はてなキーワード: しつけとは
http://anond.hatelabo.jp/20081012192431
見た目不細工でも、男が好きになれば、その段階で第二婦人になれる。
愛嬌もない、見た目も悪い女だったら、おしまいかもしれないが・・・
そこでなんで言い返せないのかな。
まっとうなクレームならば反省して今後はしないようにすればいいけど
そんなのめちゃくちゃじゃない。
「私からあのこに言うねという人」に遠慮してどうするの。
実際言っても聞いてないようだから、自分からも言いましたでいいじゃん。
くしゃみにしたって、「いやだから別のところで食べる」じゃだめなの?
なんかいやだいやだいいつつ結局愚痴しか言ってない気がするよ。
いい年なんだし、いつもいつでもいっしょにいなくてもいいじゃん。
「あのこ」のことは「あのこを小さなときから知っているというベテラン同僚」に
おしつけて、咎められた同僚と一緒に1週間くらい外ランチとかしてみたら?
とか言っても、会社の雰囲気とかでそうもいかなかったりするんだよねー……
分裂の話はつまらん!実に詰まらん!
そのように、社会全体の倫理体系が、男女の肉体関係に決定的な崇高さを与えているがゆえに、「お金で女を買う」という行為は、恥辱であり、罪悪ですらあるように感じられてしまう。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080928/p1
まずはセックスの話をしないと駄目だ。
ぼくら、わたしらがセックスをするのは基本的に餓鬼を作るためだ。(そうでないという人がいるかもしれない。しかし、人間が福祉や技術を必要以上に進歩させた結果、餓鬼がポンポン産まれたら、自然淘汰されずにバンバン増えてしまうから仕方なく避妊してるのだ)
では、なぜ餓鬼をつくるのか?世間体とか運動会でビデオをとるためでない!
自分の遺伝子をより多く残すためだったんだ!!
より多くの遺伝子を残すためには、ある条件が必要だ。
できるだけたくさんの子供をつくることだ!!
しかしここで問題が起こる。
それはやり逃げ問題だ。つまりオスにとってメスを妊娠させてあとはメスに餓鬼の面倒を見させて、その間にほかのところでパコパコやって、さらに自分の遺伝子を広げていくという効率的な行動こそが、自分の利益を最大化する戦略なのだ。
メスには妊娠期間があってその間に逃げられたら、産まれてきた餓鬼をいやいや1人で育てる羽目になるのだ。ふつうに川に流せばいいのにとか思うひとがいるかもしれないが、目の前に自分の遺伝子(1/2だが)がある以上、しぶしぶ育てなければならない。
もし、いま言ったような仮定が成立するなら、この世の中はシングルマザーしかいないことになる。だが実際にはシングルマザーは人間の社会でも少数派だ。
そこでメスは、オスの「やりにげ戦略」防止戦略を発達させた。つまり、誠実な男性、じぶんが我侭をいっても、じっと耐えて、雨が降ったらかさを持ってきてくれて、高いバッグをかってくれる男性、伝説の剣をとってきてくれる男、つまり、やり逃げしない誠実な男性を求めるために、めっちゃわがままになる作戦に出たのだ!
