はてなキーワード: 現役とは
小学校で、気性の荒い肉体労働者が集まる地区の学区にいました。
彼らのご子息は、最初は特に私をいじめる意図はなかったようです。しかし、その過酷なボディーランゲージは軟弱な私を虐められていると錯覚させるのに充分で、そのうち本当にいじめのような関係が築かれていってしまいました。自殺を検討しましたが、手首を切ったり飛び降りたりするための勇気がなくて、できませんでした。今考えると勇気がでなくてよかったです。
そのころ私が進学したら通うであろう学区の中学校は荒れに荒れており、施設は荒廃するわ怪我人はしょっちゅう出るわ生徒が教師を刺して新聞に出るわという騒ぎだったので、私はこのまま進んだら絶対に殺されると思い込みました。
必死というのは、強いです。
そのころ中学受験というのはあまり流行していなかったのですが、親に無理を言って頼み込み、3年間の努力の甲斐あって中高一貫の私学に。
勉強しても馬鹿にされない場所。本を読んでいても不気味に思われない場所。いじめに対し、いじめている暇があったら東大京大早慶を目指して勉学に励め馬鹿者がと教師が強く出て解決してしまう場所。同性だけの開放的な場所。それらを私は手に入れました。
…あまりの幸せに、私はちょっと遊びすぎました。漫画と小説に明け暮れる日々をすごしてしまったのです。4年たったころには、入学時の能力からするとかなりいびつな学力になってしまっており、有数の進学校にいながら模試で軒並み「みこみがありません」という意味の判定をもらうようになってしまっておりました。
この高校から就職する人はほとんどいないので、その方向の進路指導は受けられません。このままでは高校を出て路頭に迷ってしまいます。
2年、それなりに勉強しました。ぬるま湯に浸かっていた私は必死さが足りませんでした。第一志望の東工大に落ち、地方の国立大学になんとか現役で滑り込みます。
……また遊びすぎてしまいました。音楽と小説に没頭していて数学の勉強が足りず、2年留年。馬鹿すぎます。
で、修士で新卒ですと就職活動。適当な一部上場企業がSE募集していたので入りました。あまりあっさり入れたから変だと思ったのです。
入ってみたら針のむしろでした。同期の同僚たち、そこそこの私学出てます。MARCHとそのちょい下ぐらい。
仕事にならない。
ええっと、入社してから条件分岐とループとか勉強しているのですけれども。この人たち。
MOUS検定の事を本当に入力インターフェースのマウスの検定だと思っているのですけれども。この人たち。
さらに、知識がないとかじゃなくて学習の筋が悪いです。
先輩方も同レベル…まがりなりにも新卒の私なのに社内技術サポートセンターのようになっていきました。本来業務ではないのに。
こんな低能どものお守りをして残業だらけになって給料がこれっぽっち?いや今安いのは良いよ、10年選手でもこの金額?あれだけの金が動くプロジェクトを回していて?
