はてなキーワード: 一部の人とは
少子化という事態は、人口の減少は消費の減少を意味する。だから政府は個人消費に頼らない経済政策を打つだろう。高所得者優遇を進めることで、個人消費の激減を抑えるようにはするだろうが、貧民の増加に対しては、手は打たないだろう。自己責任原則の過剰さが言われ始めるようになったが、その言葉はすでに10年前から一人歩きを始めている。もう、全てが遅い。失業した人間や給料の低い人間、雇用が不安定な人間は、その人自身の責任とされ、政府による経済政策の失敗、ひいては官僚機構の無謬性と無責任性の維持のために、自己責任原則はこれからも跳梁跋扈し、大企業の正社員たちは自らの幸運に安堵し、生活を維持するために、そうではない人々への同情は、形にはならず、それを訴える声に耳は貸さなくなる。ネットでの叫びは、匿名性の名のもとに、罵倒される。
階級社会の現実というものなのだが、社会は連帯ということが必要とされる。いつしか、それが消えてしまった。大晦日の格闘技興行で、韓国系日本人を破った選手が日本人は強いとか勝利後のマイク芸でしゃべったそうな。それはそれでよい。負けた韓国系日本人は、大ブーイングを浴びるだけのことをしたのだから。あの勝利のローキックに快哉を叫んだ日本人は多いだろう。しかし、日本人は強いという言葉に素直にうなづくくらいしか、社会の連帯がなくなってしまったのかと思うと、悲しい。連帯が消えてしまった国家・社会は崩壊するしかない。崩壊した後に何があるのだろう。どこに自己の帰属を求めればよいのだろう。自己の帰属が会社だった時代が羨ましい。国家が前面に出てこない幸福な時代。もうそういった幸福な時代はやってこない。
連帯も失われ、セーフティネットも形骸化していく中で、若い連中は将来が描けない。描けるのは、高所得を得ることができる人々だけで、それ以外の連中にそれは無理な相談となりつつある。自己責任原則はここでも登場する。将来が描けないのは自業自得だとか、趣味の世界に走って、異性に関心を持たない嘆かわしい連中が増えた、何だと、萌えだぁ? こんなことしているから、少子化になるのだといわんばかりのマスコミによる大合唱。マスコミに勤める人々は、基本的に勝ち組だ。将来テレビがなくなることはない。テレビを持てなくなる人や見られなくなる人が出ても、彼らは安泰だ。現状のビジネスモデルは、若干の変更が加えられて存続するだろう。そういった連中は、ステレオタイプの若者像を過去何年にもわたって報道し、増幅してきた。ネットでの抗議などは蚊ほどにも感じない。炎上と称しているのもあと数年で、炎上対策がなされ、ネットでの抗議などは意味を持たなくなるだろう。
事実ではなくイメージが先行するのは、さして驚くことではない。イメージで社会が、政治が、国家が語られ、事実や正確な統計は省みられない。イメージが100%正確ではないということではない。一部の人々にとっては正確なのだ。その一部の人々の利益は守られるだろう。そしてそこからあぶれている人々は、貧民としてラテンアメリカのような陽気だけど貧困にあえぐという像を押し付けられる。江戸末期に外国人が来て、日本の一般庶民が大変従順で、幸せそうであることに注目している。彼らは武士たちの巧妙な統治によって、従順化させられていた部分が多分にあるだろう。おそらく数十年後にはきっとそうなる。大して面白くもないお笑い番組を年末年始に放送しているのは、愚民化への一歩ではないだろうか。芸人は罪はない、としておこう。一部芸人を除外すれば、多くはフリーターのようなものだ。今年の今頃にはあの人何処に行っただろうとか言っている、某筋肉自慢の高学歴芸人だっているはずだ。それに多くの人は笑い、年末年始を過ごし、貧民化した人々は、また仕事に向かう。明日とも知れない不安定な生活を少しでも支えるために。ああ、忘れていた。年末年始も仕事だという人もいる。そういう人もまた、不安定な生活を支えるために、懸命なのだ。人間らしい生活など、何処に行ったのだ?
