2019-04-02

眼瞼下垂の手術を終えて

見慣れない漢字4文字だと思うが、実はなっているという人が多いものだと思う。

眼瞼下垂とは?

眼瞼下垂とは、まぶたの筋肉が弱くなったり、まぶたの皮膚が重かったりするために、まぶたが本来位置まで上がらない病気だ。

まぶたをあげるために目の筋肉をフルに使うために目の疲労感が激しく感じられたり、ミュラー筋が使われ続けることにより交感神経が刺激され続け、自律神経が狂うという、発症するとやっないな病気だ。

先天性と後天性のものがあり、俺は後天性のものだった。

後天性の原因は、主に目をこすったりコンタクトのつけ外しによる、まぶたを過度に引っ張る行為だ。

俺が発症した原因となった行動は、おそらく小学生の頃コンタクトのつけ外しを母にしてもらっていて、その時に強くまぶたを上げられたことだと思う。

以下、発症の経緯と手術を終えるまでを書く。

発症

3年ほど前、ずっとコンタクト使用していた生活から眼鏡中心の生活に変えた時に、眼精疲労が朝から日中続くようになった。

同時に、首や肩のコリが激しく、常に体に力が入っているという状態になってしまった。今から思うと自律神経が乱れていたのだと思う。

最初眼鏡度数があってないのかと思い、何度かレンズを変えるも全く解消せず。

コンタクト使用にも戻したが全く改善しなかった。

斜位を疑う

ここから約2年半の間は、この謎の症状に名前をつけることに必死だった。

当時田舎に住んでいたため、眼科は近くには1つしかなく、何度もそこに通ったが、結局出されるのはドライアイの薬だけだった。

眼精疲労解消法では効果がなかったため、俺は斜位を疑うようになった。

しかし、田舎眼科ではこれを訴えても正確に診断してくれることは一切なかった

この時ちょうど大学受験の年だったが、眼精疲労自律神経の乱れからとても勉強に集中できる状態ではなく、行きたい大学受験することを諦め、指定校推薦を使い東京私立大学に行くことになった。

2年前に上京した時は、有名な眼科眼鏡屋があるため期待していたが、眼科には田舎病院と同じようなことしか言われなかったので眼鏡屋を信頼するようになった。

しかし、眼鏡屋ではちゃんといろいろな検査をしてくれ、斜位に関しても細かく調整をしたレンズを作ってくれたのだが、眼精疲労が治ることはなかった。

大学生で高いレンズに手が出ず、親に沢山のお金を払ってもらったのは心が痛んだ。

結局、大学1年生の冬頃には、「斜位は見た感じわずしかなく問題はない。コンタクトを長く使っていた人は眼鏡になれないか眼精疲労が起こっているのではないか」ということを言われ、これ以上何をしてもムダだという思いと、高いレンズを買ったのにという思いからくる絶望感もあり、斜位を治すという方向で動くのは諦めた。

ついに眼瞼下垂を疑う

眼瞼下垂は実は斜位を疑い始めた頃からこれもありえるな〜と思っていた。

「まぶたを手であげれば力が抜ける」簡単な診断方法でも当てはまったからだ。

しかし、手術が必要ということでやりたくないな〜という思いがあり、一度形成外科に行ってみたが「違うでしょう」と言われたのでしばらくは疑わず斜位眼鏡を作ることにしていた。

前述の通り治すことを諦めてしまい、しばらくは何をするでもなく、このまま一生を過ごすんだという暗い思いを抱えながら過ごしていた。

顔はストレスで肌荒れがひどく、精神的にも余裕がないため人間関係でも失敗しまくり、精神科にも通っていた。

転機は、大学2年生、つまり昨年の夏だ。

ツイッターアイプチという商品があると知り、気になり調べて見ると、どおやらまぶたを少し上げて二重を作るものだとわかった。

俺は一重だったので、二重の自分が気になりやって見ると、なんと体が少し楽になり、眼精疲労も少し改善されたのだ。

調べてみると、まぶたにはミュラー筋というものがあり、これは交感神経で作用しているため、眼瞼下垂でまぶたが落ちてくると、目を開けようとここが刺激され続け、交感神経も刺激され続けるため力が入るということらしい。