辞めた辞めた。一部上場とか気にしないで会社で適当にサボりつつ次の仕事を探しました。私は今まであまりにもぬるま湯に浸かりすぎていたようです。人生の半分以上ぬるま湯でした。厳しいところに行かねば。
それで今の小さな会社を見つけて転職しました。とてもよいところです。仕事が楽しいです。上司も同僚も実力派です。人間的にも良い方が多いです。専門卒も3流大卒も1流大卒も混在していますが、どなたもハイスキルですし、学習の仕方を知っているし、伸びしろがまだまだある方が多いです。それになんといっても給料が良い。
問題はまた居心地の良すぎる場所を見つけてしまったということです。すっごいぬるま湯です。自分の仕事はきちんとしてそれなりに評価はされていますが、いままであまりにものんびり流れるままにすごしてきたので他者の指揮経験がありません。
なんだか今後上司をやらなければならないようです。これはまずいです。もし前の会社の同僚のような者が部下についてしまったら…低能め低学歴めと叩き潰しかねません。実際大学や前の会社で私が潰した覚えがないのに「あなたは容赦がないですね」と言われたことがあります。
そういうわけで、無能、学歴コンプ、病人、エターナル素人は私の前に立たないで頂きたい。それがお互いの幸せのためなのです。わかるよね。
ダル&サエコ“でき婚”今秋にも
スポニチ本紙報道で交際が明らかになった北海道日本ハムファイターズのエース、ダルビッシュ有(20)と現役早大生の女優サエコ(20)のカップルが結婚することが7日、分かった。サエコは妊娠しており、2人は親しい知人らに「結婚するつもりです」と報告済み。早ければ、シーズン終了後の今秋にもゴールインする。
交際が明らかになったばかりのダルビッシュ&サエコ。このまま一気に“できちゃった婚”という、150キロの剛速球もビックリの超スピード婚になりそうだ。
本紙の交際報道があったこの日、サエコの所属事務所はマスコミ各社の取材に「交際は事実。いいお付き合いをさせていただいています」とコメント。ともに20歳という若いカップルだけに「温かく見守っていただければ」と話し、交際を認めただけでなく今後の2人の人生についても応援していく姿勢を見せた。
一方、ダルビッシュが所属する日本ハム球団の広報も「プライベートについては本人に任せています」と交際を否定せず、静かに見守る構えだ。
わずか交際3カ月足らずの若いカップルを、周囲がこれだけ慎重に見守る姿勢を明らかにしたのには理由がある。
サエコの“おめでた”が分かったのだ。妊娠3カ月目に入ったばかりで、愛の証の小さな命が宿ったことに2人はとても喜んでいる。
それぞれ、親しい関係者や知人にはこの日までに「結婚しようと思っています」と報告。結婚の具体的な日取りなどは決まっていないが、ダルビッシュが生まれ故郷の大阪でサエコを両親に紹介するなど段階を踏んでおり、シーズン終了後の今秋にもゴールインすることになりそうだ。
ダルビッシュは、最新号の女性ファッション誌「an・an」のSEX特集で表紙&グラビアに登場。フルヌードを披露している。インタビューでは「(SEXで)愛情を実感すると、彼女のために頑張って投げようって思える。勝って喜ばせようという気持ちが強くなるんです」「うまくいってるカップルを見ると、その女性はキレイで穏やかになってたりしますよね。自分の場合も…そう変わってくれたらうれしい」と恋人への深い思いを明かしており、サエコとの婚約を自ら堂々発表する日も近そうだ。
サエコはこの日、映画「ガチボーイ」のロケ先の札幌から帰京し、都内で仕事をしていたもよう。ブログでは、北海道のとうもろこしをゆで、ダルビッシュの故郷・大阪名物の「お好み焼き」を作ったことを書き込んだ。「お料理って楽しいね」と新婚生活での手料理も準備万端の様子だ。
◆サエコ(さえこ)本名は非公開。1986年(昭61)11月16日、宮崎県生まれの20歳。01年、日テレのドラマ「ゼニ ゲッチュー!!」でデビュー。TBS「学校へ行こう!」のレギュラーで人気を博し、映画「バックダンサーズ!」などに出演。06年4月、早稲田大学人間科学部(通信制)に入学。趣味はネイルアート。1メートル57、血液型O。
・5人でチームを作って、期間は3ヶ月
・TTLを200個くらい使って自分で配線して動くものを作る
・命令セット例は示されているが設計は全部自分たちでやる
