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はてなキーワード: 奇妙とは

2008-03-01

死んだAさんと生きるBさんとお墓の前でした話

http://anond.hatelabo.jp/20080226210253

Bさんと久しぶりに2人で出かけることにした。

1度目は学生時代、2度目はお葬式、3度目はある町の寺社仏閣めぐり、

今回はお墓参りである。

集合場所である駅から電車に乗った。

各停しか停まらない小さな駅から歩いて15分ほどの所にお寺がある。

いつも饒舌に喋っている僕はほとんど喋れない。

ときどきBさんが話を振ってくれるのだが、まともな会話が続かない。

自分でも緊張しているのが分かる。

入って左手に20基ほどの墓標が並ぶところにAさんのお墓がある。

彼女が死ぬまで嫌っていた父親の家の墓だ。

春になるとここは桜で埋め尽くされる。

ただ、お彼岸から2週間ほど。

周りの墓には陽気でやや疲れ気味のお花が飾られていたが、

彼女の眠る場所には何もなかった。あの家族。ここに来ていないのか。

バケツをとってくる」とBさんが離れた。

僕はAさんと1人で対面した。一年半ぶりのことだ。

目を閉じて無心で彼女の顔を思い出した。

そしてようやく言えた。「ゴメンね。一緒にいられなくて」

あの子は、いつも自分が他者にどう見られるのか。そればかり悩んでいた。

なぜ受け入れられないのか。なぜ他者とあわせられないのか。そのことに苦しんでいた。

僕は「他の人の気持ちも考えなくちゃ」を様々な表現で何度も説明した。

そこで彼女が最後に切り札として出したのが僕との結婚

ロリオタである僕に小学生並みの体を提供すること。それが交換条件だった。

もう他者との関係を"モノ"で釣るしかできななくなっていた。

ずーっと彼女を助けられなかった自分を責め、後悔し続けた。

でも、彼女を想っての悩みだったはずが、途中で変わってしまった。

この子と2人でいることを想像するのが怖かった。

他者への尊敬も思いもなく、ただ自分のことしか考えられなくなった。

誰かに依存しようとした。誰かに自分を救って欲しかった。

死を選択せねばならなかった彼女と全く同じことをしていた。

Bさんがバケツに水を入れて帰ってきた。

簡単にお墓を掃除をして、僕が線香を付けた。

そしてひたすら手を合わせ続けた。

いつか彼女と会話ができることを祈り続けた。

終わって立ち上がると、そこにはBさんがいた。

「どうです?」

「うん、なんとか」

「もう一年半も経つんですね」

今日は付き合ってくれてありがとう

「いえいえ、自分も来たいなあと思ってたんです」

「ずーっと、ここに来るのが怖かったんだ。

今日、そしてあのとき、Bさんがいなければ

僕はどうかなっていたかもしれない。本当にありがとう

初めて僕は他者に打ち明けることができた。

この間の心の変動を正直に告白した。

「私もそうですよ」とBさんも続けた。

彼女が抱える闇の一部分を僕に教えてくれた。

それから僕とBさんは、お墓の前で、電車の中で、

そして昼食に入った店で、とりとめもなく喋り続けた。

やっぱ、Bさん。いい子だ。

非モテ百合系オタで文学少女である自分への戸惑いはある。

でも、躊躇いを振り切って、なんとか前へ歩こうとしている。

傍目から見たらヨタヨタはしているけど、でもやりたいことを持ち続けている

とにかく彼女幸せになってくれたらいいな。

僕はそう願い続け、心の中で彼女を抱きしめた

2人の奇妙デートの最後は駅のホームだった。

「じゃあ」

「また」

僕らはあっさり別れた。

やがて電車の扉が閉まる。

僕が手を挙げると、彼女は微笑んだ。

僕は肝心のことを忘れている。

Bさんが好きなことを伝えていないのだ。

でも、もう少し経って、

彼女依存しなくても大丈夫になったと

自分で確認できたとき、電話をしてみよう。

それから半年経った。

さて、このような私的なポエムを書き連ねてきた、

その理由についても説明せねばならない。

僕の後輩で、Aさん・Bさんの先輩であるCという男の存在だ。

2008-02-20

TV最近、めっきり見なくなった表現

「旦那?? 遊んでってよぉ??」

と赤く塗られた木の格子から、外に手を伸ばして男を誘う遊女。

これって現実にあったのか、なかったのか。

そこまで昔じゃなくても、数十年前はおっぱい丸出しで路上で店に誘う女の人がいた。

そういう場所が全国各地にあった。今ではそういう事があったことすら忘れられている。

よろしくないと言われればその通りであるかもしれないけど、無かったようにされているのも

なにやら奇妙な感じがする。

2008-02-13

Bの場合

Bは気付かなかった。先週のはじめくらいから制服が汚れてきていることが気になっていたBは金曜日クリーニングに出し日曜日に取ってきた。Bは大雑把な性格であったので月曜日の朝までそのまま放置して、月曜日の朝に慌ててハンガーから取りタグを外し制服を着てカーディガン羽織コートを持ってそのまま駆け足で学校へ向かった。だから気付かなかった。襟につけっぱなしにしておいたいじめバッジが外れていることに。

「B?バッジはどうした?」最初は教師の言葉が理解できなかった。バッジなら貰ったときからずっとつけっぱなしにしているはずだ。そう思って襟を見てみると何もついていなかった。「あれ?あれあれ?」Bの頭は真っ白になった。何で?どうして?バッジがないの?あれ?あれあれ?元々成績が良い方ではない頭をフル回転させた。だから返事をする余裕がなかったのだ。教師の「B、もしかしていじめられているのか?」という声に。

数秒後、Bはようやく制服クリーニングに出していたことを思い出し、そこでバッジが外れただろうことに思い至った。「先週クリーニングに出したんで、つけてくるの忘れちゃいました。えへ。」そう明るく言ったBは教室の空気がおかしなことに気がついた。Bは元来いじられキャラだった。だからドジをすることは度々だし、ドジを披露するといつも笑いが起こった。それなのに今の教室の空気は全く違っていた。何とも言えない奇妙空気が流れているだけだった。Bが不思議がっていると教師は言い辛そうに口を開いた。「B、本当に忘れただけなのか?」疑いながらも再確認するような言葉だった。「いやだなあ、ただ忘れただけですって。本当、本当。」明るさが足りないのかと思い、いつも以上に明るく言ったのだが教室の空気は更に奇妙なものになっていた。「…そうか。…それならいいが。…もしいじめられてるなら先生に言うんだぞ?」念を押すように言う教師を訝しがりながらも「はーい。」と返事をしてBは座った。

