はてなキーワード: しつけとは
私は、プロテスタント系の教会で、日曜学校を教えている。先生もクラスも年齢別に複数ある。
感謝なことに、それなりに人数が多く、定期的に新しい人も来てくれる状況。
しかし、最近気になることが。
とある小学生と幼稚園児の兄妹。母親(ノンクリ)に連れられて私の教会に来た。
聞くところによると、ネットで私の教会のサイトを発見し、来たのだという。
以前彼らが通っていた教会は、子供がほとんどいなくて、日曜学校や託児室もない。
子供は必然的に親と一緒に礼拝に出席することになるんだけど、その年くらいの子供が
じっとしていられるわけがない。
そのうち、教会員の人達(割と年配の人が多かったらしい)に疎まれるようになり、
居づらくなってその教会に通うのをやめた。
でも教会には通いたいので、いろいろ探していくうちに私の教会にたどり着いたらしい。
その話を聞いて、すごく悲しくなったし、イエス様の憐れみが注がれるように祈った。
だけど、その年配の人たちの気持ちも分かる(礼拝に集中できないとか)。どっちが悪いとかの話ではないんだよね。
私の教会は小さい子も多いし、日本の教会の割には平均年齢が若い。若いファミリーが来やすいと思う。
だから私の教会ではもちろん大歓迎だった。
ただ・・・その子達の母親が、どうも「キリスト教の価値観で道徳心を持たせてほしい」=「しつけに期待」みたいなことを
思っているフシがあって、少々困っている。
確かに、聖書に書いてあることを教えるし、実践してほしいと考えていて、授業中しゃべれば注意するし、友達を叩いても
注意する。でもそれはしつけじゃない・・・というか、その子が本当に変わるかどうかは親にかかってると思う。
私はクリスチャンなので書いてしまうけど、聖書的なしつけを実践する責任を神様から委ねられてるのは親。
ぶっちゃけた話、日曜学校の先生にそこまで踏み込むことはできない。
例外として、親がトンデモない親だった場合、牧師と相談してそれ相応のフォローはしていくけど、そもそも教会に
通おうかと思っている親に、そんなにトンデモない親はいない・・・いたとしても表面上は分からない。
分からないと対処のしようがないから。
私はその子、母親のことを愛しているしイエス様のことを知ってほしいと心から願っている。
けど、日曜学校に必要以上の期待をされると、ちょっと困ってしまう。
ウェブ上の知人である女子大学生Aさんと就職活動についてある議論をしていて、意見が真っ二つに分かれた。
やりたい仕事、行きたい業界、将来の具体像、勉強している専門分野、、、なんでも良いから自ら行動して得た知識なり経験を文章にまとめて
アウトプットする事で、自分がどういう人物かを客観的に判断する材料になるし、もしかすれば就職の面接の際に人事担当者が目を通してくれて、
面接だけでは出てこない人間性をブログから知ってもらえるかもしれないという理由である。
Aさんは当初、保険業界に行きたいと言っていた。
だが、私がアメリカのサブプライムの話や、少し前に話題になったAIGの話をした途端行きたくないと言い出した。
保険業界の景気は微妙という理由で行く気が失せてしまったようだが、私個人の意見としては大きな流れを心配するよりも
もっとスケールダウンして自分がやりたい仕事に就く事の方が重要だとその時思っていた。
今回話した内容は総合職か一般職どちらを受けるかというものだった。
恥ずかしい話であるが、私はつい最近まで総合職と一般職という区分がある事を知らなかった。
一般職は定型業務をこなし、その仕事のエキスパートを目指し、総合職はその会社の基幹業務に携わって、
Aさんは総合職を希望していたが、日が経ち今では一般職へ応募しようと考えているようだ。
理由を聞くと、「転勤したくない」「定時で帰りたい」「男性社会の中プロモーションを狙う気になれない」
「総合職のスタッフをサポートしたい」など納得出来るものからそうでない事まで色々出てきたが、
幾つか先入観があるように見受けられたので本人の考えの変化を敢えて聞き入れずに、私は総合職からまずは応募する事を勧めた。
Aさんはいつも私がAさんの意見の反対を言うと思っているらしく、少しイライラしていた様で、勧める理由を手短に説明して欲しいと言った。
こういった話題を手短に説明しても、必ずどこかに誤解が出てくると思ったので、
ある商社を例にとり総合職と一般職でどういった道に行くであろうか私自信その実際は知らないが、イメージ出来る範囲で説明しようとした。
しかし、その話を聞かずに手短にと言うので、私も自宅で仕事をしながらだったので少しイライラして
「そんな態度なら総合職も一般職も務まらないでしょ」というような事を言ってしまった。
この一言でAさんを怒らせてしまい、
「自分の意見をさも正しいかの様に人におしつけないほうがいいよ」と言われた。
確かに私は聞かれてないことまでベラベラ話してしまう癖はある。
だがAさんの言う普通の大学生では無いなりに自分が経験した事を言っているので、
「そんな敵作るような言い方しか出来ない人が仕事しても誰もついてこないよ」
「上には一生立てないよ。壁にぶちあたると思う。」
Aさんは相当私の話に怒りを覚えたようだ。
「18から職種や待遇変われどずっと仕事は続けてるし、誰に対しても君の言う敵を作る言い方をしているわけではない」と言えば、
「今はうまくいっていてよかったね」
「所詮今でしょ。先の事を言っているの」
と返ってくる。
こんな不毛な話に時間は割けないので、話を整理し、Aさんは冒頭にあったブログの話を持出した。
「大手は100%みないよ(おそらく人事担当者が)そんなの、という意見をみなさんからもらいました」
と言ってきた。
さすがにこれはカチンときた。
私はAさんにブログを書く前の心構えとして、
「内容が第三者にとって興味が無ければ誰も読まない自分だけの日記になる」
「担当者が必ず見るわけでもないし、それを期待して日記を書いても意味がない」
「ブログを書いて、それを担当者が仮に読んでくれたとしても、企業側の求める人物像と合致していなければブログがマイナスになる場合もある」
と何度も言っておいた。
初め就職活動のツールとしてのブログの話をした時に、Aさんはブログがある=就職に有利と考えてるフシがあったので、
決してそういうものでは無くて、あくまで自己表現や自己分析に役立つ手段に過ぎないと再三にわたり説明しておいた。
それにAさんが聞いた人達のブログに対する「(おそらく人事担当者が)100%見ない」という意見は私の周りでいえば同意できない。
自分自身の経験として、仕事を探したり、履歴書や作品集を送る際にブログを自己紹介の1つとして紹介している。
実際全ての担当者さん達が読んでくれたかどうかは解らないが、面接の時にブログで書いた記事に対する質問があったり、
ウェブ系の面接ではブログを持っていて当たり前といわんばかりの内容だったので、数十分の面接だけでは自分をプレゼン
出来ない部分をカバーできるツールとして本当に重宝している。
こういった経緯があったので、「コンテンツを用意せずに人の意見だけで少数派の私が間違いだと思い込んでいる。
100%見ないという意見が正しいかどうか判断する前に実際ブログを書いて自分で実感してからにしてほしい」と言った。
返ってきた返事は「そんな事に無駄な時間をかけたくないんでね。」である。
私は
「ブログを書けば必ず担当者が読んでくれて就職に役立つ。ここまでしか考えずに相手が読みたくなるような内容にしようと考えようともしない」
「面倒くさいから?他にやることがあるから?」
と半ば挑発気味に羅列した。
そして
Aさん「意味が不明。わからない。」
私「(内心)わかっているでしょ」
Aさん「わからないっていっているのに、そんな所まであなたは信用してないの?」
私「俺に今までに信用あるかどうかを質すような話をしたか?」
Aさん「無いけど、普通分からないと言われたら分かりやすく詳しく説明するのが当たり前、常識人ならね」
私「それがあなたの常識なんだね」
Aさん「常識無い人は知らない。じゃあ分からないって言われたらどうするの?」
私「相手によるが、上司とか重要だと思えば教えてもらうか自分で調べてくるし、
興味無い話であればわざわざ詳しく説明してもらわなくてもいいと思う」
私「じゃあ詳しく説明しますよ」
Aさん「じゃあって何?詳しく説明しない事があなたの常識ならあなたはどうするんですか?」
私「(相手によるって言っているだろ)」
Aさん「じゃああんたの当たり前は何?」
私「君がもし説明をする側立場で、相手が興味無さそうだったり上から目線でそういう事言われても説明できる?」
Aさん「しない」
