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2008-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20080414004816

古典ステータスシンボルになるなんて自明のことなんだから。

自明じゃないからツッコまれてんだろうがよ。

「自明ということにしたい」という強い願望があるのはよく分かったが、なんでそんなに古典にこだわるわけ? 政治的動機でそういうこと言う輩で一人すんげーキモいの知ってるんで、俺はそういう物言いにはどうも好感持てなくてね。客観的にも間違ってると思うし。

ほう、じゃあ例えば情報系の学科には待ち行列とかパターン認識とかそういうことを研究している人たちもいるわけだが、そういう人たちが「関数型言語コンパイラOSが必須科目なのはおかしい!俺はそんなものを使わないのだから学部で教えるな!必要な人だけが研究室ゼミでやったらいいだろう!」と言ったとしたらどうするのかね?

普通に反論するが? 具体的にどう必要なのかを挙げてね。本当に付き合いたければここでやってやるけど。

あなたが言っているのは結局そういうことなんだが。

全然違うんだよ。情報工学の中で閉じた話に、突然古典の知識がプレゼンで役立つとか関係ない話を差し込むなよと。

俺にとっては、エンタメ系のライターがなぜプログラミングをする必要があるのか想像できないが

兼業。

何度も言うように、高校では古典文学の大系を網羅してるわけじゃなくて、古典文法を教えているだけだ。

別に高校古典教育をすることを否定した覚えなど一度もないが。役に立つかどうかはともかく、あってもいい教科なんじゃないか? ていうか、高校レベルの「ありおりはべりいまそがり」なんて、懐かしい共通体験にこそなれ、ステータスシンボルにはならんだろ。

それから、微積がどう関係があるんだ?あんたはどうせ、位相とか測度まで理解しようという気じゃないんだろうから、式変形ができる程度のことだったら線型代数なんかよりよっぽど簡単だろうにさ。

微積線形代数よりムズくねえ? まあここまでくると主観だが。

俺は言語処理方面の人だから線形代数も得意なわけじゃないが。

あなた、外人プレゼンとか文章とか見たことないの?古典文学から気の利いたフレーズ抜き出したりして話の取っかかりにしたりしてるでしょうに。

お前のヌルい職場では古典エスプリきかせたらみんなが感心してくれてクソ企画でも通るのかも知れんけどな。少なくとも日本じゃ普通通用しねえよ。外国でも、中身があってこその洒落だと思うがね、普通は。

読み書き能力教育なんだってば。文法を教えるついでに一番有名な作品のさわりを教えておこうとしているだけだよ。

そんなもんがプレゼン魔法のように効果を表す「気の利いたフレーズ」を生むとでも思うのか?

むしろ俺は、大学勉強しないような奴は大学に来ていただかなくて結構だと思っている。

今は学生が減ってどこの大学も必死なんだが。

お前のような世間知らずの小僧の適当な願望をかなえるために税金が徴収されているわけではないし、教育に投入されるわけでもないんだよ。

ところで東大とか京大とかって国立なの知ってたか?東大とか京大とかの理学部文学部を覗いてごらん、君が想定していない公教育の意義がわかると思うよ。

はっ、ブンガクブ!(爆笑

実際俺は、仕事信号処理を扱うようになったとき、量子力学教科書を引っ張り出してきてもう一度読んだよ。

ワケ分からん。そもそも信号処理に使われるような各種数学理論を理解せずに量子力学を先に理解できんのか? 順番逆じゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20080414002336

何をそんなにムキになってんのかさっぱりわからんが。そんなに古典が嫌いなのか?

具体的にどう役に立つんだよ。お前そういう説明全然出来てないだろ。喩え話ばっかで。

あなたが単に理解できてないだけのことでしょ。古典ステータスシンボルになるなんて自明のことなんだから。

何を言っても「そんなの役に立たん、俺の知ったことじゃない」と言われるんだから仕方ないよ。限られた範囲のことを限られた水準でしか書かない人は限られた素養だけで済むかも知れないが、それ以上のことをしようと思ったら幅広く学ぶしかないってのは自明のことなんだが。

俺はお前さんの上げたLispやら低レベル言語やらコンパイラやらの意義を、全部具体的に説明できるぞ。だから基礎教養だといってるんだ。

ほう、じゃあ例えば情報系の学科には待ち行列とかパターン認識とかそういうことを研究している人たちもいるわけだが、そういう人たちが「関数型言語コンパイラOSが必須科目なのはおかしい!俺はそんなものを使わないのだから学部で教えるな!必要な人だけが研究室ゼミでやったらいいだろう!」と言ったとしたらどうするのかね?あなたが言っているのは結局そういうことなんだが。あなた自身があなた自身の納得できる理由で理解しているかどうかなんてどうでもいい。俺にとっては、エンタメ系のライターがなぜプログラミングをする必要があるのか想像できないが、だからといってあなたに対して「プログラミングなんか無駄だから文章の練習をしろ」なんて強要すべきなんて思っちゃいないよ。

微積分学や古典文学という体系は、お前さんのあげた基礎教養科目より明らかに大きいだろ。

何度も言うように、高校では古典文学の大系を網羅してるわけじゃなくて、古典文法を教えているだけだ。それから、微積がどう関係があるんだ?あんたはどうせ、位相とか測度まで理解しようという気じゃないんだろうから、式変形ができる程度のことだったら線型代数なんかよりよっぽど簡単だろうにさ。

鼻歌交じりにバイク解体できる外人の整備工が、箸をうまく使えなかったら、箸を使うのはバイク解体するより難しいということになるのか?

