はてなキーワード: 派遣元とは
追記や補足など
こんな感情の赴くままに書き殴ったモノにご意見や暖かいお言葉頂き恐縮しております。
ありがとうございます。
比較することが愚かなのは頭では理解しています。しかし、彼に「ぼくが望んだ未来」を重ねているのは否定できないです。
彼はぼくが目指した未来、ぼくが望んだごく普通のしあわせです。
普通に働いて、好きな人がそばにいて…そんなごくごく普通のしあわせ。彼はそれを持っている。
羨ましい、妬ましい、悔しい。何でぼくは手にすることができなかったんだ…と思ってしまう。
近い道を歩んだ近しい存在だから特に。
愚か、ですね、本当に。
離れた方がいい、というご意見もありましたが離れることはあまり考えていません。
数少ない友人ですし、バスケもしたいですから。
ただ、考えてしまうのは事実なのでそこは少し考えていきたいです。
さて、週明けの仕事ですが結局行けずクビになる算段です。
朝方部屋で動けなくなり、絶望して派遣元の営業に自殺を仄めかした謝罪とお別れメールを送りつてしまったようで、警察が駆けつけるという愉快な事態になりました。
営業の人も後にやってきてなにやら話しかけていましたが、睡眠薬を数錠飲んだ状態ではろくに話すこともできず、メモをおいて帰って行ったようでした。
メモの締めには「今は休んでください」
結局みんな言うことは同じなのですね。「休んでください」というオブラートに包んで結局は捨てる。
仕事決まって安心して年越せるかと思えばクビになる…滑稽です。ホント滑稽。
年明けまで何もしないで、その後障害者雇用も考えて動いてみようと思います。
やりたいことは幾つかぼんやりとあるのですが、どれもスキル不足でどうにもなりません。
どれか突き詰めて仕事にできればしあわせなのですが、望みは薄いです。
彼には彼の、ぼくにはぼくの人生があると云います。
昔には戻れないし、ぼくはこの人生の先を進むしかないと云います。
でも、その先に希望が見えてこないのは気のせいでしょうか?
サンタさん、とりあえずケーキ食べさせてください。しあわせとかそんなのは望みません。
追伸
誰にうらやまれるのかわかりません。
こんな人生誰にうらやまれるというのですか?
でもね。そんな派遣元でさえ35歳すぎて40歳手前までに、一部の優秀な人以外は派遣先がなくなるんだよ。本当の話が。俺はそういう人を8人くらい見送っていやになって自分から辞めたわ。
それは仕方が無いのでは?優秀な人じゃなかったら切られる、そういう厳しい雇用形態であることを理解してなかったの?「いやになった」ということはそういうことだよね。
悪いけどその考え方はすごく青臭いと思う。一個の部品って何さ。あれですか、「人をモノ扱いするなんて!」ってやつか?でもそれって雇用形態によって違うもんなのかな。正社員でもヒラ社員は駒のままだよな。
少し前までITの特定派遣にいた。ましな会社だったとおもう。雀の涙だけどボーナスも出てたし。
でもね。そんな派遣元でさえ35歳すぎて40歳手前までに、一部の優秀な人以外は派遣先がなくなるんだよ。本当の話が。俺はそういう人を8人くらい見送っていやになって自分から辞めたわ。
にあると感じてた。
さいきんNHKがなんかはじめてるけど、どうかな。もう手遅れかな。
彼と出会ったのは中学生の時。共通の友人の紹介だった。
バスケットボールという共通の趣味もあり彼とはすんなり打ち解けた。
どちらもあんまり上手ではなかったけど、ただただ楽しかった。
特に示し合わせはしなかったけど同じ高校に入った。
願書提出する時にたまたま居合わせて「あれ、おまえも?」みたいな感じだった。
うれしかった。
彼は3年間通い通し、ぼくは3ヶ月で辞めた。
運動神経がなくてついていけなかったからだ。後は先輩とかとなんか打ち解けられなかった。
今思えば、今後の展開の元が此処にあった。
クラスは3年通して隣のクラス。特に示し合わせがなく同じ理系の道を進んだ。
共通の友人もいたが、お互い別々のコミュニティに入り、少し疎遠になった。
でも通学とかは一緒だったので特に寂しくなかった。
でも、過程は違う。
彼は元からその大学を選び、私は推薦で別の大学に落ち、失意の中担任に言われるがままに選んだ。
同じ年、同じ大学に入学した。
学科が違うので授業とかでも殆ど一緒になれなかった。
でも、通学は一緒だった。
高校の頃より疎遠になったけど、それでも一緒にいることは多かった。
バスケもたまに一緒にやった。
一時期一緒のアルバイトをした。彼はそこの創業メンバーで私は途中から参加した。
ちょっと違ったのは彼はマネージャーっぽい感じでぼくはヒラだったこと。
そして、彼は精力的にそこで仕事をし、ぼくは空いた時間にそこで仕事をしていたこと。
これはスタイルの違い。仕方ない。