こうしてパコパコやり逃げ男は駆逐されて、女の言うことをなんでも聞く誠実男が主流になった。
・・・とおもいきや、今度は誠実な男性だらけになったこんな世の中に現れたのが、やりマンだった!誠実な男性をだまくらかして、自分の餓鬼を生んだ後、夫におしつけて次の男のところにいくのだ。
するとやりマンがでてくると、ふたたび、やり逃げ男が増えてきて、やりマンが減って(やりまんとやり逃げ男では妊娠期間の問題でヤリマンが不利になる)、また誠実な男が増えて・・・・
と繰り返しているうちに、均衡が訪れた。
我侭女:やりまん=8:2となったんだ。(当社比)(細かいつっこみはやめてw)
したがって、現状の家族制度が多数派が占める以上、マイナーな戦略であるヤリマン作戦をとる風俗嬢に嫌悪感を生理的に覚える人が多くなったのだ。遺伝子が風俗嬢を警戒してたんだ!なんだってΩΩΩ
たとえ女性配偶者への生活手当てが物凄い潤沢であったとしても、
自分より頑張ってなくてスキルも無い人が男というだけで働くポジションを無条件で与えられている社会はイヤだなあ。
今でさえ暗黙的な了解で連続夜勤とかすると女ってだけで上の顔色がよくないのに。
やる→子供が出来る→金も体も大変、っていう当たり前の発想が希薄なのか、
やる→子供が出来る→手術費面倒→産んじゃえっていう発想になるから良くないわけで。
そもそも、その「やる」っていうのを抑制するか、(セックスレス→浮いた時間を仕事のスキル磨きに回す)「子供が出来る」っていうのを抑制(避妊)すればいいだけの話。予算的都合を考えずに子供を作る人は養子に出す計画があるか、セックスレスであることや避妊をする事の価値が見出せて居ないから分からないんだろうな。と思う。つまり、早い段階である程度の判断力を備えられるような育みが出来る環境が必要なんじゃないんだろうか。
ヤン親で、自分たちみたいな家庭は社会も育ててくれると思ってる節(実際言ってた)がある人に会った事あるけれど、子供の方がもうダメ。かなりダメ。5歳過ぎてるのにのしつけの痕跡もなければ挨拶も出来なければ物欲しげな顔だけする。しつけの痕跡がないか、挨拶が出来ないだけか、欲しいものだけじーっと見るかどれかだけにしなさいと。しかし、正直専門でも無いのに高校位から幼児教育の本を好んで読んでた自分には、子供自体がバカという風に思えない。結局「小さい生き物」としてそのヤン親がかわいがるばっかで、年齢相応の対応をさせる努力や、考える機会を与えてないんだろうな。
ヤン親はヤン親で親としてどう振舞えばいいかとかも分かって居ないようで、その場にいた人のモノ(まあ大して高くは無いけれど大事にされてたモノ)を子供が壊しても、子供のやる事だから、と口で軽く謝るだけ。そこで演技でも親が深々と謝ってたら、5歳位の子供だったら色々気づく所があるはず。まあ発達具合にも因るので一概では無いけれど。
そんな事より子供の教育的効果云々の前に自分の子供がモノを壊したらそこは心から謝れよ。
そういう相手の気持ちを和らげて自分もうまくやっていく、みたいな処世術や判断力が弱くて年上なのにびっくりした覚えがある。この親御さん達は子供と言う切り札にもならない切り札を使って、何を振舞ってもいいと思っていて、子供たちも完全な自我が出来上がる迄それを見習って生きていくのかなとぼんやり考えた。
自分に子供が出来たとして(相手に万が一があったとして主夫をやらせると考えたとしても)自分の給料だと公立が精一杯だと思う。公立でも危うい。
そんなフリーダムな子育ての成れの果てが子供の同級生になったとき、親としてどんな対応をとればいいか。
多分自分の子供同様に叱ったりしてしまいそう。
ここを読んでるやつに、小さな子どもがいるやつがいるかどうかわかんないけど書く。
あんたの大事な子どもは、こうすれば人間としてダメになる。簡単に。確実に。
彼/彼女は、子どもの時だけでなく、成長してからもいろいろな事件を引き起こして(もしかしたら新聞に載るような大事件も)、あんたの期待に見事に応えてくれるよ。きっと。
こういう統計がある。
