「投票する価値はある」と、あなた自身がすでに答えを出している。
つまり、(同じ意見の人が集まれば)投票で政治を変えられる、というわけだ。
あなたもそれを分かっていて、以下のように述べている。
「ぼくたちの投票」「あなたたちの投票」には意味があるが、俺の投票には意味がない。
しかし同時に、あなたは「ゼロか100か」の極端な考え方をしている。
自民党のように大きなグループを作ることは無理だと諦めている。
政治を自分の思い通りに変えることを諦めて、1人または少数の世界で思い通りに生きようとしている。
完全に思い通りにならないなら、全て捨てる。
これは極端な考え方だ。もったいない。
そもそも、自分の思い通りに政治を変えることなんて、おそらく誰もできない。
首相になっても、大きな抵抗にあうだろう。
働き方改革は通ったが、あれは財界の要望に沿ったもので、安倍晋三さん個人がどうしても実現したかったことではないと思う。
極端な考え方で全てを諦めるのではなく、自分の力に応じた行動をすればいい。
もちろん、力の入れ具合によって、政治で実現される自分の要求も薄まり小さくなる。
無理せず、自分の要求の切実さに応じて、自分の資源を提供すればいい。
過労死遺族の方々が、高プロに反対するためにわざわざ議事堂まで足を運びメディアで主張したのも、その思いの強さゆえだろう。
他の政策でも同じ熱意で活動するということはないだろうし、そうする必要もない。
働き方改革は通ったが、法案の問題点は指摘され、一部は修正された。
首相ですら政治を思い通りにできないことを考えれば、これも「政治を変えた実例」と見なしていいと思う。
変えたのは、投票で選ばれた野党議員であり、陳情やデモなど選挙以外で活動した市民だ。
野党は、「ホワイトカラー・エグゼンプション」の頃から反対し、選挙でも訴えてきた。
私は前回の総選挙では野党に投票したが、自分の一票が無駄だったとは思っていない。
あなたに悲願や野望がないのなら、自分の資源を費やす必要はない。
しかし。
自分以外に入れるつもりなら、投票所に来てほしくないと思っている人がいる。
組織票で勝てるから、政治に無関心な人はそのままでいてほしいと思っている人がいる。
投票しないことは、彼らを利することになる。
ただし、一票の力は小さいから、要求の切実さに応じて投票以外でも活動する必要がある。