・その前期の実験の後半3ヶ月は、
そのCPUのソフトウェアシミュレータとアセンブラとリンカとデバッガを1人で作る
まあ、要するに似たようなことやってたみたいなんだが、俺の部署でも
給料は同じだ。
東大卒の人たちがプロジェクトの説明のパワーポイント資料を作っているのと同じ期間で、
東大卒の人が
「プログラムなんて誰が書いても同じだから、俺はやらない」
と思っている一方で
京大卒の人は
「どうせプログラムを俺が書くんだったらパワーポイントや設計書なんて誰が書いても同じだから、俺はやらない」
と思っている。
あくまで俺の会社の話だよ。一般的にそうだってわけじゃないよ。
若者の大言壮語はいつの時代もなくならないし、叩かれるものではある。
増田がそんな若者のいわば「心意気」を認めてやろうじゃない、という気持ちもある意味わかる。
しかし多分そんな若者を見過ごせないのは、そういった大言壮語を吐いている若者に昔日の己をつい重ねてしまうからじゃないだろうか。
彼らを見てると「あんなこと言ってた俺恥ずかしい!」という気持ちが噴出してきて居ても立っても居られなくなるから
「とりあえず黙れ、な?」ということになってしまうんじゃないか。
思えば若者が吹き上がるのは己自身が徒手空拳であることを自覚しているからであり、
野望に見合わぬ自分を飾ろうとする虚栄心の表れでしかない。
しかし叩かれてダメになる程度のナイーブさでは到底上には行けないんだ。
別にそれは日本に限ったことじゃない。
そのへんある程度経験つんでれば判ることだから叩きたくなってしまう。
でも彼らが本当に叩きたい相手は若かりし日の自分自身なんだ。
「俺が苦労して脱ぎ捨てたはずの青春スーツを着込んで目の前をウロウロするな!」
本音はそんなとこじゃないか。
だから実際には本気で憎んでるわけでも嫉妬してるわけでもないけど
同じITMediaの岡田有花氏の記事に疑問を持ったクチです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/5403841
ブックマークでも、彼女の記事にしては意見がバラバラのようにみえる。
岡田氏の記事で現役クリエイターが言っているのは、「自分の作品をもっと知って欲しい」ということであって、自作品が知られることは、存続期間の延長の有無とは関係ないんじゃないかなあと思った。
いろいろと切り口を変えた質問してみれば、現役クリエイターの考えが垣間見られたかもしれない。
「延長に反対しますか?」とか。
また、現役クリエイターではなく、遺族の人にも聞いてみればいい。遺族の人もきっと「故人の作品をもっと知って欲しい」というだろうと俺は予測する。
それが存続問題の延長と、どのような関係が有るのだろう。そこを考えることが大事だと思う。
そもそも手打ち職人って、うどんかそばじゃないんですから……。
7、8年前ならいざしらず、いまどきtableつかわないと思った通りのレイアウトができない方がおかしいと思うんですが、世の中ではちがうのでしょうか……。
10年前は複雑なtableのネスト構造や、スペーサーの使い方で自由自在にデザインしてみせますよ!というのをウリに、HTMLを手打ちしてました。
2000年ごろには、逆にtableやspacer.gifを排除するために、HTMLを手打ちしていました。
なんでそんなめんどくさいことしてるの?Dreamweaverとか使えないの?といわれ続けていく歳月。
でも、SEOブームなんてのがきたときは「いままでそんなこともしてなかったの?」って感じでスルーできたよ。
最初っから構造を意識して書いてるんだから、インチキSEO業者なんて入り込むスキマもないよね。
んで、動的コンテンツを作るときにも、エンジニアさんと連携しやすい。
問題は、DreamweaverでしかWebが作れない自称Webデザイナーと共同作業しにくいこと。
それでもさいきんはツールのほうが賢くなってくれたので、大分マシになったよ。
さすがに、ポチポチとタグばかり打ってる年齢でもないので、もっと他の部分で自分のリソースを使う割合が増えたけど、美学というか信念というか、そういうものを継承してくれるような若手がなかなか居ないので、あいかわらずエディタは手放せないのです。
まあ、ライティングも編集もオーサリングも同時にできちゃうから、便利っちゃ便利だけどね。