教師が職員室へ行き1時間目が始まるまでの間、Bはいつものように仲の良い友達グループのところに向かった。「なんか先生今日変だったねー。」先ほどのことを思い出しながらBは話しかけた。「…そうだね。」いつもならば、Bをいじって盛り上げてくれる友人達は、バツが悪そうに、腫れ物を触るようにBに接した。Bは奇妙に思い「どうしたの?」と問うが返事はどれも曖昧で要領を得ない。チャイムが鳴ったので席へ戻ったBはわけがわからないので首を傾げた。その後の休み時間に行っても対応は変わらず相変わらず腫れ物に触るように、できれば話しかけて欲しくないように、柔らかな拒絶をされ続けた。Bは自分が何かをしたのかと思い、授業中もずっと頭をフル回転させ続けたのだが、結局わからなかった。放課後になり、業を煮やしたBは直接聞くことにした。「ねえ、あたし何かした?教えてよ!ちゃんと直すからさ!」必死の思いで訴えるBに友人達はバツが悪そうに口を開いた。「ごめんね。あたし達Bのこといじめてるつもりなんてなかったんだ。ただいじってただけのつもりだったんだけど…でも、ごめんね。本人が嫌ならいじめなんだよね。もうしないから。」「え?何のこと?どういうこと?」Bはわけがわからなかった。「ごめんね、もうしないから。」そう言って友人達は去っていった。言われたこともそうだったが、初めて見る申し訳なさそうな友人達の顔に途惑いを隠せなかったBはそのまま見送ることしかできなかった。

その日Bは家に帰って考えた。友人達の発言の意味と原因を。先週は別に普通だった。何か起こったとしたら今日。それも1時間目の前からおかしかったんだからその前だ。そうしてBはようやく思い出した。バッジのことを考えてるときに先生の「B、もしかしていじめられているのか?」という問いに返事をしなかったことを。バッジを忘れた生徒がそう問われて10秒近く返事をしなかったら、いじめを受けているのに言い出せない生徒のように見えるかもしれない。その後の明るい答えもそれを隠そうと努めているように見えてしまうかもしれない。そう考えればその後の先生の対応も、友人達の対応も合点がいく。いじられているだけなのに、いじめだと私が感じていると友人達は思ってしまったんだ。

その後Bは友人達に事の経緯を話したが効果はなかった。一度できた疑念は簡単には拭えないし、あり得ないことでもない。自分たちとしてはいじっているだけなのにいじめだと告発されたら堪らない。内申にも響いてしまう。だからわかったとは言ってくれたものの、Bに接するときは余所余所しく、必要最低限クラスメイトに接する対応そのものだった。それは他のクラスメイトもそうだった。Bが友人グループと仲が良く、適度ないじられキャラだと知っていた人は皆、Bに関わるといじめ犯人にされかねないと距離を置いたから。あんな軽く悪意のない、いじりでいじめにされたんじゃ堪ったもんじゃないと、腫れ物を触るように、そして無視などもせず必要最低限の対応で、Bに接した。Bはバッジをつけ続けた。いじめではないし、そもそもの原因を招いたのは自分なのだからと、その後はバッジをつけ忘れることなく、つけ続けた。

Aの場合
http://anond.hatelabo.jp/20080213144729

2008-02-09

犬の餓死

ある芸術家餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」という芸術発表した。しかもこれはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。「犬の餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。ネットでは芸術家ブログ炎上し、自宅には反対するグループ押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。

それを受けて芸術家は新たなコメントをした。次の展示に使う犬は保健所で処分される予定の犬を使用することにします。助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。次の展示が行われる日、展示される美術館では初めて開館前に行列ができていた。鉢巻をして襷をかけたいかにも抗議団体ですという集団や、興味本位で初めて美術館に訪れましたというような一般人、そしてそれらを面白可笑しく撮ろうする撮影人。100人以上の人が集まっていたので美術館はいつもより早く開館した。開館するや否や、皆早足で「犬の餓死」が展示されている前に集まった。前回と同じように動く元気もないような犬が元気なく伏せっていたが、そこに立ててあっ看板だけは前回と違った。「助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。」展示の前に集まった皆が静かに周りを伺う。多くの人が降りる停留所なのに停車ボタンを皆なかなか押さないバス空気に似ていた。そんな中一人の老婦人が静々と手を挙げた。この犬を引き受けたいのですが。すると奥から芸術家が現れてわかりましたと犬の縄を看板から解き、老婦人へと手渡し、また奥へと下がっていった。縄を受け取った老婦人が屈み「もう大丈夫よ。」と犬の頭を撫でると自然拍手が巻き起こった。

しかしそんな中、芸術家は奥から飄々と現れ、また連れてきた犬を看板に繋いだ。どういうことだと詰め寄られるが特に気にすることもなく、今日は10匹連れてきましたから後9匹いますよ、と答えた。人々は唖然としたが一度できた流れは変わらず、次々と挙手する人が現れた。自分が引き受ける、いいや自分が引き受けると、我先にと手を挙げた。芸術家機械的に受け渡しを9回済まし、その日の展示は終了した。マスコミはその様子を何度も放映し、国民もその美談に酔いしれた。

芸術家はその後も精力的に展示を行ったが「犬の餓死」が完成することはなかった。どこの美術館でも用意した犬は全て貰い手が現れたからだ。それは数を増やしても変わらなかった。展示の度に生成され続ける美談が一大ブームを作っていたからだ。そしていつしかある噂が囁かれていた。あの芸術家は処分予定の犬達を救うためにこんな展示を始めたんじゃないだろうかと。

しかしある時、芸術家は突然展示をやめた。ブームの最中だったから人々は不思議がった。そしてとある記者が尋ねた。「噂では処分予定の犬を救うためにこの展示をしていたとのことですが本当でしょうか?」芸術家は答えた。「いいえ違います。それにもしそれが目的ならば展示をやめるなんておかしいでしょ?」もっともな話だった。「では何のために展示をして、そして何故展示をやめられるのですか?」芸術家は答えた。「それはこれからわかります。そして私の準備はこれで終わったので展示をやめます。どうぞ皆様これから行われる出来事をお楽しみください。」展示は終わった。

謎めいた発言は一時的に話題にはなったものの、その後も特に何かが起こるわけでもなかったので、すぐに忘れ去られた。そして数ヶ月後。奇妙な現象が起こり始めた。全国各地の公園などに痩せ衰えた犬が次々と放置され始めたのだ。「助けたい人がいたらご自由に。」と書かれた言葉と共に。引き受けたはいいものの、流行偽善の気持ちから挙手した人が殆どで、数ヶ月もする頃には飼うことが嫌になっていた。どうしたものかと考えつく先は皆同じで、それが芸術家と同じような手段だった。直接捨てたり保健所に連れて行くよりも心が痛まない。悪いのは助けることができたのに、助けることなく見ていたやつだと。かくして「犬の餓死」は完成した。多くの人の手によって。

2008-02-03

一番奇妙に感じてる定理

http://ja.wikipedia.org/wiki/バナッハ=タルスキーパラドックス

まあ実は詳細は読んだこと無いんだけど、噂に聞くこの定理…通称はパラドックスになってるけど定理…は、今もギャグにしか思えない。なんじゃこりゃ。

2008-01-30

http://d.hatena.ne.jp/hagex/20080126#p2

痛いニュースばかりみていると痛い人になるわよ

何というか痛いニュース(ノ∀`)中の人って(個人なのか複数なのか企業なのか知らないけど)、

たぶんそんなに痛い人じゃないんだと思う。むしろ相当に頭の切れるイメージ

ある種のサービス業というか「こういうニュースを欲している需要があるから、日々それを提供している」という姿勢を感じる。

例えば、運営主の個人的なイズムのようなものがあまりに見えなすぎる。

痛いニュース2ch痛いニュース板からのスレッド編集や紹介はしていても、運営者が何らかのコメントをつけることは一切していない。

(と、思う。全部見てるわけじゃないから判らないけど・・・していないよね?)

強いて言えばこのブログについてスレッド転載じゃない、

自前の文章だけどそれも非常に簡素に仕上がっている。ここから何かを感じることも出来ない。

サイトを取り巻くデザインを見てもどこを見ても普通、「このブログについて」の猫の写真、あちこちに出てくる2chキャラアイコン

ハルヒらきすた初音ミクアイマスキミキス・・・って言う無難すぎるアフィリエイト、全てがあまりに平均的過ぎる。

オタク(的な趣味であるように見える)なのに、トータルで見ると超平均的。このアンバランスな感じが、ものっすごい奇妙なんだ。

まあ、この手のスレッド紹介ブログは言わばスレッドの紹介する傾向やセンスが運営主のイズムのようなものなのかもしれないけど、

それもあまりにも典型的過ぎるというか、どう例えたらいいか判らない位にあまりに「平均的」すぎて、なんか個人的な匂いがしない。

いわゆる特定アジアスイーツ(笑)DQN、その辺を手始めにとにかくその辺を全部取り扱う。物凄い数を取り扱う。

なのに管理人が一言もコメントしない、何も主張しないって言うこのバランス感が奇妙なんだ。

普通ここまで(ある種、もはや偏執的なスピードで)ブログを通して何かを発信しながら、それを言葉にしては何も発信しない。

そんなブログの運営ってあるか?そう感じるのは自分だけなんだろうか?

少なくとも個人が趣味でやってるという線は絶対に無いと思う。これは「趣味」で出来る所業じゃない、どう見ても「仕事」だ。

で、それを考え出すと行き着いたのが「多分、痛いニュースって管理人マジで痛い人じゃないんだろうな」っていう。

多分、本当に痛い人でマジで特定アジアスイーツが大嫌いで、それが発信したくて鼻息荒くブログをするならこうはならない。

物凄くクールに「こういうスイーツDQN特定アジアの叩き場を作ればウケる」という計算があって、それを日々維持している感じがする。

だから痛いニューススイーツ中国産ギョーザDQNの話題が提供されて、そこでマジになって今日も色んな人が渦巻いているころ、

痛いニュース中の人はその人達が落としていくアフィリエイトの収入でスイーツ(笑)スイーツなひと時を過ごしていても、そんな驚かない。

そんな事を思いました。そんだけです、特にオチがなくてスンマセン。

追伸。あとさ、今までに誰かがもう突っ込んでると思うけど、ブログの右のほうに出てる「おすすめサイト」の”悪質出会い系を潰そうの会”ってリンクも凄いよね。

なんだそれと思って開けてみると、そういう名前の(優良らしい)出会い系の紹介サイト。これは色々通り越して逆に感心したよ!うまいよ!w

で、これを自分も踏んでしまったって事は、自分もいくらかアフィリエイト貢献してしまってるんだ。くやしーw

2008-01-29

金権政治はなぜ悪い?

http://anond.hatelabo.jp/20080128022318

そこまで民主主義云々の深いレベルの話じゃなくて単にバカに説明するために話を単純化した例なんだから、変な揚げ足とってまた違う方向に持っていかなくても。

深いレベルの話なんだから揚げ足取りじゃないだろ。

国民が望んで独裁者権力を譲り渡すなら民主主義と。

ただ、その行き着く先は大方の場合、「諸個人の意思の集合」とは合致しない。

自分でも「ある意味」って書いてるんだからやや屁理屈気味なのはわかるよね?

書いた人とは違う説明されたほうの益田だが、屁理屈というよりは正論だと思うけど。

それに諸個人の意思と食い違いがあるのは独裁者に限ったことでもない。政治家だって万能じゃないし、有権者の意思はばらばらで移ろいやすいんだからいくら民意に逆らわないようにしようとしてもできなくなることはよくあるのが現実

http://anond.hatelabo.jp/20080128011831

だいたい投票率が30%程度の選挙で、「必ず勝てる」と言えるために買収しなきゃいけないのは、選挙民の何%だ?

同じく、投票率が80%の選挙だったらどうだ? その場合買収しなきゃいけないのは、選挙民の何%だ?

で、選挙民の15%を掌握するのと、40%以上を掌握するのと、どっちが手間がかかりかつ危険だ?どっちが金権選挙をやりやすい?小学生でも分かるな。

買収は違法なんだから投票率上げる揚げない以前に取り締まるべきなのに、棄権者たたきに走るのが理解できないんだが。買収は違法だが棄権は合法であり、そのルール民主的な手続きで決まってるって事は知ってるよね?

それともう一回同じ指摘するけど、金権政治するやつに投票するくらいなら棄権したほうがいいってことになるはずで投票率を上げるのがいいことなんじゃなくて金権政治をしないやつに投票しろというのが筋でしょ。それなのにそあたりをごまかすのが奇妙なんだよな。

2008-01-28

ひとは愛することを学ばねばならない。

――だから、われわれにとっては、音楽の場合には、実際事情はそのとおりになっている。すなわち、まず最初、ひとは、ひとまとまりの音の流れや旋律全般を、聴くことを学ばねばならず、それを聴き取り、聴き分け、一つの生命あるものと独立して切り離して限界づけなければならない。次に、その音の流れや旋律が聞きなれないものであっても、それをじっと我慢して聴く努力と善意とが必要である。それの目差しや表情に対して辛抱づよくつき合い、それの奇妙な点に対しては優しい気持で接してやることが必要である――。そうすれば最後には、われわれがそれにすっかりなじんでしまうような瞬間がやってくる。そのときには、われわれはその音の流れや旋律を待ちうけるようになり、それが聴けなくなったりしたらさぞわれわれは淋しい気持になるだろうなどと予感したりする。そこまでくれば、今度はもう、その音の流れや旋律は、その迫力と魅力を発揮し続ける一方となり、ついにはわれわれが、それの言いなりの、それに心を奪われた愛好者となって、その音の流れや旋律以上によいものなどもはやこの世界から望みもせずに、ただもう繰り返しそれだけを望むような愛好者にならずにはいない結末となる。――けれども、ただたんに音楽に関してだけ、こうしたことがわれわれに起こるのでだけではないのである。われわれが現在愛しているあらゆる事物を、われわれは、ほかでもない、まさに右のような具合にして、愛するよう学んだのである。われわれはいつも、われわれの善意に対して、つまり、見知らぬものをわれわれが辛抱して甘受し、公正に扱い、優しい気持で接することに対して、酬われるのである。それも、その見知らぬものが、徐々にその覆いを脱ぎ捨て、言うに言われない新しい美しさにおいて現れてくるという具合に、なのである――。それは、客人を遇するわれわれの暖かいもてなしに対する、その見知らぬものの感謝である。自分自身を愛するものもまた、このような道程をとおって、おのれを愛することを学んだはずである。というのも、それよりほかには何の道程も存在しないからである。愛というものさえをも、ひとは学ばなければならないのである。

Friedrich Wilhelm Nietzsche著『悦ばしい知識』より

3行とか、おま…ww

3行とか……無茶言うなあ。

といいつつ、なんとなくオラわくわくしてきたぞ。

変態かな。

以下、本の内容を3行で。

演算だけでなくそもそもどん言葉意味も一番さかのぼると「これが○○(直示的定義)」にたどり着きます。

直示的定義には常に誤解が入り込み得ます。だから相手が「ホントに理解してるか」なんて確かめる術はありません。

でも、人間の頭はブラックボックスだからINPUTとoutputさえ問題なければ問題ないんですぜベイベw

以上。

最初の話にさかのぼって言うと、ある演算式がinputされた際に、暗記にたよろうが頭の中で一つずつ絵を並べて数えていようが、そろばんの得意な人みたいに頭の中で何か神秘なることを起こしていようが、outputさえ正しければ基本的には誰もその正当性を問わないということです。事実、例に挙がった話でも、答えが違っていて初めて「頭の中で起きていること」が問題になっているでしょう。我々の日常に「お互いに同じ言葉を実は違って認識していた」なんてことは、よくあることです。

だから足し算を「正しく定義する」というのは無意味な考え方ですが、足し算が「できるようにする」というのは別に難しい話ではない。りんごの絵とみかんの絵とかで直示的に定義して訓練すれば、大抵の子供はすぐinputとoutputをそろえることはできるようになる。奇妙に思えるかもしれませんが、我々の世界というのはそういう風にできているということです。

…って3行といいつつ膨大に補足した。正直反省している。

http://anond.hatelabo.jp/20080128102725

2008-01-05

サンフランシスコ平和条約を破棄したい人たち

http://anond.hatelabo.jp/20080105012056

東京裁判ですら、30万の人間を虐殺したなどして判決を下してませんが。

元記事のどこにも30万という数字はありませんが。

そもそも、その東京裁判そのものに対して、正式で公正な裁判と認めない人達

私のようにいるわけですし。


言ってることの意味わかってないだろ絶対。

東京裁判の結果を受け入れることは、サンフランシスコ平和条約を各国と締結する上での条件なんだよ。

そしてこの条約を各国と結んでいるから、日本国連に加盟し国際社会に復帰できた。

東京裁判を認めないことを国是とするということは、サンフランシスコ平和条約を破棄し国連を脱退することになるけど

国連よさらば!我が代表堂々退場す」

新聞見出しでもう一度見たいわけだ。

 

ここで小林よしのり奇妙論理を持ち出す人間がいるだろうけど、小林が珍説をとなえる遙か前に、

日本政府は公式見解で裁判の受諾というのは、すべてを受諾することだと国会で認めてるから。

2008-01-04

11人の増田

仮に、だ。

あくまで仮の話である。

匿名ダイアリーと呼ばれるとある参加型投稿blog存在したとする。

ここは誰もがいつでも自由に記事を閲覧、投稿が可能であり、記事投稿者は「増田」と呼ばれる。

さて、この匿名ダイアリーだが、前々からある奇妙な噂が囁かれていて、

匿名ダイアリーの記事はすべて特定の増田11人の手によるものである」らしい。

ところがそのサイトの運営は

「今までに投稿された記事は、明らかに12人以上の異なった人物の手によるものだ」

と主張している。

運営が嘘をつくとは思えない。

やはり「増田11人説」はただの噂であって、真実ではありえないのだろうか?

2007-12-25

奇妙喪中はがき

知り合いの女性山田花子仮名)さんから喪中のはがきが届いた。

母、山田マサ(仮名)さんがなくなったという。

12月半ばだそうだから、たいへんだ。

ここまではいいんだが、差出人が岡本太郎仮名)さんと連名になっていたのが腑に落ちない。

山田さんのうちの家族構成を実はよく知らない。

同棲中? 事実婚? もっと複雑な事情?

年に数回、メール年賀状やりとりするぐらいの仲なので、この微妙な内容の喪中はがきについて尋ねるのが非常に気が引けているところ。

2007-12-17

たまには素直にしゃべってみる

言葉というのは、ときにゆかいな気分にさせてくれることのあるものだし、(これはほんとうのことだが)人生を歩むために必要な勇気をあたえてくれることすらある。SF小説のなかの人物が語る、ほろ苦い感傷に満ちた言葉が好きだし、ロシア小説の人物がつかう奇妙言葉遣いも好きだ。科学者がつかう飾り気はないが力強い言葉も、哲学者のつかうすこし大げさだが確固たる価値観を持った言葉も、ともに勇気をあたえてくれる。こういった言葉の使い手たちは、読むもののこころを高みへいざなってくれる。言葉をつうじて、見たことはおろか、想像もしなかったような世界を見ることができる。ほかではけっして味わえないであろう、独特の興奮に満ちた体験を与えてくれる。だから、言葉が好きだ。

しかしながら、おれの目から世間を見ていると、逆に、言葉にむなしさを覚えることも多々ある。そんなに軽く言葉をつかって、むなしくならないのかと思うような、空虚な言葉に満ち満ちている。

言葉価値を持つための必須の条件のひとつに、「使ってるやつが、それを本気で信じている」というのがあると思う。あるいは、すくなくとも、「本当かもしれないと信じている」でもいいが。「おまえそれほんとに思ってるのか?」とか、「おまえぜったいそんなの自分でも信じてないだろ」と疑わざるを得ないような状況というのが、ほんとうに多い。おれに言わせれば、世の中の多くの人間は、言葉を軽く使いすぎる。

もちろん、日常生活で冗談を言うなとか、そういうことではない。そういうレベルの話ではないのだ。おれだって、日常ではナンセンスな軽口を叩くことはあるし、そういうやりとりは嫌いじゃない。でも、冗談言う場面と、ほんとうのことを言う場面の区別っていうのは、なければならないもののはずだ。しかしどうにも、本気な顔して冗談みたいなこと言ってる連中が多すぎるように思える。

今日は、そういう彼らや彼女らのことを考えた。いったい何を考えているんだろう。その言葉になんの意味があると思っているんだろう。もっとも素直な回答は、彼/彼女らが言葉を軽視しているという説だ。彼/彼女らは、本当のことを言わないことに慣れているし、そのことをなんとも思っていない。きっと彼・彼女らは、「ほんとう」ということ自体に、価値見出していないのだろう。実際、数は少ないが、これまでの人生で、何人かそういう人物に遭遇したことがある。そのうちのひとりは、あからさまに嫌なやつだったので、単に無視していれば済んだのだが、なかには、悪いやつには思えないようなやつもいた。そう、言葉を軽んじているにもかかわらず、いいやつというのが、存在するのだ。

べつの回答もある。もしかすると、ああいった人たちは、自分でも、「自分がそれを信じている」と思い込んでいるのではないだろうか。つまり、かれらは、自分がほんとうに何を考えているのかということが、自分でわかっていないような人々なのではないか。これは、あまりに人を馬鹿にしすぎた考えだが、たまに、こうでも考えるほかないのではないかと思えるようなときがある。しかし、これはこれで、しあわせなことなのかもしれない。けっきょく、人は、自分自身の価値を信じて生きていくしかない。

ともかく、ひとつ言えることは、言葉を軽んじ過ぎるような連中には、こっちだって、ほんとうのことは言ってやらないということだ。

2007-12-13

これでもくらえ

はてなスタープラチナ・ザ・ワールドッ!!!!

ジェコンドの奇妙会社

2007-12-07

くそ、これで書き込めるか?

増田、俺を除く10人の増田よ。読んでるか?これを見れたならリロードするな。おそらくこの記事はすぐに消される。スクリーンショットを撮れ。プリントアウトしろ。重要なことから言うぞ、俺たちは、仕組まれた11人だった。間違いない。これまでid:jkondoの手のひらのうえで遊ばれていたに過ぎないんだ。

俺たちは選ばれてしまった。自分でここに来ることを選んだ?違う。そうじゃない思い出せ。初めてここに来たときのことを。どうやってここを見つけた?書き込みたくなるような記事がなかったか?あるいは、自分の中で何か書きたいという衝動が起きたときに、タイミングよくここを見つけなかったか?id:jkondoは、はてなは、この広大なWEBネットワークを使って俺たち増田コントロールしている。俺はおそらくインビテーターにやられた。今思えばそうだ。いかにも俺がレスしたくなるような話題が振りまかれていた。ちょうど俺が匿名ダイアリーアクセスするタイミングに、だ。そんなことがはてなに可能なのか?最初は俺もそう考えた。だがしかし。それができるんだ、はてなには。

先に注意しておく。周囲を見るな。増田の周囲の人間に、必ず数人のidホルダーがいる。それは他人かもしれない。家族かもしれない。友人かもしれない。恋人かもしれない。くそっ!俺の場合は恋人だった。おそらくだが、あいつは俺の行動を匿名ダイアリーの方向へと誘導していたはずだ。「もういい加減増田やめようかな」俺のそのつぶやきをあいつは聞いた。あのときのあいつの目が忘れられない。あの、目。

俺が狂っていると思うか?ああ、俺が他の増田なら同じように思ったろう。だが、証拠がある。はじめに言ったよな。俺たちは選ばれてしまったと。俺たち11人には共通点がある。実に奇妙な共通点。だが。それを書き込もうとすると弾かれる。書き込みがうまくいかない。ローマ字ダメだ。あのキーワードスイッチになっているのか?昨日までは書き込めた他の単語もいくつか書き込めなくなっている。時間がない。俺は逃げる。この記事はおそらくすぐ消されるだろう。ちゃんと残しておいてほしい。が、できるだけ目立った動きはするな、今は。いや、待て。もしもこの記事が消されないとしたら?それは、俺のこの行動も仕組まれtAfCl{IA@AGJ@@AEP:34;LQQ][;;R

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2007-12-04

XY遺伝子女の子

なんかサイエンスフリーペーパーが某所にあって、

読んでみたんだけどそんな感じのトピックがあったんだわ。

ま、知識としては知ってたんだけどあらためてかかれると奇妙な感じ。

遺伝子がXYで女の子だとさ、、、、

子供うまれたときYYの子とかできるの?

できたら、どうなるの???

生まれないのかな?

女の子が生まれる可能性が極端に低くなるとか?

2007-12-03

今日の昼のテレビ(ピンポン?だとおもう)で、「香川鹿児島の事件の奇妙な類似点」というフリップがでていて、こりゃあなんだかプンプン臭うぜ(AA略)とおもってみていたら、

  • 自宅内に血痕
  • 親族による犯行
  • 遺体が埋められていた
  • 隠蔽工作

といった感じで、どれもこれも多くの殺人事件で共通であろう項目でげんなりした。音声は聞いていないのでこれらからどういう結論を出したのかは知らないけれど。

2007-11-26

ハッタリ

それなりに社会で過ごしているとたまに奇妙人間と出会うことがある。

見た目はこざっぱりと洒落た壮年から初老紳士に見える。

会話の節々には有名なモノやコトがちりばめられ、いかにもそれに自分が参画しているような、インサイダーのような口ぶりで話す。特に有名な、権威のある人と会った、話した、飯を食ったというような話が多い。

よい趣味のアピールも好きでオペラだとか絵画の評論とか聞かれていないのに滔々と語る。しかし専門外なので薀蓄は正しいかどうか分からない。またいかに海外に頻繁に行き来し通じているかの話も好きだ。

限りなく怪しい。そう本能的に感じるのだが、それは尻尾をつかませないからでもある。

例えば機械腕時計に関する薀蓄を披露しているときに彼の腕を見ると何も着けていない。それを指すと「もう時間に縛られるのはいやだからね」と上手い事をいってはぐらかされる。もちろん、いい訳通りの可能性もある。

VIPとのお付き合いも、結構な趣味の薀蓄も、紹介したがる美味い店も、新聞やおとなのOFFとかモノマガジン読んでるだけなんじゃないのかと思わないこともない。

社会的な肩書きは本物だ。露骨な詐欺師ではない。業務上の取り引きがあるならもう少し調べてもいいが、ただの顔見知りにそこまですることもない。

結局怪しいと思う根拠も怪しくない根拠も見あたらないままなのだ。

ここで困るのは対応である。

私は社会人だ。限りなく怪しいオーラが出ていてもハッタリである確証はない。本人に確かめるなんて失礼な真似もできない。また庶民にはわからないがセレブの社交というものはそういうものなのかもしれないではないか…全然そんな気はしないが。

仕方が無いから損をしない程度にどちらかというとVIP寄りの扱いをする。日本の権威と友達のように振舞う彼を信じるならそうせざるを得ないではないか。まあとにかく、失礼の無いようにするのだ。

しかしハッタリであればこれは奴の思う壺だ。あるいは韓信の股くぐりに過ぎないのか。

わからない。

2007-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20071110223500

わかりません……でも何か……その

さわやかなヤツでした……

年賀状返ってこなかったのに奇妙なんですけれど……

2007-11-09

アルプスの少女ハイジOPを見るたびに思う

あまりにも細かい事だけど、グンゼの白ぱんつみたいな、めちゃくちゃ丈の短いのを下にはいてるのは時代考証不足。

あの時代のぱんつは膝丈くらいある「かぼちゃパンツ」みたいなのが普通だったはず。

#あるいは、はいてない人もいたかもしれないくらいだ。

あと、あのハイジの服は、黄色いシャツと赤いベストピンクスカートが、どうやら全部一体化してるっぽくて、ハイジが服を脱ぐと全部一緒にくっついて脱げてしまうというのも、何とも奇妙

スイス民族衣装って、そういう構造なのか?

2007-11-08

ケータイ小説を責めないでください!

パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。

確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。

いまやケータイ小説消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語コミュニケーション上で通貨の役割を果たしていた。「泣ける」「感動した」等の賞賛の言葉は優れた物語に対する報酬ではなく、自分の物語を読んでもらうための対価となった。

このまま過飽和の状態が続くわけも無い。大方の識者と呼ばれる程度の文筆家達はそのように考えていた。事実、彼らのやり取りする物語は、劣化したミームのまとまりの無い堆積のようなもので、そこに生の声が塗りこめられていたとしてもそれを汲み取ることは、本人達にとっても容易なことではなかった。さらには、仲間内でしか判らないコード進行バズワードなどによって共通言語が小集団に分断されていき、しまいには原宿少女には渋谷で書かれたケータイ小説が読めないいうことも起こった。この緩やかなまとまりを持ちつつもタコツボ化していくケータイ小説界は、人文系、特に言語学者フィールドワークの対象として魅力的に見えたらしく、いくつかの論文を産んだ。中でも「ケータイ小説の系譜」はケータイ小説神話の発生と絡めたこともあって現代の金枝篇との評価も高い。

さておき、浸透と拡散、特化した小集団の枯死といった経過をたどってブームとして消費されるかに見えたケータイ小説は突如として変貌する。あるケータイ小説家が「あなたの人生小説にします」と宣言しサービスを始めた。既にケータイ小説市場に新奇の物語要素は存在せず、彼らは自分達の生活そのものをドラマチックな嘘と仲間内のコードで修飾して市場に流すようになっていた。そこにビジネスチャンス見出したのだった。ゴーストライターである。熟年を対象とした自叙伝ビジネスとほぼ相似の関係であるが、このゴーストライター雇用者に対して聞き取りをしない。雇用者の一切の創作の手間を省くためであるのだが、雇用者が若年であり語るべき過去を持たず現在進行形小説としてほしがったためでもある。従ってゴーストライター雇用者のあとをついていき、行動を小説に書き起こす。小説頒布とそれに生じる利益の追求は雇用者が行う契約だった。1:1対応のビジネスモデルは多くの追随者を生み、ケータイ小説市場モデル消費者でもある雇用者とゴーストライターに二分された。

「書として街に出よう」

一番最初に組織化されたゴーストライター協会のキャッチフレーズだ。人々はゴーストライターという形でフィクションを身にまとうようになった。そしてゴーストライター達は昔の演劇要素を発掘してきて観察者たる立場を確固たるものにした。

日本人外国人と街を歩くと説明に困る事態に遭遇する。外国人たちはあらぬほうを指差し「あれは何だ」と訊ねる。だが日本人には「あれ」が認識できない。認識しないことになっている。勿論「あれ」はゴールドライタンであり、認識しないのはそれが黒子の格好をしているからである。組織化され認知されたゴーストライターはその数を増し、街を行く人々の半数が黒づくめだった。この奇妙な習慣は海外に紹介され「KUROKO」は各国語に定着するほどになった。デートスポットなどでは男女のカップルの後ろに黒子が一人ないしは二人控え、次にささやく愛の言葉インカムを通して伝えていた。人々はいつしか物語の後ろを歩くようになっていたのだった。このことは、よりドラマ性を求める人々によって多くのトラブルを産んだ。例えば暴行現場を取り押さえた警察官によって逮捕された三名の中に黒子が二人含まれていたことなどを軸に、主体の所在についての論争がしばしば起こされた。この事件は合意の有無を巡って最高裁法廷に最終的に判断がゆだねられた。

そして、殺人教唆逮捕されたカリスマ黒子「IA☆GO」がAIであったという暴露により、混乱はピークを迎える。ゴーストライターの慢性的不足から、ゴーストライター協会は自立AIをひそかに利用していたのだった。このスキャンダルで幹部数人が逮捕されることになりゴーストライター協会は解散した。

後を受けて設立されたゴーストライター連盟が、AI「IA☆GO」の基本構造を継承して作られた記述AIをPAB(ParsonalArtificialBrain)として公式に商品化し、それがやがて人類から機械知性に文明を禅譲する流れになっていくのである。

ファック文芸部杯参加作 http://neo.g.hatena.ne.jp/objectO/20071117

2007-11-06

デファクト・スタンダード

齢90を越えたウィリアムヘンリーゲイツ三世が、次世代Windows発表記者会見に現れたとき、会場は喧騒に包まれた。記者たちを最も驚かせたのは、徹底して情報公開がなされなかった次世代Windowsの開発に、第一線を退いたはずのゲイツが関わっていたという事実ではなく、彼がブリーフ一丁で現れた事であった。各ハードメーカーの代表者達の前に立ち、ゲイツ老は上半身だけスーツのなんとも奇妙な姿で、こう宣言した。

「これが次世代Windowsです」

騒ぐ記者たちを抑え、はっきりした声で、ゲイツは説明を行った。次世代WindowsパンツPC上で動作するOSであること、今履いているブリーフWindows搭載ブリーフであること、そして今後、PCの標準はパンツになるだろうと述べた。「それは本当にWindowsなのですか?」というある記者の間の抜けた、だが正しい質問に「もちろん、Windowもあります」とにこやかにゲイツ老がブリーフの前から性器を取り出した所で会見は終了した。

コンピュータとしてありえない形を先に示す事で、ハードインターフェイスOSなんて、どうでも良い時代が来たと彼は言ってるの」

そんな言説が受け入れられる程、世界は次世代Windowsに寛容だった。ハード各社も次世代Windows搭載パンツを次々と発売した事もあり、次世代Windowsとその専用ハードであるパンツPCは、日常に溶け込んでいった。

佐藤くーん、パソコン教えてー。これ、どうしたらいいの?」

「えーと、どれどれ」

「ああ、これはね、ここをクリックして……」

「あ、あん」

「あ、大丈夫」

「うん、続けて」

オフィスで、誰かの部屋で、または街角で、その光景はあった。

「ほら、できたよ。わかった?」

「うん。ありがとう。でも佐藤君のもフリーズしちゃってるみたい……」

「今度は、君が直してくれたら嬉しいな」

シアトル郊外ウィリアムヘンリーゲイツ三世の自宅。

「おじいちゃーん! パソコン、また壊れちゃったの」

「どれどれ、見てやろう。ほほう……」

ゲイツ老は、柔らかな笑みを浮かべながら、孫のスカートまくりあげた。

第二回ファック文芸部杯参加

http://throw.g.hatena.ne.jp/sasuke8/20071130/p1

2007-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20071101182829

よく見たら増田入ってるじゃん。

佐々木さんGJ

インターネットに集合的無意識のようなものが存在するとすれば、このはてな匿名ダイアリーに書いている無数の増田さんこそが、その体現者ではないかと思われます。特異な体験、特殊な考え方、奇妙ロジックを提供しているエントリーが多いのにもかかわらず、総体としては「これが今のインターネットの人々の思いの集合体なんだ」と納得させられる。

http://alphabloggers.com/nominee_2007/entertainment/anond.html#presenter

2007-11-01

PerlClass::Data::Inheritableの解析

唐突にClass::Data::Inheritableのソースコードについて説明してやんよ。

使い方とかの説明はこの辺でも読んでから出直して来い、ごるぁ!

まぁとりあえずソース見てみろ、下記にはっつけてやっからよぉ!


 1: package Class::Data::Inheritable;
 2:
 3: use strict qw(vars subs);
 4: use vars qw($VERSION);
 6: $VERSION = '0.06';
 7: 
 8: sub mk_classdata {
 9:     my ($declaredclass, $attribute, $data) = @_;
10: 
11:     if( ref $declaredclass ) {
12:         require Carp;
13:         Carp::croak("mk_classdata() is a class method, not an object method");
14:     }
15: 
16:     my $accessor = sub {
17:         my $wantclass = ref($_[0]) || $_[0];
18: 
19:         return $wantclass->mk_classdata($attribute)->(@_)
20:           if @_>1 && $wantclass ne $declaredclass;
21: 
22:         $data = $_[1] if @_>1;
23:         return $data;
24:     };
25: 
26:     my $alias = "_${attribute}_accessor";
27:     *{$declaredclass.'::'.$attribute} = $accessor;
28:     *{$declaredclass.'::'.$alias}     = $accessor;
29: }
30: 
31: 1;

短いソースだなーこれ。でもな、なめんじゃねーぞ。短いけど色々な技術が盛り込まれてんだよコレはよぉ。

ハイ、まず3行目。

かるくstrictについて説明してやんよ。心して聞けよオマエラ。

strictっつーのはだな、つまりPerlにおける曖昧な部分をすこーしだけチェックしてくれるスグレモノなんだなコレが。

とりあえずざっくり言うと三つの機能があってだな、下記のよーに書くわけだ。


 use strict 'vars';
 use strict 'subs';
 use strict 'refs';

varsってーのは簡単に言うとmyとかourとか宣言しろボケってやつですわ。

subsは裸体は許さんってやつですの、$とか%とかついていない裸の文字列をエラーにしてくれんだよ。

refsってのが一番やっかいな代物でな、これはムツカシイ言葉で言うとシンボリックリファレンスってんだが、要は変数名に変数を使うとエラーにしてくれるってこったよ。

で、これら全部ひっくるめてuse strict;なんだな。わかったか?オラ!