特に不満はなかったけど1年くらいでぼくはそこを辞め別の場所でアルバイトした。
他意はなかった…と思いたいけど今となってはわからない。
此処でぼくは非コミュをこじらせ鬱に近い状態になる。
2年の頃からだんだん大学に行かなくなった。行っても図書館に閉じこもる日々。
成績はどんどん落ち、挙げ句の果てに留年した。
彼は入った会社で持ち前の勤勉さと努力でどんどん信頼を得ていった。
大学で学んだ分野が少し特殊な上、求人も殆どなかったのでそこで仕事をできたのは幸運だった。
しかし、半年して会社に行けなくなった。正確には通勤途中のバスから降りられなくなった。
理由はわからない。降りるバス停付近で頭が真っ白になってパニック状態になり降りられなくなったのだ。
彼は二度目のボーナスを受け取っていた。
彼が勤続数年目を数えていた時、ぼくは両手で数えるくらいの会社をクビになった。
理由は同じ。あるときを境に会社に行けなくなってしまう。
2つめの病院で「適応障害」という診断を貰った。適応に関する障害。社会に適応できない…よく言ったものだ。
大学の頃からあったっぽいけど彼には恋愛経験があった。彼女がいた。出会いはアルバイトだったらしい。
去年、彼が彼女を紹介してきた。何でかよくわからなかったけど、ある日いきなり「そっち行く」電話かかってきて、車でやってきたと思ったら助手席に彼女がいて訳もわからないまま車に乗せられてそのまま3人でチャーハンを食べた。
二人はつきあって数年していたのに何で今更…という疑問はあった。でもすぐにそれは解消する。
自分のことのように嬉しく、おめでとう、と素直に言った。
ぼくは年その秋、派遣会社をクビになり人生に絶望して自殺を図った。未遂だった。
自殺方法がちょっとアレだったので記憶が全くなく連絡したかどうかも記憶にないのだけど、そのとき一人暮らしだったぼくの元へ彼は車で飛んできて色々大変な思いをさせたらしい。
本当に迷惑をかけた…と今でも罪悪感を感じる。
そして今年。
彼は同じ会社で働き続け、上司の信頼厚く先輩同僚にも恵まれている。
ぼくは今年4回仕事を変えた。通算何十社目だろう。覚えていない。履歴書にも全部書いていないし。
そろそろ職歴や年齢の問題で就職も厳しきなってきた。何十社も落とされてやっとアルバイトで、なんて事もあった。でもそこは一日で行けなくなってしまった。
社会に適応できない病は自殺未遂後酷くなった。昔は通勤はできたのに今は外に出ることすらできなくなり、部屋に閉じこもってうずくまるだけ。
周囲からは休養も薦められたけど、金銭的な事もありすぐに働かざるえない状況だった。
今年は本当に金銭的に苦しかった。ゲームソフトやゲーム機から自殺する時一緒に連れて行こうとすら思った車も手放した。
車が使えない兄ちゃんに引き取られていくのを見て血の涙が出るほどに悔しく思った。
この冬、私は30社近い企業からお祈りの言葉を貰った後、運良く派遣会社に引っかかり就職した。ただし、業種は望んだものではなく「誰にでもできる」「簡単」なもの。
色々と思うことはあるけどこのご時世、仕事に就けただけでもありがたく思う。
とは言え、就業後一週間でまだ一日しか行っていない。風邪を引いたのもあるけど、適応できない病が発動し家から出られないのもあった。
穿った見方をすれば風邪を隠れ蓑に仕事に行けないでいる、と言うのだろうか。
派遣元、派遣先ともに風邪である欠勤ということで理解は得ており、今度の週明けからの復帰で良いと言われている。
社会に適応できない病のことはどちらにも言っていない。言えるわけがない。言ったところでいつぞやの派遣会社の若い支店長のように「精神障害者は使えないんだよ!」と言われるのがオチだ。
唯一真実を知る友人からは「そんな事言うのはそのバカだけだ」とお説教を受けているけど、会社の人事とかそういうの人はどこの誰も同じことを言うと思っている。わざわざリスクを背負った人間を雇用するわけがないし、援護するわけがない。
精神障害者はゴミのように捨てられる。多分それがこの時代、この国の真実。
そんなのは大学を卒業したり、スキルのある優秀な人間にだけ。私のような大学中退でスキルも中途半端な人間には出るわけがない。
精神病んでいてもそれを隠して働かないといけない。そうしないとぼくは二度目の死を選ばなくちゃいけないから。
話は彼のことに戻る。
数日前、彼から衝撃的な話を受けた。
なんと「彼二世」ができたらしい。
そりゃ驚いたし、喜んだ。大切な友人に子供ができたのだから。
だけど…
ここからがこの文章書き殴って言いたかったこと。
私にとって彼は遠くの存在になってしまったと感じて仕方ない。比べてしまう。コンプレックスを感じる。
スタートラインは同じだった。同じ中学、同じ高校、同じ大学。路は微妙に違うけど、共に進んだ。
だけど!
いま!
こんなに状況は違う!
