はてなキーワード: 聖人とは
民主制が導入されてから老人優遇策ばっかりで若者にとっては地獄どころじゃない苦難の地。いやマジで。
こんなことなら地獄に落ちとけばよかったわ。
つーかさ、こうならないように聖人による寡頭政治が定められていたと思うんだよな。
なのにプロテスタントの奴らが「神の子はみな聖徒です!」と言い出してさあ……。
なんか正論に聞こえるじゃん?
ヤベエと思って反対運動したんだが「あいつら天使に萌えてるロリコンだからww犯罪者マジキメェww」とかレッテル貼って押し潰されてさ。
そしたらやっぱり老人が意思決定完全に掌握してしまってひでえことになった。
非童貞で、社会人であるってだけで、人格まで立派な人間に成長出来てると思ってる皆さんこんばんは。
数年前まで童貞を貫くことを誓い合った知人が社会人になり、童貞を捨て、浮気を平然とする人間になっておいて、
私に「大人になれ」と言ってくるのがたまりません。
彼氏がいるくせに、男に好意を強く持たれるような言動をする知人の、「だって私は悪くないもん!向こうが勝手に好きになったんじゃん!」
というセリフは聞き飽きました。彼女の言う大人になれと言うセリフも聞き飽きました。
連日連夜、他人を批判して粗探しをして些細なことですらネタ認定してれば自分が満足出来る匿名の皆さん、
あなた達に大人になれと言われるのが我慢なりません
自転車置き場の議論の典型的な例。それを喧嘩腰でやってるから、なおタチが悪い。
ノートでもトークでも、んなもんどうでもいい。もう変わってしまったんだからもういいじゃん。わざわざノートに戻すことで、誰がどう得するんだ?
で、これは日本語Wikipediaの残念な状況を端的に表してるように見える。
誰がどういう意図をもって変えたのかは知らないけど、誰かがやったことに喧嘩腰でケチを付ける人がいる。
せっかく誰かがやったことを、わざわざ多大なる口汚い喧嘩と多少の手間をかけて、無に帰そうとする人たちがいる。
そうされたときアクションを起こした人は、もう何もしないでおこうと行動をやめてしまうか、さもなくば喧嘩上等、ガンガンやったるから文句あるならかかってこいってまた挑発的な行動を起こすかどっちかになってしまう。
まぁ、中には「今回はこういう結果になってしまったけど、次こそはWikipediaに貢献できるように、みんなに喜んでもらえるように」なんて聖人もいるかもしれないけど。
はてなーの特性。「はてなー」の「ー」は、-erか-arかよく分からんが、細かいことは気にしない。
↓
hate na
↓
hate=〈人動物事を〉憎む, 嫌悪する(⇔love), 〈…することを〉嫌う
na=…しない, でない(not). ▼助動詞のあとに使われる;canna, didnaなど.
↓
…なワケないか。
1978年、私が15歳の頃だった。親が近所の大学の客員教授としてアメリカに来たという日本人の子がうちの中学校で1年過ごして、それから日本に帰ったんだけど、やっぱり無性に会いたくなって、おじいさんに夏休みの間に遊びに行かせてもらえるよう頼んだらOKしてもらえた。7月の夜に日本に到着して、ヘトヘトだったけどそれ以上に凄いテンションが高かった。友達とそのお母さんに客室へと案内してもらうと、そこは畳の床で、襖で仕切られた、その家唯一の和室だった。一室だけ和室にして残りは近代的な作りにするというのは、比較的豊富な日本の家では一般的なのだそうだ。友達のお母さんが部屋の押し入れから布団を出した時、押し入れの中から冷たい空気が抜けていくのを感じたけど、密閉された空間なら外気に影響される事もないだろうと、その時は特に気に留めはしなかった。その日の夜はぐっすり眠れた。
次の日の夜、目が覚めていた私は電気のスイッチが消える音や二回の寝室の扉が閉まる音といった、夜が更けていく音を布団の中で耳にしていた。明日はどんな楽しい冒険が待ってるんだろうとワクワクしていると、微かに笑い声が聞こえてきた。きっと隣の家で集まりがあるんだろうと思ったけど、笑い声はどんどん大きく、そして近くなっていく。そしてやがて笑い声は・・・何というか、狂気じみたものになり、徐々に音量を上げつつ耳のすぐ側まで近づいてきた。起き上がって二回の友達の所へ逃げようと思った。目は完全に冷めていた。でも、筋肉一つ動かす事ができなかった。ここで私は子供の頃、日本へ発つまで受けていたヨガのレッスンの事を思い出した。きっと本能的に思い出せたんだろう。ヨガのインストラクターは、その名前を口にするだけで負のエネルギーを浄化するという、東インドの聖人ラマナの事を教えてくれた。