2018-04-22

ずっと自分を変えてくれる何かを待って25になってしまった

25歳。子供の時に捉えていた25歳の像とはかけ離れてる自分が少し悲しい。

中3の3月、あと1か月頑張れば卒業できるところで精神的に耐えられず不登校になった。あと1か月が無理だった。頑張れなかった。後悔はない。

それと同時期に難病にかかった。余命何年とかそういう病気ではないが、完治することはない、と言われている病気。そのときは症状的にきつくなかったため、難病にかかったということは、そこまでショックだとは思っていなかった。不登校になったのは、病気にかかったからではない。ただ、表向きにはそれを理由にしたし、そうすることができたことは、「自分はいじめられて不登校になったわけではない」と自分自身で思いこむことができた。良いことではないけどある意味で救われた。


それから5年間引きこもった。このころから病気典型的な症状が出始め、体調の面でも精神的な面でもかなりハードな期間が続いた。手術は2回、入院は3回くらいした。

高校には行けなかったけれど、ただ家の中でゲームしたりネットしたり過ごす日々はそれなりに有意義だった。どこに住んでるかも知らない人たちと交流することは、学校に行っていない自分にとっては、とても楽しかった。

でもたまに「このまま引きこもったままでいいのか」、「このまま何も行動せずに、何もできないまま一生を終えるのか」って不安を覚えることがあった。そんなとき、それと同時に、まだ17とか18で、「俺は何かきっかけがあれば変われるんだ」みたいに漠然と思った。そう思える余地がこの年齢の自分にはあった。

その後なんとか普通の人だったら2浪してるという立ち位置大学入学した。

ただひたすらに勉強だけに取り組んだ。サークルも、部活も、友達との付き合いも、バイトも、全部やらなかった。それは、病気持ちの自分の体力は普通の人と比べてはるかに低いために、他の物事にも傾注してたら大学生活をやり通すことなんてできない、と思ったから。


しかし、就活をするという段になって、「このまま当たり前のように適当会社に入っていいのか」という思いに不意に襲われた。

よくある「いい大学に入って、いい会社に入って、結婚して」みたいなルートに、そこまで魅力を感じなかった。そもそも高校も行ってなくて、引きこもりになった自分は、そういったルートから最初から外れてるのだから、「自分がやりたいことをしたい」、「自分しかできないことをやりたい」と思ってしまった。

こんな考えはきっと子供で、みんなそういった気持ちには折り合いつけてそれぞれの会社に入っていくことは分かってる。分かってるけど、どうしても引っかかってしまった。だから大学ではあれだけ真面目に勉強してた自分が、就活ではまるで真剣に取り組めなかった。

でも、こんな生意気なことを言っている自分が「やりたいことは?」って聞かれたときに何も答えられなかった。やりたいことが分からなかった。自分しかできないことをしたいのに、それが何か分からなかった。

そういった思いを抱えたまま、就活をするという責任から逃れるために大学院に行くという手段をとった。

ただ、4年間酷使し続けた体への負担からか、院の試験の準備をするというときに体調が極端に悪化してしまった。院に入学どころか卒業さえ危ぶまれたので、1年病気療養するという形で浪人という選択肢をとった。一応卒業はできた。


そして今に至る。結局、体調は未だ安定しておらず、このまま院に入学してもまともに通えない可能性が高いので、さらにもう1年先送りをすることにした。

今25歳。 同じ年齢の人は社会人3,4年目かな。 「いつか、自分がやりたいことが分かる」、「いつか、自分を変えてくれる」、そんなことを思ってこの年まできてしまった。

17とか18のときは、まだやれると思えた。今、うだつの上がらない生活をしていても、まだやり直せるって。 ただ、この年になると焦る。


今はただ、一日一日少しずつできることをしていって、自分の体調を安定させて、そして院に行くことを考えている。

その先に「自分のやりたいことが分かる」ようになるのかは分からないけれど、この道がどこかに続くと信じるしかない。

  • 院に行ってもいいことないと思うけどな。いや、勉強を続けたいと思ってるならいいかもしれんが、どうも時間稼ぎに院に行くように読んだ。 大学院ではフルタイムで仕事する以上の勢...

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