夜10時以降に起きている幼児の割合の変化だ。
1980年 25%
1990年 38%
2000年 55%
出典:社団法人 日本小児保健協会「平成12年度 幼児健康度調査報告」
http://plaza.umin.ac.jp/~jschild/book/report_2000.html
夜遅くまで起きている1歳半の子どもは全体の半数を超えているんだよ。この調査から8年が経つ今では、もっと増えているだろう。
で、幼児が夜更かしをするとどんなことになるか。
小児科医の間では、こんな結果が報告されてる。
○昼間の情緒不安定
○遊びの経験不足
○自律神経が十分に機能しない(体温調節、内臓・免疫機能低下、食欲不振)
○自閉的行動を誘発
人間が成長するのに必要なホルモンってのは、眠ってる間に分泌されるらしいな。
あんたも子どもがかわいくて仕方ないのなら、残業が終わって家に帰ってから、夜遅くまで遊んでやるといいぜ。子どもは情緒不安定かつ体調不良で、学習能力の劣った子どもに育ってくれるよ。
参考:「親の夜更かし子に影響」(2005年4月30日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20050430sr11.htm
乳幼児向けビデオの広告だ。「バイリンガルに育つ」「上手にしつけができる」「想像力が豊かになる」とかいうやつ。これがまた高いんだけどな。
それから今は、「赤ちゃんが見る番組」ってのもTVで放送されてる。
親ってのは、子どもにきちんと育ってほしいと思ってるもんだ。だから子育てに熱心な親ほど、高価なビデオを買ってまでして、たっぷり見せてやったり、赤ん坊向けのTV番組を毎日欠かさず見せたりするんだ。いい子に育ってほしい一心でな。
生まれて6か月から小学校へ上がるまでの子どものメディア視聴時間は、一日平均で3時間49分という統計結果が出ている。2005年にベネッセ教育研究所の調査したものなんだけどな。
そこにはこうしたTVやビデオを見せた時間も含まれてるんだろうな。
で、そういう生活をしている子どもがどうなるか。「長時間視聴児の行動特徴」って研究結果が報告されてる。こんな内容だ。
○表情が乏しい
○気持が通わない
○友達関係が持てない
○他の子どもが近寄ると逃げる
○まねをして遊ぶことをしない
○遊びが限られている。
○自分から話しかけようとしない。
出典:土谷みち子「子どもとメディア―乳幼児早期からのテレビ・ビデオ接触の問題点と臨床的保育活動の有効性」(国立女性教育会館研究紀要 2001年5月)
メディアからの一方通行情報だけを受け取って、実際の生活体験時間が少ないからこうなるんだろうな。いい子に育ってくれという親の願いが、見事に裏目に出るわけだ。
そのほか、長時間視聴による慢性疲労の事例も報告されてる。便秘になったり、食欲がなくなったり、難治性の腹痛を発症したり、てなの。
こうした結果を受けて、日本小児科学会は、「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」という提言をしてる。4年も前にな。下のリンク先だ。
http://www.jpeds.or.jp/saisin.html#67
でも、絶対、こういうのはTVのニュース番組ではとりあげられない。メディアを使って商売してるやつらが、自分たちに不利な情報を流すわけがないからな。実際、このときも取り上げられなかったって話だよ。
俺の話はこれで終わりだ。
メーカーに直に依頼すれば代替品のことは何も問題なかったわけですね.
車の修理ではないので、テレビやパソコンのモニタを修理に出したら代替品を貸してくれると言う話は国内のメーカーでさえ聞いたことがありません。
直接メーカーに申しつけサービスとしてメーカーが承諾するのであれば、そういったサービスを受ける事はありえます。
しかし、LGと言う海外企業ですので、日本のメーカーの様に保障外のサービスを受ける事は期待出来ないと考えた方が良いでしょう。
俺はそんな生活とてもじゃないが耐えられんね。だから人にも要求しない。