もう何だろうがやってみようと思い、その聖人の名前を言おうとした。しかし、言葉すら発する事ができなかった。恐怖は身を硬直させると私の本能が告げ、この恐怖の中とにかくリラックスしようと、夜の星空の中を浮遊する自分の姿を必死にイメージした。すると、やがて嵐のように乱れた私の周囲に落ち着きが戻り、今度こそ聖人の名前を言おうと口を動かした。声に出す事は出来なかったけど、私の唇は微かに「ラマナ」という言葉を紡いだ。すると、あの耳に響く邪悪な笑い声はピタリと止まった。まるでスイッチを切ったかのように。体を動かすことが出来るようになった私は、二回の友達の所へ駆け込もうと思ったけど、何故かもう安全だと感じ、わざわざ起こすまいとそのまま眠りに落ちた。
翌日、友達の友達が私の歓迎会と称したお茶会に来てくれた。昨日起こった事を話すと、それは「カナシバリ」というものだと教えてくれた。霊体等が休んでいる人間にそうやっていたずらをするそうで、日本ではよくある事なのだそうだ。その他にも、子供が寝ている間に頭の向きと足の向きを変えるオバケの話など、日本の幽霊の事を色々と話てくれて、私の経験も夢ではなく私が実際に起きていたという事を、特に抵抗もなく怖がりもせず信じてくれた。私の説明からして、あれは何か妖怪の類だと言い、あの笑い声を聞いたら誰だってそう思うだろうと思った。あの笑い声が、前の夜に寒気を発したあの押し入れの方角から近づいてきた事には後から気付いた。
この経験から、たとえ邪悪な存在が近くにいても平常心を保つ事は大事な事である事を学んだ。その後に格闘技を学ぶ際に教えられた事も更にそれを裏付けた。かつてチベットの僧侶がこのような事を言っていたのを覚えている。「怒っている時に攻撃してはいけない。外してしまうかもしれないからだ」
http://www.yourghoststories.com/ghost-stories-categories.php?category=10&page=1
それにより苦痛をうけた。
「ニヤリ」とされ「『そんな簡単な嘘にだまされちゃだめですよ』とか何とか、情報リテラシー」
などと説教された。
まず第一に「あるオタク」がそうであったからといって、
実際に「あるオタク」と同じ傾向を持っているかは分からない。
さらに言えば、「あるオタク」+「2ちゃんねるの一部」だけを、
鑑みて、「オタクは全ていやらしいものである」と認定することはできない。
「オタクは無害であり、おとなしくしている分には
(筆者には)扱いやすかった」としている。
つまり、今まで「無害であった」と思っていたものに、
「牙を向けられ」、「頭に来た」ということなのであろうか。
「見下している」。
また筆者はヤリチンのいやらしさを、「下品な性欲のいやらしさ」としているが、
そうではないのではないだろうか。
「下品な性欲の(対象として私を見てくる)いやらしさ」なのではないだろうか。
さらに言えば、筆者が言っているオタクのいやらしさについても、
「人を見下す精神的ないやらしさ」ではなく、
「私を見下した精神的ないやらしさ」なのではないだろうか。
無論そういったいやらしさを認めるものではない。
しかし、「オタク」は常に「人を見下しているのであろうか」。
確かに、2ちゃんねるの一部では、社会的弱者を一方的に誹謗中傷している
ことがあり、それは全く認められたものではないが、
人のことを見下しているとは思えない。
そういった、「人を見下すいやらしさ」やなんらかの「いやらしさ」と、
解釈されかねない態度をしない人はいるのであろうか。
私は存在しないと思うし、そのような人がいるとしたら、
押しつぶしているひとなのであると思う。
自分の行動を振り返ったときに、嫉妬をしたりそういった暗い感情が
湧いてきたことは今まで一度もないという人はいるだろうか。
「三次元で人として最低限の尊敬しあえる関係を結ぼう」ためには、
そういった「暗い感情」も含めて人間として、今目の前にいる存在として、
認めていく必要があるのではないか。
「あいつらは腹黒い」「あいつらはいやらしい」といって、
他人の欠点ばかりを断罪することは可能であろうが、
そういった欠点ばかりを断罪していても、
「三次元で人として最低限の尊敬しあえる関係を結ぼう」ことにはならない。
もし、「三次元で人として最低限の尊敬しあえる関係を結ぼう」と思っているのであれば、
「エイプリルフールだから何でも許されると思っている奴は嫌い」
「『エイプリルフールなんだからムキにならないでよ』とか言うヤツも大っきらい。」
などといっていないで、その人たちに向けて、もしくはその「あるオタク」に対して
