出さないでください。
最近、若手会員が迷惑がっているのです。
ぼくのおかげで自分たちまでヘンな色眼鏡で見られるのはかなわないと。
ぼくのウェブ上の言動とは本来無関係な知人たちまで、こうして巻き込むのは本意ではありません。
どうかぼくひとりを標的にしてください。散弾銃ではなくライフルで撃ってください。
無論強制することなどできず、ぼくにはこうしてお願いすることしかできません。
が、それでも申し上げます。どうかぼくひとりを標的にしてください。
お願いします。
http://anond.hatelabo.jp/20081226011254
・観客のはてなのヤジに流暢な2ちゃんねる語で反論しながら新月お茶の会を引き合いに出さないでください。
最近、若手会員が迷惑がっているのです。
ぼくのおかげで自分たちまでヘンな色眼鏡で見られるのはかなわないと。
ぼくのウェブ上の言動とは本来無関係な知人たちまで、こうして巻き込むのは本意ではありません。
どうかぼくひとりを標的にしてください。散弾銃ではなくライフルで撃ってください。
無論強制することなどできず、ぼくにはこうしてお願いすることしかできません。
が、それでも申し上げます。どうかぼくひとりを標的にしてください。
お願いします。
http://anond.hatelabo.jp/20081225231436
新月お茶の会を引き合いに出さないでください。
最近、若手会員が迷惑がっているのです。
エントリ主及び新月お茶の会、ブ米の誰もが聞かされてない事実を私だけが把握してる。集約された情報量は当事者達のそれを凌駕する。私は名誉毀損で訴えられようが収監されようが別に構わない。今は発言の機会を伺ってる
どうかぼくひとりを標的にしてください。散弾銃ではなくライフルで撃ってください。
無論強制することなどできず、ぼくにはこうしてお願いすることしかできません。
が、それでも申し上げます。どうかぼくひとりを標的にしてください。
お願いします。
私は君のご両親がどんな方かもよく存じ上げてるんですよ。今回のお話をとあるとこから伺ってなるほどと思いました。もう少しご自身、謙虚になられてはいかがですか?因果は巡るものです。見苦しい真似はおやめなさい
http://anond.hatelabo.jp/20081225010350
新月お茶の会を引き合いに出さないでください。
最近、若手会員が迷惑がっているのです。
ぼくのおかげで自分たちまでヘンな色眼鏡で見られるのはかなわないと。
ぼくのウェブ上の言動とは本来無関係な知人たちまで、こうして巻き込むのは本意ではありません。
どうかぼくひとりを標的にしてください。散弾銃ではなくライフルで撃ってください。
無論強制することなどできず、ぼくにはこうしてお願いすることしかできません。
が、それでも申し上げます。どうかぼくひとりを標的にしてください。
お願いします。
→こちらに修正して転載すた。http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081222/
1.池田さんがいいこと言っているかどうか、というのは分野による。
2.経済学系の記述はおそらくかなりまだ信頼性の高い記述がもおおい。というか、この分野はわたしがよく知らない。
4.哲学・倫理系の記述は、だめだめでもないけどそれほどよくもない。まあ、こんなもんか。
5.上司とするには、やめてほしい。この点については、池田氏とこれまで仕事で関わってきた諸氏からの情報で総合的に判断。私怨で人を困らせすぎる。暴れん坊。思い込みが激しい。
6.仕事人として付き合いたいかどうかはともかく、優秀な人ではあるだろう。
7.学者は間違ったことを言う、のは当然。間違ったことを言わない学者などいない。学問はそもそも常に仮説でしかない。学問とは、より妥当な議論を可能にする知識の継承、発展のフレームワークなのであって、間違ったことをいわないことが学問なのではない。