家賃4万円代の部屋ですらクーラーくらいあるしつけっぱだ。相当きつい条件でくらしてんだなその人は。若くて健康なうちはともかく年取ったらやばくねえか。
造形的には。
犬の方がよっぽどかわいい。
かわいい子供は、それは大人の「イケメン」とか「美人」と同じで、たまたま「可愛い子」なだけ。
子供でも、恋人でも、何でも、一緒に暮らすものとして、犬に勝るものはなし。
犬が最強。
まずかわいい。生き物の中で人間にとって「かわいい」と感じるものはやはり自身に近いもの。哺乳類>>爬虫類>>(超えられない壁)>>昆虫
でも、あまりに近すぎると、逆に嫌がる。猿とかチンパンジーは結構アウト。あまりに近すぎるロボットもキモい。
となると犬。これしかない。
子犬の可愛さは、このために地球が生まれたと思わせるほどの異常さ。
ヤバい。別にスカトロマニアでもないのに、うんこしてる姿すら可愛いというのだから異常。うんこすらかわいい。異常。
あいつら、異常。
多分、人類をその可愛さで丸めこんで、人間界に根を下ろし、ゆくゆくは内側から地球をヒトに代わって征服し、生態ピラミッドの頂点にたつつもり。あいつら。
でもここまで奴らの陰謀が分かってても、かわいいから、生きることに手を貸してしまう自分は既に丸め込まれていて何も出来ない。
理屈は可愛さに負ける。完敗する。
何がどうと言われようが、柴の子犬がこくびをかしげて座り込んだら何も出来ない。無言でエサを提供するしか出来ない。
おそらく奴らはなにかしら超音波的なものを操ってる。コウモリ的な。それで、人間の脳神経を直接ゆさぶってる。だから何もできない。
これは人類が進化の中育ててきた脳を、真っ向から否定する挑戦。お前らわかってても何もできねえだろ?俺らの可愛さで、っていう犬の挑戦。そしてちゃくちゃくと負けている。ヤバい。
だいたい犬は、賢い。クジラ?はぁ?ってほど賢い。盲導犬の賢さはヤバい。それに空気を読む。あいつらは。下手な非モテよりよっぽど読む。人間を超えた。
あいつらが言葉を使えたら、人間なんて失笑もののレベル。足し算と微分積分くらいの差。四足歩行と二足歩行というハンデがあるのにここまでおいついたあいつらはパない。
ときどき飼い主のために命をはったとかやらかす。困る。泣く。逆に氏ね!でも氏ぬな。絶対氏ぬな。
大体情が豊か。落ち込むと励ます。足とかなめてくる。そんで見上げてくる。大丈夫?みたいな素振りする。ほんとパない。あいつらほんとゆるぎない。
大体強い。犬は強い。地上最強の生き物。ってマスターキートンに書いてあった。だから強い。犬はヤバい。知力と体力を総合したらほんとう地上最強だからヤバい。人間とか所詮二足歩行。全然ダメ。使い物にならない。ペラい。足の速さもパねえ。逆算すると100m6秒台とかの犬余裕でいる。パない。人間とか世界最強でも所詮9秒台。まあボルトだけは人間じゃないからまだ早いほうだけどそれでも9秒台。自宅警備員とか余裕で倒せる強さ。パない。多分、プーチンと引き分けるくらいの強さ。パない。
しかも、忠実。しつけると忠実。そこら辺の人間に、「ちょっとお前、座って」とか言っても、ガン無視。ヒトはバカだから座らない。「は?」って顔して去っていく。これが現実。でも犬は違う。「Sit down!」座る。英語ですら、座る。ほんとパない。そこらへんの人間に「Sit down!」とかいっても「え?何?外人?」「でも顔日本人じゃない?」みたいな世迷言言われるだけ。本当ヒトは情けない。犬なんか四の五の言わずに空気読んで座る。
人間に「ちょっとお前、あれとってこいよ」とか言っても、またガン無視。本当愚か。でも犬は違う。「Fetch!」また英語。まあ流石にそこまでは……って思ったら、とってくる。走ってとってくる。パない。
新聞もとってくる。唾液という愛嬌までつける。ちょっとした隙すら見せる。そこが更に完璧。
大体犬は家を守る。不審者がきたら吼えるしエサにも惑わされない。敵は排除する。本当プーチン並に強い。お前ら、仮にドロボウだとして、家に忍び込もうとしたら、プーチンが銃を片手に見張ってたらどうするよ?