「わたしはあなたの~~がきらいである」と表現したらどうなのであろうか。
「わたしはあんたのそういったいやらしさが嫌いである」となぜ表現しないのであろうか。
つまるところ、筆者にとってのオタクは「無害であり、おとなしくしている分には
(筆者には)扱いやすい『物』」であり、
「正常」で「三次元」で、「人として最低限の尊敬しあえる関係を他の人々と結んでいる」わたしにとっては、
「オタク」など「扱いやすいもの」以下の何者でもなかったのであろう。
http://anond.hatelabo.jp/20100320235739
補足追記:
この文章は賛成派の行動(以下URL参照)から見てとれる腹の内を書いた文章です。
想像・藁人形と言われればそれまでですが、そういう人には「ではあの行動から他にどう解釈すれと?」と問いたいです。
賛成派の行動については、以下のURLをご覧ください、私が書く文章の基本ソースとなっています。
http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/09_28ki_menu.html
以後私が書く文章に「全てに当てはまる人」を想像するから藁人形なのであって「1つでも該当する人」であればそう遠い話をしていないと思います。
賛成派の人は今もう一度、以下の内容に該当していないかどうか、自分の心の奥底を覗いてみて下さい。
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実は最初から規制賛成派だった。
ではなぜあんな事を?
中立を印象付ければ、あたかもその最終判断が「正しい」と周りに思われやすくなる事を知っているから。
本音として言えば、あんな気持ち悪い物早く無くなってしまえばいい。
オタクは何時でも何処でも気持ちが悪い、規制して当然だ。(※1)
だが、そんな事は口に出して言えない、明らかな差別と批判されるからだ。
「子供を守る」のはほとんどの人が認める内容だ、ならそれに対立する文化だと思わせてしまえばいい。
反対派はどうせ何の力も無いオタクどもだから、認知障害者呼ばわりしても誰も気にとめる者はないだろう。
むしろ、反対派に回ると周りから認知障害者に見られるんだと思わせれば大成功。
そもそも、あんな文化にお金が回るのが気に食わない…あれさえ規制すれば他に金が回る(※2)
オタクどもの一部が醜い姿を晒すだろうから、それをやり玉にあげて「ほら、こんなにひどい人たちです」と世の中をリードしておこう。
それがあの文章、良くできてるでしょ? …最後にこうレッテル貼っておけば完成。
>「俺は悪くない。世間が俺を攻撃している。理解しない奴らは馬鹿」
本当はこんな事言ってる人なんてごく一部なんだけど、ここでは書いてる事が全てだからね。
効果抜群だ!
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…等と思っている人たちにどう歩み寄れと?
反対派は皆この本音を分かっているから、歩み寄らないんだよ。(※3)
こんな事わざわざ説明しなくても「規制の歴史」(※4)を見てきたらすぐ分かる事なのにね。
こんな事も分からないとは…残念です、本当に。
※1 対立が生まれる理由のほとんどがエゴである事が多い、皆が聖人君子ではない
※2 賛成政治家の本音
※3 反対派が拒絶の姿勢(認知障害者呼ばわり等の暴言)している間は、反対派も歩み寄り様がない
※4 日本を含む世界中の歴史を見ると、強引な規制は悪い方向にしか向かない事が良くわかる
(規制の歴史についてのソース書こうとしたら、書籍名いっぱい書かなきゃいけないので面倒…よって後で分かりやすく解説してるページを探して追記する予定)
「2本目は逆転とか、誰かの点数とかに関係なく、自分の滑りをすることしか考えなかった。(ダブルコークが)決まらなかったら、どうしようもない。滑りのスタイルは出せたので、悔いはない。いろいろあったけど、最後まで応援してくれた人には感謝している。(服装問題の)影響は全くない。気にしていたらやっていられない。」
国母和宏選手の試合後のインタビューです。これは記事の引用だけど、実際にテレビで見ても、丁寧に受け答えをしてました。なんだ、普通に話せるんじゃん。悪態ついているように見えるのは、人当たりのいいコミュニケーションに慣れてないだけ、という感じ。
でもさ、オリンピックに出る人って、みんなが聖人君子で、品行方正でなければならないの?スポーツ選手って、みんなが人格者で、謙虚で礼儀正しく、愛想がいい人なの?
