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はてなキーワード: 生存権とは

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103133307

切り捨てるのはかまわないんだけれども。

切り捨てたところで人間は消滅しないんだよな、社会の底辺として残る。

だからこそ、社会の底辺には底辺用の職を用意しなければならなかったのだけれど、現代は所謂

単純職工っていうものの需要がどんどん減ってる。特に国内では。

国家家族ではないけれど、結局同じ釜のメシを食うしかない。

だから、どんな弱い固体にもそれなりの生存権利を与えなければならない。特に現代のような

若者の半数近くが職を得られない」って状況で「切り捨て」をやると、その反動は間違いなく国家に降りかかる。

ほんの少し前までは建設業のドカタ、製造業ライン工などの職が豊富にあったのだけれど、現代ではそれはない。

だから釜のメシを分けてやるしかない、ってわけ。

そういうわけで、競争に晒せっていうところまではともかくとして

「切り捨てろ」っていうのは、「切り捨ててどうするの?」ってところまで答えられないと馬鹿のたわ言でしかない。

個人的な感覚で言えば、日本は既に弱者に「見切り」をつけてると思うよ。でも、見切りをつけたところで

彼らは生きて行動している。選挙権もあれば生存権もある。その上、メシが食えなければ当然の行動を取る。

だから、雇用創出や互助的な政策が必要になるわけ。

例えば、君が何か物凄い性能の武器か何かで無職を一人残らず撃ち殺してくれるっていうならいいんだけど。

そうでないなら、もう救いの無い馬鹿としか。

ところで、隣家の娘息子がニートになったり、あるいは年寄りが要介護になった場合、その生産性のない人達のツケは誰に廻るって

普通に働いてる人達に廻るわけですよ。だから「ざまぁ」は正しくない。というか、考えが足りない。

高齢化社会にくわえて雇用不足ででどんどん働く若者にツケが回されてるこのご時勢「ざまぁ」はどうしようもない馬鹿だ。

そもそも現在日本に必要な「淘汰」は教育による若者の淘汰じゃないよ。絶対数が不足してるんだから。生産性のない老人の淘汰こそが今必要。教育云々言う前に、年寄りを一匹でも多くこの世から送り出す方法を考えた方がいい。さもないと、我々がそりゃもうモノスゴいツケを払う羽目になるっていうか、まぁ確定路線ですよねこれ・・・。

2010-10-18

中国人女性の請求退ける 生活保護めぐり大分地裁

http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101801000156.html

憲法で定める生存権保障の責任は、一義的には国籍の国が負うべきだ。

生活保護法の適用を日本人に限定することは立法府裁量の範囲で、裁量の逸脱があるとは言えない」

2010-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20101012141911

ああ、残念だ。

まず、君の言うとおり、成果をあげている人間は限られている。

だからといって成果を上げていない人間をクビにする必要はない。なぜなら、その成果をあげている人間は、同じ組織の成果を上げていない人間によって支えられているからだ。二割の働きアリを避けたって、残ったうちの二割がまた怠けるんだよ。

だから、成果を上げていない人間をクビにする必要はない。日本では、雇われているという事実だけがあればよい。「雇用者ムラ」に属していれば社会通念上認められているので、ニートがどうこう言うぐらいなら成果が出ていなくても労働したほうがよいのである。

かしこ事実ニートは認めることができない。社内で成果を上げていない人間より俺を雇えよ、と吠えたところで、社内ニート超えられない壁ニートは確定事項なのだから。

社内ニートはもちろんニートがいるおかげで雇われたままでいられる。ニートが仮に皆自殺したとすれば、ますます消費は冷え込み、社内ニートニートに転落するだろう。そして、また成果を上げていない社内ニート誕生するのである。

ベーシックインカムを導入するということは、ニートニートのままにさせるということであり、それは基本的人権の尊重とは程遠い。

では、ベーシックインカムを導入しないなら、ニート生存権侵害されているか?答えはNOだ。

経済的に自立できていないことと、人権侵害されていることは、イコールではない。

ニートはこれまでどおり親のすねをかじり、親が死ね生活保護を受給すればいい。

それだけでいいのだ。たった、それだけで。

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101008142930

生活保護費を削ると人権屋が騒ぐばかりでなく、国際的にも生存権侵害だとみなされるおそれがあるから、単純にポスドクへの予算を増やす(他を減らさず)しか方法はないと思われ。