私「ですよね。ならどういう事かわかりますよね。」
Aさん「信用の質おとすこといったか?と聞いておきながら結局は自分が鼻から信用してないでしょ」
私「質じゃないよ。質す(ただす)だよ。」
Aさん「ただすって何?」
私「信用しているかどうかを確認するようなことをした?っていう事だよ。」
Aさん「よくわかんない。結局信用されていないと分かったけど全否定もするよねそれなら。」
Aさん「別にいいけどね。それならそれで。」
ログアウト
-------------------------------------------------------------
経緯と補足 12/05 11:30
私は夜学に通う社会人学生(24)でAさんは現役女子大学生(21)。
某メッセンジャーでたまたま知り合って顔も名前も知らない間柄。
私自身新卒枠で就職活動をする予定でいる事と、専攻も年齢も違っても同じ三年生なので私が知っている事は教えてあげて、逆に現役の大学生は具体的にどんな就職活動をしているのか気になっていたのでお互い聞きあったりしていた。
この話は伏線が幾つかあって、
SPIやら筆記やらを勝ち抜いて面接で企業が求める人物であるとアピールする事が就職活動だと思っているようだ。
私は新卒で大卒が受ける就職活動は経験した事も無いが、就職はお見合いだと思っている。
その会社の求めてる人材では無ければ会社なんて無数にあるわけだから、ウェブや直に会って自分がここに入りたいと思える会社以外は相手の意向に合わせなくてもいいと考えているからだ。
Aさんは勝ち進む試験。私はお見合いのようなもの。この時点で就職というもの対する考え方が違っていた。
Aさんは確かに人の意見を信じ込んでしまう所があり、「就職活動用に名刺作らないと」と言いだした事がある。
私「作りたいなら作ればいいけど採用担当者がセミナーとかで膨大な数の学生から
挨拶代わりに学生名刺を渡されたらその人どう思うか想像してみ。」
Aさん「名前覚えてもらえるし連絡先も書いてあるから色々と便利でしょ」
私「名刺ってただの紙っきれじゃないんだよ。俺は色々なシチュエーションがあるかも
わからないけど社会人同士が対等の立場で各組織を代表して自分の身分・分野を相手に
知らせる重要なものだと思ってるから学生の分際で会っていきなり名刺交換って自分の
立場わきまえていないと思われるんじゃない?」
Aさん「だって今年内定貰った先輩が絶対必要って言ってたよ」
私「その先輩は必要だったかもわからないけど、採用担当者に会うたび会うたびに自分
の個人情報をバラまく人は信用出来ないし、立場関係理解してないと思っちゃうし、
なんか権力者に媚びてます感丸出しで気味悪いから、数回会ったとか長時間話してそれが
自分が検討してる会社であったら名前と所属学校名とか学校で使ってるメールアドレスを
書いたメモを渡す程度であとはエントリーしてから頑張ればいいでしょ」
Aさん「メモは失礼でしょ笑」
私「んーでもメモすら渡す必要も無いと思うけどね。
採用担当者だけじゃなくて、相手に興味があれば顔とか名字くらい覚えるものじゃないかな。
どうでもいいと思っていれば名刺は処分するし、顔も忘れるよ。」
数日後
Aさん「作り方がよく分かんないからやめたよ」
私「(ググレカス)」
こういった流れを幾度となく繰り返し、どんどん口調が変わってきて遂に臨界点に達したのが昨日晩のようだった。
TBより
Aさんの価値感を『正そう』としている元増田さんにも違和感が残ります。
他人を正すのは難しいと思います。
確かにその時その時では正そうと思っていっている訳では無いのだが、読み返してみるとAさんの意見を殆ど私の意見に「正そう」としているように見えるし、きっとAさんもそう思っていたに違いない。
次いで別のTBより
アドバイスじゃなくて「そうだよね、そうだよね」とひたすら承認してあげたらOK。
これは本人に一度聞いた事がある。
「俺の意見をしっかり読んでから反論するんじゃなく、少しでも自分の意見と違う事を言えば聞く耳持ちませんっていう態度をとるよね。だったら同意するしないに関わらず全て肯定したほうがいいの?」と。
Aさんは「それじゃ話す意味無いじゃん」と返ってきた。
一方通行の話合いは価値が無い事は解っているみたいだが、私が「それは違う」と思った事を説明し、それに対し「主観でモノを言わないで」と言われればなすすべが無いのが現状だ。
Aさんは「こんなこと常識でしょ」と良く口にする。
その常識さえも疑って検証して欲しいのだが、いくら丁寧に言ったとしても押しつけの一種である事に変わりは無いのでもう言わない事にした。
はてな匿名ダイアリーに、「厚労省殺傷事件で人を殺す以外にこの国に政府に訴える方法は存在しないと思った。 」という一文が投稿されている。私はこれを読んで、これは書いたものでなくして、書かれたものであろう、と判ずる。その書いた、書かれたと記すのが意味するのは、その文章の筆者が、自ら物事を見て捉えたところから、自ら何かをすることを考えて、・・・その考察は同時に、自らことを為すならば、その時に自らがそこに従っているところの価値観や道徳観に枠づけられるものであり、言い換えて、自らする考察とは、そのようにして見出させるものしか、その人に見出さないものであるが、・・・さて、そうした思い巡らしの中で形成された、自らの思いを述べたものではない、ということである。
書かれたものである、という性格付けだけを特に言えば、例えばその文章の場合、佐藤優などを代表に、テロによる世直しへの期待が高まっていると騒いで、この国の《ジャーナリズム》が広めているところの、人々の思いと推定的に措定しているものに、この文書の筆者が身寄せして、あたかもその〈思い〉を有する一人であるが如くに構えてしたものであるように、自分がそう考えているのでなくして、人々がこう考えているとされているものを、独白的に記しつけることを、書かれたものであると私は言う。こういう文章の効果は、筆者が何かに就いてした観察や経験より得られるものより、その人がその人自らの意識として形成されたものを述べたものであるならば、その観察と考察の妥当性が検討されるのに対し、独白的であることで、その〈思い〉を持つ人が居るか居ないかが、まず検討の必要がなくなり、次にその表白に示された判断や意図やは、適切に導き出されものかどうかの批判を免れたところにポジションを取らせてくれる、というところにある。
この事実としての検討と、様々な見地よりされる妥当性の批判とを、あらためて喚起させない利点によって生ずるもの、あるいは、その利点そのものの別の姿であるのは、読み手は、その〈思い〉を直接に受け取るならば生ずるはずの共感か同情の反応をして、そこに言われていることに向き合わねばならなくなる。そうなると、例えば、これこれの境遇や状態であるから、また、それらに加えて、その中でこんな強い感情を自分は抱かされているから、このように自分は行動する、と述べられたとき、その彼の行動そのものの是非を検討することは、境遇や状態への同情をいくらか欠けた眼差しであり、彼が抱いている感情への同情が何かしら不十分なものである、と言われることになる。
そうして、我々は、これはしょうがないとか、已むを得ないものだとか、そうした物言いを口にする。これが了解的なもの以上に引き上げられると、人はそうしたものである、との判断や理解へと位置づけられることになる。だが、この人間理解に行き着いたところで、そこに指摘すべき欠陥は、そう行動していること自体の是非が何ら解明されていないままである、ということである。また、もっと深刻な欠落は、ある行動をして正しいものであらしめるところに従ってしか行動出来ない人間というものを、その人間理解は見出していない、ということである。我々に取って、そのように見出される人間を捉えてあることは、極めて重要であり、極めて意義深いものであり、また、極めて必要なものである。なんとなれば、そのようにして理解されている人間というものこそ、その人一人をして、自らがどんなものであるかを知らしめるものであり、その自らがその中の一員であるところの社会がどんなものであるかを見て取らせるのであり、更に、そのような人々よりなるものにとって、妥当であり、適切な、また必要な政治がどんなものであるかを見出させるからである。