そんなわけないでしょ。オリンピックに出るというだけで、人格の完成を求めるのは期待しすぎ。オリンピックは学校の道徳の時間でもないし、生徒指導の話でもない。これらを「分けて考える」ことができなければ、日本は封建時代のままです。
今回、私が特に許せないのは、「彼を本国に召喚すべきだ」などと言い放ったコメンテーター。国母を一片も擁護しなかった彼の大学。世論に迎合して、彼に出場辞退を迫ったスキー連盟。
テレビ局はあのコメンテーターを使うべきではなかったし、大学は自分の学生である国母を守るべきだったし、スキー連盟は感情に任せた決定を下すべきではなかった。
結局、立場ある人で、彼を守ってみせたのは橋本聖子だけです。生意気だけど前途ある若者のために、深々と頭を下げることができた人は、彼女だけでした。試合後、橋本さんは「出場させた自分自身の判断は間違っていたとは思わない。」と言いました。当然です。橋本さんは、胸を張って日本に戻ってきてほしい。そして私たちは、それ以外の大人がいかに不甲斐なかったかを忘れるべきではないでしょう。
国母くんは決して日本という国を背負って、日本人のエゴを背負っているわけじゃありません。そんな下らないものを背負っているとしたら、あそこまで空高く飛べるはずがない。あの顔のケガをみてもわかるように、彼は自分の命かけて、自分のプライドをかけて飛んでいるのです。
国母"問題"は、私たちの心の問題です。私たちの中にある保守性や排他性に負けてしまった私たちの問題です。
考えてほしいのは、「公園にいるホームレスを不快に感じて、暴力で排除しようとしたら、それは正しいのか?」ということ。もしくは、「みんなが不快に思うからといって誰かをイジメたとしたら、それは正しいのか?」ということ。
正しいわけがありません。今回、国母に出場辞退を迫った人たちは、「ホームレスなら危害を加えてもいい」「みんなが不快に思うならイジメてもいい」という判断をしたのと同じです。
幸いだったのが、国母くんがそんな「下衆の差別心」に負けないくらい、突き抜けていたということ。「(服装問題の)影響は全くない。気にしていたらやっていられない。」というのは彼の本心だと思います。彼はアスリートとして、カウンターカルチャー代表として、本当に突き抜けていた。差別心をあらわにして彼に牙を向いた人たちは、見方を変えれば、彼の「悪さ」に助けられたのだと思います。
嫉妬心や、世の不良の身代わりとして罰を与えてやろうという復讐心からの行動は幼いし、醜いものです。今回、彼に制裁を加えようとした大人たちは、大いに反省してほしいと思います。自分の嫉妬心や復讐心を抑えられなかったこと。自分の差別心と戦わなかったこと。そして、個人の尊厳を踏みにじろうとしたことについてです。
道徳は時に、自分の差別心を隠して、気に入らない人を叩く道具になります。私たちは、自分の判断がそういった感情によるものではないのか、胸に手を当てて考えなければなりません。私たちの敵は、いつも私たちの中にいるのです。
ここにぶら下げるべきかちょっと迷ったんだが。
なんつうかさ、「陵辱エロゲ叩き」は歪なんだよな。
自分たちは日々、見下し、侮蔑し、嘲笑し、忌避するが、そういう行為を「悪」とすることも無ければ、それを向けられる相手を思うことも無い。
にも拘らず、それを向けられているほうは、まるで聖人のような高潔さが求められ、そうでない事実すらも責められる。
お笑いだ。
戦争映画も見るし、暴力漫画も平気、物語上意味があるなら陵辱描写もOK。
キモイオタクは世の中のゴミで、一度そうした「普通の人」レールから外れると、ほぼ過去を消す勢いじゃないと復帰できない攻撃的排他性を持つ閉塞感にあふれた糞みたいな世の中だけど。
横だが。
オープンソースだとか、フリーウェアってのは、元々ライセンスをオープンにフリーにってものだからなぁ。
管理の話はどうしても後付だね。
それから、オープンであることが第一だけど、だからといって亜種が溢れていいものでもないから、改正や修正がやりにくいって話もある。
Linuxはそれが原因で対応が遅いとも言われているしね。
コントロールする人も無償でやることが多いけれど、聖人の様な振る舞いを要求されて、結局投げてしまう人も多い。
オープンソースと言うやり方は、単なる開発者と管理者では受け取り方が違うだろうし、成果物を受け取るだけの側では見えない、
どろどろとしたものがあるのも確か。
一字一句、完全に同意します。
