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2009-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20090210134140

だから俺は純粋数学の一部にも感知しないんだって。

文脈からわかるだろう。

バナッハ・タルスキーの定理があったところで、この宇宙にバナッハ・タルスキー分割可能な多様体存在しないならどうでもいい。

2009-02-02

春休みに友達5人とスキーに行く大学生

なんかリア充っぽいな。

http://anond.hatelabo.jp/20090128204258

元増田です。なんかいろいろコメントありがとう

まああれはあくまでも夢で、今のご時世から考えるとけっこう実現不可能だなという自覚はあります。夢なの。夢!!叶って欲しい夢ですけど。

ちょっとブコメに気になったのがいくつかあったのでお返事します。

あなたの出身高校はそういう人生の方がおういんですかね

おういんwではないですが多いと思います。

しかし、実際“そういう人生”と一言でまとめられるとくるものがありますねー…切なくなりました。

“親の部屋を別々に”というのが気になった。

仲が悪いんです。それだけです。

あと、いまわが家には父の部屋なるものがありません。それは流石にカワイソスなのと、彼は重度の模型スキーなので、コレクションルーム的な意味で。母は母でなんかいろいろ趣味があるので、たぶんふたり一部屋ではおさまりません。展示場所の取りあいに…

主夫希望男性結婚したい女性って、気合を入れてお相手を探さない人が多い気がするなあ。/実はそこまで切実ではない?

大当たりです。正直、別に結婚しなくてもいいよなーというのが本音です。一人でも資格を盾に生きていくことだけはできそうなので尚更。

結婚するとむしろ不都合のほうが多くなるんじゃないかと考えたりします。主に仕事キャリア的な意味で。精神面で支え合える相手がいるというのは何事にも代え難い財産だとは思うのですが、親を見ているとそれはドラマの中だけじゃないかと思ったりします。

あと、これはあくまでも個人的な感情ですが、親を見て結婚生活なるものに心の底から幻滅したので、多分価値観がかなりしなくてもいい方向に揺らいでいると思います。

専業主夫は確実に浮気する」のか。。。へぇ

私はそんなわけないと思います。

で、ですよね?

こういう人と知り合うためにはどこに行けばいいんだ

私も疑問です。ネットで見かける「主夫になりたい」という方々とはどこで知り合えばいいのでしょうか?

リアルに接点がない気がするので、やっぱりネットなのかなあ。

ぜひぜひ

まずは友達からはじめませんか><

2009-01-23

生まれるのがちょっと早すぎた

最近就職活動をしていて、自分が本当にやりたいことがわかった。

ガンダムに乗ることだ。

現代の科学では実現できないことが本当にやりたいことだったのだ。

終わった・・・・

せめて来世ではモビルスーツができていたらいいな。

できればスペースノイドに生まれて地球の美しさに感嘆し、重力の重さを噛み締めたい。

ついでにニュータイプだったらもう最高。

世界中のいろいろなニュータイプの方々とキュピーンしたい。

強化人間には同情をくれてやる。

うん、やっぱり自分が乗るモビルスーツザクとかジムがいいです。

ガンダムとかモビルアーマーに乗るときっと調子にも乗ってしまうでしょう。

ああ、わかってます現実逃避ですよ。

でも、ガンダムには一度でいいから乗ってみたい。

だから、子供ができたらミノフスキーって名前をつけて学者にしようと思う。

そいつがもしかしたらなぞの赤い粒子を発見してくれるかもしれない。

そしたら輪廻転生したおれがそいつのおかげでできたモビルスーツに乗ってやるんだ。

でも、こんな怠惰な俺だから来世に人間に生まれているかわからない。

豚かもしれないし、ぬこかもしれない。

はっ!もしかしたらハロかもしれない。

ハロでもいいや。

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2009-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20090111202309

フランス人アニメスキーというか、海外日本アニメが異常な高視聴率を挙げてるところは

・他のアニメが猛烈につまらない

・他のテレビ番組が猛烈につまらない

テレビ以外の娯楽がない

のどれか、または複数があてはまるんじゃないかな。

フランスっておかしいよ

ドラゴンボールの最高視聴率が67.5%だったって!