もし、人はそうしたものである、との理解を、先の欠陥や欠落を見極めずして抱くならば、そこからの思い巡らしが、我々それぞれには、それぞれにとって可能なあり方、社会には可能な社会、そして政治に於いては実現させるべき政治へと進んだとして、何も得させることは無い。そして、この得させるところのなき人間理解は、数多くの《書かれた》文章によって、これまで積み重ねられ、補強され、流布させられて、その結果我々の抱くところとなって来た。そしてもし、その人間理解が薄れたならば、それを再認させるし、またもし、ことがあればそれを思い起こさせて、そのことを捉えさせる方向付けとなるよう強調されてきた。
そして、私は、先の匿名ダイアリーの文章は、今回の事件に際して、そのような働きをするように《書かれた》文章である、と思うのである。それは、その文章の筆者が望む望まないに係わらず、生じてくる働きである。上で述べて来たところより、その働きが生ずる理由、また、その働きが生じさせるものを言うならば、まず前者に向かうに、次のように問うて見よう。その筆者は自らが、今回の事件の、あの最も暴力的な行為を、自ら是するものであるかどうか、自らにどれだけしっかりと問うているであろうか。ここで問われるべきは、どんな境遇や状態ならば、という前提条件の問題ではない。この禍々しい行い自体の是非である。私は、その筆者は、それをあまり問わなかったと思う。もしきちんと自らに問うて、しかもその答えを明らかにした上で、あれを書いたというのならば、途中を飛ばして突き詰めていってみれば、彼は、人を殺すことは正しいことであり、また彼は、人を殺すなという道徳律に服していないと自分を見出している人である、ということになろう。
そして、このことをきちんと自らに問わずして、漠然な踏まえどころとしたのが、自分以外の人は、これこれの境遇や扱いにあれば、こんな行動をするという、皮相な人間理解であり、この無反省に抱かれている浅薄な人間像よりして言えそうなことを、あたかも独白的に、自らの思いと構え立てて書き記したことで、人間そのものはもとより、社会のありよう、政治のあるべき姿を見出さないところに、人々を向かわせる働きをすることになっているのである。そうして、その働きのもたらすものは、浅薄な人間理解に人々を留まらしめることであり、まずは包括的に言って、こうだからしょうがないとか、已むを得ないとか、そうしたところへの同情や共感によって、行為自体の是非を明らかにさせずにおくこととなり、次には、この事件、ならびにそれにつき論評されているところに即して言えば、人々が現在置かれている境遇と待遇とに抱いている不満からして、こういう行動を起こすのは已むを得ないものである、人とはそういうものである、という〈どうしようもない〉人間理解である。
このどうしようもないとは、どうしようもなく浅薄で、どうしようもなく蔑視的な人間理解というつもりである。また、このどうしようもなさは、人々の多くをして、こういう行動は已むを得ないと、その人々自らがそう行動することを、自らに了解していく筋道を与えるよりは、それよりもむしろ、多くの人々をして、人間とはこういう不満を持つと、こんな行動をしてしまうような、どうしようないものである、という眼差しを持たしめるものだ、ということを言う。すなわち、私は、あの文章は、世直しにはこんなことが必要だ、と人々が自ら考えることを促すよりは、また、そのように人々の多くが考えている事実を示しているものであるよりは、むしろ、多くの人々をして、我々の社会には、こんな不満からこんな行動をする奴らが数多く居る、という意識を持たしめるものだ、と思うのである。そして、多数の人々が、多数の人々をして、そう看做すという、この様こそ、最もどうしようもないところである。
そして、そのどうしようもなさに呆れる思いとなるところを強調すれば、こんな程度の人間理解よりして、政治の為すべきところが見出され、社会に於いて為す所のものが告げられ、そして、多くの人々が、それら政府の施策と社会での態度とを、もっとも至極なものだと了解していく、という点である。しかも、このように受け入れられていくところでは、人々をかくも浅薄に見下げて捉えていて、またそのような捉え方が正しいと人々が簡単に同意していることによって、その地位と役割を確固としたものにしているところの、この国の政府の政治的意志を決定し、その意志に基づく社会を作り出そうとする人々に、これまで通りの、またこれまでと同程度の、いやむしろ、それ以上のかもしれない、活躍の場所を用意し、活躍の意義の根拠を与え、また、活躍の必要性のロジックを強力にするであろう。
そうして、ここより言えば、匿名ダイアリーの《書かれた》文章は、よりはっきりと私の感ずるところを明記してしまえば、まさに今述べた活動を支え、裏打ちし、それを否定されなくするよう、その意義と必要性を人々に了解させるために《書かれた》ものである。筆者の真意が如何なるものかにかかわらず、このような効果しか持ちえない仕方で、《書かれた》ものである。いくらか、これを敷衍するに記せば、まずその題からして「・・・存在しないと(ボクは)思った」と読まれるようであっても、正しくは、「・・・存在しないと《人々は思っている》」と読むべきものであり、読み手がその文章より抱くものは、そう思うのも已むを得ない、であって、その主語はさしあたって、あの事件の犯人が、という形でのようであるけれども、正しくは、その文章の書き手がそう思うことは、というものですらも全然無くして、筆者以外の、また読み手以外の、どこかの誰かはそう思うであろう、というものである。つまり、多くの人々はそういうどうしようもない存在なのだ、という人間理解を抱かせる内容であり、そうした人間理解をこの文章を通じて、人々に再確認させているし、再形成させるものである。
その形成の効果あるところを、更に、細かく見るならば、文中、「・・・すれば、殺したくもなる人も出ると思う。」、「誰かを殺せば変わる・・・そう思い続けている人もいると思う。」、「・・・誰か殺そうという人も出るだろう。」という箇所よりして、これらすべてが、第三者に関して、こうであろうとするところであり、それは筆者の人間理解、いや《庶民》像を示して居る。これらの特徴から、この文章全体は、その筆者が考えるところの庶民(人々)に関する理解の地平で、(この庶民理解は、また別に、「人が死ぬということほど絶大なメッセージ表現方法を庶民は持っていない。」という記述より取り出せるものがある。)その記述が為されていると言えるものであって、またこのような記述よりして、当然に読者の持つものは、人々はそうしたものである、との理解でしかない。その人々とは、勿論、読者自身を除いた、読者自身以外の第三者のことであり、そう思っている人々がどこかに居る、居てもおかしくない、という意識を、多数の人が自分以外の多数の人に関して有するようにさせるものである。
その多数の第三者の持つ《思い》を、筆者が決して持つものでないことは、「誰かを殺せば変わると本気で思っていた。それは政治家になって日本を変えるよりもずっと手っ取り早いと思っていた。今ではそれは危険な思想だと思うけれど、そう思い続けている人もいると思う。」とあるところで、自分はそんな考えを持つものでないと記していることに確認出来る。そして、ここよりして、この文章は、自分が決して持たないものをして、人々の思っていることとしてと記して、なおかつ、どこか自分の思いでもあるかのようにすることによって、あたかもインターネットの中にいるとされる《テロ》へ賛同者の一事例であるかのように書くことで、まるでジャーナリストが喜ぶであろうように《書かれた》、とんでもないものであると評せねばならない。また、そのような意義付けで十分である。
・・・つけたりに。文中で一度は、「危険な思想」との認識を示していながら、最後に、「絶大なメッセージ表現方法」という評価付けを与えるのは、まことに矛盾したものである。この相反する捉え方が混在している原因を、真面目に考えれば、筆者に於いてその両者が、共にそれ自体で十分に考察されていない、ということであろう。しかし、自分の取らない「危険な」ものと、自分以外の庶民には「絶大な」ものという風に、両者の帰属先が異なることからして、あまり真面目に理由を見つける必要はないであろう。で、不真面目に解すれば、自分を外したところで、人々に向かっては、絶大なメッセージになるよと勧めている訳で、まことに不真面目な提案である。しかも、それは、上に述べたような、多数の人々が自分以外の多数の人々に関して持つ意識の中で、「危険なもの」という性格付けを帯びることにもなっているのである。(id:kenkido)
http://d.hatena.ne.jp/shibuyan730/20081111/1226428535
面白い。面白いけど、俺にはどちらかというと一方的にDQNがオタク文化を吸収しているように思える。オタクがDQN文化を吸収した例ってある?