19世紀の労働者たちは生活向上のために戦った。社会主義やら共産主義という方向に行ってしまったのはさすがにアレだったが、それでも権利獲得のために戦い、いくつもの権利を勝ち得た。しかし、権利とは勝ち得た後が大変であることを忘れていた。権利が形骸化させられること、これは最も恐れるべき事態だが、21世紀日本ではそれが起こっている。貧困が自己責任化するまであともう少しだ。生活保護も形骸化し、雇用保険も同じく形骸化する。ありとあらゆる国民生活を支える社会制度が、崩壊する。崩壊しても制度は残るし、運用者が要る。すなわち。それらを運用する官僚たちだけが生き残るのだ。そういった、本末転倒な事態まであと少しだ。日本は22世紀には存在しないだろう。21世紀中に国家の態なさず、事実上崩壊するだろう。希望というものなど、もはや何処にもない。絶望しかない。政府が少子化を訴えても、危機感が迫らないのは、政府自身が手を打つ気がないからだ。
将来、世界史史上稀に見る、統治能力を失って自己崩壊した国家の一例として、日本国が挙げられることとなるだろう。若者たちよ見えないか、ブレードランナーのような情景が眼前に広がるのを。最低限の秩序もないが自然状態をかろうじて回避している、夜警国家以下の情景が。
まずは次のデータを覚えておいてください。
1、 1355万円
2、 1570万円
3、 1427万円
4、 1572万円
5、 1112万円
6、 574万円
世の中は金がすべてだろうか。
金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし
タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。
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「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。
「もったいないよな。これを企業に売り込んで
例えば広告として使ったり、大金持ちの結婚式のイベントとして売り込めば
紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。
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カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、
近寄りがたい印象が強い。
平和な社会が見えてくると言う矛盾。
「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、
平和の道を作ることができる。
誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、
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例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、
ビジネスを大きくするためにさらに投資する。
一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。
しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて
再生産を繰り返すのが理想の姿。
嫌なやつといったイメージ。
送り込む作業をする人間というのは
社会のために生きていることになる。
金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、
明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば
嬉しくてしょうがないのが人間の感情。
世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が
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今年ももう終わり。
あと1週間もすれば門松に変わる。
ここ何年かで経済面で大きな事件といえば
ライブドアショックを忘れることができないでしょう。
当事者にとってはまだ終わっていない問題です。
ライブドアの堀江社長もヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは
「成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、
気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。
奢れる者は久しからず。
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こう見てみるとここのところメディアを騒がせている
「格差社会」という仕組みも、
実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも
ないことが見えてきます。
格差に怒りを感じてしまうことも事実。
しかし、格差社会というものが今一つピンと
来ないところがあるのも事実。
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この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、
どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。
今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう
のです。
このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、
なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに
疑問を投げかけている。
「希望とは努力が報われると思う時に生じる、
絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」
この言葉が紹介されていて
「1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」
と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。
とくに企業が安定していた頃は実力よりも
「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間が
結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは
昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、
とも思う。
企業奴隷として生きることを強いられた時代。
私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と
いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生が
生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。
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「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある
のかもしれません。
テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、
自分もいつか、と夢を膨らませる。
「勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を
生きさせられている嫌な感じ。
羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。
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ところで最初に見てもらった金額は
ある企業に勤める社員の平均年収。
会社名は何かと言うと
1、テレビ朝日
2、TBS
3、日本テレビ
4、フジテレビ
5、テレビ東京
7、永谷園
(MSNマネー企業概要より)
格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。
普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。
納得できる企業。
それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、
テレビ局には大量のカネが流れ込む。
勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。
彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。
郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。
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しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、
たとえば亀田兄弟。
亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ
何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる
視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が
永遠に約束されております。
職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。
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何か言い出したらロクなことはない。
「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、
そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、
地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。
「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、
そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。
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「格差社会」は多分真実でしょう。
また、「格差」は仕方がないという言葉を、
今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが
語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。
いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。
勝利者が集まる空っぽの洞窟。
は敗北者という「勝者の視点」。
物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。
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「格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、
そうじゃなかったりするわけです。
例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、
というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。
そんなもん知るか。
一方では消費社会をひたすら煽る。
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人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、
という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。
メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。
これが格差社会の正体。
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―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、
これまた古典的な構図による。
ネットカフェ難民、ニート、年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の
