悪いことだとは頭のどこかで考えていながらも、そんな些細な罪悪感よりも自分のその瞬間のメリットを優先する。
捨てたタバコが世の中にどれだけ影響を及ぼすかまでは想像力が働いていない。
だから、誰も見てなければいいやと平然とタバコを排水口に捨てる。
例え注意されたところで、無視をするか反論して相手を黙らせようとする。
もしくはそのときはおとなしく聞いたふりをしておきつつ、行動を改めることはない。
注意する側にとっても、それが原因で揉め事になることを考えると声をかけることに躊躇してしまう。
悪いことだとはわかっていても、実際にどれくらいの被害が出るのかをイメージすることが難しいために目先のデメリットを考えると行動に移せなくなる。
それだけリスクを負ってまで目先の一人を注意したところで残念ながら排水溝へのポイ捨てはなくならない。
そう考えて、人々は注意をすることをやめてしまうのだ。
もしこれが大量に行われたなら、自然保護団体が実害をまとめて抗議を始めることだろう。
そうなれば今まで注意することに躊躇していた人たちも後ろ盾がつくことで行動に移しやすくなる。
その結果、一時的には排水溝へのポイ捨ては減るが、そうした熱が冷めていくと同時に後ろ盾の存在感が弱くなることで注意が表立って行われなくなってしまうようになる。
SNSはそうした小さな悪行に対しても、動画を拡散することで即席の後ろ盾を作ることができる。
そうしてポイ捨てを行った人間に攻撃が行われるが、しかしこれはある意味では喫煙者に対してのレッテル貼りという差別的な行動とも取れてしまう。
しかし、いつの間にかポイ捨てを行う人間を断罪することに人々の目的は変わってしまうのだ。
そうなってしまえばそれはもう被害者を放置した暴力でしかなくなってしまう。
排水溝への吸い殻のポイ捨てはなくすことはできないのだろうか。
そうして啓蒙活動が行われてきたが、それらが実を結んだという話を聞いたことはない。
ポイ捨てをし辛い状況をつくってみてはどうか。
排水口に注意書きやイラスト、中には網を付けるなどの対策も見られる。
しかしポイ捨てする人間には効果がない。悪いことだとわかって捨てているのだから。
あなたはこの問題に、現実的に解決できる方法を見い出すことができるだろうか。
ただし、注意してほしいのは、喫煙者にとっても喫煙する権利があるということを忘れてはならないということだ。
自分に必要がないからと言って喫煙者を一人残らずなくすということは、民族浄化以外の何物でもない。
それが許されるなら、次に恐れるべきはあなたの大切な趣味が奪われる未来だ。
もしこの問題の解決が簡単だと思う人は、その考え方がどこか一方的な正義の上に成り立っていないかをよく考えてほしい。
それこそが差別意識の根本であり、差別問題の解決が難しいとされる一番の理由なのだから。
残念ながら、人類は未だにこんな原始的な問題すら解決できていないのが現実である。
そして残念ながら、人種差別問題を解決できた人はいままで一人もいない。
日本に差別がないと言われるのは、人種問題を解決したからではなく、人種を追放してそこにある差別に蓋をして目を背けているからにほかならない。