はてなキーワード: 学園祭とは
行ってみて驚いたのが、イケメンと可愛い子しかいなかった。 顔が・・・というわけでなくて持ってるオーラが。
んな分けなかろうと思ってずっと人見てたんだけど、みなすべからくイケメンオーラだった。
オーラだしてない人は100人いて1人いるかいないかくらい。
最初、今の大学というか中○ってレベル高いなと思ってたんだけど、途中で気が付いた。
自分が大学時代、学園祭なんて休みだーと考えていたことを今更ながら思い出した。 そして一度も参加してないことも思い出した。
僕はここにいてはいけない人間なんだ感に襲われて帰りたくなったが、用が終わらないので帰れない。
端っこに座ってボーっとしてたら、ライブやってる所から、「一億年と二千年前から・・・」と聞き覚えのあるフレーズが流れてきた。
イケメンは流行ったら即僕らの大事なものを奪っていくなあと思いながら聞いてたら、
次に聞こえてきたのがロックマンが倒せないだった。
これはと近くに行ってみると、いかにもな僕らの友達が必死に演奏していた。 観客は・・・特に感情を見せてなかった。
1人だけノリノリがいたけど。
こんなにもアウェイでがんばってる彼らにちょっと感動して、あと二度と来ないのも分かっていたので、
ロックマンとその後のおっくせんまんを一緒にどなって、最後に、「ニコ中乙」と掛け声をかけて帰ってきた。
やぼ用はまた今度になった。
追記
行ったのは八○子。
端でがんばってる人と同様に、あの空気の中でがんばってる人もいるから、棲み分けって言われるのはちょっと。
あとリア充といってはいるけど軽視はしてないです。むしろまぶしいです。 まあ色々とすまん。
ニコニコ探したけど それっぽいのは無かった。
今頃の時期は、当時入っていた音楽サークルで学園祭の準備をしていたころだったろうか。
グループを組んで、毎日毎日練習を繰り返していた。
大学の近くの公園や、バンドのリーダーの家で集まって、同じ曲を何度も演奏した。
うまくいかず、少し摩擦が起きることもあったが、目標を同じくするメンバーとして仲良くやっていた。
11月の学園祭をやり遂げたのち、同じメンバーで次の発表を目指した。
しかし、この辺りから徐々に不協和音を奏で始める。
実力がないやつ(自分)。
練習に遅刻するやつ。
バイトが忙しくて参加できないやつ。
バンド内で付き合うカップル。
始まらない練習。
目に見えて雰囲気が悪くなり、口論の回数も増えた。
日をかさねるごとにそれは激しくなる。
ある日、練習場所に使っているリーダーの部屋で、遅刻したメンバーを待っていた。
しかし、1時間ほど待っても来ない。
空気の悪い中、待っている時間が馬鹿げているように思えて「馬鹿馬鹿しい」と呟いた。
聞いたリーダーは「じゃあもう辞めるのか?」と返す。
「ああ、もう来ない」そう答えた。
逃げるように部屋を飛び出す。
ドアを閉めたあと、リーダーが「死ねぇぇぇ!」と声を張り上げて、部屋のドアに何か投げつけた音が聞こえた。
その後、最後に一度だけ集まって話し合ったが、なにも状況は変わらなかった。
リーダーと電話で話すこともあったが、お互いの主張を聞き入れず、罵倒しあうだけの結果になった。
暗い部分を持った思い出ではあるけど、これも悪い思い出じゃあない気がする。
自分たちの幼さが強烈にぶつかりあって、その結果が悪い方向に行ってしまっただけ。
今の自分を作り上げた、なくてはならない経験なんだろうなと思う。
バンドを抜けた僕はサークルを辞めて、以降バンドのメンバーとは会っていない。
多分みんな社会人になっているだろう。
最低な別れをしたのに、今もう一度会いたい気もする。
やっぱねぇ、初めからこうなるって事を考えるべきだったんだと思う。
企画担当になったのはいいが、企画関わらないサークルの他の人は企画に興味ないんだろうな。なに投げてもレスポンスなし。
先輩曰く「前からそうだった」らしいが、もうそろそろこの体質どうにかしたほうがええんとちゃう?
他のサークルのこと知らんけどさ、学園祭に出展するサークルが自己満なぁなぁでやってる状況はまずいだろ常考。
自分で蒔いた種、他人がくれた種とは言え植えたのは俺だ。俺が責任取らないといけない。
それでも…サークルって連帯責任やんなぁ。まさかこれから学園祭でやろうっていう企画が個人責任だなんて思っちゃいねぇよな?
終わってから「今年の企画担当はダメだったなぁ」なんて言うのは勝手だ。ただな、サークルのヤツが言うのは正直ゆるせねぇ。
上回生ならこれ以上企画関わること無いからって理由で逃げるだろうけどさ、てめぇら後輩の土壌潰すことになり兼ねないのわかってんのか。
そんな意味も踏まえて、まぁ今年は最低のモノができあがるでしょう。企画担当の俺が言うんだから間違いない。当然後輩には以降辛い状況が待ってるでしょう。だからこそ、俺はどう責任を取るべきか。
# ただな、後輩に仕事頼んで返ってこなかったこともあるから少し「ざまみろ」って思ってるところもある。まぁ狭義の自己責任だ。
安倍さんの辞めない姿勢、俺は少なからず評価している。辞めて責任取るのは正直「逃げ」だ。一番やっちゃイケナイコトだ。
とは言うものの、それ以上そのポストに置いちゃ後々もっと酷いことになるから、辞めることが最善の選択なのかもしれないが。
だからこそ、安易に「辞退」って選択肢を出しちゃいけないと思う。刑務所に入れるより奉仕活動。晒し上げでも構わないが社会の利にならんからなあれは。
とまぁだらだら書いてるこれも意味があるのかねぇ…俺が4回生になってサークル辞めてから、この内容を内部告発ちっくに流したら少なくともサークルと学校に影響出るでしょう。サークル潰しかねない影響がねw
そんなこんなで、匿名ダイアリー。気兼ねなく書けるんだが、これ、2ちゃんとあんま変わってなくね?
このことから、"オタク趣味"も、若いころからはじめて、一生続くものである、というのはある意味当然の帰結、と言えなくもない。
激しく同感。
元記事の【オタク中年化問題】がピントずれすぎ。
そもそもの発端である「いよいよ苦しくなってくる筈だ」という定義がおかしい。
いままで夏休みできたのだから、じいさんになるまで夏休みだよ。
いいじゃんモラトリアム。ビューティフルドリーマーの世界に入っちゃった魔法使い達は一生学園祭の前日を続けるぜ。
なぜ今になって「苦しくなっているか」についての説明が弱すぎる。
親の年金をお小遣いにもらいながらのニートなんていっぱいいるぜ?
ちなみにオイラは高齢化万歳と考えてる!
目に優しいアニメとか出るといいね!
文字が大きくて読みやすい漫画やラノベ…あ、ラノベは元々すかすかで読みやすいか。
そろそろ会社でも中堅で、部下をもつかーという年頃のオイラがまさか出版社の編集さんと打合せをしているとは同僚も知るまい。
いいじゃん、お声がかかったんだから!
がんばるよ。モラトリアム。
元エントリの筆者の認識は基本的に事実に基づいているが、大学の自治会を偽装していた極左暴力セクトの実態は、単に学園祭パンフの売上を搾取する金銭的な悪事以上に、セクトの活動に批判的な一般学生に対する暴力・つきまとい・恫喝・威嚇脅迫・下宿を突き止めてポストから郵便物を盗むなど、歴然とした犯罪行為が、自治会非公認化以前の大学キャンパスでは公然と行われ、しかも事なかれ主義の大学経営陣によって見過ごされていたのである。
サークル文連の会費や自治会費の代理徴収・配分などの「利権行為」に少しでも疑問を呈した学生は、教室間の移動などで一人になったタイミングを見計らって尾行していたセクトの活動家数人に取り囲まれ「自治会室」に拉致され、吊るし上げをくらい、時には犯罪者が個別特定できないように数十人の学生で囲んで殴る蹴るの暴行を受けるといった非道がまかり通っていた。それを告発しようとした学生部長の自宅の電話は盗聴された。これらは裁判でも明らかになった事実である。
この問題を単に右翼左翼の問題と捉えるのはそれ自体が欺瞞であり矮小化である。右翼であろうが左翼であろうが、これは歴然とした政治テロである。学生、ひいては社会の支持など失って当然。その現実から目を背けるのは、要はそうした運動組織が存続しなければ飯の種を失う専従活動家の生活手段を守るためのデマゴーグでもあるのだろう。
匿名の臆病者なのでhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070613/1181743125を読んで思ったことを増田に書く
この記事ではまるで政治活動があったから自治活動が潰れたと言っているが、それは全くのデタラメだろう。不透明な資金の流れはどんな団体でも起こりえるし、実際に潰したのは大学当局だし、一つの自治会がダメだっただけで他の全ての自治会がダメだとレッテル貼りをするのは単なるその話を聞く学生の馬鹿さ加減が原因だ。だがしかし何故その様な政治活動を否定する為のデタラメ論理が構築されなければならなかったのだろうか?
いわゆる自治会潰しの時代、1997年前後に早稲田大学に通っていた学生は、学校側の自治会潰しをそれほど問題視していなかったように記憶している。自治会の大半が某新左翼のフロント団体みたいなものだ、というのはほとんどの学生にとっては常識で(っていうか、さっきまで自治会のビラ配ってた人が、『解放』の号外をサークル机に置いたりする姿見れば普通にそう思うよ)、統一教会系のオルグサークルと同じくらい「うかつに近寄らないほうがいい」組織だと思われていた。
とはいえ、そういう「出自」を除いたところでも、学生はあんまり彼らに同情的ではなかった。それには二つの問題点があったからだと思う。
まずひとつは彼らが上記エントリのいう「世界」のために戦ってはいたが、われわれ=学生のためにはほとんど戦ってくれないように見えたことだ。彼らは毎週キャンパス内で集会を開き、アメリカの帝国主義的なイラクへの介入・制裁を弾劾し、それに追随して侵略戦争に加担しようとしている日本政府を批判していた。そして、年に何度かは、北海道(浜大樹)や九州(どこだったっけ?)の自衛隊演習場に出かけては、平和的労働者や他大の自治会と連帯して反戦平和のためのアピールを繰り返していた。しかしわれわれのためには?彼らがわれわれのためにしてくれたこといえば学費値上げに対する抗議くらいだった。その抗議も割りと教条的なもので、「学費値上げ絶対反対!」というような、学校側に交渉の余地を残したものではない、交渉の要求というよりある種の決意表明のように見えた。たぶん学生のニーズは、混雑する駐輪場の拡大・整理とか、トイレの改修とか、部室を持たないサークルが利用できるような有料ロッカーの設置とか、あるいは氷河期真っ只中の就職戦線に挑む学生のへのより一層のサポートなどにあった(ように僕には見えた)のに。活動のバランスが車の両輪くらいのものなら、まだそれでも納得のしようはあったかもしれない。しかし、ほとんど一輪車で「世界」のみにコミットしていくような団体に、われわれが「学生自治」をあまり感じなかったのは、無理のない帰結に思えて仕方ない。
もうひとつは、権力に対する「自ら(手前)の権利を守ろうとする」自治会が、それ自体ひとつの権力になって、より弱い主体である学生からごくわずからながら、しかし明らかに搾取していたことだ。早稲田大学の本部キャンパスと文学部キャンパスを主会場とする大学学園祭は(文連≒自治会なのは公然の秘密だった)、どういうわけだか入場に有料のパンフレットが必要で、その収益がどこに行ったものだか外部からはわからないようになっていた(あと、出展・出店に当たってなんか学園祭と関係ないことに同意する必要があったとかなかったとか聞く)。理工学部で行われていた、主催団体がまったく別の「理工展」は、そういう入場システムをとっていなかった。学生の割と多くが、文化祭参加と引き換えに、過分の見返りを求められていると感じていたように思う。(旧学生会館に部屋があったサークルにいなかったので、はっきりとは知らないが、学生会館の中でなにやらはばをきかせていたという話も聞いた)。個人的な話で恐縮だが、僕が友人と酒を飲んでいるときに、設立当初はさておいて、大学も自治会も、対価と引き換えにサービスを提供することが主たる目的の、同じような存在ではないかなどいう話になったこともある。
だからなんだ、といわれると困るのだけれど、こういう「感じ」に対して、「啓蒙」という態度や、「馬鹿さ加減」という言葉で立ち向かってしまうところに、政治活動の衰退の一因があるように感じてしまい、何か書かずにはいられなくなった、というお話。
昔から優等生だったので、自己顕示欲がものすごいわけ。でも、この年になると誰もちやほやしてくれないので、自分ってほんとに生きる価値あるかなーと思ってしまう。そもそも生きる価値って何だ? 生きたいから生きてるだけであって、価値求める必要ないよな?
でも、生きたいかと言われたらそれも微妙。夢はもう叶わないし。いや、追い続けることはできるよ? でも、叶わない夢に一生をかけて堕ちるのって、自殺するのと一緒じゃん? 最終的には死んだも同然な生活になってると思うよ?
娯楽の空しさも知ってしまった。結局俺って、自己顕示を楽しんでたみたいなんだよね。テレビゲームも一人でやってもつまんない。上手くなって「すげー」って言われるのが楽しかったけど、この年になっちゃうと・・・ね。カラオケも、喉にポリープができて下手になっちゃったから駄目。映画見まくってオタクになってみたって、別に誰にも尊敬されないだろうし。
やべえ、すげえ共感する。まだそんな年でもないから、そこまで至ってないけど、でも根っこは同じだ。
そうだ。俺も自己顕示欲が凄い。中学の頃から、なんか妙に勉強は出来たからチヤホヤされて、それで調子こいて、さらにいい点とって、そうしたら周りはもっとすごいね凄いねって言ってくれる、そのチヤホヤがやっぱり結局好きだったんだ。
娯楽についてもこの人と同じだ。俺、歌も最初わりとうまかった方だから、皆にチヤホヤされて、それが嬉しくて、もっと上手くなろうとした。今思うと、やっぱりそれだけだ。歌は勿論好きな方だし嫌いじゃないけど、でも上手くなりたいから上手くなりたいんじゃなくて、歌いたくてたまらないから歌いまくってるんでもなくて、人に「すごいねすごいね」って言われたいから上手くなろうとしてた。今もそうだ。俺は多分全部そうなんだ。本も、別にそこまで読書好きってわけじゃないのに、たまたまちょっと小難しげな本読んでたらちやほやされたから、それが嬉しくて、色んなジャンルの本見て学んだり。他にもあるけどそれら一切の俺の趣味は本当の意味での趣味じゃない。ほとんど学習。勉強みたいになってる。結局、多分俺が本当に自発的に楽しんでるものってほとんどない。全部「この趣味を取得したら、俺はチヤホヤされる」とか「こんな趣味を持ってる俺」的な、そういう自己顕示欲から来てるだけ。
夢も、別になかった。なんか、小さい時マセてるガキだったから、昔からそういうかないそうにもない芸術方面スポーツ方面の夢は、見もしなかった。「そういうのはよっぽど才能ないと食ってけ無いし。俺、それなりにこなす自信はあるけど、流石にそれで食ってけるほどは才能ないし」ってそんな事を小学生の頃から言ってて(でも皆そんなもんなのかもしんないけど)、早くから「勉強でなんとかなる仕事で、チヤホヤされる仕事だな」とか考えてた。今は確かにそういう方面に一応向かってはいるけど、でもそれがやりたかったのか?っていうと、別にそういうわけじゃない。かといってやりたくないわけでもない。どんなことでも、大概興味は持てる。興味が無い、ってことが、あんまりない。持とうとすればもてる。でもその代わり、「本当に俺が欲してるもの」てのが、よくわからなくなった。いや、本当に欲してるものはあるのかもしれない。でもそれが「これしかない」って感じに一つに限定されない。好きレベルが5のものがいっぱい、好きレベルが8の奴がいっぱい、そんな感じでふわふわしてるけど、その中で一つ好きレベル100とか飛びぬけてる一つ、てのはない。
強いて言えば、やっぱり人なんだな。
ネタ的なものでもなんでも、「人に見せる」って思いがあるときは、寝るのも食うのもせずに集中できるしめっちゃ楽しい。学園祭とかで、「こりゃうけるぞ!」って思って作った衣装とか。そういうのはすっげ楽しかった。でもたぶんそれは、人に見せて「お前すげーよ!こんな面白いことよくおもいつくな」って言われたかったから。それだけのためだったんじゃないかと思う。そしてそれだけの事がすげえ俺にとっては推進力や原動力になる。
やべえよ俺やっぱりすっげ自己顕示欲強い。ていうかもうそれしかない。なんでこんな性格になったのかわからない。なんでこんなダメな人間になったんだ?理由も無くただ好きだって事、多分ほとんどない。自己顕示欲満載のときは何もかもに興味が向くしがんばれるけどそれをはずすと何もしたくなくなる。なんだ?これ。どうすればいい。でもこうでしか生きられない。困った。なぜこんなことになったんだ。畜生。
機会に恵まれなかっただけで自身のステータスはそれほど低くない工学部男子がいるように、
そこそこ可愛いもののたまたま運が無かった女子大生もそれなりにいるはずで、
そんな女子大生と出会う場はきっと学園祭で、そこで俺は・・・という、
既に土台からして危ない感じの妄想を夕方の電車内で繰り広げていましたが、
資格試験の時に行ったどっかのキャンパスの門を越え、賑やかそうな広い道に出て、
脇にあったしょぼい造りの屋台でその娘と出会った時点で妄想がストップしました。
そこから先はナンパで、俺の脳内にそんなストックは無かったからです。
さらに言うと俺は何故かその妄想学園祭に一人で来ており、それが何とも現実を痛感させるものであったので、
昔は女子の一挙手一投足からありとあらゆる物語を展開していた俺の妄想力も
ここまで現実に縛り付けられるようになったか、堕ちたもんだな、と、
自分が始めた妄想に自分で落胆するという高度なトリックを決めていると、
妄想のきっかけになった向かい側の座席のカップル、工学部男子をイメージさせる彼氏と、
彼氏ははじめから寝ていたのですが、段々と横にゆらゆら揺れ始めたのです。
それまでは携帯をいじることもせず、ぼーっと景色を眺めていた彼女はそれを見てクスクスと笑い出し、
彼氏はそれを聞いて目を覚まし、そして二人は顔を見合わせ、小さな声で笑いあい、
彼女は打ち合わせたかのように言葉も無く彼の肩に頭を預け、目を瞑り、
そしてそのまま二人は俺が降りるまで安らかに眠っていました。
二人が織り成す人という字は逆光の中でとても映え、
http://anond.hatelabo.jp/20070326170845 にあえて釣られてまじめに書いてみる。
べつに必死なわけじゃないが、オレの場合、「まなび」ファンというより、金月龍之介ファンとして「まなび」を観て楽しんでいる。
金月君が「ジサツのための101の方法」を書いてた頃からのファンだから、もうだいぶ長いことオレは彼の脚本を読んできているが、「まなび」は彼の手がけたシリーズの中では秀作だと思う。
金月君の脚本はディテールにこだわる部分があって、わかりやすさとわかりにくさの両極をいったり来たりしているようなところもあるので、それがイヤな人はとてもイヤだと思う。けれどオレはそれが好きだ。
会話がまどろっこしいとか、ストーリーの進行ペースが遅いという批判もあったりするけど、それがイイと思い始めるとそれがたまらない面白さに感じる。
昔、「毎日が学園祭の前日」を描いたアニメーション映画があった。
言わずと知れた押井守の「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」(1984年/東宝)だ。
「まなび」は「ビューティフル・ドリーマー」のように学園祭の前日にリセットされるというわけではない。だが、「学園祭の前日」までの日常の描写が続くという意味では、かつてアニメ界で話題になった「毎日が学園祭の前日」というテーマに再度取り組んでいるという解釈もできると思う。
学園祭という「ハレ」の日があって、学園祭が来ないという現実。
「ビューティフル・ドリーマー」のラムたちも、「まなび」のまなみたちも、学園祭が来ることを期待しつつも、学園祭を迎えることができないという困難に直面する。
状況の困難さという点では、「ビューティフル・ドリーマー」と「まなび」には共通点がある。
しかし、そういう状況の困難さを乗り越えていく方法は、「ビューティフル・ドリーマー」と「まなび」は対照的だ。
「ビューティフル・ドリーマー」には“無邪気”という状況の困難さを生み出すわかりやすい「敵」がいた。押井の映画では、“無邪気”という見える敵と対峙し、対決することによって、「絶望的な日常の連続」への変化が提示された。「他人の夢なんか壊して自分の現実を生きろ」という押井のメッセージに共感する人が多いのも事実だ。
だが、「まなび」は違う。「絶望的な日常の連続」にわかりやすい「敵」はいない。たしかに校長がたちふさがりはするが、彼女は「敵」ではない。
あえて「敵」を見つけるなら、それは「絶望的な日常の連続」を受け入れて諦めきった生徒ひとりひとりの心だ。そして「絶望的な日常の連続」を受け入れた心は、姿として、形として見えているわけではない。
その心を、まなみたちは愚直なまで正面から、文字通り“ストレート”に立ち向かい、変えようとした。まなみたちは「毎日が学園祭の前日」の日常を決して受け入れたりはしない。
まなみたちは、なにか気の聞いた名セリフを吐くわけではない。たとえば「コードギアス」ルルーシュのように「全力で学園祭を勝ち取れ! 署名を集めてチェックメイトだ!」などとは決して言わない。ハルヒのように「あんたが署名を集めるのよ!」とツンケンな態度をとるわけでもない。そういうのが楽しいというのはわかるし、そういう楽しみ方が間違っているというわけではない。
だが、まなみたちのまぬけなぐらい愚直な姿勢に、彼女たちの行動に、その表現に、オレは心打たれる。
たぶん、金月君以外の脚本家が「まなび」を書いたら、1クールを3、4話ぐらいに圧縮して、残りの話数で面白いエピソードを書くと思う。
逆に言うと、それだけ「まなび」は、他のアニメと比べてスローペースでのんびりストーリーが進んでいる。「ちんたらどうでもいいことで動画枚数使ってるんじゃねーよ」などと不満に思う人もいると思う。
たとえば「コードギアス」みたいに次から次へと物語が展開して緊張感が持続するようなアニメが好きな人が「まなび」を観たら、早い時期に結末が見えてしまって予定調和を感じたり、退屈だと感じるかもしれない。
それは仕方が無い評価だし、その評価が間違っているというわけではない。
だが、そういうスローペースの、のんびりしたアニメが楽しいと感じ、物語の展開と結末よりも過程のディテールを楽しみたいと思うアニメファンもいる。
http://www.ufotable.com/manabi/
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー -- キネマ旬報DB
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=17402
金月龍之介(業務報告)
諸君。
わたしは学園を愛している……。
その愛する学園は、浅薄にも程がある経営判断によって、経営統合という事態を免れざるを得ない状況となり果てた!
少子化の加速、思想の変遷、社会情勢の変化等、本校を取り巻く環境が悪化したことも加味されて然るべきだが、懐古主義という、我々の未来を阻む保守的な教育現場の自堕落な思想が産んだ、自己崩壊であることを、合併校が表わしているではないか?
体制は、我々にその責任の一端を課そうとしている!
己の怠惰な思想と所業を棚に上げ、既得権益を学校の存続という美辞麗句にとし、我々を欺くことで、学園祭を中止にしようと企んでいる!
我々が望むものは何だ!?
謝罪ではない……妥協ではない!
………………学園祭!
かつての偉い人はこう言いました。「書を捨て、街に出よう」!
また或る人は言いました。「ホラホラ、これが僕の骨だ」。
そして或る少年は激しい戦いの後、こう言いました。「僕には、まだ帰れる場所があるんだ……」と。
我々が望むものはおいしい食事でも、成金たちが出す小銭商売の服でもない。
学園祭なのだっ!!!
一秒前では想像もできない、創造性とイノベーションに富んだ、大学園祭を!!
聖櫻学園高校生徒全員の一大全学園祭共闘集団連合となり、あらゆる妨害、謀略に対峙しようではないかっ!?
我々生徒会は、学園祭中止という体制側の一方的且つ横暴な要求に対し、断固として、確固として、徹底的に闘うことをここに宣言するっ!!
うぉぉぉぉぉ! 打ち壊しだぁぁぁぁ!!
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