なにを言ってるのかね。それをこそ俺はあなたに問うているのだが。

古典漢文の知識ひけらかすことがどうプレゼンに影響すんだよ。

あなた、外人プレゼンとか文章とか見たことないの?古典文学から気の利いたフレーズ抜き出したりして話の取っかかりにしたりしてるでしょうに。

つーか、そうか、一貫した主張も出来ない奴がえらそうにプログラマを語ってるのか。死ねよもう。

「できない」ことと「しない」ことの区別ぐらいはできるようになってほしいね。

ロックポップスを聞くためにクラシックを聞かなければ楽しさが分からない、とかいう主張はアホだ、と言ってるだけだが。

誰もそんなことは言ってないだろ。さっきから思っていたのだが、君は何か俺の主張を勘違いして、明後日の方向に必死で反論しているようだな。

文学なら近現代のそれが、あるいは世界の名作文学が優先じゃないかと言ってるだけだが? 日本古典専門教育を優先する理由はどこにもないだろ。

だから、高校国語教育文学教育じゃないと言っているのに。読み書き能力教育なんだってば。文法を教えるついでに一番有名な作品のさわりを教えておこうとしているだけだよ。

しねーよ。公教育ってのは平均と底辺を引き上げるためにやるんだぜ? 勝手に貪欲に勉強するような本当に優秀な奴は、海外留学でもなんでもやってるよ。

引き上がってすらいない君は底辺よりもっと下なんだろうね。じゃあ君は何のために大学に行ったんだ?

むしろ俺は、大学勉強しないような奴は大学に来ていただかなくて結構だと思っている。専門学校とか、あるいは実務の中でOJTで鍛えた方がよっぽどスキルアップになるんでな。

ところで東大とか京大とかって国立なの知ってたか?東大とか京大とかの理学部文学部を覗いてごらん、君が想定していない公教育の意義がわかると思うよ。

それから量子力学知ってると信号処理がわかりやすくなるんだけどね。まあいいや。

いや、それはどうか。逆ならまだわかるが。

自分がまだ勉強中だというくせに、えらそうに人の忠告を否定するなよ。とりあえず「不確定性原理」について調べてみな。どっちにしても、基本的に工学の理論物理数学からパクってきて発展するものなんだから、発想としては物理を学んでいた方がよくわかるのは自明。実際俺は、仕事信号処理を扱うようになったとき、量子力学教科書を引っ張り出してきてもう一度読んだよ。

同様に、古典重要性を無理強いする権利はお前にはないわな。

だから誰も無理強いなんかしてないっての。必要なことだけ学びたい人は工業高校とか高専とか専門学校に行け、必要ないことまで学びたい奴が普通高校に行けと言っているだけなんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20080413235442

狭い業界の技術専門誌だけに書いて生きていくつもり?

俺はエンタメ系がメインだ。技術誌に書いたことはない。

日本語を書く人にとっての古典にあたると言っているの。

具体的にどう役に立つんだよ。お前そういう説明全然出来てないだろ。喩え話ばっかで。

俺はお前さんの上げたLispやら低レベル言語やらコンパイラやらの意義を、全部具体的に説明できるぞ。だから基礎教養だといってるんだ。

文系の人なんかだったら、古典なんて寝てても理解できるけどLispなんて一生理解できないといわれると思うよ。

微積分学や古典文学という体系は、お前さんのあげた基礎教養科目より明らかに大きいだろ。得意不得意の問題じゃない。

鼻歌交じりにバイク解体できる外人の整備工が、箸をうまく使えなかったら、箸を使うのはバイク解体するより難しいということになるのか?

あと、文系でも、言語学分野の人なら基礎的な形式言語理論は押さえておいて損はないはず。

へー、あなたプレゼンしないんだ。顧客投資家向けに気の利いたフレーズ一つ思いつかないようでどうするの?

古典漢文の知識ひけらかすことがどうプレゼンに影響すんだよ。

俺はあなたの論点の不備を一つ一つ指摘してるだけで、自分が一貫した主張をしようとしているわけではない。

どこでどう不備が指摘できてるというんだww つーか、そうか、一貫した主張も出来ない奴がえらそうにプログラマを語ってるのか。死ねよもう。

じゃあ、ロックポップス聴いてない奴がクラシック聴いちゃだめなわけか?そんなの勝手だろ。

ロックポップスを聞くためにクラシックを聞かなければ楽しさが分からない、とかいう主張はアホだ、と言ってるだけだが。聞きたい奴だけ聞けばいいだろ。

あのさあ、「ジェネラリスト」の意味わかってる?いろんな分野に視野横断的に目が効く人のことを「ジェネラリスト」っていうんだよ。数学だけ勉強してれば文学歴史も語れるっていうのかい?