方や大学卒業、新卒で入社し順風満帆の仕事生活。プライベートでも恋人がいてそのまま結婚し子供ができた。
一方ぼくは精神病んで大学を中退し、職を転々とし、今も仕事は安定してできない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
どうしてこんなに差ができてしまったのだろう。
彼は努力家であり、ぼくは怠け者だった。多分それが答えなんだろう。
世間もそう云うと思う。そして彼を称え、ぼくを笑い罵るだろう。
実家の玄関にバスケットボールが転がっている。ドンキで買ったちょっと良いモルテンのボール。
いつもぼくの車に入っていたボール。最後に使ったのは数年前、6月にしてはとんでもなく暑い日に彼とクーラーが壊れたこの車で「暑い、暑い」と笑いながら隣街のコートに行って小一時間1on1やったきりだと思う。
また、彼と、バスケがしたい。
所詮、弱者連合だと思うし、これって自分の情報が登録されているかどうか照合する権利ぐらいはあるんじゃないか
まあともかくこんな記事が面白かった
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080118/291433/
「むごい法律だ」。特定非営利活動法人、日本情報技術取引所(JIET)の二上秀昭理事長は、労働者派遣法に怒り心頭だ。このままでは、JIET会員企業の中小ソフト会社は事業縮小など厳しい経営環境に追いやられると危機感を募らせている。
設立11年を迎えたJIETは、営業力の弱い中小ソフト会社に代わって、システム案件の商談場を設けるなど営業活動を支援してきた。社員50人から 100人規模の中小ソフト会社の会員に数多くの案件を紹介することなどで会員は急速に拡大し、現在約1300社。ソフト業界で最大規模を誇る。
こうした中、労働者の雇用安定などを目的に派遣法が2003年度に施行されたが、JIETが問題視するのは派遣法40条の5だ。「派遣先は、当該派遣先の事業所その他派遣就業の場所ごとに同一の業務について、派遣元事業主から3年を超える期間継続して同一の派遣労働者の係る労働者派遣の役務の提供を受けている場合において、当該同一の業務に労働者を従事させるため、当該3年を経過した日以降労働者を雇い入れようとするときは、当該同一の派遣労働者に対し、雇用契約の申し込みをしなければならない」と定めている。
つまり3年を経過したら、派遣先のユーザー企業なり、大手ソフト会社なりが派遣者を雇い入れるというものである。「3年間、派遣先に送り込み業務内容の理解度を高めたところで、元請けに持っていかれてしまう」(二上氏)とし、JIETはソフト技術者の適用除外を求める考えだ。「この条項は特別な技能・教育を必要としない現業労働者を念頭に置いており、いわば使い捨てのような格好にならないよう、労働者の雇用の安定を図ることにある。だが、それをプログラマやSE(システムエンジニア)に適用されると、業務に著しい不都合が生じる」というのがJIETの言い分である。
派遣が増えたのは理由がある。システム構築の業務を遂行するには、ユーザー企業から要求事項を聞かない限り難しい。だからプログラマやSEは、ユーザー企業に近いところにいた方が効率的に業務できる。しかし、こうした労働形態は偽装請負になりかねないので派遣に切り替えたところが多いようだ。
それが派遣法施行から3年経ったことで、ユーザー企業や大手ソフト会社は、今度は派遣法をたてに派遣者の雇用を始めたという。「我々は1人を採用するのに100万円かけている。さらに教育に時間も費やしているのに、やっと1人前になったところで引き抜かれてしまう」(二上氏)と嘆く。
このためJIETは「プログラマやSEは、システム構築に当たり専門的な知識や技能が必要不可欠な専門職だ」と主張し、早急に厚生労働大臣に早期撤廃を要望する方向で準備を進めている。JIETは、情報サービス産業協会などソフト関連業界団体にも撤廃運動への参加を働きかけ始めた。だが、派遣元も派遣先もあるソフト団体からは、今のところ同意を得られていないようだ。その場合は、JIET単独でも要望書を提出する決意である。
今後、IT投資が活発化すれば、ITベンダーや大手ソフト会社は中国やインドなどへのオフショア開発を加速させるに違いない。派遣先も中小ソフト会社のすべての技術者を雇用するとは思えないので、不足分は海外に求めることになるからだ。ソフト会社にとっても本来は稼ぎどきだが、大手ソフト会社や ITベンダーは二重派遣をさせないように、下請け管理を徹底化させているのが実態である。
そうした状況が続けば、もはや中小ソフト会社は立ち行かなくなるのではないか。ビジネスモデルを変革しない限り事業継続が困難になるかもしれない。今までのやり方を改め、例えば得意技を明確にする、新サービスを創出する、中堅・中小企業向けサービスやソリューションを開発するなどを推進する、などいわゆる“何でも屋”から脱却することが重要だ。そこから、ソフト会社の明日の姿が見えてくるだろう。
要するにタコ部屋的商売やめたくないからこんなこと言ってるんだろ
請負さんに発注するときは、たとえば「50万円でこの機能を作る」と契約します。
納期までにソフトができてくれば、誰がつくってもいいという考え方です。
(実際には納期との兼ね合いがあるので無限に調整することはできませんが)
発注元からは50万円を必ず支払います。
工数が25万円で済んでも、100万円かかっても、支払い金額は50万円です。
儲かるときはたくさん儲かりますが、リスクもあります。
派遣さんは時間給なので、「この人を時給1万円で派遣してもらう」と契約します。
残業があれば割り増しを払いますし、不足があればその分少なく払います。
…とまあ、ここまでは「発注元と発注先の企業の間」の話。
実際に発注先の企業でどんな給与体系になっているかはわかりません。
たとえば企業間が請負形式の場合、担当者がふつうに月給制、残業もつくならば、
工数が少なければ利益は大きくなりますが、担当者の給与は少なくなります。
担当者がどれだけ工数を使うか、正確な見積が利益の鍵になります。
また、派遣形式の場合でも、同じ機能を作るとしたら、
工数が少なければ少ないほど、収入も(こちらは利益・給与とも)少なくなってしまいます。
サボればサボるほど(派遣元の会社にも担当者にも)都合がよさそうですが、
発注元の指揮下に入るので、ある程度は作業量・納期・品質のコントロールがききます。
サボればばれる、ばれれば次の契約がなくなるので、それほどサボりません(笑)
こんな感じですが、なんとなくおわかりいただけますか?
