はてなキーワード: ミレニアム懸賞問題とは
グリゴリー・ペレルマンは昔から政治が嫌いだったらしい。
友人と会話して政治的なことが出ると「◯◯君、それは政治だよ」とピシャリと指摘したと聞く。
ミレニアム懸賞問題の論文を提出し、それが評価される過程での政治が発生したときは「俺は政治家じゃねぇ!」とキレたようだ。
賞金も辞退し、数学会から手を引いてからは、オペラの鑑賞を趣味として質素な生活をしているらしい。
誰も解けない問題を解き、arxivに成果を出すことで出版社に存在する政治を避け、数学的証明の正しさだけで勝利を勝ち取った男がペレルマンその人である。
このストーリーを聞いて私は、この人こそ尊敬に値する数学者だと思った。
研究助成金をもらうための政治的活動に熱を入れる数々の自称研究者とは格が違う。
数年前はgithubでOSSを公開することがそういう趣味だと思い込んでいたが、スター数で評価されるという政治が存在することに気が付き、消極的になった。
社会でなにか評価されようとすることが政治なのだろう。ポアンカレ予想ですら中華が業績を奪おうと政治工作したのだから。
私はプログラミングを趣味と仕事の両方でやっているが、コンピュータはインターネットを通じて社会と繋がりすぎている。
よくアニソンとかの歌詞で「解けない方程式」みたいなフレーズが出てくるが、代数方程式だって5次方程式(たった5次!)以上になったら一般には解けないし、微分方程式に至っては「ミレニアム懸賞問題」として100万ドルの懸賞金が懸かってたりする難しさなわけで、たいていの方程式は解けなくて当たり前なんだよ!って、聞くたびにツッコミたくなる。
つまり、「解ける方程式」なんてほとんど無いのだから、「解けない方程式」に悩むなんて、空が飛べる翼がないことに悩むくらい実現不可能な空想であり、そもそも悩み方として間違っている。
というかまずは、お前の歌詞で求める「解」は近似解ではダメなのか、どうしてダメなのか、歌詞はせいぜい10分も無いけど、小一時間膝を付き合わせて問い詰めたい。ゼミを開いてお前の意図を詳らかにしたい。
ガロア群が可解にならないからって諦める前に、最適化のための近似アルゴリズムを試せよ。ニュートン法でも最急降下法でもいいから、なんか試せよ。微分不可能か知らないが、それでもなんかアルゴリズム考えろよ。
色々試した結果がそれでもダメだったら、初めてそのことを歌詞に表せよ。方程式が「解けない」んじゃなく、近似さえもできなくなったら、その内容を個別具体的に歌詞に表せ。そうしたら、俺もそのためのアルゴリズムを一緒に悩んでやろうじゃねぇか。
というか、方程式として問題を数式に表すことはできたんだよな。しかも歌詞という万民に伝わる形で。そこは偉いな。尊敬する。問題は多くの人間に共有すべきだ。
問題を数学の手法で解く場合、一番重要なのは方程式を解くなどの計算手法じゃない。問題を数式に落とし込む「問題の定式化」の部分が一番重要なんだ。だって、そもそも数式にできなかったら、どんな立派な手法があろうと問題なんて解けやしないだろう?
だからこそ、お前の歌詞は本当に惜しいんだよ!「解けない」ながらも、方程式として問題を定式化できたんだろう?定式化できたら問題は8割解けたも同然なんだ。
だから、お前の悩むべきは方程式を「解けない」と思い込んでいるその姿勢だ。
解けないことが問題なのではなく、妥協できないお前のプライドこそ問題なんだ。もう少し妥協して、近似解としてのアプローチに悩んでみてもいいんじゃないか?「一番じゃなきゃダメなんですか」なんて、お前以外の誰も求めてないかもしれないじゃないか。
なに?一番であることはアニソンとしての、つまり物語としての要求だって?
それなら、常に一番として勝ち続けないと存在しえない主人公、そしてそれを称える曲なんてアルゴリズム的にもう古いと、作者か作詞家かに最新の論文ごと叩きつけてやれ!
十全な状態で戦えずに、ひねった手法でなんとかやり込める、そういう近似解法としての物語が今や手法のトレンドじゃないのか?真っ正面から物語を「解く」んじゃなく、端からだんだんとアルゴリズムで解を詰めていく、それ以上は妥協する、そういう姿勢がこれからの物語像だと思うんだよ。
とにかく、こんなに絡み合った現代は「解けない方程式」だらけなんだ。正面から方程式を解くなんて今日び流行らねぇよ。だから、「解けない」という悩みを脱し、近似アルゴリズムで必死に解を詰めようとするお前の歌詞こそ、論文として採択されうる価値を持つものだし、これからの物語としてのロールモデルにだってなるはずだ。