あまりに同意したので全文引用します。素晴らしいです。
はてなにおいてメジャーである、気味の悪い逆からの(弱者の皮を被った強者の)レイシズム、
名誉毀損や人権侵害を平気で行う自称弱者たちの歪みきったメンタリティを見事に切っていただいて本当に感謝します
きっとこれからこいつらはてサは集団で根拠のない罵詈雑言の限りを尽くしてくるでしょう。
キチガイを相手にしない、というのも選択肢に入れておくのも悪くないと思います。
こういう事も増田でしか言えないはてな村の気味の悪い同調圧力が本当にむかつく。
────────────────────
男はケモノではありません(2)
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p2
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
さて、どういう形で、話を続けたものか、オーソドックスにブックマークコメントにレスポンスすることにする。
誤解無きよう言っておけば、私は先のid:hokusyu氏のロジックとそれを支持する人たちを人権軽視の発想であると糾弾していることを申し上げておく。
id:angmar いやだから、曽野の論が間違っているというなら予防拘禁も軽装抑止もどっちもありえないんじゃないの?/男はケモノ⇒予防拘禁のロジック批判ということなのだろうけど、どうもそう読まれる気がしない。
曽野氏の論は間違っているけれども、その仮定の条件を仮に踏まえたうえでの論理展開をしているのはid:hokusyu氏であり、前提条件が徹頭徹尾仮定の話であるのは言うまでもないことなので、現実の話として予防拘禁も軽装抑止もあり得ないのは言うまでもないことです。しかしid:hokusyu氏がその論理の中で提示した特定の集団の人権軽視をなす発想は仮定の話ではなく現実です。
id:kowyoshi あらあら hokusyu氏を叩きたいから、曽野の間違った仮設が真だとしたらなんて恥ずかしいことを…
曽野の間違った仮説が真だとしたら、が恥ずかしいこととはどういうことでしょうか?hokusyu氏を叩きたいとはどういう意味でしょうか?hokusyu氏の論理展開を批判することが彼を叩きたいことになるのでしょうか。ご説明いただけるでしょうか。
よく分からないのですが、私が「考えていない」というのはいかなる理由から導き出された推論でしょうか。その対策というのは曽野綾子を批判することでしょうか?(それなら批判しているわけですし、id:hokusyu氏も見える部分ではそれ以上のことをしているようには見えないのですが)。ご説明いただけるでしょうか。
追記:『KIM625 書いてないから』との書き込みあり。考えていないとの書き込みもないですよね。その論法で言うならばあなたはid:hokusyu氏の基本的人権軽視について何も指摘していないので、あなたは人権侵害の発想を拡大させる加害者だと思います。
id:steam_heart うーん、どうでも良いが、その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね。そして、それをして来たのが過去ですよ、と。
どうでもいいと言っている人に聞くのはなんなんですが、「その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね」....なぜ?私が指摘しているのはhokusyu氏の男性の基本的人権を軽視する発想ですが、男性の基本的人権が軽視されないと女性の人権が守れないとのお考えでしょうか?ご説明いただけるでしょうか。
追記あり:『id:steam_heart 「女性の軽装禁止」が女性の人権侵害で無いなら何?と逆に聞きたい。どちらの人権も最大限に守るということは出来ないがゆえに「獣」の部分は権利を制限される。』
どうでもいいんでしょうか、よくないんでしょうか。
むろん、権利の侵害ですよ。ただし基本的人権の侵害ではないというだけのことで。ケモノの部分というのは具体的に何を指し、その権利を制限するとは具体的に何を指しているのですか?
id:letterdust 曽野の主張は「軽装」だけでなく「深夜の独り歩きは商売女」ね。それで独身女性は自宅通勤に限定されたり残業のある総合職につくと眉をひそめられたりしたんだけどこれって「広義の予防拘禁だよね」って話はお分かり
それと男性の基本的人権を軽視する発想とどうつながるのでしょうか?