たとえば、それまでエロイ抱き枕でニヤニヤゴロゴロしていた集団が、だんだん鉢巻占めて長ランでオラーっとかやっている例はどのくらいあるんだろう。言葉を変えると、オタクの硬派化、オタクの体育会系化ってのはどのくらいあるんだろう。長島は面白い例だが、あれを傾向といえるかどうかは、俺にはよくわからない。彼のほかに頂点には上れなかったけど、体をとことん鍛え上げたオタクのピラミッドがあるの?そうならばオタクは体育会系化しているけど。
なんとなくだが、単にDQNが形式美を失いつつあるんじゃないかと思う。まっとうに暮らしているやつはこういうことを言うと、なに言ってんだと思うだろうが、暴走族にも鉄の団結と厳しい上下関係がある。乗り回している車とか単車は、一般人が目を背けるような改造であっても、連中なりに「しぶい」「かっけー」という基準があった。単にお行儀のよさに対するアンチでめちゃめちゃやってるだけと考えると、少なくともDQN文化という見方からは降りる必要がある。彼らは彼らの美意識と規範を持っている(社会的に容認できないが)。そういう意味で、文化を論じたい筋からは彼らはカウンター・カルチャーだろうが、彼ら自身にとって「カウンター」という言葉は無用だ。
話がそれた。
アニメ暴走族に関しては、単に暴走族としての美意識が崩壊しつつあるんじゃないかと思う。というか、集団的な美意識を構成員に押し付けられなくなった。「萌え??」とか「アニメ」とかいっているやつを、「馬鹿じゃねーの、恥ずいことしてんじゃねーよ」と恫喝できる鉄の組織を維持できなくなった。なぜなら、DQNに限らず日本人全部が美意識を失いつつあるから。
大阪の引きずり回し殺人の父親のコメントが印象的だった。どう見ても犬猫以下の生活が報じられていた男の親と思えないくらい、常識的なお詫びを言っている。言わされたというより、本人の内側から自然にそういっている。たぶん会社ではきちんとした社会人だったんだろう。でも、わが子にはペット程度のしつけしかできなかった。
日本中上から下までそんな感じだろう。だめなことはだめ、文句を言わずに黙って言うことを聞けという最低限のしつけさえされていないペットが街にあふれている。暴走族が例外だと思ったら大間違いだ。彼らだって若い連中をそういった層から入れざるを得ない日が来る。そんな連中が、びしっと筋の通った浪花節的価値観、美意識を受け入れられるか。言い換えると厳しさを受け入れられるか。あまったるい、萌える、快楽だけの世界へとゆっくりと降下していくだけだ。
つーわけで、一部暴走族に発生している(とうわさで聞く)痛車化は、DQNカルチャーとオタクカルチャーの融合とかではないと俺は思う。どちらかというと、お米にエロゲーの原画化に絵を描かせて売る、美意識のなさ、常識のわきまえなさ、痛さに近い。
つまり、一億総痛い人化の一例に過ぎない。
道路がある。その道は、会社や学校へ行こうとする人が通りもすれば、主婦が買い物に、子供の手を引いて家族がお出かけに、友人同志が御喋りしながらどこかへ遊びにと、いろんな人達が通る。そして、時には、その道を、誰かを騙しに行く人も、どこかに空き巣に入ろうとする人も、待ち伏せてひったくりをしようとする人も通って行く。
悪人が通るからと言って、道を作り替えることが出来るか?。特別な構造の道に造作し直して、悪人だけは通れないように出来るだろうか?。出来ることがあるとしたら、まずはその道に入ろうとする人を、すべてチェックするようなことだけであろう。つまり、誰もが通れないようにして、検査にパスした人だけ通ってよろしい、とするしかあるまい。
そんなことをしたら、会社や学校から帰って来た人は、帰り道を遮られて面食らうだろう。買い物袋を手に提げて、早く家に帰ってご飯を作りたいとやきもきさせるだろう。馬鹿な遊びに時間を潰して罰が当たったと、若者は悔やむだろうか。あんなことは早く切り上げて、さっさと家にかえっておけば良かった、とも思うだろうか。そしてこうも思うだろうか、でも、運良く家に帰れたとして、明日、出かけることが出来るんだろうかも、どうも大変に不自由なことになったようだ、じゃ、出かけないでおこうか、と。
それとも、その道を通ったら、その通るなりの仕掛けで、悪い事の決して出来ないような歩きしか、その歩いている人にさせないような、魔法のような作りの道が作り出せると思っている人もいるのだろうか。いろんな人が、いろんな目的で通る道ということを、何ら損じること無くして、ただ悪い人だけが通ることの出来ない道なんてものが、作り出せると思う人がいるんだろうか。
どんな工夫を巧みにすれば、そんなものが出来る上がるのか、この匿名氏には、まったく思慮できないが、そんなことが思いつけると自信のある人はいるようで、人がそこを歩くと、誰もがもう悪しくなく歩けてしまう道の設計図を売り込んでいる。その道を管理している役場の方では、悪人が通るということにひどく気を揉んでいたので、そのプランに飛びつこうとしている。名付けて、メイクユーグッドロード、それとも、エクスクルードバッドストリート。
そんな道が出来上がったとしても、実のところは、せいぜい入り口に看板を掲げることぐらいであろう。そして、それを見上げながら、喜んでそこに入って行くのは、虚栄の人、欺瞞の人、スノッブな人、つまりバカな奴らであろうし、そして、本当の悪人はしめしめとうれしがるであろう。ここを通っている限りは、自分は善人だと証明されているようなもんだ、と。そうして、人を騙しに行き、上手いことを言って、人のものを取り上げ、気の良い人に難儀ごとをおしつけ、気の弱い人に苦労をしょわせ、気の強い人はおだてて褒め上げ、調子よく浮かれさせて、踊らせたいように踊らせることであろう。
この匿名氏は、そんな道だという看板が目に入ったなら、別の道を選ぶ。そんな道に入り込んで、グッドと呼ばれる姿に躾け直されたり、バッドとされるものを譴責されたりするような煩わしいことに悩まされたくはないから。そして、匿名氏の選ぶ道は、多分、何の看板も無い普通の道で、でも強いて言えば、バルガーロード。そこなら、匿名氏は、匿名氏のあるがままに、その道を歩けようから。そして、そこに入ってみれば、恐らく、いつもの道のように、会社や学校への行き帰りの人、家の用事で出歩いている人、遊びに出かける人が、同じように歩いていよう。
勿論、悪人も歩いていようが、それは常識が教えてくれるに従って用心するし、他人に悪事が及びそうなら、避けるようにと声をかけてあげるであろう。そこでならば、ここを歩いているからって、善人とは限らない、ということを誰もが意識しているであろうから、匿名氏の忠告はそれなりに聞き入れてくれるであろう。あの目つきをご覧なさい、どう見たって、人を騙そうって顔つきですよ、そんな口上にはご用心なさい、なんたってそれは詐欺師の言葉遣いですよ、ああ、それは乱暴な口調ですね、そんな奴らはほっぽっておきなさい、どうしたって大したことは出来ないんですから、等々と。
悪人じゃなくて、悪口が?、それが群衆から声高に?、そんなものを浴びせられるのが?。それはなるほど御気分はよくないでしょうな。ご不快極まり無いでしょうな。奴らの口を封じたい?、そんな気ぃ悪いものが聞こえてこなくしたい?。そりゃ、確かに、御自身一個の事情から、そうも言いたくなるでしょうな。でも、多くの人がめいめいな歩き方をしている道そのものを、一人一個の存念に適うように仕立て直すのは、どうなんでしょうね。そんな大袈裟なことを、もっともらしく売り込んだりせずあって欲しいものです。
もし我慢ならないなら、道の中に突っ立って、これは気持ちよい、あれは気色悪い、こいつは通って良し、あいつは気障りだ、と片端から、審判を下すようになさったらいかがですか。いろんな人が通る道ですもの、そのいろんな人の一人に、そういう審判者が交じっていたっておかしくはありませんよ。しかし、そういう審判者は、異様でもあり、時には異常に思われるものです。そう思われたくない?、だけど、御自身のお姿は、もうそうなんですよ。
えっ、皆の為に?、それで迷惑を蒙っている人の為に?、それで傷ついた人の為に?。嘘おっしゃい!。あなたは、あなた一個の好悪で、誰もが通る道を、ご自分の気に入ったものだけが通る道にしたいんじゃないですか。あなたのことなんかどうでもよく、別のことを目指して通り過ぎる人までも、あなたの好む格好で歩かせようってんじゃないですか。会社や学校に行こうとしている人に、ここは、そういう顔つきや手足の振り方で歩くところじゃない!、とあなたは言っているようなもんなんです。
御自分が、この道でしゃべくる奴らの声が気に入らぬ、そういう話題は気分を害する、ことに俺のことを言う奴は憎らしくてたまらぬ、ってんですから、聞こえた側から、怒鳴り声を挙げたらどうてすか、それが自然なことですよ。それなのに、様子を奇麗にしようとして、皆のためなんて見せかけてくれたお陰で、かえってその皆はとっても迷惑なことになっているんですよ。ほんと、みっともない。
もう、あの話は思い出したくなかったんだけどな。20年くらい目を背けていたんだが、今これを読んでまた思い出しちゃったよ。
俺たちの高校もそんな感じだった。歴史ある公立高校(うちの田舎じゃ公立のが上な)ってことで進学率は高いしやっぱ地域の中学から頭のいい奴らも集まっていた。で、たいていそんな連中は(俺も含めて)天狗だろ?それを教師達が上から威圧感でぐいぐい押さえつけていた。若手の先生連中なんかは平気でびんたを飛ばしてた。まぁ、殴られて後で文句を言う奴はいたが、殴ること自身を暴力だ何だって騒ぐ奴はいなかったな。とにかく、そんな雰囲気だから体育教官室には近寄りたくなかったし、体育教官もいくらか横暴だった。校長も生徒に対する重石として大目に見ていたんじゃないかと思う。
