2022-04-13

ピーの洗剤

先の日曜日、(もう怒られる表現なのだろうが)妻の家の掃除を手伝っていた。

普段家事の大部分は妻が行ってるから休日のお手伝い。

妻は大層しっかりもの人物きっかりかっち物事をこなしてくれてとても助かっている。

私はどちらかというと陰キャオタクでぐーたらだから。妻は明るくもある。

本題。

台所掃除作業中、私が使っていたスプレーの洗剤が切れた。

何回しゅこしゅこしてもらめぇもうでないよぉな状態になったのでプラスチックゴミの袋に捨てた。

その現行犯を見咎めた妻と悶着に発展したのです。

妻曰く「洗剤の容器を洗ってから捨てなさい」と。

これに私はひどく拒否感を覚えてしまって反対してしまった。

私、「汚れていないプラスチックは洗う必要がないよ」と。

私もゴミ捨てのルール記憶していた。確かにプラスチックゴミは「汚れを軽く洗い流して捨ててください」と書かれている。ひどい汚れ付きは燃えるゴミだ。

このスプレーボトルの内部に付着しているのは洗剤だ。洗剤は"汚れ"ではない。仮に汚れだとしたら汚れで汚れを落とすことになるよね。と反論した。ついでに口が滑って「それは血で血を洗うような不毛なことだよね」ともにやけながら言ってしまった。書いていてもわかるがこれはとても余計な発言だった。思いついたら言ってしまった。

それに対しては妻曰く「捨てる段階での付着物は汚れである」。"食べ物"が"汚れ"になる瞬間と"洗剤"が"汚れ"になる瞬間は等しく同じなのかな?と私は理解したし、少し得心もした。

ではと「仮に洗剤が汚れであったとしても、それは許容範囲の汚れであるゴミルール完璧な洗浄を求めていない」と。これも振り返ると争点を下げると言うかずらすというか。とにかく日常、トレーの油感などは完璧に拭わないし、さっと水で流す程度の洗浄をよしとするならば"洗剤"は"汚れ"であっても"許容できる汚れ"ではないかと。

だってボトルに満杯の洗剤が入った状態プラスチックゴミに出すようなことはしない。捨てるなら排水溝に中身を捨てるか今回のように使い切ってから中を洗わずに捨てる。きっとそうする。軽く振って垂れきらない水分はOKだろう。

だがこれも却下された。

もはや薫陶するかのような師のダメ押しはこれである

「洗った結果の残留物は許容できるが、君はすすぐことすらしていない」

汚れは結果だったのだ。妻が汚れを受け入れるためには水で流すという努力必要なのであった。そう、妻は洗剤が汚れかどうかのレベルを争ってはいなかった。私が容器を洗うという作業を手抜いたことが違反だと言っていたのである

はっきり申し上げれば私は無駄作業が嫌いなのです。地域ゴミ分別が甘いご家庭があることも汚れたプラスチックゴミを出すご家庭があることも存じています。そういった中でプラスチックリサイクルにはおそらく洗浄のプロセスもあるでしょう。その中でボトル一本の表面についた中性洗剤の存在感たるや…。ひとりひとりが頑張らなければならないけれど、ひとりが完璧にこなしても全体は絶対完璧にならない。そういった世の中のいろんなことに頑張ったり妥協したり生きていくわけです。

今回で言えば洗剤のボトルを洗うことは私にとっては無駄でした。無駄なことはしたくない。ああしたくない。徒労な口論をしてでも無駄作業はしたくない。

ただただ妻とはOKライン妥協ラインが異なる、いえ私が妻よりずぼらなだけなのですけれど。そういったことが今回の問題なのでした。

結末としましては私が折れて容器を水ですすいで捨てました。

私もとっても頑固な男です。自分領分では自説を絶対に曲げないでしょう。それがわかっているから。ここは妻の領分であるから。私が折れました。

わかったことは今回の点では妻とはいろんな面で考えが合わなかったということ。妥協点が見出せなかった点が残念。嘘。本心はまあ論破できなくて自論を通せず残念とかでしょう。しかたない。私はそういう人間だもの

あーだけど多少の洗剤ぐらい洗いたくないよー!洗濯用の洗剤ボトルも洗ってるのかよー!だるーい!

追伸

世間でいう麦茶トイレットペーパー少し残す人間みたいに私も「洗剤ボトル少し残す人間」になるかもしれない。

たぶんならないと思う。

ならないんじゃないかな。

ま、ちょっと覚悟しておけ。

  • 「プラごみの汚れを洗い流す」、プラスティック以外のものはなるべく入れるな的な意味に捉えてたけど、洗剤ならokとか清潔不潔を基準にしてる人もいるんだなあ。

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