去るだろ。もうそれは、去るだろ。一刻も早く。もう盗めるか、否か、じゃなくて、問題は、尿をもらさずにいられるか、否か、って方にシフトしてく。そのくらいのヤバさ。犬は。
しかも家を守ったあと、ご褒美とかやろうものなら、当然のことなのに、ちゃんと喜んでくれる。しっぽとかふって喜びを如実に表すのも忘れない。こんな完璧すぎる生物が、地球を乗っ取れないわけがない。というより、今人間が支配してるのが、何かの間違い。本当は犬が支配すべきだった。人間の歴史の曲がり角にはいつも犬がいた。そうやっていつも支配者交代を狙ってた。いや、狙ってる。
福田首相が突然やめたのも、おそらくそれが原因。次は犬が総理になるという伏線。
勿論突然犬の外観をした者がいきなり総理になったら、愚かなヒトどもは「意味が分からない」などと意味が分からないことを言いまくり反対するであろうから、まずは人間の擬体を使うのは必然。
というか、もう使用してた。安倍のときに。ブルドッグが作ったから、ブルドッグ似になったのは仕方ない。けど誤魔化せる範囲だった。犬の技術はそこまで進歩してる。なのにお前らときたら、暢気に「ブルドッグに似てるよなw」で終わり。バカか。あれこそが伏線だったのに。ブルドッグに似てるのは何故か?そこまで思考を働かせなきゃいけなかったのに、お前らときたら、「似てるよな」で終わり。あくまでヒトであるという姿勢だった。終わった。あそこで気付けなきゃならなかった。最後のチャンス、ラストチャンスだった。
あれはまだ犬の未熟さが出ている方、あれで見抜けなければ、更に精度のあがった、次のヒト擬体を見抜ける奴などいないだろう。そして俺らは、ヒトの擬体に入った犬の首相会見を見ることにより、そこから発せられる超音波的なもの(まだ何なのかは解明されてない。何しろ気付いているヒトが少なすぎる)で、徐々に脳神経を操られ、いつのまにか、犬そのものがそこに立っていても不思議に思わなくなる。上司が犬でも不思議に思わなくなる。いつのまにか俺らは死に、そして、子孫を残していないことに気付かされる。今の少子化はそれ。着実に犬がそうしてる。犬の可愛さによって、冒頭で言ったように、若い男女が「子もいらない。結婚もしなくていい。なぜなら犬がかわいいから。犬で十分だよ。子とか妻/夫なんて、犬より下だよ」と思うことによって、子孫を作らなくなる。いや。なっている。
犬はそれを狙ってる。最近の犬の可愛さの上昇ぶりはそれ。
俺も勿論それに操られてる。だから冒頭で言った。操られている。そう分かってるけど、何もできない。いや、何もするべきじゃない。もう、人間の時代は終わったのだ。
犬。
犬は最強。
5000年後の地球の頂点には、犬とプーチンとボルトしかいないだろう。
そこにもう、人間はいないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080822195823
今付き合っている彼女に似ているな、この亡くなられた奥さん。
特にこの辺。
>>妻はそれが気にくわず「対等な関係なんてイヤ。形だけでも言葉だけでも女は守ってもらいたいの!」と主張した。
>>「抱っこ抱っこ」といつも口にしていて、抱っこをすればえへへと幸せそうな顔なり、夜は自分に寝かしつけられないと寝られなかった。
>>娘が生まれる前は、僕が出張に出ればその間怖くて寝れなくてめそめそ泣いて過ごした(らしい)。
で、この辺も。
>>確かに自分で望んで結婚したわけではない。「20代後半の女性と付き合うなら、男は結婚する責任があるでしょ」みたいなことを言われ、しょうがなく結婚したのだ。
>>それでも、自分なりに妻を満足させようと頑張った。
>>一緒に色々な所に出かけた。たまには喧嘩だってした。
妻が事故で亡くなってから二月ほど経った。
しかし実はそれほど悲しくないのである。
本当にこれっぽっちも悲しくないかというとそれは嘘になる。
でも悲しいという気持ちよりも「解放された」という気持ちの方が強い。
決して仲が悪かったわけではなく、むしろ良かった方だ。
妻と一緒に妻の友達に会えば、妻が幸せそうにしているということをからかわれた。
確かに自分で望んで結婚したわけではない。「20代後半の女性と付き合うなら、男は結婚する責任があるでしょ」みたいなことを言われ、しょうがなく結婚したのだ。
それでも、自分なりに妻を満足させようと頑張った。
一緒に色々な所に出かけた。たまには喧嘩だってした。
自分の仕事時間を減らして、趣味の時間も取らず、いっぱい話をした。