体育大会の練習でまさに、「お前らちゃんとやれ!」ってのがあったよ。まぁ、頭は良いけどやっぱりそれはそれ、昭和後期の甘やかされて育ったがきだからな。中には俺から見ても躾のなってない馬鹿がいた。とうぜん、行進なんか何度怒鳴れてもちんたらちんたら歩くわけよ。教官によっては「停まれ!」と大声を出した後、自分が見つけた「欠陥」まで走っていって殴り飛ばしていたが、違う教官はそれこそ
「違う、やりなおし」
を何度でも繰り返した。午後の合同体育授業が全部行進なんてこともざらだった。当たり前だが、この方法は本当にうんざりした。教官に対する不満も相だが、いつまでもテレテレやる馬鹿に対する怒りが蓄積していった。そういう連中は学年でも有名なワルだった。ワルといっても別に本格的な不良じゃないんだが、進学校に来てドロップアウト、成績が悪いだけならともかく、明らかに人間の芯が馬鹿でしつけが悪い。あとはどうするんだこいつ、と周りが思うような連中が数人居た。
あるとき、とうとう怒りが臨界点を越えたやつが出てきた。学年合同体育の授業で、その日何回かのやり直しを食らった後、とうとう一人が声を上げた。
「先生、お願いがあります。僕達で話をさせてください」
「なんだと!」
と、スピーカーを持った体育教官が怒声を飛ばしたが、それでも聞いたのはその生徒が学年でも数人いる骨のある奴だったからだ。剣道部のエースで成績も上の中。発言も明晰で礼儀も折り目正しい。職員室の覚えがよかったのは当然として、生徒の人気も男女を問わずあった。人気ってのは尊敬じゃなくて友達としてな。快活な奴だったよ。違うクラスだったが俺だって好感を持ってたくらいだ。
そいつは150人の隊列から教官のほうに数歩歩みだして、何度やり直しを言われてもうまくなっていない事実、教官が今日はどこが悪いか指摘しない事実、このままでは午後の2時間が無駄になろうという考えを述べた後、だから自分達で何が悪いのか検討させてくれといった。
俺はそいつが…田中としておく…教官にぶん殴られると思っていたが、そうはならなかった。後から考えると、言われるままに手足を動かすにとどまらず、自分達で与えられた課題を考えさせろというのが、体育教官の胸を打ったのかもしれない。体育教官が許可を出すと、田中は俺達のほうを向いて演説をぶった。
俺達は、時間を無駄にしている。お互い何度も繰り返すのはもううんざりだ。クラスごとに分かれて悪いところを検討し、一発で気持ちよく終わらせようじゃないか。
見事な正論だった。何人か大声で同意を唱えたのは、それぞれのクラスにいたりいなかったりするムードメーカー風の奴だ。校風にかすかに男っぽさが残っていて、そういう堂々とした生徒がいる雰囲気が残っていた。小声で愚痴る連中はもちろんいたが(そして、誰が愚痴るか実に予想通りだったが)多数の同意でその場でクラスごとに集合して話し合いになった。元々隊列はクラスごとだったので集合は簡単だ。で、ムードメーカーが音頭を取る形で話が始まった。俺のクラスではやはりムードメーカー…佐藤にするか…が音頭をとって、正直面倒だから早く終わらせよう、そのために気合を入れてきちんとやろうという雰囲気がすぐできた。
ただ、茶々が入った。そういうことを決してまともに受け取らない馬鹿が、めんどくせーよ。と声を上げた。普段、周りがそれで黙っているので考えなしに言ったのだろうが、そいつの誤算だった。なにしろそいつのせいで体育の授業がめんどくさくなっているのだ、気の短いやつが「おまえのせいだろうが」と声を上げると、まわりから賛同の声があがった。一瞬でその馬鹿と数人の小馬鹿対クラスのほかの連中の対立構造が出来上がった。普段どっちつかずの奴らもこのときは周囲の圧力で意見を強制的に明らかにされた。だから「当事者を挟んで周りが見守る」構図にはならなかった。クラス真っ二つ。気がつけば運動場中がそんな感じだった。クラスごとに対立の激しさや構図は違うようだが、五十歩百歩だろう。
馬鹿のほうは何でもかんでも不満があればわめき散らす。本当に分かりやすい反応。一方、嫌々ながらまじめに授業を受けていた連中は誰のせいでこんなことになっているかはっきり理解しているのでものすごく攻撃的になっている。とにかく、どっちもひかない。双方お前らが悪いの一点張り。結局あてが外れた体育教官がスピーカーで怒鳴り散らして全員を整列させると、なぜか田中が呼び出されて全員の前で殴られた。さすがに相当数がぶちきれて
「田中は悪くねーだろ」
と怒号が飛んだ。俺もその口。すかさず
「今、口をあけた奴は出て来いっ」
と怒鳴る体育教官。俺達も幾分バンカラな校風にそまっているたもんだから、出てってやろうじゃないかと出て行く。30人くらいが一列に並べられて右から左にびんたを張られた。俺は張られるとき、これまで人をそんな風に見たことがないような憎悪で教官を見ていた。全員そうだったんだろう。俺達は2往復殴られた。列に戻るとき、馬鹿がニヤニヤ笑いながら「いい子にしてろよまじめちゃん達」と小さな声で俺達をからかった。その日の行進連中はめちゃめちゃ繰り返されて苦痛だった。ずっと「まじめにやんねーからだぞ、お前らのせいだぞ」と馬鹿連中が教官に見えないようにつぶやいていた。
殺伐とした空気のまま授業とホームルームが終わった。職員室にも連絡が行っていたのだろう。ホームルームではわざわざ「お前達、気持ちに任せて軽率なことをするなよ」と釘を刺された。
翌朝、田中が入院したというニュースが飛び込んできて俺達は呆然とした。「リンチじゃないのか」と憶測が飛び交う中に、やはりリンチらしいと別の憶測が飛び込んできた。後になって分かったのだが、憶測は正しくて田中は帰宅途中馬鹿連中に囲まれて袋にされたらしい。骨折していた。次の大会は絶望的。全校生徒に緊急放送で体育館に来るよう呼びかけがあったが、遅かった。教室の端でニヤニヤ笑う馬鹿に佐藤が「何がおかしい」と大声を浴びせると突進していった。佐藤にあおられた様子で、ほかの何人かも殺気立った顔つきで同じ場所に殺到した。一瞬で教室で乱闘が始まった。
結局9クラス中7クラスで乱闘があった。男女クラスでは女が泣き喚いてそれが一種のブレーキになったらしいが、俺達は男子クラスだった。双方入院者が出た。ガラスが割れて結構な血が流れたクラスもあったらしいが、一番ひどい怪我をしたやつは左目破裂だった。
違う大騒ぎがこの後に来た。怪我をした奴の親が学校に乗り込んできて、初めて大乱闘だったと気づいた。夜からPTAの緊急会合が召集され、校長が詰め寄られた。当たり前だが新聞沙汰、裁判沙汰になり、田中を殴った体育教官はクビ、校長は左遷された。田中を袋にした連中は結局3人が退学。学年で20人以上が停学をくらった。俺も1週間くらい家でごろごろしていた。その年の体育大会はなかったし運動部もたぶん全部が一年くらい大会出場を辞退した。
その年の進学は相当わるかった。俺のほうは軽い怪我をしただけで、4月に考えていた志望大学より上に受かった。何しろあれから火がついたように勉強したからな。もう、馬鹿と一緒くたに扱われるのはこりごりだと思ったから。もう二度とチームで何かしたいとは思わなかったし、話し合えば何とかなるなんてことも信じなくなった。
今?そこそこうまくいってるね。田中や佐藤がどうしているかは知らない。俺達の学年って同窓会出席してるのか? 残念ながらサラリーマンだから、気楽な一匹狼ってわけじゃない。仕事では部下の自主性なんか信じてないよ。細かいところまでゴリゴリ俺のやり方を押し付けてる。部下に考えさせる必要なんかないよ。
これから書くことは単純で明快なことだ。だが、簡単だけど実際にやってみようという人は少ない。
それがヒントだ。それがチャンスだ。
まわりに女がいない?だったら男友達でいい。まずはこの週末、友達を家に呼べ。
増田は今、パソコンに向かってるよな。手元にマウスとキーボード、一人部屋ならテレビがあって手元にリモコンがあるな。
では、そのリモコンをまずひっくり返してほしい。
単三電池か?それで十分だ。単四電池のやつは運が良い。
さて、準備は完了だ。
ここで君にクエスチョン。いきなり最後の問題。しかもボーナスポイント一億点。
問題はこうだ。
「その単三電池を友達のお尻に入れろ」
なにをやってもいい。ズルでもいいからどんどんやってくれ。
言葉を尽くしてもいい。「一生のお願いだから」「友達だろ?」「いいから頼むって」
とにかく入れればいい。「むこう向いてるから」「電気消すから」「トイレでいいから」
「何度も言わせるな、早く入れろよ」「ごちゃごちゃ言ってると、無理矢理いれるぞ」
問題をどうしても解決したいなら多少強引に脅しつけたってかまわない。
義務や責任感で攻めてもいい。「俺たち友達だよな?」「この電池を入れないと病気の子供が死んでしまうんだ」
こういうズルもあるな。「この小切手に好きな金額を書いてくれ給え」
とにかく、なにをしてもかまわない。男友達のお尻に電池を収めることだけが課題だ。
もしリモコンがなければ、、たとえばマカロニはどうだ?マカロニで代用するのもいいね。マカロニおいしいし。
できる?できた?身近な友達を思い出しながら、どう説得するか思いつく?
模範解答は書かない。何通りものやり方があるし、解決法は人それぞれだから。
来客用ソファの中心に埋め込んでおいて刺さるように仕込む、なんて考えたやつ、お前はあたまがいいよ。
単純な問いだね。
ところで、話は変わるが君のアレはどうだ?ほら、いつもチャックから引っぱりだすあいつのことだけど。
かわいいか?たのしそうか?おいしそうか?それとも、べんりか?かがやいてるか?
たぶん、そんなことはないよな。しなびてて、まるで野良犬のような愛想の悪さだ。
そんなアレを、だれか入れてほしいと積極的に思う人はいると思う?