派遣元から連絡ないなと思ったら、今日いきなり家に訪問があって驚いた。
電話くれればいいのに。まあ、うつ病者には電話に出て話をするのが嫌な人もいたり、電話して来るとなると逃亡するとか思われたのだろうか。
遠くから来てもらって、恐縮した。
まあ、あれからいつ電話があるかびくびくしてたけれども、派遣元とはあとは郵便で事後処理ができそう。
あとは派遣先。電話を入れて、謝罪に行って、私物を回収に行かねば。
仕事を得るの大変だけれど、辞めるのも大変だ。
仕事に行かなくなってから、まただらだらした生活に戻っている。
しかし、妻と買い物に出かけてお茶したりはできるんだよな。
だから、自分をが擬態うつだったり人格障害の一種なんじゃないかとずっと疑っている。
anond:20080419033323で言われたように、夜はちゃんと寝よう。
派遣元から連絡があって、派遣先と病状を考えた仕方を勤務の相談して欲しいと言われたけれど、派遣先では病状を関係者が理解しての勤務は否定的だった旨を伝えた。無言のうち、俺が辞意を伝えた。
派遣先も派遣元も絶対「辞めろ」的な発言はしないんだよね、当たり前なんだけど。
俺としては、今回の仕事に行けない具体的な理由をうつ病以外に見つけられなかったので辞意を伝えるしか無かったんだよね。
不思議だな。今考えても、次の日は仕事に行けそうな気がするんだ。でも、深夜、そして朝になるとだめなんだ。
子どもを見ると、「この子を20年食わしていく責任が俺にはあるんだ」と思うし、「貧乏でも幸せ」ってレアケースだとも思うので、やっぱりそれなりの収入は必要だ。
妻は、子ども時代、仕事で忙しくてあまり相手にして貰えなかった過去から、子どもとの時間を大切にして愛情を注いで育てたいと結婚前からずっと言っていた。今回の件で相談した時は、私がどこかで正社員になって生活費稼いだらいいよと言ってくれて嬉しいのだが、現実的に30代に入って普通の会社の正社員って男性でも難しいだろう。
数日で仕事を辞めてしまったのは、これで結婚当初と二度目。履歴にもまた傷が残った。
これから、どうして生きていこうかな。未来が見えないや。
「俺って使えねえ」anond:20080407080944の元増田。
いろいろな増田に勇気づけられたけれども、昨日も今日も結局仕事には行けなかったよ。俺ってどんなけかまってちゃんだよ。
ドクターに増量して貰った薬もあまり効いている実感が無いよ。
さっき職場に電話した。ずっと体調不良で欠勤していた理由はうつ病であることを派遣先の上司に説明して、今後のことについて話し合いたいと言った。でも、だめだった。話し合う余地は無いみたい。さすがは管理職だなぁ。こう言う、駄目っぽい相手との会話にちゃんと対応できてる。
俺の仕事の形態は、派遣元と派遣先に利害関係があまりない派遣社員みたいなもので、俺の仕事の任命権は派遣元にあって、派遣先の上司には無い。
「うつ病」の記載のある健康診断表は、派遣先である今の職場にも出していたのだが、上司は目を通していないと言われた。うつ病で来れるか来れないかと言う今の俺の状況であれば、派遣先であるここでは無理なので、派遣元と話し合って欲しい、こちらも派遣元と話をするのでと言われた。
まあ、クビ宣告だ。俺が派遣元と話し合ってもクビだろう。
それはちょっとまずいと思ったので、明日はちゃんと出勤して明日以降欠勤した時点で派遣元に俺が連絡するので待って欲しいと言ったら、上司はそれでいいと言ったが、絶対派遣元に上司は連絡するだろう。そして、今日派遣元から俺に連絡があるだろう。当たり前だ。でも、何て答えよう。
そこで、今から行けますって、なんで言えなかったのだろう。行けるだろう? 常識的に考えて。朝から電話をしているくらいだから。ネットにつないで増田に書けるくらいだから。
せっぱ詰まってるんだろう? 仕事を失いたくないんだろう? 人生終わらせたくないんだろう?
