2015-12-07

統計的差別の逆があるのでは

萌え絵が反感を買いやすい背景 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/908794

ここを読んで統計的差別という用語があるのを知り、自分なりに考えてみた。

統計的データ

統計的差別とは属性別統計データ(または経験)をもとに個人を選別することで、例えば企業の人事で、女性は勤続年数が短いというデータがあるので長期的成長の必要役職に就けないようにするとか、経験的に博士課程の人は融通が利かないことが多いので採用を見送る、など。

統計的とあるが、「オタク的外見とコミュ技能の相関」のようにちゃんとした調査データでなく経験をもとにしたものも含まれるのだろう。

調べてて思ったのは、統計は個人評価使用するには向いてないはずでは?ということ。しかし実際にはそのような使い方はよくされているわけで、これは人を評価することの難しさからきてるのではと思う。

個人を評価するのが難しい場合、その評価責任を取れないので安易なわかりやすい選択、言いわけのしやすい選択をしがちになるのでは。またコストの面から多面的で丁寧な評価でなく簡便な評価軸を使ったものが好まれるのだろう。

足切のように自覚的にやってる場合はともかく、そういうつもりでない時でも言いわけのために統計を使った属性での評価に重みを置きすぎてしまうことがあるのではと思う。

もう一つ重要なのはポジティブフィードバックループで、これはランチェスター第二法則のように、試行を繰り返すことで極端化する現象のこと。統計的差別も、繰り返されることで統計データ上の差がより大きくなっていくわけである

例えば「女子理系に向かない」という社会イメージ女子理系科目の成績低下につながり、それがまた社会イメージを強化し更なる成績低下につながる、というもの

僅かな差しかないはずのものが大きな差になったり、本来は差がないはずのもの最初に間違ったイメージをもったため実際にデータ的な差ができてしまったりするのである

> そういう相関が生じる要因についてはいろいろあって、統計的差別が行われていること自体も要因の一つかと。たまたま容姿に優れなかった人が、既に存在している統計的差別で切り捨てられ、コミュニケーション技能を伸ばす機会を摘まれる、とか。

と、まとめのツイートにあるように予言自己成就的なことが発生してしまうので、一見判断は正しかったように見えてしまい、問題があることを認識できなくなってしまうことが、"この統計的差別というやつは、差別意識などより遥かに根が深く、対抗する難易度が高い" ということなのかなと思う。

統計的差別の逆

さらに思ったのは、統計的差別の逆のパターンというものがあるのではということ。統計データ(または経験)をもって差別することの逆に、統計データをもって差別忌避することもあるのではないだろうか。

普通の人と同じように社会に混じってコミュニケーションを取ろうとしても差別されることが多いとわかってる人は、積極的コミュニケーションを取ろうとしなくなるのではないか。そしてそれがまたコミュニケーション能力育成の機会を失わせてしまうということになってしまう。

例えば「デビル効果」と言うものに関する研究がある。

https://www.mededge.jp/b/huap/14009

http://www.sciencenewsline.com/news/2015052714510039.html

器量の良くない人はイケメンと比べ、普段は差別されないが何か好ましくない行為を行った場合に、イケメンがそうした場合の倍、悪い評価を得るというもの

そういう人の犯罪イケメン犯罪に比べ印象に残りやすくなったりもしそうである

統計により社会が見た目で評価を変えるのがわかっているなら、見た目の悪い人は自発的社会との関わりを減らすことが適応戦略となる。しかし今度は積極的コミュニケーションをしないことを理由差別正当化されたりする。

社会差別が元となって発生してる状況なのに「コミュニケーションで傷つきたくないのだろう」と原因にされたり、「キモがられないように努力しろ」と改善責任押し付けられたりする。

社会コミュニケートする難易度ますます高くなってしまってコミュニケーション忌避を強化するというループにはまってしまう。

このように差別される側が統計データ(というか経験則)をもとに、ドツボにはまる選択をしてしまうことはよくあるのではないだろうか。そもそも、統計データで個人を評価するのはあまり好ましくないが、統計データ社会評価するのは正しいわけだから

表面から見ると問題行動を起こしてるのが非差別であるせいでこの問題は発覚しにくく、統計的差別以上に対応しづらいのではと思う。

 

ところでこのまとめはツイートの順序を入れ替えたり会話をつぎはぎしたりしてて、かなり恣意性の強い編集になってるように思えるのだが、どうだろうか。

フェミニズム関連ではこのような恣意的引用を用いた印象操作をちょくちょく見かけるのだが、はてブではあまり問題にならずに受け入れられてることも多いので、そーいうものなのだろうか。

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