まさか。絶対に誰もそう思うわけがない。絶対にだ。
君のアレは単三電池以下だ。アルカリ電池のように輝いてもいないし、中国製食品以上に健康不安を引き起こす。
言ってみれば、評判の悪い劣化ウラン弾より気味が悪いもんだ。
もうわかるよな。女を落とすのは男友達に単三電池を入れる問題を少し難しくした類似問題でしかない。
単三電池問題はどう解決した?それを女に当てはめればいい。
その解決法は一回限りか?女の場合はどうしたいか考えて解き直せばいい。
最初はスマートな解法が思い浮かばないかもしれない。だが大事なのは、この問いにきちんと正面から向き合うことだ。
どんな方法でも良いから解決策を考え続けろ。最後まで考え通した者だけが女を落とすポイントに気づく。
どうせ僕はもてないから、なんて言ってるやつはテストの最中に寝るようなだらしのないダメ人間だ。
もてないと嘆くやつは、あれだ。高校ばっくれて、「素因数分解なんてなんの役に立つ?」と強がって見せるガキと同じだ。
両者に共通するのは最後まで問題と向き合ってもないというだらしなさ。
意味はわかるか?内容は理解したか?
じゃあ、今すぐ男友達に電話しよう。ちょっと話があるからうちに来ないか、と。
足引きずってる
怪我じゃない
ていうか
仕事してただけ
住宅街
暗くて
人通り
無くて
閉まった雨戸から
寝かしつけたい親と
走り回る
ガキの足音
なかなか進まなくて
自分の足元
見たり
鳴らない携帯
開いて
みたり
ああ
私
ガキになりたい
のか
無条件で
際限なく
甘えられる
ガキに
ひとり
社会に出れば
そんなの
無理だし
ていうか
甘えさせて
くれる
相手
ぜんぜん
みつかんない
そもそも
私が
甘えさせるほど
できてない
ていうか
自分だけ
一方的に
得しようとか
笑える
乾いた笑い
おっことして
私
歩く
支えきれない
自分だけ
のっけて
歩く
#ていうか増量した
#っていうか
#言われるがまま
#っていうか。
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
http://d.hatena.ne.jp/dystopia/20081022/1224691024
先月受け取ったメールで知り合い、チャットで意気投合し、今月から付き合い始めた。
これまで5人くらいと付き合ったことがあるけれど、一般的な女の子と比較して
といった点が目立つ。
見た目は福田康夫を少し丸くしたようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身は雄だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう女の子とつきあうのは楽で楽しいと分かってきた。
いろいろ縄張り・バナナ・毛づくろいなどを試そうとするなど好奇心が強い。
群れの長の資格も持っているというのに大道芸系の資格も取ろうと勉強していて向上心の強さがある。
体毛の薄い俺を上手にグルーミングできない自分に「ウキーッ、キキキッキーー///」と恥ずかしがる。
問題はどうやって知り合うかだけれど、職場(動物園)という戦闘モードの時に誘うのではなく、ジャングルが狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的な女の子よりも付き合いは簡単かも。
だって普段雄同士でしている会話と同じでいいんだから。
1984年、高校2年生の時、A子さんは「友人の家に行きたいのだけど、道が分からなくなって」と米兵に話しかけられた。気の毒にと思って車に近づいたところ、後に隠れていた別の米兵が出てきて首にナイフを突きつけ「殺すぞ」と脅した。恐怖に震えている内に近くの公園に連れていかれ、3人に代わる代わるレイプされた。
>>「女性を強姦するのは紳士として恥ずべきだが、強姦する体力が無いのは男として恥ずかしい」などと、文化庁!長官として「紳士」にあるまじき暴言を吐いているし、自民党議員の太田誠一も「集団レイプする人は元気があって正常に近い」と発言して落選(その後バブル選挙で復活当選)した。
<<
女性諸君!ゆめゆめ同情したり親切にしたりしてはいけませんよ。世間ではそれを「しつけがなってない」と言って、あなた方を非難(バッシング)するのですから・
http://blogs.yahoo.co.jp/pen_tsuyoshi/15998782.html
少し前、「女性が目の前で転んだのにだれも手を貸さなかった」と男性記者が書いたものにたいして、何故か意味のよくわからない女性バッシング「助けたら痴漢扱いされるだろビッチ!!」「女は痴漢冤罪ばっかしてるんだから誰ももう助けねーよ」がかなりの数あったけど、もうそれ以前に女性の方が親切にしたくないよ。コンクリ事件だって親切にしたら…ってやつだった。本当、この記事の通り(最後のは厭味だろうけど)、助けたらこんなことされた上「女も悪い」とされる世の中。嫌になる。っていうと「イスラムよりマシだからいいじゃん」とか、男は無責任に言うんだよ(実際言ってた奴がいた)。呆れて物も言えないとはまさにこのこと。
こんな事に遭いかねないってだけで女性に生まれてきて本当嫌になる。
っていうと大袈裟だと同性からも笑われるけど。
笑ってるのって、単に現実を軽視してるだけなんじゃないの?見てみぬフリしてるだけなんじゃないの?
全員がそんなことする人ではないなんてこた分かってるが、そういう犯罪者だけ見抜けるのかっていったら見抜けないんだから、全員がそうじゃないといわれた所で正直あまり意味はない。だから何だという話で。こっちからしてみれば多くの男性の誰が危険人物か分からないのだから。
本気で嫌になる。こんな心配しなきゃいけないのも嫌になるよ。自衛しなきゃいけないのも。男だったらそんな事せずに済むのに。
気持ちが悪い。
性犯罪の刑はなんだかんだ全然軽いし。
反吐が出る。
別に生理とかはたいした問題じゃない。
女に生まれて一番何が嫌になるかって結局は性犯罪だよ。
その割にまーだ議員やら文化庁長官やらがバカ言っていたり犯人はすぐ出所するわ
こういうのを見る度生きるのが嫌になって仕方ない。
http://anond.hatelabo.jp/20081028180420
このへんで『年収のほうが分かりやすい』とレスがついたので改めて検討してみよう。
つーか専業主婦でいるより若干社会に出ていただいたほうが何かと精神的なあれやこれやという点で健全でいられるのではないかとも思うわけだがそれはさておき、ここでいう専業主婦とは以下の要素を満たすものとする。
・家族の健康と衛生を考えて三食飯をつくってくれたりきちんと洗濯してくれる
・夜営は週一くらいで
・子供には他所に出しても恥ずかしくない程度のしつけと教育が必要であると考えてくれる
・振り込め詐欺に遭わない
・上記条件を提示してもなお俺と家族に対して愛情をもってくれている
まあ多かれ少なかれ日本のかーちゃんってのはこれくらいのことはやってくれるものだと思っていたので。すげえよな日本のかーちゃん。というわけで上記のような日本のかーちゃんになってみたい未婚女子(およびそれに成りきってる病的男子)の皆様、旦那に求める年収はいくらくらい? 家賃月いくら(つまり生活圏がどこか?)を仮定したうえで必要な年収を答えてみてほしい。で、専業無理!と思ったら、だいたいどれくらいの年収ならこのへんまではやれる、みたいなガイドラインを出してみてはどうか。もうぶっちゃけ既婚者の体験談でもいいくらい。
特に
・パートとかで働かなくてもいい境界線
・子供を作ってもいい境界線
が知りたい。
一応旦那のスペックとしては、年収はどうあれ、浮気もせず嫁がどうしても許せないようなこともなく、愛情が冷めることのない、まあそこそこいい感じの男であるものとします。見た目は二の次。
生まれてはじめて、本当に人を好きになって、すべてを投げ出してもいいってぐらい好きな人ができて、誰にも言えなくて、ほとんど話したこともないアナタにただ共通の知人であるというだけでぶしつけに「ただ、聞いてほしい」とお願いしたのがはじまりでしたね。
アナタはその優しげな笑みでずーっと聞いていてくれました。そして話し終えた時にアナタが言ってくれたこと、「○○さんのこと、好きになってくれて、私も嬉しい。」私は本当におどろきました。どうして? 私が好きになって、しかもぜんぜんうまくいってないのですよ? 私がその子を好きになったことが、アナタが、嬉しい? なぜ?