2010-08-17

問題と対策、そして次の時代の考察

不老長寿の時代は間違いなくやってくる。だが問題が一つある・・

それは、文明の発展を阻害する要因の一つ、老害だ。

老害高齢化が急速に進む今、間違いなく問題になってくる。

不老長寿が可能になれば、まず最初に利用するのは死を恐れる老人達だろう。彼らはだいたいが金持ちなので、若者と比べれば簡単に費用を出せる、病院にとってはありがたい客だ。

そうなると、老害いつまでも死なないということになり、今まで老害が死ぬことで前に進んできた文明が停滞する可能性が高まる。

老害過去に固執する性質をもつやっかいな人種だ。高齢化が進めば、確実に老害率も高まるはず。困った。

対策を少し考えてみた。

若者重視の政策をよりいっそう推進する。これがまず第一だろう。高齢社会とは子供が少なく老人が多い社会。ということは、手厚く保護されるべきは少ない子供。今までのように、5,6人産んで3人死ぬのが当たり前という社会ではないのだから、子供手当をはじめとして子供重視の政策は重要だ。

次に、体外受精の推進。現在はまだ発展途上だが、より優れた子供を産み出すデザイナーチャイルド社会にはたくさん必要になるはず。優れた人間がたくさん誕生すれば、老害社会から蹴り落とすことも可能なはずだ。

次に、それと関連したエリート教育の徹底化。哲人政治ではないが、社会は真に優れた人間が動かすことでより発展できる存在だ。現在エリート教育は行われているが、問題はエリートではない人間への待遇が悪すぎること、選択権がないことだ。私が描く社会とは、エリートだけが社会を動かすために要職に就き、それ以外の人間は就けないというものだ。もちろん、働かない自由も認められる。エリートではない人間達は一定水準の生活を保障される。現在社会は欠陥だらけである。まず、働かない人間を守る術がないこと。人権という言葉がにわかに注目を浴びてきてはいるが、それならば生まれてきただけで生存権完璧保証されなければならない。働かざる者飢えるべからずとは小飼弾言葉だが、本当に人権という概念を追求していきたいなら、人が生きるのに条件をつけてはならないのである。

そして、不老、若返り技術の発展が必要だ。老害がなぜ生まれるのか、簡単なことだ。老害は脳が正常に働かなくなっているから老害なのだ。つまり、脳の衰えを防ぎ、若返り出来るようなテクノロジーが求められる。

これはデザイナーチャイルドエリート教育によって発展することが望まれる。人権がますます強大な権利となれば人を殺すことは出来なくなる。加えて不老長寿技術がある。ならば、老害を排除するというより、無害化する方向に持って行くのが一番いい。罪を憎んで人を憎まずである。老害生得的なものではなく老化の弊害に過ぎないのだから。

こうして老害もいなくなり、人々は生まれながら生活を保障され、エリート社会を動かす。次の時代はどうなるだろうか。

エリートにも限界はある。エリートは所詮人間でしかない。人間機械には絶対に勝てない。だから、次は機械の時代になるだろう。

エリートは人を超える機械を作るだろう。人を超えた機械は、エリートという最後の人間を労働から解放する。そして人類労働から解放される。

労働から解放されれば娯楽の時代が到来する。現在も「暇つぶし」というジャンルの娯楽が存在するが、おそらくこの時代以降はすべての娯楽が暇つぶしとなるだろう・・

ものがあふれれば人は飽きやすくなる。たとえば今目の前に20枚の映画DVDがあるとしよう。正直うんざりするはずだ。それら全てはだいたい平均して1時間半~2時間人間を拘束する。よほどの映画好きでもない限り、1、2本観れば飽きてしまう。そういった時代がくれば、娯楽は使い捨てが主になっていくはずだ。

現在あるゲームがブームとなっている。それはソーシャルゲームと呼ばれるものだ。ゲームファンからすれば、なんだこれはと憤慨されそうなお手軽かつ短時間プレイ出来るゲームが大半を占めている。

ソーシャルゲームは隙間時間で楽しむことを目的としたものだが、未来の娯楽はこれに似たものになる。

ただし、このような不完全な娯楽ではない。VRが普及することでよりリアルに、臨場感をもってゲーム体感出来るようになるだろう。それも、ゲームセンターではなく個人の家で。