こうして、いよいよ眼瞼下垂を疑い始めた。

最初は、手術というハードルは高く、別にこのままでもいいやという落ち込んだ暗い気分で、そこから何をするでもなかった。

しかし、同時期海外旅行に行った時、飛行機座席で、眼瞼下垂からくる体の力みから眠れずとても辛い思いをし、さらに隣の席の人はぐっすり寝ていたのを見て「明らかにこれはおかしいだろう!絶対治してやる!」と決心した。

診断まで

帰国した後、さっそくネットで眼瞼下垂の名医を探し、レビューもよく見て、1つの病院に行った。

前述の通り、最初に1度、眼瞼下垂ではないと診断されているため、今回はどれだけしつこくても眼瞼下垂を認めさせてやろうみたいな気持ちで行ったが、いざ診察を受けるとあっさりと眼瞼下垂症と診断された。

やっとこの謎の症状に名前がつき、治るんだという安心感と喜びで、家に帰って軽く涙したのを覚えている。本当にあの時は嬉しかったし、希望みたいなのを感じることができた。

手術

昨年の秋、いよいよ手術の時が来た。

保険治療ではまぶたを切開する手術しか出来なかったのでそれにしたが、正直むちゃくちゃ怖かった。

まぶたを切って糸を通して筋肉を縮める!?何言ってんだお前!?

手術室では震えが止まらず、汗もダラダラかいていた。

いざ手術すると、もちろん麻酔で痛みはないのだが、まぶたの脂肪を焼き切るという作業の際に、リアル焼肉などで脂肪が焼ける匂いが感じられ、とても生きている心地がしなかった。

終わって見ると、目がとても腫れており、明らかに失敗で異質な目になってしまったと軽くショックを受けた。

しかし体はとても軽い!目の痛みもない!ストレスが嘘のように消え、頭もスッキリした気分であり、ああ自分はやっと普通になれたんだ、これで自分はやっとまともな生活に戻れるんだという思いでいっぱいだった。

術後

麻酔が切れるにつれ術後の痛みが出てきたが、薬を飲むことで痛みは抑えられた。

1週間はとても人前に出れるような姿ではなかったが、抜糸を終え腫れが治るにつれ、綺麗な二重の目になった。本当にいい先生だったんだなと、今頃感謝した。

しかし、以前より目の形は当然だが変化し、バイト大学友達からどう思われるかという問題があった。

眼瞼下垂という複雑でマイナー病気をうまく説明できる気もせず、手術も二重整形の手法と全く同じなため整形と最初は間違われた。

しかし嬉しいことにけなされるなどということはなく、むしろイケメンになったということも言われた。いい友達で本当に良かった。

それから

この後1度、左目が少し開きが落ちてきたため再手術をして今に至る。

やっと3年間の戦いが終わったような感じで、人生を明るく捕らえられ、気の持ちようも随分変わった。

肌の調子も変わり、フケや肌の角質がボロボロ落ちることもなくなり、とても嬉しい限りだ。

眼瞼下垂というのは、コンタクトのつけ外しによっても起こり得る病気であり、潜在的に当てはまる人が大勢いると思うし、これから増える病気だと思う。

まぶた一つでこんなにも体に影響が出る恐ろしい病気知名度が低く、普通眼科では見つけてくれないというのはとても怖い。

もしこれを見ている人で、同じような症状に苦しみ、まぶたを手で少し上げてみるとそれが改善するようなら、眼瞼下垂を疑ってみてほしい。

また、コンタクトをつけ外しする時は、出来るだけまぶたを引っ張らないようにした方がいいだろう。まぶたというのはデリケートだ。擦ったりするのもなるべく控えよう。

長々と書いてしまったが、これから増えるであろう眼瞼下垂症もっと知られることを心から願う。

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