でも、私にとってもっとも嬉しい言葉を言ってくれたのだということはわかりました。あぁ!あなたに聞いてもらってよかったなって。
遠くに行ってしまうアナタにせめてもの恩返しをしようと私は必死でした。いつも夜遅くまで作業を手伝って・・・、いや、ウソですね。ずーっとお話ししていました。誰にも話したことのないお互いのこと。アナタが言ってくれた「楽しい」という言葉。私は何万倍にして返したかったです。そして、いつか、アナタを好きになっていました。
お別れの夜、絶えきれずに聞いた「私のこと、どう思っていますか?」その答えに私は死にそうになりました。
「・・・好き」
私は恋愛経験は少なくない方だと思います。でも、いつも、相手の好きをうけれいてきただけだった私にとって、そのときはじめて聞いた心の底から好きだと思う人からの好き。あの瞬間、死んでもいいと思いました。この言葉をずーっと聞きたかったんだ、もう思い残すことは何もない。
あれから1年半。会えない寂しさから、嫉妬したり、絶望したり、無理を言って怒らせたり。私の行いでいつしかアナタの好きは私から消えていました。そして私もそれに絶えられず、何度もあきらめようと自分の気持ちから目をそらそし、連絡を絶とうとしたり、新しい恋をはじめてみたりしましたが、結局アナタに戻ってきてしまいました。
私はどうやらアナタを愛しているようです。
それに気づいて、心がラクになりました。
これから先の人生は、私はアナタのために生きていきます。どうしたらアナタがあの優しい笑顔でずーっといられるのか、それだけを考えて生きていきます。
今はまだ不甲斐ない私だけど、あなたが一生幸せに暮らせる強さと頼りがいを得られるように死にものぐるいで考えて、努力して、働きます。それだけが私の生き甲斐だから。
そして、もし、それでも私があなたを幸せにすることができない男にしかなれなかったら、、、私はあなたの前から喜んで消えます。あなたの幸せだけが、私の望みだから。
だからそのときまでそばにいさせてください。
宣誓、一生愛します。
そうそう
あいつらガキひりだすしか能がないってのに
下手に権利とか覚えやがって子供盾にとって
ぴーぴー喚いてるだけ
横面のひとつふたつ張り飛ばしてしつけなおしてやらないとな
クリーニング屋の真実……! 元増田(http://anond.hatelabo.jp/20081018010245)です。多数のブクマ&ブコメありがとうございます。驚いております。
クリーニング屋として暴きたいところは実はものすごくたくさんあるんですが、やっぱり接客業としてそれはやっちゃいけねえよな、と。クリーニング屋が真実を暴くとき、それは特定のお客様の特定のお品物から想像される私生活についてアレコレいうときですのでね。当たり障りのないように書きますが、結構、クリーニング屋に持ってくる品物でそのお客様のことが分かります。見栄っ張りだけど貧乏人だなとか、荒んだ生活してるな、だから女の影の一つもないんだな、とかね。逆に、まったくモテなさそうな男性がだんだんと明るくおしゃれになっていくと思ったら、彼女ができていたりする。モデルみたいにかっこいい男性が、エビちゃんに負けず劣らずのモデルばりにかわいい彼女をとっかえひっかえしているのや、売れないしがないホスト崩れに貢ぐ女性が、あるとき正気に戻ってホストと別れていたり。そういうのも、実は洗いに出す服と、お店に着てくる服とお客様の表情とで、なんとなく分かります。
そういうことが細かく書ければ面白いんですが(裏話がたくさんありすぎるので)、やっぱり、書けねえです。身バレも怖いですし。そういうわけで、前置きが長くなりましたがブコメでちょっと気になったことについてクリーニング屋的にお返事を書かせていただき、これをもってクリーニング屋こぼれ話と替えさせていただきます。またすんごく長くなってしまったんですが、興味のある人は読んでくださいね。それではこれからもクリーニング屋をよろしくお願いいたします。
これはもう、しょうがない。汗をかかないことはできないので、せめてかいた汗をこまめに拭い、できれば下着とタオル、ハンカチの替えを用意して着替えてしまいましょう。会社にジャケットとネクタイを常備しておき、会社に着いてから下着+Yシャツを替え、ジャケットとネクタイをつけるなんてお客様もいらっしゃいます。
それから、汗をかいたスーツはそのままにしないでください。そのままにしておくと、かいた汗がかたまってまだらに白く塩をふいたようになります。これはドライクリーニングでは落ちないのでダブルクリーニングの扱いになります。ダブルクリーニングなら大抵は落ちますけど、女性の白っぽいスーツやサマーニットの場合は繊維が変色してしまって落ちなくなりますので要注意。白っぽい服のしみ抜きは脱色の扱いになります。そこだけ白く色落ちする可能性が高いので、こちらの判断でしみ抜きをお断りすることも……。そういうわけで、極力かいた汗を衣服に吸わせないようにしてください。そのためには男性も女性も面倒がらずに下着を着てくださいね。
裸のうえに着たYシャツを、クリーニングにお出しになるので? その場合、十中八九、まず間違いなくあなたのYシャツが話題になっています。くさい、あるいは汚いと。
下着の上から着たかどうか、年中Yシャツに触っていれば分かるようになります。裸のうえに着たYシャツは、たとえ乾いていても何だか湿っぽい。そうしてちょっとカビ臭いんです。これは多分、着た日からクリーニングに出す日までの数日の空白期間に、生地の汗が変質しているんだと思うんです(想像です)。
色の薄いYシャツを着ているならそれで問題もないのでしょうが、スモーキーな色のYシャツや、逆に色の濃いはっきりとしたYシャツですと、汗の傷みか何なのか、色落ちが早いように思います。その数日のあいだに塩でまだらになってしまうYシャツもありますしね。Yシャツは水洗いをしますので、それでも大抵は落ちて見た目はキレイになります。ただ塩分をたくさん吸った生地を高温の湯でざっと洗い、高温のプレスをじゅっとかける。これで生地が傷まないと思いますか。いいYシャツであるなら、長持ちするように着てほしいですね。
全然話題になっていませんでしたが、クリーニング屋的Yシャツのよしあしについて。よしあしっつーか、単なる好みです。タグ付けがしやすい、ボタンが外しやすい、生地が傷みにくそう(想像です)、あと仕上がりが比較的きれい。さらに最も重要なことが、ボタンが割れづらい&割れても交換しやすいボタンを使っている(Yシャツはプレスのときにボタンが割れる)。これを全部満たしてるのが○ニクロ。ほんと、騙されたと思ってユ○クロのYシャツを買ってみてください。種類が豊富なのでそれと分からないし、安いですしね。あ、回し者じゃありませんよ。
逆にうちの店舗でいちばん評判が悪いのが……これはいえませんが、若い人に好まれているあのお店です。デザイン性はあると思うんですが、機能性の点ではスーツ、Yシャツともにいまいちなんじゃないかと。Yシャツのボタンが分厚くて割れやすいのと、スーツのボタンも凝ったデザインのものが多く、割れた場合は替えが利かないんですよね。まあ、凝ったものはクリーニングには鬼門です。凝ったものだからこそクリーニングに出したいのでしょうけれど、払うお金に糸目をつけず、すべて手洗いに出すくらいの気持ちでどうぞ。
つうか、ここでも本当のことをいってしまえば、Yシャツなんざ自宅洗いで充分ですよ。たまに強いプレスをかけるためにクリーニングに出していただければ、それで充分です。クリーニング屋だからYシャツをきれいにできるのではなく、きれいなYシャツだからきれいに仕上がるだけです。
ではきれいなYシャツの作り方。Yシャツの襟と袖は、お風呂に入るときに洗濯石けんでさっと撫でて軽くこすり洗いをし、湯につけておきましょう(石けんをつけるだけ、湯につけるだけじゃ落ちませんよ)。お風呂から出るときにそれを絞って洗濯機で普通に洗濯し、干す前に畳んでパンパンと叩いてシワをとり、普通のハンガーにかけて一番上と一番下のボタンを留めます。一番上は襟回りの型くずれを防ぐため、一番下は濡れたYシャツ自体の重みによってYシャツが下にひっぱられ、きれいに乾かすため。これだけです。アイロン、いりません。
私も個人的にファブリーズを使っていましたが、高くないですか? 貧乏人には400円もする何かよく分からない液体を惜しみなくスーツに噴射することができず……水道水で代用しましたが、水道水で充分だと思いますよ。汗臭さもシワも煙草の匂いも全部、取れます。ただ、「臭い」と「汗っぽさ(べたべた感)」が取れるだけで汗そのものは取れないですよ。それはクリーニングに出すか、汗を吸わせないようにするかのどちらかしかないです。
出張で鞄にスーツを詰めて持っていく場合、シワシワになりますよね。それを簡単に解消するのが、お風呂場に干すことです。泊まったホテルの浴槽に惜しみなく湯を張り、その蒸気のほかほか出ているところに一晩くらい干しておきましょう。絶対に湯がかからないように気をつけて、蒸気だけ当ててください。翌朝、スーツのシワはきれいにとれているはずですが、心配な場合は干す前に霧吹きも当てておきましょう。これは海外出張の多いビジネスマンから教わったから間違いない。
鳥の糞は未経験ですが、そのたびは同業者が失礼をいたしました。