政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。
「エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。
「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体の
ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―
http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57
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彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。
「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。
「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても
誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。
特にあいつらは。
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□石原慎太郎に心ひかれる自分がある。
□オリンピックやサッカー・ワールドカップでは心から日本を応援する。
□中国や韓国はいやだと思うことがある。
これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」
ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。
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問題は、以前ほど未来に対しての安心感が
ないまま日々を送らないといけないこと。
もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと
なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。
なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………
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「リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。
出場するために車でニューメキシコから
「エンターテイメント」としての役割を背負った作品が
圧倒的に多い。
そういったファンタジーものとは別に、
現実のつらさを描いたのがこの作品。
しかし生徒は集まらず本人はビンボー。
2種類のうちでは敗け組の方。
成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて
この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?
「オレたちはみんな、敗者だ!」
映画の中で誰かが叫ぶ。
アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。
アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で
あることをうすうす解っている。
その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人。
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アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、
日本とアメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。
抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で
ビジネスの勝負ができる条件。
日本との環境の差は無視できない。
もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、
多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。
しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには
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億万長者を生み出すベンチャービジネスのからくりの一つを見てみると、
株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。
強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に
なってたとしても、株式上場で金が手に入れば
それでOKとする考え。
もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、
上場できなければ会社は破綻。
いつのまにか今の世の中基準になってしまった。
多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで
金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。
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ビジネスの成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。
しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、
絶対にメディアでは取り上げられない。
彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間。
結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディアで
成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。
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成功するというのはすばらしいし、
誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。
しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい
勝つこともあれば、負けることもある。
「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。
責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を
持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。
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この先、我々はもう一つの成功者を
生み出す必要があるんじゃないかと思います。
多分「格差社会」ということに関しては
我々が試されているんでしょう。
冷静でいられるのか。
この世は金が全てか?
ノー。100%ノー。
「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも
限界があるという事実。
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格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、
世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。
エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を
意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と
この手の権威が継承されてきています。
しかし日本にエスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、
歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。
ということは弱者が強者にだってなれるということ。
しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、
という、でたらめばかりを言ってきた連中は、
この手のことには触れようとしない。
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カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。
「あがり」を生み出す思想からの脱出を。
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アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。
どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、
全く体が動かない状態になった時、
小指の一本でも動かせないかともがいてみた、
という話。
とにかくもがいてみる。
すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。
そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。
手の次は腕。
そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。
うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、
小指の先から暴れてみることを考える。
誰もが出来る小さなレジスタンス運動。
結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、
実行できる人だと思う。
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冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が
いつのまにか社会を支配してしまいました。
彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、
そこから外れたら敗北者。
東京のごく狭い範囲で起こっていることが
しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも
時代が変わっているのも事実。
親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。
絶対に負けない人達。
ところがこんな事実がある。
現在コンビニが全国で4万店。
歯医者が7万店。
つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。
社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実。
これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、
今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。
つまり今年までの負け組が来年には勝ち組にもなれるということ。
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今年の終わり。
この日記を読んでいる方は残りの数日間、
ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう
自分にとって金より大事なことは何なのか。
これがこれから先のあなたを成功に導く。
金より大事なもの。
自分の子供。
古本屋でやっと見つけた本。
家族。
大枚をはたいて買った骨董品。
一人になる時間。
いつも通う喫茶店の窓際の席。
成功。
愛車。
クリスマスのこの日。
その何倍も不幸を感じる人間がいる。
元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、
いつのまにか孤独や不幸が通常よりも
増幅してしまう日になってしまった。
つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?