8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。(a)の部類の学者が嫌いな人もいれば、(b)の部類の学者が嫌いな人もいる。(b)の途を選び取った学者は、しばしば間違いを言う。しかし、そのことの是非は、「学者」の発言が社会的にどのように扱われるのかという文脈形成も込みで考えられなければならない。「学者A」の発言が即座に、社会的影響力を与え、間違いが甚大な被害を与える可能性をある場合には、(a)のような発言が推奨されるかもしれない。全国放送のTVカメラの前で、軽々しいことを言う学者は非難されてしかるべきである。しかし、「学者B」の発言が、リテラシーのある程度高い相手に向けて、「学者が常に正しいことをいうわけではない」ことを前提にしているようなコミュニケーションが成り立つ場合には、(b)のような態度が推奨されるかもしれない。池田氏のブログの影響力はかつて、リテラシーがある程度まで高い層に限定して書かれていた。しかし、有名になるにつれて、その影響力は変化しつつある。よって、(b)のような態度を諸手を挙げて推奨するわけにもいかない。しかし、(b)の立ち位置を担う学者のポジションをまったく評価しない、というのはありえない。
上記「8」は次のように言い換えることも可能である。
上記の記述は多少よく書きすぎている、との意見はもちろん一定以上、妥当である。
間違いをしばしば発言するインテリは、そのような態度をとる自分をしばしば「今コレが間違いであるという以上に、発言していくこと自体の意味が裏に何かある」という別の合理性を担保している場合が多い。たとえば、コンスタティヴな価値に対する、パフォーマティヴな態度を称揚するといった合理性は代表的なもの。池田さんの基準がいかなるものであるかについては、わたしはあまり池田ウォチャーでもないので正確にはわからないし、評価できない。が、しかし、個別の発言の妥当性以外のなんらかの合理性を彼自身の中では担保しながらしゃべっていることはほぼ確かだと思う。
ただし、そういった別の合理性が持ち出されるすぎると、個別の発言における「今言っていることのことが正しいかどうか」ということに対するチェックが甘くなる、という現象はしばしば起きる。学者の発言について、個別の発言の妥当性の高さだけが、学者を評価する基準だという思い込みは、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。だが、学者の発言が、非学者層の発言と同程度に妥当性の低い発言を連発してもよいという基準もまた、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。
両者のバランスをどこでとるか、ということは難しい。
池田さんが何をしたいのかは知らない。なので、池田さんの考える、個々の発言とは別の水準の合理性が何なのかがわからない限り、池田さんを評価しようとおもったとき、「とりあえず」個別の発言の妥当性という基準を適用することには一定の合理性がある。だが、その合理性が合理性の一部でしかないことを考えるべきである。それは「とりあえず」の一部の評価の合理性でしかない。
*この「追記」の記述は、東浩紀と、東批判者たちについても同様に適用可能。ただ、東さんは明確に自らの価値をアジェンダ・セッティングという行為の中に見つけているとは思われるので、池田さんと比べると、「担保すべきだと考えている別の合理性」の水準が理解しやすい人だという印象はある。
fromはてぶ
「なんで支持者も不支持者も、人格や人間性で主張の妥当性を判断しようとするのか。「人」を信頼してはいけない。面倒でも個々の主張についていちいち信用すべきか否かを検討すべき」
もちろん、それも一つの合理的な態度だとは思う。しかし、「人」や「組織」をある程度まで、使い勝手のいい単位だとしておかないと成り立たないところもやっぱりある。
たとえば、わたしがよく知ってるor考えていることであれば、そのことについて「××さんが言った」「○○さんが言った」ではなく、主張の内容レベルでの判断はもちろん可能だし、できる。そういうときには「人」という単位はほとんど機能しない。単に主張Aを言っている人がいて、主張Bを言った人がいた、という程度の意味合いしかない。
しかし、わたしが全く知らないことをはじめて知ろうと思ったら、まずは「人」「組織」「定評のある本」に対してある程度まで高い信頼を置いて、そこから情報を得るというのはとても効率的で、合理的な行動になってしまう。それは、わたしにとっては検討しようのないことなので、「人」や「組織」や「定評のある本」を採用するしかない。不案内な分野の入門書を読むときに、「ハーバード大学の教授で、全般に頭良さそうな人が書いている最新の本」と、「三流大学教授の、いまひとつ何を言っているかわからない10年前の本」で対立している主張があり、わたし自身に、その対立を検討するための十分な情報がないのであれば、「へぇ、対立する議論もあるんだなぁ」というぐらいに思いはする。でも、とりあえずはハーバード大学教授の言っていることのほうが「たぶん、こっちのほうが妥当なんだろうな。よくわかんないけど」という形で、ある程度、組織とか評判を信じてしまうよね。