id:Francesco3 意味不明/http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091205←性犯罪が起こる要因
…。あのう。読解力を期待するだけ無駄な人なんでしょうか?性犯罪が曽野氏の言うような原因で発生すると一言でも私が言っているでしょうか。その記事をあの記事に対して持ち出す意図についてご説明いただけるでしょうか。
id:inukorori「男は獣」と「しかし私だけは獣でない」が結びつくと醜悪なロジックが生まれる好例。批判すべきは後者の論理。//なるほど複雑猫さんの危惧は当たっていた。「欲望は本能」とか言い出すやつがいるんだなぁ。
言っていることがさっぱり分かりません。曽野綾子的な意味で、論理上の仮定でなく、欲望は本能だと言っている箇所を提示してください。
id:hokusyu 1:「人権が擁護され、かつ欲望のままに生きることが許されるケモノ」という形象自体が、いかにも男性に都合がよすぎる形象。ケモノを名乗るなら人権は諦めるべき。2:女性の我慢がさらりと容認されているのが差別
id:hokusyuさんは基本的人権というものをどのように考えていらっしゃるのでしょう。私権は公共の福祉の下において制約を受けることがあります。従って、公共の福祉は程度としてはファシズム性を内包しています。その上で制約できないのが基本的人権です。この仮定の一連の話において、「男性のケモノ性が統御し難い本能に根ざす」「しかし女性の衣服や態度によって緩和は出来る」というのは仮定の条件です。現実において欲望のままに生きるケモノであって良いはずがないのは言うまでもないことです(どうしてあなた相手にこれを言わないといけないのか、とほほ)。生物的な性差に基づく不利益を緩和するために、社会的な補正として公共の福祉において私権が抑制されることは、現実の場面でもあることです。我慢は公共の福祉においては誰もがそれぞれにしていることです。
しかしその上で、基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません。私があなたを批判しているのはこの点であり、あなたのブックマークでのコメントは、これがだれぞの言うようには「誤読」ではないことをはっきりとさせました。
あのロジックにおけるあなたの発想は、公共の福祉の名において、知的障害者らを抹殺しようとするものと同様のものであるとの見解を提示いたします。
基本的人権は嫌な人、ケモノのごとき人のものであっても、絶対に擁護されなければならないものです。
id:sionsuzukaze 違くね?hokusyu氏のたとえが適切かどうかは別として、あの前提に立てば状況はなんら改善されないし、結局は性犯罪を助長さえしかねないから、あの前提を持ち出すこと自体が誤りってことでしょ。
たとえが適切がどうかは「別の話」ではありません。あの前提を持ち出すことは誤りだということについて見解が対立しているわけでもありません。あのロジックの中にあった基本的人権を軽視する発想が問題視されずに流布している点を問題視したまでのことです。
追記『id:sionsuzukaze 自分は別にhokusyu氏の潜在的排除論に同調したつもりは無いんだけどな。ただ、それが持ち出される背景を説明しただけで。まぁダイアリにも書いたけど、隔離するなら夜だけじゃダメだけどね。』
よく分からない反応。同調したとかしないとかそういう話はあなたには誰もしていないのですが。
id:manysided "男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。そしてその場合、男がケモノであるとしても、それでもなお男は人間である"君がケモノなのはよくわかった。抑えられないんじゃなく抑えたくないだけでしょ
「君がケモノであるのはよくわかった」。普通に私への人権侵害であり侮辱罪であると思うのですが。ここでは男がケモノであることを抑制し難い本能に根ざすと仮定しての論なので、その仮定において、抑制が難しい本能であるのは当たり前のことです。「男がケモノであることは抑制し難い本能である」と事実として私が提示している部分があるでしょうか。ご説明いただきたいですね。これにスターをつけているid:hokusyuさん、id:KIM625さんでもよろしいですよ。
追記:『id:manysided いや仮定じゃなく断言してるじゃん。男全般ではなく君の意識がおかしいということ。抑制が難しいならいつでもどこでもするだろうがそうじゃないだろう。そもそも君の定義する「本能」って何だ?』との返答あり。…。えっ!?断言してたっけ…。
『そもそも男はケモノではないので、曽野綾子氏のそもそもの論に無理があるわけだが、敢えてその出鱈目な前提にのっかるとした場合、男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。』
これ、どう読んでも仮定だよね?だよね?だよね?ちなみに曽野綾子氏のロジックに沿えば、抑制は出来る/出来ないのデジタルには処理されておりません。くだらない煽り要らないからさー、能書きたれてないで「ここだ!」って提示してよ。