たとえば仮想空間で愉しむスポーツ。カーレースなどもいいだろう。このようなゲームは、いくら見た目だけを立体的にしてもしょせんはゲームでしかなかった。スポーツは体全体に楽しむものだからだ。VRによって、自宅にいながら大海原でマリンスポーツを楽しんだり、雪山でスキーをしたりということが出来るようになる。

それだけではない。リアルゲームといっても、能力が伴わなければつまらないものとなる。そこで、プロプレイ体感できるものが流行るようになるはずだ。以前世にも奇妙な物語殺人を追体験出来るメディア流行るという物語があったが、あれと同じようなものだ。現実にはありえないような巨大なゲレンデ縦横無尽滑るプロスーパープレイをまるで自分がやっているように体感出来たら、本当に気持ちのいい体験となるはずだ。このように、未来の娯楽はなるべく手軽で受動的なものが中心となっていく。

1年間に現代の5年で作られる全ての娯楽作品が消費されるような時代になるだろう。芸術というジャンルは生き残るだろうが、規模は小さくなるだろう。人々は娯楽を高尚なものだとは思わない。娯楽とは使い捨てるものである。そこには誰でも気軽に作れるようなテンプレートが出回り(現在RPGツクールのようなもの)、星の数より多くの娯楽が出回るだろう。

それが良い時代か悪い時代かは分からない。

2010-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20100810184914

女に生存権なんて必要ないと思います。

民主主義の国の人としてどうかと思うほどマッチョな発言をありがとう。

http://anond.hatelabo.jp/20100810183040

中古女なぞ、どこぞで朽ちて死ねばいいだろ。

自分の行為によって、女性から生存権を奪ってもいいと。

2010-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20100716025146

どんなに人権を守りたくても、生存権ばかりは、国の財政が傾いていたらできない。

やるんだったら、人権どうのこうのの前に、少子化対策と、経済対策をなんとかしないとどうにもならない。

 

国際社会なので、大企業お金持ちほど、国を選べる。法人税の安い国ほど工場がどんどん立って、経済に活気が出ている。

人件費人件費いわれているけど、今のハイテク産業日本に来ない理由のNo1は法人税法人税7%の国と、法人税40%の国があって、

法人税40%の国で工場を作ろうと思う奴はレアだよねぇ。ちなみに中国外資の優遇税制で15%ぐらい。

だから、工場外国、売るのは日本という図式になって、消費ばかりで産業がなく、失業率が上がっちゃう。

だから、諸外国日本工場を作らない。日本企業ですら海外工場生産しちゃう。

今の日本企業は、外資に参入されないようにバリアー バリアー また、バリアーの鎖国政策で、企業誘致と言っても国内企業の誘致合戦

他の国なんかは、国レベル企業の誘致合戦をしているのに・・・。

 

少子化対策もしない、企業誘致をして失業率を下げようとしない。それじゃぁ、この先、どんなに人権啓蒙しても・・・

2010-07-11

id:y_arimですが、生活保護受給者の就労率について少し調べてみました

http://anond.hatelabo.jp/20100710114808

つーか、根本的に勘違いしているようだけど

生活保護受給者の多くは働いてるよ。

働いていないのは病気等で働けない人だけだ。


http://anond.hatelabo.jp/20100710124911

いや、君がカン違いしてるんじゃないかな。

生活保護って働くとそれだけ受給金額が減るから大半の人は働いてないよ。

生活保護受けて働いている人なんて数パーセント

そもそも働ける人はほとんど生活保護通らないんだから。


どっちが本当なんだろう? と思って調べてみました。とりあえず「生活保護受給者 就労率」でGoogle検索

生活保護制度における就労支援の有効性と生存権の保障 http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~tetsuta/jeps/no5/Miyamoto.pdf

(以下、強調は引用者による)

生活保護受給者等就労支援事業活用プログラムへの参加者2006年度で、全国の支援開始者数は9129人、就職者数は5535人で就職率は60.6%ととても高い25。しかし支援開始者数は約9000人という数字は全受給者約108万人の約0.8%、20歳~60歳の被保護世帯人員の約2%でしかない。