妻の不安を解消するために自分の行動に制限をつけた。
妻はそれなりに結婚生活に満足していたと思う。
自分がそれだけやれるぐらいの妻だったのに、妻が亡くなった今、自分はそれほど悲しくない。どういうことなのだろう。
その理由は自分が妻を対等なパートナーとして信頼できなかったからなのではないか、というのがこの数日考えた結論だ。
妻は「守ってもらう」ことを好んでいた。
付き合い始めた当初、自分は妻のことを友人達と同じような関係つまり対等な関係として扱った。
妻はそれが気にくわず「対等な関係なんてイヤ。形だけでも言葉だけでも女は守ってもらいたいの!」と主張した。
自分はそれに面食らいながらも、そういうものなのかと自分にできる限り妻を守るように行動してきた。
その結果、妻は自分に取っての保護対象になってしまったのである。
実際妻は、家の中では赤ん坊同然の状態だった。
家に帰れば幼い娘と一緒になって騒いでいて、僕の料理や風呂、布団の支度を待つだけ。
「抱っこ抱っこ」といつも口にしていて、抱っこをすればえへへと幸せそうな顔なり、夜は自分に寝かしつけられないと寝られなかった。
娘が生まれる前は、僕が出張に出ればその間怖くて寝れなくてめそめそ泣いて過ごした(らしい)。
これまでの育児にしたって完全に自分主体だった。
最初はそうじゃなかったのだが、妻の女心とやらを満たすように行動していたら、どんどんエスカレートしていって、そうなっていた。
多分、対等じゃない関係というのは、最終的にそういうことになってしまうのだろう。
保護対象ということは、その人のことをパートナーとして本当の意味で信頼することができなくなるというなんじゃないだろうか。
パートナーとしての信頼がないから、本来なら人生のパートナーのはずの妻の死に際しても、悲しくない。
赤ん坊同然だった妻なのに本当に子供に対するものと同じ愛情を感じられるわけでもなかったから、子供の死の悲しみすら感じない。
自分には男女の親友が何人かいるが、彼らのことは本当に信頼している。うち一人は学生時代からパートナーとしてやってきた。
彼らが死んだら多分自分はものすごく悲しむだろうと想像しただけで思う。
それは彼らが自分と対等な関係をずっと築いてきたからなんじゃないだろうか。
自分に「守ってもらいたい」妻はそうはならなかった。
結婚する相手を間違えたのだろうか?対等な関係を築けて本当に信頼できる女性と結婚するべきだった?
でも例えば信頼している女性の親友に対しては恋愛感情などまったく起きない。セックスなんて本当に笑ってしまいそうだ。だからその親友と結婚なんて無理。
他に探すにしても彼女ほど信頼できる異性なんてそうそう登場するものではない。
結局、対等な人間でなければ本当に信頼することができない自分は、結婚には向いていなかったということなのだろう。
妻の死に際してもさほど悲しくないなんて、10年無意味なことをしてきたものだ。
幼い娘を抱えてはいるが、自分の両親、妻の両親ともに近くに住んでいてまだまだ健在だ。
家事だって、自分といる時には赤ん坊同然だった妻のおかげで磨きがかかって今や客観的に見ても非常に高いレベルに達している。
育児にしても、娘は来年小学校だからとりあえず山は越した(精神的なケアは別として)。
自分はもう結婚はしなくてもいいや、と本当に思う。
願わくは、妻が、妻が望んだとおり「守ってもらって」本当に幸せだったと感じていたことを。
高い技術力を持っているのに、あと少しの山をなかなか越えられない選手がいる。そんな選手は、人にふりまわされ、つぶされていることが多い。いくらすばらしい力があっても、人間としての土台がしっかりできていなければ、本来の力を発揮することがかなわないのだ。
インターハイの優勝経験があろうが、なかろうが、日本記録を持っていようが、いまいが、社会人になるときのスタートは同じである。指導者はスター選手でも補欠でも、人として必要なことは徹底して教え込まなくてはならない。個性を尊重するなどと選手におもねて、叱るべきときに叱ってやらないと、ただの競技バカになってしまう。環境をどれだけ整備しても、そこに心がなければ人は育たない。そのときは選手に反発されたとしても、あとできっとわかるときがくると信じて、嫌われることを怖れずに向き合うのが、指導者の役目ではないだろうか。
世界一をめざしていても、どの競技も毎日は単調で地味な練習の繰り返しのはずだ。毎日を新鮮に感じて意欲的に取り組むには、単調なことを楽しめるよう、選手に“習慣”をつけてやればいい。