この仕事は、誰にでも出来る空気みたいな仕事だと俺は言ったが、まあ、俺が男だったからと言う事情で、落とされた女性はたくさんいた。これは職務内容から男女差別では無い。一定の少ない予算内で誰を採るかで俺が採られたんだ。その少ない予算内で採れなかった、採られなかった人もいるわけだ。まあ、採られなかったと言っても、落とされて生活できない人は居ないだろうことは面接に参加して感じたけれど。
そして、俺がやめて、他の人が配属されたら、多分女性が配属されることになると思うけれど、確かに派遣先では性別が違うことで業務内容は限られるが使えないことは無い。とりあえず、職員が問題なく通ったと言う実績と言うか結果についてだけは派遣元と派遣先との共通の利害となるところで、俺のようなその程度の実績にもならない職員は要らないだろう。それは、俺が雇う側とか、あてがわれる側としてもそう思う。当たり前だ。
取り敢えず、明日、死んでも職場に行く。職場に行けば間違いなく仕事はできる。だって、健常な男性なら誰でも出来る仕事だもの。
30過ぎて、ちゃんとした職歴無しはさすがに人生オワタと言う感じがする。あぁ、博士なんて目指さなければよかったよ。修士だった頃は大学の教員になれればと思っていたのだけどな、なりたかったら少なくとも学部時代から学会で発表して、修士になってすぐ論文を投稿するくらいになっておけよ。大学教員にならずして、文系の修士や博士が何の役に立つよ。役に立たないだろう、常識的に考えて。と過去の自分を呪っても仕方ない。修士・博士課程拡大の国策に騙されたと思っても仕方ない。全部、自分がしたいようにして、その結果が今だ。それは、やっぱり、自分で受け止めなきゃ。
明日は、職場に行く。死んでも職場に行く。誰にどんな迷惑をかけようとも明日職場に行く。職場に行って、そして行き続けて、一年間仕事をした実績を作れなければ、妻と子どもを持つ身としての前提条件としても駄目だろう。まあ、駄目だからと言って、何が出来る訳では無いけれども。この認知は鬱でゆがんではないだろう?
こんな感じで10通もきてるんだ。読みたい奴いたら続きをアップするよ。
これにグラフ画像(多分新聞の切り抜き)が添付ファイルとして5枚貼り付けてある。やりすぎだ。
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最近の自殺、殺人の横行はグローバル競争社会とアメリカ型の投資、金融の自由競争と市場原理主義において負け組が奴隷化、野垂れ死の危機に達し、絶望した人達の悲鳴だと思います。
投資、金融に興味のない庶民にとっては理解不能のステルス的な社会の変革です。
問題は、それをテレビ等のマスコミがほとんど問題提起することなく、又、国民もほとんど気にしないで、投資にあけくれたり、日本国内における産業(仕事とお金)の奪い合い競争を無為に続けていることです。
政府が国民に、世界全部がアメリカ型競争社会に変わって行くグローバル化の闇や負の部分を公言、広報して注意喚起しないでいるせいで、政府は年1万人、10年で10万人の自殺者を大量生産し続けています。(1998年よりの自殺者増加分)
10年前の1997年より日本はアジア通貨危機から始まった金融、投資、経済、産業のグローバル化競争(政治、経済、産業の支配者層の、半分やらせの出来レース)に巻き込まれ、経済、産業、社会の混乱状態が続いています。
現在セレブ盛況の裏側での弱者の野垂れ死にの現状の『グローバル化競争社会』を問題提起するのが禁句にでもなっているのか、庶民に伝わってくる現状の異常とその原因を伝えるジャーナリズムが少ないです。
弱者、庶民は現状のグローバル化社会における政府、経済と社会問題に対する理解、認識が欠落しており、仕事とお金の奪い合いの世界競争の中で、政府にたいして救済もされず絶望して自殺、野垂れ死に、犯罪、殺し合いの共食い状態を続けています。
グローバル化競争社会の原罪、構造(金融)改革の目的、アメリカ型自由競争、市場原理至上主義の投資、金融支配社会における格差と世界恐慌の危険性を正しく国民に認識させるとともに、きっちりとしたセーフティネットを設けて国民の弱者を守るともに、再起可能社会を構築すべきです。又は、高税率の福祉国家とすべきであると考えます。
(1998年以降の国の異常を単なる不景気と片付けて、国民を惑わし混乱を作り、株や投資で儲けているセレブや政府官僚、又、旧来の既得権益でのさばる公団、公共事業主や、政府とつるんで新たな既得権益を得た公共事業、補助金成金やインサイダー投資家を、10万人を殺した大量殺戮の罪で訴えてやりたい。)
地方、現場労働者の不景気感が拭えない割に日本経済のGDPは伸び続けています。が、政府が政策と税政を誤っているせいで、日本国内の庶民の実体経済を細らせ、金融、投資経済にお金が流れ込む様に優遇しているせいで地方、労働者の経済が細り、ひいては国全体の景気回復も進まないのです。又、ワーキングプアや貧困層も発生させ続けています。
政府、投資家、企業が本来庶民が生産、消費で行なう経済活動(実物、実体経済)を細らせておいて、金融、投資経済にお金を集めて海外投資に熱を入れているようですが、金融、投資で儲けたお金を地方や労働者に還元して庶民の実体経済を太らせるのを忘れているせいで国内経済の活気が本格的に戻らないのを彼らは気付いているのでしょうか?
日本の地方や労働者層が不景気なのは彼らのセコさ狡さが原因です。
金融、投資主体の社会は利己的、独善的であり、官僚、公務員の行政主体社会と同じくらいモラルに欠けたもので、信用に足りるものではないと思います。
彼らに任せておくといたずらに国民を苦しめて国を滅ぼしかねません。
株価、為替、金利、相場、配当等の投資、金融経済だけが経済ではなく、経済を回し、社会を発展させ維持、管理、保護し続ける原動力は、何も効率重視の投資ではなく潤滑、バランス機能も兼ね備えた課税とその交付によって成されても良いのではないでしょうか。
グローバル化競争によって膨らみ過ぎた金融、投資経済に対する十分な課税と、厳重な利権監査と課税のシステムを整えたうえでの、国家による非営利目的の福祉事業や社会保障(富の再分配)の交付、公共事業(社会投資)や補助金の交付によって経済、産業の成長戦略や社会、経済の安定が行われる、課税と税の再分配による共産性や社会主義性を取り入れた国政でもよいのではないでしょうか?
