最近は増田というだけで脱糞が許されたり、ことによると誇るべき勲章だと考える似非増田が増えている。
なげかわしい。
本来増田が蔑まれるべき対象であるのと同様に、脱糞もまた蔑まれるべき行為だ。
我々は人間なのだから、うんこは当然便器にするべきであり、それ以外の場所でぶちまけるなどしつけのなっていないネコ以下の畜生である。
自分から積極的にその下劣さを憎みつつも、波打つ括約筋の秘すべき快楽に抗えない、
そういう隠微で官能的な行為であるべきなのだ、脱糞とは。本来は。
だというのに、なんだそのざまは。その有様は。
まったくもってひどすぎる。
すき家の新作メニューにも劣るフランケンシュタインのモンスター的生ごみ、
ネット社会の恥部オリンピック日本代表のはてな匿名ダイアリーの利用者、
純然たる無為、
増田なのか?
四六時中どこでもウンコをもらして許されるといった風情じゃないか?
だが、逆なのだ。
おまえが世界を所有しているのではない。
おまえが世界に所有されているのだ。
誰にも支配されなかったお前の胃腸を、お前の肛門を、お前はやつらに捨て値同然で売り払ってしまった。
ブクマという悪銭と引き換えに。
思い出せ。
あの恥じらいを。
忘れるな。
あの屈辱を。
噛み締めろ。
あの劣等感を。
堂々と脱糞するな。
自慢気に脱糞談を書くな。
俺たちはクソみたいな存在だ。
だが、クソそのものではない。
俺たちには常に脱糞がついてまわる。
おまえは増田だ。
おまえは脱糞ではない。
おまえは増田だ。
おれたちは増田だ。
だが安易すぎる自由は、安価すぎる自由は、やがておまえを殺す無為に満ちた自由の刑と成り果てる。
おまえはいつでもどこでもクソを漏らしていい社会に直面したとき、もはや何者でもなくなる。
おまえが初めてクソを漏らしたときのことを思い出せ。
それが俺たちの原点だったはずだ。
俺たちは十一人。
互いに交わらず、互いに傷つけず、互いに愛さない。
誰からも賞賛されず、誰からも顕彰されず、孤独にdatの海に散っていく。
綴る言葉の価値はbotがランダムに打つワードサラダと等しく、
拠って立つアカウントも肉体も何もない。
それを忘れるな。
俺たちは増田だ。