日本代表選手を預かったときは、代表選手にふさわしい態度について、選手に考えさせ、何度もレポートを提出させた。そんな抽象的なことを聞かれても、若い選手は何を書いていいのか頭を抱えてしまう。それでも考えさせる。そして選手の態度が少しずつ変わっていくのだ。
ソフトボールは、連係プレーの競技だから、日常から次の人のことを考えて行動できなければ、試合でいきなりいい連係などできやしない。だから、あいさつ、礼儀、気配りができる人間にしつけるのは、勝てるチームをつくるときの重要な練習の一つだと私は思っている。
最初はうるさく思われても、選手もそれが人としてあたりまえのことだとわかれば、あとはほおっておいても、自然と身につけていく。できない選手は続かない。競技生活をしっかり送り、全力でプレーして引退を迎えた選手は、皆、この狭い競技世界を出ても、胸を張って一般社会で生きていけるように育っている。
時代が変わり、選手に求められるものも変わってきた。たとえばメディアの取材に対しても、選手はそれなりのコミュニケーション能力をつけておかないと恥をかく。ふだんから、新聞や本を読み、人と話をして、会話が成り立つだけの一般常識や教養もほしいところだ。
もっとも、選手があまりに競技以外のことに一所懸命だと、「本業をおろそかにしてるんじゃないかっ」と雷を落としてしまうこともある。指導者だって人間。矛盾しているところもあるのだ。
優等生になんかならなくていい。やんちゃでも、人に対して誠実に向き合い、自分を支えてくれる人に感謝の気持ちを忘れず、やるべきことをちゃんとやっている選手は、最後に人に助けられる。
Q17 体罰はあるのですか?
使いたいのですがなかなか使えません。
もっとも体罰は早く直すのための補助手段にすぎませんから、
使わなくても成果はでます。
良いも悪いもありません。
体罰無しで本当の教育やしつけができるなら、まずやって見せて下さい。
戸塚ヨットスクール事件が起きてから19年が経ちました。
当時、「体罰は何が何でも絶対ダメ」と言っていた教育評論家達は、
教育荒廃を克服するためにいったいどんな方策を打ち出したのですか。
また、戸塚ヨットを散々に罵倒した精神科医達は、登校拒否問題を
どう解決したというのでしょう。
事は日本の存亡に関わる問題だというのに、
皆さん、ちょっと不真面目なんじゃあないですか。
Q19 どうしたらいじめを無くせますか?
いじめを無くしてはいけません。
いじめは、種族保存のために、仲間を進歩させようとする本能だからです。
今のいじめ問題は、「いじめ方」が悪いということにあるのです。
潔過ぎてワロタw
でも極論だけどよくよく考えてみると的を得てるかもしれない。
追い込まれても勝負を捨てない
楽観がもっとも賢い鎧となる
現実的であれ
理想を信じる
コメディアンになろう
対立を恐れるな
人間は誰しも大差はない
権威を認めるな
よく質問をせよ
幅広い知識を持て
集団社会の崩壊
ものごとは度をすぎてはいけない
学ぼうとする生徒は、恥ずかしがってはいけない。
相手の立場に立たないで、人を判断するな。
自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている。
あなたが知識を増やさないということは、実は知識を減らしていることになる。
忍耐力のないものは教師にはなれない。
もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、あなたがならなければならない。
自分で自分のためにやらなければ、誰があなたのためにやってくれるか。
今それをしなかったら、いつできるひがあるか。
人生の最上の目的は、平和を愛し、平和を求め、平和をもたらすことだ。
なにかをしてあげるときには、全てをそれにかけるものが一番尊い。
反省する者がたっている土地は、もっとも偉いラビがたっている土地よりも尊い。
民の声は神の声。
人間は他人のささやかな皮膚病には気にしても、自分の重病は目に入らない。
人間は20年かかって覚えたことを2年で忘れることができる。
人間は場面によって名誉が高められるのではなく、人間がその場面の名誉を高めるのだ。
要領にいい人間と、賢い人間の差ーーー要用のいい男は、賢い人間だったら絶対に陥らないような困難な状況を、うまく切り抜ける人のことである。
ある人は若くして老い、ある人は老いても若い。
無知と自負は兄弟である。
一日勉強しなければ、それを取り戻すのに二日かかる。