他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、
「負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。
カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、
この先の時代はあなたは有望。
今の時代の「成功」はまもなく消え去る。
時代は変わる。
「オレだって」「私だって」という野望が
結構受け入れられるのが、日本社会です。
そのためにはカネよりもまず「情熱」という
革命用の武器を手にする必要がある。
美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
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Gladys Knight and the pips - Neither one of us
http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related
デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど
ボーカルものもやっぱいい。
ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、
いまこれがやれたら結構かっこいい
トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。
Dean Martin, Gladys Knight & The Pips
http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related
グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像
"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related
ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが
超かっちょいい。
Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)
http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc
ソウルつながりでジャコ。
ドラムのピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で
やってしまった例。
http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0
最後は東京に戻って
さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン。
「Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)
じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)
この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、
もしかしたらもうなくなっているかも。
(さんま。お前は判って聴いてんのか?)
それでは皆さん、よいクリスマスを。
会えば会うほど好きなるやつ。
小さい時はなんだかんだで男女混ざって遊ぶことって多いから、
でも、中学生ぐらいから、顔とかの差が出てきて、一部の人は女の子との接点が減ってくる。
そうなると、アニメの女の子との接点の方が増えるから、アニメの二次元に恋するってわけさっ。
顔のいい人は、三次の女の子の方が圧倒的に接する量が多いから、二次には見向きもしないし、
二次に恋する人は、三次には接しないから、恋する相手は二次ってなるので、さらに差が開くわけですよ。
しかも二次の女の子に興味を持ち始めた頃は、どこかしら背徳感があって、どきどきがとまらない。
まさに、心理学のつり橋効果ですよっ。
でさでさ、二次の女の子たちは総じて目が大きい。つまり、瞳孔が大きい。
瞳孔が大きい人は、自分に興味を持ってるように見えて、魅力的にうつるってやつあるじゃん?
そうですよ、二次の女の子たちが自分に興味を持ってるかのようにみえるんですよ。きっと。