我々は、出会った知識の全てを検討するだけの無限な時間などは与えられていないので、誰がよりよいことをいってそうか、どの本が最も定評のある本か、ということは、「より、まっとうそうな知」を得ていくための効率性にかかわることになる。はじめて仕入れるたぐいの知識が、いままでの自分の経験上/知識の上で整合性があるかどうか、ぐらいのことは考えられるけれども、分野が遠くなれば遠くなるほど、「とりあえず、たぶん、この人の言うことはかなりの度合いでレベルが高いはず」という情報はとても役に立つ。教える-学ぶ関係においては、そういう「権威」がもっている効率性の問題は避けて通れない。
理想的には、おおざっぱなクオリティ選別の効率性を機能させるために存在している権威や評判のようなシステムよりも、一つ一つの主張の妥当性を検討できるような態度に至れることのほうが望ましいのは言うまでもない。だけれども、わたしたちは、能力にも知識にも限界があって、そういうことができない。だから、権威や評判のシステムをわたしは利用するし、今後も利用し続ける。
http://anond.hatelabo.jp/20081223163942
クルーグマンの経済学受賞に関する記事なんだけど、ここからトラバ先をたどると経済学系blogでの池田氏への批判の主なものは見られるんじゃないかなあ。
だそうです。
まあ、山岸俊男風?にいえば「信頼」性はともかく、誰かが池田の発言に対しては必ずレビューをしているという意味での「安心」の対象としては機能しやすいとか言ういいいかたはできるかもなぁ。それがインターネットというもののよさというか。手間かかるけどね。
池田ファン扱いされた…なんという微妙な気分。これが池田効果か。
わたしはそれほど熱心な池田読者ではない、…と自分ではおもっています。
実際、エントリ100個も読んでないんじゃないかな。
上記の記事に対してid:lets_skeptic氏から、よいコメントをいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224
そもそも問題は「間違ったことを言う」ことなのだろうか?「畑違いの分野に言及する」ことなのだろうか?違うと思うのだ。
自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか?という知的誠実さ。求められているのは、そんな当たり前の誠実さじゃないんだろうか。
主張の信頼性は基本的に別問題です。といっても、誠実な人ならば「ろくに調べずにものを言っている」「無根拠の思いつきを言っている」「嘘をついている」という可能性は、不誠実な人に比べて相対的に低くなるので、関係がゼロだとは思いません。
議論の建て方として「誠実さ」という別の軸を立てられる、というのはいい指摘だと思う。インター・ディシプリナリだからと言って許されるわけでない。ただ、わがままを言えば「追記1」に書いた部分についても一応目を通していただければ幸い。追記1、はこういう批判に対する防御線として書いたわけだけれども、かえって問題の建て方を曖昧にしてしまったようで反省。「インターディシプリナリ志向であれば、誠実でなくとも許される」として、確かに読めてしまう。
で、発言の「誠実さ」と、個別の発言の「信頼性」が別問題であり、問題を分けて考えるべきだ、というのも、その通りだとおもう。(その点については、上にちょこっと書いた、山岸俊男氏の「安心」と「信頼」の区分にも通じる問題系である)
そして、その基準でもって池田さんを論じることは、意味があるだろうと思う。
ただ、もちろん、だからといって、先に挙げたわたしの、区分そのものが<一般的な区分として>まったく無意味なものだ、ということを認めるわけではない。また、<池田さんに対して>わたしが挙げた基準で判断をすることが適当か、という点については、いくつかの基準のうちの一つとしては、やはり適当だと思う。論じる基準が、一つである必要はない。論じるべきは、どの基準が最も正しいか、ではなく、、基準A「誠実さ」の問題と、基準B「学者としてのアプローチの違い」の問題と、どちらが池田さんを論じる上でより重要な問題とすべきか、ということになる。その点は、どっちなんだろうなぁ。前者かもしれない。