どの部分が誤読でしょうか。ご指摘いただけるとありがたいです。
とりあえずここまで。
[続き]
id:quix_que 今回のこれが始まってから何度「襲われる女性は地味でおとなしい服装が多い」って書かれたか数え切れないけどひとつも目に入らなかったのならばその心理的フィルターをなんとかするのが先決でしょ。
あなたは日本語読解力をつけるのが先決だと思います。
追記あり。『id:quix_que これはひどい, いつまで続くのこれ? 現実にある「女は自衛のためにアレするなコレするな」の人権侵害をスルーしておいて、同じロジックを適用したたとえ話には「たとえ話でもそんなことを言うな」と猛反発ですか。そこまで自分側を正しいことにしたい?』
何なのかしら、この人。正しいことにしたいのではなく、私はいつも自分が正しいと思うことを書いています。そのうえで、修正があるならやりますが、ここでは「同じロジックではない」ことを指摘しているので、あなたがやるべきは「同じロジック」であることを論証することではないかと思われます。
id:ftmaru 健常者でマジョリティの成人男性が少しでも我慢させられそうになると大騒ぎするくせに、女・子供・老人・障害者・外国人・その他マイノリティの我慢は『ある程度はしょうがない』で済ませる人の典型。
あなたは何かの典型に人を落としこむ典型ですね。基本的には「我慢させる」ことについてはよほどの公益性と他の代替が無い限り容認されるべきではありません。ここで比較されているのは、「女性の軽装規制」と「男性の去勢を含む予防措置」です。どちらが基本的人権により深刻な損害を与えるか、分からないのだとしたら、相当なおばかさんだと思います。
id:hit-and-run 男はケモノって仮定してるのに「いや、そうは言っても人間ですから」って時点で、前提条件ぐだぐだやん。ケモノを単にメタファーとするなら駆除や予防拘禁もメタファーと解するべき。相変わらず頭悪いな(笑)
ぽかーん。ケモノってそういう意味じゃないでしょうに(笑)。男はオオカミなのよ、気をつけなさいーと言う時、男はイヌ科になるんでしょうか(笑)。最後の一文はそのままお返しします。
[続き]
id:type-100 たとえ男が獣であるのが本能であったとしても、本能は制御すべきものです。
id:type-100 ミニスカや夜歩いてるのを見ただけで女に襲いかかるような男が本当にいるならば、そいつはもう基本的人権を制限して豚箱にぶち込むしかないと思うが。獣が獣のままでいい道理はない。
本能には統御できるものもあれば不随意のものもあります。そういう男は豚箱にぶちこまれてるでしょ?実際。
id:uchya_x ミニスカのねーちゃんにムラムラするのは押さえられなくても、襲うことは押さえられるし、押さえなきゃいけない。その理屈かわからないというならそりゃケモノと言われてもしょうがない。。
ええ、その通りだと思います。
id:mo81 曽野論でも同調する論でも「女性の行動制限」に触れているのに、男性の行動制限を持ち出したhokusyu氏の論が有意に人権侵害の度合いが強い(ゆえに男性の人権軽視である)とは言えないのでは?
これは単純に文意がとれません。ごめんなさい。
id:NATSU2007 性犯罪 『女性へのレイプを防ぐ、男のケモノ化を抑制するためには、1.女性の軽装を、規制する』…先生!なぜここで、「おとなしそう・地味・清楚な服装を規制する」という結論にならないのかわかりません!
なぜ、ということに答えるなら、曽野綾子氏の仮定に乗っかっているからです。曽野氏の仮定では「おとなしそうな女性の方が被害者になりやすい」という前提がありませんので。
id:sillyfish 曽野文では「男は獣」と同時に「女は犯される性」も本質視されてる。その上で女に「夜歩くな」と自衛を求めるのだから、男も「夜歩くな」と本質への自衛を求められるのは彼女のロジックでは当然
id:sillyfish 曽野の文章は女の「夜の一人歩き」も叩いていて、批判する方は「ミニスカート」だけでなく当然それも視野に入れた上で男の「夜間外出禁止」を対応させてるんだけど。意図的に読み落としてないか。
私がリンクをつけたid:hokusyu氏の記事を読んでください。外出禁止令についてが主眼になっているでしょうか?予防拘禁を求めるのであれば、夜間外出禁止であれば男女双方に求めることが可能であるというのはその通りであろうと思います。そして予防拘禁を求めることがこの場合は、不適当であるというのもその通りです。hokusyu氏はそこを越えた身体的な人権侵害にまで踏み込んでいるわけです。その対比の発想が基本的人権の軽視であると申しているまでのことです。単なるレトリック、ではなくそれがレトリックとして成立すると思う発想があるから、そのレトリックが用いられているのです。
id:SIVAPROD ”男性の基本的人権を極度に軽視”w 笑わしよるな。 ”オトコ”が機会があれば人を刺す気マンマンで刃物持ってる(←ブログ主の主張だよな!)んならその刃物取り上げることのどこが”人権を極度に軽視”?