海は死にますか、山はどうですか。
知世入れたらkernel panicっちゃった……。
1GHzも無いCPU(Athlon4)、256MBも無いSDRAMでmakeしてたから(化石とかゆーな!そりゃKDEとかはキビシイけど、BlackBoxとかなら現役GUI環境だって可能なんだよ。でもやっぱりXfceがイイよね)、すっごく時間掛かったのに……。
またやり直さなきゃって思うと……憂鬱。祝日なのに明日休みじゃないし。
はやくdebぃあん♪debぃあん♪(「リリアン♪リリアン♪」のノリで)したいのに……。あ、debっていうのはDebian系のパッケージ名であるからして、その後楽しくインストールすることを表現しているのでもあるのですよ。XBillとか。
あと、窓から開発環境移さなくちゃだから、eclipse(CLOCKUPのじゃないよ)入れなくちゃだけれど、これも嫌ーな思い出があるから、ちょっと憂鬱。それとはやくリナ欲しいよL、I、N、A(ぽえりなじゃないよ)。何だか甘い響き。Cygwinなんてやってらんない。
今まで二十数年間生きてきて、自分の頭がいいとは信じがたいのだけれども、自分がたどってきた道を弟がひどく苦労して通っているのを見て、もしかしたら自分は本当は頭がよかったんじゃないだろうかとようやく母の言葉を受け入れようかという気になった。
そもそも私は自分の頭をいいと思ってこなかった原因は母にあるのだけど、最近本当にようやく自分をなんとか絶対的な評価でみることができるようになったので書いてみる。
私は勉強が駄目で大嫌いだった。
学生時代、試験前も受験前もほとんど何もしていなかった。さすがに教科書やノートを見直したりはしていたけれど、それでも前日とかに慌ててやってたぐらい。中学のときはそれで試験はどうにかクラス内で上位にいたけど、普段の提出物とかかなりさぼっていたのでオール4プラスアルファぐらいの内申点だった。それは公立に行くためにとにかく内申点が必要だったうちの地方で学区内のトップ校に行こうと思ったら当日点をかなり稼がなくてはならないレベルで、反対に学区二位の高校は内申点がそれだけあったら当日結構ぼろぼろでもなんとかなるレベルだった(うちの学区内の高校レベルが偏ってた)。偏差値は塾の模試なので低めに出てると思うけれどたしかどの教科もだいたい60台だった。行った高校は当時の偏差値64だったかな。いわゆる併願校で名を馳せていたところだったのだけど、その併願基準に達する内申点を持っていなかったので単願で受けた。滑り止めで受けたし、試験を受けたとき落ちた気がしなかったので、合格発表後に担任に報告したら「マジか!?」っていわれてむしろ驚いた。
まあ本命は落ちたんだけど。
で、その高校のときの偏差値は平均58ぐらい。本当に大嫌いで駄目だった英語は50弱ぐらいだったけれど、国語は60台後半からどうかすると70に手が届いてた。世界史とか生物はその二つの間ぐらい。大学の偏差値は当時は58だったかな。
こんなふうに成績はね、いちおう平均よりもかなりいいほうだっていうのは自覚していたけど、自分が頭がいいなんてかけらも思っていなかった。勉強が大嫌いだったし、その嫌いっぷりに手を焼いた母に小五の夏にして中学受験の予定もなかったのに進学塾に放り込まれたし。
ちなみに、この進学塾行きに疑問を抱いたのも最近だった。私が言い出したら私立中学を受けさせる気満々だったらしいんだけど、反対に嫌がったらどんな手を使っても逃げるだろうと思っていたらしい。聞かされたときに否定はできなかった。
今思うと勉強が嫌いと言うよりも私は勉強と言うものをどういうものなのかがぜんぜんわかっていなかったんだと思う。
しなくても授業は理解できていたし、点も取れていたからする必要性を感じてこなかったから学習しなかった。塾でも授業聞いて理解できていたから、宿題とかその日行く前とかバスの中とか授業直前とかでやってた。
その反面、私の妹はとても努力をする人で、勉強が出来る人で、もちろん提出物なんかも抜かりなくてオール5をとる人だった。彼女のクラスには同じような人がもう一人いて、通信簿が相対評価の頃にクラス内に許されていた2個の5を二人締めしていたという逸話が残っている。
学年で3つ離れているので妹のこの所業はただ単に「すごいな」と眺めていればよかったんだけど、かわいそうなのは弟だった。