*
それと、lets_skeptic氏は知っている話だとは思うが、さらにやっかいな話をもう一点してフォローしておくと、パフォーマティヴな発言の「誠実さ」というのはとても評価がめんどくさい。
議論のための議論のように聞こえてしまったら恐縮だが、
たとえば、
1.「XXがよりよいことなので、みんなで××にコミットすべきだ」と発言があり、
2.XXがぜんぜんダメでぽしゃった
3.しかし、原因はXXがそもそもへぼかったからではなく、みんながXXにコミットしなかったことが原因である可能性がある。(つまり、みんなが××をしていれば、××はほんとうによりよいことだった)
というようなことがあったとする。
このとき、「XXがよりよい」と発言していた人は、「間違ったことを言った」とどこまで言えるだろうか。
もちろん、「現時点の観測からすると、結果的には間違っていた」といえる。その限りで詫びてもよい。
しかし、「現時点の観測からすると、間違っているように見えるかもしれないが、やっぱり私の言っていたことは正しい。みんながコミットしなかったことにこそ原因がある。だから、わたしは、一時的に、結果的に間違っているかもしれないが、××はただしい、と言い続けるし、そのことについては謝らない」という人がいたとして、その人の「誠実さ」とはどのように評価可能だろうか。
わたしの知っている人のうち、この手のパフォーマティヴな価値に言及しようというようなタイプの人、(ネガティヴな言い方をすれば、自己成就予言的な性質のある話をしている人)というのは、議論するとやっかい、つーか、めんどくさい、つーか、並大抵のことでは謝らない。この手の人々に対して、「誠実さ」とか言い出すと、話がズレることが多い。
データみせても、「いや、現時点でのそういう結果を出されても、それはぼくの言っていることの根本的な反論にはまったくなってなくて…」といわれて議論にならないことが多い。かなり理論的なところで闘う以外に手がない場合が多い。人によっては、理論的なところですら闘えないような話をする人も多い……。これが、「ムー大陸が~」とかって言うタイプの人だったら、「DQN乙」で終わってよい場合も多いけれど、、ガチインテリの人でもこういう話はけっこうやる。こうなると、どこまでが謝ったりする範囲で、どこまでが謝らなくていい範囲なのかが、遠目にみると混迷を極めているように見え、エンドレスに不毛な会話がなされる場合がけっこうある。
というわけで、結局何が言いたいのか、というと、
・「誠実さ」概念をめぐる指摘には同意するし、すばらしい指摘だとは思います。
・だけれども、「誠実さ」という変数だけで全部解決しようとしても、そこでもまた、ディスコミュニケーションは起こりうるのでは?
まあ、自己成就予言的な話をするとき、それは社会科学者ではなく、批評家とか政治家とか呼ばれるたぐいのものになってしまう、という解釈もありうるんだろうけれど。政治的/批評的行為によって、理論の実証を目指してるんだ、という言い方もできるので、そういうことを言い始めると、社会科学における「科学的」と認められる発言の境界線はどこに引けるのか、ということになってくるので、わたしの手には扱いあぐねる。たぶん、科学哲学的にアツいところなのだろうけれど。そこらへんの話については、わたしはぜんぜん科学哲学についてフォローしているとは言えない人間なのでlets_skepticさんのような人から教えを請いたいぐらいの話です。
***
しかし、やっぱり、増田なんかで書くとどうしても脇の甘い書き方をガンガンとしてしまうなぁ。まあ、脇が甘くても、「たかが所詮は増田の記述」だと思われ、その程度によまれればいい、ということを期待してしまっている自分がいるから、そういう書き方になるのだろうけれども。
それと、トラックバック先のskeptic氏へのはてブコメント
「豹変できないからこそ君子と呼ばれないのだ。誤字や言い間違いレベルの些細なことですら、ちょっと謝って訂正して感謝する程度のことが出来ない人が多い/ただ、誠実な人に限って「当たり前」以上の誠実さで潰れる」
もまた、的を得た指摘だと思われる。