特に少子高齢化の現状では、無理な利益追求をおし進める投資社会より、高税率の共産的福祉社会の方が日本にはあっていると思います。
本来庶民が生産、消費で使っていた分のお金や税金で集めて共産的に公共サービスや福祉、社会保障で使っていたお金を、富裕層や企業が減税、補助金で吸収し、海外投資等に使って儲けてバブル状態となり、庶民は生産、消費で使用できるお金の量が年々減って貧困に至ったり、必要な公共サービスや福祉、社会保障を受けれなくなっていると疑います。
又、企業の高業績や投資の配当が好調にも拘わらず国全体としての政府発表の個人消費が思った程伸びないのは富裕層は飽食気味で、貧困層は欲しくても買うお金が無いという事ではないかと推理します。
課税対象、課税方法を変える事によって国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。
現在の投資、金融経済主導の社会で今の税政だと投資、金融経済が社会に及ぼす影響と支配力が強く、弱者が仕事(産業)と財(不安定な低賃金非正規雇用生活によって疲弊)を奪われ失業、貧困に至るとともに投資家、企業の投資、金融経済にお金が溜め込まれるシステムになっています。
バブル状態の投資、金融経済から税金を取って弱者、貧困層に還元したり最低賃金規定を設けて給与を上げてあげないと縮小している労働者層の経済は萎んだままで弱者、貧困層の消費はいっこうに上がらず国内全体の経済と社会の活気は戻りません。
株主の利益追求、高配当の為の労働者の非正規雇用化以外にもグローバル化競争の為、産業の衰盛が地域、業種で激しく、それにともない労働力の需要も地域、業種で変動が激しく労働者を正社員よりパート、派遣雇用する企業が多いです。
グローバル化競争の為に企業は産業の衰盛に素早く対応しなければならずこれからも流動的な労働力としてパート、派遣社員を便利な使い捨ての低賃金労働者として利用し続けるでしょう。
企業の都合で一生をパート、派遣雇用で生きてゆかざるを得ない人達がかなり発生する訳ですが、彼らの未来、将来のことを何も考えていない企業任せで、このまま彼らを便利な使い捨ての低賃金労働者として利用させ続けて良いのでしょうか。
将来的な国力の衰退( 人口減少、人材不足)を考えた時にパート、派遣労働者を低賃金の奴隷的アルバイトではなく非正規雇用の準社員として捉え、パート、派遣社員でも結婚して家庭が持てる様にパート、派遣社員の権利を保護、育成してあげる必要があると考えます。
同一業界内での最低賃金の規定とその保護やアップを勝ちとる為の労働組合の設置、福利厚生システム(労災、雇用保険、厚生年金、交通費の支給、作業着等の備品の支給、育児や介護の為の有給休暇)の設置と補助義務の規定、正社員と同じ労働基準法の適用、派遣元会社の中間搾取の監視と禁止規定を等を設るべきです。
この過激な競争社会のなかで安価な低賃金労働者として必要以上に買い叩かれ、バブル的金融、投資社会のなかで奴隷的立場になっしまっているワーキングプアの人達の人権を、同じ国の現代社会人の一員として守ってあげる必要があると考えます。
現在の労働者層のワーキングプア問題は日本が不景気だから労働者が失業するのではなく、グローバル化競争社会における投資、金融の高配当目あての高収益化を目指した労働者の低賃金化とリストラによる失業問題なので、賃上げ要求することは恥ずかしいことではなく労働者の権利だと思うべきです。
現在、貧し過ぎてまともな現代人の生活が出来ていないワーキングプアの労働賃金アップによる貧困層の消費拡大による日本全体の景気回復や、貧困層の結婚、子育てを賃金アップにより推奨することにより将来的な国力の維持(少子化問題、人材不足等の解決)を考えるべきです。
これ以上、投資家富裕層による投資が過熱することは国力低下につながります。
彼らバカは優秀な人間や企業にただ、たかって投資すれば大儲けできると考えているだけです。
日本円が高いことをいいことに、安い途上国の企業や人材や労働力に投資でたかれば高効率の配当や売買益を得られると無責任に考えているだけで、日本国内の労働者や地方の実体経済や庶民生活の細り具合が目にはいらず、自国の将来的な国力低下に気付いていない。
さもなければ今だけ儲かっていれば本国である日本が将来的にどうなろうとも気にもせず、夕張市の公共工事にたかっていた建設業者や市職員みたいに国が傾いたら海外移住でもするつもりの無責任な人々なのではないしょうか。
日本の貧困層の生活を保障したり、奴隷的ワーキングプアを学ばせたり教育させたりして、将来を担うべき層の厚い人材を確保する考えのない、想像力の足りない愛国心ゼロの寄生虫的バカ投資家のせいで、将来的に日本は海外に比べて人材不足に陥ることが予想され、日本の未来が危なくなっています。
人は育てなければ育ちません。企業や労働者は競馬の馬でも家畜でもありません。
投資家は一人で育って優秀になったつもりなのでしょうが、本当はかなりの思いやりある人と運に恵まれて投資に対する知識や人間性を形成してきた筈です。それと同じ様に、庶民も社員も周りの人間や社会に支えられ、学びながら成長していきます。