ありえねー。

どんだけアニメスキーなんだ、フランス人は。

2009-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20090105211434

最悪、靴はスニーカー(防水スプレー完備)+ホッカイロでなんとかなる。上は、男なら毛糸に革ジャン重ねてマフラーすれば、まあOK。女性なら迷わずスキー仕様で行くと良いよ。

室内は無茶無茶温かいから『着脱可能な防寒着』を心掛ければ、あとは気合いでなんとかなる。大丈夫大丈夫

ウェルカムほっかいどー

2008-12-30

2008年、山に消えた人を振り返る。

旅行から帰ってきて、山で遭難が相次いでいるニュースを見てびっくりしている。

そういえば、2008年自分名前を知っている山ヤが相次いで山で亡くなった年だった。

GW前に五龍で亡くなった、山岳スキーヤー新井裕己さん

これまで何度も修羅場をくぐり抜けてきたのを見ていただけに「まさか」という感じだった。

晩年はますます過激な嗜好に走っていたから

「いつかあいつは死ぬ」と、白馬に通うスキーヤーの間ではささやかれていたみたいだけど。

そして、年末中央アルプスで遭難した森啓さん、

東北朝日連峰で遭難した「わらじの仲間」の矢本和彦さん

二人とも、スキーを使って長い間山に入る、ってことをされていて

「あそこまではいけなくても、いつかは」とひそかに意識していた人たちだ。

記録を読んで(こちらが一方的にではあるけれど)憧れている人が

山に呑まれてしまうのをニュース越しに見ていると

続きはどうなっているんだ、と気になって浮き足立つ気持ちを抑えられず

自分ってやつはどうしようもない野次馬なのだ、と卑下したくなってくる。

そして山に入ってアクシデントに見舞われ身体の一部を動かせなくなったけど

自力で病院にたどり着いて

年末をこうして家でネットしながら過ごしている自分

運がよかったのかもしれないな、と思う。

少なくとも、山に行けずに静養している間

知り合いのブログで山の記録がアップされるのを読んで

自分を「不運」だと嘆くのは、そろそろやめにしたい。

2008-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20081220205523

http://anond.hatelabo.jp/20081221182120

増田高校生か?

誘うネタなんていくらでもあるじゃん

クリスマス初詣スキースノボ、街デート勉強教えて攻撃etc

あと、デートデートであって、相手が増田に興味を持ってるのは確かだが、好きとか付き合いたいとかとは別だと思うぞ。

相手と遊びながら自分との相性を確かめるのがデートだ。

スーパーの試食コーナーでウィンナー試食したやつが必ずしもそのウィンナーを買うとは限らない、みたいなもの。

2008-12-06

スキー

滑って温泉入ってビール飲むってのは大好きだから行きたいんだけど、自分と同じくらい体力ない&滑れない友達ってなかなかいない。

急なところには行けないし、緩やかなところでもすべるの遅いしすぐ疲れちゃうからうまい人と一緒に行っても結局別々になっちゃう。教えてもらうのも申し訳ないし。

スクールにでも入ってちゃんと習えばそれほど疲れず滑れるようになるのかな。

2008-12-01

小学生のころ同級だった……」を書いた増田

最近小学校で同級だった男の子の夢を見る:http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

増田最近彼に会うことができたらしい。

小学生のころ同級だった男の子と会った:http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

で、色々モニョっているらしい。

以前「小学生の頃同級の好きだった女の子サイン帳もらったけど恥ずいこと書いたので結局渡せなくて心残りだ」というエントリをどこかで読んだような気がする。どこかで。そんな気がして仕方がない。

その後

小学校で同級だった男の子電話をした。:http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。:http://anond.hatelabo.jp/20090116005647

おいおい順調じゃねえか。

それにしても長文が苦にならない。面白ぇ。

なんという文才。

2008-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20081122005902

今31歳、な年代だけど。

これまでに受けた、あるいは見た体罰(?)とその成果(?)。

  • 小学校6年生のとき、隣のクラス先生が超絶に厳しい人で、よく授業中に隣の教室から生徒が壁にたたきつけられる音が聞こえてきた。

→隣のクラスは、学年の中でも妙にシャキッとしていた。運動会とか、合唱コンクールとかそういう行事では常に勝つクラス。苦行に耐えると運動会で勝てるんだ、とか思った。

全国大会にまで出場しちゃうような強いチームだったんだけど、練習中の規律、ルールが守れていないことに激怒した顧問の先生が途中で「もう知らん!おまえら勝手にしろ!」→退場→その後、生徒のみで「先生に謝りいこうぜ!」のパターンの後、説教をされて殴られた。規律・ルールは守らないと罰せられますよ、ということを学ぶ。

→理由は、宿題をやってこなかったことが判明した、前回の授業で教わったはずの内容が解けない等。幸いにして自分は殴られなかったけど、マジであれは痛そうだった。高校生になると殴るほうも本気だしてくんのかということ、与えられた課題はこなすこと、教わった内容は覚えておくことを学ぶ。

  • 高校部活で、嘘をついて練習休んだのがバレて10分間にわたり往復ビンタされている奴の横で練習を続けた。

春休みの練習を、風邪で休んだということにしていたはずなのに、くっきりとスキーのゴーグル焼けができていて、敢え無くバレる。あんなに長い間殴られ続けてる人をみたのは、後にも先にもあれっきりだ。嘘をつくのはよくないんだ、ということを学ぶ。

てなところかな。学んだことは半分冗談だけど。

あれって実際は教師が自分の威厳を生徒に見せ付けたいからやってんでしょ?

やっぱ間近で見ると生徒はびびるよ。10分も殴ることはねーと思うケド。びびる→殴られちゃたまらん→言うこと聞こう、てなるよ、大半は。

そんで、言うこと聞いてて特に悪いようにもならなかったから、それはそれでよしとできる気がする。

あの時、数学先生が超怖い先生じゃなかったら、高校時代の数学は理解できなかったかもしれないし。

とまぁ、このように体罰を受けた、あるいは見た経験は、トータルで見てあまり損はしてないと思う。

ところで、今、学校に通っている年齢のお子さんをお持ちの親御さんてのは、30から45才くらいといったところでしょ?ということは、やっぱり少なからず体罰を受けたり見たりを経験している世代でしょうから、どうして自分子供体罰あるいは体罰とも呼べないような、例えば、給食最中にお行儀悪い子の頭をコツンとこづく程度のアクションに対して過敏に反応するのかがわからん。

理不尽暴力は、それは非難されるべきだと思うんだけどさ、自分たちで相当(理不尽で度の過ぎた)体罰でいやな思いした人が反応してんのかな?あるいは全然体罰を体験してない人がどんなことやられてるかもわからずにただ単語に脊髄反射してるだけなのか?

痛ニューとかでも体罰関連のスレでは必ず「俺のころは、先生にしかられて殴られて、家でそのこと話したら「先生に迷惑かけんじゃねぇ」っていってもう一回殴られるw」とかっていうレス見るんだけど、30から45才くらいの人たちってそういう経験ないかな?俺はあるんだけどw

あー、なんか長くなっちゃった

2008-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20081118122351

海水浴とか

http://suigai.kaiketu2.com/000/ent63.html

スキー/スノボとか

http://kakuritu.gozaru.jp/sub/fl3.html

直接の死亡率は書いてないけどね。

ちなみに、「オーダー」というのは大雑把に言えば桁のことで、1/1000のオーダーと言った時は、

1/1000だけの話をしてるんじゃなくて、x/10000(1<x<10)の話。

スキー言って風邪引いてこじらせて死ぬ、みたいな複合的な確率も含まれてくるしな。

*x/1000じゃなくてx/10000だった。ごめん。

2008-11-17

よくさ、クリスマスとか正月とか誕生日とかに彼氏彼女と特に予定を立ててないっていうと、浮気されてんじゃないの?実は別に相手がいるんじゃないの?とかいわれるんだけどあれって何なの?

自分は割とそういうイベントとかには興味がないのと、年始年末は忙しいことが多いので、相手がイベントスキーの場合は前倒しもしくは近い休みの日などに楽しくすごそうと計画はしたりするんだけど、その日じゃなきゃいや!!ってのはない。

っていうと結構驚かれるんだよなぁ。なんでだろう。日にちにこだわって無理矢理ほかの予定をつめたりするよりはある程度余裕があるときに余裕を持ってなんかした方が楽しいと思うんだけどなー。どこ行っても込んでるしなぁ。

つうわけで彼氏いるけど今年もクリスマスの予定ないよー\(^o^)/

2008-11-12

衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010

 たくさんのブックマークと期待コメントありがとうございました。続きを書いていきます。

※これは連載です。初めての方は下記から見てください。

衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001

 兄貴FM-7で、初めはゲームばかりやっていたのだが、しばらくすると「信長の野望」には裏技存在する事を知ってしまった。裏技を使い、稼いだ金に物を言わせて増兵をしまくり、簡単にクリアできるようになってしまった僕。(ど忘れしたのでどんなのか調べたら、『いったん年貢率を0にしてから収穫前に上げることで米収入が上がり、その米を元手に富国強兵を行うといったテクニック』らしい。)

 その頃やっていた他のゲームは、ハイドライドウィザードリィ、ザ・ブラックオニキス、デゼニランドポートピア連続殺人事件など。自分で買ったゲームがほとんど無いので記憶は薄いのだが、みんなテープ媒体だったように思う。

 一方、兄貴はというと、なにやら熱心に毎月雑誌を買って、どこかへ投稿しようと試みているようだ。当然、それとなくそ雑誌も読んでみる事となる。それが僕と「マイコンBASICマガジン」、そしてプログラム言語との出会いだった。目の前にある機械ゲーム専用機ではなく、自分の思い通りに動かせるのか、と気付いた時の驚きと快感。今も忘れられない。

 前述の通り、その当時のマイコンは、電源を入れるとROMから「BASICモード」がいきなり立ち上がるのだけど、この状態から自力で何かを動かしたい場合、BASICと言われるプログラム言語を実行することにより、色々出来るようになる。

 マイコンBASICマガジン(長いので以降「ベーマガ」)は、主にBASICソースコードが掲載されている専門雑誌だ。基本的に、雑誌の構成は読者からの投稿で成り立っており、自ら投稿したBASICソースコードベーマガに掲載されるかどうかが、その当時マイコン小僧たち最大の憧れであり、ステータスだった。

 ご他聞に漏れず、ベーマガを読み始めてから僕はBASICの虜となってしまい、今までやっていたゲームの頻度は自然と減り、BASIC時間を割くようになった。

 今思えば、兄貴は本気でBASICプログラムを投稿し、掲載される気満々だったので、かなりの難しいコードを書いていたんだと思う。結局、彼の思いが果たせたのかは分からない。掲載されたコードを見せてもらった事が無いし、それなりに競争率が高かったので多分ダメだったんだろうと思う。

 一方、僕といえば、ベーマガで面白そうなゲームソースを見つけては、一生懸命コード入力し、誰かが作ったゲームをやることに専念していた。しばらくの間、記憶する媒体テープレコーダーしか無かった為、目の前にある「ベーマガ」のゲームがやりたければ、一字一句間違えずにソースコードを打ち込まなければならず、何回も何回も間違えながら入力していた記憶がある。テキストエディタなんてものがそもそもなかったので、ただ入力するだけでもかなりの難作業だった。

 そのうち入力しているだけでは我慢できなくなり、なんとなくBASICというものが理解出来て来たので、自力でゲームと言うものを作ってみる。しかし、「作る」と言っても一切の独創性はなく、ベーマガに載っていたゲームアイデアをほとんど流用していた。

 一番初めに作ったのは、縦スクロール型のスキー風障害物除けゲームだった気がする。僕みたいな初心者がこれを選ぶのには理由があって、RND(乱数発生関数)とPRINT(画面表示)だけ知っていれば縦スクロール自体はターミナル勝手にやってくれる為、後は壁の判定処理を入れるだけでよい。特に難しい事を考えなくてもある程度作れるからだ。

 当時、知っている命令語のレパートリーは極めて少なかったし、現在webのように、簡単な方法で調べる手立ても無かった。綴りや文法が分からない命令はいちいち調べるのが面倒くさいので、とにかく使わない方針で押し通していた。

 ロジックも見よう見まねで無理やりひねり出してたものだから、乱数が過激に発生して、スキーゲレンデが右側から大きくはみ出して表示がぐちゃぐちゃになったり、両側の壁に隙間が出来てプレイヤーがそこをすり抜けてしまったり。しかし、こういう試行錯誤の中で、ロジックの作り方や、エラー処理と言うものを知った。

 立体迷路とか、横スクロールゲームとか、ベーマガで輝いていたあのゲームを自力で作りたかったけど、その当時はそこまでのレベルに達することは出来なかった。

 ブクマを燃料として書き続けます。

次:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0011

2008-11-05

頼むから、3次元の女をメス扱い視線でみるのはやめてほしい。

次元スキーほど、3次元女を上から目線で蔑んで見る輩が多い。

てか、2次元結婚の話で重婚問題が発生しないのはどうなんだ?

日本は一夫一妻制ですお。

http://anond.hatelabo.jp/20081105022721

いかれてるのは「ねこ好き」じゃなくて「ぬこ好き」と思いたい。

でないと大島弓子がいかれてるってコトになってしまう。

あの人の「グーグーも猫である」は好きなんで、猫好きはノーマルだと信じたい。

ぬこ好きはなんかぬこを愛する自分スキーが多い気がするので同意だが。

2008-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20081103201151

内定ということは、まだ24歳か、おそくとも26歳くらいだよな。

同じような境遇で35を過ぎてしまった人間が危機感をもって語るぞ。

まずは人と出会える趣味をもて。会社にはいろいろな趣味を持っている人がいるはずだ。

その人に趣味を教えてください(一回連れて行ってください)と言えば、連れて行ってくれるはずだ。

そこで出会える人脈を作るんだ。まちがってもPCパーツ集めや寺めぐりといった地味な趣味な人には

ついていくな。スポーツ観戦やダンステニススキーなど運動系ががベターだ。最初は下手でも

一年ガンバれば、そこそこに上手くなる。出会い目的などでそこそこが充分だ。

次に同期や先輩で合コン好きがいたら仲良くしておけ。これマジ重要出会いの可能性がもっとも

増やせるのはこの伝手だからな。

あとは近所のテニススクール合コンサークルに入ることだ。学生時代の友人とも縁を切るな。絶対に。

最後の最後で結婚相談所というところもあるが、この前に出会いの場所を確保しておいたほうが圧倒的に

安上がりだ。

あと数年だぞ。30を越えると一気に厳しくなるぞ。

2008-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20081026011927

マシン筋トレやってるよ。あと有酸素運動に時々水泳やるけど、25mごとに休んでトータル300mもいけばいいレベルなので本格的にやっているとは言えないな。

スポーツとしてはスキーやってるがシーズンスポーツ。 30代後半だが学生時代にはスポーツほとんどやってなかったに等しい。

筋トレスキー向けなので大胸筋と広背筋はそんなにないよ。 元々の骨格で胸板が無駄に厚い。腿についてはレッグプレスの10RMが220kgとかなので、アスリートレベルではないが一般人レベルでは無い気はする。

2008-10-19

過去に同じような経験をして、来年結婚する予定の俺がなんか書きます

http://anond.hatelabo.jp/20081010220551

自分には増田でなぐさめることしかできないけど、

自分の場合は、大恋愛の末、同じように振られて、3年ぐらい落ち込みましたが、

何かの縁で今の彼女と出会って付き合って、来年結婚します。

僕はこの後、何をすればよいんだろう。僕の数年はなんだったのだろう。20代とは何だったのだろう。彼女

彼氏がいない時、僕が何か行動を起こしていたら何か変わっていたのだろうか。

同じようなことを考えて、繰り返し考えて、さっきから、何も手に付かない。

誰か教えて欲しい。僕はこの後、何をすればよいのか。そして、同じような体験をした人がいるなら、どうすれば

この気持ちが収まるのかを。

元増田は、とても努力をしたうえ、自分の気持ちが満たされなかったにもかかわらず、

彼女のことをとても大切に思っている、すごく優しくて、強い人だと思います。

実際、結婚とまではいかなくても、こういう経験、結構多くの人がしているんじゃないかな、と思います。

こういうときに、何をすればいいのか、正解はないんだろうけど、

過去は変えられないし、現実は受け入れるしかないので、

彼女と一緒にすごした時間の、素敵な思い出を、

しっかり胸にしまって置けるようにするのがいいんじゃないかな、と思います。

海やスキーに行ったときの彼女言葉や、しぐさ、帰り際に別れるときに手を振ってたか、どんな言葉を交わしたか、とか、

一つ一つ思い出して、素敵な時間ありがとうという気持ちで、胸にしまえるといいと思います。

元増田にとっても、好きな人にとっても、

過ごした時間や素敵な思い出は、うそ偽りじゃなくて、

本物の、大切な時間だったんじゃないかな、と思います。

元増田の好きだった人が、元増田と共有した時間というのは、

なくなったりどっかいっちゃったりするわけではなく、ちゃんと、その女性の大切な人生の一部なわけで、

元増田にとっても、これから先の人生を一緒にやって行く事はできなかったけども、胸躍る恋愛の期間がその人との時間であったわけで、

素敵な時間ありがとうと、そう思えるぐらいに、気持ちの整理というのが、できればいいんじゃないでしょうか。

個人的には、元増田に、次に好きになる人が現れて、もっとたくさん素敵な時間を過ごして欲しいです。切実に、そう思います。

自分は来年頭に結婚する予定なんですが、

彼女過去彼氏たちも、家族も友人も、そういう人たちとの思い出が、今の彼女の一部になってて、

そういう意味では本当に、みんなありがとうと、そういう気持ちで結婚できることを嬉しく思ってます。

こういう風に思えるのも、過去恋人含め、いろんな人との出会いと別れがあったからだと思いますし、

その人たちと一緒に過ごした時間は、本当に大切な自分の一部、だと思います。

ちなみに、『失恋セラピー』という本がありますが、失恋から立ち直るには、これ、結構おすすめです。

(若干女性向けですが、自分は女々しいので、失恋したとき、かなり、助けられました)

文章力がなくて、長文になってしまい、ごめんなさい。

2008-10-10

好きな女性が友人と結婚する

好きな女性と友人からメールが来た。今度、二人は結婚するらしい。

僕はこのあと、何をすればよいかわからない。

友人と女性と自分は会社の同期入社で同じ部署に配属。他数人の同期入社も含めて、よく遊びに行くなかだった。

泊りがけで海に行ったり、スキーに行ったした。自分はあるとき、女性のことが好きになった。

よく笑う女性だった。人を褒める事が上手な女性だった。気が利く女性だった。仕事が良くできる女性だった。

やせすぎず太りすぎずの体型が好きだった。早い話が僕は彼女が全面的に好きだった。

でも、僕は非モテだった。女性とお付き合いしたことがなった。むしろ学生時代は煙たがれるか空気扱いされる

スクールカーストの下層の人間だった。だから、僕の気持ちを正直に伝えることは彼女に失礼な気がした。

僕はせめて、彼女に多少でもふさわしい人間になってから、自分の想いを伝えようと思った。

数年の間、あまり変わらなかったけど、それなりに努力した。

これ以上、時間をかけても仕方ないと僕は彼女に告白することにした。社会人になって数年を経てはいたけれど、

恋愛経験のない僕には段取りなんてわからなかった。精一杯考えた末、当時、流行っていたバンドコンサート

取って、彼女を誘った。そしてコンサートの後、僕は告白した。

あなたが好きです。もし、よろしければつき合って欲しい。

答えはNOだった。既に付き合っている人がいると。

して彼女は言った。今の彼氏と付き合う前なら答えは違っていたかもしれない。

彼女が前の彼氏と別れて空白期間があることが知っていた。僕は彼女にふさわしくなってから告白しようと思って

いたので、何もしなかった。そしてタイミングを逃したんだ。

僕は、彼女彼氏と別れることを待つことにした。その間にもっと彼女にふさわしい人間になっていようと心がけた。

して、先日、結婚するとメールが来た。彼女は別れなかった。彼氏は同期入社の友人だった。周り全員に付き合って

いることを隠していたんだ。僕も相手が友人だとは知らなかった。

僕は今、頭が真っ白だ。彼氏より先に彼女を好きになっていたことは確実だ。でも、僕は何もできなかったし、

結果的にみても何もしなかった。

焦っている。焦燥感に悩まされている。だけど僕はもう何もできない。二人を止めることはできない。

彼女ウェディングドレスを友人として見るであろう。

僕は耐えられない。でも、僕は友人として、友人と彼女結婚を祝福するだろう。僕は今の仕事が好きだし、

短慮な行動にでても何も変わらないことを知っている。

彼女妊娠した時、僕は友人として彼女に気づかうであろう。僕ができることは友人としての行動だけだから。

僕はこの後、何をすればよいんだろう。僕の数年はなんだったのだろう。20代とは何だったのだろう。彼女

彼氏がいない時、僕が何か行動を起こしていたら何か変わっていたのだろうか。

同じようなことを考えて、繰り返し考えて、さっきから、何も手に付かない。

誰か教えて欲しい。僕はこの後、何をすればよいのか。そして、同じような体験をした人がいるなら、どうすれば

この気持ちが収まるのかを。

2008-09-17

コメントくださったみなさん、どうもありがとうございます。

お返事の書き方がよくわからないので、一括にて。

・がんばってみます。

・「お姉さんスキーは世の中に結構いる」ってすごく嬉しくなりました。

・信じてみます。

子どもうんぬんについて考え出すと、「そういう決断を迫られる年齢の自分とつき合ってくれる彼氏に申し訳ない」的な思いがまた沸きあがってきそうになるのですが、ありがたいご指摘です。

・最後に、私と同じ年齢差のコメントをくださったかた、温かいお言葉身にしみました。ありがとうございました!

とにかくつき合ってみます。

日記書いて良かったです。

http://anond.hatelabo.jp/20080917011717

個人的には8歳年上とかぜんぜん気にならないが…。

お姉さんスキーは世の中に結構いる。

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