2015-05-02

昨日私の心が壊れた。

私はもうメーラーを開いてはいられなかった。私は電話の電源を切らざるを得なかった。

私は割と優秀な人間だった。

しかし私はしばしば人間として扱われなかった。汐留とか赤坂会社人間に、そのクライアントに、その下請けに。

私に会った時、彼らは侮蔑語をさも素晴らしい冗談かのように、場を和ませるアイスブレイクかのように私に浴びせた。私は都議会で産めないのかとの罵声を浴びた女性議員のように苦笑いした。私は彼らのあまり時代錯誤な態度に、もはやなにも言えなかった。汐留社員は未だに、営業での心労を武勇伝として語ってくる。それが偉いことのように。彼らはそれがもはや昭和汚物だと言うことを知らない。

別のある時、私は彼らの要求にしたがって仕事を進めた。私は彼らからの連絡を四六時中受け取ることになった。彼らは深夜に労働することがさも偉いかのように深夜にメールを、メッセージ五月雨式に投げてきた。私は枕元のスマートフォンでそれを見た。私は疲れ果てた。

私は広告を諦める。もう2度と広告をやらない。

真鍋大度も今の若者メディアアーティストにはならず、スタートアップに行くと言っていた((http://togetter.com/li/812920))。私はそこまで若者ではないが、私もまたそれに同意する。私は、スタートアップ人間扱いされたことがある。

私の理性は、広告人間すべてが上記のような人間ではないと言ってくる。そのような判断は私が感情に負け、理性を諦める証拠になると理性が囁く。私はまともな広告人間を知っている。私はメーラーフィルタの設定方法を知っている。私の心は昨日壊れた。私はもう広告を信じない。

私はゆるさない。あのサイコパス達を。あの基本的人権すら分かってない人間たちを。私はゆるさない。

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