2013-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20130615195013

元夫の立場だけど、問題の障害者は弟でなく自分の兄ですでに両親は他界

自分場合は兄の世話をするのは基本的に自分だけだし通所施設にも通っている。仕事中でカバーできない時間は居宅支援のヘルパーも使っている。

いまの福祉制度で利用できるだろうことはほぼ利用しているけど、その上でなお普通生活は難しいし、このままでは自分が独りになって仕事も辞め介護人生終わるという可能性も有り得なくないといつも考えている。

休日介護(というか監視)で終わって自由に出かける自由もないというのは、実際に経験してみるとかなりしんどい

地方の施設は入りづらいとか入り易いとかって議論もあるけど、少なくとも東京都で入所施設を見つけるのはほんとに難しい。今まで福祉事務所などで見聞したところによれば、東京都(それとも厚生省?)は入所施設の運営をほぼ完全に民間任せで、自治体や国の方針として増やす気は一切なく、「地域共生」を合い言葉に通所施設を障害福祉の中心にしたいと考えているらしい。(なので、入所施設とは別に小さなグループホームなどは微増の傾向かもしれない)

この体制からこぼれ落ちるのは、元増田にあるような(または自分の兄のような)一人で生きて行けない障害者だ。グループホームから通所施設へ通うことが出来ない障害者は、その障害者が住む地域福祉事務所に空きのある入所施設から声がかからない限り、(人員足りないので仕方ないけど福祉事務所仕事はたいてい受け身)そして声がかかった障害者の中から運良く選ばれない限り、下手をすれば一生家族で面倒を見ざるを得ない。

こうした障害者にとって「地域共生」など奇麗事でしかなく、面倒を見る家族が死亡すれば全国の入所施設で短期入所を繰り返し、最終的な入所施設が見つかるまで全国を放浪することになるという。(入所施設には「短期」と期間のない「入所」があって、どの施設にも「短期」の枠は常にある)

差別を無くすには個人の意識云々の話ではなく、知的障害者の世話を家族に一任するシステムを変える必要がある。

まったくその通りだと思ったけど、一任でなくてもしんどいだよね。たとえば、居宅支援のヘルパーさんが24時間使えますとなっても正直全然うれしくない。見知らぬ人が24時間自分の家に出入るするとか落ち着かないし、それってただ自宅が施設になっただけの話だと思う。

きっと知的障害者の世話ってのは素人には無理な仕事なんだって思う。たとえば、重度の知的障害者普通病院入院すると追い出されることもある。日常の激務に耐えている看護師の方々でさえ通常の対処法では相手しかねる、それってもう、その道のプロフェッショナルに任せないと駄目ってことでないのかな。

通所施設の人たちも、小さなグループホームを運営する支援団体の人も、みんな一生懸命やってるのに、公的な援助は少なく立場保証されない。(移動支援や居宅支援のヘルパーさんはたいていバイトみたいな立場

行政が口を出すのは利用実績の管理に間違いはないか不正はないか、利用時間上限超えてないか等々「お金」のことだけみたいで、内容がどうかなんて二の次専門家がその内容にふさわしい報酬を貰えないのに、その道の興隆なんて望めるわけがない。

問題はたんに行政の施設に対するスタンスだけではないかもしれない。施設を開設しようとすると上がる地元民の反対の声、家族介護のための休日が取りづらい日本雇用環境(とくに中小)等々、いろいろな問題があって今の状況があるのだろうけど。

生後すぐに処分してしまうのが正しいのか悪いのか、正直、自分にもよく分からない。そうした道を突き詰めると果てはナチのような社会が出現するのかもしれないし、とはいえ現状のような状況もまた健全とは言い難い。自分自身「〆る行為」を肯定したいくらいうんざりしているし。ただ、「〆る」行為を批判できる人など、行政司法含めてごくごく一部の人に限られるのは間違いないと思う。

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