「猪肉」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 猪肉とは

2024-01-05

anond:20240104182945

イノシシとは「猪(ゐ)の肉(しし)」の意味なので、猪肉イノシシシシと読めなくも無いというか重言

2022-10-04

「支払いは?」僕「猪肉で」猪肉 ドスッ

店員「……」おもむろに重さを量りだす

POSレジと連動した測量計「ピー!!!!」

店員「...!」目を見開く

店員「足りませんね」

僕「そこをなんとか

2019-12-04

anond:20191204150731

から気になってんだよ

田舎で山を持ってる人がいて、栗とかたけのことか猪肉とか、色々お裾分けがあるわけ。

で、なんらかのお裾分けを貰ったと思われる人が、今月になって4人も膵臓おかしいってなって、1人は既に手術して入院してる。

食べ物が原因としか思えないなって。

2019-12-03

牡丹ってどこに送った?

ポート"ピアにー"

 

このダジャレフリーダジャレです。昨日猪肉を頂いて調理方法が分から生姜と酒と醤油で煮込んで食べたらあまり美味しくなくって「うわ、やっちゃたな…」と思い、

タッパーにいれて冷蔵し、朝起きた時に2~3切れを軽くフライパンで炙ってマーガリン塗った食パンに挟んで食べたらすごく美味しかった記念でそのままお使いいただけます

2019-11-29

実家から猪肉2 kgが届いた

どうやって食べたらいい?

2018-04-29

豚汁下位互換

豚汁増田には申し訳ない。でも、これは事実なんだ。

猪汁を食べて、全てにおいて豚汁を上回ると悟った。

獣臭さを「野趣溢れる」とか言い替えて誤魔化すアレの話ではない。

旨みが全く違うのだ。

豚汁にも旨みはある。が、比べれば豚汁の旨みは平板。深みがない。

豚汁猪肉を入手出来ない人が仕方なく口にする代用食に過ぎない、

と言うのが猪汁を知った今の正直な感想だ。

諺に“Once you eat inosisijiru, you never eat tonjiru.”とある真実だった。

2017-12-11

anond:20171211170824

豚肉猪肉みたいなもんかね

猪肉食べたことないから違いを知らないが

2015-09-22

まれて初めて食べた、という食べ物がこの1年間で増えた。何か節目というわけでもなく、中途半端な時期ではあるが、思い立ったので書くことにする。

猪肉

煮物で食べた。だいぶ煮込んだと聞いたが臭みが強く、食感は良くなかった。

鹿肉

鹿肉カレーなるものを店で食べた。猪ほどではないが獣臭がいくらかした。たくさん食べたくはない。

・鴨肉

燻してパック詰めしたものを買って食べた。味付けが濃かったので、鴨肉そのものの味はよくわからなかったが、やわらかく、脂の感じは鶏もも肉より好きだ。

エイ

唐揚げで食べた。コリコリとした軟骨?とパサパサした肉の食感がおもしろく、うまかった。部位によって臭みの強さが違うようで、生臭さとは違う、鼻に突き抜けるような独特の臭いがした。

・ワニ

唐揚げで食べた。鶏胸肉のような少しパサパサした食感で、淡白な味。臭みはなかった。また食べたい。

カンガルー

カルパッチョで出てきた。特にクセもなく牛肉に近い感じがした。

次は何を食べようか。

2009-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20091023044518

妄想」だのなんだのとずいぶんな言われようで、それに対して一々事細かに反論していたらまた感情逆撫でされるだけだと思うので、論点と関係ある部分のみ。

東洋ってどこの東洋?まず前近代日本は違う。伝統仏教的にも動物植物は区別されてて、そのために(動物を殺さない植物だけ使った)精進料理なんてものができたわけだし、前近代日本では仏教的な発想のせいで肉食は抑制されていたよ。

元々「現代の日本」がどうであるかだけが重要なのであって他の点は本筋と関係ないのでスルーしても良いのだが一応一言。

植物動物は区別されていたが、植物生物扱いされていなかったというのは誤り。これは過激な菜食主義者でも普通人間動物を区別するというのと同じこと。「山川草木悉有仏性」という言葉を見ればわかるとおり、むしろ「山」とか「川」のような、現代的視点では無生物であるものまで生物扱いされていたと考える方が正しい。それからジャイナ教では根菜や球根を食べない。

あと、この文脈でイスラム圏を「東洋」に入れて考えるのはどう考えても言いがかり。確かにそういう言葉の使い方も歴史的にはあったけれど、宗教的も文化的にもアラブなんかは「西洋」とはるかに同質であるのは明らかなわけで。インドネシアウイグルになると事情は若干異なるけれども。

そもそも「前近代」と一括りに言っても、たとえば戦国時代生類憐れみの令以降では全然違う。肉食禁忌江戸時代でさえ、「肉食は抑制」といいながら魚や鳥は食べられていたし、なんだかんだと理由を付けて兎は鳥扱いしたりして、抜け道はたくさんあった。それに、馬肉や猪肉はなし崩し的に食べられるようになっていったわけでね。

罪を自覚すると言いながら、動物苦痛を低減させることさえ厭う、自称「罪の意識」の方がおぞましい。

「厭う」ってあのな。漁師だってサディストじゃないんだよ。「もっとマシな方法があるからそれを使えば」という建設的な提案なら聞く耳も持つだろうよ。単に「人道的な屠殺」というのが見え見えの口実だから依怙地になってるだけだろうに。屠殺方法が「人道的」だったら批判がやむかと言ったら絶対別の口実がでっち上げられるだけなんだから。

そもそも、日本人が奴らに反発するのは「お前が言うな」という心理が一番強いだろう。人間に対して「人道的な屠殺」という言葉を使った奴らにまさにナチスというのがいるんだが(ガス室は人道的な処刑法だと強弁していた)、「牧場での牛や豚の屠殺は人道的だからいいんだ、それに対しておまえらの屠殺方法はなんだ、野蛮人!」というのは、まるでヒットラースターリン毛沢東ポルポトをえらそうに罵倒してるようなもんではないかね。

他人を見下すための「罪の意識」って何の役に立つの?

「他人を見下すため」という理由付け自体が言いがかりなので反論の必要なし。

 
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