「名人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 名人とは

2009-11-11

因に言えば...。

ワタシは「”釣り”は釣りだ」で全部一緒だと思っている大バカ野郎です。

釣り人」を「バカ野郎」などと言っていますが、知る人ぞ知るネタとしては、

「どんなに優秀な釣り人が束になってかかっても、約60%の魚は絶対に釣られないだろう」

という事は、生物学的な統計で明らかになっている(笑)という点でして、

全体で見れば、「釣り人」の方が「魚」よりバカなのです。

「どこぞのバカがまた釣り糸垂れてらぁ」の方が未だ理が有る。

釣り名人」はこの点を実によーく知ってますから、奢りを見せない訳です。

「魚の方が自分より多分頭が良い」という態度を絶対に曲げません(笑)

                     〜T/H

名人級のアプローチ

釣り名人アプローチはまるで本物と区別がつかない。

「1場所、2エサ、3技術」という釣りセオリーは万国共通。

従って「アプローチ」で一番重要なのはエサである。

ごもっともなセオリーは「その魚が普段捕食しているエサと可能な限り近似させる事」だが、

生存本能ゾーニング(縄張り)、条件反射などを巧みに焚き付けるやり方も有るため、一概には言えない。

特に疑似餌、ルアーを使った釣りでは仕掛けのローテーションが勝敗の鍵となる事もしばしば有る。

因に色の効果は絶大だ。ただし、「赤い」からと言っても魚に同じように見えていると思ってはいけない。

水深2mでは赤と黒の区別がつかない。実際に試してみれば解る。

                           〜T/H

2009-10-08

子供の頃読んだ本で

「沢山の人を短期間だますことはできるし、少数の人を長期間だますことも

可能だ。ただ沢山の人を長期間だますことはできない。どんな嘘つきの名人

でも。だから嘘をつくなら、その2つのどちらかを選びなさい」

って書いてあっって、子供ながらもなるほどなと思ってた。

けどネットだったら沢山の人を長期間だますことも可能だよな。

ただ金銭や法がからまない範囲で、だけど。

2009-09-23

毒矢のたとえ

釈尊は具体的な生き方を説いた人であった。真理を理論だけで理解しようとしても苦を乗り越えて生きることは出来ない。釈尊のこうした考え方を示すものに 毒矢の例えがある。

マールンクヤと言う若い弟子がいた。かなり理屈っぽい人だったようだ。彼は 「いろいろ考えたが世の中には解からない事が沢山ある。わかるものならばそれをはっきり解からせて欲しい。それがはっきりしない限り私はこれ以上修行が出来ない。」と言い次のような質問をした。 「世の中は常住なるものか それとも無常なるものか  世界に果てがあるのかないのか 霊魂と身体は同一か同一でないのか 死後の世界は存在するのかしないのか 」と言ったような問題に悩み釈尊に解答を迫ったと言う。「釈尊世界が常住であると思うならそうおっしゃってください。それに応じて修行します。世界は常住でない 無常なものだと思うならそうおっしゃってください それに応じて修行いたします。」

それに対して釈尊はおおよそ次のようなことを言ったとされる。

「ある人が毒矢に射られたとする。 すぐに治療しなければならないだろう。ところが医者にかかる前に 一体この毒矢を射た人は誰か どんな名前の人か 身長は どんな顔の人で どこに住んでいた人か どんな弓で射たもので どんな矢じりがついていたのかと言ったような理論を追求していたら 結局 死んでしまうだろう。」 「それとおなじで世の中は有限か無限か 霊魂と身体は同一か そうでないか人間は死後も存在しているのか そのような問題に答えたところで私達の苦なる人生の解決にはならない。そのようなことがはっきりしたら修行すると言うのは正しくない。 世の中が常住か 常住でないかについて見解を持ったところで 私たちの老死 憂い 苦痛 嘆き 悩み 悶えは依然としてここにある。 私はいま 現実のこれらの老死 苦を超えることを説くのだ。 悟りに達すればそのようなことは気にならなくなるであろう。」   中部経典第63経

一方釈尊は方便を使う名人で 死に行く人に対しては 「死後極楽に行けるから安心しなさい」と説いたという。

メンヘラが脳の病気なのかホルモン病気なのかただの甘えなのか、非モテ以下略とか、そういうのはどうでもいいんだな。

2009-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20090805113452

ヒューリスティックなんちゃらみたいなの使って、多くの人がNG登録しているユーザー言葉自動的に設定してくれる機能があればいいのになー。

なんかの拍子でNG設定消えても困るし、備忘的に今現在NGワード一覧を書き出しておく。蔑視っぽい言葉ベースに、巡回動画に特化したワードをトッピングしている。

何で入れたのか分からない様なワードもあるけれど、たまにHITしているようなので一応働いているみたいだ。

コメント

嫉妬

NG

字幕

アンチ

自演

下手

つま

きも

^^

へた

バカ

信者

ゆとり

らし

音量

ずれ

ズレ

AA

BB

CC

おもしろ

イラ

カス

好き

職人

ケタ

オタ

挙手

キモ

いら

関西

非表示

工作

??

??

名人

達人

コマンド

all

2009-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20090729084939

馬鹿ここに極まれり。

まあ、いつものことか。こっちは稀に見る珍獣が見られて楽しいから良いけれども。

まず「確からしさが高い」という言葉を俺は使っていない。

「主張が確からしいと認められる」と言っている。

あのなあ。細かいツッコミ名人のお前でも、それは無いだろう。

もうちょっと笑える重箱の隅のつつき方が出来ないの?