グローバル競争社会において投資により、その庶民社会をぐちゃぐちゃにして庶民の生活を破壊し、放ったらかしにして成長を妨げておいて、能無しの奴隷、家畜としてたかっているのが利己的なバカ投資家です。
もし、日本の支配者層としての自負があるのなら、人材育成や教育、社会維持に対する考えを持ち、庶民を含めた日本の将来を担うべき人材を育てあげたり、社会維持のための納税や投資を惜しまずに、日本の未来に対しての責任を持つ考えを持って欲しいものです。
1月7日のNHK「クローズアップ現代」ので、グローバル化による金融、投資経済の1京6000兆円(実体経済の3.2倍)にのぼる膨張とアメリカのサブプライム問題による先物投資過熱と原油価格高騰、アラブ、ロシアによる投資支配戦略によって、アメリカの投資による世界支配が揺らいでいる現状をスクープしていました。
国内外の金融、投資のお金をかき集め、それを一斉にファンド等々にして世界にばらまき、発展途上国等や先物商品に投資することで、他国、企業、労働者の実体経済にたかるアメリカの金融、投資による世界支配の実態と、投資の配当等による収益や、投資対象(住宅等)の値上がりをあてにしたローン等によるアメリカの大衆消費促進経済の限界を問題提議し、世界におけるアメリカの投資、金融支配社会の信用低下をスクープしていました。録画等があったら是非見て下さい。
日本にはアメリカみたいに、金融、投資により他国(企業、労働者)にたかり、その配当で豊かに生活を送る海外投資による大衆消費社会に変えることが出来る国力はありません。
日本はアメリカと違います。日本円はドルと違い基軸通貨ではありませんし、低金利政策です。お金は発行されず国内外で流通する円の総量は一定です。それを証券、債券等により、見せかけのお金を増やしてファンド等々により海外投資して他国にたかろうとしているのでしょうが、バカ投資家連中はその元になる投資の資金を地方や労働者層に求めて彼らを苦しめつつ地方交付税の削減や、労働者の低賃金化や、配当課税の減税によって得ているのです。
投資家、企業は焦って利己的に利益追求や保身にはしらずに国民全員に還元すべきです。いずれ途上国の通貨切り上げによって円の価値は下がります。その分の保険としての海外投資なのでしょうが、通貨切り上げ、切り下げは国家間での話し合いなので、投資をしていない庶民に還元することで通貨切り上げ幅を小さくする容赦を途上国に提案するべきと考えます。日本の金融、投資経済に課税する事で途上国の溜飲を下げるとともに国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。
救急を取る病院がまだまだ少なかった頃。
地域の基幹病院は県立病院。救急車で30分。救急対応も今ひとつ。
地域に「住民のための」新しい病院への欲求が高まった頃、200床程度の規模でその病院は開院した。
何もない開院したての病院。外来の棚の中は空っぽ。買ったばかりの備品は全てダンボールの中。事務も看護もみんな初対面。場所によっては、誰かが梱包をあけて棚に備品を並べてくれていたりするけれど、どれもビニールがかかったまま。洗面台の水は妙にシンナー臭い。
新しい病院を立ち上げる仕事は楽しい。医師の派遣元にも十分な人手はいないので、みんな交代で出張。
新しい病院。新しい町。医局の引継ぎノートには、新しく作った約束処方、備品のありか、地元に詳しい事務の名前や電場番号、近所のコンビニの場所などが記載されていく。遊びに行くにもどこにいっていいのか分からないから、医局の冷蔵庫には魚肉ソーセージと酒の瓶。毎晩野郎ばっかりの飲み会。
立ち上げ当初は、食事も宿泊も全て病院内。3食病院食は、2週間もすると飽きてくる。もっと身体に悪いものが食べたくなって、医局に周辺の出前リストがそろう頃には、外来にもだんだんと患者さんが増えてくる。
まず集まるのは、「主訴:腰痛」の整形外科の患者さん。理学療法室の常連を徐々に増やして、高血圧の人、咳のひどい人などを外科に紹介して、外来の人数はだんだんと増えていく。
そのうち、軽症の交通外傷の患者さんが救急車でやってくる。病院にも、若い患者さんが増える。もともとの設立の動機は「地元のための」病院。病棟はきれいで、居丈高な公立病院を反面教師に、時間外でも笑顔で診察。
開院2年目。待合室には若い人が増え、活気を帯びてくる。外科、内科とも常勤のドクターが増える。スタッフの数が充実すると、皆もっと高度なことがやりたくなる。
「24時間救急を取ろう」「研修医を育てよう」スタッフが若ければ、気合だけで施設が充実する。病院で行えることはだんだんと高度になって、救急車の数も増えていく。
「あの病院はよくやってくれる」。地域の信頼が集まると、もっと若い患者さんが通院するようになる。
病院は忙しくなる。患者さんの年齢層が変化して、皮膚科や耳鼻科といった、若い患者さんが得意な科も充実してくる。
眼科が入ると、病院の経営は一気に好転する。白内障の手術の得意な眼科医は、内科医3人分の収益を一人で稼ぎ出す。黒字科が増えることで、病院にはもっと大規模な設備が導入される。