25とあるのは「総務省(2008)「生活保護に関する行政評価・監視結果報告書」『公表資料』」に基づいていることを示す脚注番号。

保護者全体に占める参加者がこれほど低い理由は、この生活保護受給者等就労支援事業活用プログラムへの参加条件4つを満たす人がそもそも非常に少ないためである。

保護世帯高齢者・傷病者・障害者世帯で約80%を占めるので、就労支援の対象は母子・その他世帯の約20%が中心となる。そのため本来就労できる状態である人自体が少ない。そのような中で生活保護受給者等就労支援事業活用プログラムは参加条件が厳しく、参加できる者が少ないばかりか、就職支援ナビゲーターによる支援やトライアル雇用等の常用雇用採用の実績も極めて低い。特にトライアル雇用は事業者のニーズが少なく、若年者を求める傾向が強いため効果があるとはいえない。

厚生労働省は全国母世帯等調査結果報告で2003年度の母子世帯数を約123万世帯と推計している。2003年度時点では83%の母親が就業しており27、2006年度の調査では84.5%に増加していた28。全母子世帯のうち生活保護を受給している母子世帯2006年度で9.6%、そのうち就労している世帯は49.2%にもなる29。

27~29も脚注番号。

 以上の文章から考えるに、20100710124911の文面とは異なる理由で、非就労世帯が多いのではないかと推定されます。より詳しい方の情報提供求む。

2010-06-23

安楽死施設の設置は国家の義務である

生きていると同時に死ぬことはない。

それが道理である。

たとえ死病に罹った病人でも、

致命傷を負った重傷者でも、

ビルの屋上から飛び降り自殺志願者でさえも、

脳や心臓が停止するまでは、まだ死んでいるとは言えない。

死にゆく彼らは生きているはずである。

であるにもかかわらず、政府自殺志願者の把握を怠り、その自殺環境の向上に努めようとしない。

政府が労を惜しまなければ、彼らはより安らかに永眠できたはずである。

考えてみれば、これは生存権の否定ではないのか。

憲法の下に安らかな生活を保障されているならば、安らかな死に際もまた保障されるべきである。

よって、私はこう提言する。

政府は速やかに安楽死施設を設置すべきである。

もちろん、無条件に自殺を肯定しているわけではない。

志願者の話を聞き、その生活環境に問題があるならば解決できるように手を尽くす。

頭の悪い自殺抑止キャンペーンよりは、よほど直接的に自殺者を減らせるはずだ。

いざ自殺が決まった場合でも、弁護士アドバイスを受けつつ身辺整理を行えるのは一つの利点である。

遺族の争いを減らし、他殺か自殺かも分からない状況を防ぐことができる。

病院での検死や警察による捜査不毛裁判

安楽死施設があれば、そうした無駄を削減することができるのだ。

もちろん、不治の病に苦しんでいる人に、安楽死という選択肢を与えることも重要であるし、

ニート問題・高齢化問題に対しても、安楽死は一定の効果を及ぼすだろう。

安楽死施設の設置には多くのメリットがある。

望まない自殺、必要のない自殺苦痛の多い自殺を取り除くためにも、

一刻も早い安楽死施設の設置を望むものである。

2010-06-13

競争社会における自殺

競争とは本来互いに争い、富や権力を奪い合うものだ。

いつの頃からか日本では、和の精神よりも競争が素晴らしいもの

のようになってしまった。

人間社会において競争に負けるということは富にアクセスする手段を

失うことを意味する。富とはお金である。

お金によって衣食住を手に入れなければならないのが、人間動物の違いである。

お金がなくて衣食住を手に入れなれないということは生活に困窮して餓死するしかない。

その過程で様々な苦痛が伴う。いくら空腹でも他人のものを盗んでも食べてはいけない。

人間は、競争によって直接命を取られることはなくても生活できないことから苦痛

伴い次第に死んでいく。

生存権を拠り所に生活保護を申請すれば生存できるが、負けた人が

続々と申請することで国も次第に税金を食い潰し衰退していく。

多分、現在日本は衰退期に入っているのではないだろうか。

かといって、苦しみに耐えきれない人々が次々と自殺して死んで行くのを

人権、人道上憲法上、容認できない政府勝ち組でさえも自発多発社会の状態を

目の当たりにすることにより競争によって負けたらどうなるか?と不安になり

競争社会の恐ろしさを思い知る。

この恐怖心により連鎖的に経済活動に変調をきたさせることになって

人々を節約へと導く。モノが売れないからますます競争が激しくなる悪循環

2010-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20100602090931

現代においては、だよね。

表面的な生存権はあるけど、人として扱われるかってーと微妙じゃん

そういう意味で実質ないよね。

2010-04-29

給与水準の話題は? 拾わないの?