「高い」という言葉をお前が使ってなかろうが、「認められる」ということは、

一定水準以上に「高ければ」認められるという意味なんだから、「高い」ということを意味しているだろうが。

そんなことも分からない奴と俺は議論してたのかw

最初は日本語の不自由な外国人と会話してる気分だったが、なんだかナメック星人と会話してる気がしてきたぞw

「10%の確実性があれば、それは確からしいと言える」という前提があるのならば、理性的にはどうかと思うが、論理的には破綻していない。

論理がどうこう言っている人間の発言とは思えないなあ。

俺がこれまで指摘してきたお前の問題点を分かってもらうためにも、これは好例だ。

10%の確率アメリカのほうが関心が高いってことは、90%の確率日本のほうが関心高いってことなんだから、論理的にも破綻してるだろ(笑)

そもそも、「一定水準以上高ければOK」「その水準は任意」って言っている時点で、お前の主張はおかしいんだよ。

「有意水準」という言葉を知らない馬鹿文系君であれば、無理もなかろう。

「確からしさを」を「高める」以上、「確からしさを高める証拠」は「主張が確からしい証拠」と同義ではない

この前提が間違っていると何度も指摘されているのに、理解できていないのか?

50%以上に高められたなら、そっちのほうがより確からしい仮説に決まっておろうが、馬鹿(笑)

もちろん、誰かが指摘していたように「どう見ても帰無仮説を棄却できていません」だけどね。

棄却できていないからこそ、お前にも反論のチャンスはあるんだから、くだらない重箱遊びは止めて、

具体的データを持ってきて頑張って論じてくれたまえ。

2009-06-04

id:simulacre

http://anond.hatelabo.jp/20090604150157

ネタ元:http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20090603/chikirin_analysis

id:simulacre 彼(彼女?)は数値や統計、あるいは事実の断片を自己の都合のいいように解釈し、ミスリードアジテーションする名人だと思う。だからいつも俺は「これはひどいタグをつけたり、適当な放言として扱っている。 2009/06/04

2009-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20090516185727

のび太未来の道具の天才的な使い手であや取りの名人重力の低い星とは言えプロ殺し屋に勝つほどの射撃名人就職先が見つからなかったからという理由で

企業する優れた才能とバイタリティの持ち主ですよ。

2009-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20090418174633

デビッドハルバースタムの「覇者の驕り」を読んだ者だが、

なるほど、戦後日本名人システムを構築したらどうなんだ?って方向にいったわけだ。

業界とか。

ゼロから立ち上がるためアメリカから品質管理ノウハウを教わって、

その後アメリカ人品質管理ノウハウを教えるほどまでやっちまったんだから。

ネトウヨ寝言

ボコられるのは仕方がないとして。

誰にも読まれないのはなんか手応えがないなあ、と思い、自称ネトウヨである俺のブログの記事を転載してみる。

メンヘル寝言だと思って聞き流して下さい(と言っても、皆さん、容赦はされないと思いますが)。

さて、司馬遼太郎元ネタとして話を始めよう。

まず、司馬遼太郎戦車乗りでした。

戦後はともかく、戦前戦争中の日本戦車はとにかくしょぼかった(好きな人はごめんね)。

エンジンディーゼルエンジン(ただし、技術的にはすさまじい)。装甲は紙のよう。

なぜか?日本には資源がないから。軽油安いし。

で、運転が無茶苦茶難しかった。戦車の運転手として、名人芸を問われた。

アメリカはどうか?

当然、ガソリンエンジン(しかもオートマ)。楽々前進。運転簡単。

司馬遼太郎戦車乗りの一人として、米国戦車と自国のそれを比べたとき、大変無念な思いをした訳ですよ。技術って普遍的なもので、優れた技術はそれを扱っている人間にはすぐに分かる。

で、この差はなんなんだろう?という話になる訳だけれども。

司馬遼太郎曰く、"文化"と"文明"の違い。今でこそ、日本サービスは優れているけれども、戦前日本は、"名人の文化"だった。「できないのは、お前がグズだからだ」という文化。タクシーの運ちゃんが「私は助手時代から一度も道を間違えたことがないのですよ」と威張れる文化(戦前道路は、道は整備されていないし、道路標識もほとんど無かったので凄いことらしい)。

戦争中、すでにアメリカは、ベルトコンベア採用したT型フォード生産とかから始まる、機械大量生産・大量消費の社会に入っていた。で、品質のバラツキをなくすため、品質管理をアホでもグズでも出来るように普遍的なマニュアル化、"文明化"した。日本の場合、品質は個々の情熱と自負心と技量に依存した"文化"だった。

日本戦後、(サービスにおいて)、名人主義、"人はみな有能"という考えを捨てた。で、品質管理(QC)が、日本産業の基本的性格の一つになった。つまり、アメリカの"文明"を吸収して、日本"文化"にしてしまった。その結果、日本航空会社スチュワーデス(あえてこの語を使う)は(優しい)母親となって客を扱う、とは司馬遼太郎の弁。

まあ、大体、アメリカ移民の国であるから、モザイクのようにバラバラにまとまって住んでいる"文化"の違う住人達をまとめるには、普遍的な価値観の"文明"が必要だった面もあるかも知れない。

だから、アメリカは、"文明"的には優れているが、"文化"的には未熟、と言える。

だから、四つ足で一生懸命スタコラ歩く哀れなデザインマシンを蹴り上げることが出来るのだ。Yes, We can !