文学なら近現代のそれが、あるいは世界の名作文学が優先じゃないかと言ってるだけだが? 日本古典専門教育を優先する理由はどこにもないだろ。歴史については何も言ってないし。

自分が大学でサボってたことを自慢するなよ。普通はもっと勉強するんだよ。

しねーよ。公教育ってのは平均と底辺を引き上げるためにやるんだぜ? 勝手に貪欲に勉強するような本当に優秀な奴は、海外留学でもなんでもやってるよ。

それから量子力学知ってると信号処理がわかりやすくなるんだけどね。まあいいや。

いや、それはどうか。逆ならまだわかるが。

そんなのは個々人の価値観だろ。日本工業立国であるべきなんて考えを無理強いする権利は君にはないよ。

同様に、古典重要性を無理強いする権利はお前にはないわな。つか俺もお前も別に無理強いなんかしてないだろ。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413233342

あのさあ、ライターだったらリード文に気の利いた文章一つ書けないでどうするよ。狭い業界の技術専門誌だけに書いて生きていくつもり?一般科学雑誌とか、もっとそういう野心はないわけ?そういうとき、古典の素養は必要だよ。

古典が読めるってことはまったく評価にならんだろ。プログラマとしては。

人間プログラマだけじゃないんだけどね。それに、言ってること理解できてるのかなあ。プログラマにとってのLispや低レベル言語が、日本語を書く人にとっての古典にあたると言っているの。

そんなの情報系の基礎教養だ。微積分学や古典勉強するよりははるかに楽だし。

それはあなたの場合でしょ。文系の人なんかだったら、古典なんて寝てても理解できるけどLispなんて一生理解できないといわれると思うよ。あなたは、自分が理解できなかったものを過度に難しいと思い込んでるだけ。

ビジネス定型文書くのにはもちろん、企画書仕様書技術書を書くのにも、古典漢文の知識なんぞ必要ないだろ。

へー、あなたプレゼンしないんだ。顧客投資家向けに気の利いたフレーズ一つ思いつかないようでどうするの?

別に古典教育がどうなろうが観光ビジネスの改革にはならんだろうに。

観光が産業として大したことない、というからその点に反論したまで。俺はあなたの論点の不備を一つ一つ指摘してるだけで、自分が一貫した主張をしようとしているわけではない。

日本文学についてはそうかもな。でも、当の近代文学もろくに読んでない奴が、下敷きにだけ手出しても意味ないだろ。まずそっちが先じゃないかな。

じゃあ、ロックポップス聴いてない奴がクラシック聴いちゃだめなわけか?そんなの勝手だろ。古典の方が近代文学より好きな人間だって沢山いるよ。俺だってそうだが。

教育を強化するなら数学優先にすべきだな。あと英語の強化かな。古典なんか最後でいいよ。

あのね、そんな優先順位つけるまでもなく、全部できると言っているの。

古典数学よりジェネラルだとでも?

あのさあ、「ジェネラリスト」の意味わかってる?いろんな分野に視野横断的に目が効く人のことを「ジェネラリスト」っていうんだよ。数学だけ勉強してれば文学歴史も語れるっていうのかい?

足りてるわけねーだろ。仕事やりながら勉強してるような状態だよ。これが、高校でやってなきゃ偏微分とかと同レベルの理解度でしかなかったんだと思うとゾッとするね。基礎だけでも仕込まれててよかった。

自分が大学でサボってたことを自慢するなよ。普通はもっと勉強するんだよ。自分が勉強しなかったことを、「高校で教えてくれなかったせいだ!」なんて言ってたら、これだからゆとりはって言われるだけだよ。

数学系でも電子工学系でもねーもん。適当試験前の一夜漬けで切り抜けてた。終わったら速攻忘れた。あと量子力学なんか何に使うんだよプログラマが。

使わないことは一切勉強しない人なんだ。ふーん。隣接分野から発想って出てくるもんだけどね。忠告しとくけど、俺が挙げたのは工学部のどこでも学びそうな分野だし、それから量子力学知ってると信号処理がわかりやすくなるんだけどね。まあいいや。

俺が思ってるものと比べてるんじゃない。「古典と」比べてんだよ。ちゃんと答えろ。

なんでそんなエラそうなんだ?だから、比べられないって言ってるだろう、何度も。少なくとも答えが自明に出る問題ではないし、客観的に妥当性のある調査ができるとも思えないと言っているの。

日本が観光立国になるのと工業立国になるのとどっちがいいかという比較だろ。

そんなのは個々人の価値観だろ。日本工業立国であるべきなんて考えを無理強いする権利は君にはないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080413160350

例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?

古典が読めるってことはまったく評価にならんだろ。プログラマとしては。

無論、最低限の英語力は必須だし、英語力は高ければ高いほどいいが。

韓国語中国語ビジネスチャンスに繋がるかもね。

最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSコンパイラ理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?