給与水準の話題は? 拾わないの?

事業仕分け対象の法人天下り連中。

給料高い高いと言われているけど、大企業の平社員並みじゃん。

業界によっては中堅くらいの会社でもそんなもんじゃない?

 

民間と対比したら、結構良心的なんじゃないの?

 

 

かたや民間と言えば、銀行は大抵のことでは国費投入で守ってもらえる官業同然の組織だし、規制事業は新規参入なしで脅威がないから親方経営続けられるし、グループ会社は、そうとう無茶な経営で損失出しても子会社負債被して潰せば本体守れるし。

 

情報公開制度前後して、そのブラックさは官から民へと移っているってのが実態だろう。

 

 

そもそも、橋本・小渕の行った改革は、その民間の、末端にしわ寄せすれば、グループ企業が絶対に「倒産しない仕組み」をこそ壊そうとしたんだけど、唐突に死んじゃったし…。

 

その後はご存じの通り、小泉改革で手枷・足枷を外して(規制緩和)もらった大企業が、市場を自由に食い散らかしている。

 

 

もはや、独法だとか、天下りだとか以上に、民間の権力者団体の方が、大衆にとっての驚異だよ。例えるなら、「国=中央教会企業=王政、正社員=先兵、派遣農奴

 

みんなの党なんかの天下り批判なんてものは、教会権力を王政が収奪してしまえ!みたいなもので、大衆にとっては、残された僅かな富を生存権をかけて奪い合う世界が待っている…と思われるけど、たぶん彼らはそこを支持する。バカだから。安心だね。

 

これで「日本」は守られる。その日本とは、おそらく年収1500万以上の人間

 

http://anond.hatelabo.jp/20100426003307

2010-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20100123003102

死にさえしなければどんな扱いされてもいいってのなら、な。

最低でも、生存権の保障があることとは、既にいってある。

で、「“最終的に”命運を」と言ってる奴って誰?

誰かがそう言ってるから「俺は従わないぜ!」と言ってるわけだろ?

大元増田のとこにある。

謗られたら正当性は確実に薄まるのか?

謗られたらじゃなくて、統治者としての責任を放棄したら。

つか、誰が謗るんだ?

良識を有する人なら誰でもいいよ。後世の歴史家とかでも。

たとえば前述のダルフール問題で誰かスーダン政府を謗ったか?

謗ってスーダン政府の「正当性」はどれくらい薄まった?

民族浄化が完全に止まるまであとどれくらい薄める必要がある?

前提が誤り。とりあえず一般論でしか答えようがない。

国民生存権も保障できないような国家は、国家として正当性があるのか?

「正当性」の厚薄はある状態に対する評価であって、それ自体は事象を作り出すものではない。

正当性が薄まるのは統治者にとって確実にペナルティたり得るのか?

後世の歴史によって裁かれることにはなる。

話にならん。

そりゃ、価値観が違ってるんだから、程々のところで折り合いをつけないことには、まともな話になるわけがない。

2010-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20100122010503

いや、だからなんで避難すべき災難もないのに、逃げる必要があるの?っていってるんだけど。

別に、新しい体制下で生きてたっていいじゃないか。

生存権すら保障されないというなら、災難といってもいいけど。

そんなことをしたら、世界を敵に回すようなもんだけどな。

大日本帝国の臣民は、皆命運を共にしたのか?

大多数が日本国民として出直しただろ。

2010-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20100118175600

キサマは想像力が足りないな。もっと恐縮しろ

一応県庁所在地知事公館や野球選手が住む高級マンションのある住宅街でそのザマですよ。

男のブサイクは大手を振って愚痴り嘆きしているが、女のブサイク生存権すら認められていないの

2009-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20091227104143

「個人の偉さが集団の偉さを支えている」と見るか(私はこちらだけど)、「個人は偉くないが集団になったら偉い」と見るか(そういう人が少ないとは私は思っていない)、の違いだと思う。後者の人に対して人権常識として通じさせるのは常に何らかの難しさをはらむだろうな、と。個人の尊厳普通国家と個人の関係だけど、さっき言った後者の人が国家の主な層だったら、個人の尊厳保護されるかどうか危うい。