参考映像http://www.youtube.com/watch?v=W1czBcnX1Ww

じゃあ、日本文化本質って何よ?という話になるわけだが。

まあ、俺辺りが簡単に説明できれば、誰も苦労はしないよなあwとは思いつつ、適当に私見を書こう。

結論から先に書くと、「禅的構造への落とし込み」だと思う。

じゃあ、"禅"とは何かというと、Wikipediaによれば、「ただひたすらに(坐禅を)実践せよ」とか「以心伝心」とか「言葉でなく体験」みたいな説明が出てくる。要するに、「空気読め」ということだと思う。多分、それが、日本人日本人たらしめている。

「禅的構造への落とし込み」の例。

例えば、日本庭園枯山水庭。とか言うと俺にもよく分からなくなるので、例えば、漫画とか。

昔の劇画でもアメコミでもバンドデシネでもいいのだが、基本的に良く描き込んである。でも、劇画は廃れ、現在日本では、あまり描き込まれていない、もっとシンプルな記号化された漫画が主流だ。

これが何を意味するか?

まず、描き込むだけの時間がない、という面はある。つまり、「資源が少ない」のだ、我々は。島国は。で、例え結果的でも、描き込まれていないということは、紙に染みついたインクの量は少ないということである。ということは、それだけ、"何を紙に染みついた少ないインクにするか"考えなければならない。その結果、"何を書くか、どの線を選ぶかなどを作家が(生き残るために)魂を込めて選択しなければならない"(もちろん、適当に描いている人もいるかも知れないが、読者を脱力させるための線や展開などの構造を(無意識のうちに?)選んでいると思う)

で、アニメも描き込みの量が少ないわけだが、ストパン監督は、エヴァンゲリオン庵野秀明に「お前の描くパンツには魂がこもっている」と褒められたわけだ。

ゲームもそう。わびでもさびでも萌えでも良いのだが、日本の強みは現実換骨奪胎と記号化であり、「逆に要素を少なくすることで、対象者に想像力を使わせる」のだ。禅的構造への落とし込みとは、「対象者に想像力を使わせるための魂のこもった取捨選択」だ。小さくまとめ上げる。美を追究する。そのために職人は技を磨き、我々は空気を読む。

で。

ハッカーの話になる。

ソフトウェア工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 " @IT

http://www.atmarkit.co.jp/news/200904/10/matz.html

つまり、まつもと氏は、名人主義だ。

まさに、ハッカーとは、名人主義だ。

そして、はてなでたむろしている連中も、名人主義だ。

だが、そこが彼らの、我々の、日本人限界性でもある。日本技術者のかなりが未だに、紙のような装甲と、ディーゼルエンジンを装備し、精神を病むほどの"根性"で、自分を、現実を、だましだまし、日々を戦っている。

とは言え、泣き言や呪詛を並べても仕方がないのだろうが。

ソフトウェア工場は失敗だった?

どうだろうか。歴史で繰り返される技術者の奢りであるかも知れないという疑念は?

正直、アメリカなら、やりかねないのではないか?

そのうち、ソフトウェア設計を合理化/普遍化/文明化/マニュアル化し、アホでも作れるようにしてしまうのではないか?

大抵のソフトウェア適当に注文するだけで、9割方、自動生成されてしまうとか。しかも何回もやり直し可能。

俺はそれを恐れる(そして、楽しむ)。

現に、アメリカ発のインターネットというテクノロジーで、編集者青息吐息ではないか。

多分、思いも寄らない方向から、必殺の一撃が来る、と考えた方が自然ではないか?

そいつは、非人道的に、無慈悲に、機械的に我々を殺しに来るのだ。我々は合理的結論で殺される。OK. 原爆アメリカにとって合理性があったのであろう。殺される方はたまった物ではないが。それが村上春樹が恐れているものではないか。しかし、"技術革新は誰にも止められない"。

果たして、アホに生きる権利があることを許さない、名人主義のその狭量さが、限界性を作っているとしたら。そして、よりハッキリ言えば、技術バカ(ギーク)がやり手の営業マン(スーツ)に負けるように、好きでやっているアマチュアプロフェッショナルの作った構造的罠に負けるように、負けるのが宿命づけられているとしたら(日本vs欧米スポーツもか)。

もっとも、人間はどこかしらの部分で優越感を感じていないと生きていけない生き物であるから、腕のある人間はアホに優越感を感じて、差別して、見下して、生きているのだろう。底辺の人間が、例えば、外国人に優越感を感じて、差別して、見下して、生きているように(繰り返すが、それを自覚し、どう振る舞うかが重要なのであって、その感覚を無くせなどとは言っている訳ではない(というか、存在論の部分に関わってくるので無くせない)。どうプラスに活かすか。"かわいげがある"というのは、見下しているが、プラスの評価だ。だから、日本が"カワイイ"文化で世界に浸透してしまうというのは、結果的に正しい。日本人連中に"文化"を教えねばならない(←ネトウヨ勝手な思い込み))。

それに、穀物を育てながら、畑を保守しながら、計画に戦略ロジスティクスストラテジーに取り込まれて生きるのではなく、その時々において、メシの種(獲物)を見つけて狩りをする戦術技術やタクティクスやアートや道(タオ)を追求するというのも一つの生き方であろう。男だね。侍だね。無形の型。戦略などないので強い者だけが生き残る。生き残ったから強い。まさに逆転の発想なんということでしょう。匠の遊び心が光ります。お前ならどこへ行ってもやっていけるさ。じかい、ほくとのけんつ~!奥義、万物流転!誰だ、日本人農耕民族だから、みたいなことを言ったやつは。責任者出てこい(とは単純には言えないのだろうけど。経済は生き物で、強弱の違いこそあれ、両面の才能は必要だろうから)。