「カテ室を作ろう」。開院8年目。常勤できてくれる循環器のドクターも決まり、循環器外来が始まる。患者さんの数はますます増え、救急外来にも救急車の音が毎日鳴り響く。
雲行きが怪しくなるのは10年目頃。10年もすると、町にも高齢者の数は増えてくる。救急外来に来る患者さんも、外傷や脳出血、急性腹症といった年齢層の若い救急患者だけでなく、転倒による大腿骨骨折、近所の老健からの誤嚥性肺炎の紹介といった人が目立つ。
病棟の業務は変わる。夜間に不隠になる患者さんが増え、重症患者のための個室は、いつのまにか不隠部屋に。重症の患者さんは大部屋。徘徊老人は個室。不隠の強い高齢者はなかなか退院しないから、若い患者さんの個室への移動希望はかなわなくなる。
「あの病院はうるさい」「いつも廊下で叫び声が聞こえる」。病院へのクレームが増える。
「四肢抑制」「不隠時セレネース静注」、今までは書かれることのなかった指示が指示簿に当たり前のように記載されるようになった頃、日中のナースルームは不隠の強い高齢者であふれ返り、医者は叫んで暴れる年寄りの相手をしながらカルテを書く。かつてラクテックがぶら下がっていた点滴台には、経管栄養のバッグが目立つ。PNツインもまだ棚に置いてあるけれど、滅菌期限寸前でほこりをかぶったまま。中心静脈栄養なんて、もう半年ぐらい処方してない。
病院が止めを刺されたのは、近所に新しい老健が出来てから。「○○病院がすぐそば」を宣伝文句にして人を集めたその施設は、嘱託の医者が帰る5時以降になると患者をどんどん連れてくる。少しでも熱が上がると、「うちでは見られません」「入院させてください」の一点張り。
もともと「24時間、患者さんを断ることはしません」との宣言を出していた施設。開院して12年、それでも気合で守ってきたそんな宣言は、病院とは縁もゆかりもない業者に美味しく利用される。外来には車椅子に拘束衣で来院する年寄りが増え、以前から通院していた若い人は外来からいなくなる。
夜中によく来る喘息のお姉さんに「今度、午前中の私の外来に来てください」とお願いしたことがある。「私は○○病院にかかっているので、ここはちょっと…」と、マスコミによく出る施設の名前を出された。
市民のための病院。市民に見放された病院。ここはいつのまにか賎民のための病院に変わっていた。
病棟はもはや、行き場のない高齢者でいっぱい。若い人の肺炎や喘息といった病気は外来で何とか診るしかない。病棟業務は連日の転院先探し。患者さんもご家族も、「一生ここにいさせてください」と願う人がほとんど。やっとの思いで転院させても、2週間もすると37度の発熱で救急車で帰ってくる。もう二度と転院に応じるものか、という決意を持って。
手術の症例も減った。病棟ナースにも離職者が相次ぐ頃、引き上げた医師にも後任が決まらなくなり、病院は慢性期疾患を細々と診るだけの施設へと変貌した。
地域の若い人たちはもっと新しい病院へ。
「あの病院に行くと死ぬ」。こんな評判が地元に立つ頃、病院は死に体になった。
間違ったことはしていないつもりだった。より高度な医療サービス。より簡単なアクセス。地域の医療需要に応えつづけた結果、病院は地域から見放された。
より広い需要に応えたい。より高度な医療をしたい。患者さんのための医療をしたい。力をつけようと努力し、進化を続けた結果、「強い」病院にはより弱い立場の患者、慢性疾患の末期の人、行き場のない高齢者が集中するようになった。
90年代に救急外来を一生懸命やっていた民間病院の大半は老人病院化し、急性期疾患を搬送する救急車は、以前は急患を断っていた市立病院や日赤病院に集まるようになった。そして現在、そうした病院すらもだんだんとベッドが回らなくなり、一昔前なら救急車が素通りしていた大学病院にも、寝たきりの高齢者が搬送されるようになっている。
恐竜絶滅寸前の時代。爬虫類全盛期、さまざまな大きさの恐竜が覇を競い合った後、気候の変化とともに体の大きな恐竜しか生き残れなくなった状況。市中病院が高機能化し、救急外来を充実させて「恐竜」化する一方、「恐竜」化した大手市中病院は、進化の果てに絶滅しそう。
その影で数を増やしているのは、小さな哺乳動物。小規模病院。老健業者。元気がなくなる恐竜達を尻目に、誕生したばかりの哺乳類はきれいな施設、専門特化した医療技術を武器にその勢力を増している。
時代は変わる。恐竜が闊歩していた時代は去ったあとは、小型ですばしこい哺乳動物の時代が来る。医療の無駄は減り、効率のいい医療、効率のいい経営が実現できるようになる。
問題なのは「恐竜」クラスの力がないとどうしようもない患者さんはいつの時代にも存在することで、哺乳動物を目指した施設は、最初からそうした人を相手にする意思は無い。
主役の交代は、すでに小児科、産科の領域では確実に進行している。産科のいない市は、もはや珍しくなくなった。
恐竜だって絶滅したくて進化したわけじゃない。医者だって絶滅する恐竜と心中したくはない。結果として哺乳類が生まれ、「食べられない」患者は見捨てられる。
誰かが悪くてこうなったというわけではないと思う。