私の表現で言い換えれば「個人の尊厳という考え自体を全く受け入れないような人種」が(少なくともこの国には)少なくないというのがあなたの認識だというのはわかった。

だが、それで本題のはてなサヨクにどうしろと言いたいのかがよくわからない。

個人の尊厳を互いに認めることが前提になるのが近代市民社会というものだとすると、この国はまだ充分に近代化していないのだから、サヨク近代化を前提としてモノをいうのをやめて、まず残存する前近代的なものを解体していくところから始めるべきというなら、(古典的な二段階革命論だけど)理解できる。

「長いものに巻かれろ」的な処世訓から、はては「万世一系皇室」や「とてつもない日本」への同一化にいたるまで、「個人は偉くないが集団になったら偉い」と人々に感じさせている何かを解体していき、薄めていくことは必要な作業だろう。

それは実際、サヨクのやっていることでもある。

それらを抜きに例えば所得資産の再配分や生存権の保障だけを求めても、どこかで壁にぶつかるだろうとも自分も思っている。

それはまた、あなたのいう「教育や異文化交流の構え」にも合致するかもしれない。

ただ、あなたは末尾で

私は保護したい。だが自分意見が万人に通用するとは信じられないだけだ。

と書いて、結局のところ宿命論に陥っているように見える。

要するに、あなたの思考は

「個人の尊厳保護されるかどうかはその国の主な層の信念(個人の尊厳重視か、ヒュ-リスティクス重視か)による」

自分は個人の尊厳を信じるが、その信念は万人に通用するようなものではない」

「他人の信念は変えられないので、もしこの国の多くの人が個人の尊厳を信じないなら、自分観念してそのような社会に住むことを受け入れるしかない」

ということになっているのではないかと思うのだが、違ったら指摘してもらいたい。

2009-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20091107121846

無理やり乗せてるわけでもないのに鉄道や国のせいにするのはおかしい。自殺しておきながら生存権保障しろというようなもの。満員電車になるのは乗る人が多いから。乗る人の責任が最も大きい。

2009-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20091024050217

倫理は2人以上の人間が集まるときに生じるゲームルールにすぎないからその通りで、人権生存権といった自然権も全く同様だ。

ただし人の数が1以下になるまでそれはなくならんぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20091024044624

倫理は2人以上の人間が集まるときに生じるゲームルールにすぎないからその通りで、人権生存権といった自然権も全く同様だ。

ただし人の数が1以下になるまでそれはなくならんぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20091023233034

横だけど。

生存権とか社会権とかは当然全ての人に平等に確保されなければならないけど、それはあくまで「最低レベルは」って話。

この手の話は「最低レベル」の定義が人によって全然違うからすれ違う。

衣食住を確保出来ない人に、その為の金が保護で渡されるとして、その額に限度があるのは当然。

生活保護されてる人が焼肉食っても全然構わないけど、それで生活費が足りなくなったから更に金くれってのはおかしいだろ。

その額が幾らにするか、どう確保するかは、それを用意する側(国や地方自治体)が考える問題。

その額の中でどう生活するかは、保護される当人が考える問題。

「いや、おかしくない。100万でも200万でも欲しいだけやれ」って人は、保護と名が付けば神様お金を降らせてくれると信じてるとしか思えない。

国だろうが、社会だろうが、会社だろうが、原資は限られていて、無い袖は振れない。

2009-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20091023222233

まともに収入得られない人が人並みの暮らしができると思うことはおかしいと思おう。

ええー?生存権社会権に関して元増田がどのような意見を持っているのか聞いてみたいな。

「人並みの暮らし」をどのように定義するか、にも拠るけど、そこの定義にはっきり言及せずに無邪気にこういうこと言うのはちょっとどうなの。心情的にはわからなくもないけど、そういう心情をそのまんま社会に適用しようとすることは凄く危険なんじゃないかなあ。そういう「素朴な感覚」みたいなスパルタ式思考は、社会全体をまとめて地盤沈下させていく可能性を孕んでいると思う。庇護を求める層への救済を減らす態度は、庇護を求めなければならない層を減らすことには繋がらず、むしろ庇護を求めなければならない層を再生産することに繋がるのではないかしら。