・・・・・・少し落ち着きました。

さて、では、はてなは、どんな立場を取るのか。

名人主義のSNSへ向かうか。2ちゃんねらの底辺にいるようなアホの流入を前提にして、文明化するのか(一時期、そちらに傾きかけた・・・というか、あの時のはてな社長は血迷っていたのだろうか?)。今は、どちらでもない、なんだかよく分からない、迷走している状態だ。

それとも、近松門左衛門が虚構と現実のはざまに真に我々の心をうつものがある、と言ったように、迷走状態のはてなであるからこそ、我々の心をうつものがあるのだろうか?"不満を言う楽しみ"。"馬鹿な子ほどかわいい"。"灰色の魔女(違う)"。なんかね~、"相手の優越感をコントロールする"のがサービス業だとしたら、『あたしは、はてながどうしたっていいと思うし、何も言わないわ。はてなはよくやったと思うもの』ですよ(と、また話が明後日の方向へ)。

2009-03-26

警官と指紋採取

警察について質問

http://anond.hatelabo.jp/20090326181548

に、わかる範囲で答えてみる。

警官の可能性は十分あると思う。

もしかしてニセ警官だった?

怪しいところは以下の5点ある。

  • 身分証明書を言わないと提示しない。
    • 普通は何も言わなくても「○○の××です」と名乗る。聞き込みなどの捜査は特に。高圧的な態度に出ても何もいいことがないので。普通はかなり下手に出てくる。
  • 警察手帳」である。
  • 警察官がそんなに簡単に指紋採取を依頼しない。
    • 指紋を採る際には、警察官はかなりきちんと説明してくれる。「問題がない場合は破棄します」等。
  • 指紋採取には「専用用紙」を使う。
    • 重要容疑者でなければ、ペらっぺらの非常に薄い紙に、注意事項等が印刷された専用用紙が使われる。一枚に指10本と左右の掌紋が入るぐらいの大きさ。
  • 指紋採取に「朱肉」は使わない。
    • 指紋採取は通常、ワックスのようなものを指につけ、指紋採取の紙の上に、指を転がすようにして行う。指につけるものは無色。色はつかない。さらに、10本の指全部と、掌紋を必ず別々に取るはず。

以上の点から、十分に偽物である可能性はあると思う。

まぁ、詳細がわからないのであれではあるが……。でもそんなにニセ警官やってもメリットない気がするのでよくわからない。

指紋を採る時ってどんなかんじ?

指紋取るのってそんなもんなの?

自分経験だと

  • 指紋を採取する理由を述べる
  • 任意であるという説明と、用途が済んだら確実に破棄しますとの説明
  • 指紋採取の道具は、
    • 各指をつくところや、説明が印刷された決められたぺらぺらの紙
    • 掌紋も取るため、A5くらいの大きさがあるワックスを固めたようなもの
    • 拭くためのタオル等小もの
  • 採取される場所
    • 左右十本すべて
    • 掌紋
  • 採取は、付け方によってはまともな像が選られないからか、基本警官が手を添えて行う。
  • 力を入れないように、指を転がして全体を採取するように取得する。
  • 指紋と同時に、かなりの確率で靴(足跡)の提供を求められる。

という感じかな。また、警官は特に聞き込み捜査の時は

  • 必ず写真付きの身分証明書を見せる
  • 口頭で名乗る(○○の××です)
  • 基本かなり腰が低い(腰が低い人ほど名人らしい)
  • 二人一組、単独行動は絶対にしない。

バイトしていたコンビニに強盗が入ったときと、近くで連続強盗殺人があったときの経験なので、色々状況とか違うので間違いかも知れないけど。

参考になれば。

2009-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20090115234402

「おや。後手が止まりました。……ぐらりと左肩が下がります。これは相当な」

「ええ、先手の強烈な一手です。立ち上がれない可能性もありますね」

「後手の額に汗が見られます。苦しげな表情。おっと? 投了、投了です。15手、『普通に生きていれば彼女くらいできるよ!』にて終局となりました!」

「部分部分で後手がよかったところもありましたが、全体には先手が勢いで押し切った対局になりましたね。若い層の躍進はこのところ目覚しくあります」

「実況は私増田、解説は増田名人でした。のちほど増田名人にはより詳しく検討していただきます名人、よろしくお願いします」

2009-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20090115104108

名人、これは」

「このところ流行している、リクーム囲いですね。防御や回避を排した非常に攻撃的な形」

「後手が勝負に出たと」

「そうですね。これは急戦になりそうです」

http://anond.hatelabo.jp/20090115104639

「先手は天元ドドリアで応じます」

リズムがいい。これは次の一手が困りますね」

「後手の手が止まりましたね」

にじゅうびょうー

「後手の秒読みが始まっています」

http://anond.hatelabo.jp/20090114224440

「おっと? 先手が……投了ですか。投了。本当に? ……初手で投了です! 大変珍しい結果となりました」

「これはさすがにプロとして、いや一人の打ち手としていただけませんね」

「先手増田3段、静かな表情で対局室をあとにします。これはどうしたことでしょう」

「近頃の若いプロはよくわかりません」

「予想外の事態に進行が滞っておりまして申し訳ございません。午前9時半より、解説の増田名人に前回の感想戦をより詳しくやっていただく予定です」

2009-01-14

将棋が強くなりたい

ということで強くなりたい

どうでもいいけど西尾維新が「将棋名人ってのは思考のスピードの速さの点において天才なのだ」

つってるけどそれってたぶんちゃうよね

2008-12-16

克目せよ!竜王戦最終局

渡辺竜王羽生名人か、初代永世竜王の座を掴むのは。いよいよ竜王戦最終局が明日午前9時に始まる。

竜王位は名人位と並ぶ将棋界の最高タイトルであり、唯一無双の最高額タイトルである。挑戦者アマ女流を含めた実績考慮の変則的トーナメントで決定されるため、トーナメント出場資格以上の実績が無くとも連勝さえすれば最底から一気に挑戦者となることができる。7回の保持または5連続の保持で永世位の資格を得る。