結局、誠実…というか、ノイズを気にせずになんでもかんでも答えずにはおけないような人は、たとて、どんなに頭がよく、<知にたいして>誠実な人であったとしても、ウェブ上で活動するのはかなり負担がかかる。すくなくとも、学際的なひろがりのある人とかだと、ウェブ上で何かやろうとすると、潰れやすい。それをまた、「議論に負けだ」のなんだのとはやしたてる連中も発生すると、ごっそりとやる気をなくす。その結果、ウェブ上で「ちょうどいいぐらいの」コミュニケーションのできるインテリというのは、一定度以上にノイズを気にしないでいられるタイプか、ノイズがそもそも生まれないような振る舞いでいられるタイプのインテリかということになる。実際には、ノイズが生まれないような振る舞いというのはそんなに簡単なことではない。はてブのコメントのうちの5%ぐらいには文脈ぶっとばして、一読して偉そうなことを言う人、というのがいる。はてブ以外に、ブログであってもいるけれども。
もちろん、「ノイズ」に類するようなどうでもいい話に対応する「誠実さ」と、重要な指摘に対して対応するような「誠実さ」は別種のものだ、というように理屈上の区分は付けるはできる。しかし、実質的に、外からの指摘に応答する当人にとって、指摘がノイズなのか重要な指摘なのかを判断する根拠は、曖昧であり、当人が、常に、「誠実に」悩み続けることによってしか、それらは区分できない。結果、在る一定以上まで有名になると、「誠実」な人であればあるほど、外部への応答コストの負担によって潰れることになる。
ちなみにわたしは、わたしが実名で発言しているところに100ブックマーク以上ぐらい付けられると、うれしい反面、だいぶむかむかしてくる。「はてブ/2chの連中は全く…!」とは思わないけれども、はてブや2chのようなアーキテクチャが出てくると「ウェブ上でどの程度、冒険した発言がOKか」「ウェブ上では、どの程度外からの指摘を気にしないメンタリティがいいのか」といったことに対する「望ましいありよう」の最適さが変わる。これはつまり、政治家が演説でくだらない発言しかしなくなる、ということに似ている。政治家がバカなのではなく、現行の世論システム/投票システムとの相性を考えたときに「望ましい程度の発言」というもののバランスがどこに落ち着くのか、ということだ。ウェブ上が、学者コミュニティとして機能するクローズドな空間(※学者の作法を全員が受け入れることによって成り立っている空間、という意味で。作法を受け入れる限りにおいてはもちろんオープンである)ではなく、現状のようなオープンな一つのプラットフォームになっている限りは、学者的な作法が、ウェブ上において必ずしも「ほどよい」ものとして機能するとは限らない。市場のシステムが、市場に課せられたルールやアーキテクチャいかんによって均衡点のありようを変えるように、議論のシステムもまた、議論に課せられたルールやアーキテクチャいかんによって、その均衡点のありようを変える。学問というのは、その均衡点のありようを「知の継承、発展」にとっても最も効率的になるように目指し、調整がなされている議論のルール・システム体系のことだと思っている。ウェブが一つのプラットフォームとしてではなく、複数のプラットフォームを切り分けるような(たとえばSNS)システムとしての発展可能性をみせれば、学問の作法がより効率的になるプラットフォームとしても機能しうるだろうと思う。ただ、今のウェブという空間が生み出す、議論の均衡点は、おそらく、かなり傍若無人な人のほうがやりやすいぐらいになってしまっている。理想的には、もっと「誠実」であってほしいとは思う。しかし、「誠実」であることによって、評判を生み出し、注目を浴びやすいようなアーキテクチャにはなっていない。そのことが、池田さんをめぐる最も、面倒な問題なのかもしれない、と思う。
結局、外出先でも家でも既読・未読等の情報や状況を共有できて便利、という観点になった。
身内、友人用メール・アドレスブック・ブックマーク・カレンダー
色々あったけどなんやかんやで便利。プッシュとか。
高い。
ウェブアカウントやネットショップ、ネット上の人との連絡先で使う。
50個くらい登録してるから、既読・未読が共有できてないと困る。
外出先でも家でも既読・未読を共有できて便利。
外出先でも家でも共有できて便利。
ちょっとメモ用に、と思ったけどMobileMeで共有できるから必要ない予感。
(笑)
これ以外になにかおすすめありますか?