今、生活を守るとか安楽に暮らすって基準が上がり過ぎだと思う。

社会進歩すれば、その分基準が上がるのはごく普通のことじゃないかなー。例えばPCであるとか、携帯であるとか、そういうツールに対する適性は現代社会を生きて行くに当たって非常に重要技能だと思うのだけど、基準を低く保ったままでは、より酷い技能しか持たない人しか生まれないわけで。元増田が問題視したような旅行・化粧などはこういう技能には当たらないだろって反論も返って来そうだけど、文化的な素養・経験も一つの技能としてみなしうると思うし(ていうか、旅行はまだしも、化粧は職業上必要になってくることもあるわけで…そういう社会のありようをどう考えるかはまた別の問題だけど)、スポ根じゃねえのだから、貧乏人は焼肉とか食ってねえでガマンしろよ、みたいなのも歪んだ社会観を抱えそうでやだな。別にいいんじゃないの、焼肉ぐらい食っても。ていうか、そりゃ焼肉食ってるところだけ見りゃ腹も立つかもしれんけど、そういう貧乏人がそれ以外のところでガマンしてないという保証もないわけで。いちいち道徳的に非難する意味はやっぱりよくわからん…。

あと、オチの文章もどうかなあ。

普通に勉強して並より上の大学行って普通に働いて家族養いたのに、なんでバカのために税金使われなあかのやって」

もっと頭のいい、優秀な人から同じことを言われたときにも、それを受け入れるつもりなのですか。

2009-09-30

ガンパレード・デスマーチその2

http://anond.hatelabo.jp/20090930132759

ああ…そうだ。

それから、これは一応言っとくがナ。

「いいえ」と言うな。断るときは、「はい、いいえ違います」と言え。

会社で上の命令は絶対だ。意見することは許されない。

「いいえ、僕は帰りたいです」、

この一言を絶対に言わせないためにな。

本質的人間が本来持っている生存権を奪う組織だ。

労働基準法がどうとか、休日とか人が持って当然のことが、ここじゃ許されん。

それが許されたら、誰も仕事しなくなる。

誰も納期を守ろうとしないだろう。

命令は絶対というのはな…、

結局そいつはな、使命感のない普通人間が、会社利益の守り手、

経営者を守る最後の一線となるための必要悪だ。

選ばれてない人間が、社畜となるために、それを無理矢理強制させられる。

…お前達が普通プログラマである限り、命令は絶対という会社の基本的な規則は変えられないわけだ。

今のところ、永遠に見込みがない。

人間はそんなに簡単に社畜になれん。

プロジェクトの為に、個人が死ぬような、そんなことには。

だから強制されねばならんのだ。

スーツが言うことも分かるサ。

ギークが言うこともナ。

だが…いや、もう一つ教えとく。

実装する前に考えろ。

実装するのは、考えたり反省したりした後でも出来る。

お前達は警官でも思想家でも平和運動家でもない。プログラマだ。

目の前のバグを潰すまえに、バグがなぜ起こるか考えろ。

生き残ってプロジェクトの後、反省して二度とこの騒ぎを起こさないように考えろ。

考えなかったら、死ぬぞ。いいな。

死んだ社畜より、生きた悪党になれ。

これが、俺の先輩らしいただ一つの教えだ。

2009-08-31

俺の昔話でもしてみるか

http://anond.hatelabo.jp/20090831052505

あれは10年くらい前か。

当時「児ポ法改正反対運動」ってのがあって、俺もそれに参加していた。

●「児ポ法」が改正されたら、どんなマンガであっても(「ドラえもん」であっても!)国家権力恣意的に取り締まることが出来る。

自民党は「児ポ法改正」なんて言ってるが、実態は将来の表現物規制への布石に過ぎない!