----

羽生は最強の棋士である。7大タイトルの独占後も無冠に落ちたことはなく、7戦以上して負け越している相手はゼロ。勝ちまくるため自然と強い棋士との対戦が多く組まれてゆくにもかかわらず生涯勝率は38歳にして7割を優に超えている。複数回や連続年度獲得すると得られる永世名誉位も6つ手中にし、残る永世竜王位もあと1局を残すのみとなっている。あらゆる戦形を指しこなし、長期的視野にたって目先の1局だけでなく後々に経験が生きるように指すことも多いと自他共に言われていたが、今期竜王戦だけは勝利に徹した差し回しを選択していると噂されている。

迎え撃つは24歳の渡辺である。羽生と同じく中学生プロ棋士になり、若干20歳で竜王位を奪取した。その後も強敵相手に防衛を重ね4連続保持の最中のため、この1局に勝てば永世竜王位の資格を得る。しかし獲得したタイトル竜王だけであり、また羽生を倒してのタイトル獲得防衛ではなかったため、他の一流棋士に厳しく評されることもあった。将棋純文学と形容される本格的な戦法である居飛車、矢倉、穴熊に強い。

二人は5年前にタイトル王座を巡ってフルセットを戦ったが、最終局終盤で羽生は手が震えて駒がまともに持てなかった。しかしその後は不思議なことにほとんど対局は行われず、今年の五月にネットでの対局が組まれたときは、なんと羽生コンピューター操作にトラブルがあったようで時間切れ負けとなってしまう。そのために事実上最強の羽生と最高タイトル竜王を保持する渡辺が並存するという奇妙な状態が5年も続いていた。しかし、遂に羽生竜王位に復位せんと勝ち上がってきたのである。

こうして若手の渡辺竜王に最強の羽生名人が挑戦するという、感覚とは逆の不思議な大勝負が実現した。

----

第1局はパリで行われた。これで勝つはず筈とほとんどのプロ棋士が思った渡辺竜王の攻めを、羽生自分だけが観えていた大局観で凌いで羽生挑戦者勝利。格の違いを見せ付けられたようだった。

第2局は細かい攻防が続いたが、渡辺竜王の苦心の手もそれまでの僅かな劣勢を跳ね返すに至らずに羽生挑戦者連勝。第1局での後遺症が響いたのかと噂される。

第3局は渡辺竜王の新手を羽生挑戦者が咎め初日の夜から大差になり、以降渡辺竜王はいいところなく無残な敗北を喫する。渡辺竜王からは沈痛な感情がありありとみえ、ブログでは「内容が悪くて申し訳ない思いです」とまで記された。単なる一局の敗北に留まらず決定的な精神ダメージを負ったのではないかとまで噂される。ともかく羽生挑戦者3連勝で渡辺竜王を追い詰めた。

第4局も羽生挑戦者不思議な駒の使い方をして、渡辺竜王を専守できないように誘導してから自陣をガチガチに固めることに成功する。なんという一方的な展開だったのかと次々に観戦者から悲鳴が上がり、また別の者は羽生挑戦者の勝利とみて永世竜王位の祝杯を早々とあげはじめる。

ところが。

何度も敗北を覚悟しながらも妻に応援された通りか粘っていた渡辺竜王の玉は、羽生挑戦者の猛攻を打歩詰めの筋というギリギリでかわしていたのだ。後に本人でさえも「最初はそんなことがあるわけないよな、と信じられませんでしたが・・・。」と語るほど不思議な決着で、奇跡の逆転を果たす。まるで第1局を映したかのように。

第5局は渡辺竜王が序盤から少しずつリードを重ねていき、羽生挑戦者の仕掛けた深遠な罠をことごとく見破って勝利した。大局後の検討で様々な質問に対して深いところまで丁寧に回答していたという。この一局はがっぷり四つの横綱相撲のようであり、まるで第2局を映したかのようでもあった。

第6局は渡辺竜王が矢倉から早々に戦いを仕掛けていき、そして一日目の昼下がり、誰にも語らずに温めていた新手を放つ。これは大丈夫なのかとの声が観戦者から上がる。……しかし羽生挑戦者の様子がおかしい、僅か数手で持ち時間がみるみる減っていく。深く検討すると既に羽生挑戦者がかなり苦しい事がだんだんわかってきた。それから羽生は食事もあまりとらず、あるいはとれなかったのかもしれない、膝元に毛布を置いていたのだから風邪とも噂されるが、過去羽生挑戦者風邪の方が緊張がとれてかえってよかったと言いながら勝った事があるため不明。ともかくその後は羽生挑戦者にいいところが全く無く……そう、まるで第3局を映したかのような惨敗を喫したのである。

