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2013-01-05

具体例をなんでもかんでも求める病気

世の中にはさまざまな病気存在するもので、具体例を執拗に求める病気もその一つである

これはどんな病気かというと、何か物事を理解するときに常に具体例を知らされないと理解できないという病気である

これはなかなか深刻な病気で、具体例を入手できないで理解が滞ってしまったり、極端な具体例で理解してしまい固定されたイメージしか物事を考えられなくなったりしてしまう。

そもそもこれはどういった原因で起きる病気なんだろうか?一部の人々がなぜここまで執拗に具体性を求めるのか?

それは具体的に言われないと絶対に理解できない脳のつくりをしているかである言うなれば、具体性を通じてしか世界アクセスできない脳の病気とでも言えば良いだろうか?ワンステップでも抽象性がはさまるとそこで躓いてしまう。

確かに一般的には、具体的=分かりやすいという根強い信念がある。しかしこれは間違いで、抽象的でも分かりやす場合はいくらでも存在する。

また具体的=明確という根強い信念もあるが、これも大きな間違い。抽象性と曖昧さの混同は初歩的なミスだ。

抽象性とは些末な情報の捨象や具体値のパラメータ化のことであって、具体データを流し込むことで詳細な情報になりうる。だから、未確定であることが確定している曖昧性とははっきり異なる。

こうした誤った信念があるにも関わらず、多くの人はこれらに反した言動をとっている。多くの人は、抽象的に世界と接触していて、似たものは一つのカテゴリにひっくるめて一緒くたに処理している。

一つ一つの事例に個別な対処法を考えるなんてあまりに非効率であるし、新しい状況への適応力を欠いてしまう。

から、具体例なんてあくまで理解の足がかり、手がかりに過ぎないことをよく分かっており、抽象的な形で物事を理解することに習熟している。そんなことはごくごく当たり前のことだ。

しかしながら、具体性に固執する病人というのは、そうはいかない。なぜそんなことが起きてしまうのか詳しく見てみよう。

彼らは抽象的な話に対して判で押したようにハッキリ言えと言う。度を超した抽象的な話にそう言うなら分かるが、

なんでもかんでもそんな言い方で切り捨ててしまうのは、抽象概念に対して具体的なイメージを結びつける脳機能の欠落を意味している。

そもそも概念イメージを結びつけるというのはどういうことか?ネーミングとも言うが、一連の情報をひとまとめにしてラベルをつける。そういう行為である

ベルをつけることで同じグループに属する情報をまとめて想起しやすくしたり、ひっくるめて何らかの主張を行ったりできるのだ。

このネーミングには具体的なもの抽象的なものがある。具体的なものとしては、黄金のリンゴがある。黄金の色をしたりんごから黄金のりんご。非常に具体的だ。

それは「黄金」という概念も「リンゴ」という概念も人々が具体的なイメージと結びつけて理解しており、それらを合成した「黄金のりんご」という概念イメージも具体的に描くことができるからである

抽象的なものとしては、権威がある。他を服従させる力。力ってなんだ?服従ってなんだ?具体的イメージと結びつけて理解している人はおそらく少ない。

権威」はその人が具体的に描けない概念によって定義・説明される概念から抽象概念とされるのであって、決して客観的にみて高度に抽象化された概念からではない。ここはとても重要な違いだ。

モルディブ共和国」も、その国民にとっては具体的概念だが、モルディブ共和国についての体験も知識も乏しい日本人にとっては抽象概念なのだ

数学にしても具体イメージのないところで概念を導入するから抽象的と感じるのであって、数学天才や長年の数学研究者は具体的感覚があるので新たに導入された概念抽象的と感じることは一般人よりはるかに少ない。

抽象的と感じるかはその人が具体的基盤を持つかに依存し、しかもそれだけに依存する。ここがとても重要ポイントだ。

では具体的基盤とは何か?本で読んだ知識と人生経験したことが基盤?いや、そうではないのだ。それだけではない。思考も基盤になるのだ。

もし人間が外から与えられた知識と経験しか新たな概念を導入できなかったなら、今のような高度な文明はありえなかっただろう。

人間は外から得た知識と経験をもとに思考して具体的イメージを作り出すことができる。それが人類の知の根幹なのだということだ。

例えばどうやってモルディブ共和国の具体的基盤を作るのか?ググってモルディブ共和国の知識を得る。写真を見て「経験」する。これだけではまだ基盤として弱い。

そこで思考する。インド世界地図上で位置を具体的にイメージできる。そしてモルディブ共和国インドの南西にあるという知識がある。だから、おおよその位置を具体的にイメージできるじゃないか

このようにそれまで曖昧だった事柄に具体的イメージが結びついた時にドーパミンが分泌する。これが学習の喜びの正体である

ググって得た知識という「レシピ」をもとに、本で見た写真という「食材」を「調理」する。それが学習である

このとき一見関係ないようなところから食材を調達できるかどうか。それが賢さである

具体例をなんでもかんでも求める病気の持ち主は端的に言えば賢くないのだ。食材を直接手渡しされないと調達できない。普段からさまざまなことに思考を巡らせて「下ごしらえ」する習慣もない。

から彼らはインスタント食品卵焼き程度しか作れない。そればかりかそういう料理が全てだと思っている。自分で調べて自分想像力を働かせて自分考察して得られる理解の可能性にほとんど気づいていない。

大変な不自由だがある意味幸せではある。

 
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