遅まきながら一連のエントリを見てきた。
この人たちはオギノくんの個人情報を垂れ流していた人たちなんだね。
自分達は他人をコンテンツとして扱ってもそれは自分んちの中だからオケ、
でも他人にずかずか踏み込まれてコンテンツとして扱われるとプライバシー
を侵害された気がしてたえられないということじゃないのかな。
こういう人間は、けつげバーガーの事件とか「自己責任」て言って悦に入る
タイプなじゃないかと思ったりもする。
(本人より)
どこで見たか完全に忘却したが、以前、こんなタイトルのエントリを見かけた事がある。
↑このエントリとは全く関係ないのだが、ハンコが取り持つハートフルストーリーを見たので、まとめた。
インサイダー取引についての誤解 2008-01-20
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c2fb8cf06d2b523d04b5438919034a4e
私のRSSリーダーには、日本のブログは5つしか入っていないので、それ以外は読まないのだが、その1つであるdankogai氏からのTBで、また内田樹氏の変な記事を読まされたので、簡単に事実誤認を訂正しておく。
「自分が読んでいる5人の中の1人」という告白をそっとした。
ウェブを「匿名の卑怯者」の楽園から脱却させるには 2008-02-05
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9ad59f1a7f3069cac4c09a84652fccbf
強烈にDisる。
404 Blog Not Foundを読むのをやめた 2008-02-11
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/93da1c13d0f2ad70922e3f7ce8e3d641
前にも書いたように、私のRSSリーダーには、日本のブログは5つしか登録してないのだが、その一つ、404 Blog Not Foundの登録を解除した。理由は、毎週『週刊ダイヤモンド』の広告を読まされるのはごめんだからだ。
「もう読まないんだから!」と宣言をする。
ハンコ・元号・縦書きをやめよう
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ab7a17b40d389dcd899691841c24261b
ところが、ここに来て、このエントリが奇跡の再会への扉となる。
縦書きだけは残してもいいのでは?
あの頃を彷彿とさせるささやかな返信。ハンコが二人の中を取り持つのか。
今後の展開から目が離せない!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88
元々ポータルとは、港(port)から派生した言葉で、門や入口を表し、特に豪華な堂々とした門に使われた言葉である。このことから、ウェブにアクセスするために、様々なコンテンツを有する、巨大なサイトをポータルサイトというようになった。入口、玄関という意味でエントランス(entrance) を使わなかったのは、ポータルには「豪華、堂々とした」という意味合いが強かったためと思われる。
ポータルサイトは、検索エンジン、ウェブディレクトリ、ニュース、オンライン辞書、オークションなどのサービスを提供し、利用者の便宜を図っている。
ポータルサイトのビジネスモデルは、サイトの集客力を生かして広告や有料コンテンツで収入を得ることである。1996年以降のインターネットブームに乗じて、多くのポータルサイトが乱立したが、徐々に統廃合が進んでいる。
初期のポータルサイトは自前で検索エンジンやウェブディレクトリを運用していたが、情報の肥大化に対応しきれずアウトソーシングが多くなった。
生き残りをかけて、特定の地域サービスに特化した地域ポータルサイトや、インターネットサービスプロバイダ(プロバイダ)のサービス情報サイト、育児、環境、オルタナティブカルチャー、音楽、女性の生き方などにテーマを絞ったポータルサイトもある。不特定多数のアクセスがあるだけに、こうしたポータルサイトにアダルト情報を持ち込むことの是非を問う意見もある。
近年ポータルサイトから派生した、企業「ポータル」が関心を高めている。企業に散らばっている様々なデータや情報を効率的に探したり利用するためにパソコンの画面上にこれら情報やアプリケーションをポートレットとして集約表示する技術がでてきた。画面は利用者の要求によって自由にレイアウトを変更でき、例えば社長用の画面、部長用の画面、営業用の画面、技術者用の画面など、それぞれの職種・役割に応じた最適画面を作ることが出来る。代表的な「ポータル」製品としては、IBMのWebSphere PortalやMicrosoftのMicrosoft SharePointなどがある。
http://e-words.jp/w/E3839DE383BCE382BFE383ABE382B5E382A4E38388.html
インターネットの入り口となる巨大なWebサイト。検索エンジンやリンク集を核として、ニュースや株価などの情報提供サービス、ブラウザから利用できるWebメールサービス、電子掲示板、チャットなど、ユーザがインターネットで必要とする機能をすべて無料で提供して利用者数を増やし、広告や電子商取引仲介サービスなどで収入を得るサイトのことをいう。Yahoo!やExcite、Infoseek、Lycos、gooなどの検索エンジン系のサイトや、Netscape Communications社やMicrosoft社などのWebブラウザメーカーのサイト、AOLやリクルート、Walt Disneyなどのコンテンツプロバイダのサイト、So-netやBIGLOBE、ニフティなどのネットワークプロバイダのサイトなどがそれぞれ強みを生かしながら激しい競争を繰り広げている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DD%A1%BC%A5%BF%A5%EB%A5%B5%A5%A4%A5%C8
portal site
番組的には簡単な表現のほうが良かったんじゃ?