2016-06-06

脱糞増田という風潮にNO!を言いたい

 最近増田というだけで脱糞が許されたり、ことによると誇るべき勲章だと考える似非増田が増えている。


 なげかわしい。


 本来増田が蔑まれるべき対象であるのと同様に、脱糞もまた蔑まれるべき行為だ。

 我々は人間なのだからうんこは当然便器にするべきであり、それ以外の場所でぶちまけるなどしつけのなっていないネコ以下の畜生である

 脱糞とはもっとこう、恥じらいつつやるべきだ。

 自分から積極的にその下劣さを憎みつつも、波打つ括約筋の秘すべき快楽に抗えない、

 そういう隠微で官能的な行為であるべきなのだ脱糞とは。本来は。


 だというのに、なんだそのざまは。その有様は。

 まったくもってひどすぎる。


 

 それでもおまえは増田か? あの増田なのか?

 ネット社会底辺中の底辺

 美しい国日本の秘所にわだかまった薫り高きチンかす、

 すき家の新作メニューにも劣るフランケンシュタインモンスター的生ごみ

 ネット社会恥部オリンピック日本代表はてな匿名ダイアリー利用者

 はてなIDを持ちたる存在

 純然たる無為

 増田なのか?


 ちょっとホッテントリでちやほやされたからといって、

 ちょっと国会でとりあげられたからって、

 ちょっと世の中を動かしたからといって、

 四六時中どこでもウンコをもらして許されるといった風情じゃないか

 まるで世界が俺のもの、といった感じじゃないか


 だが、逆なのだ

 おまえが世界を所有しているのではない。

 おまえが世界に所有されているのだ。

 誰にも支配されなかったお前の胃腸を、お前の肛門を、お前はやつらに捨て値同然で売り払ってしまった。

 ブクマという悪銭と引き換えに。


 思い出せ。

 あの恥じらいを。

 忘れるな。

 あの屈辱を。

 噛み締めろ。

 あの劣等感を。


 堂々と脱糞するな。

 自慢気に脱糞談を書くな。

 脱糞所与のものとして誇るな。


 俺たちはクソみたいな存在だ。

 だが、クソそのものではない。

 俺たちには常に脱糞がついてまわる。

 だが、脱糞のものではない。

 実存脱糞に奪われるな。

 おまえは増田だ。

 おまえは脱糞ではない。

 おまえは増田だ。

 おれたちは増田だ。

 クソから自由になるには排泄が手っ取り早い手段かもしれない。

 だが安易すぎる自由は、安価すぎる自由は、やがておまえを殺す無為に満ちた自由の刑と成り果てる。 

 おまえはいつでもどこでもクソを漏らしていい社会に直面したとき、もはや何者でもなくなる。

 増田は、全人類増田と化した社会では増田ではなくなる。

 俺たちが脱糞するべきは、「この」世界であるべきだ。

 脱糞が死と同義である社会であるべきだ。


 おまえが初めてクソを漏らしたときのことを思い出せ。

 湿ったパンツの苦い感触

 恥辱、後悔、血涙、怒り、絶望

 誰とも共有できないオリジナル感情

 それが俺たちの原点だったはずだ。

 それの隔絶が増田増田たらしめる起源だったはずだ。


 俺たちは十一人。

 独立不羈の十一人である

 互いに交わらず、互いに傷つけず、互いに愛さない。

 誰から賞賛されず、誰から顕彰されず、孤独datの海に散っていく。

 綴る言葉価値botランダムに打つワードサラダと等しく、

 拠って立つアカウントも肉体も何もない。

 だからこそ、自由なのだ

 増田脱糞するから自由なのではない。

 増田から自由なのだ

 それを忘れるな。

 俺たちは増田だ。

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