名前を隠して楽しく日記。
ニワカクソオジサンって感じだな
グリゴリー・ペレルマンは昔から政治が嫌いだったらしい。
友人と会話して政治的なことが出ると「◯◯君、それは政治だよ」とピシャリと指摘したと聞く。
ミレニアム懸賞問題の論文を提出し、それが評価される過程での政治が発生したときは「俺は政治家じゃねぇ!」とキレたようだ。
賞金も辞退し、数学会から手を引いてからは、オペラの鑑賞を趣味として質素な生活をしているらしい。
誰も解けない問題を解き、arxivに成果を出すことで出版社に存在する政治を避け、数学的証明の正しさだけで勝利を勝ち取った男がペレルマンその人である。
このストーリーを聞いて私は、この人こそ尊敬に値する数学者だと思った。
研究助成金をもらうための政治的活動に熱を入れる数々の自称研究者とは格が違う。
数年前はgithubでOSSを公開することがそういう趣味だと思い込んでいたが、スター数で評価されるという政治が存在することに気が付き、消極的になった。
社会でなにか評価されようとすることが政治なのだろう。ポアンカレ予想ですら中華が業績を奪おうと政治工作したのだから。
私はプログラミングを趣味と仕事の両方でやっていたが、コンピュータはインターネットを通じて社会と繋がりすぎている。
思わないやはり創作か
シンプル無能上司を女にするとステロタイプが云々でクレームすごいからね
無能だとしても、無能に見えるがこれには理由があるのだ・・・根が悪い人間ではないのだ・・・くらいの表現しか出来なくなってる
逆に男は雑に扱ってもいいからどんな役にも起用できるという
男に抑圧されてるせいだから
ピッコロと融合したんだな
あれ目のやり場に困った…
〇汁やろうなあ…
何者かになりたいというだけで、別になりたいものが決まっているわけじゃない。
将来の夢は何?って聞かれて答えられない子どもと同じ。
一芸が秀でいたり、仕事で成績をおさめたりした人がいれば、その人は何者かになった人だったし、自分もそうなりたかった。あいつが努力してなれるのだったら自分もなれると思っていた。
でもあいつらは何者かになろうとしてなっているのではなくて、周囲の評価や空気感があいつらを何者かにしたに過ぎない。
何者かになったらそれを得られるのかもしれない。
しばらくして、自分は何もしてないと思っていたにも関わらず、人から何者かになっていると言われた。周囲が評価して称賛したのだろう。かつて自分が向けていた羨望が自分に向いている。けれども、違和感があるし、気味の悪さもある。
何者かになりたいという羨望をあいつに向けているだけの方が気が楽。
今は何者かになりたいと思うこともなくなった。
先週(2024-05-05)の棋譜
赤:瀬尾健介41 瀬尾莉子 小6@山形 緑:伊藤秀宣47 伊藤優作 小6@宮城 白:中嶋崇行48 中嶋優理菜 小6@京都 青:松尾浩46 松尾祐里 小6@大阪
青13
緑 × 青 8 赤 3 青 2 白 1 緑14 緑12 緑 4
青 5 緑19 赤25 赤 7 緑18 赤 9 赤11 緑10
赤20 赤24 緑 6 白16
赤15 > 1
緑23 緑17 赤 1 緑 × 青21 青22
+--+--+--+--+--+
赤 | 青 | 青 | 青 | 青 |
白 | 赤 | 緑 | 青 | 緑 |
白 | 緑 | 青 | 赤 | 赤 |
白 | 青 | 緑 | 赤 | 赤 |
青 | 青 | 緑 | 赤 | 赤 |
赤: 8枚 ○ 9 × 0
緑: 5枚 ○ 9 × 2
白: 3枚 ○ 2 × 0
青: 9枚 ○ 6 × 0