…というのを高校のころから続けているわけだが。
毎年誕生日の前の数日、生まれてきたことが本当に辛くなるようで、
毎年この時期1度は空元気が切れてはスイッチが入ったように朝までぐずっている。
自分にはFランでも大卒の弟1(家業の跡取り)と今国立院生の弟2がいる。
幼いころ仕事の忙しい父とは滅多に遊んでもらえず、母親中心の育児を受けていた。
厳しく、そして本人は三女で下に長男という構成の姉弟関係に生まれた母には長子の気持ちなど理解できない部分が多いようで、
どちらかといえば男男女の一番上の父ならそれなりのシンパシーを感じられるのは父だが
母が嫁いだ時点ですでに病んでいた叔父(後述)の病理を一切説明していなかったらしい等が後ろめたかったのか
聞くべき愚痴すらもまだ小学校の高学年くらいだった娘に父は丸投げしていた。
わたしは母にとって「娘」で有り「弟たちの姉」で有り「家族の愚痴などを話す為の夫」だった。
流石に耐えきれなくなった時、父に「お父さんが聞けばいいことまでわたしが聞いている」と泣いたら
「娘一人なんだから聞いてあげなさい」と返されてわたしは一体何なのか解らなくなった。
母が怖かった。
集団生活が怖かった。
鬱屈していた。
無気力だった。
多分行き遅れて居候し続けていた大叔母や
精神を病んで居て入退院を繰り返し居候していた行動が予測できず恐ろしい叔父に
母は子供らを関わらせたくないと必死だったのは解らなくはないし、
子供らがならないようにしたいと思ってたのも解ってる。
人との関わり方も苦手で「苛められっ子」だったと自称するのは実に馬鹿げていてみじめなものだが
自分という人間をカテゴライズされると「苛められっこ」だったのは否定できない。
苛められたとき、「こなくそ!」と反抗的になるのには幾つかパターンがあって、
わかりやすいのは反抗を反抗で示すパターンでだと思う。
ならわたしの場合はどうだったのかといえば
「苛められるならならば自ら「苛められっこ」になってやる」
といった後ろ向きな反抗をしていた。
反抗することで更にいじめられるよりも、
いじめられっ子というポジションを維持することで何とか自分を保っていた。
他人との関わり合いが凄く苦手で、苛められっこを演じることで
「疎ましがられる者」というポジションを得て、それからどうかしようという余力が無かった。
居場所がないことより「疎ましい存在」という位置づけでも居場所を得たかったんだといまだとそう思う。
今となってはそのころに演じすぎた「苛められっ子」の意識が抜けきれず、
「どれが一体自分なのか」「自分は一体どういう人間だったのか」それがほとんど思い出せないし、どうしたらいいのか解らない。
母には「一番上でしょう」と言われ
父には「お母さんの話を聞いてやれ」と言われ
弟たちには軽蔑され
学校ではただでさえ少ない友達にも話せる内容でもなく
教師にはただただ失望感を覚え
それでも休ませて貰えることはなく
泣くことも一人でしか出来ず
笑うのも叫ぶのも億劫で
親は多分何も期待してないというのはもう何年も前から自覚していて、
おまけに不倫ばかりをし続けた挙句50近くまで居候し続け、結局死ぬまで独身だった大叔母のことや
長女だということもあって追い出しがかかってこのところ結婚しろ結婚しろとうるさい。
結婚はしたい気もする。でも相手はいない。
仮に夫になるかもしれない人が出来たとしても、こんな自分を受け入れてもらう自信がない。
自分に自信がない。
せめて自分の子供(いつできるのか・作るのかどうかは解らないが)が出来たなら一番上の子に
「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんでしょ」というような言葉は言わないようにしたい。
それが元で歪ませたり折らせたりするのが厭だ。
ここまで書いてきてこんな自分よりも大変な人など幾らでも居るだろうに
「自分が可哀想」というのか「自分が辛く感じている」と思うことが厭で仕方ない。
そう思うことすら、優越感の表れなんだろうか。
自分が何をしたくて何ができてどう考えてるのかどうしたいのかどうすればいいのかわからない。
とりあえず発作を鎮める薬は飲んで今はちょっとだけ楽になってはいる。
よくこういうことを言うとさ自分がそこから出る努力しろとか環境を変える努力をしろとか
それ系のことを言われるんだけど、そういう努力する気力すら沸かせる事が出来ないのが一番つらいのに、
そういうことを言う人はいとも簡単にぽっと言ってしまうけど、無責任な言葉だなぁと感じるよ。
だから人と話しているときにそういうことを言わないようにしてる。
人様の悩みや苦しみなんかを聞いて聖人面してどうこういったり
人の言動を断罪するようなそういう資格なんて多分ないのだから