id:Cunliffe 『基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません』そんなことないですけどー(笑)/典型的な例は児ポ法ね。
id:PAGZIN 軽装規制と予防拘禁のどちらかでしか抑止できないのなら「男は獣」ってことになってしまうのでは?獣でない人間に対する犯罪抑止は基本的に刑罰法規による抑止でいいじゃん。
現実の話として言うならそうですね。現実の問題として言うならば、レイプ被害が実際に統計な件数よりも多数発生しているだろうということで、刑罰による抑止が充分に機能していない点です。これはそれこそセカンドレイプ的な言説によって、犯罪が単純に犯罪として処理し難いことがもたらされているのも一因だろうと思います。
id:baisemoi_bullet そう、ケモノではない。ケモノ(自然現象)ではないのだから、「女性が行動や服装を慎むべき」は通用しない。それでは「男はケモノ」と何も変わらない
その通りだと思いますが、これは私に向けたご意見なのでしょうか?
id:rinsenan 「北守は差別主義者」という意見を表明するのに「女の人権が軽視されている状況を糾弾する為に男の人権を軽視するのはけしからん」という論法を使ったから感情的に反発されてるだけ/端的に言ってデリカシーに欠ける
よく分かりませんけど、いくらなんでもhokusyuさんでも根拠も示さずに差別者扱いされてはそれこそ人権侵害なのではないでしょうか。
id:fjsk 皆そんな聖人君子じゃないんで、逆差別を受けてみろよって思うんでしょ?差別する側の声は届かん。意識して言葉を使うべき。例えばその仮定のケモノは「おとなしそう・地味な服装」を好んで襲うという事実とか、ね。
いいえ、違います。逆であろうが正であろうが、差別は差別です。ただし公益上、許認されている差別があり、公益上でも許認されるべきではない差別があるというだけのことです。
とりあえず、ここまで。
[続き]
id:tikani_nemuru_M 公共の福祉ってのは、ぶっちゃけ他者の人権のこと。だから、基本的人権が衝突した場合は調整されることになる。一元的内在制約説ね。
ええ、法律用語で言えば一元的内在制約説です、私がここで提示している考えと立場は。ただ、純粋に法律の話をしているのではなく、個々人の発想の話をしているので用語は敢えて使っていないだけです。ごく常識的な話であるのですが、比較衡量をしなければ、特定の集団の基本的人権の絶対的擁護は容易にファシズムへと転化してしまいます。ましてid:hokusyu氏らが挙げているのは、精神的自由の制約ですらない、身体的・生物的自由への制約であるわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20091117080828
埃がつもる(ほこりがつもる)とは、今の多くの天理教信者、天理教組織の状態。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%9F%83%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8B
756 神も仏も名無しさん[sage] 2008/10/23(木) 17:48:33 ID:Y/nDKKn6
天理教でよく使われる概念として、「因縁」というものがある。意味は言葉どおりである。悪い「因縁」を良い「因縁」に変えることが、信者の目標である。
2ch 真如苑63 701-800 - 真如苑 被害状況 まとめページ - livedoor Wiki(ウィキ)
http://wiki.livedoor.jp/semicircle/d/2ch%a1%a1%bf%bf%c7%a1%b1%f163%20701%2d800
悪い「いんねん」を良い「いんねん」に変えることが、信者の目標である。「いんねん」は生きている間にも増える。これを「埃がつもる」という。
http://atpedia.jp/matome/%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%93
まず第一点は、人間というものは生きている限り埃と無縁ではありえないということです。「新建ちの家」とはまだ人の住んでいない家で、このような家にも埃がつもるということは、人間が何もせず、じっとしていても心に雑念が去来してくる、人の住んでいる古い家ともなると、つまり人間が一日中忙しく行動していると、どれだけ多くの埃をつむかわからないということ、また「新建ちの家」は埃のない家ですから、それを聖人君子、悟りを開いた人、解脱した人と考えますと、そういう人でも埃とは無縁ではないことを教えられているように思われます。また「目張り」は外から埃が入らないようにするためのものですから、「目張り」をするということは、人間の心を誘惑する物、財産、名誉、地位等から離れること、つまり出家して俗世間との接触を一切たつことが意味されていると考えますと、「目張り」なしで生活をする、社会において人、物にとりかこまれて生活すると、どれほど多くの埃をつむかわからないということを教えられているのではないでしょうか。
これは正しい説明だとして、
この説明が誰の発言なのかが不明。