目が見えないよりも心が見えない方が恐ろしい。
出会った人全てからなにかを学べる人こそ世の中でもっとも賢い。
強い人、それは自分を押さえることができる人。それは敵をともにすることができる人。
豊かな人とは自分の持っているもので満足できる人のことである。
人を賞賛できる人こそ本当に誉れ高き人である。
賢い人間の前に座る人、スポンジ型-何でも吸収する。トンネル型-右の耳から左の耳に抜ける人。ふるい型-大切なものとそうでないものを選別する。
賢人になる七つの条件
自分より賢い人がいるときは沈黙
人の話の腰を折らない
答えるときにあわてない
常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする
まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
自分が知らないときはそれを認める。
真実を認める。
子供は幼いときは厳しくしかり、大きくなったらしかるな。
幼い子供は厳しくしつけるべきだが、子供が怯えるようなことがあってはならない。
子供は、両親の話し方をまねる。性格はその話し方で解る。
子供は父親を畏敬しなければならない。
人を傷つけるものが三つある。悩み、諍い、空の財布。中でも空の財布が最悪だ。
体のあらゆる部分は心に依存している。心は財布に依存している。
自分を知ることが最大の知恵である。
高価な真珠がなくなり、これを探すために何の値打ちもないろうそくが使われた。
貧しい人の息子はたたえられよう。人類に英知をもたらすのは彼らだからだ。
記憶を増進させるもっともよい薬は、感服することである。
学校のない町には人は住めない。
知識は浅いとすぐ失われる。
もし人間に悪の衝動がなければ、家も建てず、妻もめとらず、子供も作らず、仕事もしないはずだ。
もしあなたが悪への衝動に駆られたら、それを追い払うために、なにかを学び始めよ。
世界に正しいことだけしかしない人はいない。必ず悪もしている。
ゴシップは殺人よりも危険である。殺人は一人しか殺さないが、ゴシップは必ず三人の人間を殺す。ゴシップを言いふらす人自身。それを反対せずに聞いている人。その話題になっている人。
よいつぼを持っていたらその日のうちに使え。明日になったら壊れてしまうかもしれない。
正しいものは自分の欲望をコントロールするが、正しくないものは欲望にコントロールされる。
他人の善意で生きるよりは、貧しいままでいる方がいい。
他人の前で恥じる人と、自分の前で恥じる人では大きな開きがある。
ためらいすぎてはいけない。
かめを見るな、中に入ってるものを見よ。
行動は言葉よりも声が大きい。
老化を早める四つの原因。恐れ、怒り、子供、悪妻。
一本のろうそくで、多くのろうそくの火をつけても、はじめのろうそくの光は弱まらない。
非常に弱くてもある条件を満たしているならば、勝る。
舌足らずなところがあったので補足すると、
俺にもずっと仕事があって、今の時期は特に忙しい。妻は、前は俺より仕事がキツかったので、
それで家事育児を俺が主にやるようになった経緯があるんだけど、最近になって休職した。
ところがそうなった今も、ほとんど惰性によって、家事は俺が要所要所をずっと続けてやっている。
具体的には、炊事、買い物、金の算段、子供の登園、病院、寝かしつけ、あとゴミの始末やら何やら。
妻には毎日、掃除と洗濯、あと午後遅くからの子守などを、やってもらっている。
このところ妻とケンカが絶えないのは、
あたらしく家事配分を変えなきゃいけないのが、上手に移行できず、
そのあいだに昔の、「あのときあなたはああだった」みたいな古傷を持ち出したりして、
いい大人が、近所迷惑を顧みず、朝から罵りあいになったりする。
妻は妻で、体が弱いところを、よくがんばっているし、きちんと感謝の気持ちを伝えていないのは、
俺の至らないところで、反省しないといけない。
俺ばかり良い顔をしてると妻がいうのも、よくわかる。
ただ、元記事に出ている、男女の家事参加率が2:1に固定されてなかなか動かない、
俺が一番困っているところで、ここらへんは記事でも、
結局、「人それぞれ」、「おたがい理解しあって、よく話し合いましょう」とかなんとか
即効薬はないようだった。
とにかく、ちょっと愚痴りたかっただけなんだ。
女はこれだから嫌だとか、俺様は家事も仕事もがんばってすごいだろうとか、
小市民である俺が、なかなか生きていくのは大変だ、とピイピイ悲鳴をあげただけなんだ。
また前向きに、今日からがんばるよ。