●その裏では、オタクを嫌っている創価学会統一教会PTA主婦連日本ユニセフ等が日本政府に圧力をかけて、自分達の気に食わない俺たちオタクを排除しようとしている。

●この法案が通れば、どんなマンガであっても警察恣意的に「これはポルノだ」と言い張れば逮捕投獄が可能になる。

こんな事がまことしやかに喧伝され、俺もそれを無邪気に信じていた。

俺にとって、マンガアニメを奪われることは、即ち俺自身を否定されることにも繋がっていた。

だから俺は反対活動に参加した。

会社内でビラを配り、前に居た会社に出向いていって元上司にビラを渡した。

反対署名にも名を連ね、友人や同僚、家族にもしつこく署名を求めた。

選挙では、児ポ法改正に反対を表明していた民主党に一票を投じ、また周りの人間にも民主党への指示を求めた。

でも、周りの反応は冷ややかだった。

人達は「そんなこと起こるわけないだろ」と俺の不安を一蹴し、歯牙にもかけてくれなかった。

会社では上司に「会社内で政治活動をするんじゃない!」と釘を刺された。

両親からも「おまえは政治に利用されているだけだ。頭を冷やせ。」と一喝され、俺の言い分なんか聞いてもくれなかった。

それでも食い下がった。

友人には必死で頭を下げて「ここで自民党が勝ったら俺は警察逮捕されてしまう。頼むから民主党に入れてくれ!」と頼み込んだ。

両親にも必死で電話し「このままじゃ俺は社会から排除されてしまう。民主党に入れるのが嫌なら、頼むから自民党にだけは入れないでくれ!」と、涙ながらに訴えた。

当時の俺はそこまで追い詰められていた。

児ポ法改正反対闘争は、俺にとっては即ち自分自身の生存権を掛けた闘いだった。

これに勝利することが俺自身が世間に受け入れられるために絶対必要不可欠なことであり、敗北は即ち俺自身が世間から「必要のない人間」として排除されるべき人間であると言う事を意味した。

だからこそ必死だった。

生きるために!己の存在意義のために!!

でも、相変わらず周りの反応は同じだった。

俺がどれだけ熱っぽく訴えても、泣きながら頭を下げても、誰一人として俺に賛同してくれる人間は居なかった。

そしてそれは、即ち「俺自身が世間に必要とされていない」という結論に繋がった。

「あいつらは俺が警察に捕まればいいと思ってるんだ」

「俺みたいな人間社会から抹殺したいんだ」

「もし何がしかの冤罪警察に捕まっても、誰一人として俺を庇ってくれる人間なんかいないんだ」

会社の人も、友達も、親ですらも、腹の内では俺が警察逮捕されることを望んでいるんだ」

そんな嫌な思いが、俺の頭の中を一杯にしていった。

そして俺は挫折した。

毎日毎日、世間を呪い続けた。

同僚を、友人を、両親を恨んだ。

日本ユニセフを、PTAを、アグネス・チャンを恨んだ。

政治を、自民党を、小泉純一郎を恨んだ。

警察を、そしてそこらの(何の関係もない)主婦達を恨んだ。

日本を、そして世間を恨んだ。

仕事も手につかなくなり、何も考えることが出来なくなった。

朝は4時くらいに目が覚め「あぁ・・・また今日を生きなきゃならないのか・・・嫌だなぁ・・・」という思いが延々と頭から離れなかった。

夜も「誰も俺を認めてくれない。いや、むしろ俺が逮捕されて世間から排除されることを望んでいる。」という思いが頭の中を駆け巡り、ひたすら泣きながら過ごす日々が続いた。

1人でいると恐ろしい不安に苛まれ、毎晩のように友人や両親に電話して、泣きながらその思いを吐露し続けた。

原付通勤している途中「あぁ・・・このままスピードを上げてどこかにぶつかれば、俺はもっと楽になるのかなぁ・・・」という思いに囚われることが多くなった。

カッターナイフを見ると「このまま手首を切ってしまった方がいいんじゃないんだろうか・・・」という思いが頭を巡った。

生きる気力が、完全に奪われた。

結局、その後精神科に行き「軽度の鬱病」と診断された。

毎晩パキシルを3錠ずつ飲み、月に2回病院へ通う日々。

そのお陰か、随分と精神状態も回復していったものの、本調子に戻るまで2年もかかってしまった。

結局、俺は下手な政治活動に足を踏み入れたことで、俺の人生の貴重な2年間を無駄にしてしまったわけだ。

このネトウヨ君も、同じなんだろうか。

俺と同じように半端に政治を聞きかじり、それを自分の中で過度に内面化しすぎているだけなんだろうか。

自分自身の自己評価の低さを、政治活動を行うことで埋め合わせようとしているだけなんだろうか。

そして、そんな「自己の存在意義への不安」を、そのまま政治闘争に利用し(利用され)ているだけなんだろうか。

何か人事とは思えないから、ここで書き連ねてみた。

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