そんなの情報系の基礎教養だ。微積分学や古典勉強するよりははるかに楽だし。

だったらどうして、古文や漢文勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要スキルでしょ。まずその前提がよくわからない。

ビジネス定型文書くのにはもちろん、企画書仕様書技術書を書くのにも、古典漢文の知識なんぞ必要ないだろ。

あと、日本の観光ビジネスはまだ産業として未熟だよ。

別に古典教育がどうなろうが観光ビジネスの改革にはならんだろうに。

ただね、現代文学古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。

日本文学についてはそうかもな。でも、当の近代文学もろくに読んでない奴が、下敷きにだけ手出しても意味ないだろ。まずそっちが先じゃないかな。

それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。

教育を強化するなら数学優先にすべきだな。あと英語の強化かな。古典なんか最後でいいよ。

それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。

古典数学よりジェネラルだとでも?

それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。

足りてるわけねーだろ。仕事やりながら勉強してるような状態だよ。これが、高校でやってなきゃ偏微分とかと同レベルの理解度でしかなかったんだと思うとゾッとするね。基礎だけでも仕込まれててよかった。

というか、固有値ベクトル空間を理解せずにどうやって大学卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式統計学信号処理量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。

数学系でも電子工学系でもねーもん。適当試験前の一夜漬けで切り抜けてた。終わったら速攻忘れた。あと量子力学なんか何に使うんだよプログラマが。

信号処理は真面目にやっときゃよかったなとちょっと思うね。今んとこクリティカルにそういうもんが必要になる仕事はやってないが。

ていうか俺プログラマじゃなくてライターね。

ただし、君が思ってるほど高校行列計算は一般には役に立たないし

俺が思ってるものと比べてるんじゃない。「古典と」比べてんだよ。ちゃんと答えろ。

とんでもないよ。オーストリア日本の一人当たりGDPを調べてごらんよ。

日本が観光立国になるのと工業立国になるのとどっちがいいかという比較だろ。話を摩り替えるなw

http://anond.hatelabo.jp/20080413160350

昨日からやりとりしてた増田です。

なんだ、君、プログラマーだったのか。だったら話が早い。

例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSコンパイラ理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?

だったらどうして、古文や漢文勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要スキルでしょ。まずその前提がよくわからない。

具体的にどんな古典教育強化でどこが「新たに」観光資源になるんだ?

日本は今でも十分歴史伝統的なものを観光ビジネスに利用出来てるが。

別に「新たに」なんて言ってないけど。ただし、資源ってのはメンテナンス要員が必要なんよね。現在教育は、その中から一握りの専門家とそこそこ多くのファンを再生産する役目は果たしてると思うけどな。

あと、日本の観光ビジネスはまだ産業として未熟だよ。ヨーロッパ行ってみるとわかるけど、日本の観光ビジネスは横のつながりが弱くて商売がヘタクソ。たとえば厳島神社なんて世界遺産になってるのに、宝物殿では大した物展示されてないし、宮島にある飲食店はろくなお店がない。

「楽しむ」という観点で言えば、古典漢文の題材がそれらよりも優先するようには思わない。

劣るとも思わないけどね。ただね、現代文学古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。

あと、古文とか漢文ってのは現代文と読み書きや文法の体系が少しだけだけど違うから、文法ぐらい教えておかないと、興味を持った人があとで独学たって難しくなってしまうことは理解できるよね。いまの高校教育はそういう目的で文法だけを中心に教えてるようなもんだよ。

それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。たとえば俺は高校時代理科社会を全科目履修したし、数学も数III数Cまでやったし、古文や漢文だったら例えば岩波文庫の注釈付きなんかで訳なしで読めるよ。

俺も理系人間で、たいして出来がよくなかったから思うんだが、行列大学入試という重しがある高校生の間にある程度慣れておくべきものだ。

大学で習った偏微分とか周回積分とかいっこも覚えてない俺でも行列演算は一通り出来るし、プログラミングとかで使えるのは、高校でみっちりやったからだよ。

それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。

それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。それに、大学線型代数やったんなら、高校でやるレベルの話なんて子供だましもいいところだってわかるでしょ。

というか、固有値ベクトル空間を理解せずにどうやって大学卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式統計学信号処理量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。

行列と比べてどうなんだと聞いてるんだが。

だから、本来比べるのがおかしいし比べられないと書いたんだが。

ただし、君が思ってるほど高校行列計算は一般には役に立たないし、観光は大きな産業になり得る。理由は上に書いたとおり。

そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。

とんでもないよ。オーストリア日本の一人当たりGDPを調べてごらんよ。

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320102341

そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?