----

最終戦終局は明後日の午後6時前後予測される。

2008-12-13

努力限界

問題は「時間」なのだ。

何かを習得するのに要する時間は、ヒトそれぞれだ。

時間の練習で要領よく上手になるヒトもいれば、長時間練習をしないとできないヒトもいる。

要領がいいということは、他人よりいち早く仕事の「コツ」を発見して憶えたからだろう。

たとえ「コツ」を憶えるのに時間がかかっても、頑張ればできるかもしれない。

そうなると短時間の練習で上手くなるヒトのほうが得だ。

そういうヒトを「才能がある」と言うのかもしれない。

もしヒトに「寿命」がなければ、努力を惜しまず頑張れば、どんな事でもできる可能性はあるだろう。

しかし、ヒトは動物の一種だ。

ご飯を食べなければ死んでしまう。

飢えに苦しまなくても、時間がたてば年を取って、「寿命」がくれば、いつか死んでしまう。

ヒトは、自分がいつ死ぬのかハッキリしたことは、わからない。

健康で若いヒトほど自分寿命がわからないだろう。

自分人生設計は作れても、途中で死ぬかもしれないので、計画どおり生きていけるかは、わからない。

ひとつの趣味を死ぬまで追及すれば、その道の名人になれる可能性はあるだろう。

しかし、名人になれかどうかは本人しだい。

2008-12-12

竜王

はてな取締役であるという立場を離れて言う。竜王戦は、バカになるくらい本当に熱すぎる。「二枚がえに成功してさらに飛車を成り込む」という望外の展開になった渡辺竜王に対して、「その展開で、必ずしも先手有利とは言えない」という大局観を羽生名人が持っている事を誰が予想できるだろう。そこがまったく理解不明だ。

竜王戦がとにかくアツイ!

http://anond.hatelabo.jp/20081020234554

竜王戦第四局個人的メモ

http://anond.hatelabo.jp/20081128053558

第21期竜王戦 -- 高速道路の先にある名勝負

http://d.hatena.ne.jp/essa/20081212/p1

竜王戦中継plus

http://kifulog.shogi.or.jp/

克目せよ!竜王戦最終局

http://anond.hatelabo.jp/20081216220249

http://anond.hatelabo.jp/20081211224903

ハ長調と二長調が別に聞こえるってそりゃ普通だ。威張ることではない。本当はそういう雰囲気や気分の微妙な違いを考えて曲を作る。(だから昔の人はそういう違いを言いあてたいから、あれこれ表現したってわけだ)

でも、ポップスはどうかな。タダの音域あわせという発想でいいかもしれない。クラシックだって歌の場合は移調するからね、声域によって。あまり難しく考える必要はないかもしれん。

ポップス音楽理論でどこまで実践したいのか知らないが、移動ドで考えると即興で移調できたりする(訓練は必要だ、そりゃ)。あと、微妙音程感覚は移動ドのほうが感じやすいだろうな。絶対音感なんてものはどうでもいいし。ま、それも電子楽器つかうだけなら関係ないし、ギターって言っても、なあ。名人クラスはどうか知らんが、たいていそこまで考えて音程とってないだろ、普通は。

本当は歌やる人は 、自分音程を作る楽器を何かやって半音微妙な違いを鍛えた方がいい。けど、これも普通はしなくてピアノどまりだね。

音楽理論というからあれこれ書いた。続編頼むぞ。

2008-12-10

過去日本家族概念は、血統主義だけじゃなかったらしいよ

日本家族概念は別に血統主義じゃないんじゃね? - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ

http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20081210/p2

を読んで。

ちょうど読んでいる本に、面白い記述があったから引用するね。

『「娘をもっている親で、若衆が夜這いに来ないようなことなら、親のほうがそのこと

を苦にした」ということを高知の西の端の中村で、土地の教育関係の人からきいた。

熊野山村で、「複数の若衆が行っていて、もし娘さんが妊娠したりするとどうなる

のですか」ときいてみたことがある。故老はおだやかな表情で、「そういうときは娘

に指名権があるのです」といった。故老によれば、たれのたねであるかは問題ない、

たれもが村の若衆である、たねがたれのものであっても似たようなものだ、という思

想が基底にある。娘は、自分の好きな感じの、あるいは将来を安定させてくれそうな

若者を、恣意的に指名すればよい。』

         司馬遼太郎が考えたこと9 南方古俗と西郷の乱 より

そのあと、司馬は「たねに対する不厳密性」についての考察をひろげて、

アジア遊牧民族には骨への信仰(おとこのたねが子供の骨を作る、といった感じの)