そして、アニメとか買うときに、大金を出すだろ。少ない小遣いから。
自分にとって、かなりの事を二次の女の子にしてあげるわけだ。
そうすると、ここまでやってるからには自分は二次の女の子が好きに違いない、って思っちゃう心理ができて、
ますます好きになる。
そのアニメとかを再生するディスプレイとか、フィギュアとかは常に自分の一番そばにある。
誰よりも近い場所、そうパーソナルスペースだ。
これはもう心を許すしかない。
やばいぞこれは。
一度はまったら、抜けられないではないかッ。
影響力に対する危機感、ってのはある。
池田はリアルな世界でそれなりに信用されており、識者として意見を求められる立場にある。その彼がネットにおけるムーブメントに大してあからさまな敵意と侮蔑を表しており、しかも言っていることが相当斜め上だったり独善だったりする。これが80年代なら、新書に少々突拍子もないことを書いたところで、読むのは一部の人間だし、そいつらだって知識の端の方の真偽などしるよしもなし。まして、池田が実生活に害を流すなどということは、あまり考えずにすんだ。しかし今は違う。彼の言動は、ネットに影響を及ぼしかねない。
ネットに関する発言を見るかぎり、彼はエスタブリッシュメントの立場から自分に心地よい環境を維持するためにネットを圧殺しようとしている、と思われてもしかたがない。
Ajaxに控えめ対応、「サイボウズ Office 7」が登場 − @IT
Office 7のようにWebブラウザをクライアントとするソフトウェアではAjax採用がトレンドだ。
「びっくりさせず」「さりげなく」――サイボウズ、主力グループウェアを4年ぶりに刷新
スケジュール機能に一部、Ajaxを取り入れ、表示を高速化した。
ページ送りの際にデータを先読みし、画面を遷移せずに部分的に表示を切り替える仕組み。
「Ajaxといっても、ドラッグ&ドロップのような操作は初心者には分かりづらい。
Ajaxをさりげなく取り入れた」(青野氏)という。
Google Calendar Tip: ドラッグ&ドロップで予定入力時間を短縮 | Google Mania - グーグルの便利な使い方
Modern Syntax : Googleカレンダーすごすぎ
もうデスクトップ・アプリと遜色がないユーザインタフェースがすばらし過ぎます。
新規イベントを作るときも開始時間から終了時間までドラッグするだけ。
日をまたぐようなスケジュールの場合もちゃんと処理しようとするし。
ITmedia Biz.ID:もっと便利にGoogleカレンダーを使う7つのTips
Googleが数カ月以内にオンライン・ストレージ・サービス開始,Microsoftの「SkyDrive」に対抗:ITpro
Microsoftのサービスは,Windowsのデスクトップと一体化し,標準的なWindowsのファイル・システム用アイコンを使うので,
ローカル環境とオンライン・ストレージ間のファイル移動がドラッグ&ドロップだけで済む。
この点でGoogleの新サービスを差別化できる。ユーザーになりそうな人々は,
Windowsデスクトップ上でファイルをドラッグ&ドロップする操作に慣れている。
こうしたユーザー・インタフェースの採用により,Windows Live SkyDriveは急速に普及する可能性がある。
なお,Googleが,オンライン・ストレージ上のファイルにオフライン・アクセスできる同期機能を提供するかどうかは定かでない。
数日いたんだけど、結構夜中暇だった
テレビも見ないし、自分の家じゃないから掃除もできんし本もないし、そうすると夜って結構暇なんだよね
テレビは時間泥棒だ、あんなもん見たって何になるわけでもなしとか思ってたが
ネットもそうなんだよな結局
ネットの場合、テレビより自分が主体となって積極的に見るものだから、余計に時間泥棒だって意識が芽生え難い上、テレビは時間がくれば終わるがネットはやろうと思えばいつまででも続けられてしまうため実はテレビよりも全然タチが悪い気がしてきた
とかいいつつこうやって増田を見てしまう自分
本当これって煙草並にヤバイ「中毒」だよな既に
そして暇な夜中にベッドに転がり考えてた
そもそも、これが普通だったんだよな、多分。
ここ10、20年くらい、人間が、異常に暇になれないだけで。
もともと人間もこうやって、夜なんてやることなかったんだろうな。
夜だろうがなんだろうがいつだっていくらでも時間が潰せていくらでも遊べるような今が異常なのかもな
まあだから、なんだかんだで今の日本って恵まれてるんじゃねーかと思った
あまりに皆になんでも供給されたが故に、かえって精神的に悩んじゃってるようなところがあるっていうかさ、今の日本は
夢を諦めたくないとかそういう苦悩とかもね、そもそもそうやって真剣に悩める時点で本当は恵まれてるんじゃねーかって思った
昔なんか夢を持つ事自体夢っていうか、そんな発想もきっと出てこなかったろうし
才能がないことで悩めるってのはさ、他のこと、たとえば練習することとか、そういうことは手を尽くしてしまった、あとは才能だけ、って境地まで至ったからこそ才能がないことで悩むわけで、そうすると「才能がない」ことで悩むというのは寧ろ恵まれてる証拠なんじゃないかとか、そういうことをチラホラ思った。才能あるとかないとか以前の問題だったわけで、昔は。
それにまあ今って、ネットが出来るってだけでかなりね、大抵のことができるわけだし。
三丁目の夕日の続編を見てみたんだけど、別に普通にいい映画だったけど、
あれを見て俺は「ああ、現代って幸せなんだな」と思った。
洗濯機とかさ。ローラーで乾かすものとかでてきて。もう超不便利なわけ。
子供たちもさ、菓子は駄菓子しかないし。そりゃ今も駄菓子食いたいときはあるけど「毎日それしかない」ってのは嫌だよね。今の日本の庶民お菓子はレベルがたけーわ、本当。昔は何か特別なイベントとか、特別な日とか、オシャレして出かける日とか、そんなの年に数度しかなかったんだろうけど今はその気になりゃ毎日でも可能なわけで。どっかで何かイベントやってるし、ネット上じゃ毎日刺激的なニュースやネタが流れ込む。今はありすぎるがゆえにそれが普通となって逆に無意味さを感じるとかそういうのなのかも
三丁目の夕日に出てくる芥川賞とりたがってる作家くずれとかね。別にああいうのも今だったら仕事しつつ趣味でネットで小説アップしたっていいわけだし。映画を見ることも、わざわざ「特別な事」としてえがかれてたけど今なんか子供だって普通の日に立ち寄れる。
おいしいものもネットで取り寄せたりとか出来ちゃうわけだし。ピザも電話でオッケー。
待ち合わせとかしなくても携帯でオッケー。
これが一部の人じゃなくて普通の人が出来てることなんだからね。
今って、結構いい時代だと、三丁目の夕日を見てつくづく思ったりしたわけで
だらだらと散文にもなってない呟きでした
まあなんであろうが一端便利さに慣れちまったらもう人間戻れんわ……
が8割に共通して(る、というのが通念になって)たら、それは「大同小異」と呼ばれて然るべき。
オレは尊敬してる人間もいるし、この世に尊敬という概念が消えてるとは思わないけど。
「一般的に(誰もが)尊敬し、厳かであると認定されるもの」が無いという儀ならば、別に否定はしないけど「一部の人に尊敬され厳かであると認定されてるもの」も別にあるんじゃね、って思う。某名誉会長とか。
そゆ意味では、尊厳やらリスペクトやらいう概念が消滅した『ギョーカイ』もあるんだろう。でもその『ギョーカイ』の人らは、そゆ『ギョーカイ』が絶対で普遍的だと信じてるんじゃないか。それはそれで一つのリスペクトだな、と。
まあ「今の世の中」なんて一般化は、それ自体が一種の宗教だよな、と。
宇宙のまんなかでミジンコ以下の存在である僕たちは、なぜか誰もが身の回りを世界だと信じてる。
ミジンコのように。
Aいやー、物騒なとこにきてしまいましたー
B何言うてんのん、いきなりー。ほら。増田の皆さん、やさしい顔してはるわー
Aふーん、やさしい顔て、どんな顔?
Bえ?そりゃ、こう(目をほそめておちょぼ口でほほえむ)
Aえ?何?その不細工な顔が何?
Bやかましい!(Aをどつく)何やねん不細工て
A(まじまじとBの顔を見て)かがみ、って知ってるか?言ってみ、か、が、み(原住民に接する宣教師のように)
B(原住民のように)か、が、みってアホか!知ってます!鏡くらい知ってます!
Aほんとに?じゃあ鏡って何?
Bえー?…そら、こう、顔がー反射してーこうー平べったくてー…って何の話?!
Bなんかむっちゃバカにされてる気がするわー
Aちゃうちゃう、気だけやなくて、じっさいバカにしてんねん
B余計タチ悪いわ!
Aそんでー?やさしい顔ってどんな顔ー?
B(息を整えて)お前はどないやねん、やさしい顔いうたら…
A(いやらしい笑顔で)「ぼうやー」
Bそらまあ、子供相手にはやさしい顔になりますな
A「アメあげるでー、こっちおいでー」
Bそれは、やさしさとちゃう!
A(股間のチャックを開く動きをしながら)「このアメは、あっまいでー」
Bアカンアカン、それは美少女的にはアウトやろ、手をどけろ
股間においたAの手をどかそうとするBの腕をなでながら体をさわりまくるB
Bちょ、やめて!
Aね?
B何が?!「ね?」て何が?