ちゅーことはだ、3行目を見ると意図的にrefsだけ外してるのがわかるよな。

つまりコレはこのコードのどこかで変数名に変数を使うってことを明示していることにもなるわけだ。けけけ。

あーもういいもういい、次だ、次。

4,5行目を見てみろよ。今時our使わずにuse vars使うなんてどんだけー

ははは、まぁまてよ。

ourってのは明示的にグローバル変数を定義するもんなんだが、このourってやつが導入されたのがPerl5.6からなんだよ。

Perl5.5のころはourなんてなかったからグローバル変数定義すんのにこのuse varsを使っていたわけだ。

つまりこのモジュールはPerl5.5環境でも動くように配慮しているわけなんだな、ちゃんちゃん。ほほほ。

あーもう全然すすまねーよ。チクショウ、が、ま・・・・。

で、11-14行目。これはref関数使って$declaredclassがオブジェクトだったら死ぬって処理だ。

require CarpっつーのはCarpモジュールを動的にロードしてるっていうことだよぅ。

で、Carp::croak関数使ってエラー文はいて死ぬ、と。ちなみにこのCarp::croakってはまぁdie関数みたいなもんなんだ。

違いとしてはエラーの発生した原因を呼び出し元の奴のせいにして自分は悪くないんだよってアピールすることかな。まぁ実際使ってみりゃわかるよ。

さぁ、16行目。本編突入だ。長かった。長い道のりだったなお前ら。

sub {}ってのは無名サブルーチン(関数リファレンス)ってやつだ。で、ここで注目すべき点はただひとつ!!!!!

19-23行目あたりをぼーっとみてると$declaredclass, $attribute, $dataっていう変数を使用していることがわかる。

これらの変数は9行目で受け取ったmk_classdataへの引数だ。

ここで問題が発生する。

ダダダダン!ダダダダン!ここで問題が発生する!

myで宣言された変数賞味期限スコープの終端だ。それはわかるな?

つまり9行目で宣言された$declaredclass, $attribute, $dataといった変数どもは29行目のスコープの終端で消滅してしまうわけだ。

しかし!その消えてしまうはずの変数どもをsub {}という無名サブルーチンの中で使用してしまっている!!!

これが世間一般に語られているクロージャという仕組みなのだ!!!!!!うはははははははh!!!

本来生涯をまっとうするはずだった変数たちが別のサブルーチンの中にまぎれてしまうとその別のサブルーチンが消えてなくなるまでは死ぬことを許されなくなるのである!!!ざ・不☆老☆不☆死!

なんたる奇妙奇天烈なことであるが、この現実を受け入れることによってお前らの道が開けるんだ!!!すげーだろぉがよぉ!!

ボクはッ、キミがッ、クロージャを受け入れるまでッ、殴るのをやめないッ!

さて、肝心の16-24行目のアクセサ部分の処理の解説だけども、

引数が渡されてなければ特になんの処理もせずに$dataを返している。$dataってのは死ぬことを許されなくなったカワイソウな変数君だ。

つまり、Class::Data::Inheritableってやつはアクセサに渡された値をどこで保存してるのかというと、紛れも無いこの$data君に他ならない。

$data君がニート君になっちゃうとたちまちデータの読み書きができなくなるのであまり働かせ過ぎないように注意しよーね!

ハイ、次はアクセサに引数が渡された時の処理だけどな、20行目を見てみろ。$declaredclassに格納されてる値はmk_classdataメソッドを使用したときに格納された値になる。


 package Hoge;
 use base qw/Class::Data::Inheritable/;
 Hoge->mk_classdata('hoge_accessor');

つまり上記の処理で例えると、$declaredclassには'Hoge'という文字列が入ってることになんだな。

で、この'Hoge'と$wantclassに入ってる値を比較しているわけだが、


 package Hoge;
 use base qw/Class::Data::Inheritable/;
 Hoge->mk_classdata('hoge_accessor');
 
 Hoge->hoge_accessor('aaa');

上記の処理で例えると$wantclassには$declaredclassと同じく'Hoge'が入ってくることになんだな。うっひょー。

んで、20行目のif文は$wantclassと$declaredclasが違う場合にだけ19行目の処理を実行しているわけだからこの場合はスルーするわけだぁ。ひょひょひょ。

じゃあだな、$wantclassと$declaredclasが違う場合ってどんな場合?ってことだが、下記に例を示すから目ん玉引ん剥いて網膜から直接見てみろよこのボケ野郎どもが。


 package Hoge;
 use base qw/Class::Data::Inheritable/;
 Hoge->mk_classdata('hoge_accessor');
 
 package Foo;
 use base qw/Hoge/;
 
 Foo->hoge_accessor('bbb');

HA!HA!HA!こういう場合だよ米ベー。$wantclass=Fooで$declaredclas=Hogeになるんで19行を実行し、Fooをベースにしてmk_classdataを呼ぶことでFooに同じ名前の新たなアクセサを提供し、元クラスHogeの値を壊さないようにするわけですなぁ。

考えた人すごいですなぁ。これがClass::Data::Inheritableが継承可能なクラス変数といわれる由縁でするまする。

で、最後の26-28行目はコレらの便利な処理をしてくれる$accessorさんをクラスに登録するというわけですよぉ。

27,28行目の*ってのは型グロブ変数ってという奴で、型グロブに対して無名サブルーチンを突っ込むと動的に関数を定義できるんだなぁコレが。

でここで、初めに俺が語った話を覚えてるか?へっ、オマエラなら覚えてないだろうなけっけ。use strictの話だよ。refsだよrefs。

ここでrefsを省いていたのが利いて来るんだ。refsって何だった?ホラ言ってミソ?

うんうん。変数名に変数を使えないようにするだったね。

で良く見てみると型グロブ変数に対して「$declaredclass.'::'.$attribute」っていう変数を使おうとしているよね?これをしたかったからrefsだけ仲間外れにしてたわけですね。

はは。

あー、あー、あー。

これで終わりだよぅ。みんなわかったかな!?

コレ読んでもわからんやつはもう死ぬか、もしくはわからん用語について死ぬほど調べてもっかい読みなおしてみろこのド低のぅッ・・・ごふんごふん、このクサレ脳みそがぁ!!!!!!!!!!!!11

プログラ増田のあなぐら

2007-10-24

なにが嫌って

その程度の苦しみも味わっていない人間が「大変でしたね」なんて

この言い草がいや。気持ちはわかるけどこの傲慢さ、この奇妙プライド、この選民意識がいや。

他に言いようがない心苦しさなんて想像もしないんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20071024164922

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