があり、朝鮮中国儒教社会を取り入れながらも、そういう点は

北方遊牧民寄りの信仰だった、と述べて、

そういう意味で少なくとも西日本農村漁村は南方的だと述べている。

そしてまた、文章は本題の薩摩の南方的な気風に戻る。

この文章だけを鵜呑みにするわけにはいかないけれども、

そういう「たねに対する不厳密性」が南方の気質によるものだとしたら、

ここはよく考えなきゃいけない問題なんじゃないかな。

今は南方だろうが中央だろうが、高知だろうが京都だろうが、

同じ「日本」として捕らえているわけだけども、

そういう過去の変遷を踏まえずに「日本家族概念」ってひとくくりに

論じてしまうのは、乱暴なんじゃないかなと思った。

もちろん、天皇家なんかは、血統を重視していたのは間違いないわけだし、

「ご落胤」なんて言葉があることからも考えると、

血統を重視する考えが存在していたことは間違いない。

いろんな概念が混在していたと見るのが、やっぱり妥当だよね。

結局、家族概念に限らず、

日本過去のことを論じるときには、

やっぱり地域性が重要な要素なのは間違いないと思う。

一日で全国どこにでもいけるような今の

日本に住んでいるとその認識が薄れがちだけど、

かつての日本は、もっともっと広かったんだから。

現在日本の主流の概念が、血統主義であることは事実だけど、

だからといって過去から脈々と続いてきたか

どうかは違うんだよ、って話でした。まとまってないね、ごめん。


それにしても、司馬遼太郎って話そらすことに関しては名人芸だよね、あそこまでいくと。

2008-11-28

竜王戦第四局個人的メモ

----

このメモは個人的なものであり誤りが大量にある筈なので、くれぐれも絶対だとは信じないこと。指摘大歓迎。

1.将棋には、タイトルのひとつとしての竜王と、駒のひとつとしての竜王がある。駒の一つとしての竜王飛車という駒が裏に成ることにより現れる。

2.相掛かりでなければUFO銀や棒銀は珍しくない。

----

最高位の座を名人位と二分するタイトル竜王[1]、四連覇中の若き渡辺明竜王挑戦者するのはこちらも計六度竜王であった有名な羽生善治名人、どちらも五連覇もしくは計七度保持すればえられる永世竜王それも初代をかけた戦いになった。

渡辺は第三局まで三連敗の上に内容が悪くなっていっているのではとも噂されはじめ、しかも四局目は戦型を選びにくく不利といわれる後手番であった。

その渡辺羽生は近年凄まじい高勝率をあげている相掛かりという戦法で襲い掛かる。普通なら角道を開けて拒否するのだが渡辺には「相掛かりを受けて立って悪くなるはずがない」という信念があり、真正面から受けて立った。

相掛かり自体は前例がたくさんあるのだが、早くから羽生好みの銀が「右」からUFOのように昇っていく形は珍しいらしい[2]。少しでも踏み外せばあっという間に勝負がつきかねない激しい変化にもかかわらず局面はどんどん進行していく。

速い戦いにせざるを得ないと読んだのだろう、渡辺は玉を真っ直ぐひとつ上がり守りの駒を少し離して「中住まい」にした。この利点は守備が早く完成する事、駒を均等に配置するので持ち駒を放たれてしまう隙間が少ない事、そのわりに玉が逃げ回る空間は広い事である。

しかしなんと羽生UFO銀を「左」に下げて守りに使い出した。

矢倉といえば普通は金矢倉であり、銀矢倉は最近姿を消していた。それは主に築城にかなり手間がかかり、その間に相手に好き放題されてしまいかねないからである。しかしそれを羽生は成し遂げた。

この固い守りに渡辺はすぐに手が出せない。かといって渡辺が本来得意とする、熊が冬眠するような堅い守りにしようとすると、組み上げるときにどうしても避けられない大きな隙を狙われるため不可能。対して羽生は隙をみせずにもっともっと守りを固めていくことができる。これは一日目にして既に勝負あったのではないかと考える人もいたようだ。

もはや渡辺には攻め抜く道しか残されていなかった。

銀矢倉でほぼ自陣を固めきった羽生に対し、極限まで駒を攻めに向かわせた渡辺渡辺の陣容はその左右対称性からインベーダーとも呼ばれた。美しく見える人もいたかもしれないが、いざ攻められると非常に脆く崩れやすい。ここで手が封じられて翌日へ…。

----

いよいよ渡辺の猛攻が始まった。苦悩の果てに羽生の銀矢倉への正面突破をみせる。だがそれに応じ羽生は銀矢倉から更に硬い囲いに組み上げた。観戦する誰かが局面を後手の渡辺側から見てみろよと言い出すと、方々から渡辺絶望的との声が上がる。そして渡辺は貴重な守りの駒さえもひとつ犠牲にする。

と、ここで渡辺は駒を渡す。また千日手(繰り返し)のようで千日手ではない似たような手順を繰り返す。妖しい手に戸惑う観衆。その手順から渡辺飛車が間隙を縫って、羽生の守りとは離れたところに突入し、竜王[1]と成った。

竜王を頼りに敵陣に突入できるできるかもしれない、と微かに望みが繋がった渡辺。とはいえ、その間に羽生は激しい攻撃を繰り出したり、かと思えば絶妙のタイミングで守りに切り替えたりして、渡辺を崖っぷちから逃さない。

竜王を頼りに敵陣に突撃してゆく渡辺の玉、させまいとする羽生。もし突入されてしまうと、規定により駒数が少なくなってきた羽生は負けかねない。複雑な変化を掻い潜るなかで、遂に羽生の手が震え始める。

「手が震えたという事は、羽生ギリギリの勝利を確信したのか?」と噂され始める。敵陣に突入しかけるが更に厳しい迎撃に合う渡辺。お互いに勝負を決する難解な選択が連続する。やがて震えることもなくなり力強く渡辺竜王を取り飛車として駒台に乗せる羽生。勝負はあったのか…?

対局の直前に渡辺は「諦めたらそこで試合終了だよ」と嫁に励まされていた。

なんと再び羽生の手が震え始める。その中で玉が非常に危険なのにも関わらず果敢に飛車を打ち込む渡辺、そして再び成って竜王とする。羽生は全力で渡辺の玉を追うが、なんと打ち歩詰め禁止のルールゆえという際どさで凌いでいた。

加えて将棋は後ろに攻めにくいようになっているので、羽生陣の奥に突入された渡辺玉はもう捕まらない。だから勝敗は駒の数で決する規定が適用される事になるのだが、それも渡辺玉を捕まえるために手放し過ぎてしまった。遂に羽生は敗北を認めた。

