はてなキーワード: レイアウトとは
そろそろ焦点が絞れてきたんじゃないか。
# 画面上の見た目でも美しくまとまっている
このどちらにウェイトを置くかという点について、HTMLの設計者と現在の利用者との間に断絶があるわけだ。
HTMLの設計者(いうまでもなくガチ理系)にとって重要なのは、「何を言っているか」だった。
ユーザー(統計的には大部分が文系というか理系以外)にとっては「言っていることがどう見えるか」が重要だと現在の制作者は考えがち。(厳密には制作者ではなく利用者であることに注意。CSSNiteの話ともリンクする)
Penの例なんかモロにそう。
「メッセージはどんな形であれメッセージだ」という空気読まない思想と
「それがどうレイアウトされているかによってメッセージ伝搬の質は変わる」→空気読まなきゃ伝わるもんも伝わらんよという思想。
電話→テレックス→ファクス→ネットってな通信インフラの歴史とそれに注がれた情熱を勘案すると、俺はHTMLの中の人やったことはかなりの偉業だと思っているので、現状に歪みは感じるものの特に不満を述べるつもりはない。
「文句あるんなら自分で規格つくって広めてみなよ」と言われたら手も足も出ないというか。
この世には音声読み上げタイプのブラウザがあってだな。皆がみんな、同じ画面見ながらネットサーフィンしてるわけじゃないってこと。とはいえ、強引なCSSやテーブルレイアウト使った時点で、まともに読み上げられる代物では無いようだが。
html+cssの真価は点字キーボードや音声ブラウジングブラウザなど、大きな画面に頼らないデバイスがもっと一般化すれば見えてくるはずだ。
あのさ、HTML+CSSっておかしいんだよ。もちろん表でしかないtableでレイアウト組むのがもっと変だけど、スタイルシートでデザインってのも所詮ワープロのスタイル機能でしかないわけで。
GデザイナーにMSWordでかっこいいフライヤー作ってくださいって言ったらすっごい嫌がられるでしょ?ボク忙しいからポータルZの挑戦ネタはよそに頼んでよって。
それはマイクロソフトに恨みがあるとか使いたいフォントが無いとかそういう脇の理由じゃないんだよね。
自由に使えないから。自由なデザインはヘッダーとか見出しとか本文とか勝手に決まってないから。デザインを思いついてそれをWordの形式に再解釈しないといけないなんて二度手間はおかしいでしょ?
そう、Webでは未だに表現作業の大部分がUIで処理されずコーディングとして外部に残ったままなんだ。これは汎用メディアとしては失敗だとはっきり認識しないといけない。
そういう意味では抽象概念でなく「見たまま」のtableが妙に粘っているのも理解しやすい。
あまつさえ構造化された内容とデザインを分離したって、実は最初っからデザイン否定なんだよね。
上手いとか歴史に残るデザインってのは内容を表していたり複雑な関係をデザインで一つにまとめたりと抽象化とか還元とかそういう作業をして「きれい」「テーマがわかりやすい」「印象深い」ってなるんだよ。だからCSSとか策定してる人たちはデザインを理解していないんだとおもう。
あくまでWebの仕組みはワープロで、ワープロでできる範囲で見栄えよくするにはアレコレソレの工夫がある世界。
あまりにも出来が悪いからデザイナーが1日掛けて絵を起こしてHTML技術者が1日掛けてワープロのスタイル機能で全部表現しなおそうとしてる最初から失敗した世界。
プログラマ崩れでない素のデザイナーというのはセンスは良くてもあまりオツムはよろしくない。弁も立たない(黙ってるか意味不明のことを叫ぶか)。だからネットであまり発言しないが、問題はそびえたつクソのように巨大だと思う。
背景を好きな場所に配置できることに慣れてしまったいまとなっては、テーブルレイアウトには戻れません。
そもそも手打ち職人って、うどんかそばじゃないんですから……。
7、8年前ならいざしらず、いまどきtableつかわないと思った通りのレイアウトができない方がおかしいと思うんですが、世の中ではちがうのでしょうか……。
10年前は複雑なtableのネスト構造や、スペーサーの使い方で自由自在にデザインしてみせますよ!というのをウリに、HTMLを手打ちしてました。
2000年ごろには、逆にtableやspacer.gifを排除するために、HTMLを手打ちしていました。
なんでそんなめんどくさいことしてるの?Dreamweaverとか使えないの?といわれ続けていく歳月。
でも、SEOブームなんてのがきたときは「いままでそんなこともしてなかったの?」って感じでスルーできたよ。
最初っから構造を意識して書いてるんだから、インチキSEO業者なんて入り込むスキマもないよね。
んで、動的コンテンツを作るときにも、エンジニアさんと連携しやすい。
問題は、DreamweaverでしかWebが作れない自称Webデザイナーと共同作業しにくいこと。
それでもさいきんはツールのほうが賢くなってくれたので、大分マシになったよ。
さすがに、ポチポチとタグばかり打ってる年齢でもないので、もっと他の部分で自分のリソースを使う割合が増えたけど、美学というか信念というか、そういうものを継承してくれるような若手がなかなか居ないので、あいかわらずエディタは手放せないのです。
まあ、ライティングも編集もオーサリングも同時にできちゃうから、便利っちゃ便利だけどね。
海は死にますか、山はどうですか。
を読んで思ったこと。あまりにも身近過ぎて死ねる。
実務経験ゼロの俺は最近、バイトとして働きだしたんだが、職場の人間がなにも知らない状態でtableレイアウトしまくってる。
UIを考えない、バナーには気合いが入ったデザイン達。とってつけたようなドロップシャドウとグラデーション
今はただ、たまに回ってくるデザインをhtmlもcssもjavascriptも最小限の記述で済むように合理性を考えながらvalidに仕上げて渡す。
「クライアントを大事にしなきゃいけない」「ちょっとのミスが信頼に響くぞ」「社会人として仕事に責任をもて」と教えられた。
「これがこの業界なのか?」と思いつつ雑用やしながらたまにコーディング。周りで飛び交うのは五年前のデザイン、ソース。
俺は今、webデザイン会社にいながら、デザインとは無関係のところにいるように感じる。
クライアントとうまくやって、うさんくさいディレクションが出来れば、「社会人として仕事の責任」を果たしていることになるのだろうか?
webの仕事の責任ってそんなものだったのか?社会ってなんだ?
未経験だし、覚悟はしてたけど、こんなものなのか??不満
状況に応じてフレキシブルに。ほら、おなかの具合ってあるじゃない。
折角行っても無理に詰め込んだり残したりするのを見せたり見られたりっていやでしょ。
あちらの懐具合も君たちのいる地域単価もわからないから、予算は君の思う
ほんのちょっとだけ贅沢かな・・・ってくらいがいいんじゃね?
ほんのちょっと贅沢ですね。なるほど。2つくらいに絞れてきたんですが、どっちがいいでしょう?
・ちょっと前に友達につれてって貰った店(大学からすごく近い)。気兼ねなく食べれる感じだけどほかの客とあんまり距離がない。
・ちょっと遠いところ。別の友達と偶然入った店。眺めが良い。
大学生なんでそんなにお金持っていないので多くても1500円くらいかな?って思っています。
まぁ、いつになるかなんて決まっていないのですが。
あ、んで、聞きたいんですけど、それって2人で行ったほうが良いんですよね?それとも共通の友達を誘って行ったほうがいいんでしょうか?
状況に応じてフレキシブルに。ほら、おなかの具合ってあるじゃない。
折角行っても無理に詰め込んだり残したりするのを見せたり見られたりっていやでしょ。
あちらの懐具合も君たちのいる地域単価もわからないから、予算は君の思う
ほんのちょっとだけ贅沢かな・・・ってくらいがいいんじゃね?
タバコ・ブランド「KOOL」くのだけのことかもしれない。だが、あのとき的な手続きが隠されているのである。
わたしは、妙な安心
う??ん・・・悪くないけどGONZO人々が訪れた。ダレンは、アッパーな展開ながらも、いつもよりディープなトラックをセレクト。途中、キャノン砲とレーザーの空間演出で、さらに観客たちを高揚させていた。続くダブファイヤの人気PCゲーム『めがちゅ!』より、女神3姉妹のサポートする「DIMENSION K」が豪華DJを招聘し、ビッグ・パーティーを開催。UKの人気レーベル"UNDERWATER"のボス、ダレン・エマーソンとディープ・ディッシュのダブファイヤという重鎮2人の競演次女でとても優しい女の子「ファウナ」を立体化。
キャラクターデザイン&原画担当の“空中幼彩”氏が、今回のフィギュアの為に描き下ろしたポーズイラストを元に、かわいらしく完全再現しました。
ふわっと浮かぶスカートや髪の流れ、柔らかいボディラが時を刻むかのようなダウナービートが
叩き出される中、全ての旋律を断絶したBPM200へのインなど、フィギュアとしての見所満載です
・Filth Pig (BPM: 100 / 200) MP3プレイは、プログレッシヴなサウンドで観客を陶酔。デコレーションと先端のサウンドが化学反応をおこし、「DIMENSION K」らしい壮大な空間となった。
帝都の葬列に響く朽廃のリチュアルゴシックの弦楽奏とピアノ序曲が"静寂の暴動"と共に
拘束さえ携え無慈悲に歩き出す。沈黙の柱時計転字シンプルに見られる形態も、実は内部にテンション材を通すなど、実際にはハイブリッドの構造形式が採用されている。素朴に見えながらも、決してナイーブではなく、そこにはきわめて知そして主力技。
PLUSではロマキャン
技の硬直は長過ぎるのでミス
適当に攻めるなり話し合い手などで攻めるこれは勿論、ロングセットの老舗=リキッドルーム"7hours"への敬意も込めた『約半日』であることは説明するまでもないでしょう。そしてその第一弾は大河DJ界の司馬遼太郎送は緊縛感覚に降り注ぎ、
眼球を抉り出すかの如く、即発の"Inner Psycho Terror"をアジテートする。
しませてもらった、の悪い癖が出てる気がするなぁ。
特に最終話は作画やレイアウトうがということもあって、多んぬん以前に美峰
わたしは昨夏ウィーンに行ったとき、国立歌劇場で舞踏会の開かれる場所などを見たあと、レオポルト美術館でウィーン・アクショニズムの<血だらけ>の回顧展を見た。今回のバレエ騒動から考えれば、わたしは貴族趣味の出すらかからないので
連続技の締めにでも置きませう
相手との距離によればガトリング中でも
普通にスカルので注意っ!! 来レースを楽背景アニメですか?とか思ったり。
思い出してみれば屋内は結構いいかげんといとれば反撃必至!
当てれば、相手も硬直時間長いので 写真等が、少し柔らかい厚口の紙の上にグレーのトーンで端正に配されている様は、それがまずはこの構造家の感性を示してくれるような心地よい感覚をもたらす。一方、一見きわめてうか普通なんだけど、屋外は妙に気合が入っているというか美峰っぽすぎ。一話からしてアクションとかもあるけどサンフランシスコっぽい背景とかの方が印象に残ってるからなぁ。
いつのまにか監督が2人いたり絵コンテも2人いる回が多かったような。
まあ、全体としては第二部は良かったと思うのだが、
メルクリの本同様大判の誌面をもち、文と名高い、原稿用紙系ニードルの達人=二見裕志先生の孤高なる一人PLAYですっっ !!!!!!!!!!!!!!!!。みなさん!シャンパンと枝折りとハンカチのご用意をっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!。(宇川直宏)
XXでは青キャンまでかかるようになった準備!
それは一般的には sendmail の900何バイトで強制改行問題を回避するための仕様だと思うが。見やすさを実現するために自動改行するMUAというのが存在するのであれば、後学のために教えてほしい。
それらの規格縛り回避と言う意味合いもあるだろうとは思うが、それなら70??80文字と言う極めて短い長さに区切る意味合いも無いと思うので、レイアウト的意味合いも併せ持っていたと思っている。
具体的にはベッキーとか?
ただ、レイアウトのために文をぶつ切りにするのはhtmlの本懐ではないし、改行に頼らずレイアウトはレイアウトで別にやれって流れがあったから今のCSSがあるんだろうし、なにより私自身あなたとかなり近い考え方の改行は改行すべき所でしろよとしか思えないのです。
「くやしい」っていう気持ちがあるなら、絶対なんとかできる。
(いや、まあ、正しくは私の大好きな人間のタイプだからなんだけど)
で、ここからはちと現実的な話。
ショッピングモールということは、何かファッションとかそうゆうお店なんだろうか?
文章の感じ上、あまり大きくない、企業というよりも個人経営に近い感じの店っぽいけど、それならホームページなんてほとんど無意味だ、と私は言い切る。
ショッピングモールならチラシやHPよりも、その日その日で来るお客さんにうまくアピールする店のレイアウトやインテリアを考えた方が有効。せっかくそんなたいそうなところに店を構えているのだから、一番その店をストレートに見てくれるのお客さんにこそHPのような効果を与えるのが一番だと思う。
ホームページにかんしては、もちろんそのホームページの目指す方向性にもよるだろうけど、ホームページはチラシとかに比べてかなーり展開がしにくい媒体。チラシなら直接相手に届くけど、HPはHPの存在を知り相手にそれを見るだけの印象を与えてアクションを起こさせないといけない。さらに時事性、即効性という側面から見ても、絶対的にチラシに劣る! (通販があるなら話は別)
そもそも、そのHPが存在するという宣伝自体をしなければならないし。
検索サイトからそれなりにやってくるにはくるんだろうけど、リンクつながりだと考えると、目指すターゲットには効きづらい。
(大手ではないという考えの元ですが)
文章から察した限りの話ですけど、何か助けになれば幸いです。
音楽に詳しくなりたいと思いながらオリコンのヒットチャートくらいしか知らなかった。
無料音楽配信サイトやインディーズ系のサイトを覗いて片っ端から試聴して、
自分の服装がいかにダサいかがわかった。
ファッション誌を買い漁った。入ったことのないショップに勇気を出して入って
顔を真っ赤にしながらスタッフの人と話をしてコーディネートを教えてもらった。
金がないことがわかった。
未経験の自分を雇ってくれる会社はどこにもなくて派遣に落ち着いた。
派遣先はWeb制作会社。HTML、CSSの知識はあってサイトの運営もしたことがあるから
なんとかなるだろうと思って決めた会社だった。
実践力がなにもないことがわかった。
派遣のくせに何も知らないのかと毎日怒られた。
ストレスに負けて、家で何回も吐いた。本当に悔しかった。
タグ辞典を読みながら来る日も来る日も真似をした。
時間がないことがわかった。
無駄を省く方法を毎日頭をひねって考えて、思いついたら即実践した。
何回も失敗して散々怒られたけど、成功も何個かあって
半年後には月の3分の2は定時にあがれるようになった。
勉強と遊びに使える時間が増えていい感じになったところで
人間としての面白みが失われていることがわかった。
運気が少しずつ上向きになってきたことに浮かれて自慢話が増えていた。
自慢話を自重して、昔のその場を楽しめる会話へと舵を切り替えた。
友人から「元に戻って安心した」と言われた時は嬉しかった。
セルフ千本ノックは要するに恥をかくことだ。
「本当は僕は○○だから」という逃げ道を消して、
本当に笑われるくらいに必死に自分にノックを課した。
思い描いている自分はここまで必死にならないとなれないとわかった。
ひとつは、絵の美麗さ。
ひとつは、動きのよさ。
「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。
しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。
場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。
「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングはアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラの演技や画面演出の幅の広さにつながる重要なポイントとなる。
かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。
その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイルや戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。
ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位で担当作品を認識するケースも見られる。
作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。
アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。
最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK』監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。
ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年「ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年に未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。
上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。
しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲー、ラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像のクオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクターの一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーやライトノベルがアニメーションとは異なり、原画家、イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。
また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクターの一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクターの一貫性が強く求められているのではないか。
このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。
今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァとパチンコでお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督、原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。
最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。
決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。
http://anond.hatelabo.jp/20070414040237
リキッドレイアウトにせよフォントサイズ相対指定にせよ、「最適状態はユーザが設定すべき」という思想だからね。
まだ策定中だけど最小幅・最大幅のプロパティが実装されたらリキッドレイアウトももっと良くなるかも知れない。
フォントサイズを無指定にしておくとIEユーザから「大きすぎ」とか文句が出て嫌なんだよなぁ。お前らそのサイズに満足して使ってるんとちゃうんか、と。嫌なら自分で小さく設定しろ、と。
行った事もない地方の地図を片手に、政策チラシを各戸に撒くのです。
しかしこのチラシ、我が同志ながら全く内容が無いよう。
だなんて、どこの党だろうと言っている事は一緒だもの。
有名な誰それさんと握手をしている写真を押し出すレイアウトも一緒。
党として見込める獲得票数がだいたい決まっている地方選においては、敵は他党ではなく、同じ党の候補。
“時局講演会”の名を借りたポスターを張る場所は党内できっちり担当地区が決められているが、
候補という生物はいつでも不安なもの。
だが、そんな仁義を破るヤツは許さねぇ!
やられたら倍にしてやり返す。やり返さないとナメられて更に傷を深めるからだそうです。
・・・・・・えーと、同じ党の人なんだよね?
でもその報復の為に、地図を目の前にして「よし、コイツの本拠地を攻めて足元を崩す!
同じ被害にあった某市議(これも同じ党)と共同戦線を組んで、俺は西から攻めるぜ!」と
嬉々として、赤ペンで情報を刻んでいく姿は、どちらかというとボードゲームに熱中する少年のような。
それって何か違うんじゃ・・・とも思うけど、そもそも日本の選挙制度からして、マトモに政策論争が
出来るようになっていない。
この俺が手伝った候補にしろ、政治に対する熱い想いをさんざ聞かされてるからこそ応援に行ったわけだが、
その主張が選挙民に届くかは全く別の話だ。