弟もまた勉強が嫌いであったようだけど、私より遙かに努力する人で、勉強に費やす時間だって比べ物にならなかった。ただどうしたって弟は妹の成績はともかく、私の成績にすら追いつけなかった。弟には申し訳ないけれど、前述のとおり私が自分の頭が悪くなかったのかもと思うようになったのは弟の成績からだ。妹とは勉強量も成績も比べたら失礼だと思っていた。
じゃあそもそもの「私は頭が悪い」という思い込みがどこから来たのかと言うとこれははっきりしていて疑問の余地はない。
私の母である。
地方のトップ校から国立に進学し、父(私の祖父)がなくならなければ院に行っていただろうという人で、勉強することを苦にしない。学生時代も普段からきちんと勉学にいそしんでいたらしく試験前だろうがなんだろうが就寝は九時半で高成績を保っていたと聞いた。
ちいさな頃から私たち兄弟の勉強をまとめてみてくれていたのは母なのだが、私は小五で塾へとやられたのは母の能力的に面倒が見れなくなったからではなく、私があまりにも勉強を嫌がったためだ。はっきりいって私は国語分野で母に優れたことはない。大学受験時に古文で分からなくなったらとりあえず母に聞けば答えあるいは糸口が帰ってくる人で、当然ながら百人一首で勝てた事も無い。
だが、この人は自己評価がとても低い。ものすごく低い。かといって評価が厳しいわけじゃない。私は前述のとおり不真面目だったのでよく怒られたけれど、弟妹たちによるとむしろよくほめてくれる人であったらしい。たしかに大学受験のころ、偏差値40を切った英語にさすがに危機感を覚えて勉強してなんとか54ぐらいまでもって行ったときに「だからやれば出来るって言ったじゃない」って言われたことはよく覚えている。
だが当の本人は自覚がないらしい。現役を退いてXX年経っているにもかかわらず高校文系レベルの国語も英語も数学も普通に面倒を見る事が出来るような人は「すごい」のだと、言っても信じてもらえない。「これくらいは普通(常識)」と言い張る。
だから私は、ずっと長い事自分も大きくなったら母のようにすべてを知っている大人になれるのだと根拠もなく信じていた。
母自身の資質がやたら高かった事に気づいたのは、自分が母のようには到底なれないのだと諦めきったあとのことだった。
しかし幼い頃からの絶対的な壁に対するコンプレックスはあまりにも深く根ざしていて、崩したり乗り越えたりしようと頑張りはじめてはいるのだけれど、なんかもう高さが果てしない。
「無理」とつぶやいて見なかったことにしたいけど、既に気づいてしまったものはもう視界からは消えないわけで、かといって友人たちに愚痴る勇気もなく(「実は私、頭よかったんだ」なんて言えない)、とりあえずすこしでも壁が崩せないかと長々と増田に書いてみた。
すこし長すぎた気もするけど反省はしていない。
「やれば出来る子なんだから」といわれてもね、おかーさん。あなたの「普通」は難しかったよ。勉強は今でも大嫌いだよ。英語なんか日常でもあまり見たくない。でも言う事を素直に聞いて勉強というもののやり方をきちんと把握していたら、大学を中退せずに済んだかなとは思うんだ。
ごめんね。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070704
http://d.hatena.ne.jp/lakehill/20070704/p1
を読んで。
確かにちょっとだけズレてると思います。
でも貞操感なんて人それぞれなので、否定してもしょうがないっすよね。
現役20代中盤男の戯言で少しでも若者文化を知ってもらえれば。
先生はどこからを低学歴と言っているのか知りませんがオレは早稲田出身です。25です。
自分らの学生時代は「合コン→即セックス」なんて当たり前の世代です。
いや、世代の問題じゃ無いと思う。
この3つにわけられるだけだと思う。
古今東西変わらないんじゃないかな。
どうなんでしょ?
なぜならば勉強ばかりやってきて異性との遊び方を知らないから。
これは断言できる。
明治になるとそこそこ見かける。
てな感じです。
20代前半なんてヤリまくりですよ。
特に男なんてそれしか考えて無いんだから。
ただ高学歴の奴は遊び方を知らないだけ。
でも、私大レベルだといわゆる「イベサー」が存在するくらいですから。
え?イベサーって何って?