いやそれは違う。

黒体放射とか原子の安定性とか(詳細は説明しない、ぐぐれ)、古典力学的な理論の帰結と矛盾するような現象が次々と見つかって、個々の現象を説明するためのアドホック理論がその都度できてきたんだけど、それらをつなぎ合わせたところできたのが「量子力学」という理論体系だった。

で、これが数式レベルではともかく、その解釈としては理解に苦しむ部分があって、今までの物理学のように事前の情報から現象を原理的に確定的に予言できるということがなく、確率的にしかものが言えないということがわかってきた。

だとすると、で、問題はその「確率的」というのが見かけ上のことなのかそうでないか、だ。つまり、情報が不足しているために物事が一見確率的に起こっているか(くじ引きが当たりかはずれか、みたいな話ね)、それとも本当に確率的にランダムにしかものごとが起こっていないのか、ということが議論になった。で、色々試した結果どうも前者の解釈では辻褄のあわないことがいくつもあるだろうということはわかってきたのだが、問題は前者後者の線引きでこれがそう簡単ではなく、「観測」が混乱の原因だというのはわかってきたんだが、本当に物理的に意味のある「観測」とは一体何か、ということで揉めたわけだ。その話の中で一番極端な例として挙がってきたのが「シュレーディンガーの猫」というわけなんだが、確かにこの解釈を否定する根拠も難しかった。まして実験で確かめるとなると原理的にも装置の制約上も問題が当時はあった(現在でもある)。

実用上の問題としては、こんな細かい話を無視しても「使う」ことは十分可能で、例えば半導体を作ったりするときにはこんなことは気にしなくてもよかった。それで、現在に至るまで大半の物理学者化学者はこの話を棚上げして理論を「使う」側にまわっているんだが、一部でどうしてもこの問題が気になるという人がいて、本業のかたわら時々手を出したりしているというのが現状なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080320014414

俺もシロウトなんだけどね。

別に、「観測したことが観測対象に影響を与える」なんてことは全然珍しいことでもないんだよね。

というか「観測は必ず観測対象に影響を与える」というのが量子力学なんじゃなかったっけ?

古典力学は観測者を系に含めないけれど、実際には系外から観測することは出来ない。

そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?

でもって、シュレーディンガーの猫なんだけれど、結局あれは一番わかりやすく真っ当な見方、解釈の仕方はどれか、って話だよね。

鉛筆に重さを感じるのは、地球鉛筆に引き合う力が働くから、と考えるのか、地球に向かって落ち込む空間に抗い加速させてるから、と考えるのか、そんな話じゃないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20080320015709

あのねえ、あんたの思ってるほど簡単な話ではないよ。量子力学観測問題ってのは、キワモノといわれつつも細々と研究分野として続いているんだから。そこまで言い切るのは逆にあんたがわかってないという証拠だと思うけどね。

まして、物理を専門にしてない人間で正しく理解している人間なんて俺は見たことないけどね。世の中の人間から「シュレーディンガーの猫」という言葉が出たときは99%、俺が最初の増田で書いたのと同じ間違いをしている。

ウソだと思うなら例えばこれ、自分で確かめてみな。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%b7%a5%e5%a5%ec%a5%c7%a5%a3%a5%f3%a5%ac%a1%bc%a4%ce%c7%ad

2007-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20071218004349

物質の移動速度の限界だから、物質を飛ばすことで情報通信をするのであれば、それで正解。

しかし、情報は物質を飛ばさないと伝わらないものであろうか?量子力学におけるテレポーテーションなど、古典力学の枠組みを超えたなんらかの現象により、情報を飛ばす事は可能になるのではないだろうか。

2007-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20071125163531

そうだって云いましたよね、「俺ルール」だって。押し付けてるんだって。

最初はお互いの俺ルールを出さないと、相手がどんな俺ルール持ってるのかわからないじゃないですか?