ペットのおしっこ・糞系は最近増えていますね。しつけができない飼い主なのか、自分で洗うのが嫌なのか(自分のペットなのに?)、それともクリーニング屋ならきれいにしてくれると思っているのか、こちらにもよく持ってこられます。けど断ります。洗濯機にその匂いがついてしまうからです。洗濯機を洗えばいいじゃないかと思うでしょうけれど、たった一点の汚れ物のために工場のラインを止める損失と、そのたった一点でいただける代金とのバランスが取れないんですね。そういうわけで、ペットの汚れは基本的にお断りです。動物と一緒に寝てる方の毛布や布団も同様の理由で断ってます。お、怒らないで……。
それは、あながち嘘ではありません。というのは、Yシャツやズボン、プリーツスカートなどはクリーニング屋の強いプレスをかけておけばそれだけで型くずれが防げるからです。セーターみたいに弱い生地のものはこの限りではありません。そういう意味でも、クリーニング屋はプレス屋として使うのが賢い方法かと。
ふっふっふ。どのクリーニング屋を何件回っているかくらい、私たちにはお見通しなのですよ。クリーニングに出したときに洗濯表示についてくる小さなタグ、あれはお店によって全然違うのです。なので、このお客様がどの店舗を使っているのか、あるいは家族でカードや店舗の使い分けをしていること、それから家族構成まで、大体分かります。気持ち悪くてすみませんが、本当です。
いいえ、下手な店舗もあることでしょう。最悪の店舗もあることでしょう。ただ誤解しないでほしいのは、そうして覚えていただきたいのは、クリーニングは万能ではないということです。
どんなに汚してもクリーニングに出せば落ちるというのは、クリーニング業界がお客様にうそぶいたことの悪い結果だと思いますが、それは実感としてお客様にも分かっていただいているはず。せっかく高いお金を払ったのに汚れがきちんと落ちてないってことが、多分どなたにも一度くらいはあると思います。
ですが、お品物は千差万別、これをやれば絶対に落とせるということはないんです。一度しか着ていない品物でも、それから洗いに出すまでに間があけば、その間に汚れが繊維のなかにしみ込んで取れなくなってしまう。あるいは、少ししか汚れないからと何度も繰り返し着てしまえば、その分だけ生地が弱って、いざ洗おうとするときには生地が破損する恐れがあるので洗えない、なんてこともあります。クリーニング屋は万能ではないし、何でもきれいにできるわけではないんです。いってしまえば、お客様の普段からの扱いがよく、洗いのことまで考えてくれているメーカーの品物くらいしか、きれいにできないんです。そして現状、それはほとんどありません。
そういう理想と現実の乖離を踏まえた上で、それでもクリーニング屋を利用しなければならない方がほとんどだと思います。こちらもそれは心得ております。心得た上で、どの衣服もそれなりに満遍なく洗える機械を使うと、この程度の仕上がりしかできないんです。いい機械を使えばきれいに仕上がるのかというと、それこそ前述したように普段のお手入れに比例したものになりますし、何より費用がかさむのでお客様から頂戴する代金も高くつくことになります。
そうとなれば、あとはお客様に自衛の手段というか、自己防御の手段をとっていただくしかないんです。すげえ面倒くさい手入れでも、それをするとしないのとでは大違いということが、これで分かっていただけましたでしょうか。いい機械とかね、いい素材とかではなく、普段のいい手入れが肝心なんです。そういうわけで、お気に入りのお品物こそ、クリーニング屋に任せっきりにしないで、ご自分の手で丁寧にお手入れしてあげてくださいね。
僕はビートたけしが大好きで、著作は、絶版になったものまで探して読んでしまう。映画は、北野武監督作品では『その男、狂暴につき』しか見たことがないんだけど、近いうちに全部見ようと思っている。『オレたちひょうきん族』のビデオとか、『オールナイトニッポン』のテープも、どうにかして手に入れたい。
この間、こんな夢を見た。
ビートたけしがヤクザの組長で、僕がたけし組長の運転手、ということになっていた。一丁前に、ベンツ(ベタだけど、夢の中でも“ヤクザ=ベンツに乗る”ということになっている)なんか運転させてもらっている。たけし組長は黒いスーツにサングラス。後部座席に座っている。顔がルームミラーに映っていて、すごい迫力。映画『HANA??BI』のビートたけしだ。ちょっと怖いけど、かっこいい。なんだかうれしくて、自然に背筋がピンと張った。ていねいに運転しようと思った。
「おい、おまえ。暇だから、そこのコンビニで適当な文庫本、2,3冊買ってこい」
「はい」
車を路肩に駐車して(なぜかコンビニの駐車場ではない)、小走りにコンビニに入って、急いで本を選んで、レジに持っていった。愛想のない店員が、レジを打っていた。動きもダラダラと面倒臭そうだし、あげく、文庫本の値札シールをはがすのに失敗して、本に汚いシールの跡をつけた。それなのにまったく表情を変えず、気に留める様子もなく、そのまま袋に入れようとしている。あんな汚い本を持っていったら、たけし組長に怒られる。もしかしたら殺されるかも…。
「馬鹿!おまえ、なにしてんだよ!シールの跡、汚ねえだろ!」僕は今、運転手とはいえども、ヤクザの一員なんだから、躊躇せず、すんなり文句が言えた。「なんとか言えよ!」
「あー」店員は相変わらずの無表情で、「あーすいません」
かなり頭にきたけど、外にはたけし組長を待たせている。モタモタできないし、相手にするのをやめた。
「覚えてろよ!」
コンビニを出て、車に戻って、
「組長、聞いてくださいよぉ。コンビニの店員のやつが…」
と事情を説明すると、たけし組長は、
「よし。今晩、やるぞ」
かっこよかった。
その夜、数台のベンツで、そのコンビニの前に乗り付けた。店員を脅しつけて、全員縛り上げて、店を締め切った。なぜだかわからないけど、そのコンビニの奥のほうには、畳敷きで床の間のついた和室があって、宴会用の長いテーブルまで置いてあった。売っている商品も魚の切り身とかが多くて、コンビニというよりもスーパーの食料品売り場のようだ。
店の商品を使って料理の準備をし、いや、気がついたらもう準備されていて、たぶん組員であろうスーツ姿の人たちが20人くらい席についていた。よく見ればそれはたけし軍団で、見たことのある顔ばかりだ。すぐに宴会らしきものがはじまった。
何時間かが過ぎて、宴会がほどよく盛り上がってきたころ、突然、警察が踏み込んできた。みんな、蜘蛛の子を散らすようにパーッと逃げた。オレも逃げなきゃ、と思ったけど、なぜか逃げ方がわからなくてオロオロしていた。その時、グレート義太夫が、裸に白いブリーフ一枚という姿で、両腕を上げて、「ワーッ!」と言いながら、窓から庭(なぜかコンビニに庭がある)へ逃げていった。それを見て僕は、なるほど、あんな風に逃げればいいんだ、と思って、義太夫さんのあとを追おうとしたんだけど、いくら探しても靴がない。そんな非常時に、なぜ靴を探そうとしたのかわからないけど、靴を置いて逃げることがやけに心残りで、ギリギリまで探していた。だけど、どうしても見つからなくて、仕方がないから裸足で庭へ出て、走って逃げた。
そこでいきなり場面が切りかわって、僕は車の助手席に乗っていた。車を運転しているのは、なぜかうちの母。場面はかわっても、なにかから逃げていることに変わりはないようで、山の中の峠道を、すごいスピードで走っている。なにしろすごいスピードだから、カーブにさしかかるたびに対向車線に飛び出して、もう、本当に危ない。タイヤがキーキー鳴っている。
「かあちゃん落ち着けよ!線からはみ出るなよ!」
何度も叫ぶんだけど、母はまったく気にも留めない様子で、表情は真剣そのものだ。それは、“事故を起こさないように気をつけている”真剣さではなくて、“ 絶対トップに立ってやる!”という真剣さだ。と言っても、他に走っている車はいないようだし、わけがわからない。
どういうわけか、対向車線を走っているのは車ではなくて競馬馬で、しかも5,6頭が横に並んで走っている。道路はきちんと舗装されているのに、なぜか土ぼこりが舞っていた。
夢にはまだ続きがあったような気がしたけど、すっかり忘れてしまった。なんだ、これは。別にどうでもいいんだけど…。
本人がまた書き込んだりしたらコメントに書き込んだりしたら荒れたりするからだめなのかもしれないけど、ちょっと書きたかったから書く。
いろいろとアドバイスをくれた人たちありがとう。今主人の仕事の関係で海外に暮らしてて、言葉もよくわからないし、周りに当然自分の家族も友達もいなくて、育児の相談できるひとがいなくてストレス全開だった。自分の両親にも主人の両親にも育児のことは相談するけど、でもこのことだけは相談できなくて。妹と私の間では母の私に対する暴力はしつけの域を超えてたって認識で一致してるから、なかなか誰にも相談できなくてつらかったりしてた。ありがとう。いろいろ参考にしてがんばってみます。主人は育児にはとっても協力的な人だけど、仕事で日中はいないからどうしても娘と二人で家にこもりがちで。それもよくないのかもね。
でもこれって匿名だから本人の確認とかできないんだよね。意味ないか。ただアドバイスくれた人たちにお礼を言いたかった。本当にありがとう。救われた気分でした。読みながら涙がでてきたよ。がんばります。