「スーフリ事件」覚えてますよね。あれがイベサーです。イベントサークルの略です。
自分はスーフリには関わってなかったけど、入学前から存在は知ってた。
東京で遊んでる高校生はほぼ例外なくイベサー作ってましたから、当然スーフリのような巨大イベサーと絡みはあるんですよ。
あんまりここじゃ書けないようなね。
まあスーフリなんて代表があの顔ですから本当の遊び人からすると(苦笑)みたいな存在でした。
ただ集金力は抜群でしたからねー。
スーフリに集まるようなブス女には興味が無くても金に目がくらんで積極的に絡んでいった奴は大勢居ますね。
そういう奴は崩壊前にすっきり手を引いてます。
レイプとかバカな事はしない。金だけ。
そんなもんでっせ。
これは事実です。
でもあくまでこれは学生時代の話であって、30過ぎるとまた話は変わるんでしょうね。
その辺はまだオレにはわかりません。
少なくともクラブで「オレって????大学でさー!」なんて言わないしなぁ。
聞かれたことも無い。
世代の話をすれば「携帯」のおかげでセックスはやりやすくなったね。
家に電話して「もしもし、私????と申しますが、????さんいらっしゃいますでしょうか?」なんて言ってた世代とはあまりにも環境が違いすぎる。
近くに女の子が居ない奴でも「出会い系」っていうスーパーツールがある。
テレクラでしたっけ?そんな暗くてジメジメしたところ普通の奴は行きませんよ。オレも行った事ないし。
でも出会い系だったら簡単。
さすがに東大には巡りあった事無いけど慶応上智だったら何人かキャッチしました。
もちろん早稲田はヤバイんで避けましたけどね。
出会い系に来る女の子とは「会う→居酒屋orクラブ→セックス」これが一晩で完結します。
一回やっちゃえば後はセフレ継続です。
女の子は出会い系を利用した後ろめたさもあって結構融通利きます。
若干話が逸れましたけど20歳で10人だとかなり結構遊んでる印象は受ける(女ね。男は別)。
25歳で10人だったら普通な気が。
でもマジメに統計とったら平均は3??4人になるのかなぁと勝手に推測してます。
増田http://anond.hatelabo.jp/20070621035822曰く、「カルトから抜けることによって人災を蒙るわけだ。なら、やる気のない一信者でいた方が得」。
害をなされるより、害をなす側に立つ事で、それを防げると。悪質なのにかかずらっちゃった人はそうだろうね。でも、全ての宗教がそこまで悪質なわけでもないし、そもそも最初から関わらなければいいだけじゃん。
増田http://anond.hatelabo.jp/20070621110143曰く、「攻撃することで正当化し肥大化した自我の支えにしている」。何言ってるの?敵対する者に反論できなくて、人格攻撃してるだけだね。いっとくけど俺はどの宗教の信者やったこともないよ。「辞めたら辞めたでキッパリと縁を絶てばいいものを」やられたら報復したくなるのは当たり前だし、ほかの被害者を出さないために役に立ちたいと思うのも自然。どこかの現役の信者さん?