あ、ここで云う「お互いの俺ルールを出す」ってのは、「"俺ルールを提示する"俺ルール」ではないですよ。…ややこしいですねw

「正解があると思ってる」訳ではないんですよ。そうも云ってないですし。また乱文長文で面倒くさいんで、「そんな感じです」ってはしょっちゃったんですけどね。

それにそんなん云ったら、世界中哲学者(哲学学者もいっぱいいますけど)に怒られますってw

なんか釣りみたいで嫌なんですけど、夢があっていいじゃないですか。哲学

量子力学やら、最近理科系も尖がった先は哲学みたいなもんですし。哲学的ゾンビとかよーわからんです。

2007-11-02

世界の始まりと終り

始まりとはなんぞや。終りとはなんぞや。

始まりは時の始まりであり、終りとは時の終りである。

時の向こうに時はあるか。時の後に世界はあるか。

世界は時空の始まりと終りの間にあり、それが世界のすべてだ。

世界のない所に時空はなく、時空のない所に世界はない。

世界はない。光子もなく闇もなく。力もなくエネルギーもなく。

相対性理論も。量子力学も。物理も。無も。

すべてがなく、なんの影響も受けず、あらゆる観測が出来ない。

量子力学に縛られたこの世において、それはなんの意味も持たない。

意味すら持たない。それが世界の始まる前。終った後。

2007-10-29

クリスVS増田

クリス・アンダーソン Chris Anderson

ロングテール」という言葉を初めて提唱したワイアード誌の編集長

ジョージ・ワシントン大学物理学の学位を取得し、量子力学科学ジャーナリズムカリフォルニア大学バークリー校で学ぶ。ロス・アラモ研究所の調査員、アメリカ運輸省チーフサイエンティストの調査アシスタントを経て、ネイチャー誌、サイエンス誌に就職。その後、英エコノミスト誌に移り、ロンドン香港ニューヨークと飛び回り、テクノロジーからビジネスまでの幅広い領域を担当する。2001年ワイアード編集長に就任すると、以来同誌を五度「全米雑誌賞」のノミネートに導き、2005年度には「最優秀賞(General Excellence)を獲得。同年には、アドバタイジング・エイジ誌の「エディター・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。現在カリフォルニア州バークリーに妻と四人の子どもとともに住んでいる。彼のロングテールに関する考察・最新情報ブログwww.thelongtail.com)で読むことができる。

増田 Masuda

「ろんぐてーる」という言葉世界で30億番目に提唱。

中卒。自宅警備員恋人いない歴=年齢。彼の「ろんぐてーる」に関する考察ブログ(http://anond.hatelabo.jp)で読むことが出来る。

2007-10-11

量子実体の「問題」がようやくわかってきた気がする

えらく時間がかかったんだけど。どのくらい時間がかかったかと言うとたっぷり20年かかったんだけど。ブラケット記法で考えるのが多分一番近道だよな。

状態1をあらわす<φ1|があって、状態2をあらわす|φ2>がある。で、状態1から状態2に遷移する確率は<φ1|φ2>であらわされる。

これがブラケット記法。ただし、結果は複素数なので本当の確率は結果の絶対値であらわされる。そこはあんまり本質ではない。問題は状態1をあらわす<φ1|が行ベクトルだってこと(状態2は列ベクトル)。ベクトルの長さは無限大。それぞれの要素は複素数。二つのベクトル内積をとるから、結果はスカラー複素数確率になるけど、じゃ、遷移する(内積を取る)前って何なのよってことになる。

で、上の|φ2>を観測された状態(たとえば右の穴を通った)と考えると、観測することによって、古典力学で理解可能な「右の穴を通る確率」に落ちてきた。確率スカラー。でも、観測する前は確率に対応する複素数無限個もつベクトルってことになる。

俺の理解だと「じゃぁ何かい」って言ったのがシュレーディンガー

<φ1|を、観測前のブラックボックスの中の猫の状態と考える。|φ2>は観測後に猫が死んでいる状態とする。猫が死んでいる確率が<φ1|φ2>であらわされるのはいい。スカラー確率だから。だけど、観測前の猫が<φ1|ってのはどういうことだ?ベクトルの要素の数が無限だということは、猫は無限個の「ありえる状態」の重ね合わせってことかい?そんな馬鹿な話はないだろう

これがシュレーディンガーの猫のパラドックス。中年に差し掛かって量子力学に手を染めたシュレーディンガーが、青春時代から量子革命に首を突っ込んだ世代についていけなかったことをあらわすエピソード。ていうか、これがまっとうな感性だよな。

古典力学では式のそれぞれの項に実世界と連結する意味がある。たとえばa=f/mって式は加速度を求める式だけど、その計算に必要な質量と力は、ちゃんと実生活にあるものとして理解できる。だけど、ブラケット記法では、左のブラ、右のケットに対応する古典物理学的な意味がない。実生活からの体験で理解できない。ブラケット演算を行って初めて理解可能な確率が出てくる。シュレーディンガーの抗議は量子実体を古典物理的な体験で理解できないとする姿勢への抗議だった。

で、量子力学革命のスター、ハイゼンベルグはこう答えた。

そうだよ、重ね合わせになってる。変に思えるけど、そうなってる。理由は知らない。

量子実体は古典的には理解できないよ、と。これはその後「量子力学料理本だ。背景の原理は知らなくていい。正しい結果が出るのだから」というCookbook派の中心教義になる。

もう少し突っ込んで考えると、我々は量子力学においては遷移確率としてか事象を捉えられないことになる。遷移しないものは認識できない。観測しないものは古典力学的実体を持っていない。こう考えると

我々が観測しないとき、事象は存在しないのと同義だ

という極論が出てくる理由もわかる。

…と、理解しているんだけど、これでいいかな。

2007-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20070906092822

対象の概念 (古典力学 or 量子力学) 内の諸概念 (たとえば古典力学なら力とか速度とか) 同士の関係性のグラフ

対象の概念と隣接する概念関係性のグラフなんてのを考えて、対象の概念同士の関係グラフ

つまり古典力学関係グラフ量子力学のそれとを比較するってのはどうだろう?

