特にアカウント制ではないようなインターネット空間においては、ニートを罵倒する風潮は顕著だ。
ひどいものだ。ニートであるということだけで、ボロクソに叩かれ、ボロ雑巾のように扱われる。
ニートは人権がないのも同然だ。某大型掲示板では、ニートであるということが書き込みから発覚しただけで
もうひどいくらいに叩かれる。「でもニートなんでしょ?」「働けよ」
そんなことは自分でも痛いくらいわかっている。でも、それらをわかっていてもニートで、働けもしないし、
思い詰めすぎて気が狂い過ぎたせいで精神科に通っている。ろくに生身の人間と関わることもなく、
二十四時間、四六時中狭いちっぽけな自室で絶望感と憂鬱に苛まされている。
—どうにかしなければならない。そんなことはわかっている。だけど体が情けないくらい動かない。
喜怒哀楽という基本的な感情も、もはやあまり感じられない。二十四時間が無味乾燥に過ぎ去ってゆく。
精神が疲弊しきっているのだ。そんな自分を少しでも癒そうとして、PCの電源を入れてインターネットの世界に
飛び込んでゆく。「ニートである」という自分の素性を明かした途端、俺を執拗に罵倒してくる人間が
やってくる。そうするとげんなりする。自分には、インターネットというバーチャル空間に
居場所を見出すことさえを許されていないのだろうか。
…おかしい。俺が知っている昔のインターネットは、こんなに居心地の悪かった空間じゃなかったはずだ。
もちろん、昔でもニートであるということがバレたら、多少なりとも叩かれることもあったと思う。
だけど今のようにニートが「気軽に罵倒できる対象」として「消費」されることは、
今のインターネットは、俺の知っているような自由なバーチャル空間ではなくなってしまったのか。
中傷しやすい相手を、罵倒することで得られる快楽のために「消費」していく。
…インターネットはいつからワイドショーのような低俗で下品な空間に成り下がってしまったのだろう。
温かい交流や、ひねりのきいたくだらないジョークが飛び交う空間ではなくなってしまったのか…。…
だけど本当にそうだろうか?そう思った俺は、半年以上かけて、様々な新興SNSに飛び回ってみた。
色々なバーチャル空間が広がっていた。ネット民同士の温かい交流があったり、くだらないジョークが飛び交っている
SNSは、確かに存在していたのだ。そのことを身をもって知った時、俺は少しだけ心が軽くなった気がした。
—俺は、ようやくネットでも居場所を見つけることができたのだ。
きっと、某大型掲示板に入り浸っていては見つけることはできなかったであろう、温かい場所。
そして、俺はこの時ようやく気付くのだ。快楽を得るために人を罵倒するくだらない場所が
インターネットの中にも存在していて、それが某大型掲示板や某匿名ダイアリーだったというだけだったのだ。
某大型掲示板や某匿名ダイアリー、そしてまとめサイトがインターネットの全てではないのだ。それらは
あくまでインターネットの一部で、ネット上で温かい交流を続けている人達も、確かにインターネットの中に
存在しているのだ。
…ここまでの話を一文にまとめると、要するに「○chはク○だ」ということなのだ。
ニートでもネットの中で居場所を見出すこともできるし、誹謗中傷の飛び交わない場所も、
インターネットの片隅で確かに存在しているのだ。だから今現在ニートで、ネットでも居場所がないと
嘆く人がもしこのダイアリーを読んでいる人の中でいたとしたら、安心して欲しい。
ニートでも居場所を見出すことのできる場所はきっと存在している。
もしその存在を見つけることができないのであれば、それはきっと探し方が悪いだけなのだ。
…なんてことをはてな匿名ダイアリーに書き綴ると、恐らくたくさんの罵倒コメントがやってくるのだろうと思う。
「こんなことを書いている暇があるなら働け」「無能の書いた記事」…などなど。
はてな匿名ダイアリーも、5chも本質的にはさして変わらない。
…はてな匿名ダイアリーは、昔のイメージでは人を快楽のために罵倒する空間ではなかったはずなのだが、
このダイアリーももうすぐ書き終える。書き終えた後にどのようなコメントやトラックバックが
返ってくるのか少し気になるところではある。多分罵詈雑言だらけなんだろうなぁ。