ええー、そうなの?あんま聞いたことない。年配の人なら使いそうだけど、現役世代は使わないイメージ。他人の配偶者を指すときは「奥さん」だと思ってた。ちょっと砕けてても。本当に砕けてきて「○○ちゃん(ファーストネーム)」扱いになるまでは。ニュートラルな表現のつもりで使ってると余計な摩擦が起きるかも。口頭の場合ね。ネットでは好きにして(もはやなんでもありなので手に負えん)。
お世辞にも敬虔な信者とは言えないけど、籍は置いてるからそう名乗っても間違いじゃないだろう。
協会(エホバの証人の法人組織、「ものみの塔聖書冊子協会」のこと。日本支部は神奈川県海老名市にある。)は繰り返しインターネットの利用に慎重にあるようにとの指示を出してるので、こんな所に書き込みしてる時点で不良信者であることが自明ですね。
で、そんな指示を与えられてるわけなので、この広大なネットには現役証人の割合ってのが低すぎるわけです。オレはこのブロゴスフィアってのが大好きで、色んな境遇にある人の色んな文章を読める状態ってのが素晴らしいと思うんだけど、だからこそネット上の現役人口が低いのがどうにも面白くない。本当はエホバの証人の日常を書いたブログが、たまーにはてブの注目エントリにでも入って、色んなコメントが付くのが健全だと思うのだけど。
といっても、匿名ダイアリーに書いてることからも分かるとおり、普段書いてるダイアリーとかでは自分がエホバの証人であることは明かしてない。自分のIDにエホバの証人という属性を付与するのが、まあ、怖いというか。数年はてなやっててそれなりに気に入ってるもんでね、今のIDのキャラ。もしもまかり間違って匿名ダイアリーの書き込みIDが見える事故なんかが起きたら、それはそれで受け入れるしかないか、ぐらいの覚悟はしていますけど。
で、なんでこんなことをつらつら書く気になったかというと、まあきっかけははてブの注目のニュースに入ってたこれ。
あとこのニュースのブックマークコメントで紹介されてた幾つかの記事も。
まああくまできっかけであるので、それらについて具体的に語ることはしませんが。(聞かれたら応えられる範囲で応えます。即レスは無理かもしれないですが)
さて、今現在オレはエホバの証人であることをどう感じているか。実はあまり深い感情はない。週3回の集会や、月に数回の野外奉仕(つまりは宣教活動のことです)は、母親が聖書研究し始めた小学校の頃からの習慣なので、あまり大変とも感じない。仕事で残業が必要になった時とかは躊躇なく休むし、なかなかあえない友達に会うとかのときは遊びでも、そっちを優先する。この通りネット大好きなので、エホバの証人の信条を否定する情報にも触れてるし、もちろんその中には的外れだなあと思う批判ももちろんある。こんな風にやってると、エホバの証人の信条は絶対的なものではなくなる。じゃあなんでエホ証続けてんの? ってことになると思う。
じつはそれは、オレにとってエホバの証人の信条が「絶対的なものではない」からだ。
うちの家族は両親ともにエホ証で、妹もエホ証。ちなみに母と妹は正規開拓者(野外奉仕に月70時間費やすと宣言してる人のこと)。いわゆる神権家族ってやつだ。父が証人になったのは、先に学んでいた母の証言によるのだが、実はその前、父は消費者金融から借金をしていた。詳しい金額は知らないのだが数百万は間違いなくてもしかしたら一千万越えてたのかもしれない。それが元で夫婦仲は良くなく、母はオレや妹に離婚をほのめかすこともあった。まあそれから色々あって家を手放したりしつつも借金はなくなり今は親もオレもアパート暮らしだが、家族仲は良好だ(母親の一番の悩みはオレが信仰に熱心じゃないことなんだろうけどね)。今の状況は、決して裕福ではないにしろ、昔と比べたら間違いなくいいものだと思うし、それをもたらしたのは間違いなくエホバの証人とその教えなんだ。それだけではないけど、影響は大きかった。
つまり、オレにとってエホバの証人という存在は、けして悪いものじゃない。けれどネットの情報に触れて、それは絶対的なものじゃなくなった。ならば、オレはエホバの証人を捨てるべきなのか。エホバの証人はカルトだ、だから抜けろ。そう短絡的に言われても、エホバの証人の信条が完璧だなんてオレだって思ってないよ、でもオレにとって、間違いなくいい影響をもたらしてくれたんだ。だったら、それは他の道を選ぶのと何が違うんだ? 仕事に生きても、恋愛に生きてもオタク趣味に生きても、楽しいこともあれば虚しいこともあるなんてのは当たり前じゃないか。だったらそのどれを選ぶのも同じじゃないのか?
取り留めなくなってしまったけど。投稿。読んでくれた方はありがとう。
追伸。こないだ映画『300』見てきました。腕チョンパ、首チョンパ盛りだくさんだったけどすげえ面白かったです。かっこよかったです。あとオナニーも好きです、気持ちいいです。