第5局は12月04日・05日、和歌山県西牟婁郡白浜町むさし」で行われるようだ。

メモ

----

2008-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20081118223344

論理的な間違い」なんて言葉を君から聞いた記憶がないが。

http://anond.hatelabo.jp/20081117230750の一番上に僕が書いたじゃん。形式と書くと幼稚に見えるから言い換えますって。簡単な論理的な手続きを踏めていないので、元増田はちょっとあやしい人だねって。読めていないのはなく、読んでいない。

それは「間違い」じゃなくて君が読解力が足りないだけ

「知識」を読解する必要がないんだけど。その前段階の形式的いい改め論理的なあやまりだから。読解しなくても=知識の正しさに踏み込まなくても、それ以前の段階を形式的に判定しておかしいってこと。もう一度書いておくと、元増田が特定の形式は重要視しなくてもいい、と言い出したので、じゃあ「論理的あやまち」にすると逃げられないね、と前回修正した。

専門家がというところは、元増田自分の頭で考えるのがモットーなのに、あれおかしいね、そういう循環の構造を形式的に持っているのが元増田の言い分に見られる。ここは皮肉だよ。僕だって意識的にチェックをかけないと、専門家意見は鵜呑みにしているところあるし。

知識について無知だろうという批判は関係がないので、それ以下はばっさり削除田中氏の新書ならよんだことはある。ことばのなんとかだったけど、内容は忘れた。学歴に固執しているところも、気持ちはわかるけどスルーする。はずれているから。

アブストを読んでいる人だから同業かもしれないけど、流し読みするには形式が優先されてしまうが、形式は整っていないけど内容はあるものもある。だからこそ形式という名のマナーを優先させたほうが読まれる確率は上がる。

「動くものを撃て」ということを一つ習っただけで名人気取りになって、他のハンター動物と間違えて撃つのだ。

元増田を打ち抜いちゃったと。ごめん。アマチュアハンターにうたれる元増田。たしかに僕はアマチュアかもしれない。同業者をうっちゃいかんいかん。

2008-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20080806192923

その名人は釣った鮎を生のまま囓ったりする人じゃないか?

その他の芸人と比べると、養殖芸人と野生の芸人くらいの違いになる。

養成所とか事務所学校って、ようは養殖でしょ。

なんか今テレビ見たら

バラエティあゆ釣り名人とか使うとか、最近芸能人あゆ釣り名人より数字取れないって事なの?

最近バラエティ番組とか見てないから他がどうか知らないけど、これで大丈夫なの?

大丈夫じゃなくても見ないからいいけど。

2008-08-02

文化といえば甘くなる左翼

大阪知事を支持するわけじゃないけどさ、だけど、だからって左翼が目の敵にして彼に反論するさまは、笑止としか言いようがない。たとえばこれね。

http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080802/1217638935

正論なんだけど、正論でしかないんだよね。

以前、横山ノック知事だったとき、大阪府は宝として大阪フィル文楽は守り通すと言い切ったことがあったわけ。で、今、現実予算配分どうなったのか知らないけど、はっきりいえば隔世の感だね。オーケストラひとつとったって、大阪には不必要な数ある。いずれ整理しなきゃならないのは目に見えてるんだけど。橋下がどうのというより、彼に振り付けした人間はこういうところを意識して全体をにらんでパフォーマンスさせてるんだな。東京左翼にはそういうことがわかんないのだよな。

で、文化っていうとそれだけでたいてい甘くなったりするわけで。そりゃさ、公立美術館オーケストラなどなどの文化事業には公的支援が絶対に必要だけど、じゃ、支援を受けた団体組織は自分たちがなぜ税金を必要として、そしてその結果こういう立派なものを残すことができたのだと、納税者にどれだけ説得力のある説明しているか、そういう努力をしてきたかというと、ほとんどしてない。ってか、普通の人はぜんぜん知らない。知られてないことをいいことに、文化事業にも、やっぱり、おかしなことはいろいろある。

説明がたりないだけじゃなくて、本当に文化事業として支援する値打ちのあるものかどうかという検討さえ、怪しいものだ。横山ノックが何があっても守りきると言った文楽だって、国・行政が絡むようになってからというもの質の低下が著しいから、心ある人はそのことにすごく胸を痛めていますよ。もうどうにもなんないけど。個人的には、こんな文楽は消えたってかまわない。だいたい大阪人間は誰も聞かないし、文楽なんて。「必死さが違う」。「需要がなければ消えるのが当然」。その通り。その通り。文楽には需要がないから、消えて当然だ。それくらいの覚悟も、文楽協会にはもうないんじゃないの。文楽歴史をちょっと見てみよ。客が入ったのはほんの一時期で、基本的にはまったく食えず、名人といえども副業で何とか食えたとかいう話ばっかり。それでも本当に好きなものが集まって、文楽を見、聴き、演奏し演じ、みな必死だったってのが文楽歴史。ものすごく簡単に言えばね。「必死さが違う」、まったくその通りなんだよ。(問題はかつてはこういうことができた余裕が今の日本社会にはまったくなくなったということなのだが、これは別問題)

文楽だけじゃない。オーケストラだって、芸術大学だって、自分たちが税金で成り立っていることを納税者に説明しようとする努力、自分たちの存在意義を説明しようとする努力、そしてそれに見合うだけの質を維持する努力。十分に足りているかというと、とてもじゃないが足りない。

「必死さが違う」「需要がなければ消えるのが当然」。ある意味、これは当たり前のことだし、生まれ変わるいいチャンスになったはずだ。東京左翼みたいに、批判してりゃいいってもんじゃない。文化芸術は、ずっとこうやって生まれては消え、消えては生まれしてきた。物分かりのいい左翼の言い分に甘えてるわけにゃあ、いかんのだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん