2018-05-01

もういちど、妊婦様になりたい

母親典型的毒親だった。今も毒しか吐き出さない。しかし、最近ようやく理由がわかった。第2子が産めなかった苛立ちと劣等感子どもに向かっていただけだった。いつも両親は口論していた。基本的に父の言い分が正しかったけれど、母の女性特有感情の揺れを少しでも理解していればもっとマシだったはず。

大学進学、結婚出産……18歳を過ぎた人生は人それぞれ。経験として子どもを産んでみたかった。実際、ほぼ予定通りの時期に子どもが生まれ妊婦向けビジネスの大きさや新生児の子育ての大変さ、仕事育児の両立の厳しさを知り、視野は広がった。同時に、家事子育て自体は好きにはなれず、向いていないとわかった。母も不向きだから、半ば放棄していたわけだ。3歳の子どもは「ママだいすき」と寄ってくることもあれば、「ママ嫌い」と逃げ出すこともある。自分母親になど、物心ついてから抱っこなどせがんだ記憶はない。改めて歪んだ生育環境だったと知った。

毒親の不幸の連鎖は断ち切らなくてはならない、と思いつつ、<一人出産した女性は2人以上の子どもを産まなければならない>とDNAが指示を出すとは知らなかった。そして、なぜか、子どもが欲しいと思うと巣となる家(新しい住まい)を求める。しかし、夫は子どもは一人で十分、引っ越しが面倒だから住み替えたくないといい、時間概念なく子どもと遊び続け、夫婦2人目の時間は一切なく、このままだとできるはずがない。ますます母と同じように苛立つ。

結婚出産できなかった女性は既婚女性を妬み、一人しか産めなかった女性は2人以上産んだママを妬み、2人以上産んだ女性の多くはお金がない、自分時間がないと嘆く。一人ひとり違って当たり前なのに、モデル例と比較し続けてしまジレンマ。それでもストレス度は後者のほうが少ないと気づいた。

今の日本は不幸だ。出産子ども経済的合理性判断し、授かりものではなく、自ら授かるために動くものになっている。調べたところ、今や20人に1人が不妊治療の結果、生まれ子どもという。体外受精でもいいか出産して、再び妊婦としてせめて婦人科受診時だけでも褒めてもらわないと承認欲求が満たされない。欲しいものは、モノではなく、達成感と承認欲求だ。

日本は、日々満たされ楽しく過ごす人と、劣等感と未達成感ばかり感じ、他人を羨み続ける人に二極化が進むだろう。本気で少子化傾向を解消したかったら、出産コントロール権は女性にあるべきだ。医療の発展で長寿100年が当たり前になるかと思うと、ぞっとする。あと60年、2人目が産めなかったことを後悔し、行き場のない怒りを抱き続けるくらいなら、もう十分に生きたのかな、と思う。理想人生は短く、自由に。

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