根底の考え方としては、ある概念を外部的との関連性によって意味づける、てな感じ。

% そういえば自動証明系で似たような事を考えたなぁ。。とか。

% せんせーに怒られた苦い思い出なり。

近似そのものの定式化

ある概念間の近似をなぜそれが近似である(例. 古典力学量子力学の近似である)と言えるのかとか、その近似の度合を数学によって定式化できないだろうか。

2007-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20070905170808

ええと、言いたいことがまとまらないのでばらばら書きます。

ハードディスクメモリ上の情報構造物が dense であるとか sparse であるとかいいますよね。当然何かその情報構造物について「密度」を考えているわけですが、その単位はよくわからないものです。気体の「体積」「1分子あたりの熱エネルギー」「モル数」はそれぞれ違う次元の数ですが、ディスク上の情報構造物の「占有領域」「最低/平均ブロックサイズ」「圧縮した場合のバイト数を表現するのに必要なレジスタ幅」はまったく意味が違うのに、いずれもバイト数で表されます。これは情報科学の根底にあるトラブル原因ですが、いまは統計力学情報理論の間に安易な橋渡しができないことだけを意識してください。

ただ、気体でも極端に自由度の低い系(絶対零度近くとか、強い磁場の下にあるとか)では体積は圧力にも温度にも比例しないでしょう。それと似たような話として、自由度の低い情報構造物は情報理論の適用外です。個々のビットの間の関係恣意的であって、あまり統計的扱いに向かないからです。

古典力学の前提で、粒子間の引力も斥力も無視するとボルツマン統計量子力学ならボーズ統計フェルミ統計に従うという話ができますが、すべてのアプリケーションが書き出すビット列にそういう統計を考えることはできるでしょうか?

アプリケーションの各論を展開できるほど柔軟で包括的な数学を使えば、情報構造物のミクロ理論は好き勝手に展開できるでしょう。ただ、それはアルゴリズムの単なる記述ではありませんか?

情報という概念が何らかの概念の近似であるという可能性

古典力学量子力学の近似ととらえた場合に、情報科学における情報という概念もひょっとしたら情報を包括するようなさらに高次な概念の近似なんじゃないかなと思うんです。ここで書いているのは量子情報のことではなくて、情報そのものの高次な概念があるような気がするんです。

2007-08-14

anond:20070814043853

完璧にではないけれども、意志を操作することは出来るよ。広告、宣伝技術がまさにそれ。ああいうものは、選んで貰うための情報を提供するというよりも、選ぶように仕向ける情報を送り付ける。コントロールは必ずしも強制である必要はなくて、相手が自らの意志で選ぶようにすることもまたコントロールなんだ。私の言っている決定論っていうのはそういう意味であって、何かを選びたいのにそれを選べないよう決定されているっていう意味じゃないし、何かを意志出来ないということを意識する必要も無いよ。

ある意志を決定するとき、たとえば「新しいノートパソコンを買う」ときを考えてみて。例えば、贔屓にしているメーカー価格、店員の薦め、スペックetc...様々な情報を参考にすると思う。単純化するために、価格だけ違う複数のパソコンを考えると、普通に考えて、私は最も安いパソコンを買うように決定されている。けれどもこれは私が私の意志で決定したことでもある。もし私が最も安いものを買わなかったとしたら、そこにはまた何らかの理由があるはず。実際には複数の要素が絡んでしまって、理由が「何となく」としかいいようのないこともあるだろうけれども、基本はこうしたものなんじゃないかな。あと、「何となく」っていうのは、私にはむしろ、自分自身で選択理由を知らないのだから、これを自由であることの証拠にすることは出来ない、というか、むしろ未知の由来(例えば、照明の位置上、そちらの方が微かに目立っていて目に付いた、など)に影響されてしまっただけに思えるんだ。実際、微かな差を利用して無意識的に選択行動コントロールする手法も、例えば商品の色などにおいて、それがどれほど機能しているかは兔に角として、存在している。じゃんけんなら、癖や経験、相手の直前の挙動や手などが影響するんじゃないかな。

脳活動のレベル還元すると、あらゆる脳活動は物理現象に還元出来るとされる(ゆえに、偶然必然かなどに関係なく、そのような物理活動をしていること自体によって意識が生じている)けれども、その活動は、そのように活動するよう内部及び外部から影響されていた、その影響の由来もまた内部及び外部から由来する……というように辿ると、私が誕生する以前の何らかの現象から連鎖して、私が何かを意志したことになる。その連鎖が必然なのか、偶然なのか。あと、量子力学とかちょっと書いたのは、この辺に絡んでくるからなんだ。

偶然なんて無い、有るのは必然……って言うと、アニメの見過ぎって言われちゃうのは兔に角として。

決定論者であることを告げると、夢の無い人間だと思われてしまうのは何故なのだろう。万物と万象の運命が予め決定されていることが、何故個人の夢の有る無しに繋がるのか、全くもって理解出来ない(量子力学で否定されてる、っていう意見は理解出来るけれどね)。

事物の未来が決定されているからといって、そのことは、人が未来を確実に識ることが出来るということを意味しないし(むしろ不可能であることが帰結されるだろうと思う。未来を識ることで未来に影響を与えることが予め決定されていたというのは矛盾であるから)、この世界において、人とその未来というレベルに限って言えば、決定されていようがいまいが別段大きな違いがあるわけではない。私が今、悲しみを覚えているのが偶然だろうと必然だろうと、私は予めこれを識ることは出来なかったし、私がとある漫画の20巻を楽しみにしていることを変えることが出来るわけでもない。