Aやさしさなんて所詮こんなもんやねん。
Bむちゃくちゃお前基準やないかい。もっとあるやろ、普遍的なやさしさみたいなもんが。
A普遍的ー?ホトケさまみたいなん?
Bそうそうそう、慈悲の心でな
Aあー見えてきた見えてきた(薄目で)増田の皆さんがモニター見てはるわー
Bそうそう
Aにっこり笑ってー
Bうんうん
Aあ、なんかいうてはる、口が動いて……
Bうん?
A「死ね!ファック文芸部!死ね!」
Bなんでやねん!むちゃくちゃ一部の人やろ!それ!
Aあ、間違えた「稲!白米うんめー!稲!」って言うてはります。
Bあかん、おもんない、久々の増田で肩身せまいのに、また誤解受けるようなこと……
Aとりあえず挨拶ってことでね、次は人脈作りの七つの秘訣http://anond.hatelabo.jp/20071113050650でヒトネタやりますんで。
Bえ?そうなん?っていうかこれで終わり?
A何言うてんねん、もう君とはやっとれんわ!
Bセリフとるな!ええかげんにせえ!
Aはい!
A&Bありがとうございましたー!
深々と礼をして、退場。
去年の9月頃に見つけた徳島新聞の経済面コラムが保存してあったので晒してみる。
私の見た東京
怖くて公共交通機関を使えない。出張などで東京を訪れるたびにこんな思いを強くする。
「格差社会」といわれて久しいが、東京に行くと格差を実感せずにはいられない。地下鉄に乗っている人々は、もちろん、負け組であり貧者である。彼らの目はうつろで死んでいるか、ねたみで満ちている。車内の空気は殺気立っており、いつ争いが始まるかわからない。ずっと独り言をつぶやいているサラリーマンがカップルをにらんでいる。
私の見た東京はこんな感じである。とても、住みたいと思える街ではない。
こんな東京になってしまったのはなぜか。競争が厳しすぎるのである。私たち人間は(少なくとも私は)そんなに強くない。むしろ弱いといっていいだろう。競争状態に長く居続けるだけで、疲弊するし、無気力になるし、いらいらするのである。そして正直に言えば、そんなに頑張りたくないし、頑張ることもできない。とくに頑張るわけではないが、まじめに働いて普通に生活できる、そんな社会を求めている。
「再チャレンジ」なんて机上の空論だ。一度でもチャレンジできる人は、放っておいても何度もチャレンジする。一度でも失敗できた人は、勝手に自分で起き上がり、さらに失敗を重ね、そのうち成功するだろう。
真に目を向けるべきは、一度も失敗したことがなく、チャレンジすることもないが、競争という大きなプレッシャーに押しつぶされそうな人々である。彼らのストレスと不満はそろそろ限界である。
幸いにも徳島にはこのような空気はまだ入り込んでいない。「効率」、「能力」、「成果」、そして「努力」などという都会の論理にだまされてはいけない。都会の競争論理に参加してはいけない。都会の論理で成功できるのは、都会の一部の人だけである。圧倒的多数の都会の庶民と地方は押しつぶされてしまう。地方には地方の論理が必要である。(和)
それにしてもひどい。そういえば再チャレンジがどうこうとかあったなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20071107022202
的外れなことを言うかもしれないけど、もしそうだったらスルーして欲しい。
あなたのその心あたりのせいじゃなくて、こいつに構ってくれる人認定されたらまずいと思って全力で逃げられてるのじゃなかろうか。この文章読んで、すごくそんな感じがした。リズム感があって読みやすくて多くの人に受け入れられるけど、ごく一部の人にはすごく嫌われそうな。
要するに、ヒエラルキーというか、一部の人間でコントロールしやすいカースト制度を敷きたい人がいるんだろうなあ、とか。疑い出せばきりがない。
まあ、それでも俺はそれはそれでありだと思うけど。
例えば、フラットな名無し的2chのアンチテーゼとしての存在意義ね。
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20071107131328
ごめん。さっきググったら、間違えているのが分かったので、こっそり直していた。