2007-12-17

たまには素直にしゃべってみる

言葉というのは、ときにゆかいな気分にさせてくれることのあるものだし、(これはほんとうのことだが)人生を歩むために必要な勇気をあたえてくれることすらある。SF小説のなかの人物が語る、ほろ苦い感傷に満ちた言葉が好きだし、ロシア小説の人物がつかう奇妙言葉遣いも好きだ。科学者がつかう飾り気はないが力強い言葉も、哲学者のつかうすこし大げさだが確固たる価値観を持った言葉も、ともに勇気をあたえてくれる。こういった言葉の使い手たちは、読むもののこころを高みへいざなってくれる。言葉をつうじて、見たことはおろか、想像もしなかったような世界を見ることができる。ほかではけっして味わえないであろう、独特の興奮に満ちた体験を与えてくれる。だから、言葉が好きだ。

しかしながら、おれの目から世間を見ていると、逆に、言葉にむなしさを覚えることも多々ある。そんなに軽く言葉をつかって、むなしくならないのかと思うような、空虚な言葉に満ち満ちている。

言葉価値を持つための必須の条件のひとつに、「使ってるやつが、それを本気で信じている」というのがあると思う。あるいは、すくなくとも、「本当かもしれないと信じている」でもいいが。「おまえそれほんとに思ってるのか?」とか、「おまえぜったいそんなの自分でも信じてないだろ」と疑わざるを得ないような状況というのが、ほんとうに多い。おれに言わせれば、世の中の多くの人間は、言葉を軽く使いすぎる。

もちろん、日常生活で冗談を言うなとか、そういうことではない。そういうレベルの話ではないのだ。おれだって、日常ではナンセンスな軽口を叩くことはあるし、そういうやりとりは嫌いじゃない。でも、冗談言う場面と、ほんとうのことを言う場面の区別っていうのは、なければならないもののはずだ。しかしどうにも、本気な顔して冗談みたいなこと言ってる連中が多すぎるように思える。

今日は、そういう彼らや彼女らのことを考えた。いったい何を考えているんだろう。その言葉になんの意味があると思っているんだろう。もっとも素直な回答は、彼/彼女らが言葉を軽視しているという説だ。彼/彼女らは、本当のことを言わないことに慣れているし、そのことをなんとも思っていない。きっと彼・彼女らは、「ほんとう」ということ自体に、価値見出していないのだろう。実際、数は少ないが、これまでの人生で、何人かそういう人物に遭遇したことがある。そのうちのひとりは、あからさまに嫌なやつだったので、単に無視していれば済んだのだが、なかには、悪いやつには思えないようなやつもいた。そう、言葉を軽んじているにもかかわらず、いいやつというのが、存在するのだ。

べつの回答もある。もしかすると、ああいった人たちは、自分でも、「自分がそれを信じている」と思い込んでいるのではないだろうか。つまり、かれらは、自分がほんとうに何を考えているのかということが、自分でわかっていないような人々なのではないか。これは、あまりに人を馬鹿にしすぎた考えだが、たまに、こうでも考えるほかないのではないかと思えるようなときがある。しかし、これはこれで、しあわせなことなのかもしれない。けっきょく、人は、自分自身の価値を信じて生きていくしかない。

ともかく、ひとつ言えることは、言葉を軽んじ過ぎるような連中には、こっちだって、ほんとうのことは言ってやらないということだ。

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