決定論が影響するのは、もっと別の部分だ。例えば、殆ど全くの落ち度もなく、期せずして陥った何らかの不幸があったとする。物事が偶然であれば、どうしてこの偶然が選ばれてしまったのか、苦悩することになろう。しかし必然であれば、そうなる運命であったのだから、単にその不幸をのみ悲しめばよいものと割り切れる。物事が偶然であれば、自身の存在それ自体が偶然なのだから、死後の虚無に怯えることになろう。しかし必然であれば、自身は単にある時間上においてのみ死という状態にあるのだから、怯えるのはただ死それ自体だけに限定される(ニーチェの言う永遠回帰恐怖に囚われなければ……)。つまり、余計な感情に惑わされること少なく、或いはそれを抑制し、より心安らかに過ごすことが出来る。更には、必然なる世界を構成する重要な一部分として、世界を愛することが出来るのではないだろうか(世界は自分でもあるから)。

2007-08-08

anond:20070808013449

ポストモダンの影響じゃないことは確かだよ。読んでないし。何らかの哲学が影響しているとしたら、たぶんスピノザじゃないかな。

それはとにかく、何かのためになるから正しいわけでも、ためにならないから正しくないわけでもないと思うんだ。私個人としては、ニートがその生活のためにニートを脱した方が良いのではないかというのには同意だし、そのためにニート努力した方が良いのではないかというのにも同意だよ。でも、だからといってニートが悪いことにはならない。埒があくかどうかも問題じゃいはず。

ニートはただ当事者として何とかした方がいいというだけであって、それは、落とし穴に落ちて凍えている人間がそこから脱出した方がいいのではないかというのと同じ。何故落ちたのか(落とされたのか)は問題ではなく、ただそこで犯人罵倒し続けても埒が明かないし、いつ誰かが助けてくれるともわからないのだから脱出を試みた方がいいのではないか、というだけに過ぎない。

で、自由意志の話。量子力学とかの世界での意味でなら、あり得るんだろうね。

でも、ちょっと考えてみて欲しい。自分が何かを選択したことがどれだけあるか。思い浮かんだら、その各々をよく考えてみて欲しい。それは「1.選んだ方が良い理由があった」「2.自分にもわからない理由によって(適当)」のどちらかじゃないかな。前者は明らかに環境依存しているし、後者は由来が不明なものでしかない。つまり、意志そのものは自分を自由にある方向に決定づけることは出来ない。

2007-08-05

anond:20070805022630

私には理解出来ない心持ちではあるようですが、何を言わんとしていたのか、意味の上では理解出来ました。

どうもありがとう

でも、せっかく不確定であることの楽しみを説いてもらえたのに、私は不確定性を好きになれる気がしません。というか、誰か量子力学の不確定性をブチ壊してくれと事ある毎に願っているくらい不確定性それ自体が恐いです。

そんな人間なので、ごめんなさい。そして、こんなに丁寧に答えてくれてありがとう

2007-06-30

Re:anond:20070630134516

グレッグ・イーガンは好きだけどリチャード・モーガンは読んだことないなぁ。

最近SFイーガン筆頭に量子力学認識の世界に旅立ってしまった感があるけど、自分はどちらかと言うともっとマクロレベルの話に留まっていたい。J.P.ホーガン巨人3部作とか。

イーガン好きなら(国内ものだけど)飛浩隆はどうだろう。量子力学は絡んでこないけど、組み立てる世界はどことなく近いものがある。ただしこっちはかなり暗いけど。

「エンダーのゲーム」は読んでる最中ずっと「面白いけど、なんでそんなに高い評価を得たんだろう?」と思ってた。単なる少年の成長もので、SFとしてはちっともハードじゃない。でもラストで唐突に吹っ飛ばされた。

結構翻訳ものを読んでるつもりだったんだけど、今記録を確認したらほとんど国内ものだった。最近で読んだのはイーガンの「ひとりっ子」、その前は1年ぐらい前のニール・スティーヴンスンダイヤモンド・エイジ」、その前のスティーヴン・バクスターはもう2年近く前か。どうも最近情報チャネルが狭くなってるもんだから偏っちゃうんだよな。

まあでも、国内作家もかなり力を付けてきてるから。野尻抱介とか小川一水とか、ハードSFとして相当な力量だ。あれを英訳して輸出すべきなんじゃないか。

2007-06-14

情報量子力学物理量として定義したいみたいな感じ。

光だったら

明るさはフォトンの量

色はフォトンの振動数

情報だったら?インフォノン?(勝手に考えただけ)

情報量はインフォノンの量

内容というか質はインフォノンのなんだろ??

っていうかインフォノンって何やねんって話。インフォノンなるものを定義できるか=情報量子化できるかって事。

だってさ、情報の量と質ってリニア関係じゃないじゃん?

ビット情報単位として考えれるかもしれないけど、1ビットで伝えられる情報って不変じゃないと思わない?

情報って何だろうっていう素朴な疑問。

いつか解決したいなぁ。

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