はてなキーワード: 特定避難勧奨地点とは
どうも南相馬市民です。
震災前後は東京で暮らしていたけど思うところあって戻ってきて1年が過ぎた。
ここで暮らしていると県外の温度差だけではなく、行動でも温度差を感じます。
たとえば20キロ圏内の『警戒区域』の人と30キロ圏内の人『緊急時避難準備区域』と30キロ圏外という南相馬市に至ってはおおまかに3つ
さらに特定避難勧奨地点、さらに昨年4月は警戒区域の中でも避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域と本当に細かく細かく分断されていてここに暮らしている自分らですらわかりません。
・沿岸部でも線量が高いと言われる山間部以外の地域は、ほぼなんともなく暮らせている
・地元民でも親戚が亡くなった人とかいない限り、海や山の仮置き場を見ない限り被災地を忘れ始めている
という声が多い。
沿岸部でも家を流された人たちがすでに家を作り始めたり、県外に移住したりという状況
ただ家が完成するのは相当時間がかかる。このへんの事情というより地方の問題として震災前が建設業や土木業が不景気だったのでどの会社も人を削減していた中だったのでどこも少人数しかおらず慌てて募集をかけているが、追いつかない現状がある。
警戒区域の方は借り上げ住宅、県外に避難、仮設住宅に暮らしている
家を片付けたくても仮置き場が決まらずゴミの回収がつい最近までできなかった
同じ町の住民でも仮置き場や放射能物質について意見が割れてしまい仮置き場が決まらない現状だけどいつまでも批判したりしてもしかたないと思う
30キロ圏外はどうなんだ?という声ですが
30キロ圏外は震災直後から30キロ圏内と20キロ圏内を受け入れたのに医療費控除など同じ街なのにサービスが受けられず更に有無をいわさず受けれたので亀裂が生まれた。お金って怖いよ。賠償金と家に戻れないストレスからスーパーに行ってありったけのものを買って仮設に帰る人を見た人もいる。
けどここの人らは基本震災前であれば表立って騒がなかった。しかし震災後本当に色々な騒動が起きている。
震災直後はここに住んでいる人らに聞いても誰一人悪く言わなくてありがとう!!が多かった
しかし震災1年を過ぎたあたりから『俺らは支援に来てやってるんだ!!』、『大学や高校の夏休みでボランティアに来ました』など明らかな自分の不安を満足させたり、自己の成績・成果を求める人らの活動場所に変わっていた。その頃から仮設住宅以外ではライブや展示会が多くなり、仮設住宅では代わり代わりの支援。そこも仮設住宅とそうじゃない借り上げや家がある人らと気持ちと考えの分断が生まれた。自立したくないのか?という声ともらえるものはなんでももらおうという考え。それで免疫がついた地元人らが支援者をうまく使いものやNPO、一般社団法人を立ち上げた。中には暑い思いで仕事をやめて立ち上げた優秀な方もいたが大半は若い方が社会起業家なるものを目指して立ち上げたものばかりだった。震災から2年を過ぎて露骨にNPOなどの団体に対して嫌悪感を持つ市民が増え始めた。特に地元民のNPOや一般社団法人も様々な内紛の声が外に漏れたりお金の話(助成金)で離れていく声が増えてきた。
私の一意見になっちゃうかもだけどここの野菜は基本放射能測定しないと市場に出せないから福島県外の野菜よか数字は見える。
100ベクレル/キロという意見もあるけど、よく冷静になって考えて欲しい
1回の食事で1キロ食べるものは何だ?トマトを食べるか?キャベツを食べるか?ナスを食べるか?
むしろそういう人がいたら教えて欲しいんだ。で内部被曝というけど内部被曝で数字として現れるのはもうわかってきている
測定をしないで市場に出ていない野菜や米を自分で作ったり購入した人らだ。
私なんか測っているものを気にせずに食べているが体にも異常がないし健康そのものだ。
むしろ1つ目に上げたことが目障りでストレスになっているのがあるだけで・・・
ながながと書いてしまったがもし聞きたいことがあったら書いてくだされ